第十羽【逢魔ヶ時②】

 コツ、コツ、コツ……。
 赤いブーツが踏み鳴らす足音が、大理石の玉座に厳かに響き渡る。
 豪奢なドレスを纏った少女は扇を口元に寄せて、ささやかに笑みを作った。

「ふふ……、随分と分かりやすい罠を張ったものね……」

 玉座では、相手がゆっくりと頷いていた。

「……それも策の内だ」

 少女はそれに「あら、そう……」と淡泊に答えた。まるで気のない返事だった。

「わざと手を抜いて、逃がして。兵を下げて誘き寄せて。そのうえ、警備まで減らすんだもの。普通なら勘ぐって逆に踏み止まってしまうんじゃないの?」

 男はそれに、僅かに首肯した。

「そのために人質を用意した。……万事抜かりはない」

 しかし、少女は尚も嘲るような笑みを消さない。

「『抜かりはない』? ……本当にそうかしら? 伏兵の存在くらいは察していると思うけれど……」
「それでも、来るしかないさ……。それだけの価値が、あの娘にはあるのだから……」
「……価値、ね。……ふふ、本当にそんなものが、あればいいのだけれど……」

 少女は意味深に笑ってみせたが、男はそれに返事を返すことはない。ただ、黙ったまま眼前を見据えるばかり。
 それはまるで、城門での戦いを垣間見ているかのようで。あるいは、この戦いが描く軌跡の、未来が見えているかのようで。
 瞳には仄暗い、宵闇のような漆黒だけが写されていた。

――

「進撃準備、整いました!」

 畏まった姿勢で伝令が告げる。
 伝令を下がらせながら将軍は、眼下に広がるその膨大な戦力に気を昂ぶらせていた。
 これだけの規模の戦闘は、将軍にとっても初めてのものだった。国境で起こるような諍いとはそのレベルが根底からずれている。
 だが、隣で佇む勇者からは、そのような気負いは感じられない。それほどの戦闘を体験したことのある人間などそうはいないはずなのに、だ。

「失礼だが、勇者殿。……このような戦争の経験はおありで?」
「いや……、これだけの規模の戦いは初めてだ。だが……」

 勇者は、当たり前のようにこの光景を見下ろしながら、結論を下す。

「やることは変わらない。できることもな……。将軍、総指揮は僕が執るということで、本当によろしいのですか?」
「今更な話だ。今だけは私を部下の一人と思ってくれて構わん」
「……分かった」

 すぅっとアルスは息を吸い込むと、進撃準備した全員に届くほどの良く通る声で告げる。

「各王国より集まった勇敢なる騎士諸君! 其方らの協力に感謝する! これより巫女の救出とトータス領奪還の任を果たす! 諸君らの剣と誇りを今一度貸して欲しい! 世界の平和と世の安定のために! 我が剣に続けぇっ!! 出撃ィ!!」

『おおおおぉぉぉぉーーーー!!!』

――

 俺たちが城に忍び込んでしばらくすると、外が騒がしくなり始めた。
 どうやら、戦闘が始まったらしいな。
 俺は光が差し込んでくる天井を睨み付けながら立ち上がった。
 周囲はガランとしていて静かだ。時折ピチョンと水が跳ねるような音がする程度の静寂な空間だった。
 それもそのはず。俺たちは井戸の中にいた。厳密には地下道なんだろうけど。

「しかし明るくなったあとだと、逆に登るとき目立ってしまわないか?」
「これだけみすぼらしそうなマントで身を隠してたりしてるんだから浮浪者と間違われて、案外気にされないかもしれないぞ?」
「……いくらなんでもそれは虫が良すぎませんかね……?」
「ムシ……、です?」

 若干話についていけてない子がいて、なんだかほっこり癒されるけれども、そうも言ってられないかな。

「とにかく、動くなら今しかない。住民はこの際気にするな。衛兵だけに気を払え」

 とにかく、どうにかして市街区から城へ侵入。入ったらあとはロサーナを救出。ヒット&アウェイ。やることはシンプルだ。
 ロープはしっかりと張られている。登るのに支障はなさそうだな。

「よし、菊花。先に行ってくれ」
「はい、分かりました! ……ってやっぱりダメです! どこ見てるんですか!?」
「なんだ……? 言って欲しいのか。しょうがないな……。もちろんお前のパ――」

 もちろん菊花の鉄拳制裁を喰らうことになるのだった。

 よじよじ、よっこいしょ。
 そんな感じで井戸を跨いだ俺だったが、井戸の外も依然静かなままだった。

「ここまで静かだと、少し気味が悪いな……」
「確かに、近くからは物音がほとんどありませんね……。遠くからは戦闘音がけたたましく響いているのに……」
「……戦闘中だからかもしれんぞ。わざわざこんなときに外出するような暇人はいないだろうし……」
「えっと、……げんたいたいせー、です?」
「良く知ってるな、偉いぞナズナ。……まぁ、たぶんそれが正解じゃないかな」

