SCARLET IRIS -緋き炎龍-

長篇です。ファンタジー×冒険×バトルもの。4部構成の1部目。人間族と妖精族の暮らす世界。外の世界を何も知らない妖精族の青年は、一人旅立つ。手には身の丈ほどの大剣を握り締めて。

序章 ≪血塗られた赤き死神 -Elf=Redfieeld-≫

 それは、一万年もの昔の物語になる――。

 赤い斜陽に空は彩られ、赤い焔に人家は焼かれ、赤い死化粧に屍体は飾られ、世界は一色に染め上げられた。
 立ち込める煙は、まるでつんざくような異臭を放っていた。
 人の屍肉の焼けた臭いだ。
 ――終わり、なのか……
 黒煙の立ち込める中、男は吐き気すら忘れ、震える足で立ち上がる。
 立派な髭を蓄えたその男は豪奢な外套を羽織っていた。背中には一つの紋章。この国の住人ならば必ず一度は見たことのある鷹の刻印。それは、王家の血筋に連なる者のみが背負うことを許される特別な象徴だ。
 しかし、今や男の服は血に塗れ、所々が擦り切れてしまっている。
 満身創痍、そのものだった。
 かつては王であったその男も、国を失ってしまえばそこには、権威もプライドもない。亡国の王とはいえ、それは只の一人の人間に過ぎないのだ。
 国家の集合体、その頭角というものは、多くの手足があって始めて成り立つものだ。一人では何も出来ない。哀れな子羊に等しい存在だ。
 血まみれの男は目の前を凝視していた。その先には一人の若者がいた。
 と言っても、正確には若者という言葉は適切ではないだろう。相手は人間よりも遥かに長い寿命を持っているのだから。
 だが、見たところはまるで青年だ。そんな彼の、温度を感じさせない双眸が静かに光を放っている。
 男は目の前の青年の姿をした存在に問い掛けた。
「何故、我らを殺めるというのか……ッ!」
 男は唇の端から血を滴らせながら言葉を吐く。一言一言を放つ度、確実に自らの命を蝕んでいた。
 青年の姿をした彼はそれに答えず、ただ、俯いているだけだった。
「ガ、ハ――ッ!」
 やがて男は力を使い果たし、そのまま地に倒れ伏す。
 男は眼を見開いたまま、絶命する。

 青年の姿をした彼は、そんな男の様子をただじっと見つめていた。
 案じることもなく、蔑むこともなく、感情を感じさせない眼がその屍体を射抜いていた。
 網膜に焼き付けるかのように凝視したあと、彼はふいに男から視線を外した。
 そして、そっと呟く。
「我が名はエルフ=レッドフィールド。人の歴史を終わらせる者だ」
 言うと、そのまま歩き始めた。
 太陽は西の山脈に顔を埋めている。
 茜空は夜色の幕を下ろそうとしていた。
「恨み言なら、≪向こう≫で付き合おう」

――

 この時代に起きた闘争は『妖精戦争』と呼ばれている。
 高度に成長しすぎた文明の反動と言うべきか、増え過ぎた人口は『人間』に侵略という道を選ばせた。
 『人間』と共に暮らしてきた同胞であった者。今では疎まれる存在。力では決して叶わない『人間』の上位種。犠牲となった彼の者たちの名は、『妖精族』。
 『人間』は選んではならない道を選んでしまった。――即ち、『妖精族』の殲滅という名の道だ。
 人口が増えれば土地や金銭、食料などが足りなくなる。生産量にも限りがあった。増やすための努力、減らさないための努力、生き残るための努力。もし、それだけの努力でも足りなかった場合、生きる為の糧は一体どこから得れば良いのだろうか。
 『人間族』にとって、選ぶことの出来る選択肢はあまりにも少な過ぎた。
 ――ならばそう、奪えばいい。
 例えば、いつも『人間』より優位に立っている彼らから。永い寿命、丈夫な身体、大きな力を持った彼らから――。
 今まで敵うことのなかった相手。勝てることの出来なかった相手。解り合うことの出来なかった相手――。
 『妖精族』と戦う。
 『人』は次第に決意してゆくのだった。
 研究は、ささやかに始められた。『妖精』を殺すことの出来る兵器を開発する研究だった。
 『人間』はフラスコの中に夢を浮かべた。
 肉体的にも、精神的にも、『人間』を遥かに越えた上等種。彼らにはない強い欲望の心だけが、彼らを越える唯一の手段であると信じて。
 そして、数年後、『人間族』の侵略が始まった。
 『妖精族』は争い事を拒み、ただ『妖精族』の屍が積み重なるばかりだったが、『妖精王』の崩御を期に、王位継承権第一位の王子が『人間族』に反旗を翻す。
 このとき、既に『妖精族』は『人間族』の十分の一以下にまで勢力を縮めていたが、『精霊』の力を借りた『妖精族』の一軍、『龍騎衆』の活躍により、勢力図は急変。倍数以上の軍を相手に『龍騎衆』は獅子奮迅の活躍を見せ、文明兵器を根絶するに至る。それは正に驚異的な戦力であったという。
 そうして、『妖精戦争』は終結した。『妖精』側の圧倒的な勝利が世界を蹂躙したのだった。それは秘めたる『妖精族』の力の一端だったのか。それとも、それほどまでに彼らが力を借りたという『精霊』の存在が、大きな勝因となったのだろうか。いや、もしかしたらその両方なのかもしれないし、それ以外の要因による勝利であった可能性も否定できない。
 とはいえ、その戦争が残した爪痕はあまりに深かった。
 世界の主要都市は焼け野原と化し、機械を再現するための情報、材料、そしてその為の知識の全てが世界から消え失せた。
 文明は数千年の逆行を余儀なくされた。
 そして、『妖精族』は『人間族』の前から姿を消した。二度と下らぬ諍いを起こさないために。

 それが、一万年前に起きたことだとされている。
 しかし、これは『妖精』側の主張である。『人間』側の主張は知れない。関係性はほぼ断絶され、既に一万年の年月が経過しているのだから。

――

 そして現在――
 『妖精戦争』から一万年後――
 『妖精族』の隠れ住む村、『エルフの里』。
 そこには百人程の『妖精族』が暮らしていた。

第一章 ≪エルフの里 -“REDFIEELD”-≫

 『妖精』の人生は森から始まり、森で終わる。
 『妖精』は生涯、森の外には出ずにその一生を終える。
 『妖精』は千年近く生きる種族だ。つまり、全ての『妖精』は、その千年間森の中から一歩も出ることなくその一生を終えていることになる。
 ――千年間もずっと『森の中』で暮らしていくだなんて。それは、なんてつまらない、なんて退屈な生き様なんだろう。
 正面でのたうつ大樹の根に、男はなんとなく視線を送っていた。
 『妖精族』の青年である彼の名は、フレア=レッドフィールド。男にしてはやや長めの黒髪を風に揺らし、彼はただ立ち尽くしていた。
 彼の年齢は今年で150歳。生まれてから150年経てば、人間だったらとうに墓の下にいることだろうが、『妖精』としてのその年齢は、まだ若い年齢に該当する。周りと比べるとやんちゃなお年頃とさえ言われるほどだ。
 そんなフレアには、他の『妖精』とは大きく異なる特徴があった。
 まず、一般的な『妖精』は絶対と言っていい程怒ることがない。だが、フレアはあまり気が長いほうではない。店でラーメンを注文して30分待っても出て来ない場合、いつまでも待ち続けるのが『妖精』。キレるのがフレアだ。そもそもほとんど食事を必要としないのが『妖精』。一日五食、一食あたり五人前は軽く平らげるのがフレアだ。
 他にも些細な違いは数多く存在するが、一番大きな違いは外界に対する好奇心だろう。
 フレアは里を出たいと思っている。だが、一般的な『妖精族』は里を出ようとはしない。フレアにとってはそれが一番理解できない。
 森以外の風景を見たいとは思わないのか。いろんな場所を自由気ままに巡ってみたいとは思わないのか。退屈だとか、窮屈だとか、つまんねェからどっか遊び行こうぜとか、思わないのだろうか。
 フレアはつくづくそんな考えに支配される。
 フレアは幼い頃、十代か二十代の頃、里長に相談したこともある。
 そのとき、長はこう言った。
 かつての英雄、エルフ=レッドフィールドも激しい気性の持ち主であったという。
 まるで人間のように笑い、怒り、泣き、苦しみ、生きていたのだと。『妖精』としてはまるで異端児あったという彼だからこそ、『妖精』は反旗を翻し、人間と戦ったのだと。
 だからその末裔であるフレアが『妖精』らしくない心を持ち合わせていようとも、それは気にする必要のないものだ。己の信じるままに生きてゆくのだと、そう教えられた。
 それからのフレアは真っ直ぐに、迷うことなく生きてこられたように思う。
 しかし今、再び迷いが生じている。
 里を出たい。その思いは日に日に強くなっていくばかりだった。
 『里を出てはならない』。その掟が今、フレアの胸に突き刺さっていた。
 妖精の寿命はおよそ千年。
 故に一万年前の争いの記憶を継承する者はこの里にもいない。伝承として伝え聞くだけの知識しか存在しない。
 その『知識』は、人との関わりを断つべきだと語った。そうしなければ、またかつての戦乱を繰り返す結果になる、と。
 人との接触を断つには、人の近づかないような場所に隠れ住むしかなかった。どちらかが死に絶えるということ以外に、『人間族』と『妖精族』の争いを止める方法はそれしかなかった。
 そうして、妖精は深い森の最奥で、ささやかな生活を送っている。
 だが、それはまるで『犠牲者』だ。フレアはそう思う。
 『争いの犠牲者』と言えば、それはこの世界全てだろう。『人間』は便利な機械文明を失い、『妖精』は自由に暮らす権利を失った。
 争いが終わって一万年。『人間』は文明を新たに築きだしているのだろうが、『妖精』には未だ自由はない。森の最奥に幽閉されたままだ。
 『妖精』だけが未だに過去を引き摺っている。
 そんなものは不公平だ。
 不自由を苦痛と感じないのであれば、それは自由と呼べるものなのかもしれない。多くの妖精は森の生活に満足している。
 だが、満足できないのであればそれは、牢獄と同じだ。
 フレアと他の妖精との生活は何も変わらない。フレアは他の妖精と同じように生活している。食べるものも着るものも住むところもある。困るようなことは何一つない。他の妖精はそんな生活を『幸福』であると言う。だがフレアはそうは思えない。
 これは『不幸』だ。フレアにとってはそうでしかない。外に広い世界があるにもかかわらず、狭い森の中で千年の寿命を終える。そんなものは一切許容することはできない。
 だがそれでいいのだろうか、ともフレアは自身に思う。狭い里の中でもそこにはそれぞれに役割が存在する。確かにひとつの社会が存在しているのだ。外へ出るということは、その役割を放り出すということに他ならない。責任を放棄し、誰かに押し付け、逃げ出すことに他ならない。
 仮にそれをしたとしても、誰もフレアを責めたりはしないだろう。『妖精』とはそういう生き物だ。その程度のことで腹を立てる者などいない。
 だが、フレアはそれを嫌だと思う。怒られなくとも迷惑は掛ける。それに、自分の役割を押し付けるということに何も感じないような腑抜けに生まれたつもりもない。
 結果。
 フレアは沈み込む。一人で思い悩む。思索に耽る。
「……自分の弱さを、斬り捨てられたなら――」
 どんなに楽だろうか。
 言って、フレアは既視感を抱いた。
 ――前にも、あった気がするな、こんなこと。いつだったろう、こんな感じを……
 頭の中に描かれていた虚像。それは確かに既視感のある形だった。
 より確かな感触を求めて腕を伸ばす。が、あと僅かといったところで虚像は霧散してしまう。
 フレアはその日、釈然としない思いで一日を過ごした。
 
