第八羽【魔途進行】③

 ハーケンローズ家は王族に古くから仕えている臣下のひとつだ。
 その歴史は、かつての人魔大戦まで遡るとも聞く。
 そのように長く使える貴族は少なくない。そのうちのひとつにサンズベリー家がある。
 アリシアの叔父にあたる人物が現当主を務めており、幼い頃より親交もあったので、従軍する際にも世話になることが多かったのだ。
 だが、今は仕えるべき主君にも見放され、路頭に迷っているところだし、会うのはなんとも居心地が悪い。
 とはいえ、報告も必要だろうし、協力を仰ぐならここしかない。恥を忍んでアリシアは叔父のライオネルへ謁見を申し出たのだった。
 アリシアの説明をゆっくりと最後まで聞き、ライオネルは顎髭をさすりながらゆっくりと頷いた。

「……お前の征く道に対して、口出しはあえてすまい。協力に関しては、できることは限られるが、今し方丁度勇者様が訪れる予定となっている。そこで直に話すのが良かろう」

 そんな言葉で謁見は締めくくられた。
 かつては騎士としての誇りとは何なのか、何度も口を酸っぱくして説教されていた身としては、このような対応だと肩透かしどころか不安にすら感じてしまうアリシアだったが、勇者という単語を聞いた途端、気持ちはそれどころではなくなってしまう。
 大切な相手。だが、それ以上に恐ろしくもある。
 自分を見捨て、見限った相手だ。以前はツバサが前に立ってくれてたから、不安に押し潰されるようなこともなかったのだが、今は一人で逢うしかない。
 それが酷く恐ろしく、心細かった。
 また、ぞんざいに扱われるのではないか。そんな恐怖や不安が胸中を渦巻いてゆく。
 だが、そんな心積もりを消化する間もなく、扉はすぐに開かれてしまう。

「ライオネル様、失礼いたします。僕はアルス=アーティー。お久しぶりです、閣下」
「おお、これはこれは、勇者殿。お待ち申しておりました。まずは此度の長旅、お疲れ様でした。旅の疲れなどは是非とも当家で癒していってくださいませ」
「……ご厚意、感謝いたします。ですが、急ぎの用向きがございまして、失礼を承知で先にひとつだけ伺ってもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます。……どういったご用件でしょう?」

 勇者とライオネルは恭しく会話しているが、アルスの視線が僅かにアリシアに向かい、一瞬止まるも、特に反応を示さずにそのまま視線を逸らされてしまう。
 それだけで、心臓が竦み上がりそうなくらい恐怖してしまうアリシアだった。

「……ご用件というのは、もちろん魔王についてです。ここは魔王が拠点を構える場所への最重要拠点。ゆえに詳しい情報が得られるかと思い、馳せ参じた次第です」
「ふむ……。しかし、その件に関してはこちらも話せることはありませんぞ。なにせ、そのほとんどが噂として街に広がっておりますからな」
「……では、やはり……」

 噂通り、魔王は突然現れ、城門を一撃で破壊し、一夜で王城を乗っ取った、ということらしい。
 ライオネルはそれにゆっくりと頷いてみせた。
 それに信じられない……というように勇者の背後にいた一行がそれぞれに驚きの表情を浮かべる。表情を変えないのは感情表現が乏しいキャシーと、既に予測済だったらしいアルスだけ。

「……そういえば、勇者殿。この者より、ひとつ話があるそうですぞ。それも合わせて、ひとつご検討いただいてはいかがだろうか?」
「……話? 一体どうしたんだ、アリシア」

 名を呼ばれただけで、心臓が早鐘を打つ。落ち着かない。呼吸すらままならない。

「あ、えと……その……」

 言葉が詰まってしまうアリシアだが、勇者はそれを急かすことなくじっと聞き耳を立ててくれている。
 それがたまらなく嬉しくて、同時にたまらなく申し訳ない気持ちになる。
 後ろで褐色の肌の女だけが鋭い眼差しを向けてきていた。
 ……なんなのだろう。あの女は、本当に……。
 疑問も浮かぶが、それは今はどうでもいいことだろう。大事なのは、そちらではない。

「た、助けて欲しいのだ、勇者よ……」

 アリシアが絞り出せた言葉は、ほんのそれだけのものでしかなかった。 
 勇者の瞳が僅かに細められるのが確認できた。

――

 よくもまぁと感心するくらい、素早く進撃準備は整った。
 どうやら既に準備は始めていたらしい。それくらいにアルスたちの戦闘準備は早かった。
 進撃の準備をしている間、視線を送りはするものの、言葉を掛けてくるものはいなかった。
 もっとも、気まずい空気が流れるだけだっただろうから、アリシアにとってはむしろありがたいくらいでもあったのだが、一人だけ例外がいた。
 彼女だけが、アリシアの中で仲間とは呼べない存在だ。

