天壌命の人間倶楽部


圧倒的な美貌とカリスマを持つ美少女、天壌命は幸薄い少女に興味があるようで……。元々掌編だった話ですが、ちょっと構想が思いついたので急遽シリーズ化。不幸ネタが思いついたら続きます。不定期更新。

第三話"加虐体質"①序文

 日の差さない校舎裏。そこには4、5人の女子生徒たちがいた。

 人目に付かないその場所で、あたしはミユキを突き飛ばした。
 バランスを崩して尻餅をついたミユキ。その視線は恨みがましくあたしを捉えていた。

「なに? なんか文句あんの?」

 あたしは苛ついた声でそう訊いた。

「違うの、お願い聞いて! わたし、そんなつもりじゃなかったの!」

 その声は必死だ。目尻には涙なんか浮かべている。可愛いね。いいこいいこしたい。しないけどw
 あたしは蹲ったミユキのお腹にローファーの爪先を叩きつけた。

「……っ!!」

 ミユキは声にならない悲鳴を上げる。

 あ~あ~、歯なんか食い縛っちゃって。そんなに悔しいのかな。それとも苦しい? やめたげよっか? やめないけどw
 ゲシ、ゲシ、とあたしは執拗にお腹を蹴りつける。その度にミユキは目元に涙を溜める。

 あ~ヤバイ。すっげそそるわ。興奮しちゃう。もしあたしが男だったら勃起してたわ、マジで。
 けどさ。蹴ってるだけじゃ満足できないんだな、これが。だからあたしは一歩先へ進む。

 この先を思うだけで、なんかもう、ゾクゾクしちゃうなぁ。思わず背筋が震えちゃう。
 あたしはしゃがみ込んで、ミユキの顔を覗き込む。

 その表情は屈辱に塗れている。

 泣くのを堪え、しかし我慢しきれず。誰かに助けを求めたくてもそれは果たせず。この周囲にいる人間は彼女に味方しない。だというのに、一縷の期待を込めて見上げる視線。そしてその期待を裏切られるという落胆。そこから来る絶望。

 ヤバイ。すっげイイ。
 なんか、こう、メチャクチャ可愛い。愛しい。好きだ。愛してる。結婚しよう。一生一緒にいてくれや。そんなふうに言いたくなる。言わないけどw
 ああもう、辛抱溜まらん。あたしが男ならひん剥いて犯してるところだね。でも残念、あたしは女の子なんだ。

 だから、欲情しても突っ込む棒はないし、欲情しても発散する精もない。
 滾る欲望は底を知らないし、膨れ上がる欲望は解放を知らない。

 だからあたしは満たされないし、この子もずっとこのままだ。釈放なんてない。
 哀れで皮肉で滑稽な寸劇は幕を下ろさない。
 ずっと。ずっとこのまま。

「ねぇ。あんた、調子ノってるよね? そうだよね?」

 あたしは、低い声でそう訊いた。救いを与えない声でそう訊いた。
 目の前の少女が絶望に突き落とされる様を堪能しながらに、そう訊いた。

 やがて、少女の中でコトン、と何かが落ちる音がした。それは物理的な現象とは違う、抽象的な変化だ。
 例えるならそれは。希望の扉の、錠が閉ざされる音だろうか。

 あたしは思わず、笑ってしまう。

 そして、少女は意を決したかのようにこう言った。

「……わたし、調子にノってました。……すみません」

 あはっ。これはこれは。楽しくて仕方がない。
 話の流れがこういうふうになってしまったら、だって、そりゃあもう、しょうがないじゃない。

「じゃあ、お仕置きしなきゃいけないねぇ……」

 うふふ、うふふふふ……。

 あたしの笑いに続くようなやつは周りにはいない。だけどそれでもいい。
 だって楽しいんだもん。同意するやつがいるかどうかなんてどうだっていいじゃん。

 今日からしばらくは、おもちゃに困ることはなさそうだなと、あたしは独りごちるのだった。

第三話"加虐体質"②継文

 攻撃は最大の防御というけれど、これは真理だ。何故なら、あたしが身を以てそれを立証したからだ。
 とはいえ、あたし一人だけでは確定的と言えるほどの材料は揃えられないかもしれないけど。まぁそんなことはさておくとして。

 あたしは、身を守るために攻撃をした。攻撃という手段を選んだ。
 これは過去形ではない。
 あたしは今までずっと攻撃をし続けてきたし、これからもそうだろう。変わるつもりもないし変わる理由もない。だから一生このままだ。
 だから、あたしにとって、攻撃とは最大の防御。それは決して変わらないだろう。
 大地震が起きても地球が割れたりしないのと同じように。大津波が起きても地上の全てが海に呑み込まれないのと同じように。
 万有引力とか質量保存とか、そういう世界の基礎のもっと根っこの部分に近しい法則性。決まりきった事実。分かりきった真実。

