第十一羽【攻略軌道①】
ひんやりと冷えた水が、俺の意識を覚醒させてゆく。
掬った水が手のひらからこぼれ、雫が無数の波紋を浮かべる。
波紋が消えれば、そこには見慣れない俺の顔があった。
頼りない顔つきから真っ黒な髪が無造作に垂れている。典型的なオタク顔だと思う。良く言えば優男風か。イケメンではないけれど。
生まれたときからの記憶が全てあったならこんな感覚も抱かなかったんだろうが、俺の記憶は不完全で、家族の記憶すら思い出せない。覚えているのは趣味の範疇だけ。泣けるゲーム、好きなヒロイン、燃えたシチュエーション、運営に対する殺意とか、そんなもんだけ。
まぁほぼほぼ役に立たない知識なんだろうが、これを役立てることがこの世界を救うことに繋がるとかなんとか……。まぁとにかくそんなわけで、俺は世界の攻略に手を出してみたわけだ。これはそんな愚かな男が紡ぎ出す幻想物語のひとつ……。
……今日も君の話し相手になりたい。なんつって。
……さて。そろそろ、目も覚めてきたな。俺は立ち上がって辺りを見渡す。
そこは森の中にひっそりと佇む泉だ。水は冷たくて透明で、顔を洗うのに使わせてもらっていた。
あんまり汚いと、微生物とか殺人アメーバとかそういう話題を思い出して怖くなるけれど、ここ1週間ほど使ってて問題はなさそうだし、仲間にも鼻の利くヤツもいることだし、まぁ問題はないだろう。
俺はそのまま朝の日課に赴くことにした。
……朝の日課ってアレだぞ。別に卑猥なアレじゃないぞ。確かに寝起きはアレとかが元気に屹立していたりするけども、そういう下処理の話じゃないぞ。……本当だからな。
……なんて、しつこく言うから、余計に疑われるんだろうな。うん、反省してるよ。とにかくそうして、俺は泉から立ち去るのだった。
――
森の朝は早い。
しんなりと湿った草原を踏みしめて、俺はまっすぐに剣を振るった。
ようやくこの動作に身体が馴染んできた頃だろうか。
とはいえ、まだまだ序の口だろう。勇者と比べられるようなものではないし、なんなら戦士にも程遠いはずだ。今の俺は精々【村人】レベル。
だが、効果は間違いなくあった。少なくとも無意味ではない。
俺はメニュー画面を開き、ステータス画面を開く。
ここ1ヶ月ほどで俺の【腕力】のステータスは15ほど向上している。
そう、ここはゲームそっくりの異世界なのだ。俺が知っているような高度な文明は存在しない。中世的な世界に俺はいる。
この世界では熟練度が物を言い、熟練度が実際の行動に影響されている。
極端な話、剣を振るえば剣術が上手くなり、人と話せばコミュニケーション能力が高くなる。計算をすれば暗算も得意になり、文字を書き続ければ文章力が上がる。
何を当たり前なと思うかもしれないが、現実とは少々異なる。スキル習得の要となっているからだ。
熟練度を稼ぎ、ランクが上がると新たなスキルを習得できる。それは現実世界に大きな作用を及ぼすため、俺の知る現実世界を比べれば、より早い習熟を可能とさせている。
それに、幅広くスキルを覚えることにより波状的な効果もある。コミュニケーション能力が上がれば人材育成も上達しやすいみたいな話だな。マルチに技能を習得するのは、スキルビルドにおいて、必然的に通らねばならない道らしい。
例えるなら上級職を3つマスターすることで勇者に転職できるみたいな、そんな話だ。
そして、これは戦闘に関してだけではないので、生産系の技能にも応用が利く。更には戦闘系、生産系、その両方にそれぞれ影響し合うスキルだってあるだろう。たぶんだが、剣の扱いが慣れてるほうが刀鍛冶には向いているはずだ。