――

 片手剣が鞘に納まる。納刀時の金属音がささやかに響く。
 少女は凛とした佇まいでそこにいた。
 見た目17歳くらいの黒髪の少女だった。ポニーテールに結わった髪が放たれた技の余韻に揺れていた。
 少女の周りには土煙が舞っている。放たれた一撃に大地は砕かれ、巨木が大きな音を立てて倒れてゆく。
「もう終わり? 準備運動にもならないんだけど」
 少女は呆れたように言う。しかし視線はそうは言っていない。
 視線の先には黒髪の青年、フレアが蹲っていた。
 起き上がろうとする彼に、少女は手を貸そうとはしない。
 立ち上がるのを分かっているかのように、少女は期待の色が込められた瞳でただ、その光景を見つめていた。
 フレアは痺れた身体をじわりじわりと持ち上げる。
「ったく、少しは年上を立てるとかして欲しいんだけどな」
 限界点に近いのだろう。お世辞にも元気とは言えそうにないダメージがあった。
 ――気を抜いたら倒れちまうだろうな、これ。
 だがそれでも、剣を強く握り締める。
 ――戦うと決めたら剣を振るう。斬ると決めたら叩っ斬る。勝つと決めたら、絶対に倒すッ!
 フレアは右手に握られた身の丈程の大剣を水平に構える。切っ先は目の前の少女に向ける。刺突の構えだ。
 戦法などない。ただ、突っ込むだけだ。それこそがフレアの得意とする戦い方だった。
 渾身の力を込めて、全身全霊の一撃を振るう。
 フレアにはそれしかない。この戦い方しか知らない。
 愚直なまでに全力な一撃。
 少女はそれを見て、くすりと笑う。
「台詞の割には乗り気じゃん。いいよ。……、来なッ!」
 少女は自然体で構えたままだ。
 だが、それが彼女のスタイルでもある。
 彼女の戦術はいつも変わらない。全ての攻撃をかわし、同時に神速の一撃を浴びせ、相手を沈める。それだけだ。
 何者にも捉われない、まさしく神風そのままの速さで駆け抜ける。『緋き静寂の剣姫』の二つ名は伊達じゃない。
 彼女は全てを切り裂く。
 勝てる筈がない。
 勝てる訳がない。
 彼女は里一番の剣の使い手。剣を習って数十年であっさりとフレアを追い抜いた神童。
 自分とは違う存在。異質の存在。別世界の存在。
 ……、ではない。
 そんなものは逃避だ。理屈を捻った逃げ道に過ぎない。
 負けた自分を慰める体のいい言い訳だ。
 逃げることは嫌いだ。
 いや、違う。
 逃げる自分が嫌いなんだ。
 そんな弱さを、フレアは、
 断ち切る。その為に剣を握る。剣を振るう。
 ――それがオレの戦う理由。
 駆ける足に力を込める。
 風を感じる。
 交差地点はすぐにやってくる。
 衝撃は暴風となる。
 荒れ狂う暴風がふたりを包む。

――

 ……そうだった。
 そうだったのだ。
 痺れて動かない身体を地面に預けたまま、フレアは唇の端を吊り上げる。
 『弱い自分を斬り捨てる』
 それがフレアの戦う理由だった。
 今までの人生、150年のほとんどをそれに費やしてきた。
 それだけが生きている意味だった。
 走り続けるうちにゴール地点を見失っていたようだ。
 妖精の持つ長い寿命の欠点とも言える。
 大切な記憶も膨大な過去の記憶の中に堆積していく。
 長い寿命もいいことばかりではない。
 こういった欠点も存在するという訳だ。
「……そうだな」
「なに一人でにやにやしてんの? キモイよ」
 視線を向けると、そこには幼馴染の顔があった。
 従兄妹にして好敵手、幼馴染にして目の上のたんこぶ、親友にして悪友。里一番の剣士にして里一番の美少女(と言っても外見上、及び妖精族的年齢換算からしての話だが)。
 クレア=バーミリオン。フレアと名前が似ているのは名付け親が一緒だからだ。
 ――全く、紛らわしいことこの上ない。セカンドネームが違うことがせめてもの気休めか。
 クレアが手を差し出していた。フレアはその手をためらいなく取った。白く細い指先はまるで少女のそれなのに。彼女の強さは人を越えた存在である妖精族の中でも更に抜きん出ていた。恐れやら憧れやら親しみやら色々な感情が入り乱れて、フレアは彼女を形容する言葉が思いつかない。
 敢えて言うならば。
 『大切なひと』とでも言ったところか。
 フレアはその手を強く握った。
 大切なその手を、強く。
「……、ね、ねぇ。」
 クレアが遠慮がちに口を開く。耳に馴染んだその声が優しく身体に響いてくる。
「……? どうした?」
 クレアは少しそわそわした様子で辺りをきょろきょろと見渡す。クレアの技量なら周囲に誰もいないことくらい、フレアよりも正確に認識できる筈なのに。
「手、握り過ぎじゃない……?」
「? ……そうか」
 離したら離したで、クレアはまたそわそわと腕を動かす。
 気のせいか、彼女の顔が紅潮しているようにも見える。
 いや、恐らくは夕陽の所為だろう。気が付けば日は随分と傾いているようだ。
「……まだ、…………ちょっとくらい……のに」
「うん? なんか言ったか?」
 いつもの覇気のある口調とは一転、ぼそぼそと喋る彼女の口調は逆さにした本を読むくらい難しい。
 幼馴染にだけ見せる隠された一面というやつなのだろう、とフレアはいつも通りに解釈する。
「そろそろ時間か」
 フレアが立ち去ろうとすると、彼女は何か物足りなそうな顔をしていた。
「悪いな。俺じゃあもう、アンタの相手には物足りないかな」
 言うと、クレアはいきり立って叫んだ。
「そんなことないッ! 物足りなくなんてないよッ! むしろ……」
 今はその言葉が素直に嬉しい。
 それでも……、
 実力が遥かに及ばないのは事実だ。
 強くなりたい。その思いはもしかしたら以前よりずっと強くなっているのかもしれない。しかし、抗えない。フレアとクレアの間には大きな隔絶が存在していた。
 名前は似ていても、二人の違いはあまりに大きい。
 性別も、待遇も、立場も、立ち位置も、境遇も。
 そして何よりも大きな隔たりがひとつある。
 それは、二人が決定的に別次元な存在なのだと告げる壁だ。
 国境よりも、種族の差よりも、はっきりと二人を分かつ壁だ。
 その壁の名を、人は才能と名付けた。
 決して越えることのできない壁だ。
 『人間』と『妖精』の間にあった断絶と同じようなものが、もしくはそれ以上のものが、そこにはあった。
 あるいは同じなのかもしれない。
 人が妖精に抱く気持ちと、フレアが彼女に抱いている気持ちは。
 それはとても危ういバランスで成り立っていて、一方が僅かに傾くだけで共に瓦解しかねないようなものなのかもしれない。
 なのに、彼女はそれでも自分を必要としてくれている。
 その気持ちが、フレアには嬉しい。
「ありがとう。けど、そろそろ時間だ」
 そうして、フレアは彼女から距離を取る。
 感謝の気持ちが妬みに変わる前に、彼女の前から立ち去る。
 大切なひとを自分から護る為、フレアは自身の気持ちを裏切る。
 全ては、この気持ちを穢さない為に。
 たったそれだけの利己的な思いの為に。

 一人残されたクレアは彼の立ち去った道の向こうをただひたすらに見つめていた。『妖精族』としての視力を以てしても彼の姿はとうに見えないだろう。
 それでもクレアは眼を離せなかった。
 最近、フレアがよそよそしい気がするからだ。その理由は、クレアには思いつかない。
 ――私の気持ちに気付いているから? 
 自問しつつもそれはすぐに否定する。
 ――ううん、そんな訳ないよね。
 気持ちが伝わらないよう、厳重な警戒態勢を敷いているのだから。だからそれは絶対にない。
 ならば何なのか。答えは分からない。
 ただ、時折、何か思い詰めた様子でいるのを数回見ている。
 悩んでいるのなら相談してくれればいいのに。
 ――そうすれば、もっと一緒に……
 ――……って違う違う!
 クレアは頭に浮かんだ陳腐な妄想を打ち消すように頭を振る。
 ふと、クレアは空を見上げる。太陽を遮る何かが影を落としていたからだ。
 空には積乱雲がひとつ。
 クレアの心は不安に埋め尽くされようとしていた。
 あの、どっぷりと日の光を飲み込む黒い雲は、やはりこの森に雨をもたらすのだろうか。
 そんなことを考えながら、クレアは一人、立ち尽くしていた。