 外出禁止とかそんなのがあるのかもしれない。戒厳令っていうのかな。
 なんにせよ、好都合ではある。このまま城の近くまで一気に近づけるな。

 城門には衛兵が二人。……もちろん中にはもっといることだろう。
 こういうときはゲーム知識がなにかと役に立つ。見つかったときに効果音と共に「!」って表示されるやつだ。こちらスネーク。大佐、聞こえるか。
 衛兵を倒して進むというのは、あんまり良い選択肢ではないな。たぶん巡回とかローテーションとかで察知される恐れがある。
 正解は、他の出入り口だ。とはいえ、通気ダクトなんて都合良くあるわけもないか……。う~ん。
 周囲の城壁は、それなりに高い。取っ掛かりも当然ないので、ロッククライミングもできよう訳もない。まぁそんな造りだったら今頃泥棒に入られまくってとっくにこんな国滅んでただろうけど。
 市壁を越えたときの菊花ジャンプは使えないだろうか。……難しいな。日も昇ってしまっているし、敵兵の位置も近い。全くの無音で侵入できる訳じゃないし、気づかれたら意味がない。
 まずいな。打ち切りの予感……。
 何か物品の移動とかがあればそれに紛れて侵入とかもあっただろうけど、このタイミングでそう都合良くあるわけもないし……。どうしよう。

「ツバサ様、せめて一周してみませんか。どこかに抜け道があるかもしれませんし……」

 あればとっくに利用されてるだろうし、とっくに修繕されているはずなんだが……。
 だが、何もしないのも無駄だ。いざとなれば強行突破しかないが、その前に城の周囲を見てみてもいいかもしれない。それくらいの時間的猶予はあるはずだ。あるよね、きっと。あるって信じてる。

 城を窺いながら、ナズナは耳で様子を探り、菊花は足掛かりになりそうなものを探し、アリシアは敵の気配を探っていた。俺はそんな仲間たちを見守るだけだ。
 ナズナは耳をピクピクと動かしていて可愛いし、菊花は周囲と見回すたびに纏めた髪がピョコピョコと揺れて可愛いし、アリシアは柄を握りながら鋭い気配を発していて可愛いというか凜々しい。
 うん、俺なんにもしてないな。

「足音がする、です……!」

 ナズナの導きのままに、俺たちは再び城門へ。
 そこから出てきたのは、黒い髪の大男。豪奢な出で立ちの鎧姿で、いかにもというか間違いなく魔王だ。
 そして、共に出てきたのは手を後ろに縛られたままの、ロサーナ。

「広場にて貴様の処刑を行う。間に合うといいな……」

 魔王は邪悪な笑みを浮かべていた。呻くロサーナを衛兵が無理矢理に引っ張って連れて行く。
 ……隙を突いて連れ出すとか、無理じゃね?

――

 魔王軍の軍勢は、少ないがその分練度が高い。
 数では勝っている王国軍だったが、その士気の割には戦場は膠着していた。

「くっ、時間が掛かりすぎる……っ!」

 アルスは敵を斬り伏せながらも悔しげに呻いた。想定していた以上に手こずっている。
 敵の作戦などまるで読めてはいないが、恐らくは戦力を温存している。何処かから援軍が来る可能性は相当に高いはずだ。
 ここで押し負けている時間などないというのに……。
 だが、そんな状況で、伝令は更に面倒な報せを持ってきた。

「魔王が城門広場にて公開処刑を行う、とのこと……っ! 如何なさいますか!」

 如何も何もない。だが、今の状況はそれを許してはくれない。
 このままでは、処刑を見過ごすことになってしまう。そうなれば、この世界は終わりだ。人間は滅びる。

「伝令っ! 指揮権は将軍に返す! 僕はこのまま単騎にて敵地へ攻め込むと伝えろ!」
「ゆ、勇者殿っ!?」

 軍として、集まりとしての戦いを捨て、個としての戦いに戻る。そうすれば突っ切るだけならどうとでもなる。足並みを揃える必要もない。周囲を窺う必要もない。あらゆる責任から解き放たれたアルスは破竹の勢いで歩を進める。
 それに付いて来る騎士はいない。『騎士』は。

「やっぱり大将は独断専行してこそ、だぜ!」

 軽口を叩きながら付いて来るジェラルドに苦言の一つでも浴びせてやろうかとも思うアルスだったが、戦意を敵へ集中させるためにそれを断念する。

「……速度を上げる。遅れるなよ」
「フォローなら任せて」

 後方に現れたのはシェリーだった。放たれた矢が敵を穿ち、アルスへ剣を振り下ろそうとした姿勢のまま敵兵がくずおれる。
 そのまま背後に潜んでいた敵兵を叩き斬りながら、アルスの眼光は鋭く前だけを見据えていた。その先には固く閉ざされた城門が雄々しく佇んでいた。



to be continued...