第十羽【逢魔ヶ時⑦】

 魔王の腕の中に抱かれたまま、黒衣の少女シャルロッテは不機嫌そうに頬を膨らませていた。

「……ねぇ、勘違いしないでよ? ワタシは〈幻性魔族(クロノス)〉の姫ではあるけど、貴方の娘ではないんだからね? それくらいは理解しているのよね?」
「ああ、もちろん分かっている。我の子供ならもっと思慮深い性格に育っている」
「……それ、血が繋がっていないんじゃないの? ……ああ、反面教師ということね。それなら納得できるわ」

 随分と酷い言いようではあるが、魔王はそんな発言にも顔色ひとつ変えない。それは分別があるようにも見えるし、意味を理解していないようにも見える。

「……で、結局巫女は返しちゃったの? ホント、何がしたかったのよ、貴方……」
「無論、我の心は人間との戦いだけだ。それだけが我の心を昂ぶらせてくれる」
「ホント、貴方も大概よね。けど、まさか本当に仕留めちゃったわけじゃないわよね? まだ利用価値があるって分かってるわよね?」

 少し不安そうな顔色を見せるシャルロッテに、魔王は頷いて答える。

「案ずることはない。殺しはしていない。封印の儀式は、進めてもらわねばならんからな」
「……分かってるなら、いいんだけれど。……それで? どうだったの、貴方のほうは?」
「ふむ。存外に愉しめた。次に戦うときまで、退屈せずに済みそうだ」
「へぇ……、そう。意外ね」

 鎧に付いた傷に指を這わせながら、シャルロッテは少し表情を緩めた。

「そっちはどうだ。手酷くやられたようだが、何が起こればそうなる? 油断でもしたのか?」
「はぁ? 油断? バカ言わないで頂戴。油断してたら死んでたわよ。次に会うときは最初から全開でないと、命取りになるわ……」
「ほう……。ならば、我もそちらに参ずれば良かったな」
「……言ってなさいよ」

 そんな遣り取りをしつつ、二人は王城へと戻ってゆく。
 勇者たち国王軍は敗走したが、ロサーナは取り返した。
 魔王軍はそのままトータス領を占拠し続けることに成功する。
 前哨戦における被害は、国王軍のほうが大きく、魔王軍のほうは僅かばかりの被害しか出なかった。
 死傷者の数は、この規模の戦闘でいえば少ないほうだったろう。死者は国王軍が百数十人。負傷者は千人弱。魔王軍はその十分の一程度だろう。
 元々戦闘は防御側が有利だ。城に籠って攻撃を迎え撃つだけであれば損傷はかなり少なく抑えられる。
 逆に国王軍は平原を抜けて攻撃を行うため、移動の時点で兵に疲れが生じ、士気にもそれは影響を及ぼすのだから、戦果は当然の結果と言える。むしろお互いに被害が少なすぎるくらいか。
 その理由は、魔王や勇者が最前線に出て戦ったことによる。
 お互いに被害を出すことを控え、大将同士での戦いで済ませたのだ。
 その結果、魔王の圧倒的な恐ろしさをその身に刻むことになる勇者なのだった。

――

 加減されていた。
 それを理解してしまっていたアルスは、這い蹲った体勢のまま、起き上がることすらできずにいた。

(クソ……ッ! どうして僕は、……こんなにも弱い……ッ!?)

 その問い掛けは、あまり正確ではない。何故なら、間違いなく勇者アルスは人間の中で最強クラスの実力の持ち主だからだ。
 単純な一対一の戦いにおける戦闘力なら、アルスに勝てる人間はまずいないのだ。だから、アルスは弱いわけではない。
 ただし、それは人間の中での話に過ぎない。魔族が相手では話が変わってしまう。
 圧倒的な魔力を誇り、その力で肉体の強化を行える魔族や、その上位種の幻性魔族というものは、その特性上人間よりも戦闘が得意な傾向がある。
 ましてや王族になると、その傾向はより顕著になる。
 つまり、アルスの敗北を分析するなら、それは種族差が一番の要因ということになる。
 だが果たして、それで納得できる者はいるのだろうか。
 種族が違うから、敗北した。そんな理由で納得できる者はいるのだろうか。
 少なくとも、勇者アルスは違った。
 勇者として生まれた以上、その血を継いで生まれた以上、人間を救う使命がある。
 それを果たせずに死ぬことは赦されない。世界も、一族も、アルス自身だってそうだろう。
 ゆえに、その敗北感が、彼を苦しめているのだった。

