ファイアーエムブレム覚醒-華炎一刀-

SSになるんでしょうか……? ゲーム『ファイアーエムブレム覚醒』本編を小説っぽくしてみたものです。全編小説化はさすがにムリっぽいです……。やりたいけど。

こちらは、SSや本編の一部を小説っぽくしたものです。どこかしらにオリジナルな要素や独自の解釈が含まれています。ご注意ください。また、こちらの作品はメーカー様とは何の関係もありません。


断章 運命か、絆か

 眼前には、黒髪の男がいた。
 男は外套を翻し、突進していく。手には華美な剣が握られている。美しく、力強く、神々しい剣だった。男は勇敢にその剣を構え、敵へと突き進んでゆく。その歩みには、その瞳には、一切の迷いが見えない。
 その双眸に映るのは、怪しげなローブの男だった。男は不敵に嗤い、黒髪の剣士の攻撃を躱していく。魔術師然とした風貌からは想像もつかないような身のこなしだ。
 一方、私はそれを眺めつつ、ローブの男の背後へと回り込む。腕には魔力を集中させている。いつでも攻撃へ移れるように。
 そんな2対1の戦況でありながら、私は不安を拭いさることができない。本当にこの男に勝てるのだろうか……。
 黒髪の剣士の攻撃を、魔力を込めた腕で受け、弾き返し、そこに生じた隙をついて放たれた雷が親友である剣士を付け狙う。
 ただの魔術師には到底不可能な所作である。接近戦で剣士に敵う魔術師などいる筈がないのだ。
 規格外。まさしくそんな言葉が的確だった。
「上だ!!」
 黒髪の剣士が私へ向かって叫んだ。ローブの男はその姿に似合わず、素早い動きで上方へ飛んでいた。そして、私が上を向いた直後、光が舞い降りる。光は地表で爆散し、衝撃が地面を揺さぶる。
「馬鹿め!」
 男の不快な嗤い声が薄暗い回廊に響き渡る。
 咄嗟に私は、溜めた魔力を解き放ち、攻撃に転じる。だが、通じない。軽々と躱され、ローブの男は雷を纏う。
 友はそれに弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
 剣を杖代わりにしても、上手く立ち上がれない様子に、私は焦りを覚える。
 どうにかしなければ。気ばかりが急く。
 雷が迸る。ローブの男の右腕に、膨大な魔力が宿っているのが見える。それで仕留めるつもりなのだろうか。だが、そうはさせない。私は魔力を集中させる。
 友を死なせはしない。その一心で、力を注ぎ続ける。
「死ねぇ!!」
 放たれたのは巨大な光の玉だった。これほどの魔力を込められた雷は、今までに見たことがない。
 確かに私の技量ではこれと同等の魔術は紡ぎ出せない。だがしかし。
 紡ぎ出す必要などないのだ。
 私の役割は、それではないのだ。
 私は渾身の魔力をその玉へぶつける。
 玉は弾き飛んだりはしない。だが、僅かに軌道を変え、友を外し、壁に突き刺さる。
 私はそのまま駆け寄り、友に手を貸した。
「ありがとう。ルフレ」
 友は私の名を呼んだ。
 それだけで力が湧いてくる。勇気が湧いてくる。普段なら絶対に立ち向かいたくないような危険な手合いであっても、立ち上がることが出来る。
 私はこの時、確かに絆を感じた。
 確かな絆を感じた。
 それが胸を優しく撫ぜる。
 
 そして半刻ほどの命のやり取りが続いた。
 押しつ押されつの攻防を幾度となく繰り返し、徐々にではあるが着実に、私たちが優勢となってきていた。
 数の差か。想いの差か。絆の差か。
 いずれにしろ、一度揺らげば天秤は大きく傾ぎ始める。
 やがて。
 勝敗は、決した。