とにもかくにも、スキルビルドを行うにおいて、時間は死ぬほど足りない。朝は素振りとランニング、それからウェイトトレーニングっていうのか? おもりを持ち上げたりして筋力アップに努める。
筋肉質になったりはしないが、ステータスの向上は目まぐるしく、分かりやすく成長を感じられる。
……が、とはいえあくまでこれは最初だけだ。次第に頭打ちになっていく。熟練度には適正値があるからだ。難しい話は端折るが、ともかく、同じ行動をするだけだと熟練度の入りは途中から悪くなる。そこからは方向性の模索を行わなければならないらしい。そんなところはリアリティ追求しなくても良かったんだけどな。
そんなことを考えながら、日課の300回の素振りが終わった。へとへとにはなるが、立ち上がれなくなるといった感じにはならない。体力も向上しているらしいな。
「さて、それじゃあ、走るか」
俺は軽く体操して身体をほぐしてからランニングを始める。とりあえず林を10周くらいすればいいかな。俺はそんなふうに考えながら地面を蹴った。
――
この世界の名前は、……なんて言うんだろうな。現状では知るよしもないのだから、この世界としか呼びようがない。まぁ、それは置いておくとして。
俺たちがいるのは中央大陸の南側に位置する国家、セシル教導公国の王都にほど近いエリア。通称【始まりの森】。
王都周辺はなだらかな草原が続く広大な緑地で、ここから旅立つ少年少女が無数にいるのだという。騎士の志望者もよく集まるそうだから、地方からの出稼ぎからすれば、むしろ旅の終着点のような気もしなくもない。
だが、騎士の試験を受けるためにも修行は必要で、そのための修行に使われることの多い森だそうだから、そういう意味では、まぁ、始まりの森なんだろうなぁ。
……などと考えつつ、俺は街道をひた走る。
この三叉路を右に曲がればショートコースで、すぐにキャンプしたエリアまで戻ることができる。
そして、左に曲がれば森を一周ぐるっと回るロングコースとなるわけだが……。連日ショートコースばかりも飽きるよなぁ。
俺は血迷って左へと曲がってしまう。森の外周は適当に計算すると10キロくらいあるわけなんだが。まぁ、そのときの俺には分かるわけもなかった。
一時間ほど走り続けてキャンプ地へ帰ると、なんだか美味そうな芳香が漂っている。途端に腹の虫がぐぎゅるぐぎゅると悲鳴を上げる。服も汗でびしょびしょだし、もうへとへとだ。いっそ寝たい。
「お疲れ様です、ツバサ様っ」
そんなふうに労ってくれたのは、黒髪、和装の美少女、菊花(きっか)だった。結った髪の毛が動作に合わせてぴょこぴょこと踊っている。
彼女は俺の従者で、そして、俺にとっては……。むふふ。言っちゃおうかなぁ、どうしよっかなぁ~。黒いクノイチ風の着物で着飾ったこの美少女はなんと俺の恋人なのだ。どうだ、参ったか。世の童貞ども、大いに恨むが良い。それすらも俺にとっては愉悦である。……まぁ、童貞は俺もなんだけども。
恋人たる証拠に、ちょっとハイタッチでもしようかな、なんて思ったところ。なんだか煙たいような表情をしている。……あれ、もしかして俺、振られるのん……? あまりにも短い幸福だったな。短くても華やかな、そう、まるで閃光のような……。
「バサ兄、汗臭い、です」
そんなカタコトの敬語で口を挟んだのはナズナだ。9歳の女の子だが、ある事情により俺たちの旅に同行している。今では頼れる優秀な仲間だ。
銀色の髪をフードの中から覗かせているが、その内側には今から期待せざるを得ない美貌を携えている。俺はロリコンではないので欲情はしないが、期待はしている。なんなら夢も見ている。大人になったナズナが、実は前から俺のことが好きでした的な感じの。参ったな俺。ハーレムルートまっしぐらだな。