――

 そこには広場があった。
 季節の変わり目には祭りが開かれ、月初めには集会が開かれ、不幸があったときにはささやかに葬式が催されたりもする。
 妖精たちが集う集落である『エルフの里』において、祭儀場としての役割を持った広場だ。
 周囲には木々が生えておらず、地面にはびっしりと石が埋められている。お陰で大きな草は育ちにくく、わずかばかりの手入れで住民が集まりやすい空間が用意できるという訳だ。
 その円形の広場の最奥には家が一軒建っている。
 この広場が里の中央に位置している関係上、この家は里の中心点に極めて近い場所にある。
 里の中心には取り纏める者が必要という考えはきっと何処にでもあるものだろう。エルフの里もその例に漏れず、よってそこには、里の長が住むことになっていた。
 その里長邸には入り口に扉などなく、簾のようなものが掛かっているだけだ。
 その前に、フレアは立っていた。
 その簾を沈痛な面持ちで凝視していた。
「いい予感は、全くしないんだよな……」
 フレアは自らの気持ちをそっと吐き出してみた。
 勿論気分はよくなったりはしない。案じる声も周りにはない。
 声どころか姿すらない。
 フレアは一人だった。
 それは当然のことだった。
 あらかじめ、長より人払いがなされているからだ。
 諍いを逃れようとする性質上、『妖精』は約束をまず破りはしない。
 だからここには呼ばれたフレアしかいないのだ。
 もし例外を上げるとするなら……、
 フレアは一人の人物の顔を想像した。
 禿げた額。穢れを知らぬ真っ白な髪。顔色を窺わせぬ深く刻まれた皺。全身より垂れ流した裂帛の気。暗闇の中にいても尚、光を放ちすらしていそうな威厳、オーラ。そんなものが瞬時に思い出せる。
 フレアの頬を冷や汗が垂れる。
 思い出した人物は、フレアを呼び付けた張本人である里長、クォラル=バーガンディーその人だ。
 フレアは正直に思った。
 怖い。
 そう、あの長老は怖いのだ。
 一挙手一投足を注視せずにはいられないくらいに。
 一瞬の油断で自分の首を落とされてしまうのではないかと思ってしまうくらいに。
 迫力と、圧力とを放っていた。
 フレアは閉じていた眼を開けた。
 背中は、汗で服が濡れ始めていた。
 まだ気配は感じない。この一枚の簾の向こうには長が、齢700近い長老がいる筈だ。
 その気配は感じられなくとも、確かにそこにいる。
 それは間違いがない。
 だからフレアは尚のこと怖かった。
 一体長老は何故気配を断つのか。その意味が分からない。
 それが怖い。
 長老はフレアにとって、ただ恐ろしい人物だった。
 本当にそれだけの感情しか持たないのだろうか。
 いや、きっとそうではない。
 それ以外の感情、畏怖の他にも、何かはあるのだろう。だが、とりわけ恐怖の念が強すぎて、もはや判断はつかない。
 ――行くしか、ないよな……
 フレアは簾に手を掛ける。
 ――待てよ、他にまだすべきことは……
 手を止める為か、次々と要らぬ考えが思い浮かぶ。
 ――そうだ、入る前に深呼吸でも……
 フレアが手を引っ込めようとしたまさにそのときに、それは『来た』。
 それは、風もないのに身体は後ずさり、押されてないのに目の前から圧迫感を感じるような、強烈なプレッシャーだ。
 やはりそうだ。
 いた。
「よく来たのぅ、フレア」
 低く老いた声は、それでいてはっきりと言葉を接ぐ。
 ――ああ、やっぱり怖い。
「入れ」
 声は入室をご所望のようだった。
 しかしフレアは動かない。
 いや、動けない。
 汗だ。
 汗がダラダラと額を滑り落ちた。
 季節はまだ春だというのに。
 運動したときとは違う、気持ちの悪い汗が身体を流れてゆく。
「どうした? 『入れ』」
 声は口調を強めた。
 その脅迫的な声に導かれるまま、フレアは簾を捲り、中に入る。
 猛獣の住む洞窟に入るより、フレアは余程怖かった。
 しかし声には逆らえない。
 声にはそれだけの威厳らしきものがあった。そして、強制力があった。
 逆らえなどしなかった。
 逆光の所為か、中は存外に暗かった。足元を確かめつつ、一歩ずつ足を踏み出す。
 そして、何かに蹴躓くこともなくそこに辿り着いた。
 暗闇に慣れてきた眼が囲炉裏を見つけた。
 フレアは正面にある座布団に腰掛ける。
 恐怖に打ちひしがれながらも、ある程度は淀みなくその動作を終わらせる。
 150年の内、こうして呼ばれた回数など一度や二度ではないのだから、ある程度の勝手は掴める。
 ただ、彼の放つ空気や雰囲気だけが、フレアには馴染めなかった。
 緊迫した空気の中、フレアは佇まいを直す。
 勿論もう逃げ場などない。
 ここまで来るとフレアの中で何らかの境界線を跨いでしまうのか、開き直ってしまう。
 フレアは堂々と口を開く。
「お呼びですか、長」
 対するように腰掛けていた長は、表情を変えない。
 ただ口だけを動かす。
「ふむ」
 長老は顎髭をさすり、重そうに言葉を紡ぐ。
「先月より、ヌシは齢150を数えたそうじゃな」
 飛び出したのはなんてことのない話だった。
 ――拍子抜け……、いや、これはまだ前提に過ぎないということか。
 そんなフレアの予想は正しかった。
「レッドフィールド家長子フレア。次期里長候補でもあるヌシには知ってもらわねばならぬことがある」
 レッドフィールド家。
 かつての王家の血筋であるその名は妖精族の者にとって特別な意味を持っている。
 それは統べる者。意思を持つ者という意味だ。
 妖精は基本的に協調性が高く自意識が低い。
 己を省みない連中ばかりなのだ。
 妖精戦争初期、虐殺されながらも反撃はおろか、逃げることすらほとんどせずに、多くの妖精が無抵抗に殺されたくらいに。
 生存欲が低く、繁殖力も弱い。
 そのかわりに、人よりも丈夫な身体を持ち、精神的にもゆとりがある。
 そんな彼らにとって指導者というものは、人間族にとってのそれとは比べ物にならないほどの大きな意味を持つ。
 それは自らの命すら取捨選択する存在だということ。
 人間においてもときにはそうかもしれない。
 だが、妖精にとってはその重みは違う。別次元と言ってもいい。
 人間の場合、例えどんなに優れた指導者がいたとしても100%の人間が従うことはない。
 必ずそれに逆らう人間が少なからず現れる筈だ。
 またそんな指導者に『死ね』と言われてやすやすと死んでやれる人間は尚のこと少ないだろう。
 妖精はそれを容易く行える。
 自分の命よりも世界や集団を意識して生きているからだ。
 それは、自分の命に興味がないから、ではない。
 絶対的に指導者を信じることが出来るからだ。
 妖精族の王に与えられる責任とはそういうものなのだ。
 今でこそ国という集団は崩壊し、里という小さな集合体でしかなくなってしまったけれども、指導者に与えられた責任の重さは変わらない。
 レッドフィールドという名にはそういった意味がある。
 その責任の下、齢150を迎えたフレアに伝えることがある。
 長老はそう言った。
 自然、フレアの顔は固くなる。
「里と外とは断絶されている。それをヌシは知っておるな?」
「ええ、勿論知ってます」
 何を言っているのだろうか。
 里の外へ出たい。秘めたる思いを抱くフレアからすると、少し緊張のする話題ではある。
 まだ誰にも打ち明けていないだけに既に察しているとは考えたくないが、相手が長老ともなると安易に否定はできない。
 フレアは次の言葉を待つ。
「……、そんなことが有り得ると思うか?」
 一瞬、フレアは呆然としていた。
 意味が分からない。
 フレアは瞬きすら忘れて長老のほとんど閉じられた眼を見つめていた。
「分からんか。ならばもう少し整理するとしよう。良いか、妖精は人間の造り出した兵器を恐れ、その文明を破壊した。復元不可能になるくらいにな。
 妖精族にとって、人間の文明とは危惧の対象なのだ」
「ああ、そうだ」
 フレアはつい敬語を忘れて聞き入ってしまう。
「そんな危惧の対象を一万年も放置すると思うのか? 一度破壊してしまえばそれでもう終わる問題だと思うのか?」
 言われてみれば確かにそうだ。『らしくない』。
 文明は失われても再興する可能性は充分にある。同じ生命体なのだからそう遠くない未来、同じ選択をするということも充分に考えられる。
 悪い言い方をすれば、破壊とは劇薬だ。
 殺菌の為の劇薬なのだ。
 しかし治療はそれだけで終わる筈がない。
 定期的に抗生物質を摂取し、再発を防ぐ必要がある。
 文明の破壊。それだけでは、再発を防ぐという役割が足りないのだ。
 今更ながら大きな疑問点と言える。
 ――いや、もしかしたら、これは……、
「もう分かっただろう? ようく考えれば子供でも分かる問題だ」
 そうなのだ。これはつまり、
「隔絶なんかされていない。妖精は人間側の情報を仕入れている……」
 妖精は人間を監視していた。
 文明が再び異常発展しないように。
 世界を滅ぼさないように。
 かつての悲劇を繰り返さないように。
 ――……そうだったのか。
 考えてみれば当たり前だ。
 いくら自給自足の生活とはいえ、外界と全く関わらずに暮らしていくのは余りに厳しい。
 大きな接点などなかっただろうが、僅かな接点くらいならたくさんあった筈だ。
 食器一つとっても、すべて手作りでは全員分は間に合わない可能性もあるだろう。鉄造りのものなんかは特にそうだろう。百人程度の集落では安定した供給などできる筈もない。
 外で大量生産した物を持ち帰ってきたりしていたのだろう。
 つまりはそういうことだったのだ。
「『監査役』、ワシらはそう呼んどる。兵器にも立ち向かえるくらいの力量を持つ者、有事の際には戦力になり得る者、人間族の中に溶け込みやすい者。
 もう少し纏めるならば、戦力等外面的素養があること。性格等内面的素養があること。齢150を数えること。ワシの許可を取ること。
 条件はそんなところかの。
 フレアよ、何か言いたいことはあるか?」
 フレアは思わず吹き出してしまう。
 ――なんだ、バレてんじゃん。
 結局のところ、この老人は嫌いではない。ただ怖いだけなのだ。
 剣の師匠として厳しく指導されたが故に、頭が上がらないだけなのだ。
 頭は上げられなくとも、手なら挙げられる。
「その『監査役』、オレにやらせて頂きたいです」

――

 『監査役』。
 その役割を担うということは里を出るということに他ならない。
 それは当然のことだ。
 里の外に出て、情報を収集、物資の補給、有事の戦闘。それらがフレアの役割となる。
 一度旅立てばすぐには帰ってこれない。
 数年とはいえ、里とはお別れとなる。
 そして、大切な人とも……、
 会議の結果、旅立ちは三週間後ということになった。
 今現在、判っている外の状況。有事の際の対処法。旅の注意点など。知らなければならないことは多く、閉鎖的に暮らす上では必要のなかった知識を勉強する為の時間が、必要だったからだ。
 こうして外に関われるようになれたことはとても嬉しかった。
 この三週間はとても有意義な時間となりそうだった。
 しかし、フレアは急激に変わった立場に頭をもたげていたもいた。
 期待と同時に不安も大きい。
 聞いたところによると、外での妖精の死者は少なくないらしい。
 幼い頃に病死したと聞いていたフレアの父親も、外で死んでいたらしい。
 死因は一切が不明。
 今のフレアよりは間違いなく強かったというのに。
 フレアの父は、人間はおろか妖精ですら相手は務まらないというくらいの実力だったらしい(それでも今のクレアと比べればまだまだ普通のレベルではあったらしいが)。
 フレアだって、妖精族の中では中の上くらいの実力はある。
 まともな人間はおそらくは下の下というレベルですら、超人染みて見える筈なのに。
 人間族の中では今、少しずつ大きなうねりが生まれようとしているということなのかもしれない。
 不安材料はまだある。
 大切なことが、ひとつだけ。