「貴様ら如きがぁ!!」
 男の最期の一撃が友の背後を狙う。
 倒したと思った直後の一撃だった。私は友を押し倒し、そのまま転がり込むようにして倒れ込んだ。
 私の背中を雷が撫ぜる。
「ルフレ!?」
 駆け寄る友。私が自身の無事を伝えると、友は胸を撫で下ろしたようにして笑う。私もそれにつられて笑う。
「やったな……。奴は倒した。俺たちが勝ったんだ」
 友は照れもせずに、恥ずかしいセリフをいつものように言う。
「今までずっと、お前がそばにいてくれたから」
 友の力になれていることが嬉しい。支えになれていることが嬉しい。共に居れることが嬉しい。
 そんなセリフはこちらこそが言いたいものだ。
 だが、どうにも気恥ずかしい。
 友のように恥ずかしげもなくそんなセリフを吐けるものならどんなにいいだろう。
 そして私は、返事をしようとして、異変に気がつく。
 赤い。視界が赤い。身体がうまく動かない。言葉も出て来ない。
 恥ずかしがっているときには吐息くらい出せたものなのに急にそれすら出来なくなっている。
 違和感。それは猛烈に違和感を発していた。
 ――これではまるで、私の身体が……。
 動悸が激しくなる。呼吸も荒い。視界は赤く歪んでいる。
 友は私に声を掛けている。私を心配しているのか。
 それは駄目だ! 私は叫ぼうとする。が、声にはならない。もう身体は私の自由には動かない。だが何をしているのかは分かる。右腕に集中した熱が何なのかは分かっている。だから叫ぶ。絶叫する。声の限りに泣き叫ぶ。だが、それはもう遅かった。致命的に遅かった。絶望的に遅かったのだ。
「ぐぅっ」
 友は胸を抑えてよろける。そこには魔力の雷が、剣のように刺さっていた。
「……お前のせいじゃない」
 友はそれでも私に優しい声を掛けてくる。
 この手が、私の手があなたの心臓を潰したというのに。
 なぜそうも優しいのか。私を労ろうとするのか。もう私は私ではないかもしれないのに。
「お前だけでも逃げろ……」
 どうして? どうして? どうして?
 なぜこうなった。何を誤ったというのか。どの選択を誤ったというのか。
 なぜ大切な友を、この手で殺しているのか。その感触が手に残っているのか。
「ふはははははははッ!!」
 どうして私はこんな、あの男のような嗤い声を上げているのか。
 どうしてなのだろうか。

 問うて。問うて。問い尽くして。悩み、苦しみ、足掻き、藻掻いて。後悔し、絶望し、慟哭し。気づけば虚無に流される。
 何もない空間だ。空白地帯だ。白いのか黒いのか。明るいのか暗いのか。煩いのか静かなのか。熱いのか寒いのか。何も分からない。それらを肯定する一切が存在しない。完全な無の領域だ。
 今までのは、なんだったのだろう。夢、だろうか。それにしては妙にリアリティがあって、夢らしくない。とはいえ、夢でないのならそれが何なのか、と問われると、首を捻るしかない。
 では、今が現実? それとも向こうが現実? 考えても分からない。何よりこちらに関する情報が欠如しすぎている。情報がなければ当て推量しかできない。そんなものは推量と言うよりはむしろ暴量とでもいうべきなくらいの乱雑さだ。当てずっぽうというものだ。だからひとまずこちらの情報収集に専念することにする。
 まず耳を澄ます。
 先程は何も聞こえなかったが、時が経てば状況が変わるということも往々にある。一度試したことも何度か試してみるのもいいだろう。
 ――声……が聴こえる……?
 そうして私はその声に意識を傾けるのだった。

「おい……。……おい! 大丈夫か! 返事をしろ!!」
 ああ、その声は。この声は。懐かしい、と感じる声だった。
 思わず笑みが溢れるくらいに。懐かしくて、快くて心地良かった。
 だから、私は、安心して目を醒ますことが出来る。
 起き上がることが出来る。
 委ねることが出来る。
 あまりに嬉しくて、私は、涙が出そうだった。
「ク、ロム……」