そんな彼女は魔術師兼錬金術師というハイブリッドな天才少女。そのうえ、その体躯にはひとつの異形が備わっている。それは狼の耳と尻尾を、生やしているということだ。
それゆえに孤児となり、天才ゆえに孤児仲間にも疎まれ、そうして形成されたコミュ障が現在の喋り方を形作っている。そう考えると少々不憫な娘である。絶対に俺が幸せにしてやるからな。
ナズナは目を伏せ、両手を祈るように組み合わせる。そこには燐光が閃き、魔力の渦が頭上へと舞い上がってゆく。
「〈休息の雨垂れ〉(レイニー・タイム)」
ナズナの詠唱省略に合わせて、小さな雲が頭上に現る。冷たくて心地よい雨が俺だけを濡らしている。……ほんとに便利だよな、魔法。
ナズナは全属性をそこそこ使えるので、こういうときは極めて優秀である。優秀すぎて従者が嫉妬するくらいに。
「……私だって、それくらいできるんですからね!」
そんなふうに唇を尖らせた姿すら愛おしい。絶対に俺が幸せにしてやるからな。
などと考えているとコトリ、と。目の前には山菜のサラダが置かれていた。瑞々しい葉っぱの上に掛けられている白いソースはなんだ? ……まさか今朝の俺による絞りたてのミルクセーキだろうか!
「ツバサ殿、何かうっすら恐ろしいことを考えてはいないか?」
……どうにも俺の思考は先読みされることが多くて敵わないな。ああ、そうだ。この、俺に皿を渡しつつもお小言を垂れてくる見目麗しい美女の名はアリシア。赤髪を腰まで下ろした姿は艶やかで美しく、鎧姿でも映えるものだが、今みたいなエプロン姿でも素晴らしい。元は名のある騎士の出らしく、世界を救う勇者と共に旅をしていたほどの実は相当の猛者でもある。
にもかかわらず、俺の旅の同行者となっているのには色々と事情があって、早い話が勇者一行と折り合いが付かなくなったためハブられた形だ。恐ろしいのはお化けでもモンスターでもなく、同じ人間同士というのは異世界であろうとも一緒だ。世知辛いもんだな、まったく。
しかし、戦闘力もさることながら、料理の腕が凄まじい。サラダなんて誰が作っても一緒だと思うだろう? ところがどっこい、そうでもない。野菜を傷めないように切ることも大事だし、その切り揃えるサイズだって食べ心地に影響を与える。ソースだってただ濃い味なら良いってもんでもない。栄養バランスを考え、飽きないバランスで他のメニューとの味を調整し、食が進みやすく消化しやすい順番でそれをテーブルに並べる。更にはそのための調理の順番まで全てが計算の元に作られているというのだから、これはもはやちょっとした料亭だ。いやいや、もはや高級レストランと言っても差し支えないかもしれない。とにかく、これはそういうレベルの芸当である。それを享受できる俺は三国一の幸せ者かもしれない。リア充なう。
「む、むぅ……そんなに美味しそうに食べられては怒るに怒れないではないか……。ズルイぞ……」
なんてアリシアは頬を染めながら呟いていた。なんだか無意識に好感度が稼げている……。チョロイ、チョロすぎるぞこのヒロイン……。
まぁともかくそんな賑やかなメンバーと共に俺たちは旅を続けていた。目的は戦力の強化。しばらくはそれだな。
「よしっ! メシを食い終わったら今度はお前らの修行だからな。覚悟しておけよ!」
「は、はい……」
「むぅ……仕方ないな……」
「……今日こそは、がんばる、です」
それぞれが一様に頷いてみせる。俺はそれを確認すると、そのまま食事を再開する。
さて、そろそろ成果が出始めても良い頃かな……?
見上げた空を鳥が滑空する。ヒョロリと鳴くが、俺の疑問への回答というわけではないだろう。きっと。
to be continued...