 あたしは、攻撃をしなければならない。
 そうしなきゃならない。
 これは生物学的にいえば呼吸とか、心臓の鼓動とか、そういった基礎代謝の部分に近いのかもしれない。
 あたしは生きるうえで誰かを攻撃しなきゃならない。そうしなきゃ生きていけないのだ。
 例えるなら食事のようなものかもしれない。
 誰かを殺し、糧にする。ああ、これは比較的近い表現だ。相応しいと言えるだろう。

 さしずめ、当面の餌はミユキだ。
 しばらくの間はこれで凌げることだろう。
 
 ミユキは職員室の扉を叩いていた。
 その顔色は優れない。まぁ、昨日の今日だからね。当然といえば当然だ。
 職員室から顔を出したのは生徒指導の山岸だ。ゴツイ身体に毛深い手足、おまけにデカイ声と女子に毛嫌いされる要素も三拍子揃ってる。
 訪ねた理由は言うまでもなくイジメの相談だろう。
 切羽詰った様子で訴えかけるミユキ。それを見るあたしたちは馬鹿笑いしている。
 あは、だってさ、予想通りなんだもん。アンタのその行動はさ、とっくに読めてるんだよね。だから、おかしくて仕方ないよ、マジで。
 山岸は、途端に青白くなって「か、勘弁してくれっ!」と職員室へ逃げ帰ってゆく。
 ミユキは必死に訴えようとするも、その扉はもう開かない。その表情は絶望に彩られる。
 あたしたちはそれを眺めてゲラゲラと笑う。腹筋崩壊っ! やめて死んじゃうww

 あたしたちの標的は何も一人とは限らない。状況によっては複数を対象にもする。
 たとえば生徒指導の山岸。
 イジメられた振りをしてあいつを呼び出し、罠に嵌めた。何度も何度も。くだらない正義感を振りかざして登場する山岸はカッコいいね、惚れちゃいそうw
 ある日は半裸の女子生徒を用意してご対面した瞬間をカメラで押さえたり、またある日はその写真を餌に釣り出してフクロにしたり。
 そうしてアイツにはトラウマを植え付けてやった。
 かよわい女子生徒という立場を利用すれば警察は生徒指導の味方になんかならない。世界はそういうふうにできてる。
 そう、世界はあたしたちにとことん甘く作られてる。だったらそれを利用するだけだ。

 もう山岸も、それどころか既に教員のほとんどがミユキの味方になんかならないだろう。
 あの必死の訴えも、彼らには罠に嵌めるための演技にしか見えないのだから。
 そういう疑心暗鬼の状況を作り上げた。
 全てはミユキ、アンタを貶めるためにね。
 ふふふ、あはっ、あはははは……!
 おかしいね。笑うしかないよね。

 ……アンタはもう、おしまいだよ。

第三話"加虐体質"③継々文

 誰だって、相手にされないことは恐ろしいものだ。
 人は一人では生きられない生き物だ。繋がりを求めずにはいられない生き物だ。
 だから誰もが考える。どうやったら構ってもらえるのか、と。
 優しい言葉を掛ければいい? 面白いことを言えばいい? 可愛くアピールすればいい? クールなほうが印象良いの?
 だけどどれも違う。そんなのあたしじゃない。あたしらしくない。
 じゃあ、あたしってどんなさ。
 回答。それは『攻撃』。
 それが一番確実だった。
 誰だってそうだ。攻撃されるのは嫌だ。避けたい。ならばされたらどうするか。リアクションをするしかない。
 嫌がったり、泣いたり、反撃したり、誰かにチクったり。
 構って欲しければ、攻撃するのが一番だ。それがあたしの導き出した結論。
 でも、そういう生き方は、それはそれで風当たりは強かったりするんだけど、ぶっちゃけそれでも良かった。
 人と会話するためのあれこれを考える苦痛に比べれば全然マシ。
 人と上手く会話するのって難しいよ。ムリムリ。不可能。
 だからさ、あたしは攻撃を繰り返した。執拗に、繰り返した。
 そしたらそればっか、上手くなった。相変わらず人とは上手く話せないけど、相手を追い詰めることだけは得意になった。
 今のあたしなら出会い頭の人間でも10分で土下座させられるよ。ははは、これあたしの唯一の特技w マジうけるわw
 誰も彼もを苛めてきた。可愛がってあげてきた。
 だってーのにさ。あたしは今、ここに一人だ。

