電脳ヴァーサス

ゲームが一種のスポーツとして認められるようになった時代、そこではひとつの対戦ゲームが流行の一途を辿っていた。
それは――、リアルバトルシミュレーションゲーム【電脳ヴァーサス】と、それに挑む少年【カエデ】の物語。
電脳世界を駆け巡る少年少女たちによる熱き戦いの幕開けである。

Act:00《その世界、電脳ヴァーサス》

 風に、落ち葉が流されてゆく。
 辺りには枯れかけた古木がポツポツと立っている。
 天候は薄雲。日の光は透過しているものの、どこか薄暗い印象を残している。
 足下にはほとんど草が生えていない。石もほとんどが取り除かれており、馬車の通行が多いのであろうことは容易に予測がつく。
 俺はそこで立ち尽くしている。
 こんなところですることなど何もない。だから周りには人っ子ひとりいやしないし、それどころか獣の気配すらない。
 ならば何故こんな所に俺はいるのかというと、それは約束があるからだった。
 そうでなければ、こんな何もない寂れた場所で待ちぼうけなどするものか。人恋しければ賑やかな場所などいくらでもある。
 ……などと考えていると、前方からわずかな物音が聞こえる。
 数回鳴るうちにそれが足音なのだとはすぐに分かった。
 前方に人がいる。となればその相手は約束の相手に他ならないだろう。
 丘の下方からようやく人影が顔を出した。
 特徴的な赤い髪。それを右側頭部でまとめた目立つ髪型は、もはや疑いようがない。
 【燐緒(リオ)】。
 それがあの少女の名前だ。
 顔だけ見れば年若い町娘のようだが、服装は忍者と修行僧を足して二で割ったような独特な戦装束。
 そして、拳には籠手を装備している。
 とても世に忍べそうにない、赤と黒の配色がなされた目立つ色合いの服装だ。
 それもそのはず、あの女は密偵でも暗殺者でもない。格闘家だ。用心棒みたいな働きもしょっちゅうしている。
 気性は荒く、男勝り。そのうえ、負けず嫌いとなんとも残念な女だ。
 顔だけは綺麗なのだから、しっかりと着飾れば相当な人気者になれるだろうに、と思わなくもない。
 だが、あの竹を割ったような性格は、それはそれで需要はあるらしく、周囲に人の輪は絶えないらしい。
 結局得をしているのか、損をしているのか、どうなんだろうか。まぁどうでもいいことか。
 俺がしばらく思考に耽っていると、燐緒は俺からある程度の距離を取ったところで立ち止まった。
 ――面白い。
 俺はそんなふうに、口元を緩める。
 丁度、俺の間合いの一歩外だったからだ。
 狙ってやっているのかどうかは知らないが、不用意に近づかないところを見ると、随分と腕を上げているように思う。
「今日こそは勝たせてもらうぞ! エデ!!」
 そんな口上を述べ、少女は構えを取る。
 俺は右手に持っていた【果たし状】を放り捨てる。
 場所と時刻が書かれた紙切れが風に煽られて飛んで行く。
「せっかちなヤツだな。……まぁいい。俺も退屈していたところだ。……少しは愉しませてくれよ?」
「なにぃ!?」
 俺が刀を構えながら言うと、予想通り、燐緒は挑発に乗り掛かっている。
 ――もう少しだな。
 あと少しだけ押してやれば、こいつは簡単に引っ掛かるだろう。俺は少し意地悪な笑みを浮かべた。
「何度負ければ、気が済むんだろうなぁ……。この男女(おとこおんな)は」
「ぐ、ぐむぅ……」
 唸り始めた。犬か? 犬なのか?
 どうやら、まだ押しが足りないらしい。仕方がない、もう一押しだ。
「……二十秒。お前ごとき、それだけあれば充分だな」
「ぬぎぎぃ……!」
 怒りを我慢しすぎてか、なんだか酷い顔になっている。さっきちょっとでも褒めたのは間違いだったか。
 そんな、悪鬼羅刹の仲間入りを果たしそうな顔つきになった燐緒が、猛烈な勢いで突っ込んでくる。
「――ォォォオオオオオオオッ!!」
 猛々しい吠え声と共に、始めに繰り出されたのは右の豪腕だ。
 掠めることもなく、余裕を持ってこれを躱した。
 燐緒の持つ籠手は見た目以上に重量がある。もろに食らえば骨折は免れない。
 それゆえにその対応は慎重にならざるを得ない。
 次に繰り出されたのは、左拳だ。
 俺が躱した右方向へ狙いを定めた一撃。
 ――これは少し危ないか……!
 俺は今度は左方向に回避した。燐緒の右拳は既に引っ込められていたため、躱すだけの空間は充分にあった。
 だが。
 燐緒は突き出した左腕を、今度は引っ込めずに旋回させた。裏拳だ。
 後頭部に籠手がぶつかり、俺は苦痛に顔を歪めた。
 思っていた以上に燐緒は冷静だった。
 あるいは、俺が油断をしすぎていたということか。
 確かに傷は負った。だが、勝敗が決したわけではない。
 燐緒は俺が姿勢を崩したのを機と見たのか、そこから猛攻撃を仕掛けてくる。
 俺はそれを躱しきれないと悟り、ときには膝で、ときには肘で、ときには鞘にしまったままの刀の柄で受け、辛くも受けきることに成功した。
 そして、十数回の連撃ののち、燐緒は飛び上がった。
 連続攻撃からの、トドメの一撃ということだろう。
 確かに今の俺には、もうそれだけの威力の攻撃を受けきる体力は残っていない。
 食らえばもちろん、たとえ受け止めたとしても敗北あるのみだ。
 だが、燐緒。お前は勘違いをしていないか?
 連続攻撃というものは、的確に着弾させてからでないと連ねる意味がないということを。
 本来なら防御された時点で、攻守は入れ替わっているものだということを。
 そして。
 そのトドメの一撃には、大きな隙があるということを。
 俺は右腕を腰だめに回した。だが、刀は掴まない。
 抜刀は、まだしない。
 俺は視線を上へ向けた。
 そこでは飛び上がった燐緒が、今まさにその必殺の一撃を振り下ろそうと、裂帛の気合いを放っている。
 そこに。呼吸を、合わせる。
 相手が息を吸い、それに合わせるように、自分も息を吸う。
 その瞬間、相手は自分になり、自分は相手になる。
 時が止まる。そう、錯覚する。
 そして、次の瞬間にはもう、勝敗はほぼ決していた。
 跳び上がった俺は腰に回していた右腕を、振り払う。
 燐緒の放とうとしていた必殺の一撃が、寸前で妨害された形だ。
 地に落ち、慌てて立ち上がろうとする燐緒の背後から、蹴りの一撃を浴びせる。
 続けてよろめき、なんとか立ち上がった燐緒へもう一撃、掌打を加える。
 一撃食らう度に、燐緒はふらふらと千鳥足になっている。
 それも当然だ。もっとも隙が生まれたところへ大振りの一撃を直撃させたのだから。
 さっきの燐緒とは立場が正反対となった形だ。
 だが、明確な違いがあることには気づいているか?
 攻撃は、きちんと直撃させれば、その後の連続攻撃も全て直撃させられる。連ねるっていうのはこういうことなんだよ、燐緒。
 あと、勘違いしている連中も多いが、そもそも【必殺技】というものは、相手を一撃で沈める技のことを指すのではない。
 その一撃をもらえば、その後の巻き返しができないからこその【必殺技】なのだ。
 しかしまぁ、強いて『一撃で相手を沈める技』として挙げるのなら、【必殺技】とはこういう技のことを言うのだろう。
 俺は今まで抜刀していなかった刀の、鍔を親指で持ち上げる。
 そこには、まるで刀が身体の一部であるかのような一体感があった。
 再び、時が止まったかのような錯覚が押し寄せる。
 呼吸は、――もはや合わせるまでもない。