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第十一羽【攻略軌道①】
ひんやりと冷えた水が、俺の意識を覚醒させてゆく。
掬った水が手のひらからこぼれ、雫が無数の波紋を浮かべる。
波紋が消えれば、そこには見慣れない俺の顔があった。
頼りない顔つきから真っ黒な髪が無造作に垂れている。典型的なオタク顔だと思う。良く言えば優男風か。イケメンではないけれど。
生まれたときからの記憶が全てあったならこんな感覚も抱かなかったんだろうが、俺の記憶は不完全で、家族の記憶すら思い出せない。覚えているのは趣味の範疇だけ。泣けるゲーム、好きなヒロイン、燃えたシチュエーション、運営に対する殺意とか、そんなもんだけ。
まぁほぼほぼ役に立たない知識なんだろうが、これを役立てることがこの世界を救うことに繋がるとかなんとか……。まぁとにかくそんなわけで、俺は世界の攻略に手を出してみたわけだ。これはそんな愚かな男が紡ぎ出す幻想物語のひとつ……。
……今日も君の話し相手になりたい。なんつって。
……さて。そろそろ、目も覚めてきたな。俺は立ち上がって辺りを見渡す。
そこは森の中にひっそりと佇む泉だ。水は冷たくて透明で、顔を洗うのに使わせてもらっていた。
あんまり汚いと、微生物とか殺人アメーバとかそういう話題を思い出して怖くなるけれど、ここ1週間ほど使ってて問題はなさそうだし、仲間にも鼻の利くヤツもいることだし、まぁ問題はないだろう。
俺はそのまま朝の日課に赴くことにした。
……朝の日課ってアレだぞ。別に卑猥なアレじゃないぞ。確かに寝起きはアレとかが元気に屹立していたりするけども、そういう下処理の話じゃないぞ。……本当だからな。
……なんて、しつこく言うから、余計に疑われるんだろうな。うん、反省してるよ。とにかくそうして、俺は泉から立ち去るのだった。
――
森の朝は早い。
しんなりと湿った草原を踏みしめて、俺はまっすぐに剣を振るった。
ようやくこの動作に身体が馴染んできた頃だろうか。
とはいえ、まだまだ序の口だろう。勇者と比べられるようなものではないし、なんなら戦士にも程遠いはずだ。今の俺は精々【村人】レベル。
だが、効果は間違いなくあった。少なくとも無意味ではない。
俺はメニュー画面を開き、ステータス画面を開く。
ここ1ヶ月ほどで俺の【腕力】のステータスは15ほど向上している。
そう、ここはゲームそっくりの異世界なのだ。俺が知っているような高度な文明は存在しない。中世的な世界に俺はいる。
この世界では熟練度が物を言い、熟練度が実際の行動に影響されている。
極端な話、剣を振るえば剣術が上手くなり、人と話せばコミュニケーション能力が高くなる。計算をすれば暗算も得意になり、文字を書き続ければ文章力が上がる。
何を当たり前なと思うかもしれないが、現実とは少々異なる。スキル習得の要となっているからだ。
熟練度を稼ぎ、ランクが上がると新たなスキルを習得できる。それは現実世界に大きな作用を及ぼすため、俺の知る現実世界を比べれば、より早い習熟を可能とさせている。
それに、幅広くスキルを覚えることにより波状的な効果もある。コミュニケーション能力が上がれば人材育成も上達しやすいみたいな話だな。マルチに技能を習得するのは、スキルビルドにおいて、必然的に通らねばならない道らしい。
例えるなら上級職を3つマスターすることで勇者に転職できるみたいな、そんな話だ。
そして、これは戦闘に関してだけではないので、生産系の技能にも応用が利く。更には戦闘系、生産系、その両方にそれぞれ影響し合うスキルだってあるだろう。たぶんだが、剣の扱いが慣れてるほうが刀鍛冶には向いているはずだ。