 それは、私が最初に目覚めたときの、最初の記憶である。

序章 新たなる歴史①

 視界は暗く、意識は明瞭としない。
 聴覚だけが情報を獲得していた。
 私はその音に意識を向けていた。
「おにいちゃん……。ねぇ、大丈夫かなぁ……?」
 少女の、声……だろうか。
「だめかもしれんな」
 男が淡々とそれに答えた。
「そ、そんなぁ!」
 少女の声が落胆に沈む。
 なんだか微笑ましいやり取りだな、と他人事のように私は思った。
 次第に意識は覚醒してゆく。
「あ!」
 眩しい、そう思う間もないくらい同時のタイミングで、少女は驚きを示す。
 やがてその少女が私の顔を覗き込んでいるのが見えた。
 長い金髪を二つに結った、元気の良さそうな少女だった。
「気がついたか?」
 少女の傍らからもう一人現れた。
 低く、だが芯の通ったその声は、妙に耳に馴染むようだ。
 声の主は落ち着いたふうに、やはりこちらを見ているようだった。
 男の髪は黒く、背には外套を羽織っていた。一見落ち着いているようだが、どこか若さというか熱さというか、揺らめくような強い意志を感じさせる。
「平気?」
 少女が不安げに尋ねてくる。
 ……平気、らしかった。身体に異常は見当たらない。痛みもない。身体はしっかりと動くようだし。
「こんな所で寝てると風邪引くぞ。立てるか?」
 男は手を差し出してきた。
 この手を。
 私はどこかで見た気がする。懐かしい。そう思う。だが、それは何故なのか。私には分からない。
 私は手を掴み、立ち上がろうとする。
 すると、その手は力強く私を支えてくれる。
 この浮遊感。安心感。私は知っている。だがどこで知った?
 私は、誰だ?
 男は私の様子を見かねたのか、訝しげな表情になる。
「大丈夫か?」
「ありがとう、クロム……」
 私は嬉しくなって頬を緩める。
 何故たったこれだけのことで、心が満たされるのか、私には分からない。
「? なぜ俺の名を?」
「え……?」
 何か、言っただろうか。あまりにも無意識に出てきたので、しばらく気づくことすら出来なかった。
 いや。私は確かに言った。クロム、と。名を呼んだのだ。
 私は彼を知っている? 何故だ。記憶を巡らす。だが、思い出せない。
 そんな記憶は、ない。
「……あれ? どうしてかしら。なんか、どこかで会ったような気が……」
 そう。気がするのだ。知っていて当然のような、そんな感触がある。だが、その記憶は何処にも見当たらない。
 何も引っかかりはしない。
「悪いが、初対面だぞ。妙な奴だ。お前、何者だ? ここでいったい何をしていた?」
 私が誰で。ここで。何を。
 全くもって馬鹿げた話だ。何も思い出すことができないとは。
 この男のことも自分のことも、今ここでこうしている訳も、何も分からない。何も知らない。何も覚えていない。
「あたしは……。……あたしは誰なの?」
「何?」
 私は自問するように、誰へともなく問う。
 もどかしい限りだった。つい先程まで何か夢を見ていたような気もするのだが、今はもうその内容の残滓すら浮かんでこない。
「……それにここは……? 一体どこなの?」
 思えば、ここが何処なのかすら判然としない。
 見たところ、広い草原のようなのだけれど、私はそれを見ても、何も思い出せない。何の感慨も沸き起こらない。
 私は、何故、ここで倒れていたのだろう。
 だが、それこそまるで他人事のようにひとつの結論が導き出される。
「えー!? それってもしかして、アレかな! 記憶喪失ってヤツじゃない?」
 ――んー。どうやら本当にそうらしい。記憶喪失ってヤツなのだろう。
 どうにも少女のリアクションが大きいせいで、いやに冷静な自分になれる。
 ――記憶喪失かー。
 無事に記憶を思い出せることもあるらしいけれど、思い出せずに寿命を終えてしまうということもざらにあるらしい。
 記憶を取り戻せるかは、運と隣合わせとも聞く。
 ……という程度の情報ならば、引き出せる。
 ということはつまり、喪ったのは自分に関するエピソード記憶。自分にまつわる一切の記憶が喪失してしまったらしい。詰まるところは、そういうことになるらしい。
「おかしな話ですね」
 男の背後から、もうひとりの男が現れる。鎧姿であるところを見るに、こちらの彼は騎士であるらしい。
 騎士は畏まった姿勢を崩さずに、続ける。
「ではなぜ、クロムという名を知っていたのですか? そのような都合の良い記憶喪失……、簡単に信用できる話ではありません」
 全くもってその通りだと、私も思った。普通に考えれば、大いに疑問符を浮かべるところだろう。私が私自身にツッコミを入れたい所だ。
 だが、口をついて出てしまったのだ。
 彼の名を。彼の存在を。私は当然のように、まるで十年来の友のように、感じていたのだ。
 この一方的な信頼を私自身信用できないのだが、この気持ちをどうするかはともかく、それは置いておくとして。
 だって。
 私には、説明ができない。
 私には、私に関する一切の記憶が無いのだから。
「え、だって、あたし本当に……」
 弁明しようにもうまく説明ができない。
 ああ、いつもこんなんだったよな、あたし……。なんて想いはすぐに思い出せるというのに。
「だが、本当の話だったら、このまま放り出すわけにもいかないな。人々を助ける。俺たちはそのためにここにいるんだ」
 クロムという若者は迷いなく、そう告げる。
 まっすぐな人だな、と私は感心した。
 このまま捕らえられて牢屋にポイではあまりに酷い。
 私はクロムの人となりに、随分と救われていた。
「それは、確かに仰る通りなのですが……。賊どもの一味である疑いがある以上、気を許すのは危険です」
 騎士はなおも抗言を続ける。
 しかしどうにもこの二人、主従関係にあるらしく、クロム、つまり外套の男のほうが主人のようだ。まぁ見た目からして外套のほうは身なりがいい。言動こそ少々粗暴ではあるが、騎士を従えているということは貴族なのだろう。ちなみに失礼だろうが、正直、服装以外で貴族らしい振る舞いは一切窺えない。
 だが、彼が助けてくれる、と主張しているのなら、この騎士も私の扱いを無碍には出来ないだろう。
 客観的に見て怪しいのは確かに分かるのだが、さすがに牢の中には放り込まれるのは御免被りたいところだ。
「なら、とりあえず、こいつを捕まえて町に連れて行くか」
 ――良かった。やっぱり助けてくれ……、ないんですか!?
「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってってば…」
 抵抗しようにも、相手は男二人。と、ついでに少女が一人。女の細腕では立ち向かいようもない。
「心配するな。話は町で聞いてやる。さあ、来い!」
 ――あれ……? どうしてこんなことになってるんだろう……。
 何処におわすか分かりませんが、父さま母さま。私は虜囚の身となりました。
「なんで、なんで、どうしてぇぇええええーーー!!?」