 すでに一体と化しているのだから。

 だからこれは予定調和だ。
 斬るのではない。意識の淵をなぞるだけだ。
 そして、一閃。
 俺の【居合抜き】が、燐緒の残り少ない体力を根こそぎ奪い去ったのだ。
 音もなく、影もなく、呻き声すら上げることもなく、戦いは終結した。
 祝砲のごとき爆音が耳に響き、視界の中央には

【K.Ο.!!!】

 の文字が表示される。
 俺はそれを目の端で捉えながら、振り抜いた刀を鞘へ収める。


 それを合図にしたように、俺の意識は電脳の世界から、現実世界への帰還を果たしたのだった。

Act:01《電脳世界の戦士達》Ⅰ

 ゴーグル型ディスプレイを額まで持ち上げ、視界を確保する。
 ゲームパッド型デバイスを持っていた右腕を、開いたり閉じたりして現実の感触を確かめる。
 帰ってきた、と表現するのはいささか重傷(ゲーム中毒的な意味で)だろうか。
 とはいえ、ゲームに集中しすぎると、どうにも現実世界から乖離してしまったような感覚がある。
 別にゲームの中に意識を投影しているわけでもなく、どこかのSF小説みたいにゲームの中にダイブしているわけでもない。
 どこにでもあるような携帯デバイスを使って対戦ゲームをしていただけなのだ。
 まぁ、クラウド技術の発展のお陰で、デバイス自体のスペックはそこまで要求されなくなったのはありがたい。
 ハイスペックなゲームでもクラウド上で(要は外部のサーバー上で)起動させているからな。
 デバイスはあくまでそこまでのアクセスツールでしかない。
 ディスプレイはデバイスの処理に頼らないよう(過負荷を掛ければ多少なりとも動作に支障が出るため)高性能なものを用意してあるし、デバイスそのものもゲームパッド型なので操作はかなり快適だ。今となっては身体の一部のように馴染んでいる。
 俺は休憩がてら身体の筋を伸ばしていると、向かいの席から情けない声が聞こえてきた。
「うぅ~~、また負けたぁ~~」
 四人掛けのテーブルに突っ伏しているのは燐緒……、おっと、それは違った。
 【燐緒】は電脳ゲーム内での彼女のハンドルネームであり、本名は煉堂獅月(れんどうしづき)という。
 ちなみに仲間内での愛称はシズ。シヅでないのは、大抵の人間がシヅと聞いてシズと勘違いしてしまうからだったりする。何を隠そう、シズ本人が間違えていた。いや、お前の名前だからな、それ。
 とにかく、今ここにいるのは本人なのだし、別にオフ会というわけでもないのだから、ゲーム内の呼び方を引き摺る必要性は特にないだろう。
「くっそぉ~! なぁ、カエデ。もう一回やろーぜ! 次はゼッタイあたしが勝つから!」
 シズはテーブルにしなだれかかる片側ポニーテイルを振り乱して、いきり立つ。
 ちなみにシズの髪型は、ゲーム世界と一緒の右ポニー。色はさすがに赤毛ではないが、鮮やかな茶髪に染めている。
 服装は学校帰りということもあって、制服だ。
 ブレザー型の制服だが、ネクタイはズルズルに緩めてあるし、ボタンもいくつか外している。
 にもかかわらず、だらしないというよりは、快活な印象を受けるのはゲーム内と同じく彼女の外見が綺麗だからだろうか。
 ゲーム内と現実世界とで外見を変更しておくのはごく一般的なことだ。プライバシー的な兼ね合いもあるのでむしろ推奨されているくらいなのだが、中には例外もいる。
 シズは自分とそっくりなアバターを使用しているのだ。違うのは服装と髪色くらいだろう。
 それは外見に自信があるからか。あるいは新しい自分を創造するだけの想像力がないからか。……たぶん後者のほうだろうな。
 そんな彼女を、俺は心底残念に思う。楚々としていれば可愛いだろうに、全く。
 俺はそんな想いを溜息として吐き出して、シズに向き合ってやる。
 すると俺の心境を代弁したかのように、横合いから声が飛んでくる。
「あははは。カエデに勝つのは、いくらシズでもちょっと無理じゃないかなぁ」
 俺の隣で少し遠慮気味に微笑んでいるのは玖崎鋼一郎(くざきこういちろう)。通称コウイチ。こいつも対戦ゲーム、『電脳ヴァーサス』のプレイヤーの一人だ。
 制服のボタンを第一ボタンまで留めるというちょっと生真面目な草食系男子で、基本は優しい好青年なのだが、気の知れた相手にはちょっとだけ意地が悪い一面がある。
 まぁ、牙を剥いてこの程度なら可愛いものだろう、と俺は思う。
 何を隠そう、自分で言うのもなんなんだが、俺の性格はもっと悪い。もっとずっと悪いほうだ。
 まぁとにかく、今回の対戦では、一対一というルールの制限上、彼には観戦をしてもらっていたのだ。
「なんだよー! コロ助のくせに!」
「ちょ……! コロ助じゃないって言ってるだろ!」
 頬を膨らませたシズと顔を真っ赤にしたコロ助……もといコウイチがじゃれ合い始めた。まぁ当人たちにとってみれば、じゃれ合いではないのだろうが。
 俺はというと、揺れるテーブルの上でメロンソーダが倒れそうになったのを慌てて支えていた。
 やれやれと溜息を吐きつつ、俺はシズのコーラとコウイチのジンジャエールも一緒にテーブルの端へ寄せた。
 ここまでくれば安全圏だろう、と肩の力を抜いていたら、コウイチが背中からテーブルへ落っこちてきて、何もかもひっくり返しやがった。
 どうやら、俺の気遣いは全て徒労に終わったらしい。
 っていうか、なんで背中から落っこちてくるの? ホントびっくりだよ。飛空石でも持ってるんじゃなかろうな。
 結局、店員さんにこってり叱られたのち、俺たちはすっかり消沈したまま別れる。
 出入り禁止にならなかっただけ幸運だろう。あの店は絶好のバトルスポットなのだから、出禁になるのは正直惜しい。

