第十羽【逢魔ヶ時③】

 本当に馬鹿げている。
 少女は心の中で何度目かの愚痴を漏らしていた。
 〈魔王〉の狙いは分かっている。それには一部共有した利害だってある。
 しかし、その方法論は筋道を無視した強引に過ぎるものだ。呆れたような溜息が繰り返し零れてしまう。

「ほんっと、バカな男……。あんなのが王だなんて、やってられないわ」

 されど、今は彼が魔族の首領だ。彼が全権を握っている以上、少女にもおおっぴらには逆らうこともできない。
 ……少なくとも、今はまだ。
 少女は、〈魔王〉が消えていった方角へ視線を送る。
 そして、その蛮行の行く末を見守る。簡単に予想できる結末に、少女は思わず肩を落とす。

「はぁ……、ニンゲンなんかに敵うわけないじゃない。……〈獣性魔族(タイタニア)〉なんかとは一線を画す上級の魔族、〈幻性魔族(クロノス)〉なんだから」

 その力の差は10倍とも20倍とも言われている。そんな相手に剣や魔法で戦いを挑む人間たちも愚か極まりないが、それに真っ向から戦いを挑む〈魔王〉も愚かだと言わざるを得ない。
 魔族の悲願を思えば、ここで彼ら勇者を殺すべきかもしれないが、そんなものは低俗な望みでしかない。
 本当に果たすべき崇高な願いは、こんなところで浪費されるべきではないのだ。
 だからまだ、勇者に死なれては困るというのに……。
 ならば、最悪の場合――。

「介入もやむなし、ね……」

 しかし、それだけは避けたいところではある。〈魔王〉と違い、力を誇示したい訳ではないのだ。懸念だってある。
 今はせめて祈るとしよう。勇者が存外に強い存在であることを。

――

 門を開く手段というのは、実際そう多くはない。
 交渉で開けるのが一番良い。損傷や被害を出すことなく、分かりやすい形で勝利を得られるからだ。もちろんそんなことはそうそう起こらないのだが……。
 次に、内部から開けるというのもある。密偵などを予め潜らせておいて、合図と共に開けさせる。敵の虚を衝けるというのはかなりの旨みだが、密偵役には危険が付きまとう。
 そして、定番ともいえるのが、破城鎚などの攻城兵器である。鉄柱のようなものを数人で担ぎ上げて門へ叩きつけてこじ開けるようなものや、投石兵器で遠隔から攻撃することもある。
 しかし、主流となっているのはやはり魔法だろう。物理的な障害なら、魔法による攻撃が一番有効だ。小さな砦であれば魔術師一人でも多大な損害を与えられる。
 それに対して魔術師数人で作り上げる障壁というものが存在しており、これらが今現在の封印術士の役割と言えるのだが、それはまた別の話。

 アルスは焦っていた。戦闘が膠着したため、軍としての戦いから個としての戦いへシフトさせたのだが、その弊害は攻城戦にこそあった。
 門を開けるには多くの人手がいる。破城鎚にしろ、投石器にしろ、魔法による攻撃にしろ、個人でできる範囲には限界が存在する。
 勇者がいかに優秀な戦士であっても、一人で城を落とせるわけではないのだ。
 今から味方の軍勢を連れてくることはできるわけもない。だが、一人で門を攻撃したとして、開けることなど不可能に近い。剣術も魔術も、門を開けるほどの破壊力などないのだから。
 だが、そんな迷いは、すぐに解消されることになる。それも魔王自らの手によって。

 門が内側から開けられたのだ。

 密偵が開けた、というわけでもあるまい。敵は整然と陣形を維持したままだ。それに……。
 その向こうには、更なる一団が待ち構えていた。
 黒い鎧に赤い外套を翻した一団は、かつてアルスは見たことがあった。

「魔王の、精鋭部隊か……ッ!」

 ということは、その後ろに待ち構えているのは、黒い外套と銀の甲冑を纏った魔族の王。
 その眼で魔王の姿を追ったアルスは、その先に予想外のものを見つけてしまう。
 後ろ手を縛られた銀色の髪の乙女。その浅黒い肌は他に見間違えようもない。

「ロサーナッッ!!!」

 勇者の姿をその目に留めた魔王は悠々とその黒き剣を抜いた。

「ほう……、もうここまで来たのか……。歓迎するぞ、勇者とやら」

 二つの視線が、熾烈に交錯していた。

――

 地理的には大体こんな感じだ。

 軍―門―広場―俺

 極めて分かりやすくそれでいて壮観で、美しく見事な図解だろう。褒めていいぞ。
 俺たちは広場の端っこ。いわば入り口らへんにいるわけだが、大変困った展開になっている。
 まず、ロサーナの救出が不可能になったこと。
 魔王が直接連れて行って、国王軍に相対してしまったため、俺たちの出番は皆無になった。責任者出てこい。……って、魔王が来たら困るな。やっぱ来ないで。
 そして、そこへ近づこうにも、女の子がいて近づきづらいということだ。
 しかもこの女の子の黒幕感がハンパない。呟いてる独り言がさっきから完全に黒幕。タイタニアとかクロノスとか何やねんホンマ。
 だが、それが狂言でないことだけははっきりと分かってしまう。それくらいにドス黒いオーラを漂わせている。
 だというのに、俺の仲間たちは、それに気づいてはいないようだった。

