第十一羽【攻略軌道③】

 王国にはある程度の情報規制がなされている。それは、人類を守るための対応策だった。
 封印の巫女の存在もそうだ。封印術式の紛い物なんざ、世の中にはありふれている。そんな巫女が一人、勇者一向に同行したところで、魔族たちは気にも留めないだろう。そんな思考に基づいた策だった。
 しかし、実際にはバレていて、誘拐されて人類と魔族は戦闘を余儀なくされた。
 戦いには犠牲が少なからず生じ、戦力拡大の必要性も高まったことで、勇者一行はおおっぴらな行動を控えるようになった。
 今現在、彼らは何をしているのだろうか。
 どこかで何かをやってはいると思うのだが、情報はほとんど手に入らなくなっていた。得意の情報規制も行われていることだろう。
 だが、何をやろうとしているかには、おおまかな見当が付けられる。
 ひとつは、魔族封印の準備。
 仕組みの細かいところは分からないが、大掛かりな準備が必要なのは間違いないだろう。でなければとっくに事態は解決しているはずなのだから。
 そして、ふたつめは俺たちと同じく、戦力の拡充を図っているはずだ。
 これにはむしろ王国側が動いていることだろう。徴兵の報せは至るところで見受けられるし、黙っていても聞こえてくるくらいだ。相当数の兵士が王国へ集まりつつあるだろう。
 しかし、それらが戦力になるのはしばらく先だ。今はまだ烏合の衆に過ぎない。戦闘に出したところで犠牲者を量産する結果にしかならない。王国としても、戦いはまだ先延ばしにしたいはずだ。

 ここに来て奇妙なのは、やはり魔族側の動向だ。散発的な攻撃はあるらしいが、いずれも小規模だそうだ。本格的な侵攻をしないということは、向こうにも行動できない理由があるのか? それとも、既に作戦は開始されていて、気づけばもうどうしようもないような破滅的な罠でも仕掛けられているのだろうか。
 ……なんて、不吉な考えも浮かぶが、その可能性は限りなく低い。何故なら、魔王はそれなりに馬鹿だからだ。
 魔王は見た限りだと、直線的な傾向の人物だ。巫女を拐かしたのも勇者を誘き寄せるため。やってることはシンプルで、策を巡らすようなタイプではない。
 となれば、ここで直接王都を攻めてこないのは少々不自然だ。……王都を攻め落とす気がないのか……?
 だとすれば目的が何なのか。どうしてもそこで思考が止まってしまう。……まさか、封印の儀式が始まるまで、このまま静観を貫くつもりか? あるいは勇者が動き出すまで……?
 魔王軍の不気味な沈黙は、人間たちを焦燥へと追い立てる。早くどうにかしなければ……。早く戦力を集めなければ……。
 ……その想いは俺たちにも、共通している。
 もし、次があれば……。俺たちはあの魔王を相手に生き残れるのだろうか。……あの、シャルロッテだって、充分危険な相手だ。油断はできない。
 強くならなきゃな。俺も、仲間たちも……。
 でなきゃ、大切なものを守れないかもしれない……。

 俺が座禅を組んだ大きな丸石を中心にして、水の渦がのたうっていた。
 術式の名前は分からないが、以前敵対した魔族が使っていた魔術だ。
 奴らは魔法を二人分共鳴させるようにして発動させていたが、風魔法と水魔法を同時に使えば似たようなことはある程度できる。
 ……が、この魔術に攻撃力はほとんどない。奴らみたいな一撃必殺の破壊力なんざ、夢のまた夢だ。恐らく、これが奴らを特別たらしめた技術なのだろう。多重属性魔法には何か大きな欠陥が存在している。それを補わなければ戦力とは言いがたい代物だ。……困ったもんだな、まったく。
 まぁ、そうこうしていろいろやってくうちに各属性を満遍なく鍛えられてはいる。相変わらず風魔法ばかりが上達しているが、他の属性魔法が戦力になるのも時間の問題だろう。
 それに、工夫のしがいだってある。たとえば、以前同じく対魔族戦で使った魔術コンボ。風で真空状態を作り、そこに電撃を通すとか、な。蛍光灯なんかでも使われているんだったかな、真空放電という現象だ。
 こういうコンボなら、破壊力は容易に増強できる。つまりは使い方次第というわけだな。そのためにもまずは実験と調整が不可欠だ。
 風で真空放電が起こせるなら、その逆だってできるはずだ。……酸素爆発、とか。
 ちょっと結果が怖すぎて未だに実験できてないんだけども。空気の集中まではできそうだ。だが……。
 ただ集めてもなぁ……。酸素を集めることに意味があるんだが、現状それを選り分ける方法が思いつかん。集めるだけでも効果はあるだろうが……、もう一工夫欲しいところだよなぁ……。
 そんなことを考えながら俺はうんうん唸っていたんだが、