 薄暗い路地を通って、自宅へと帰還する。
 家には家族と、愛しいPCがある。
 俺は制服を脱ぐのも億劫に感じながら、愛機のスイッチに手を触れる。
 さっそく起動させたソフトは『電脳ヴァーサス』プログラムだ。
 携帯デバイスだけでも大抵のことはできるが、操作性やマシンスペックは較べるべくもない。
 今日得たデータから、スキルや装備を見直し、あらゆる戦局に対応できるベストな環境を構築する。
 俺にとって、それは至福の時間だった。
 三度目の「ご飯よー!」の声で俺は作業を一時中断し、リビングへ降りる。
 暖かい食事と朗らかな家族(もちろん母だけは朗らかとは言いがたい形相で睨めつけてくる)が迎えてくれる。
 これが俺、【エデ】こと断原楓(たちはらかえで)のいつもの風景なのだった。

Act:01《電脳世界の戦士達》Ⅱ

「というわけで、うちのクラスの出し物は焼きそば屋さんに決定しましたー。拍手ー!」
 わーわーぱちぱちと随分と控えめな喝采が教室を包み込んでいた。
 何がどうなってどういうわけで焼きそば屋さんに決定なのか、異論を唱えたい。
「あの……」
 俺が手を挙げると、議長であるクラス委員のメガネ女子が白々しい目でこっちを見ている。
 何その視線クセになったらどうすんだよやめろ。
「あー……えっとぉ~、ゲームしか能がない断原君に意見なんて求めてないから☆」
 一瞬困った顔をしたかと思ったら、今度はびしっと人の顔を指さしてドヤ顔で断言しやがったぞ、この委員長。
 なんという言われようだ。聞きましたかご近所の皆さん。この学級委員ヒドイんですけどー。
 と思って周りを見回すと、うんうんと頷いているクラス一同。おいなんなのこれどういうことなの?
「はっはっはー! ざまあないな、カエデ!」
「うん、仕方ないよ。そもそも学校でゲームトーナメントなんてできっこないからさ」
 そこには他人事のように(俺と同様にゲーム馬鹿のくせに)ぷぷークスクスと笑う幼馴染のシズとコウイチの姿が。
 え? そうだったの? 俺の立案した『The 電脳ヴァーサス炎のトーナメント~俺に勝てたら100万ガバス~』には一向に反対意見が来ないものだからいっそのこと可決されてるんじゃないのとか思ってたけど、全然そんなことありませんでした。
 ちょっと待ってよ。俺のこの勝ち誇った顔のまま会議の行く末を見守ってた時間を返してよ。「どうせ採用されない駄案の分際で無駄な時間を使いおって」とか呟いてた俺はなんなの? バカなの? 死ぬの?
 困惑する俺を全力で放置したまま、議会は幕を下ろした。
 ゲームばかり全力でプレイしてたらいつの間にかスクールカーストのかなり下位にまで降格していたでござるよ。
 おかげでさっきから変なテンションを突き通してしまっているじゃねえか。にんにん。
 おかしい。俺はここまで残念なキャラに生まれた覚えはねえぞ、ちくしょう。
「そんなわけだから、無能な三人組さんには買い出しをお願いしまぁ~す!」
 きゃぴるん☆ と効果音がしそうなほどに可愛い(あるいは痛々しい)ポージングでおねだり(指図と同じ意味だと思う)する委員長に、俺たち三人は不承不承頷いた。
「……どうして僕まで」
 一人嘆くコウイチに、俺が無能ならお前だって無能だろ、とは言わないでおく優しい俺であった。