 あたしは目の前の空いた席を見つめていた。

 教室はいつも通り。皆は何食わぬ顔で過ごしている。
 ありふれた日常風景。何の変哲もない教室。
 ただ、ひとつの空席だけが忘れ去られたみたいに取り残されている。
 皆は気づいていないのかな。もう覚えていないのかな。
 遠い過去の思い出みたいに、捨て去られてしまったのかな。
 ここには、つい昨日までミユキという生徒が座っていたはずなのに。
 なのに今は空っぽだ。何もない。
 机の中にも何もない。あたしの机とは違って置きっ放しの教科書とかノートもない。いつ配られたんだか分からないような謎のプリントとかも一切ない。
 本当に何もないんだ。
 まるで、彼女が昨日までここに居たという事実すらなかったことのように、見事に何もない。
 分かってる。ああ、もちろん分かってるよ。
 あたしにはそれを憂う資格なんか全くないんだってことも。

 あたしには何もなかった。
 人と話すきっかけすらなかった。
 攻撃する以外にコミュニケーションを取る手段が分からなかった。
 あたしには、それしかなかった。
 それしか思いつかなかったし、そればかりをやってきた。
 あたしはそれしかできない人間だから。
 けど、それは力加減が難しいんだ。
 控えめに過ぎれば、あたしは満足ができない。消化不良で胃の中がムカムカする。
 大袈裟に過ぎれば、相手が耐えきれない。その場合は相手が居なくなる。
 今回みたいにね。

 ミユキはその日、無断欠席をした。

 考えるまでもなく分かることだ。
 学校にいることが耐えられなくなれば、休みもするし、転校だってすることだろう。
 こうやって、標的が居なくなることは、今までもままあった。
 だから、別段、特別な感情が引き起こされるということはない。
 ああ、またか。そう思うだけ。
 最初の時みたく、激しく苛ついたりはしない。もう慣れっこだ、こういうのも。

 結局、あたしは何がしたかったんだろう。
 あたしはいつだって、独りになりたくなくて、構って欲しいから攻撃をしている。
 コミュニケーションの手段として、攻撃という手段を選び続けている。
 結果、あたしは独りになる。独りぼっちだ。
 標的さえ決まれば、ついてくるヤツらはいる。けど、別に仲間ってわけじゃない。そういう時以外は特に話す機会もない。
 まぁあいつらはあいつらでツルんでるときもあるんだろうけど、そこにあたしはいない。
 あたしの居場所はない。
 攻撃をするときだけに、ヤツらは集まる。
 その習性はなんなのか。ヤツらも攻撃を求めているのか。あるいは矛先を向けられないための防御策なのか。
 いずれにせよ、攻撃以外のコミュニケーション能力を持たないあたしにはそれは分からないし、というか正直どうだっていい。
 攻撃して、楽しんで、逃げられて、他の標的を見つけて、また攻撃する。
 それの繰り返しだ。無限リピート。
 そんなもんだ、あたしの人生なんて。
 それで充分だし、むしろ望むところだったりする。
 
 しかし……。

 そうなると途端に手持ち無沙汰になる。
 今日はどうしよっかなー……。
 あたしはお決まりの巡回ルートを巡りながら観察する。
 目に映るのは平和的な学園風景。あたしみたいな攻撃者の存在が嘘みたいに思えてくる。
 談笑する生徒たち。愚痴っぽい世間話に興じる子たち。う~ん、……退屈だ。
 標的なんて、ホントは誰だって良いのだ。そんなことは分かっている。
 けれど、あたしは選別せずにはいられない。
 あたしの感覚は少しずつ変わっていっている。
 昔はただ、暴力的に嬲ればそれで満足だった。
 だけど次第に、精神的にも服従させずにはいられなくなった。
 そのうち、服従する過程を如何に楽しむかに重点を置きだした気がする。
 よく覚えていないが、たぶんその頃から、この選別作業は行われているのだと思う。
 あたしはいつのまにか、攻撃することに快楽を見出している。
 だからなのだろう。より楽しく攻撃できる相手を探してしまう。
 満足度の高い手合いを探してしまう。

 おっ!