「あ、アルス様……ッ! 貴方は私を救ってくださいましたわ。私にはそれだけで充分嬉しいのです……」

 ロサーナは猿ぐつわも外され、アルスに寄り添うようにその身体を支えようとするものの、女性の腕力では男性の身体を支えきることはできない。アルスは倒れ込んだ体勢のままロサーナに抱きつかれるような恰好になっていた。
 そこへ仲間の弓使い、キャシーが追いついてきた。が、仲睦まじい(ように見える)恰好に思わず声を掛け損なう。
 一瞬の逡巡のあと、結局話し掛けることにしたキャシーだったが、その声が遠慮がちだったのは何も大人しい性格のためだけではあるまい。

「……あ、アルス。……生きてる……?」

 その問い掛けに、答えはすぐに返ってこない。いつものように自信に満ちた返答は結局いつまでも返ってこなかった。
 代わりに、ロサーナの気遣わしげな声だけがキャシーの耳に届いた。キャシーは、苛立たしげに顔を背けた。
 負傷者は戦闘の規模の割には少ない方だ。遠隔攻撃や援護がメインのキャシーやアシュレイは魔王と対峙することすらできず、なんなら辿り着く前に勝敗が決してしまったくらいだった。
 ……実質、仲間でありながら何の役にも立っていないようなものだ。その事実が彼女の心を追い詰めてゆく。
 理由は、実際のところアルスにある。
 アルスが軍対軍の戦いをやめた結果、被害は抑えられたものの、接近戦の得意でない仲間たちを置き去りにしてしまい、援護が間に合わなかったのだ。
 キャシーはそれでも、自分の所為だと自らを責めていた。自分にもっと力があればもっと早く駆けつけられていた。そうすれば援護もできた。アルスも助けられた。そんなふうに考えてしまう。間に合ったところで結果は同じだった、などとは考えることすらできない。

 近接組のジェラルドはアルスの後方、少し離れたところでアシュレイに介抱されていた。

「俺のところには美女が駆けつけて来たりはしないのかよ……」
「重傷の割には元気そうですね、美女は勇者様の回復に手一杯みたいですよ」
「……キャシーちゃんでもいいんだけどなぁ……」
「それはダメです」

 何故かきっぱりと断ってしまうアシュレイだったが、ジェラルドはそれ以上軽口を叩くことはなかった。つまりはそれくらいの重傷だったというわけだ。
 全身から血が吹き出るような状態でも、ジェラルドには多少の余裕があった……(少なくとも精神的には)、ということなのだろう。……アルスとは違って。

――

「おはよう。良い夢は見れたかな?」

 なんだ、賢者か? 起きて早々ムカっ腹が立ってきたな。何なんだよ一体……。

「いやいや、賢者くんじゃなくてさ。ツバサだよ、もう一人の僕」

 ツバサ……? ああ、そうか。それが俺の名前だったな。なんかド忘れしてた。……ってド忘れってレベルじゃねえぞオイ。

「はは、それは仕方ないよ。キミはさっきまで死んでたようなものなんだからさ」

 ……はぁ、また死んでたって? けど生き返ったんだろ? えっと、なんだっけ? リセッターっつったっけか?

「そうだね。……うん、記憶の共有化も無事進んでるみたいだし、問題はなさそうかな」

 記憶の共有化……? 良く分からんが、確かに流れ込んでくる光景があるな。これはさっきまでの、俺? お前?

「……う~ん。なかなか哲学的な質問だけど、答えは両方、だよ。もう一人の僕」

 だから、意味が分からないんだって。もっと分かりやすく、イヌやネコにも分かるようにだな……。

「わんわん、にゃお~ん!」

 ぶっ殺すぞテメエ。

「キミが言ったんじゃないか。まったく、酷いなぁ」

 酷いのはテメエの持ちネタだっつーの。んで、どういう意味かって訊いてんだよ。

「たぶんキミは、人格はそれぞれに別々の記憶や意識を有していると思っているんだよね。けど、実はそうじゃないんだ」

 ……じゃあ、何故俺は記憶を失くしていたんだ? お前が主人格で俺はペルソナだかなんだかの仮人格なんだろ? それが主従入れ替わったってことだったんじゃなかったのか?