「……言ったはずですわよ、あなたは足手纏いだと。……今更間に割ってきて、何がしたいんですの?」

 胃の中がむかむかとし始めるが、それを表に出すのは憚られた。
 アリシアは歯を食い縛りつつ強引に笑みを浮かべてみせた。

「……騎士としての誇りのため。かつての誓いを果たすためだ」
「……ふん」

 ロサーナは鼻を鳴らすと、何も言わずに退いた。
 相変わらず掴みきれない相手だが、考えても仕方あるまい。
 今思うべきことは、ツバサを救うこと。それが菊花を救うことに繋がる。
 それに……。

 いや、それに……、なんだというのだろう。
 今、自分は何を考えていた? 何か下らないことを考えていたような気がする。
 アリシアは頭を振って意識を取り戻した。今、思うべきは打倒魔王とツバサの救出だけでいい。
 それ以外の些事は頭から放り捨てろ。
 相手は迷いを抱いたまま逃げ果せるような甘い手合いではないのだから。

「準備は良いか? みんな。……アリシアも」

 それぞれが一様に頷いた。それは何処か懐かしい光景にも思える。
 ここはかつて、アリシアがいた場所なのだ。今は、もういられない場所だが。
 そして、勇者の視線がアリシアから離れる。

「……あなたも、それでいいのか?」

 その問いに、アリシアはふと振り返った。
 まさか、とか思ったが、だがしかし、予想は裏切られない。

「……無理は承知です。それでも行かせてください。……私にはツバサ様が必要なんです」

 そこにはやつれた様子の菊花がいた。
 戦えるようなコンディションではないにも拘わらず、彼女は立っている。
 その決意の重さを思えば、止めることは無粋でしかないのだろうか。
 勇者は、一度アリシアへ問うような視線を向けたが、こうなっては今更止まらないだろう。アリシアは無言で頷くしかなかった。

「……いいだろう。……それでは、みんな、行くぞ!!」

「おうッ!!」
 
 やがて大きな犠牲を強いられることになる、魔王との前哨戦が、いよいよ始まろうとしていた。

――

 風が、吹いた。
 ふわりと、少女の長い金色の髪が揺れる。
 黄金に輝くさざなみのように優雅になびいている。
 齢10歳くらいのその少女は、子供らしい無邪気な笑顔でくすぐったそうに笑う。

「ねぇ、魔王サマ。聞こえる……?」

 問い掛ける先には、返事らしき音は聞こえない。
 それでも少女は答えを聞いたかのように、頷いてみせる。

「……いよいよ、戦いが始まるわ。……ニンゲンと、魔族の戦いが」

 くふふ……、と少し気味の悪い笑い方で、少女は笑みを浮かべる。
 それは、実に可愛らしい、魅力的な光景なのだが、話の内容だけが、どうにもおかしい。

「……ねぇ、これがアナタの思い描いた未来なのでしょう? ……どんな気持ちがするものなの?」

 屈託のない顔で、少女は問う。
 暗がりからは、やはり返答は返ってこない。

「……嬉しい? ……悲しい? それとも、悔しい? ねぇ、今どんな気持ち?」

 音はない。ただ、風だけが耳をなぜる。

「……そう。ワタシには分からない感情だわ。……ワタシはね、楽しみよ。すっごくわくわくしてる」

 少女の口から八重歯が覗く。無邪気なはずの笑みなのに、その表情は見るものに恐怖感しか与えないだろう。

「あの人も、あの方も、ここにはいない……。けれど、……ううん。だから、ワタシは期待しているの」

 それは美しすぎるがゆえに、どこか不自然な表情だった。

「この先にある未来が、そこへ繋がるのだと、知っているから」

 少女は振り返ると、その暗がりへ視線を向ける。

「アナタが魔王だなんて、……本当に面白いことするわよね。……別にワタシは怒ってなんかいないわよ。……だから存分に踊りなさい。その宴のフィナーレで、ワタシの追いかける理想が叶うのなら、過程なんかどうだっていいわ」

 少女は視線を空へ戻した。
 耳を澄ませば、戦の音が聞こえるだろう。それは本来人間ならば決して届くことのない音量ではあるが、少女にはそれが知覚できていた。

「この、血と硝煙のお祭りは、さしずめ前夜祭といったところかしら。……くふっ、楽しみ。ねぇ、お兄様……。また逢えるわよね……」

 空はただ、悠然とそこに広がり続けるだけだ。
 少女は少しだけ浮かべた寂しげな声は、少女の声を呑み込んで、佇み続ける。
 鼠色の空は、少女が触れるにはあまりのも遠かった。



to be continued...