 彼女を見つけた瞬間、あたしはまた、胸の中で高鳴るような沸き立つような感情に呼吸が苦しくなった。
 たぶん、顔も茹でダコみたいに上気していることだろう。
 あたしは怪しまれないように歩きつつも、網膜に焼き付いたその光景を脳細胞にインプットさせていた。
 黄色いリボン。一年生か。あとで名前を探っておこう。
 あたしはそう思いながら、巡回を終えた。
 緩んだ口元のほうは、ちょっと隠せそうになかった。

第三話"加虐体質"④継々々文

 狙い澄ましたように、あたしとあの子はぶつかった。
「おっと、ごめんよ」
 あたしはそう言って、あの子が取り落とした学生鞄を拾ってやる。
「……あ、あの……。あり、ありがとう……ございます……」
 あの子はそう言って、恐縮したまま後ろ向きにその場を辞した。
 あたしが渡したその鞄が、あたしの学生鞄だとも気づかずに、あわあわとした挙動で逃げるように立ち去った。
 あたしは、それを見ながら笑みを隠しきれていなかった。

 学生鞄は見た目は全く同じものだし、結構強めにぶつかったから、手元を離れてしまい、一瞬とはいえ見失うのも当然だ。
 そこで自然に手渡されれば、それを自分のものだと勘違いして持って帰ってしまうのは自然な流れと言えるだろう。

 前にも一度使った手だが、あの時は勢いが足らずに相手に不信感を持たせてしまったりしたからね。上手い具合にぶつかれて、良かった良かった。
 
 さて。
 これで鞄のすり替えは完了。これであの子にイチャモンをつける下準備は整った。
 ついでに、情報も収集できる。
 あたしはしばらく歩いてから空き教室に忍び込み、おもむろにあの子の鞄の中身を漁った。
 中身は教科書、ノート、あとはプリント、筆記用具に弁当箱。……実にありふれた鞄だった。退屈な中身と言えばそれまでだが、化粧品などが含まれていないのは好印象だ。色気づいたガキはつまらない。もう充分相手取ったことだしなぁ。飽きちゃったよ。今はもっと変わった子に興味あるんだわ、あたし。
 そして……。
 ん……? にょろにょろと出てきたのは包帯だ。
 あれ……? あの子、怪我とかしてたっけ? どうだったかな、あんま覚えてないや。まぁいいか。制服の下に巻いてるかもしれないし、そこまで気にかけるようなことでもない。
 そして、包帯に引っ掛かって飛び出てきたのはカッターナイフだ。シャーペンなどが入った筆箱代わりの小物入れのチャックが開いていて、そこから落っこちてきたらしい。
 少し錆びてるかな……。ちょっと黒ずんでいる気がする。しばらく使ってないのかもしれない。まぁどうでもいいか。
 続いて、プリントを引っ張り出す。返却された小テストか何かだろう。英文とその訳が併記されている。点数は……、二十問中一問間違い。頭良いのかな、この子。あたしはテストにしろ小テストにしろ、○よりもレ点のほうが多いもんだから、なんだか見慣れない感じがする。そして一番大事なものは……。
「一年A組、硫崎茉水……ご丁寧にフリガナまで振ってくれちゃって……。良い子だねぇ」
 あたしは思わず、笑い声を上げそうになった口元を押さえる。あんまり目立つ音は立てられない。ここは一年生の教室がある階だしね。

 こうして筋道は出来上がった。今日のオカズは決定したよ。……ふふ、くふふふふ……。

第三話"加虐体質"⑤継々々々文

 人気の無い個室トイレ。
 そこにあたしと硫崎茉水は佇んでいた。
 ぴちょん、と蛇口から滴り落ちる雫くらいしか音源は存在しない。校内の喧噪もここからは遠く、どこか静謐な印象を抱かせる。
 茉水は嗜虐心を煽るようなおどおどした表情であたしを見つめる。あたしは、心が沸き立つのを感じた。
 この衝動はなんだろう。いつも答えに窮する。うまく表現できない、あたしの既知ではない衝動。
 なんというか、名前をつけてしまったら途端に陳腐な何かに成り下がってしまうような気がする。
 そんな軽々しく口にしてはならない言葉だ。
 大事に、大事に、しておきたい言葉だ。
 だから名前はいらない。固定観念を植え付けたくはない。
 それをそれたらしめるために、あたしはそれを名付けない。
 名前なんていらない。あたしが知っていればいいんだ。
 それをあたしは知っている。それを理解している。それこそが肝要なのだから、それの名称など取るに足らない事象に過ぎない。
 とにかくあたしの心はそれに支配されていて、あたしはそれに従うままに表情を形作る。
 あたしの、可愛い、茉水。
 好き好き大好き愛してる愛しい狂おしい心臓が張り裂けそうなくらい止められないその頬をその髪をその唇を欲しい奪いたい触れたい噛みたい噛み千切りたい傷つけたいボロボロにしたいグチャグチャにしたいあたしのものにしたい。
 あたしだけに触られてあたしだけに舐められてあたしだけに傷つけられてあたしだけに拭われていて欲しい。
 その脈動もその代謝もその存在もその衰退も全部あたしの手の中にあって欲しい。それ以外の場所にはいて欲しくない。
 あたしだけがあんたを傷つけられるあたしだけがあんたを求めるあたしだけがあんたを受け入れられる。