 放課後、俺たち三人はスーパーマーケットに来ていた。
 焼きそばの材料なら全部ここで揃うはずだ。
 とりあえず大量の焼きそばをカゴに突っ込んで、コウイチがカートを押している。
 シズは豚肉のパックを眺めていた。ロクに買い物などしないのだろう。その眼は猫じゃらしに誘惑される子猫並に泳いでいた。
「あぁ~~! もぉ~、いいや! これとこれとこれと、あと、これとこれとこれも……よし! 全部入れちゃえ!」
 あろうことか、並んでた肉々を全てカゴにぶち込みやがった。なに、お前の家ってライオンとか飼ってたっけ? 初耳~。
「じゃねえよ! 戻せこのアホンダラ!!」
「えぇ~? いいじゃねえかよ。ほら、カエデも好きだろ? 肉」
 どうやらコイツ、馬鹿らしい。ま、知ってたけど。
「肉は好きだが、メガネ委員長に踏まれて悦ぶ趣味はねえよ!」
「げぇ~~! しまった。やっぱキレるか、あのメガネ……」
「ああ、キレる。間違いなくキレる。メガネの錆にされるね、きっと」
 俺が適当に頷いてやるとコウイチとシズも感心したように唸っていた。
「あ、そっちのキレるなんだ……」
「ああ、そりゃ間違いねえ……。ありゃあ、何人もヤってるヤツの目だ。あたしには解る……」
 コクコクと頷き合って大量の肉を戻し、真面目に買い出しを始める俺たちだった。
 ……というか真面目にやってても、この会話を聞かれた時点で錆になるのは確定な気がするんだが……。
 委員長に【地獄耳】スキル(電脳ヴァーサスでは聞いたことないが)が装着されてないことを切に祈る俺であった。

 レジで領収書を受け取り、スーパーを出たところには、あのメガネ委員長が目くじら立てて仁王立ちしてた……、なんてことはさすがになかった。
 両手に大量のビニール袋を抱え、俺たちは気怠げに学舎へと足を進めていた。
「つーか、これ。賞味期限とか大丈夫なんだろうな……」
 俺の記憶が確かならば文化祭までまだ一ヶ月弱あったような……。
「冷凍しとくから大丈夫って委員長が……」
「……あのメガネ。テキトーすぎるだろ……」
 俺はガックリと肩を落とした。
 そんなやりとりに全く関心がないのか、シズは唐突に話題を変えてきた。
「そんなことよりさ、来週試合あるだろ? 作戦、立てようぜ」
 思わず飛びついてしまったのは、不覚だったかもしれない。だが、人間には優先順位というものがあるのだ。俺にとっての一番はゲーム。
 コウイチもやはりというかなんというか、誰よりも早く飛びついていた。
「でもさ、作戦立ててもシズは言うこと聞かないし……」
「しょうがないだろ。走り出したイノシシは急に曲がったりできないって言うし」
 俺が鼻で嗤いながらシズに視線を送ると、シズはむきーッと歯を剥いて威嚇してくる。まるでサルみたいだ。すごいなお前、一人動物園かよ。入場料取れるよ、それ。
「こんな可愛い美少女捕まえて、イノシシだとーぅ! 踏み潰してやるぞ!!」
「だから何度も言わせるな。踏まれる趣味はねえ!」
 ブオー、ブオーとタタリガミだかオッコトヌシだか王蟲だか知らんが、モノマネしながら頭突きしてくる自称美少女のもののけ姫をコウイチになすりつけ、俺は避難することにした。
 すると、ゴパァッ! と派手な音を立ててシズとコウイチはぶっ倒れた。シズがひっくり返ってスカートの下のスパッツを衆目に晒してたり、そのスパッツの下にコウイチが下敷きにされてラッキースケベ(転んだ拍子にブラジャーの中に手を突っ込んでしまったり、パンティの下に顔が滑り込んでしまったりする現象を指す。ラブコメの神様に愛された男だけに許された所業である。とはいえ、今回はさすがにそこまでの被害は出ていないので「もどき」とでも表現すべきかもしれない)をしたりしているが、まぁ概ね問題はなさそうだった。
 気のせいか、下敷きにされてたうぶなコウイチの顔が赤い。ああ、そうか。空を仰げばもうすっかり夕暮れになっていた。