 空は燃えるように緋い。
 ありがちな言い回しだがそれも仕方ない。
 斜陽に彩られた空は雲をも緋色に染め、幻想的な色合いを見せていた。
 美しい空だと、フレアは思った。
 父と同じように里に帰ることなく、その妖精としては短く人間としては長い人生を終えてしまえば、この風景は二度と見ることもない。
 故郷の空。
 別れを知ってから、急に愛着らしき感覚を抱く。
 失う可能性を知って初めて、大切なものの存在を知る。
 大切だったんだと思い知る。
 憎しみすら抱いていたこの景色に、だ。
 フレアは自嘲気味に破顔する。
「変な笑い方してる」
 背後からの声は、心に染み入るいつものそれ。
「遅ェよ、クレア」
「遅刻はしてないでしょっ?」
 幼馴染はいつも通りの表情を見せる。
 『わざとらしく』。
 だから、フレアもそれに合わせるようにいつも通りのやり取りを始める。
「で? 今日は誰に喧嘩を吹っ掛けてきたんだ?」
「べ、別にケンカなんて吹っ掛けないってッ!」
「本当か?」
「……、うぅ。敢えて挙げればレオにケイトにアステル……」
 一対一では修行にならない彼女は、一対多数の戦闘を頻繁に行っている。
 自主的に付き合ってくれる人物はそうそう現れないので、無理矢理に近い形で相手に強要させるしかないのだ。その様は『喧嘩を吹っ掛ける』と言われればそう見えなくもない。
「やれやれだな……」
 フレアはわざとらしく溜め息なんか吐いてみる。
 すると、クレアは頬を膨らませて反論を繰り広げようとする。
 だが、
「だけど……、だけどッ! ……アタシ、フレアに迷惑なんて掛けてないよッ!」
 クレアの瞳から零れるそれは、彼女の本音を語っていた。
 もう、溢れ出した感情は堰を越えた濁流のように歯止めなど利きはしない。
「だから行かないでよッ! フレア! 何処にも行かないでよッ! ……、お願い、だからぁ……、ッ!」
 震えるその肩を、フレアはそっと叩く。
 見上げたその顔を見て、思う。
 先程までの凛とした姿は何処へやら。
 しがみ付く彼女の温もりを感じる。
 それは、愛しい距離感。
 伝えたい思いなど、そう多くはない。
 だが、それを言葉にして伝えるのはなかなか難しい。
 拾っては投げ、見つけては捨て。
 ガラにもなく気障な台詞を吐こうとする。
 いや、難しく考えすぎるのも良くないだろう。
 もっと単純な言葉でいい筈だ。
 いつものやり取りと似たような言葉で。
 聞き慣れた響きで。言い慣れた響きで。
 思いついた言葉を。使い慣れた言葉を。
 そして、フレアは口を開く。
「オレはアンタに勝てるようになりたい。勝って、それで言ってやりたい言葉があるんだ」
 クレアはビクンと身体を震わすと、目元を拭って顔を上げた。
「アタシだって、アンタに負けたら言ってみたい言葉があるんだからッ! だからさっさと強くなってよねッ!」
 言ったきり、クレアは再び俯いてしまう。
 心なしか、耳が赤くなっている気がする。斜陽の所為、ではないかもしれない。
 なんだか照れ臭くなって、フレアはその愛しい頭をぐりぐりと撫でつける。
 クレアは大人しくそれを受け入れていた。
「……だから、行くよ。悪ィな」
 強くなる。弱さを斬り捨てる。
 それを成すには経験がいる。
 努力や才能で覆せないのであれば、経験で補う。
 その為には、旅に出たほうが効率がいい。
 クレアに勝ちたい。
 勝って、言いたいことがある。
 恥ずかしい台詞を。気障ったらしい台詞を。伝えられなかった本音を。
 その為には強くならなければならない。
 己の弱さを断ち切らねばならない。
 クレアを妬んでしまうような邪な思いを、断ち切る為の力が。強さが。
 もう、迷いはない。
 成すべきことを成すだけだ。
 ――ああ、そうだ。空は燃えるように緋い。
 ――緋く燃えているのだ。


第二章 ≪緋き暴風の激情 -SCARLET IRIS [TYPE:IGNIT]-≫

 監査役。
 それは陸の孤島、エルフの里における情報収集の要だ。
 しかしその役割には、人間の世界を監視するという目的の為、隠密的な意味合いが多分に含まれている。
 世界に散った妖精族たちは各地に拠点や隠れ家を作り、人間たちに紛れて暮らしていた。
 その長い年齢と、やや尖った耳以外では主だった違いもないので、ただ隠れるだけならそれほど難しくはなかった。
 耳を隠し、年齢が疑われないよう定期的に住処を移せば、人であることを疑われなくなる。
 余談として、気功術に関しては僅かながら人間にも使い手はいるため、扱えることを隠すのに越したことはないが、見つかったからといってそれほど危険とは言えない。
 それらの注意点を守っていれば、監査役という役割はそれほど難しいものではないだろう。
 監査役として既に里を発ち情報を集めている者たちはそこそこいるものの、現在は数が少なく、情報の伝達がスムーズに行えていないという。
 そのため、フレアは里から一番近い隠れ家に向かっていた。
 まずそこで現地の情報を仕入れるのだ。周囲の情報まで分かれば尚良い。
 監査役同士の連結を深めるという目的が、フレアに与えられたのだった。
 そうして。
 未だ森は抜けていない。目的地は森の中にあるらしいのだ。
 その所為か、あまり旅をしているという実感に欠ける。
 まぁ、それも些細なことか、とフレアは思い直したが、
 ぐ~~~~……、という音に思考を遮られる。
 せっかく考えないようにしていたというのに。フレアは舌打ちしてうなだれた。
「腹減った……」
 周囲を見渡したところで民家はおろか人のいる気配すらない。木々ばかりが生い茂っている。
「参ったな」
 妖精の眼を以てしても民家は見当たらない。
 里を出る前に習ったサバイバル訓練が早速役に立つかもしれない。
 どんぐりやら野草やらの食べ方は習った、だが……。
 フレアにとってその行動には決定的な欠点があった。
「アレ、不味いんだよな……」
 選択肢はふたつ。
 食べる暇を惜しんで隠れ家を探すか、今のうちに食べれそうなものを探しておくか。
 暗くなれば周囲は見えなくなり、食べ物の探索は出来なくなる。
 夜の森は光源が全く無く、身動きすら取りようがないからだ。
 寝床を確保するためにも、明るいうちに準備を済ませておく必要がある。
 だが逆に民家を探すならば、家の明かりが目立つ分、見つけやすいかもしれない。
 ――どうする?
 考えているうちに日は翳り出していた。
「もう、準備は間に合わないだろうな」
 フレアは頭を切り替え、歩みを速める。
 暗がりの中に、民家の明かりが見えることを信じて。

 エイリッド=ハンターは夕食の準備をしていた。
 妻は既に病で他界し、息子は仕事を求めて家を出ていた。
 エイリッドは家にひとりだった。
 寂しくないといえば嘘になる。
 だが齢40も越えてしまえば、そういった事情は問題にはならない。
 多少の不都合も理屈をこね回して自身を肯定する材料にすればいい。
 妻は笑顔で眠りに就いた。息子は月に一度手紙を寄越してくる。
 何も間違いなどない。
 だからこれでいいのだと。これで幸せなのだと。そう言い聞かせる。
 言い聞かせる必要があるということは、心のどこかでそれを疑問に感じているという意味なのだが、エイリッドはそれを考えない。考えようとはしない。
 寂しいなどと思うのは心が贅沢だからだ。必要最低限しかない家具を見ながら、エイリッドはそう思う。
 そうして視線を手元に移し、ぐつぐつと煮上がっている鍋をなんとなく眺める。
 芳しいシチューの匂いが鼻腔をくすぐる。
 焦げないよう匙でかき回しつつ、エイリッドが鍋を持ち上げるタイミングを待ちわびていると、遠慮がちに扉が叩かれた。
 来客、と思うよりも先にエイリッドは警戒心をあらわにする。
 壁に立てかけてあった剣を手に取り、エイリッドは扉へ向かう。
 ドアノブに手を掛け、ひとつ息を吐く。
 抜き身の剣は最近あまり手入れを行っていなかったにもかかわらず、鈍い光を放っていた。
 ぐっと一気にドアノブを回し、ゆっくりと扉を押す。
 そして扉の向こうには、若い男が立っていた。
 見たこともない顔だ。
 ぐったりとうなだれており、男にしては少々長い前髪のお陰で顔色は窺えない。
 危険、というよりはむしろ心配、といった印象を抱いてしまう。
「は……、」
 男は口を開いた。それは何かを言おうとしているようにも、ただの吐息のようにも聞こえる。
 エイリッドは、男の弱々しい口調に耳を傾けた。
「……は、腹、減った……」
 男が倒れ込むのと同時に、エイリッドは肩の力が抜けてしまった。