 ……ッ! 苦しいッ! なにこれヤバイ……。

 早鐘の心臓に吐き気すら浮かぶ。ヤバイ、好きすぎて吐きそう。
 一歩踏み出したあたしの顔を、茉水が見てる。見つめてる。
 顔色は蒼白で、瞳はうっすらと涙ぐんでいる。僅かに頬は赤い。
 あたしはともすれば噛みそうになる危うい舌遣いで予定通りの言葉を紡いだ。

「あんた、あたしの鞄盗んだよね……?」

 あたしが言い切るのと同時に、茉水の瞳から一粒の雫がこぼれる。

「ハイ……。……盗みました。すみませんでした、霧橋菜摘(きりはしなつめ)先輩……」

 フフ、そうかい。名前まで調べるなんて悪い子だねぇ……。そんな悪い子には、お仕置きが必要だよねぇ……?

第三話"加虐体質"⑥継々々々々文

 どうしてだろう。あたしは考えずにはいられなかった。
 今までにこういった行為に及んだことは何度もあった。だがしかし、ここまで熱が入ったことはなかったように思う。
 もちろん今までだって充分愉しかった。思い出せば口元が緩んでしまうくらいに気持ちよく虐めていた。
 けれど。
 高圧的な委員長に土下座させたときも。可愛い子ぶってる人気者をドブに突き落としたときも。調子づいたエリート気取りに犬の首輪をつけて辱めたときも。
 ここまで気持ちが高ぶっただろうか。
 こんなにも、胸の奥で燃えたぎるような感情が芽生えただろうか。
 果たして。
 堕ちているのはどっちだ?
 この子か? それともあたしか?
 支配されてる側はどっちだ?
 あたしのほうは、もう離れられそうにない。片時でも目を放せば、茉水がどこかに行ってしまいそうで怖い。
 この子がいなくなるのが、怖い。
 もう今では、家に帰るのすら辛いくらいだ。
 明日が待ち遠しいとかそんなレベルじゃない。手を放すのが怖いのだ。
 あたしが彼女を求めてる。茉水があたしを受け入れている。
 それだけで気がふれてしまうくらいに興奮している。
 願わくば、この関係が永遠に続けばいい。
 今までも何度か願ったその願いを、あたしはまたも祈らずにはいられない。
 それでもこの気持ちの強さだけは、今までとは全然別物だ。
 あたしは今までこれほど強く願ったことはない。
 これは本気だ。本気と書いてマジだ。
 茉水への思いと比べたら、今までの高ぶりは平熱みたいなものだ。もはや格が違う。
 ううん、同じ土俵に立つことすらおこがましい。

 ……そんなことを思いながら、あたしは茉水のポニーテイルを引っ張った。
「あぅっ……」
 そんな吐息が個室トイレに響いた。
 あたしは熱っぽい茉水の呼気を漏らさず吸い込むように、顔をずいと近づける。
 途端に茉水の匂いが強烈に鼻腔を刺激する。
 もちろん臭くなんてない。むしろたまらなく良い匂いだ。
 あたしは頬擦りするみたいに近い距離で囁く。
「ねぇ……、反省の色が足りないんじゃないの……? …………この前みたいに、アレしなよ」
 言うと、茉水はビクリと竦み上がると、やがてゆっくりと頭を垂れた。その顔はリンゴ飴みたいにまっかっか。
 あたしが靴を脱ぐと、茉水はゴクンと喉を鳴らした。ホント、見た目の割にはしたないんだから。でもそこが可愛いよ茉水。
 靴をわざとゆっくりタイルの上に置いた。茉水は胸元を押さえてじっと蹲っている。ふふ、物欲しそうな顔しちゃって。
 けど、あたしがソックスに手を伸ばすと、茉水はそれを捕まえるみたいにその手を重ねてきた。
「……どういうつもりさ。……茉水」
 茉水、と呼ぶとき、あたしはいつも少しだけ緊張する。思わず、必要以上に熱の籠もった発音になってしまいそうな気がして。
「私に手伝わせてくれませんか……、霧橋先輩」
 その声にも熱が籠もっているような気がするのは、あたしの気のせいだろうか。……それとも、そうあって欲しいというあたしの願望……? まぁどっちでもいいや。
「……先輩の手伝いをすることで、私の反省する気持ちが、……より伝わると思うんです」
 辿々しい口調で茉水はそう言った。
「そう……。だったら……、いいよ……?」
 あたしは手から力を抜き、茉水に任せることにする。
 茉水は「失礼しますぅ……」と真っ赤な顔であたしのソックスに掴みかかる。
 そしてぎこちない仕草でそれを下ろしてゆく。
 徐々に露わになるあたしのふくらはぎを見ながら、茉水は再び嚥下した。どれだけ緊張してるんだよこの子。
 少し焦れったくなるような所作でソックスを抜き取り、茉水はあたしの爪先に口吻する。
「! ……ふっ、……あっ……!」
 熱いっ……。
 触れた瞬間に嬌声が漏れた気がする。恥ずかしい。死にたい。
 でも、それ以上にゾクゾクする。背筋が震え上がる。
 気持ちよくて、温かくて、恥ずかしくて、逃げ出したくなる。でもずっとこうしていたいとも思う。
 自分でもワケ分かんない感じだ。ふわふわする。
 けど、実際問題、考えるだけ無駄だなって思った。
 だって動けないもん。
 気持ちよすぎて、高まりすぎて、もうワケ分かんないんだ。
 茉水の舌が、あたしの足の指を蹂躙してゆく。生き物みたいにうねうね動いて凄いことになってる。人間の舌って凄いんだな。温かくて柔らかくておかしくなりそうだ。
 あたしはぼぅっとした頭で、なんとなくそんなふうに考えていた。
 そういえば指ってのは歩行や日常などでよく使うから神経が集中しているとか、聞いたことがあったな。だから急所にもなり得るし性感帯にもなるとかなんとか。
 凄いな。もう腰にも力入らないや。そうして見上げた扉の上に。