 澄み渡るような青空の下、一面には草原が広がっていた。
 膝にも届かない程度に草が伸び、見渡す限りには木も生えておらず、なだらかな草原だった。行軍に適しそうだな、と私は思う。
 道には雑草一本すら存在しない。しっかりと踏み固められた土がまっすぐに続いている。多くの人が行き交っている証拠だ。つまりこの先にはそれだけの大都市が存在しているということになる。
 記憶を喪った私にとって、初めて行く大都市だ。本来なら胸が高鳴るような興奮を抱くものだ。しかし私の心はこの空のようには晴れてくれない。まるで曇り空の気分だ。見るも無惨な沈痛フェイスを惜しげもなく大衆に晒す私だった。理由は、まぁ仕方ない話なのだが。
「はぁ……。まさか逮捕だなんて」
 記憶が無いと言い張る人間がいれば、怪しまれるのは当然だ。国内情勢次第では処刑される場合だってあるだろう。現状一応の確保といった扱いなので、そのことはありがたいはずなのだが、これでも私はうら若い年頃の乙女である。記憶が無いので正確な年齢は分からないが、恐らくは10代後半から20代前後といったところか。そんなお年頃の娘が牢屋の中へ入りたがるものだろうか。嫌なものは嫌なのだ。だから否応なく気持ちは沈む。どんよりと沈んでゆく。
「……あたし、これからどうなるの……?」
 空を見上げ、私は嘆くのだった。
 そんな私の前を外套の男が歩いている。外套の下には質の良さそうな服を着ていた。右腕は肩まで露出するような動きやすそうな作りで、左肩には装飾の施された肩当てを身につけている。年齢は私と同じくらいだろうか。戦士然とした雄々しく無駄のない筋肉は、より彼を逞しく見せる。
 そして私の後ろには騎士と少女がいた。
 騎士のほうは20代後半といったところだろうか。落ち着きのある振る舞いが目立つ男だった。冷静に私という人物を判断し、連行という手段を講じるあたり仕事熱心な人物なのだろう。
 そして少女のほうはというと、この子はとても可愛らしい女の子だった。天真爛漫というのだろうか、すぐに笑って怒ってしょげて、また笑う。くるくると表情が変わるところが、一瞬一瞬を懸命に生きているようで、私には実に好ましく思える。
 正面を歩いていた男は首だけをこちらに向けて、落ち込む私を励ますように言う。
「そう気を落とすな。イーリス聖王国の敵じゃないとわかれば、自由になれるさ」
「イーリス聖王国……?」
 地理すら記憶に引っかからない。どうにも重傷のようだ。と、私は私自身に匙を投げる。
「今、あなたがいる国の名……。平和を愛する聖王エメリナ様が統治する国です」
 騎士は注釈を入れてくれる。なるほど、ここはイーリスという国なのか。私はそんなことを考えながら、遠景まで続く草原を眺めていた。この草原の向こうにどんな地形が広がっているのか。私には全く分からなかった。それが怖くもあり、楽しくもある。胸がそわそわと疼くのを感じていた。
 ふと、前を歩く青年が足を止めた。何事か、と思う私と共に騎士と少女もそこで立ち止まった。
「そういえば、まだ俺から名乗ってなかったな。俺の名はクロム。このちんまいのは妹のリズだ」
 その発言にリズと呼ばれた少女はぴょんぴょんと跳ねながら抗議する。
「ちんまい言うな!」
 その様子に私は思わず吹き出してしまう。
 笑われたことに照れたのか、リズは咳払いをした後、ニィっと笑って、元気良く右手を挙げて言う。
「わたし、リズね! 憶えてよね! でね、えーっと……、わたしたちは、イーリスを守る正義の自警団なのだ!」
 リズは腰に手を当て、鼻息荒く胸を張る。