「バサ兄、バサ兄! 向こうで雨が降ってた、です!」

 ナズナがぱたぱたと駆け込みながら、そんなふうに知らせてくれる。
 ようやく標的のお出ましらしいな。ったく、待ちぼうけさせやがって。お陰で修行が捗っちまったじゃねえか。

――

 雨雲を背負って駆け回るとか、お前はどこのライコウだよと、ツッコミを入れたくて仕方ないが、ここには分布が見れる図鑑もないし、レポートもリセットも存在しない。
 修行しながら待つしかなかったわけだが、姿さえ見えちまえばこちらのもんよ。さぁさ、やっておしまい。

「……見失った、です」
「……やっぱり、逃げ足が速いですね……」
「クッ、……おのれモンスターめ!」

 仲間たちはそこそこに苛ついているらしい。待たされたからな。……そして、その間に猛特訓を課したからな。鬱憤が溜まっていることだろう。どうかこの辺りでそういうもんを一気に解消してもらいたいものだ。

「何度も何度も服を剥かれてたまるか!」
「……ツバサ様が何度も風でスカートを翻そうとしてくるので……」
「……アリ姉の服を何度も縫わされた、です!」

 ……ああ、そういう鬱憤ね。そりゃ仕方ないね。どうしようもないね。

「全ては魔物を一匹倒せば片付く問題だ……。覚悟しろよッ!」

 一同のしら~っとした視線に俺はにわかに傷ついた。でも負けない。そして、明日を信じてる。……もう泣かない。SPEEDっぽく呟いてみる。
 見上げた先には雨の滴る森がある。この先にいるのが、今回の目的……。
 種族名:〈クラウディ・ボア〉。与えられた個体名は《マッドシェイカー》。
 コイツが呑み込んだとされる冒険者のバッグ。その中には大事な倉庫の鍵が入っていたそうで、俺はそれを取り戻して欲しいという依頼のためにこの森へやってきていたのだ。
 ぬかるんだ地面を踏みつけた瞬間、それは現れる。

 ブゥオオオオオオオォォォォォ!!!

 体高3メートルはありそうな巨大なサイズ。口元からは聞いてた通りに霧を吐き出していて、巨大な牙がその内側から突出している。
 あまりのサイズ感に呆気にとられる俺たちだったが、状況は止まってくれるわけもなく、再び大きく唸り声を上げると、ヤツは唐突に突進を開始した。

「散開しろッ!!」

 頼れる騎士様、アリシアが先頭に立ってその顎を受け止めるが、ズザザザーー……と、引き摺られた後、そこからなんとか押し留まっていた。
 しかし、1トン以上はありそうな巨体だ。そう長くは押さえきれるわけもなく、山のような巨体は、そのまま弾かれるとナズナのほうへと向かってしまう――。
 ナズナはというと、恐怖を噛み殺すように歯を食い縛ったまま、人差し指を正面へ向けた。

「行く、です……」

 瞬間、轟いたのは雷鳴。放たれた雷がかの巨体を貫いたのだ。
 溜め時間は長くはなかったが、ナズナの魔術は日々更新されている。あの溜め時間でも充分な殺傷力があるはずだ。
 ……並の魔物であったなら、だけど。

 グ……、ブゥオオオオオ!! ブゥアアアアァァァァァ!!!

 しかしと言うべきか、やはりと言うべきか。個体名まで貰ってるようなヤツは一筋縄ではいかないらしい。
 致命傷には至らなかったらしいイノシシは、水蒸気の霧を口から目一杯吐き出しながら、地面を強く踏みつけた。

 ズォォオオオ……ッ!!