 ……あたしは人影を見つけて身が竦んだ。

 目が合って、そいつはにやりと微笑を浮かべる。背筋も凍るような美しい笑みで。
「……あら。バレちゃった……。気にせず続けていいですよ。硫崎さん……」
「ん、ハイ……っれろ……ちゅ」
 いや、ハイじゃねーし! ちょ、何これ!? どういうこと……!?
 けど、その顔には見覚えがあった。つーか、知らない奴はこの学校にはいないだろう。
 美しすぎる学園の支配者、天壌命。
 あたしが、最も敵に回したくない相手がそこにいた……。

第三話"加虐体質"⑦継々々々々々文

 天壌命(あまつちみこと)。
 この町に住んでいて、彼女の名を知らぬものはいない。
 皆が口々に噂する。今日のミコト様はどうだった、こうだった、と。
 どうして誰も彼もが彼女の動向に目を向けているかというと、それは心を奪われているからだ。
 男ならば思慕の情を抱き、女ならば敬愛の念を抱く。
 その姿は麗しく、表情は美しく、見る者全てを魅了する。
 彼女の存在を知った者は一様にその心を奪われ、彼女を愛し、崇め、奉り始める。
 初めは家族、次に親戚、ご近所さんからクラスメイトまで。
 教師や他学年の生徒まで巻き込むのにそう時間は掛からなかった。
 そうして気がつけば、この町は彼女に汚染されている。
 あらゆる眼が、彼女を視ている。
 それがこの町の、異常性の正体だ。

 あたしは、転校生だった。厳密には転入生か。小学生の頃の話だけど。
 だからこの町の異常性にはすぐに気づいた。そして恐れをなした。
 だが、一緒に越してきた両親もすぐにミコト様に毒されてしまい、あたしは一人になった。
 まぁ、昔から加虐的な性向はあったから、以前から一人に近い状況だったのは変わらないけど。
 両親が奪われて、あたしは悟った。彼女を視れば、あたしもきっと『奪われる』。
 ならば彼女を視さえしなければ良い。
 そうすればあたしはあたしでいられる。あたしのままでいられる。
 攻撃したい。虐めたい。征服したい。この欲求を我慢できる。
 ああ、これでもまだセーブしてるんだ。日常が日常でいられるよう、加減をしている。
 だけど。
 彼女を視れば、視てしまえば。
 おそらく、そんな自制心も崩壊する。
 あたしはあたしでいられなくなる。
 そんな気がしていた。

 ……分かってる。分かってるんだ。
 あたしは正常じゃない。この町と同じように、あたしも異常をきたしてる。
 あたしは女の子が泣いて、悲しんで、苦しんで、痛がる姿に心ときめく人間なんだ。
 その対象にだってこだわりはある。
 全然好みじゃない子が虐められてても、ちっとも愉しくない。
 好きな子を虐めるのが醍醐味なんだ。
 だから、あたしは敢えて標的を変えた。
 歯止めが利くように、セーブできる相手を。