 空になった器が乾いた音を立てる。
 フレアは満腹になった腹を擦っていた。
 その背中に剣はない。
 物騒だからと、家に近づく前に草むらに隠しておいたのだった。
 腹が膨れたところで、フレアはようやく別件を思い出した。
 里から与えられた役割。
 この家は監査役にとっての隠れ家、という解釈であっているのだろうか。
 そもそもそれすら考えずに食事に勤しんでいたことはそれなりにまずかった気がする。
 だが、どう訊いたものだろうか。
 『ここは監査拠点のひとつなのか?』 この訊き方は危険だろう。ストレート過ぎる。間違っていた場合、即ちただの人間の民家だった場合、大いに疑問を浮かべられてしまう。
 疑われることなく、尚且つそれでいて妖精ならば簡単にそれと分かるような質問をしなければならない。
 質問以外の方法であったとしてもいい。確認を取る必要がある。
 そうは言ってもなかなか難しい。瞬間的に出てくるものでもない。
 そして間違えるのも良くない。
 もしここで選択を誤るようでは、もっと大きな集落では隠し通せる筈もない。
 ひとつだけ、思いついた質問があった。これだけでは何の決定力もないかもしれないが、それでも違和感は抱かせない質問だった。
 フレアは腕を組み直しながら、心を落ち着かせる。
 そして不自然にならないよう、一拍置いて言った。
「アンタ、ここでひとりで住んでるのか? 家族はいないのか?」
 男は頷いた。
「ああ。今はひとりだ。妻は五年前に他界して、息子も仕事を探しに山を降りた」
「そっか」
 フレアはそれに相槌を打つ。そして自然に次の質問を滑り込ませる。
「へぇ、どれぐらいここに住んでいるんだ? こんな辺鄙なところじゃ大変なんじゃないか?」
 うまくいった、と思う。
 あとは回答を待つだけだ。変なことは訊いていない、筈だ。
「不便かって? そんなことはないよ。君に比べれば、ね」
「……、どういう……?」
 意味だろう。フレアはそう言おうとした。
 が、男は更に言葉を続けた。
 それは、フレアの心臓を止めかねないほどの衝撃的な言葉だった。
「エルフの里は、もっと不便なんだろう?」
 フレアは、ドキリとした。相手が『妖精』ならば何の問題もない。
 だが、もしも相手が人間であったなら、そう思うと背筋を気持ちの悪い汗が流れた。
 恐らく相手は確信を抱いている。
 フレアがエルフの里からこの民家にやってきたのだと。
 それはそうだ。
 いくら山ひとつ以上距離があるとはいえ、およそエルフの里に最も近い『人間』の側の建造物なのだ。
 ここに住んでいる『人間』が『妖精』の存在を何らかの形で知覚していたとしてもおかしくはない。
 『人間』が訪れる確率よりも、『妖精』が訪れる確率のほうが高いと考えているのかもしれない。
 あるいは、こんな立地に家を建てるような人物には『人間』とそうでない者の区別が出来てしまうのだろうか。
 もし、そうであった場合。
 この情報が広がるだけで、フレアには、そして世界各地に散らばる監査役たちには、より強固に身を隠す必要性が出てくるのではないだろうか。
 一瞬の読み違い。たったそれだけのことが、どれだけの仲間を危機に貶めてしまうのだろうか。
 フレアは男の質問に答えることができない。
 焦りはフレアの思考を停止させてしまっていた。
「ああ、済まない。変に勘繰らないで欲しい。確かに私は『人間』だが、私は『妖精』の敵ではない」
 男はフレアを安心させようと微笑んでくる。
 しかし、フレアは未だ言葉を発せずにいた。
 頭が会話についていっていなかった。
 ――この男は自分の正体に気付いている。
 ――フレアが『妖精』であると把握している。
 ――エルフの里の存在を知っている。
 ――フレアがエルフの里からやってきたと判っている。
 ――この男は自分を『人間』だと言っている。
 ――この男は自分を『妖精』の敵ではないと言っている。
 ――……敵では、ない?
 だったら一体何なのだろう。
 思考を巡らそうとしても、頭は鈍ったままだ。
 会話の流れにはまるでついていけていない。
「つまり私の妻が、監査役だったんだ」
 監査役。
 その言葉がきっかけになり、ようやく頭が回ってきた。
「私の妻は『エルフ』、つまり『妖精族』だった。勿論知り合ったばかりのときは気付きようもなかったがね。彼女はとても聡明な女性だった。私は、美しく思慮深く優しかった彼女に恋をした。初めての恋だった。あんな気持ちになったのは初めてだったよ。彼女と過ごした十年間は非常に素晴らしいものだった。生まれてきて良かったと思ったのもあれが初めてだったな。彼女と出会えなければ、私は……。いや、それは別の話になってしまうな。とにかく私の妻は『妖精』だったんだ」
 そして、フレアはひとつ思い出した。
「さっき、子供がいるって……。……まさか、」
 そう、それはひとつの疑念。
 妖精の妻と人間の夫。その間に生まれた子供とは。
「ああ。察しの通りだよ。『ハーフエルフ』ってことになるんだろうね。だから私は他の『人間』と同じようにキミたちを敵視するつもりはない。愛した妻と同じ種族を蔑む理由はどこにもないからね。
 ……と言ったところで、信じてもらうための証拠は……、何一つないんだけどね」
 『ハーフエルフ』。
 意味するところはもちろん、『人間』と『妖精』の混血だ。
 ――そんなの、考えたこともなかった。
 確かに生物学的には極めて近いのだから、有り得ないことはないのかもしれない。ただ、全く別の生き物だと思っていただけに、衝撃は大きい。
 だが肝心の母親も、子供も、目の前にはいないだけに判断は難しい。
 果たして、この男の言葉はどこまで正しいのだろうか。
 フレアはそれを考えようとして、結局やめた。
 ――そんなことはどうでもいい。
 考えるまでもない。
 これだけ食べさせてくれたのだから。
 何より、こんなに美味しい料理を作れる人間を信用しないなんて、そんなことはフレアにはできない。
 フレアにはそれだけで充分だった。
 だから、フレアは笑みを返す。
「信じるよ。だから話してくれないか、里の外のことを」
 
 妖精戦争が終わり、『人間族』の生活は貧困の極みだったという。
 文明の利器に頼りきっていた『人間族』は、明日の食料すらろくに確保できず、数少ない食べ物を奪い合い、子供までもが武器を手にしていたという。
 荒れ果てた大地を耕し、安定したまともな生活を送れるようになるまで、世界はひたすらに混沌としていた。
 新しい国が興れば、人々は期待を胸に立ち上がり、その国がわずか数年でまた新しい国に取って代われば、貧富の差は逆転し。
 激動の時代を幾世代も渡り、緩やかにではあるもののそれでも世界は確実に安定を取り戻していた。それは雨が岩を削るように地道なものであったかもしれない。
 その発展の立役者となったのは武器だ。
 子供までもが武器を必要とする時代。
 武器は、身を護るためには不可欠な存在だった
 今や古代文明となりつつある、かつての超文明。その先史時代よりも遥か昔の遺産である銃器の開発がようやく進み、多くの工場で幾つもの武器や兵器が生み出された。
 武器の生産・流通を取り仕切ろうと、会社が興り、資産を巡った戦争が起きた。
 そうして現在の世界が形作られた。
 武器ばかりが発達した世界が出来上がってしまったのだ。
 企業は既に国家を超えるほどの発言力を持ち、貧富の差は拡大する一方だという。
 平和な土地もあるにはある。
 だが、その平和がいつまで保つのかと問われると、誰もが口を閉ざしてしまう。
 『外』とはつまり、そんな世界だ。と、エイリッドは語った。
「武器が発達した世界……」
 フレアは嘆息するように呟いた。
 かつてエルフ=レッドフィールドが危惧した文明。
 異常発達した兵器を撲滅するために彼らは剣を取った。
 しかしまた、人々は同じ歴史を歩もうとしているのだろうか。
 そしてそれを知り、自分は何をすべきなのだろうか。
 かつての文明から数世代も時代遅れだと、現代の武器を指してエイリッドはそう語っていた。
 その超文明がどれほどの破壊を行えるものなのかは想像もつかないが、現在の兵器だって捨て置くことはできそうにない。
 対策を講じようにも、今は何よりも情報が足りなかった。
 より多くの情報を得るため、もっと大きな街に出向いてみる必要がありそうだ。と、フレアは判断し、
「ありがとう。参考になった。長居するのもあんまりだし、そろそろ行くよ」
 フレアが席を立つと、エイリッドは引き止めるように立ち上がった。
「まだ、何か……?」
 遠慮がちにフレアが問うと、エイリッドは躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「気をつけろ。ヴァルトニッ、ク……」
 だが、その言葉は最後まで発されなかった。
 邪魔をしたのは騒音。いや、むしろ爆発音だ。それは火薬の炸裂するような、危険な香り。
 そして、視界は緋に染まった。
 花が咲いた。緋い緋い花が。鮮血に彩られた花が。
 エイリッドは椅子ごと仰向けに倒れる。
「おい! ……おっさんッ!」
 エイリッドは血の滲んだ胸元を押さえるようにして苦しんでいた。
 出血量は明らかに重症だった。
 フレアは駆け寄り、その傷口を見て、言葉を失う。
 ――これは……、
 助からない。直感的にそう思ってしまうような傷だった。
「……、こ、れは」
 エイリッドは血を吹きながら口を開く。
「バカ! 喋るな、死ぬぞッ!」
 とっさに放った言葉は少し嘘だった。
 喋らなくとも結果は変わらない。フレアはそれを確信していた。
「業、なのだよ。これは」
 エイリッドは眼を細めた。

 それは走馬灯だった――。
 過去の凄惨な生き様を思い返す旅路。
 犯してはならない罪。
 叶わなかった贖罪。
 自らの業が生み出した永遠の牢獄。
 そして、始まりの場所――。
 掃き溜めのような街の片隅で、ひとりの赤ん坊が産声を上げた。
 その子供にはエイリッド=ハンターという名が与えられた。
 生きてゆくだけで手一杯となるスラム街では、育児は熾烈を極める。
 やがて両親たちは何処かへと消えた。
 死んだのかもしれないし、子供を捨てて他所の土地へ移ったのかもしれない。
 どちらであろうと差異はない。
 エイリッドはひとりだった。
 始まりは、ひとりだった。
 そして始まりは、不幸だった。どうしようもなく不幸だった。
 どうして自分は不幸なのだろうか。
 どうして幸せに暮らせる人間がいるのだろうか。
 些細な疑問は狭い身体の中で膨らみ、あっという間に全身を侵食する。
 ――オレはこんなに苦しんでいるのに。
 空腹に苛まれる。苦痛が身体を蝕む。
 ――どうしてお前らは幸せそうな顔をしているんだ。
 自分を理解してくれない人間を。
 自分を苦しめる人間を。
 自分より恵まれた人間を。
 いっそ、自分以外の全てを。
 牙は誰しもに剥かれ、幾つもの命が散った。
 エイリッドは手当たり次第に他人を殺した。
 意味なんてなかった。
 理由すらもなかった。
 存在を許せなかったのだ。
 認めることができなかったのだ。
 だが、今なら分かる。現在のエイリッドになら。
 かつての彼は幸せを知らなかった。
 奪ったものの重みを分かっていなかった。
 だから容易く奪えた。どんなものでも。
 そうやって生きてきた。
 そうやって生きていくのだと思っていた。
 彼女に逢うまでは。
 エイリッドはその日初めて他人に興味を持った。
 人の温もりを知った。
 恋を知った。
 愛を知った。
 人と関わることの難しさを知った。
 人に優しくすることの快さを知った。
 人と関われることの喜びを知った。
 全てが初めての体験で、エイリッドは初めて生きている実感を得た。
 そして思い知ったのだ。
 自分が奪ってきたものの大きさを。
 恋人となった彼女を連れ、人里を離れたことは、ひとえにそれが原因だった。
 以降、エイリッドは人との関わりを避けるようになる。
 それはただ単純に、居た堪れなかったからだ。
 自分の犯した罪の重さに耐えられなかったからだ。
 彼女に許しを乞い、泣きついた夜は忘れようにも忘れられない。
 彼女がエルフの身であることを明かしてくれたのもその日だった。
 思えば、エイリッドが人の心を初めて宿したのは彼女に逢ってからだった。
 彼女はエイリッドの全てだった。
 彼女が自分を認めてくれたから、自分はここにいる。
 彼女が自分を赦してくれたから、今の自分がある。
 彼女が病に臥したとき、彼女はそっと微笑んで言った。
「……そんな寂しい顔をしないで」
 出逢った時と同じ言葉で。
 出逢った時と同じ表情で。
 ――私は、
 ――……、私は…………、――

「セ、レー……ナ……――」
 エイリッドは腕を伸ばした。
 腕は虚空を掴むばかりだが、エイリッドはそこに確かに何かを見ていた。
 数度掴んでは開いていた腕を、しかし糸が切れたようにコトリと落とす。
 ……そして二度と動くことはなかった。
 フレアはその光景を凝視していた。
 網膜に焼き付けるかのように。
 その光景を見つめる瞳は惨状の緋色に塗り潰されていた。
 燃え上がるような暴風が、フレアの瞳には宿っていた。

 黒い外套をなびかせた男は、ホルスターに拳銃を納める。
 宵闇に紛れるように、足音はしない。
 物音はほとんどない。風に揺られた木々の囁きだけだ。
 そこに足音がひとつ。
 舞台を邪魔する無粋者を見るような眼で、黒の外套の男は振り返る。
 その先にはフレアがいた。