 若干気まずい空気が流れていた。
 お前のせいだろ、と思ってシズを見ると、俯いていて表情は窺えない。
 仕方なくコウイチを見やると、こっちは何とも言えない顔で赤らめた頬をさすっている。……さっき、シズの臀部を受け止めた場所だな。
 まぁ如何にラッキースケベとはいえ達人の域にまで達していないコウイチではそれほどのダメージは浴びせられないはずだ。転んだ拍子に触れたのは胸部か臀部くらいのものだろう。それもせいぜい服の上からだ。女子的に考えて、それはそこまでのダメージなのだろうか。
 ましてや、こいつは並の女子ですらないのだ。『男女』と書いて『おとこおんな』と呼ぶくらいの漢らしい女子だ。そんなもののふが果たして胸部や臀部の一つや二つでここまで気落ちするだろうか。いや、断じてありえない!
 即ちこれは演技である。俺はそう断じることができる。俺やコウイチに女らしさを見せつけることで、今後のポジショニングを向上させようという浅ましい思考回路によるものだ。この推測に間違いはない。
 ならば、俺の選ぶべき選択肢は一つ。それはこうだ!
 俺はシズの太腿をさすりながら、シズの耳元で囁くように、こう告げた。
「お前の大腿四頭筋……、良い形をしているな。どんなトレーニングをしているんだ……?」
 ビクゥ! と、身体を弛緩させ、しかしさほど抵抗することもなくシズはその行為を受け止めていた。
 俺は、シズの女らしさを否定するため、シズの男らしい部分を褒め称えることにしたのだ。
 俺は腕をそのまま腹へと伸ばし、へその辺りをぐるぐると弄ってやる。
「普段は服に隠れて見えない腹筋も、相当に鍛えられている……。これは一朝一夕で身につくものではないぞ。賞賛に値する……」
 へそに触れた瞬間にビクンと身体を震わせた以外はさしたるリアクションも見えない。震えたのはこそばゆいからとかそんなところだろう。
 俺の腕は、さらにそこから背筋を辿って、胸筋を目指す。視界に映る胸部の肉付きは男性のそれと大差ない。よくよく見ればそのつつしまやかな膨らみに気が向くような向かないような。つまり是筋肉。
「……大胸筋の鍛錬は怠っていないか? ボディビルを目指すならば必須とも言える筋肉だ。努々忘れるんじゃないぞ……」
 俺は胸筋を解そうと手を伸ばし脇腹あたりまで差し掛かったのはいいのだが、ようやくそこから垣間見えたシズの顔色はというとそれはもう筆舌に尽くしがたい様相だ。
 なんというか……、閻魔さまがいるのだ。あれ、ひょっとして俺、地獄に墜とされるの?
「こんの……、セクハラ大魔王が!!!」
「ぐぼらッ!!」
 気のせいか、肋の折れる音が聞こえたんだが……。
 っていうか、俺が大魔王ならそれを一撃で屠るお前は何なんだよ。天魔王か。それとも魔神?

 俺は腹を押さえながら、どうにか歩く二人についていった。
 せめて荷物を……。荷物を持ってって!
 だが、俺の独白は声にもならない。
 目の前には澄まし顔のもののふ姫。隣にはラッキーコウイチ。
 買い出しの荷物はというと、シズの荷物をなかば無理矢理に俺とコウイチが持たされている。どうしてこうなった。
 いや、俺のせいなんだろうけど。
 とはいえ、シズが激昂する理由が俺には分からん。まさか本当に恥ずかしがっていたのか? こいつにそんなオトメ要素が? ……ありえん。コウイチがグレてパンチパーマになって盗んだバイクで走り出すぐらいにありえない。
 それともまさか……。
 俺のウィスパーヴォイスにあてられたシズがオトメに目覚めてしまったということだろうか……。
 それならば考えられる。むしろ大いにありえると言ってしまってもいいだろう。
 そうか。そういうことか。謎は全て解けてしまったぞ。ジッチャンの名に懸けるまでもなかった。
「なるほどな……。分かってしまったよ、シズ……。お前は恥じらっていたのだな」
「あ、あああ当たり前だろッ! あたしだって花も恥じらう十六歳なんだぞッ!? ……だいたい、いきなりすぎるだろ……。……こ、心の準備が……」
 憤ったシズが青筋を立てている。……後半はあまりにぼそぼそと喋るので聴き取れなかったが。
 しかし、オトメに目覚めたというのなら、男らしく扱うのは不相応というものなのだろう。俺は言ってやった。
「もうもののふの振りをするのはやめろ。恥じらいに震える演技も必要ない。何故なら、お前は……お人形だ」
「何……!?」
「分からんのか。お前は俺のウィスパーヴォイス無しでは生きられない木偶の身体に成り果ててしまったのだよ。ならば答えは簡単だ。正直になれ。正直に女の本性を解放しろ。さすれば俺がいくらでも女の快楽を教えてやろうではないか。お前を……お人形にしてな!!」
「死ねッ!! この腐れ外道がッッ!!!!」
 俺の決めゼリフはシズを陥落することもなく、それどころか陥落されたのは俺のほうだったりする。しかも別の意味で。
 俺の発言に、顔を怒りで真っ赤に染めたシズは、腰を深く落とし、まっすぐに相手を突いた!
 ドパァンッ!!
 またしても鳩尾に正拳を食らいながら、俺は世界の平和を憂えていた。
 誰かの願いが叶うとき、きっと誰かがえずいているのだ。
 今の俺のように。おえぇ……。……こんにちは、今日の昼飯の焼きそばパン。ちょっと見ない間に随分と変わり果てた姿になっちゃって。もう~、おばちゃんびっくりしたわよ~。
 近所に住まう主婦、サトウキミエさん(54)のモノマネをすることでどうにか気を紛らわそうとしたが、当然、抗えるわけもなかった。

Act:01《電脳世界の戦士達》Ⅲ

 そんないつも通りのやりとりを一通りこなしたあと(俺とコウイチは今度シズに飯を奢るということでなんとかお許しを得た)、荷物を家庭科室の冷蔵庫に突っ込んでから、帰路に就いたのだった。
 そして、公園で駄弁る。
 まっすぐ家に帰らないのは学生ゆえの性分か。はたまた幼馴染ゆえか。まぁ正直どちらでもいい。
 その他大勢の学生たちと変わらず、俺たちもそういう無駄を好む性分だという話だ。
 どうせ駄弁るのならいつもの喫茶店に入るというのも、有効な選択肢ではあるのだが、そこはやはり学生というべきか。
 お互いに懐事情を慮り、炭酸飲料片手に街角の公園での下らないトークに花を咲かせるのであった。
 なんならここで驕りの約束を果たしてしまうという選択肢もないではなかったが、持ち合わせもないだろうし、奢ってもらうものを熟考したいというシズの言い分もあって、次回へ持ち越しとなった。
 っていうか、持ち合わせを用意させるって時点で、その金額も推して知れようというものだ。全く、恐ろしい娘だよこいつは。
 はてさて、そんなことを考えていると、シズがこちらを見つめていた。仲間になりたそうな顔でこちらを見ている。……いや、どんな顔だよそれ。自分で言っといてなんだけど。
 ハハァン。さては俺に懸想したな。しょうがないなぁ。俺ってば色男だからなぁ。
 って考えただけで、ジト目になってんじゃねえよ。なんですか。アンタはエスパーですか。そのうちボストンバックの中から出て来たりするんじゃねえの?
「カエデの思考回路の危険性に関しては、今は置いておくとして」
 シズはそう前置きしたうえで話し始めた。いや、その前置き要らねえから。あと、お前の席ねえから。
「そろそろ順番くらいは決めておこうぜ」
 シズは彼女らしいカラッとした表情で、そう言った。
 順番、というのはやはり来週の試合のことだろう。
 シズはニッと爽やかな笑顔を浮かべていた。