 いちいち所作が可愛らしくて、なんだかいろいろと世話を焼きたくなってしまう衝動が芽を出し始めていた。
 だが、気になる単語がひとつあった。
「正義の自警団……?」
 ついつい視線をリズに合わせて訊いてしまった。
 クロムという名の青年が肩をすくめて頷く。
「まあ、そんなところだ。で、この小難しい感じの男がフレデリクだ」
 言うと、騎士のフレデリクは深々と頭を下げる。賊と疑う相手にもキチンと頭を下げるのだから、その礼儀正しさは本物だ。
「クロム自警団副長の、フレデリクと申します。立場上、どうしてもまず疑いの目から入ってしまうことをお許しください。あなたを全く信用しないわけではありませんが、調べることは調べますのでそのつもりで……」
 さて、残すところは自分か。私が紹介できることなど、たかが知れているのだが。
「わかったわ。えっと、あたしの名前は……」
 何なのだろう。そう思った矢先、光明のように浮かび上がる響きがあった。
 私はそれをなぞるようにして口にする。
 ル、フレ……?
 ……ルフレ。
 そうだ。間違いない。これは私の名前だ。すんなりと耳に馴染む響きだ。
「そうよ、ルフレ。これがあたしの名前……」
 言うと、クロムと、ついでフレデリクがゆっくりと頷き、リズはその間に大きく二回頷いた。
「ルフレか。変わった名だな」
 クロムは、そんな感想をよこす。
 ということはつまり、この名はこの地方ではなく、どこか他の地方でつけられる名なのかもしれない。と、私は大雑把に当たりを付ける。とはいえ、珍しい名など探せばいくらでもある。それだけでは記憶を探す手がかりにはならないだろう。もし私がどこかの貴族であったりすれば、行方不明の情報などすぐに多くの人の知るところとなるわけだから、あるいは簡単に情報を探れる可能性もあるのだが、そんな可能性はあまりに低すぎる。世界の人口というのは圧倒的に中流域が多いのだ。富裕層や貴族は世界の全人口からすると一割にも満たない程度なのだから、やはり地道に探すしか道はないだろう。
 そんなことを考え、またも肩を落としていると、クロムが私の肩を叩いた。
「町はもうすぐだ。そこまで行けば……」
 そこまで行けば、私は牢に入れられるわけだが……。
 まぁしかし、それが彼なりの励ましのつもりなのだと思うと、少し気が楽になるというのも事実だった。
 そうして、私は少しだけ前向きになった気持ちと共に、一歩目を踏み出した。
 その時だった。
「お、おにいちゃん! たいへんだよ! 見て、あっち!」
 リズの悲鳴だった。
 リズは正面を指さしていた。顔を上げればそこには町がある。市壁が町を取り囲んでいて、その中は壁と距離のせいで見えなくなってしまっている。だが、異変のほうはしっかりと見て取れた。黒い煙が濛々と浮かんでいるのだ。白い煙であれば、生活の中で火を使えば当たり前に発生する。しかし、その黒い煙はあまりにも不吉な色合いをしている。そして、その感想通りのものが燃えているからこそ、煙は黒くなるのだ。
「! 町に、炎が…!!」
 クロムが驚愕の声を上げる。
「……家が、燃えているの……?」
 私は、呆然と呟くしかなかった。
「例の賊どもか!? フレデリク! リズ! 行くぞ!」
 言うや否や飛び出す主を、フレデリクが止めに入る。
「クロム様! この者の処遇はどうしますか?」
「……町を救うのが先だ! 急ぐぞ!」
 返事をすることさえもどかしい、といった様子で答え、再びクロムは走り始めた。
 「承知しました」、とフレデリクは付き従う形で馬に跨がり、リズのほうも、「わ、わたしも!」、と慌てて駆けだした。
 私は、それを見送ることしか出来なかった。