「まぁ、大体そうなんだけどね。けど、主従っていうのは少し違うかも。厳密には、……そうだね。氷山の一角とでも言えばいいのかな」

 表に出てるのは僅か数%の一部分のみ……ってか。

「概ねそんな感じ。僕はキミだし、キミは僕なんだ。人格なんてキミの一部分に過ぎない。いや、僕の一部分でもある、ということかな」

 ……なんとなく分かったが、それじゃあ、なんで俺は記憶を失くしていたんだ? 前回の世界で、何があったんだ? っていうか、どうしてそれを思い出せないんだ? 言ってる意味が矛盾してないか?

「……一つずつ説明していこうか。まず、記憶を失った理由は、前回の世界で僕が力を使いすぎてしまった結果だよ。さっき使った異能、〈翼白(よくびゃく)〉と〈不死鳥(リセッター)〉は消耗が激しいからね。使い方を間違えるとそういうことになる、ってことさ」

 チート能力特有のデメリット、ってわけか。まぁ万能の力なんてあるわけもないし、そこはしょうがないのか……。

「それから、思い出せない理由、というよりは記憶の仕組みから説明した方がいいのかなぁ。いいかい、記憶の迷宮というのは、狭い路地が敷き詰められたような、まるで迷路みたいな場所なんだよ。僕らは思い出すという行為を行う際、そこに水を流すんだ。流れた水がそこらに落っこちてる記憶の欠片をまとめて流していって、最後の出口まで辿り着いたものを僕らは拾い上げて思い出しているんだ」

 ……随分と原始的だな。だが、まぁ分かりやすい。落ち葉掃除みたいな光景が浮かぶ。

「当然出口に辿り着かないような場合は思い出せない。記憶があっても思い出せないことだってある。そして、その迷路には、人格ごとの違いはない。あるのは、その指向性くらいだね。どっちに水を流そうか、くらいの。出口に辿り着くかどうかは水の流し方に依っちゃうよね」

 ……だから、思い出せる情報に違いがあると。

「まぁそういうことかな。それに、一度〈不死鳥〉を使ってるから記憶も失うわ、情報は混線するわ、目覚めてばかりのキミが何も思い出せなかったのは正直、仕方なかったことなんだよ。とはいえ、面倒を押しつけたことは謝るよ。本当にごめんね」

 〈不死鳥〉で記憶を失うっていうのは、具体的にどういうことなんだ?

「ああ、それね。そういえばまだ説明してなかったね。メンゴメンゴ。……翼龍っていうのは生命体ではなく、精神体なんだ。つまり実体は本来存在しない。元々は精神だけの存在だからね。それを龍の力で具現化して生命体のように生きているわけだけど、当然それは創った身体だからね、再生だってできる。つまりはそれが〈不死鳥〉の正体というわけさ。けれど、肉体再生にはエネルギーを消費する。僕の場合は精神エネルギーだね。〈翼白〉で大気中から吸収してはいるけど、無限にエネルギーが存在しているわけじゃない。あくまで膨大だというだけで限りはあるんだ。そして、精神エネルギーは僕にとってエネルギーであると同時に身体そのものでもある。それを消費するということは、大切な何かが失われそうだよね」

 ……それが記憶、だと?

「まぁ、そういうこと。ようやくリンクできたから色々といっぱい話しちゃったけど、だいじょうぶ? 追いつけたかい?」

 ……なぁ、どうして俺だったんだ?

「ん……? どういうことかな?」

 どうして俺が表に出てきたんだ? お前じゃあダメだったのか? 他の人格、……他のペルソナが表面に出てきても良かったんじゃないのか?

「……そうだね。僕は今まで……前回の世界までは表にいたけれど、力を使い過ぎちゃったから復元(リストア)のために裏に潜伏する必要があった、というのがひとつ。キミを選んだ理由は……、キミがオタクだから、かな」

 は……?

「前回の世界はね、キミの知る現実世界みたいな場所だったのさ。そこでオタクを滅ぼそうとする人類VS誇り高いオタクたちによる世界大戦が行われたわけだけど、そこで僕はオタクの強さを知ったんだ。オタクは世界を救えるって僕は気づいてしまったんだ」

 ……お前、バカじゃないのか?

「はははは、否定はしないよ。けど、僕はオタクの可能性に賭けることにしたんだ。前回も勝ったんだから、今回も勝てるよ、きっと」

 ああ、良く分かったよ、お前がバカだったってことが。

「それはキミのことでもあるんだよ」

 うるせえ。ほっとけ。

「……キミなら、救えるよ。なにせ、とても優秀なオタクだからね」

 ……余計なお世話だよ。
 ……けど、ありがとな。俺に譲ってくれて。俺を信じてくれて。俺という人格を創ってくれて。
 ……俺にこの居場所をくれて。



to be continued...