第十羽【逢魔ヶ時⑤】

 人はいつ死ぬと思う?
 心臓を銃(ピストル)で撃ち抜かれた時……違う。
 不治の病に冒された時……違う。
 猛毒キノコのスープを飲んだ時……違う!!!
 ……人に忘れられた時さ、……いや嘘。
 そんなドラム王国編みたいな感動的な話じゃないんだよ、これは。

 例えばの話。

『……ピピ、……ピピ、……ピッ、……ピーーー!』
『あ、あなたー!』

 ……なんてシーンも病院じゃ(というよりはドラマなんかで)よく見るが、本当に死ぬ瞬間ってのはどのタイミングだろうか。
 俺が気になるのは、何を以て死んだと認識するかという話だ。具体的にその瞬間はいつかという話だ。
 大体、心臓が止まったあとだって、蘇生猶予は存在する。その僅か数分で適切な処置を施せば蘇生することだってザラにあるというわけだ。
 つまりまだ、心臓が止まったくらいでは、その瞬間では死んでないってことになる。
 死とは、覆せる限りは死ではない。不可逆であるからこその終焉。即ち死だと、俺はそう思う。
 果たしてそう考えたとき、死ぬ瞬間とは具体的にどの辺だ?
 心臓が止まっても、息が止まっても、生き返る可能性はゼロじゃない。だが、蘇生が遅れれば遅れるほど蘇生率は目に見えて落ちていく。
 ならばそのタイミングを計っていって、生存率がゼロ%に限りなく近づいた瞬間をこそ、決定的な死の瞬間と呼べるのかもしれない。
 しかしそれすらも、運命の悪戯で簡単に覆されるから、世の中ってものは簡単じゃない。

 さて。

 じゃあ、今の俺は具体的に今どの辺なのだろうか。
 生存率はゼロ%だろうか。致死率100%だろうか。恐らくはそのどちらでもない。五分五分か三分七分か四分六分なのか二分八分なのか、まぁそんな細かいところはさっぱり分からんが、その狭間を彷徨く半端な状態であることは想像に難くない。
 間違いなく分かることは、呼吸も止まっているだろうし、たぶん心臓も止まっている。そのうえ意識も顕在化していない。即ち生きていると証明できる要素はほとんど残っていないことになる。このまま身体が冷たくなればいよいよ屍体の出来上がりだ。嫌になっちゃうね、ホント。
 しかしまぁ、こうなってみると、意外と落ち着けるもんだ。普通はもっと取り乱したり、慌てたりするものなんだろうが、意外とそんな気も起きない。ただ、そういうもんか……。とだけ、漠然と思うだけだ。
 後悔はある。残した仲間は心配だし、世界の行く末だって、意外と心配しているんだ、これでも。もっとやっときゃ良かったこともあるし、なんなら童貞も捨てt以下略。
 だが、全てが手遅れとなった今、心は存外に落ち着いている。ささくれ立った気持ちはない。妙に満たされているような心地すらある。これが死後の世界の入り口なんだろうか。
 このままこの感覚に任せればきっと……。俺は冥府の住人に成り果ててしまうのだろう。
 それでもいいような気がする。それで正しいような気がする。
 大体おかしいだろう。何が異世界漂流だよ。そんな都合の良い世界があるか。誰かの気まぐれに付き合わされただけだ。その気まぐれだってここで終わりだ。エンドロールのあとに流れるおまけの一幕でしかないんだ。
 だからこれで終わり。もう、おかわりは充分なんだ。もうごちそうさまの時間だよ。
 だから、お別れをするんだ。

 ……また、逢えたら……良いな……。

 あれ……? なんで俺、名残惜しんでるんだろう。満たされた気持ちのまま、逝くんじゃなかったのか?
 俺……、本当は……。
 死にたく、ないのかな……。

 ……そうだ。俺は、……死にたく、ない。
 まだ、死ぬわけには……いかないんだ。
 菊花は、俺がいないと壊れるし、アリシアはロサーナにあしらわれる。ナズナだってまだ幼いし、俺が付いていてやらないと、まだ危なっかしい。
 考えれば考えるほど、バカみたいだ。……今更どうしようもないってのに。
 もう抗う術もないってのに。死に向かうだけの存在なのに。一体何をしようってんだよ。
 分からん。何も分からんけど、それでも俺は願った。強く想うことにしたんだ。
 死にたくない。まだ死ぬわけにはいかない。