 燃える人家の臭い。悲鳴。黒く熱い煙。
 町並みは酷い有様だった。
 結局私は、ただ見ていることも出来ず、町へ来たまではいいものの、出来ることはやはり何もなかった。
 フレデリクの指示が的確だったのか、住人の避難は済んでいるようで、通りには人ひとり居ない。つい数刻前まで賑わっていたであろう露店のいくつかが放置されていた。まるで人だけが消えてしまったかのようで、薄気味悪い光景だ。
 心細さと格闘しながら、私は通りを進んでいった。
 音はしない。
 すでにクロムたちが賊を片付けてしまっているのだろうか。そうであれば緊張もするだけ無駄なのだが、そうでなかったのなら……。よもやクロムたちがやられてしまっている可能性もあるのではないだろうか。
 そこへ私が駆けつけたところで何が出来ると言うこともないだろうが、行動を起こさずに見守るということは出来なかった。
 しかし、一歩進む毎に恐怖心が足を縛り付けてゆく。
 静かすぎる。
 私は凍り付く足をひたすら引き摺りつつ、前へ進んだ。
 そこで不意に、私の身体は地面へと叩きつけられたのだった。
「きゃっ!?」
 なんとか膝をつき、周囲を見回す。
 相変わらず町並みは寂然としており、人の気配はない。
 しかし足下には、一冊の古書が落ちていた。
 どうやらこれに躓いてしまったらしい。
 分厚い古書は丈夫な装丁に守られ、見たところ、高価な物のようだった。
「誰か、落としたのかしら……?」
 勿論、持ち主は見当たらない。
 私は痛む足をさすりつつ、手元に古書を引き寄せた。
 表紙は……、読めない。知らない言語で書かれたもののようだ。
 ――いや……。
 脳裏に情報が浮かび上がる感覚を感じた。
 知っている。私はその文字を知っている。そして私はその本が何かを知っていた。
 ゆっくりと立ち上がると、遠くから喧噪が聞こえた。いくつかの怒号と剣戟のようだ。
 私は、足がしっかりと動くのを確かめた後、その喧噪へ向かって走り始めた。