 突然だが、Eスポーツという単語をご存じだろうか。
 略さずに言うならば、エレクトロニック・スポーツ。
 それはコンピューターテクノロジーを利用した競技スポーツのことを指す言葉だ。
 有り体に言ってしまえば、コンピューターゲーム競技を野球やサッカーなどのメジャースポーツ、あるいはモトクロスみたいなモータースポーツと同列に扱おうという思想のことである。
 近年の仁本国(にほんこく)でもようやくゲームに対する偏見が溶けてきていて、他の先進国に後れを取る形ではあるものの、今やゲーム競技は一つのムーブメントとなりつつある。
 まぁそれでも、俺のようにゲームしかできない人間というのはクラスでの動向を見れば分かる通り、あまり体面がよろしくない。
 だがそれは、ゲームをやっているからというわけではなく、あくまでゲーム以外が不出来だから言われていることなのだ。勉強のできないサッカー少年と同じというわけだ。
 現にあのメガネ委員長も結構なやり手である。シズと同等のポテンシャルを秘めていると言ってもいい。そのうえ勉強もメジャースポーツも人並み以上にこなすというのだから、世の中は不公平なものである。もしかしたらその影には涙ぐましい努力があるのかもしれないが。
 とにかく、そんなEスポーツは、大会も頻繁に行われていて、その一つが来週に行われる。
 アトランティスカップ in 世古浜(よこはま)予選。
 俺たち三人はそれにエントリーする。
 先鋒、次鋒、中堅、副将、大将。本来チーム戦は五人でのエントリーとなるため、不利なのは否めないが、メンバーがいないのは仕方あるまい。
 メガネ委員長には既にフラれている。
「決めるならさっさと決めよう。燐緒は前回俺に負けたんだから、あとは二人で勝敗を決めろ。それで副将を決める」
 俺より弱い二人には大将は任せられないだろう。先鋒に俺が出て全員潰すというのも気持ちは良いが、疲れるし、いざ俺が負けたときには心証が悪い。大将は一番強い者がやるべきという暗黙のルールがあるのだ。
 わざわざ破るメリットも少ないので、従っておくべきだろう。
 だが、燐緒……、というかシズは不満げな視線を向けてくる。なに? ……悪かったよ。ちょっとだけだけどおっぱい触って悪かったよ。ぷにぽよーんだったよ。思ってたよりわりと良かったよ文句あるか。
「勝ったほうが、エデを殺すっていうのはどう?」
 シズは何故か薄ら寒い笑みを浮かべていた。何この人怖いんですけど。
 そう思いつつも、やはりゲームのことになると俺はワクワクしてしまう。俺はこみ上げてくる笑みを隠しきれずに、その提案を承諾することにした。
「上等だよ。やれるもんならやってみな」
 それを合図にしたようにシズがデバイスを取り出す。昔懐かしいタブレット型デバイスだ。操作しやすいよう、タッチパネルの他、外側にスティックやボタンがついている。
 かたやコウイチのほうは最先端のヘッドマウントディスプレイに、ゲームパッド型デバイスだ。ただし、コウイチのデバイスは両手で抱えるタイプではなく二つに分かれていて、左手にスティックのついたデバイス、右手にボタンのついたデバイスを持っている。
 確か、片一方がデバイスの機能を有していて、もう片方はそれをアシストするような形で使われていたはずだ。つまりどちらかが親機でどちらかが子機に当たる。
 メールのやりとりなんかが片手でできるというのが一番のメリットであって、正直ゲームの操作性には影響しないはずだ。
 コウイチは精神集中するようにゆっくりと目を瞑り、それに倣うようにシズも目を閉じた。
 起動したゲームが待機状態に入り、アクセスを確認したのちにカウントダウンを開始する。
【3】
 俺のデバイスにも観戦用のモニターが表示されている。
 そこに表示された文字が一つずつ減ってゆく。
【2】
 二人の息が詰まったように少なくなる。
 それは集中の度合いを示していた。
【1】
 俺よりは間違いなく弱い二人だが、なんだかんだでこいつらもやるほうだ。
 そんな二人の剥き出しの闘志に充てられて、俺も少し気が昂ぶり始めていた。
【FIGHT!!】
 そして、戦いは、幕を開けた。