 脳内を走馬灯が流れる。
 在りし日の記憶。人は走馬灯を垣間見ることで、過去の記憶から生き残る手段を模索しているのだとか、そんな話を聞いたことがあった。
 まさにそれをやればいい。
 膨大な記憶の雨から、解決法を見つけ出せ。ありえないはずの道程を走破する、奇跡のような道筋を求めて。
 俺はここで死なない。〈魔〉に出遭して、それで終わるような、そんな物語にはしない。
 逢魔が時に終わるようなつまらん物語なんぞ、三流のラノベもいいところだ。そうだろ?
 本当の傑作ってのは、こういうドン底から這い上がってこそだろうが! 成り上がってこそだろうが!

『あはっ♪ 何のつもりかは知らないけれど、おいたは許さないわよ?』
 あの美少女は結局なんだったんだろうな。トランプ王国のお姫様かな。あるいはトランス能力を持った宇宙人か? 金髪黒衣の美少女なんて意外といっぱいいるもんだしなぁ。

『君たちは、協力してくれないのかい? ツバサ殿』
 勇者アルス。あいつは結局良く分からんな……。不器用で口下手だからアリシアと別れることになったんだろうが……。あいつにはまだ色々と言い足りないこともある。殴り返してもやりたいしな。

『舐めるにゃよ、糞餓鬼……!』
 魔族三人衆はあれ以来見てないな。この戦いにも参加しているんだろうか。……会うことがなくて良かったってのが正直な感想だな。

『風とは、自由なことだ。分かるかい、坊や』
 あの婆さんには世話になりっぱなしだったな。いつかちゃんとお礼しにいかないと……。まぁどうせ素直に受け取っちゃくれないだろうがな。ナズナを連れてけばそれだけで充分すぎるお礼になるかもしれないしな。

『やぁやぁ、おはよう! 良い夢見れたかな?』
 賢者ルキウス。とりあえずお前は死ね。結局ロサーナの何をあいつは怪しんでいたんだろうな。

『済まぬな、旅の方。みっともないところをお見せした』
 ……結局爺さんのくれた素材は何も使うことがなかったな。せっかくの恩を無駄にしたとあっちゃあ、あの世で再会しても気まずい限りだ、まったく……。

 ナズナ……。
 幼いけれど、優秀な俺の仲間。可愛くて素直で、だけど本能に忠実なこいつには何度も助けられてきた。年功序列とか、そんなものは忘れた方がいいんじゃないかな。そんな気がする。

 アリシア……。
 強くて格好いい騎士様だが、打たれ弱くて世話好きで、身体付きも性格も女性的でなんだかんだで旅の間は世話になりっぱなしだった。フィジカルもメンタルも大分癒された気がする。

 菊花……。
 俺の従者にして、唯一俺の素性を知っている仲間だ。そういう意味では誰よりも近しい存在と言える。何より、菊花の忠実さには助けられているし、アイツはアイツでそれに依存しているという危なっかしい関係だ。
 だからこそ、お互いに手を放すことができない。持ちつ持たれつの関係。

 俺の培った全てをゼロに還すわけにはいかない。
 けど、何ができる……? どうすればいいんだ……?
 足掻いたところで、足掻こうとしたところで、結末は変わらない。変えられないんだ。
 俺の意識が、俺という存在が、徐々に薄れていく。徐々に瓦解してゆく。
 そうして、自分を個として認識できなくなったとき、俺はそのときようやく死ぬのかもしれない。

 嫌だ。嫌だ……。

 けれど、暗転してゆく。全ての色彩が消え、声も記憶も、失い、あぶくのような息を吐いて、俺は最後の自我を吐き出してしまう。

 思い出せ。何か、なかったか。
 何か、あったはずだ。どこかに、引っ掛かるような気持ちが、心地が、する。
 誰かが、何かが……。確か、最初に……。

『ちょっと! ツバサ様! 何処に行かれるんですか?』
「ちょっとあの世にね……。今までありがとう。世話になった……」
 そうだ、そんなやりとりを、した。……覚えてる。
 けど、そこじゃ、ない。
 どこだ……。どこかで……。

『だから、ちょっと待ってくださいよ! 何言ってるんですか? 今回はまだ……』
 まだ……? まだ、なんだっけ?
 何かすごく大切な、ことを……。
 あの時、菊花は……。
 ……。

『今回はまだ……』


『生き返ったばっかりじゃないですか?』


 ……は?



to be continued...