 だが、茉水はヤバイ。ヤバかった。
 いや、多分もう歯止めは利いてないけど。ギリギリ突破してる気もするけど。まだ、閾値は越えていないと思うんだ。
 そう、思っているんだ。

 けどさ。だけどだけど。
 天壌は絶世の美少女だなんて言うじゃないか。
 そんな話を聞いてしまったら、あたしは気になって仕方がない。気が気じゃなかったんだ。
 どんな表情で泣くのか。嘆くのか。喘ぐのか。
 気になって仕方ないじゃんか。

 ところがその顔が今、あたしの目の前に存在する。
 予想以上の美貌で。予想以上の色香で。予想以上に淫靡な表情を浮かべて。

 あたしの足の指をしゃぶっていた。

「ふっ……、あぅ……。くぅッ……!」

 あたしは声を漏らすまいとして、必死に息を殺していた。
 けど、呼吸は荒いし、手足はそのあまりの快感に震え出す。

 だってそうだろう?
 あたしの右足を茉水がペロるし、あたしの左足をあの天壌がペロってる。
 あたしは蓋を閉じた便座の上で、両手を抱えて身悶えしていた。

 手足は重要な部位だから、神経が張り巡らされている。敏感なんだ。
 それはつまり、性感帯でもあるってことで。
 それを左右同時に舐られれば、感じないわけがない。

「ダ、……ダメッ! もう、ダメぇ……。お、願い……、もう……ッ!」

 恥も外聞も捨てて、あたしは懇願した。
 おかしいだろ。こんなの。
 相手を貶めるつもりが、貶められていたのはあたしのほうだったってわけだ。
 認められない。認められるわけがない。
 こんなの。こんなの……ッ!

「……そんなに『先』が欲しいんですか? 霧橋先輩……」

 やめろ。そんな熱っぽい視線で問い掛けるな。吐息を吹き当てるな。よだれを垂らすな。
 淫らによだれの糸が天壌の口元から滴り落ちて、あたしのふくらはぎを濡らしてゆく。
 そんな火照った顔で見つめるんじゃない。茉水も、天壌の動作をなぞるんじゃない。
 必死になって理性にしがみつこうとするが、それが藁みたいに脆いことも分かっていた。

 天壌と茉水の細くて冷たい手がふくらはぎから、太腿へ、滑るように伸びてゆく。
 上るたびに背筋はピリピリと痺れ、昇るような感覚を得る。

 いい加減にして……、と思うが、もう舌も動かない。
 太腿をなぞる指がスカートに触れたあたりで、あたしの意識は果ててしまった。

第三話"加虐体質"⑧継々々々々々々文

 気づけばあたしは、空き教室の前にいる。
 この空き教室は、今ではあの、天壌命率いる謎の部活に占有されている。
 確か名前は……。

 人間倶楽部。

 意味は分からない。学校のヤツらだってみんな分かっちゃいないだろう。
 分かっているのはあのミコト様の聖域であり、不可侵の領域だということ。
 そこは非日常の扉であり、開ければもう決して戻ってくることのできない不知の領域だ。
 ヤツらはみんなそうだった。憧れ、敬い、羨望を向けながらも、その存在には必要以上に近づかない。
 ……いや近づけないのか。

 ヤツらにとって、ミコト様は神だから。
 だから近づかない。近づきすぎれば身を焼かれるとでも思っているのだろう。
 ……まぁ、もしかしたら。あれだけ敬愛している連中だ。ホントに身を焼かれるのかもしれない。つーか、どうでもいいことだけどさ。ホントに。

 あたしはその扉に、手を掛ける。

 ここが瀬戸際だ。あたしはあたしに問い掛ける。
 本当にこれで良いのか。

 一度踏み出せば、もうあたしは今のありきたりな日常には戻ってこれない。一切合切の価値観が切り替わる。
 あたしは今までのあたしとは違うあたしになる。
 あたしがあたしのままで居たいのなら、ここは開けるべきではない。

 けど――。

 あたしはそれを受け入れられるのか?
 茉水は? 天壌命は?
 昨日のあの出来事は……?
 あれを忘れて今までの日常に回帰できるのか?
 そんなことができると思っているのか?
 全部をなかったことにして、今まで通りの日常を送れるのか?
 本当にそんな真似ができるのか?