 そこで繰り広げられていた戦いは圧倒的なものだった。
 十人ほどの賊どもとクロムら3人は同等以上の戦いを繰り広げていた。
 まず先陣を突っ切ったのはフレデリクだ。銀色の大槍を振り回し、賊どもの陣形を崩しにかかる。その一撃は凄まじく、受け止めきれなかった賊が吹っ飛ばされ、そのまま後方に流れていた河へ転落していく。
 そうして連携が疎かになったところへクロムが斬り込んでゆく。純白の刀剣が振るわれるたびに賊が一人、また一人と斃れてゆく。
 だが、賊どもも負けてはいなかった。大上段に構えた斧を高い跳躍から振り下ろし、フレデリクはそれを超人的な反射速度で見切り、受け止めた。しかし、勢いはそれで止まらず弾かれた斧がフレデリクの肩を掠めて地面に突き刺さる。そこへ斬りかかろうとするクロムだったが、連携を取り戻した賊どもは即座にカバーに入ったので、フレデリクが制止する。クロムは仕切り直すように、剣を地面に突き立てるような独特な構えで身構える。
「フレデリク!」
 割り込む声は少女の声。リズだ。リズが杖をかざし、祈り始めると杖の玉石が光を放つ。その光は杖先から徐々に広がり、ある程度の大きさまで拡大すると、今度は杖を離れフレデリクの元へ向かってゆく。光はフレデリクの肩に到達すると固着するように傷元へまとわりつき、次第に霧散してゆく。そして傷跡はほとんど残っていなかった。
「回復の杖だとッ!? 面倒だ! あっちからやっちまえ!!」
 賊の頭領らしき男が叫ぶと、賊どもの動きが変わり、リズを取り囲むように陣形を組み始める。
「そうはさせませんっ!」
 フレデリクが大槍を振り回し、また2,3人が吹っ飛ばされたものの次に待ち構えていたのは同時に立ち塞がる3人の賊どもだった。バラバラに立ち向かってくるのなら個別に対処できるものの連携を取られると、フレデリクは食い留まるしかなかった。しかしその間に、他の賊がリズへ辿り着き、その細い身体を突き飛ばしていた。
「きゃあっ!!」
 カラカラと杖が転がり、リズは杖へ手を伸ばす。が、その杖は手からコロリ、と遠ざかる。伸ばした腕には影が降りていた。恐る恐るリズが目線を上げると、そこには杖を足で踏みつけ、舌舐めずりをしながらリズを見下ろす賊の姿があった。賊は愉悦に歪んだ表情をしたまま、斧を高々と掲げる。それは勝利宣言などではなく、リズにとっての死亡宣告に等しいものだった。やがて斧が重力に従って、賊の膂力を伴って、振り下ろされ、
「おおおお!!」
 クロムが渾身の体当たりで賊を突き飛ばした。
「おにいちゃん!」
「リズに手出しはさせんぞ!」
 クロムがリズを庇うように身構え、その後ろでリズは再び杖を取り正面を見据えていた。
 そこへ遅れる形でフレデリクが付き従う。フレデリクが相対した賊どものうち一人は地面へ斃れ伏していた。
 その一連の流れを眺めていた賊の頭領は苛立ちのままに叫び始める。
「おい、お前ら! たかだか3人相手にやられてんじゃねえ!」
 そう言って、頭領は広場の中央まで歩むと、斧を構える。
 それに合わせるように、賊どもがそれぞれ寄り集まり、身構えていた。