 不気味な音を立てて、地表が沼へと変わってゆく。……マッドシェイカーね。なるほどなるほど……。
 なんて感心して、俺はひとつの失策に気づく。沼に足が取られて全く身動きが取れなくなっていたのだ。
 そして、助けを求めようとして、それが自分一人ではなかったことを悟る。
 全員の足が地面に吸い付けられ、粘性の高い泥が身動きを完全に封じていた。
 そこへ、巨大な影が迫る。フシュルルル……、そんな薄気味悪い吐息がすぐ傍から聞こえてくる。

 死。

 それがすぐ背後まで迫っていること知った。
 そして、迫り来る凶暴な顎が俺の頭を噛み砕こうと大きく開かれ――

 『僕』は、〈翼白〉でそれを受け止めた。

「……気づいてないなら教えてあげよう。捕食者はキミじゃない。僕たちのほうなんだ」

 白い翼が一撫ですると水蒸気はたちまち立ち消え、泥は乾いてさらさらと零れてゆく。
 魔力を奪い、自らの力とする異能、〈翼白〉が敵の優位を根こそぎ奪い尽くしてしまう。
 あとは僕の役割など存在しないだろう。優秀な仲間たちがどうにかしてくれるさ。

 そして、僅か数分後、巨大なその身体は大きな音を立てて地面へと頽れていった。

――

 さて。
 まずはここでひとつ問題が発生したことを留意しておく必要がある。
 果たして。問題とは何か。
 それはオオイノシシの死骸を前にして提示されたものだ。
 そう。その問題とは……。

「……どうやってカバンを引っ張り出すんだ?」

 それこそが、謂わば最大の……、そう、問題だ。

「やっぱりお腹を裂くべきでしょうか……」
「これ、女の子がそういう物騒なこと言うものでないよ」
「……え、ツ、ツバサ様……?」

 顔を赤らめて、恥じらう菊花。女の子扱いされて嬉しいようだ。当たり前の配慮だと思うんだけどな。
 それにナイフで裂けるのかっていう問題もある。……見るからに皮膚も分厚そうだし……。

「……案ずるな、ツバサ殿。私がこの槍で真っ二つにしてみせよう」

 騎士様がやたらと張り切っているが、それだってやはり問題がある。

「カバンを避けて真っ二つにできるんなら、やってみせてくれ」
「……あ、うぅ……それは……」

 相変わらずこの騎士様は目の前のイノシシ並に猪突猛進だ。もう少し人間の知恵というものをだな……。
 そこへおずおずと挙手したのは、ナズナだった。

「じゃあ、ナズが口から入ってくる、です」

 おいおいおい、何平然ととんでもないことを言ってるんでしょうかね、このロリっ子は。
 よく見てくれよ、あの口を。
 事切れてだらしなく滴る涎。内蔵も破損して出血してるらしく、ぐちょぐちょした赤い粘液も見受けられる。
 どう控えめに考えてみても、100%明らかに気持ちが悪い。今時バラエティ番組の罰ゲームだってもう少し良心的だろう。
 なのに、ナズナはおもむろにその口をこじ開け牙に手を掛けて、口内へ侵入しようとしている。

「ナズナ、待てって! それはもう少し考えてからにしよう! な?」
「バサ兄、止めちゃダメ、です。……女には逃げちゃいけないときがある、です」

 ……どこで覚えたんだ? そんな言葉……。
 呆気にとられる一同を一瞥することもなく、ナズナの口内大冒険は幕を開けたのだった。

――

「……取れた、です」

 巨大イノシシだったものの口から、よじよじとナズナが這い出てくる。
 手に持っていたのは、確かに丈夫そうな本革のカバンだ。……カバンもナズナもベタベタのドロドロになっているが……。
 ちょっと受け取るのを躊躇うなぁ……。俺は指だけで摘まむようにしてそれを受け取った。
 ナズナはベタベタの粘液を滴らせながら、実に楽しそうに笑う。
 ……服の上からでも分かるくらいに、尻尾が揺れていて、耳もピクピクと動いている。……まるでフリスビーをキャッチした犬みたいだな。
 俺はベタベタになるのを覚悟してごくりと喉を鳴らすと、その少女の頭を撫でてやった。
 ……えっと、ナズナさん? 嬉しいのは分かったから擦り寄ってくるのはやめようね、汚れちゃうから。
 しかし、一歩俺が下がると、途端にその表情が曇ってしまう。

「……バサ兄、ナズのこと、キライ、です……?」

 ああ~~~~もう、分かったよ! 後でもっかい泉に行こう。そして、洗濯すればいいんだろ? 分かったってんだよ、チクショウ!
 よーしよしよしよしよし……!!
 動物系バラエティにも出れそうなくらい、良い子良い子してやった。俺まで全身ベトベトになるが知ったことか。
 苦笑いの従者と騎士様など知ったことか。ナズナたん可愛いよナズナたん。
 ナズナの浮かべた満面の笑みがあまりに印象的な一日だった。



to be continued...