 男は興味もなさそうにその顔を眺める。
「……ああ。さっき、あそこにいたガキか。何の用だ?」
 男は面倒そうに腕を組んで顎をしゃくる。
 促され、フレアは激情を抑えきれない。
「……どうして、…………どうしてッ、おっさんを殺したんだッ!」
 憤るフレアの言にも、黒衣の男は態度を変えない。
 そして、当然のことのように言う。
「賞金首だからだ」
 一瞬、時間が止まった。
 賞金首とは何なのか。フレアの思考はまたも停止する。
「指名手配、エイリッド=ハンター。賞金額は五千万ルース。都市部に一戸建てが買える値段だ。罪状は民間人の連続殺傷及び公務執行妨害、他にも器物損壊などなど……。殺される理由ならともかく、殺されない理由のほうがオレには思いつかないな」
 何かの間違いだ。フレアはそう思う。
 エイリッドが悪人などとどうして思おうか。
 悪人があんな暖かい笑顔をくれるものか。
 悪人があんな温かい料理を作れるものか。
 エイリッドはフレアが初めて会った人間だ。
 信頼に足る人間だった。
 優しい人だった。
 悪人である筈などない。
 そんな訳がない。
 なのに、
 とある言葉が突き刺さる。
 『業』なのだ、と。
 エイリッドは確かにそう言った。
 それは、これがこの結末が当然の帰結であるという意味だ。
 つまり、それだけの悪事を働いてきた、ということなのだろうか。
 詳しく聞こうにも本人はもう動かない。
 確かめようがない。
 もう、彼はいないのだから。
「たとえアンタに正当な理由があろうと、そんなことはどうでもいい。どうだっていい。
 ただ、オレは、赦せない。お前を赦せないッ……!」
 フレアは剣を抜いた。
 身の丈ほどの大きな剣だ。
 ズシリと重い剣はフレアにほのかな圧力と、緊張感を与える。
 それは見た目通りの重さのほかに、精神的な重さが加わっているからだ。
 監査役としての役割。妖精族としての役割。王家当主としての役割。
 その重みはフレアに圧し掛かるときもあれば、逆に支えてくれるときもある。
 今は後者だ。
 重みが心地よい。
 気持ちの昂ぶりがそのまま力に変換されてゆくように、フレアの身体を気が満たしてゆく。
 フレアは剣を大上段に構える。
 王家当主の証、『運命の剣』の柄に埋め込まれた珠玉が緋色の輝きを放つ。
 それを見て、男は呟くように言う。
「お前、気功術師か。……もしオレが術師に対して何の策も用意してないと思っているのなら、まずはその勘違いから否定してやんなきゃならねェな」
 そして男はホルスターから拳銃を抜く。
 黒い銃身が月明かりに照らされる。
「拳銃か……」
 フレアは重心を落とし、警戒した。
 だが、知っている。
 ただの拳銃では、生まれつき気功術を扱える妖精に、大したダメージを与えられない。
 気を用いた防御力は、拳銃の持つ殺傷力を殺し、衝撃を緩和させる。
 出血もしないくらいに。
 相手はそれを知っている筈だ。
 気功術師と相対したことがあるのだろう。
 それに対する対抗策があるように見せているが、それは一体何なのだろうか。
 見たところ、男が構えているのは普通の拳銃のようだ(もっとも、フレアは拳銃を見るのが初めてなので普通の拳銃とそうでない拳銃の違いなど全然判らないのだが)。
 警戒はする。
 だが、これはチャンスでもある。
 相手が策を弄しているのなら、その策を破れれば必ず隙ができる。
 その隙は相手にとっての致命傷となりうる筈だ。
 しかし、もしその策が予想を上回るものであれば、敗北は必至。
 この瞬間での攻勢、というのはある種の賭けになる。
 フレアは緊張で喉が渇いているのを感じた。
 ――危険を避けることも大事だ。だが、それ以上に……。
 フレアは跳躍する。
 ――危険を冒さなければ勝てない。
 ――そして、危険を乗り越えていかなければ、成長はできない。
 だから、フレアは疾る。
 大剣を振り下ろす。敵の脳天を目指して。
 必殺の一撃を。振り下ろす。
 筈だった。
 剣は男の目前に突き刺さる。
 攻撃は届かなかった。
 相手は動いていない。かわされてはいない。
 動いていたのはフレアだった。
 正確には『押されていた』だ。
 フレアの身体は痺れていた。
 一瞬のことで、事態の認識がスムーズにいかない。
 どろりと水気を感じた。
 フレアは剣から左手を放し、胸を弄る。
 左手は緋色に染まった。血だ。
 ――何が起きた?
 ――判らない。
 だが、現状は更に悪くなるばかりだった。
 男は拳銃を構えていた。
 ――撃たれた?
 実感はない。だが、銃口から上がる煙は確かに発砲の名残を表していた。
 突然のことにフレアの頭は回転を拒んでいた。
 だから、当たり前のことであるのにフレアはそれを予測することができなかった。
 いや、予測できたとしても、それに反応することはできなかっただろう。
 『拳銃の装弾数は7~15発程度。一発撃たれたくらいで、努々油断などしないことだ』。
 それは、エルフの里を出る際に聞いた、忠告の言葉のひとつ。
 そして――。
 銃声が6発。続けざまに鳴り響く。
 悲鳴のような声を上げ、鳥たちが空へ舞った。
 
 拳銃の口径はそのまま弾の大きさを表している。
 そして、弾が大きければ大きいほどに威力は高まる。
 とはいえ、そう単純に済む話でもない。
 大きい弾になればその分、質量が増え推進力は伝わりにくくなり、空気抵抗も増し破壊力は削がれる。
 想定通りの高い威力を発揮するため、使う火薬の量を増やす。
 すると今度は反動も大きくなり、発する熱やガスなどの危険も大きくなる。
 それらの問題を解決し、実用化に漕ぎつけた物が男の右腕に持たれた黒い銃身の拳銃だ。
 名を、ヴァルトニック:H22、通称《ボルケイノ》という。
 普通の拳銃と比べ、弾薬の値段も高く手入れも面倒なのだが、気功術師の防御すら打ち破り攻撃できるというメリットを考えれば、むしろ得のほうが大きい。
 敗北は死を意味する実践では、費用も手間も惜しむ意味はない。死ねばそれで全てが終わってしまうのだから。
 そう、目の前で横たわる、この黒髪の男のように。
「たとえ気功術が使えようと、油断すれば死ぬ。それだけのことだ」
 男は外套を翻し、踵を返す。
 後は近くで待機させていた、派遣員を呼べば終わりだ。
 懸賞金を得るためには、死体を持っていくか、生け捕りにするか、証明できる人間を死体の元へ連れて行くかしかない。
 今回の標的は森深くに住んでいたため、死体を持ち運ぶことも困難、連れて行くことも難しいだろうと判断した。
 そのため、派遣員を手配した。
 派遣員とは死体を確認し、懸賞金手続きを進めてくれる存在だ。
 直接死体を運ぶなど、そうそう出来るものではないし、生け捕りも逃げ出す可能性や移動の手間などを考えるとやはり多用できるものでもない。
 消去法的に派遣員に頼ることが多い。
 彼らに頼らずに懸賞金を得る方法など、街で起きた現行犯くらいのものだろう(手配されていなくても現行犯なら報奨金が出る)。
 しかし、派遣員は戦闘員ではない。巻き込めば慰謝料や怪我をさせれば治療費なども請求されてしまう。
 便利ではあるが、少し面倒なシステムでもある。
 ――もっと簡単に自分が殺したってことを証明できるようなシステムがあればな……
 考えても結果は変わらない。
 派遣員を呼ばなければ、懸賞金はもらえない。
 男は面倒そうに舌打ちをすると、草むらに入り込んでゆく。
 倒れた黒髪の男が這い上がりつつあることなど、外套を纏った男は気付いてもいなかった。

 『助けたい』。
 それはささやかな希望。
 『守りたい』。
 それはささやかな願望。
 誰もが願う当たり前のもの。
 誰にも叶えることのできない不可能な夢。
 人は死ぬものだ。
 当たり前だ。死なない人間などいない。『妖精』だって然りだ。
 だが、願う。誰もが切望する。
 救いたいと懇願する。
 そして思い知るのだ。
 死なない人間など存在しないのだと、現実を叩きつけられる。
 ああすれば死ななかったのではないか。
 こうすれば守れたのではないか。
 自身に問い掛ける。追い詰めるように。畳み掛けるように。
 分かっている。そんなことは分かっている。
 過去は変わらない。現実は変わらない。事実はいつも目前にある。
 心に突き刺さる。深く深く突き刺さる。
 想いは激情となり、その奔流は溢れ出し、身体中を巡ってゆく。
 『気』が、フレアの身体を覆う。
 『気』とは、生命エネルギーであるという。
 生きとし生ける全てのものが身に纏うエネルギー。
 それが『気』。それが生命エネルギー。
 基本的な生命活動のエネルギー源であるらしいその流れは、肉体を強化し、その他のエネルギーに変換され、消費される。
 今、フレアの身体では生命活動が強化されている。
 流れた血液を補うため、生命エネルギーを運動エネルギーに変換し、強引に身体を動かす。
 また、出血を抑えるため、傷の周辺の細胞を活性化させ、止血を行う。
 戦闘中でなければ、止血だけでなく治癒まで行いたいのだが、時間がそれを許してくれない。
 あの男を倒さなければ。
 フレアはふらつく足で立ち上がる。
 貧血を起こしているのか、視界が回る。
 だが足は止めない。
 あの男を倒す。そう決めたのだ。
 理由などない。意味すらありはしない。
 倒したところでエイリッドは生き返らないし、誰かを守れる訳でもない。
 広い意味で考えれば、彼を倒すことで彼が今後殺すであろう賞金首たちを守れるという意味もあるだろうが、フレアの頭はそんなところまで回っていない。
 ――いや、正直どうでもいいのかもしれない。
 全ての人間を守りたいだとか、妖精と人間が安心して暮らせる世界を作りたいだとか、そんな夢物語には興味もない。
 だが、自分が大事だと思った人間を守りたい。それだけだった。
 守れなかったなら、奪った相手に同じだけの痛みを。
 そんな醜い感情がフレアを動かしていた。
 この行動に意味はない。この行動に意義はない。
 ――それでもオレは……、
 フレアは剣を握り直す。
 柄を強く、握る。
 目前にあの男の後姿が、迫る。
 男は、フレアに気付いた。先程の拳銃が嘶く。
 雷光のような瞬き。鋭く腹を抉られる感触。頬を歪ませる外套の男。
 しかしフレアは退かない。押されない。
 拳銃が再び弾ける。再び弾が腹を貫く。
 それでもフレアは止まらない。むしろ一層踏み込みを強くする。
 外套の男は顔を引きつらせる。距離は縮まる一方だ。
 やがて剣が、身の丈ほどの大剣が、そびえるように男の視界を飲み込む。
 高く高く振り上げた剣が、一気に叩き落とされる。
 緋く緋く燃えていた。
 フレアの心は燃えていた。
 燃え上がるような激情は、しばらくフレアの心から離れなかった。
 激情に焼かれ、暴風に巻かれ。
 朝はまだ、訪れそうになかった。
 闇空に風が舞った。