 そして、その光景を私は河向こうから見ていた。
 そこで繰り広げられていたの命を懸けた戦いだった。
 それを見ていた私は、不思議な感覚を感じていた。
 私にとって、このような戦いは珍しいものではなかったのかもしれない。冷静に、戦いを分析している自分がいたのだ。もっとこうすれば効率的に戦えるのでは、などという考えすら浮かんでくる。
 そして、胸をよぎる感触。
 私は、一体どうしたいのだろうか。どうしたいというのだろうか。私には何が出来るのだろうか。
「私は……」
 直後、首元に何かが取り付くように見えた瞬間、急に身体が浮かび上がった。
 苦しい。呼吸が出来ない。首に巻き付いていたのは、太い腕だった。
「何してんだい? 嬢ちゃん……」
 賊がいつのまにか背後にもいたらしい。
 振り向こうとしたが、男の腕力が強く、首は動かせそうになかった。
「んん? 嬢ちゃん、けっこうべっぴんだなあ……。ふへへ、こりゃ高値で売れそうだ」
 賊の荒い鼻息が顔に当たって私は気持ちの悪さに身の毛がよだった。
 最悪、と悪態を吐こうにも息は詰まって声にならない。
 手足は地面にも賊の身体にも届かず、唯一この賊に攻撃できる箇所があるとすればこの太い腕だけだろうか。そう考えるも、抓ったり引っ掻いたりでは放してもらえそうにはない。揺すっても効果などなさそうだ。ならば手元には何があるだろう。考えて、止まった。
 分厚い古書。否、これは『魔導書』だ。
 精霊と触れ合い、契約を交わすための交信機の役割を担う本。
 もちろんそれは、素質があればの話だ。精霊と触れ合い、力を借り受け、魔法は生じる。
 声は届かずとも、想いならばきっと……。
 だから。
 ――お願い。力を貸して!
 私は腕を掲げた。来ると信じて。届くと信じて。助けてくれると信じて。
 一瞬の空白が訪れた。
 来ないのでは……、という嫌な予感が胸を駆け抜ける。
 このまま何も成せなければ待ち受けるのは牢獄生活どころではなく、もっと陰惨な奴隷生活だ。特に女の扱いは酷い。
 それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。だからどうにかしなければならない。
 気ばかりが急いて、変わらない現状に苛々とする。
 ――お願い……! 今だけでいい。力を頂戴……!
 なかば懇願するように祈り続けていた。
 ふいに、ぐっと首を戒めていた力が強まる。このまま意識を落とすつもりか。視界が明滅し、頭がぼうっとしてくる。
 いけない。このままでは本当に……。
 そして。滑り落ちようとする意識の端にどうにか縋り付いていると、それは来た。
 身体を巡る感覚。流動する感覚。掻き回される感覚。
 身体を走り抜け、魔力が腕へ集まっていた。
 熱い。腕が燃えるように熱い。
 力の奔流は体内を駆け抜け、集結し。
 それは一気に解き放たれる。
 どうっ、と雷が爆ぜた。
 "サンダー"の魔法が私と賊の身体を突き抜けていった。
 心臓を押し潰すような衝撃に再び意識を失いそうになったが、どうにか現実世界に留まり続ける。
 ちりちりと痛む腕を押さえながら、私はなんとか起き上がった。
「助けてくれとは、……言ったけど、ゲホッ! ちょっと激しすぎ……ゲフゲホッ!」
 立ち上がった拍子に、カランカランと乾いた音がして、私はそちらに目をやった。
 転がっているのは鉄の剣だ。この賊が装備していたものらしい。
 改めて見てみると、どうにも死んだ様子はない。気を失っているだけらしい。ならばこの剣は持っていった方が良いだろう。いつ目を覚ますか分からないのだし、目を覚ましたときに武器を取られては困る。
 そうして剣を鞘にしまい、腰に差すとまたも不思議な既視感を抱く。
 ――剣も使ってた……ってこと?
 魔法も使ったのは初めてじゃない、気がする。緊急時故に暴発させ相手に巻き添えを強いるような使い方をしたが、そもそも余程の天才でもない限り、魔法を初めて詠唱して発現などするはずがないのだ。
 戦いの記憶。恐らくそれが私の中にはある。これが記憶を呼び覚ますヒントになるのだろうか。
 しばらくそんな考えに支配されていたが、頭を振り、打ち消す。声が聞こえたからだ。
 クロムたちはまだ戦っている。そこへ駆けつけねば。
 私は魔導書と剣を携え、河を隔てる橋を乗り越えた。
 そして怒号と剣戟の中へ紛れ込むのだった。



to be continued...