第九羽【護封巫女】②

 さて、まだ日も出ているが、町に着いたらまずは宿屋だよな。
 そうして扉を開けようとしたら……、他の旅人と鉢合わせてしまった。
 ここで発動するのはジャパニーズとしての基本スキル、譲り合いだ。

「どうぞ」
「いえ、どうぞどうぞ」
「いや、そんな……、悪いですよ。お先にどうぞ」
「いやいや、お気になさらず。お通りください」

 ……なんて微笑ましいやりとりをしているうちに、うちの騎士様は何故だかぷるぷると震え始めていた。

「……なんだトイレか? 悪いな、うちの騎士様がお小水を催したみたいなんでな。悪いが先を行かせてもらうぞ」

 言い終わるか否かくらいで俺は首根っこを捕まれた。……おいおい。

「……なんだ、そんなに我慢でき――」

 べきゃ……、と聞こえてはならない音が聞こえた。たぶん人体から出てはならない類の音だと思う。
 ホントに、ウチの騎士様の人使いの荒さときたらもう……。俺は殴られた顔を拭いつつ、立ち上がる。

「何故、ここにいるのだ……! 勇者……」

 何ぃ? 勇者だって……?
 よく見れば、俺と譲り合いしてたのが、……確かアシュレイとかいう名の少年で、その後ろには勇者たち一行が佇んでいた。……意外と近くにいたのね。……ただ、もちろんロサーナこと術士の姿だけは見当たらない。
 ……ひょっとして、こいつらも必死で追ってきてたってことか?
 勇者は少し疲れを残した顔で首を振った。

「今はいがみ合っているときではあるまい。一刻を争う。……中で話そうか」

 勇者は意外と落ち着いていた。……いや、落ち着こうとしているだけかもしれない。
 取っ手を握るその手が、妙に力んでいるような気がするし……。

――

 それぞれで部屋を借りた俺たちは、そのまま勇者の部屋に集まることになった。
 思い思いに居場所を作ると、まずはアリシアが口火を切った。思わず、と言った形で。

「ジェ、ジェラルド……ッ! その傷はどうしたのだ……!? まさか魔王に……ッ!?」

 言われてみてみると、骨折でもしたみたいに左腕が吊り下げられていた。ジェラルドは肩を竦めてみせる。

「ああ、名誉の負傷……でもねえか。大将を庇ってブッタ斬られちまった。レイ坊がいなきゃ二度とくっつかなかったかもしれねえなぁ」

 コイツ、しれっととんでもないこと言ってやがるな。斬られたのかよ。しかも味方の魔術で治療できるなんて……。
 高い技量を褒めるべきか。それとも万能でない魔術を嘆くべきか。

「……それは僕の慢心が原因だ。僕はまだまだ強くならねばならない。……と、そんなことより」

 どこら辺がそんなことなのかは分からないが、重い空気に口出しなんてできる訳もない。

「話さなければならないことがある。……ロサーナについてだ」
「大将ッ!」
「ジェラルド……、もういいんだ。……いや、巻き込まない……、という選択肢もあるにはあるが、こればかりは話しておかねばならないんだ。……というよりも、もはや隠しておく意味がなくなってしまったんだ」

 ジェラルドの制止を振り切り、勇者アルスは居住まいを正した。

「聞いてくれ。魔王は強い。僕らの想定を大きく裏切っていた。正攻法ではまず勝てない。だから、工作が必要になる」

 あのバカ強い勇者ですら、そう言い切るとは、状況はかなりヤバイらしいな。

「かつての魔王との戦争で、封印の術式を司る一族が活躍した。彼らの術式は複雑で伝承するのは困難だった。魔術に秀でたとある一族にのみその技術は受け継がれていた。しかし、優秀な人材の不足により、今や正確に伝承されているのはただ一人の術士のみ。……もう分かったと思うが、それがロサーナなんだ」

 魔王封印の巫女。なるほどな、だから勇者一向に強引に参入できたのか。

「だが、彼女は優秀である一方で、かなり恵まれた環境で育てられている。その所為か、少々我儘で気を置けないところもある。……アリシアには特に迷惑を掛けてしまっているが、それでもロサーナを放り出すわけにはいかないんだ。……世界でただ一人の、希望なんだ。魔王がもたらす絶望の闇を払拭できる、唯一の光なんだ」

 その我儘でアリシアは放り出されたわけか。勇者に色目使ってウザイとか、そんな理由なんだろうか。……ビッチめ。

「魔王を封印せずに倒せるか否か。その見極めのためにここまで来たが、それは僕の慢心だった。初めから魔王には立ち向かえない、それくらいの覚悟で挑むべきだったんだ。……そして、その油断がロサーナの命まで危ぶめている」

 ……確かに、それは悪手だったな。よりにもよって、魔王封印ただ一つの手掛かりをそんな近距離までデリバリーしちまったのは最悪だ。……だけど、なんかおかしくないか……?