Act:01《電脳世界の戦士達》Ⅳ

 俺もゴーグルを装着し、三人それぞれが画面を見つめている。
 画面には、ロード画面が表示されている。プログレスバーが右へ右へと前進を続けている。
 これが全て塗り潰されれば、そこはもう、ゲーム世界だ。俺はエデになり、シズは燐緒になる。そしてコウイチもゲーム内の自分、アバターへと推移してゆく。
 ロードが終わり、画面がフラッシュバックする。そして、光の中からバトルフィールドがその輪郭を現わしてゆく。
 観衆の一人でしかない俺の視界には一軒の巨大な和風家屋が見える。これが今回のステージか。
「相変わらず、燐緒がプレイすると和風ステージ率高いよな。どんな裏技使ってんの?」
「知るかっ!」
 シズはベンチに胡座を掻いて座っている。いつも通りに色気のないヤツだ。
 その正面で手摺りに腰掛けているコウイチはちょっと顔が赤い。まさか秘密の花園でもチラ見したんだろうか……。スパッツ穿いてるはずだけどな。まぁシズのだし、あんまり興味ないけど。
 ――それにしても……。
「お前の服、このステージに似合わねえな~!」
 俺と同じことを思ったらしいシズがぷすぷすクスクスと吹き出している。
「な、なんだよ! しょうがないだろ! エデや燐緒みたいに和風だとガンナーとして見栄えが悪いのっ!」
「けどさ、そのカッコ……。ひひひっ」
 シズが意地悪に笑っている。ホント、いい性格してるよなコイツ……。
 フィールドに降りた燐緒の恰好は前回俺と戦った時と同じ独特な戦装束。赤と黒の配色が目を引く忍べない忍び装束だ。和装……かどうかは知らないが、少なくとも伝統的な意匠は凝らしていない、言うなればなんちゃって和装。
 ところが、コウイチこと【choro】(クーロと読むらしいがコロにしか見えん)の服装は、妙に近代的だ。何処かの国の特殊部隊といった黒いコンバットスーツという出で立ち。さらには、背中にはスコープ付きのライフル、腰元には拳銃や手榴弾などの重々しい武器。そしてボディアーマーの胸の辺りにはナイフが挿してある。
 イメージとしては和風趣味の一風変わった要人の館へと忍び込んだ特殊部隊、といった感じか。ライフルが不気味に黒光りしている。
 さて。戦況はまだ戦いとすら言えない段階だ。まだ二人は出遭ってすらいない。
 最初の数秒だけは姿の確認のため、相手の外見が表示されるが、それもすぐに消えてしまう。
 そうなれば相手を探すのは自分の感覚だけが頼りになる。
 俺との戦いの時のように、あらかじめルールを決めておいて指定の場所で戦うということも可能ではあるが、今回は完全なランダムマッチ。ステージも選べなければポジショニングも選べない。
 準備できることがあるとすれば、それはあらゆる戦局に挑めるよう、戦法や装備を整えておくくらいだ。
 それ以外は完全なランダム。ゆえに、二人の顔色には緊張の色が濃い。シズなんて、さっきまで笑いこけていたとは思えないくらい静かだ。もはや別人に切り替わったかのよう。器用なヤツである。
 一方、コウイチも一足遅れて戦いに集中し始めた。その時間差はというと、正直に言うとわずかなものだ。勝敗に影響するほどではない。それをコウイチがどう捉えるかはまた別の話だが。
 観客である俺には、二人の位置は壁を透過して視ることができるが、対戦者である二人は、お互いの位置は全く掴めていない。これがこのゲームの特色の一つだろう。
 レーダーのような便利なものは存在しない。視界にあるのは、操作キャラの背中とそこから見える周囲の風景のみ。このゲームでは、プレイヤーは自らの力で索敵をし、攻撃を仕掛けることになる。
 それゆえに戦術は非常に幅広い。たとえば、一ヶ所に粘着し、探偵よろしく張り込み続けてもいいし、闇雲に探し回るのもアリだ。そして、姿を隠しながら周囲を窺うというのも有効な戦略の一つである。
 選択肢は無限大。無数の作戦を取捨選択し、敵を追い詰めてゆくことがこのゲームの最も楽しいところであり、同時に最も困難なところでもある。
 さて。
 先に動き出したのは燐緒だ。手慣れた操作で歩を進めてゆく。その所作は意外と言うべきかどうかは不明だが、それなりに慎重だった。
 壁沿いをポイントし、壁に張り付く。
 そして、ゆっくりと顔を出し、周囲を窺うとすぐさま引っ込んだ。
 訓練された軍人のような動きだ。そのうち、ジェスチャーとかアイコンタクトで指示を飛ばし始めそうだ。もっとも、一対一の戦いしか起こらないこのゲームではそんな機会は起こりえないのだが。
 彼女が選択しているのは【移動】コマンドだ。
 指定したポイントへキャラクターを動かすコマンドである。移動方法はウォーク、ダッシュ、ジャンプの3つ。
 移動時間を短縮するため、ここでは当然ダッシュを選択している。
 そして、壁に張り付くのは【行動】コマンドのひとつ。スニークだ。
 スニークとは、壁や塀、物陰などに身を潜めるコマンドで、視認率を下げる効果がある。
 早い話が、見つかりにくくなるというわけだ。これはプレイヤーの力量とは関係なく、純粋なステータス値として設定されている。
 つまり、相手キャラクターの索敵能力が低ければ、相手プレイヤーにはその姿が一切見えないのだ。
 これもこのゲームの特徴の一つ。なにせジャンルはアクションゲームではない。リアルバトルシミュレーションゲームだ。
 パッドで操作キャラを直接動かすというわけではなく、ポインターで対象を指定して、コマンドを実行する。言うなれば戦略ゲームだ。
 だからこそ行動には緻密さが求められる。
 電脳ヴァーサスにおけるプレイヤーの技量とは、反応の速さでもなければ、反復した経験値でもない。
 適切な状況判断能力だ。
 そういった面があるからこそ、このゲームはEスポーツとして一世を風靡している。
 新ジャンルの確立となったわけだ。
 そして燐緒はというと、物音ひとつ立てずに廊下を渡り終えた。
 建物はなんとも雅な雰囲気で、燐緒のいる回廊の外周には一本の立派な梅の木と綺麗な丸石が敷き詰められている。まるで庭園だ。
 ひらひらと舞い降りる梅の花びらに身を掠めながら、燐緒は再び回廊の角へと差し掛かった。
 燐緒がスッと、顔を出す。その視線の先には、一見すると何もないように見える。だが……。
 燐緒はしばらくして顔を引っ込めた。そして、なにやら歯を食い縛ったあとに、廊下を引き返し始めたのだった。
 なので俺もディスプレイを操作し、画面を拡大する。すると、見えた。……糸だ。
 壁と廊下を囲う柵の間に、一本のワイヤーが張ってあったのだった。
 間違いなく罠だろう。【行動】コマンドのひとつ、トラップだ。ワイヤーが引っ張られると発動するタイプの間接攻撃である。
 あまり大きな規模だと設置が困難なので、仕掛けられたタイミング(開戦直後なので大がかりな殺傷性の高いトラップを仕掛けるだけの時間は存在しない)から考えても危険性は低いだろうが、それがどんなトラップであれむざむざ引っ掛かってやる義理などない。燐緒の行動は現実的だった。
 また、トラップが発動した場合、それがきっかけになって索敵されてしまう可能性もある。お互いに敵を見つけていない状況で情報を与えるのはあまりにも不利だ。そういった面でも、燐緒は思っていた以上に冷静だったと思う。
 その冷静さを現実で生かせば良いのにとも思ったが、それはさすがに言わないでおいた。というより、言えば言い返されるのは目に見えているからだ。どう考えたってゲーム技能を現実に生かしていないのは俺のほうだと断言できる。
 それはさておき、choroのほうへ目を向けると、燐緒が引き返したトラップの先、襖の向こう側に潜んでいた。
 もしかしたら攻撃型のトラップではなく、索敵型か妨害型だったのかもしれない。動きを封じたうえですぐさま打って出ていけるような位置にchoroがいたからだ。このシチュエーションを読み切って回避したのなら、燐緒の判断能力はかなり高いものだろう。俺は内心舌を巻いていた。野生の勘って恐ろしいモンだよな……。
 