「……どうしたというのだ、ツバサ殿? 可愛らしい少女じゃないか」
「そうですよ、ただの女の子じゃないですか」
「……ナズナのが強い、です」

 いやいやいや、そういう話じゃなくてさ。
 そりゃ確かに、可愛いんだよ。それは十中八九間違いないんだよ。満場一致で可決なんだよ。そんなのは自明の理なわけだよ。
 だけど、なんだかその威圧感みたいのが感じられるだろ? マンガだったら滲んだような効果トーンが張られたプレッシャーを感じるだろう?
 だが、仲間たちにはそれが伝わらない。……それどころか。
 菊花が無造作に足を踏み出した。恐らくは少女の警戒領域へと。その瞬間――

 ピシリと、世界が軋んだような音がした。

 心臓が押し潰されたような感触に、俺は呼吸すら忘れてしまう。
 まるで世界がモノクロに沈んだような色合いになる。
 それが、極度に集中した俺の時間間隔の錯覚であると認識する頃には、もう。
 全てが壊滅的に手遅れだった。

「あはっ♪ 何のつもりかは知らないけれど、おいたは許さないわよ?」

 いつの間にか正面から背後へ、少女が回り込んでいたが、そんなことはどうだっていい。
 俺の身体を貫くように伸びている少女の小さな手。夥しい血が、眼前で赤い花を咲かせる。
 位置は、胸の中央。出血量は致死的だ。
 唖然とした仲間たちの表情が見える。
 菊花やアリシアは、泣くだろうか。あるいは激昂してくれるだろうか。
 ナズナは、どうかな。俺のために泣いてくれるかな。
 いや、でも、やっぱり泣いて欲しくはないな。女の子には笑っていて欲しいな。
 視界から仲間が消える。石畳の無骨な顔が俺の視界を埋め尽くす。
 時間は、ゆっくりと流れている。まだ、地面には辿り着かないのか。
 だが、そのまま地面へ倒れる感触すらないまま、俺の意識は遠くなっt

――

「イヤァァァァァァアアアアァァァアアアアアァァアアアアアァアアア――――ッッ!!!!」

 菊花の慟哭が響き渡る。しかし、主は顔を上げることもない。力なく横たわったままだ。
 もう動くこともない。笑うこともない。セクハラもしてこなければ、優しく労ってくれたりもしない。
 もう手も握れない。髪も撫でてくれない。冗談も言ってくれない。励ましてくれない。あのほっとするような心温まる笑顔は、もう見れない。
 もう二度と、動かない。

「ツバサ様ッ! ツバサ様ッ!! ツバサ様ァァッッ!!!」

 まだ、身体は温かいままだ。まるで冗談みたいな光景だ。
 だがバケツをぶちまけたみたいな真っ赤な血溜まりは、現実そのものだ。
 嗅ぎ慣れた鮮血の香り。嘘偽りなく、それは紛れもない喪失の事実を告げていた。
 頭では理解できても、心は別物だ。
 菊花は大切な主人に縋り付いて泣いた。立ち上がることさえできそうになかった。ただ、哀しくて悲しくて苦しかった。

 一番立ち直りが早かったのは、意外にもナズナだった。
 上手く理解できていないだけかもしれないが、それでもナズナは涙を拭って立ち上がった。勇敢に敵を見据え、雷迸る指先を美しい少女へと向ける。
 血濡れのその少女は、指先についた血をペロリと舌で掬い上げた。少女は妖艶に笑う。

「……あらあら、可哀相なお嬢さんたち……。けど、その男が悪いのよ? ワタシの力に勘づいてしまったのだから……」
「ナズは、絶対に許さない、です……ッ!」

 そんな遣り取りに感化されたのか、アリシアも立ち上がった。顔は涙でグチャグチャだが、それでも槍を構える拳はいつも以上に気合いが入っている。

「わ、私だって騎士の端くれだ! 守るべき者のためならこの身だって盾にしてみせよう!」

 そんな二人を見定めるように少女は目を僅かに細める。

「……いいわ。敵討ちなんて無駄な戦いだけれど、……この身に降りかかる火の粉は振り払わなくっちゃね」

 少女はその細くしなやかな腕を軽く振った。
 それだけで石畳が砕け、赤土が剥き出しになる。

「〈幻性魔族(クロノス)〉の戦い方、見せてあげるわ。……感謝しなさいよね!」

 アリシアとナズナは、それぞれに息を呑んで、立ち尽くしていた。



to be continued...