 ハハ、考えるまでもないわ。

 もう答えは出てしまっている。
 だからここに来たんだろ。
 今更言うまでもないことだ。
 分かりきってる。単純な回答だ。

 あたしの当たり前は。あたしの日常は。
 もう、この扉の外には見当たらないんだ。
 だから、これは、再確認。

 この先へ進むんだという再認識。

 扉の向こうから、楽しげな声が聞こえる。
 その女子生徒たちの笑い声は、ウチの教室とは違い、汚らしい笑い声じゃない。
 不快な声はしない。
 ささやかで、慎ましやかな語らい。
 愛しい、少女たちの談笑。

 あたしはその扉を握る右手に力を入れた。
 ガラガラと音が立ち、視線があたしに集まる。
 茉水に、天壌命、それから見たことのない女子も一人いる。
 あたしはその輪の中へ加わる。 

 あたしの日常が、今新しく始まる。

 あたしの人間倶楽部の活動が、今始まろうとしている。

 《幕間"切札遊戯"へ続く――》


to be continued...

第三話 あとがき

◆①序文
テーマはいじめっこ。とはいえ、今回も性的興奮を覚えるタイプのヒロインでなんだか二番煎じ感ぱないんですが……。
恥ずべき悪癖です。申し訳ありません。次回は違う話になりますので今回はご容赦ください。
今回はオチまでの大雑把なプロットは組んだので、脱線はしないはず……。たぶん……。
更新ペースはしばらくカメのペースになるかと思われますが、どうかよろしくお願いしますー。

◆②継文
・徐々に明かされる主人公の性質。
というかまだ名前出てきてないんですね……。
うっかりしていました。そろそろ出します。

・イジメしてる。
と書いてはいるものの具体的な手段がないとつまらないよなぁ。と思い、ちょっとだけ詳細に書いてみましたが、こんな女子生徒いたら怖すぎです。女子高生に囲まれて仕事できるなんて、教師というのは実に素晴らしい職業だなと思っていたのに夢を壊された感じがします。
いや、壊したの自分なんですけど。
次回から物語が動き始める予定です。がんばります。

◆③
・ようやっとモノローグが終わり、第三話の物語が始まりました。
起承転結の承と転の間くらいになるかと思います。
あと1,2回くらいで終わるかな。

・ミユキさんは不登校になりました。
戻ってくる頃にはいろいろ変わってるんじゃないかなぁ。

・ヒロインの名前。
結局次回持ち越し。どうやって書けばよかったんだろうなぁ。

・次の標的。
登場キャラが少ないので予想は容易いかと思われます。
まぁ新キャラかもしれないけどね。

◆④
・また小刻みになってきたような……。
進みが遅いですね。すみません。

・ヒロインの名前。
もうちょっとお待ちください……。

・茉水
ようやく再登場。というかバレバレだったような。

・鞄すり替え
無理があるような気がしなくもないです。
でも鞄の中身の描写は上手く書けたと思ってます。

・次回からは本格的に絡みが書けるかな。どうかな。

◆⑤
・ようやっと出ましたよ。ヒロインの名前。
霧橋菜摘(きりはしなつめ)と言います。
なつみじゃないよ!

・ていうかスローペース!
……本当にすみません。

・次回。
そろそろ終わる予定です。

◆⑥
・終わらなかった……。
茉水と菜摘の密事を書いてたら調子にノっちゃって書き切れませんでした。すみません。
でもエロく書けたと思うので良かったです。愉しかったです。

・次回。
今度こそ第三話、了……となれるようにがんばります。

◆⑦
・お久しぶりです。サボってました。すみません。

・……そして、終わりませんでした。
調子に乗ってエロい文章書いてたら、オチまで辿り着けませんでした。まる。
それにしてもサブタイトルの『々』の数がエライことに……。
あと、どうでもいいけど、強気な子が攻められて、思考が蕩けていく構図は大好物です。うへへ。

・今回は霧橋から視た天壌というのを書いておきたかったのです。

・次回こそはオチまで書きます。
ここまで長くなる予定はなかったんだけどなぁ……。

◆⑧
・優先順位の関係で遅れてましたが、どうにか第三話完結です。
エピローグ的なシーンも入れようかと思ってたんですが、次回の幕間がまさしくそんな内容なので割愛。

・そんなわけで次回は幕間回の予定です。変わるかもしれませんけど、予定です。
一応、その後も展開は考えていて、候補は二つくらいあるのでいずれかになるかと。

・公開時期
これはもう完全に未定です。
キリも良いのでしばらくお休みしてもいいかなぁとは思いつつ、感覚を忘れないうちに幕間を進めるべきかなぁとも思うので、たぶんどっちかにはなります。
あまり期待せずにお待ちいただければ幸いです。

・余談。
「慎ましやか」をずっと「つつしまやか」と発音していました。あれ……変換できないんだけど……アレー? と首を傾げること数分。ググったら出ました。
こんなバカでも小説らしい文章は書けるものです。意外と簡単なんだね! これを機に、みんなも小説を書いてみよう! きっと新しい世界が開けるぞ!