第三章 ≪疾風と双刃 -RIETH-≫

 《常磐》と呼ばれる街がある。
 その意味は、『永遠の緑』。発展を願う街にはあまり似つかわしくない名前だ。街の発展は森の伐採に繋がり、それは『永遠の緑』の否定に繋がるのだから。
 だがその名の由来には、とある逸話があった。
 《常磐の街》を越えてすぐに現れる深い森林地帯。そこは、一年を通して葉を落とすことのない深緑の山脈だ。
 広大な森は変わらずそこにあり続けた。
 多くの国が旗揚げと衰退を繰り返し、国境線が幾度塗り変えられようとも、森はただ、そこにあり続けた。
 飢饉に大勢が地に伏したときも、大嵐に家屋が軒並み吹き飛ばされたときも、戦火に呑まれ疫病が蔓延したときも、不景気な社会に子供の笑顔が奪われたときも、決して姿を変えることもなく。
 永遠の緑、そのものだった
 神の起こした奇跡なのだと、人はそう考えた。
 名もなき森は、やがて人々の支えとなった。
 現在の《常磐の街》の発展は、守り神と化した《常磐の森》の恩恵なのではないか。
 ――そんな話だ。

――

 《常磐》の街のメインストリートには、多くの商店が立ち並んでいる。
 人の往来はそこそこに多く、喧騒とは言わないまでもそれなりに賑やかな大通りだ。
 だが、誰もが気付くことのない闇が、確かにそこにはあった。
 『それ』は、意識しなければ気付かないような些細なものでしかない。
 日常で街を警戒して歩く人間はまずいない。
 だから『それ』に気付ける者はいなかった。
 路地に一歩入り込むと、物音は途端に減るものだ。
 大通りから数秒で辿り着ける空白地帯。
 そこは、余程派手に暴れない限り多少のことでは誰の目にも留まらない無法地帯でもある。
 そこに一人の少女がいた。
 軽装で、一見するとどこにでもいるような街娘といった感じだ。
 太腿に届くソックスとそこから僅かに素足を覗かせる短いスカート。それは快活で健康的な印象を与えるのだが、両腕に握られた二本のナイフだけが鋭く異質な輝きを放つ。
 少女の正面には黒服の男が立っていた。
 男の背後には更に複数の男たちが並び、少女を取り囲むようにして身構えている。
 男たちは一様に黒い服を纏い、手には短機関銃が握られている。
 先頭に立つ男が少女に声を掛ける。
「さぁ、観念してもらいましょうか」
 男は少女に手を差し出す。
 その手が望むものは、少女の持ち物かあるいは少女の身柄それ自体か。
 少女は沈黙でそれに答える。
「……致し方ありませんね」
 男は腕を振り上げる。すると一斉に銃口が少女に向く。
 張り詰めた空気があたりを包む。
 少女はそれでも言を返さない。それどころか、ナイフを握る腕に力を込めてさえいる。
 男が腕を振り下ろす。同時に周囲の男たちは引き金を弾く。
 が、銃弾はすべてコンクリートの壁に飲み込まれた。少女の姿はそこから消えていた。
 影が男たちの間を駆け抜けていた。その影を視認できる者は誰一人いなかった。影が走り抜ける度に男たちは次々と倒れていく。
 緋色に染まったナイフが、狭い路地を駆け巡っていた。
 始まったのは惨劇の多重奏だ。
 空を抜ける銃撃の小太鼓が、断末魔の合唱に彩りを与える。
 しかし演奏の序盤にもかかわらず、突如終止符が打たれるのだった。
 歌い手は人数分しかいないからだ。
 数十の音符で奏でられるのは、序奏が精々といったところか。
 少女はナイフを振り払い、刃に付いた液体を飛ばす。
 その仕草は、まるで指揮者の終礼を思わせるものだった。
 少女はつまらなそうに眉根を寄せる。
 物足りない。とでも言うように、肺の中の空気を外へ吐き出す。
 ほんの数秒の狂想曲。それは、歯車を誤った戯曲そのものだ。
 少女は屋根の上にそっと降り立つ。
 階下に広がる裏路地を一瞥し、興味を失ったのかすぐに視線を逸らす。
 少女が跳び去り、残されたのは変わり果てた姿の黒服たちと硝煙の匂いだけだった。

――

 情報収集の基本は酒場だ。
 と聞いていたので、フレアは迷うことなくそこへ足を運んだ。
 いや、本来なら迷ってしまう筈だった。
 迷わずにそこへ辿り着けたのは、あからさまなくらいに目立つ看板があったことと、街に入ってすぐの場所にその店があったからだ。
 エルフの里と違い、多くの建物が立ち並び、通りを人が埋め尽くしている。
 迷わない訳がなかった。
 里での経験も、旅立ち前に習った話でも、これには太刀打ちできる訳がない。
 全ての常識が違っていた。
 とはいえ、フレアはそれに悲観するような性格を持ち合わせてはいない。
 渡された冷水の入ったグラスを傾け、背もたれに身を預ける。
 耳に入るのは喧騒だ。通りもそうだが、店内でもさまざまな人間が世間話をしている。妖精の暮らすエルフの里とは住民の活気が違う。エルフの里では祭りがあってもここまで騒がしくはならない。
 どちらかと言えばフレアの心根に近い気質なのだが、150年暮らした空間との違いはあまりに大きく、馴染むには少し時間が掛かりそうだった。
 周囲に目を配れば、恋人らしい男女がつつしまやかな会話を楽しみ、いかつい男たちが昼間から酒を煽り、冒険家のような出で立ちの若者が定食のスープをすすっている。
 カウンターでは店主だろうか、スーツの上にエプロンをした男がコップを磨いていた。
 その眼は店内を巡っている。客を見ているのか、店員たちの仕事に気を配っているのか、判別はつきそうにないが、何か鋭い印象を受ける。
「お待たせしました」
 女性店員がフレアの座るテーブルに皿を置いた。
 焼きたての魚がジュージューと音を奏でる。
 その隣でぎゅるぎゅると鳴ったのはフレアの腹だ。
 店員は上品に笑いながらそそくさと退散する。
 フレアはそれに頷く。
 ――そう、邪魔なんだ。この舞台には……、な。
 フレアは滴る涎をじゅるりと啜る。
 フレアは手を合わせる。周囲の喧騒は消えてなくなる。
 いや、聞こえなくなるのだ。
 もう、フレアの眼には焼き魚定食しか映っていない。
 邪魔するものなどいない……、筈だった。
 しかし、
 喧騒は沈黙していた。
 今度は、集中による気の所為などではなかった。
 店内の客は全員、ある一点に眼を奪われていた。
 そこにいたのは、齢15,6くらいの少女だった。
 やや色素が抜けているようだが、黒髪の少女だった。肌は白く、普通の街娘といった格好だった。短いスカートと太腿まで届く長いソックスが快活な印象を与える。
 少女は苦しそうに肩で息をしながら、ただ荒い呼吸をしていた。
 その様子は只事ではなく、皆一様に少女を見つめる。
 周囲の視線は催促をしているようでもあったが、少女は言葉を発せない。
 ただゼェゼェと肩を上下させている。
 直立もできないらしく、膝に手をついて俯いた状態だ。
 故に、表情は察せない。前髪が顔を隠していた。
 少女は何か喋ろうとしているようだったが、呼吸が苦しくてそれどころではなさそうだった。
 数秒そうしている間、周囲は見守ることしかできない。
 ようやく一息飲み込んで、少女は初めて顔を上げた。
「助けてくださいッ!」
 強い意志を感じさせる声だった。
 栗色の瞳にもその気迫が宿っていた。
 美しい娘だった。
 その凛とした姿にフレアはとある少女の面影を見た。
 顔が似ている訳ではないが、美しい外見から放たれる存在感が他を圧倒するような、そんな既視感を抱いた。
 場は硬直していた。
 少女の美貌に、というのもあるだろうが、それ以上に押されていた。
 少女の栗色の瞳が店内を駆け巡っていた。
 探しているのは、屈強な戦士か、誠実な騎士か。
 その眼差しがフレアを射抜いた。
 少女が唇を開き、息を吸った刹那、
「よーしッ! このオレ様が力を貸してやろう!」
 熊のような大男が立ち上がり、力こぶをつくってみせる。
 それに連なるように、男たちが次々と立ち上がり、威勢良い掛け声を上げながら大男に続く。
「え……っ。あ、……あのっ!」
 少女は慌てて止めようとしたが、「心配召されるな」とでも言うようにニカッと歯を見せ、男たちは店の外へ出てゆく。
 溜め息を吐いたフレアだったが、突き刺さる少女の視線に思わずたじろいだ。
「……あの、」
 少女が何を言いたいのか。その答えは恐らく店の外にあるのだろう。
 だが、それよりも……。
 焼き魚定食は湯気を上げ、香ばしい磯の香りが鼻腔をくすぐる。
「……、迷うことはないんだけどな……、」

 大通りは騒然となっていた。
 普段は忙しそうに行き交うだけの町民たちも立ち止まり、有り様を見守っている。
 それも当然のことだ。
 広い通りも、数十人がひとつの店を取り囲むようにたむろしていては通行も容易ではない。
 まして、それが全身を黒服に包み、銃器で武装した男たちであれば尚更だ。
 店を出てきた大男たちも多勢に無勢を感じ取ったのか、打って変わって萎縮していた。
「な、なんで……」
「嘘……、だろ?」
 旅慣れていそうな男たちも、さすがにこんな風景には出くわしたことがないのか、思い思いに弱音を呟く。
 やがて口々に同じ言葉を吐いた。
「ヴァルトニック……ッ!」
「なんで、ヴァルト社が……ッ!?」
 縮み上がった男たちを満足気に見下しながら、黒服がひとり、前に出る。
 背は低く、小柄な姿をしていた。
「女の子をひとり、探してるんだ……」
 声はまだ声変わりを迎えていないような少年のものだった。
 しかし喋り方には落ち着きがあり、若い少年の声でありながら少年らしくない知性が感じられる。
「知ってるよねェ、みんなァ?」
 語調は落ち着いたままだが、口調には狂気を孕んだ感情が乗り始める。
 同時に黒服たち全員が殺気を放つ。いつ発砲するかも分からないくらいに。
 恐怖に駆られた町民たちは悲鳴を上げた。
 大通りは一瞬でパニック状態になる。
 人々は押し合い圧し合い、将棋倒しに倒れこんだ。これには、酒場から出てきた旅人たちも混乱の意を強める。
 そんな光景を少年は唇を吊り上げて見渡す。
 美しい少年の顔は醜く歪み上がった。
「うふ、あはははは! さァ、いるんだろう? サツキィイ! 出てこいよッ! ボクと遊ぼう! うふふふふ……。あはははははははは!」
 