とにもかくにも、スキルビルドを行うにおいて、時間は死ぬほど足りない。朝は素振りとランニング、それからウェイトトレーニングっていうのか? おもりを持ち上げたりして筋力アップに努める。
筋肉質になったりはしないが、ステータスの向上は目まぐるしく、分かりやすく成長を感じられる。
……が、とはいえあくまでこれは最初だけだ。次第に頭打ちになっていく。熟練度には適正値があるからだ。難しい話は端折るが、ともかく、同じ行動をするだけだと熟練度の入りは途中から悪くなる。そこからは方向性の模索を行わなければならないらしい。そんなところはリアリティ追求しなくても良かったんだけどな。
そんなことを考えながら、日課の300回の素振りが終わった。へとへとにはなるが、立ち上がれなくなるといった感じにはならない。体力も向上しているらしいな。
「さて、それじゃあ、走るか」
俺は軽く体操して身体をほぐしてからランニングを始める。とりあえず林を10周くらいすればいいかな。俺はそんなふうに考えながら地面を蹴った。
――
この世界の名前は、……なんて言うんだろうな。現状では知るよしもないのだから、この世界としか呼びようがない。まぁ、それは置いておくとして。
俺たちがいるのは中央大陸の南側に位置する国家、セシル教導公国の王都にほど近いエリア。通称【始まりの森】。
王都周辺はなだらかな草原が続く広大な緑地で、ここから旅立つ少年少女が無数にいるのだという。騎士の志望者もよく集まるそうだから、地方からの出稼ぎからすれば、むしろ旅の終着点のような気もしなくもない。
だが、騎士の試験を受けるためにも修行は必要で、そのための修行に使われることの多い森だそうだから、そういう意味では、まぁ、始まりの森なんだろうなぁ。
……などと考えつつ、俺は街道をひた走る。
この三叉路を右に曲がればショートコースで、すぐにキャンプしたエリアまで戻ることができる。
そして、左に曲がれば森を一周ぐるっと回るロングコースとなるわけだが……。連日ショートコースばかりも飽きるよなぁ。
俺は血迷って左へと曲がってしまう。森の外周は適当に計算すると10キロくらいあるわけなんだが。まぁ、そのときの俺には分かるわけもなかった。
一時間ほど走り続けてキャンプ地へ帰ると、なんだか美味そうな芳香が漂っている。途端に腹の虫がぐぎゅるぐぎゅると悲鳴を上げる。服も汗でびしょびしょだし、もうへとへとだ。いっそ寝たい。
「お疲れ様です、ツバサ様っ」
そんなふうに労ってくれたのは、黒髪、和装の美少女、菊花(きっか)だった。結った髪の毛が動作に合わせてぴょこぴょこと踊っている。
彼女は俺の従者で、そして、俺にとっては……。むふふ。言っちゃおうかなぁ、どうしよっかなぁ~。黒いクノイチ風の着物で着飾ったこの美少女はなんと俺の恋人なのだ。どうだ、参ったか。世の童貞ども、大いに恨むが良い。それすらも俺にとっては愉悦である。……まぁ、童貞は俺もなんだけども。
恋人たる証拠に、ちょっとハイタッチでもしようかな、なんて思ったところ。なんだか煙たいような表情をしている。……あれ、もしかして俺、振られるのん……? あまりにも短い幸福だったな。短くても華やかな、そう、まるで閃光のような……。
「バサ兄、汗臭い、です」
そんなカタコトの敬語で口を挟んだのはナズナだ。9歳の女の子だが、ある事情により俺たちの旅に同行している。今では頼れる優秀な仲間だ。
銀色の髪をフードの中から覗かせているが、その内側には今から期待せざるを得ない美貌を携えている。俺はロリコンではないので欲情はしないが、期待はしている。なんなら夢も見ている。大人になったナズナが、実は前から俺のことが好きでした的な感じの。参ったな俺。ハーレムルートまっしぐらだな。