「なぁ、勇者さんよ」
「……アルスで構わない」
「じゃあ、アルス。それだけ情報を隠してたのは、魔王側に情報を渡さないためだったんだろ? ひょっとしたら今までの情報規制も全部そうだったのかもしれねえけど、それはまぁいいとして。どうしてバレたんだ?」

 普通におかしいんだ。それだけ隠蔽してれば、誰だって気づきようがないんじゃあないのか。

「……分からない。ロサーナのいた隠れ里にも厳重な情報規制が敷かれていたし、この事実を知るのは国の重鎮や僕たちぐらいのはずだったんだ」
「……じゃあ、誰かが口を割ったか、もしくは盗み聞きでもしてたのか……」
「……そういうことになるだろうね。……魔王側の諜報力を完全に侮っていた……。まさかここまで足もつかせないとは……」

 どこから漏れていたか。それも重要そうだが、今はそれどころじゃないか……。

「……んで、それでどうするんだアルス? 泣き寝入りでもしてみるか?」

 俺の喧嘩腰にアシュレイが、あからさまに敵意を向けてくる。が、それをアルスが手で制した。

「そうしたいのもやまやまだが、ロサーナが早く助けないと煩いだろうからね……。世話の焼けるお方だが、機嫌を損ねるわけにはいかないんだ」
「……仲間を犠牲にしてでも、か?」
「……ああ、そうだよ。世界には代えられない」

 十のために一を捨てる、ってわけかい。なるほど勇者だよ、アンタは。
 ……俺には絶対になれそうにない職業だ。まぁ、ほとんどの人間はなりたくてもなれないんだろうけどさ。
 俺は、頼まれたってやりたくないね。胸糞悪いし。

「君たちは、協力してくれないのかい? ツバサ殿」

 ……コイツも『殿』呼ばわりかい。そういうところは似てるのにな……。

「……分かってるんだろ? だったらいちいち訊くなよ」

 俺は話は終わりとばかりに席を立つ。向こうの態度は軟化してるみたいだが、俺はどうにも気に食わないんだよな、未だに。

「……ロサーナは王城に捕らえられているらしい。僕たちは今接近してきている国王軍たちと共に、魔王軍を討ち果たす。恐らくは正面突破になるだろう。巻き込まれないように注意してくれ」

 ……勝手に俺たちも行くことにしてるんじゃねえっての。
 そのまま仲間たちと共にアルスの部屋を退去した。俺は腹が立っていて、押し黙ったまま眠りに就いた。心配そうに見つめる仲間たちに申し訳なく思いながら……。

――

 夕飯も食べずに早々と眠りに就いたものだから、夜中に目が覚めてしまった。
 そうっと窓を開けて夜の風を受ける。少しだけささくれ立った気分が抜け落ちていくような心地がする。
 ……なんで、アルスを見ると、こんなに苛つくんだろうな。第二次反抗期だろうか。あるいはモラトリアム?

「眠れませんか……? ツバサさん」

 不思議と、その声は胸の中にすとんと落ちて、消えてゆく。……なんか落ち着くな。

「……さすがに早く寝過ぎたな」
「ふふ、そうですね。……まだ夜は明けないですよ?」
「ああ、なんだか卑猥な響きに聞こえるな」
「……そんなことないですよっ!」

 菊花が顔を赤らめて反論する。……やっぱこういうの懐かしいな。ずっと前にもあったような気がするんだ。えっと、なんだっけ……?

「………………月詠ノ国(つくよみのくに)……?」

 ……確かそんな響きを何処かで聞いたような……?

「覚えているんですか!?」

 それを聞いた菊花が、顔色を変える。俺の服を掴んでじっと目を見つめている。
 ……ていうか近い。菊花の吐く息が鼻に当たってムズムズする。

「あんまり無防備になるなよ。俺だってオオカミになっちゃうんだぞ?」

 そんな軽口に、菊花は何の反応も示さない。こうかはないみたいだ……。
 もぞもぞ……。今度は俺の胸に顔を埋めてしまう。だから、無防備すぎるってばさッ!

「ふふふ……、うふふふふ……」

 か、可愛いけどっ……、それ以上に怖いよこの子……。
 振り解くのも躊躇うなぁ、この温もり。柔らかな感触。手放したくないなぁ……。

「嬉しいです、ツバサさん」

 そんなふうに上目遣いで見つめられると、破壊力抜群なんだが……。こうかはばつぐんだ!
 例えるなら、ギャラドスにピカチュウの電気玉背負ったかみなりが急所に当たったくらいのダメージだ。えっと、16倍だっけ? まぁ多分そんくらいの衝撃的な可愛さでした。まる。



to be continued...