 さて、そんなこんなで戦闘は密やかに進んでゆき、戦況は緩やかに決しつつあった。
 燐緒、というよりはプレイヤーのシズが悔しそうに顔を歪めている。その正面では、choroことコウイチが笑みを浮かべている。
 燐緒は健闘したと言えるだろう。だが、それが失敗だった。
 燐緒はついにchoroを発見できないまま、戦闘を終盤まで進めてしまったのだ。
 そして周囲には無数のトラップ。気づけば袋小路に立たされていた。
 渋面の燐緒を、choroがスコープ越しに見つめている。
 勝敗は決した。あまりにも地味な幕引きだ。だが、それほどにchoroの戦術がうまく嵌まったと言えるだろう。
 ライフルの放つ甲高い銃声がバトルフィールドに轟き、《K.O.!!!》の文字が終幕を告げる。

「くっそーーっ!!」
「ふっ、僕の勝ちだね」
「生意気だぁ! コロ助のくせにっ!」
 シズの右ストレートがコウイチの顔面にヒットした。惨い。
 暴れ始めるシズを羽交い締めにして宥め冷ますまでに所要した時間は実に20分に及んだのだった。 



to be continued...

あとがき

[act:00]
◆タイトルからモロバレだとは思うのですが、一応、act:00を最後まで読むとゲームものだと分かる仕組みになっております。

◆そんなわけで新作です。もともとは新人賞用に進めてた原稿だったのですが、僕の大好きなラノベ「アクセル・ワールド」との共通点が複数見つかったため、オリジナル作品としての体裁を保てない可能性があるとの判断から、ネット公開に切り替えることにしました。
現段階ではさっぱり分からないかもしれませんが、第一巻分の内容を書き終わる頃にはお分かりいただけるかと思われます。
全ては亘里の不徳の致すところであり、不快感を覚えた方には申し訳ないばかりでございます。

◆とはいえ、個人的にはパクリではなく、あくまで相似程度の段階だとは思うのですが、もちろん判断は読んだ皆様に委ねます。
う~ん、どうしてこうなった……。

◆ともあれ、ゲームを題材にしたバトルものです。ギャグやバトルが好きな方に楽しんでもらえるようがんばります。よろしくお願いします。

[act:01]

◆紹介回です。
世界観というか、雰囲気というか。そんなものを漂わせるだけのお話です。

◆某作品との相似点
主人公と幼馴染による三人組。
この点がまず一つ目の被りでございます。
違うところは、恋愛要素の配置と、おとなしめの彼がメガネキャラでないというくらいか。
あと、女の子も可愛らしさよりは砕けた感じを目指しているのも独自要素です。


◆完全なギャグパートです。
好き放題やりました。本当にすみませんでした。
パロディネタはいっぱい入れましたが、全部分かった方はいたでしょうか。
というか自分自身うろ覚えのネタすら使っています。ごめんなさい。


◆説明の続きとギャグの続きです。
ちなみに、この物語の舞台は、日本ではなく仁本です。現実そっくりな別世界です。
文明レベルは大体同じ位を想定しています。
そういや、アクセルにも幼馴染に奢るっていうシーンがありましたね。どうしてここまで被るんだろうか。
無意識になぞってるとか言われても仕方がないレベルです。すみません。


◆ようやく本編らしくなってきました。
そんなわけでゲーム説明とかいろいろ入りました。ここからあれとかこれとか書きまくるぜ!
……と言いたいところですが。
実は今現在まだ全然書けておりません。すみません。
act:02に関しては、まったりとお待ちください。
あと、そういえばコメディシーンは『俺ガイル』の影響も受けまくっています。もう本当にすみません。

◆予告。
ついに始まったアトランティスカップ in 世古浜。そこでは、市大会らしからぬ強豪が名を馳せていた。
大暴れする戦場の覇者にカエデたちは太刀打ちできるのか。
「このあたしが、本当の戦いってものを教えてあげる。見物料は、アンタの命よッ!!」
次回、《シロとクロの境界》!!(予定)