そんな彼女は魔術師兼錬金術師というハイブリッドな天才少女。そのうえ、その体躯にはひとつの異形が備わっている。それは狼の耳と尻尾を、生やしているということだ。
それゆえに孤児となり、天才ゆえに孤児仲間にも疎まれ、そうして形成されたコミュ障が現在の喋り方を形作っている。そう考えると少々不憫な娘である。絶対に俺が幸せにしてやるからな。
ナズナは目を伏せ、両手を祈るように組み合わせる。そこには燐光が閃き、魔力の渦が頭上へと舞い上がってゆく。
「〈休息の雨垂れ〉(レイニー・タイム)」
ナズナの詠唱省略に合わせて、小さな雲が頭上に現る。冷たくて心地よい雨が俺だけを濡らしている。……ほんとに便利だよな、魔法。
ナズナは全属性をそこそこ使えるので、こういうときは極めて優秀である。優秀すぎて従者が嫉妬するくらいに。
「……私だって、それくらいできるんですからね!」
そんなふうに唇を尖らせた姿すら愛おしい。絶対に俺が幸せにしてやるからな。
などと考えているとコトリ、と。目の前には山菜のサラダが置かれていた。瑞々しい葉っぱの上に掛けられている白いソースはなんだ? ……まさか今朝の俺による絞りたてのミルクセーキだろうか!
「ツバサ殿、何かうっすら恐ろしいことを考えてはいないか?」
……どうにも俺の思考は先読みされることが多くて敵わないな。ああ、そうだ。この、俺に皿を渡しつつもお小言を垂れてくる見目麗しい美女の名はアリシア。赤髪を腰まで下ろした姿は艶やかで美しく、鎧姿でも映えるものだが、今みたいなエプロン姿でも素晴らしい。元は名のある騎士の出らしく、世界を救う勇者と共に旅をしていたほどの実は相当の猛者でもある。
にもかかわらず、俺の旅の同行者となっているのには色々と事情があって、早い話が勇者一行と折り合いが付かなくなったためハブられた形だ。恐ろしいのはお化けでもモンスターでもなく、同じ人間同士というのは異世界であろうとも一緒だ。世知辛いもんだな、まったく。
しかし、戦闘力もさることながら、料理の腕が凄まじい。サラダなんて誰が作っても一緒だと思うだろう? ところがどっこい、そうでもない。野菜を傷めないように切ることも大事だし、その切り揃えるサイズだって食べ心地に影響を与える。ソースだってただ濃い味なら良いってもんでもない。栄養バランスを考え、飽きないバランスで他のメニューとの味を調整し、食が進みやすく消化しやすい順番でそれをテーブルに並べる。更にはそのための調理の順番まで全てが計算の元に作られているというのだから、これはもはやちょっとした料亭だ。いやいや、もはや高級レストランと言っても差し支えないかもしれない。とにかく、これはそういうレベルの芸当である。それを享受できる俺は三国一の幸せ者かもしれない。リア充なう。
「む、むぅ……そんなに美味しそうに食べられては怒るに怒れないではないか……。ズルイぞ……」
なんてアリシアは頬を染めながら呟いていた。なんだか無意識に好感度が稼げている……。チョロイ、チョロすぎるぞこのヒロイン……。
まぁともかくそんな賑やかなメンバーと共に俺たちは旅を続けていた。目的は戦力の強化。しばらくはそれだな。
「よしっ! メシを食い終わったら今度はお前らの修行だからな。覚悟しておけよ!」
「は、はい……」
「むぅ……仕方ないな……」
「……今日こそは、がんばる、です」
それぞれが一様に頷いてみせる。俺はそれを確認すると、そのまま食事を再開する。
さて、そろそろ成果が出始めても良い頃かな……?
見上げた空を鳥が滑空する。ヒョロリと鳴くが、俺の疑問への回答というわけではないだろう。きっと。