 哄笑は店内にいたフレアにも聞き取れた。
 妖精としての聴力は必要ない。それくらいにはっきりと、高らかに、少年は笑っていた。
 フレアは扉を見つめているその少女に視線を移す。フレアのいる位置からは、表情を窺えない。
「随分と、懐かれてるみたいだな?」
 問うと、サツキと呼ばれた少女は俯いたまま、答える。
「…………、違う」
「……何がだ?」
 皮肉のつもりではあったのだが、何か様子がおかしい。苛立ちではなく、戸惑いを感じさせる口調だった。
 フレアが再び問う前に、少女は振り向いて、言う。
「わたし、サツキじゃない……」
「どういう……、」
 フレアの言を遮り、轟いたのは銃声だった。
「やれやれ、落ち着いてメシも食えねェなァ」
 フレアは背中に伸びた柄を掴む。
 腕に重量が圧し掛かる。
 その重みはフレアにとって心地良いものだった。
 ずっしりと、確かに、はっきりと。
 身体を引き締めてくれている。精神を引き締めてくれている。
 心の淵に引っ掛かった暗い何かが、剥がれ落ちる。
 …………、ほんのわずかに。少しだけ。

 あの日。
 初めて人間と出会った。
 エイリッド=ハンターという男だった。
 おいしい手料理を食べさせてくれた。
 傷跡を隠すような笑顔で外のことを話してくれた。
 そして、光が弾けた。
 緋い光だ。
 光が、エイリッドを包み込んだ。
 そして……。
 そこからのフレアの記憶は曖昧だ。
 緋い光に身体を焼かれるような感覚。
 ――ああ、そうか。殺したんだ。
 フレアは妙に得心がいった。不気味なくらい冷静にその感触だけは思い出せる。
 ――おっさん……。
 エイリッドが生前、どんな悪行を犯したのかは知らない。
 知っていたであろう賞金稼ぎの男も、フレアが殺してしまった。
 もはや、知る術はない。
 調べるという選択肢もあるにはあるが、それを選ぶつもりはない。
 本人の口から聞くべきことだと思うからだ。
 たとえそれが叶うことのない願いだったとしても。
 だが、この考えは矛盾している。
 勝手に人を殺すことが悪だとするならば、フレアのしたことは何なのだろうか。
 悪以外の何だと言うのだろう。
 そう、殺したのだ。
 赦せない。それだけの理由で、人を殺したのだ。
 『それ』を果たしてしまったフレアに、賞金稼ぎの男がした行為を否定する権利などない。
 既に同類なのだから。
 正義とは何か。悪とは何か。
 フレアの中でふたつの言葉が揺れる。
 担ぐ剣が重みを増していく。
 フレアを大地に縛りつけてゆく。
 どうやら身体を拘束する鎖というものは、重力だけではないらしい。

 通りは喧騒に包まれていた。
 ――人の声がここまで煩いものだと思ったのは初めてだな。
 フレアは椅子から立ち上がり、歩みを進める。全員黒い服で身を包んでいるため、人ごみで見失う心配はなさそうだった。
 サツキと呼ばれた少女は不安げな、あるいは何か心配事がありそうな眼をフレアに向ける。
 後ろ手でそれに応えてやって、フレアは剣を引き抜く。
 ――剣がいつもより重い。そんな気がする。
 その重みの正体は、フレアにはまだよく分からなかった。

「人違いだそうだ。営業妨害だから家に帰んな、坊や」
 言うと、少年は殺気立って眼を剥く。
「なんだァ、お前。ボクに用事? 目障りだから消えてくんない? 邪魔! 超邪魔ッ! 超ッ絶ッ邪魔ッ!」
 酒場前では、冒険者たちが冷や汗を掻いている。フレアはその先頭に立つ。取り囲むように黒服の一団。中心には少年が、フレアに対峙するように立っている。
 フレアは剣を抜いていた。正眼に構え、眼光を鋭くする。
 対する少年は無手のまま。危機感を抱くような表情は出さない。ただし、フレアに向けた敵意だけははっきりとしていた。
 周囲の黒服は動かない。癇癪を持っていそうな少年に逆らえないからか、あるいは少年を信頼しているからか。
 フレアは攻めあぐねていた。
 無手でありながら、構えもせず、それでいて自信に満ちた態度の少年は、子供であるという要素以上に攻めにくい。
 先が読めない。故に手が出せない。
「来ないの? なっさけないなァー。じゃあ……」
 少年は重心を落とし、右手を振りかぶる。そして、
 消えた。
 戸惑う間もなく、
「くたばっちまいなッ!!」
 背後からの少年の声に、フレアは飛び退いて距離を取る。
 が、衝撃が身体を駆け抜ける。視界が揺らぐ。
 ただの打撃ではない。それは瞬時に判った。
 気功術を使えるフレアには大抵の攻撃は効かない。銃撃さえも効果は怪しい(弾けた経験はないが)。
 ならばこの衝撃は……。もはや問うまでもない。
 気功術だ。
 少年は気功術師なのだ。
「やるねェ! アンタも使えるんだ、気功術ッ! ……面白ェじゃん!」
 少年は宙を飛ぶようにしてフレアへ向かってくる。
 気を背へ放射して推進力を得ているようだ。
 身軽さを有効に利用した戦術だった。
 対するフレアは、剣を構えた。
 少年の高速移動を捕らえ、一撃で沈める他ない。少年が攻撃に転じる瞬間、そこを捻じ伏せるのだ。
 そして、少年の右腕に気が集約される。
 それは明らかにフレアを仕留めるための仕草。
 少年は速度を上げた。
 その速度はフレアの認識できる領域をわずかに越えていた。
 振り下ろされる少年の右腕。
 放たれた気はフレアの身体をまっすぐに貫く。
 ……かに見えた。
 しかし、フレアの一撃はそれよりも先に放たれていたのだ。
 龍騎道剣術、赤龍剣。"剛烈火"
 燃え上がる斬撃の炎は、少年の攻撃を吹き飛ばし、少年の身体をも食い尽くした。
「ぐァァアアア!」
 少年は吹き飛び、その体を黒服が受け止める。
 少年に外傷はなさそうだった。ついでに意識もないようだった。気で斬撃を相殺することで手一杯で、衝撃やフレアの気による攻撃への応対が出来なかったのだろう。
 気絶した少年に黒服たちが群がる。
 ――逃げるなら今のうちか。
 そそくさと人ごみに紛れようとしたフレアだったが、ふと気になったことがあり踵を返す。
 向かった先は当然酒場だ。食事は途中(というか手付かず)だし、何よりも大事なことがあった。
 フレアはその背を見つけ声を掛ける。
「で、結局アンタは何モンなんだ? サツキ(仮)さんよ」
 少女は背を向けたまま答える。
「それはこっちが訊きたいことよ」
 それは、投げやりな言い方だった。
「あと、アタシの名前はリースだから」
 リースと名乗った少女は冷たい声で答える。
 フレアは、その声に違和感を覚えつつも、そうかい、と返事をした。

 フレアとリースは街の広場に来ていた。
 広場からは街道が周囲に伸びていて、どうやらこの広場は街の中央に位置しているらしかった。
 広い街道に多くの住民がひしめいていて、そんな広場の真ん中には大きな噴水がある。
 フレアたちは、その噴水がよく見えるベンチに腰掛けていた。
 水しぶきは陽光を反射して宝石のように輝き、街の喧騒も水音も程良く打ち消し合い、そこはまさしく憩いの場になっていた。
 黒髪の少女、リースはやや色素の薄いその髪を撫でながら、噴水を眩しそうに眺めていた。
「わたし、記憶喪失なんです」
 寂しそうな口調だった。
「気づいたらわたしには記憶がなくて、目覚めたのは診療所のベッドの上でした。訊くところによると海岸で倒れていたそうです。診療所では多くの方が親切にしてくれました。そこでわたしはリース=ハーベストという名をもらいました。でも、」
 リースは視線を落とした。
「あの人達が現れたんです」
 黒服の男達。
 彼らは一体何者なのだろうか。
 こんな少女を連れ去って何がしたいのか。
 考えても分かりそうになかった。
「フレア……さんはとても強い方ですし、こんなに親身になってくれてます。そんな方にこれ以上甘えるのもどうかと思いますが、それでも……わたし」
 いたいけな少女を放っておくことも出来ない。そして何より、
「分かった。……オレで良ければ、アンタを守るよ」
 何より、冒険者たちが言ったヴァルトニックという言葉にフレアは引っかかっていた。
「ありがとうございます。……嬉しいです」
 少女ははにかんだように笑い、目元を拭った。
 ヴァルトニック……。エイリッドが最期に言い掛けていた言葉と同じだった。

 問題は山積みだった。
 独り身の旅なら多少の無茶はどうにでもなったが、少女を守りながらでは出来ないことも多くある。
 野宿はある程度仕方ないとして、旅支度もふたり分。食料も衣服も要ることを考えると、エルフの里を出るときにもらった路銀はあっという間に底をつく。当たり前だがひとり分しか想定されていないのだ。また、気功術を扱えるものならばその応用で、消費する体力を抑えることも出来る。それを見越した量になっているので、旅慣れていない少女と旅をするには圧倒的に足りないのだ。
 つまり単純にお金が必要になった。そういうことだった。
 そうして辿り着いたのは、冒険者ギルドと呼ばれる建物だ。
 周囲の建物と同じ木造建築で、正面に大きくギルドと書かれている。
 広い街に慣れないフレアはとことん街を彷徨い、頼りのリースも方向音痴という隠れた才能を遺憾なく発揮し、辿り着く頃にはもう日が暮れてしまっていた。
 中に入ってギルドの組員に話を聞き、冒険者ギルドの仕組みをおおよそ理解できた。
 武器の発達したこの世界では、町と町を繋ぐものは冒険者なのだ。
 物品の輸送にも旅の護衛にも武芸に秀でた冒険者は必要不可欠で、そういった役割をこなす冒険者は街の機能を維持する大事な歯車のひとつとなっている。
 街の住人はギルドに依頼を出し、冒険者はそれを受け、契約は成立。
 あとは依頼を果たせば、報酬を手に入れられるという寸法だ。
 依頼には、お使いのようなものから、護衛、輸送などが見受けられる。
 中には、賞金首リストなどもあった。
 顔写真と名前、犯した罪などが細かく明記されている。
 『エイリッド=ハンター』。
 そんな文字が見えたような気がして、フレアは思わず目を背ける。
 それを見ていた組員の一人がぼやく。
「そういや、あいつ結局帰って来なかったなぁ。『黒銃のガロット』。やっぱり殺されちまったのかねぇ。あのエイ×××に…」
 聞こえない。何を言っているのかフレアには聞き取れなかった。聞き返す気も起こらなかった。
 適当な依頼書を引き抜き、フレアはギルドを出た。リースが慌てた様子でそれを追い掛ける。
 いつものフレアなら彼女を待ってから扉を出るようにするのだが、今回はそうしなかった。
『そんなことはないよ。君に比べれば、ね』
 そう言って、エイリッドは笑っていた。
『ああ、済まない。変に勘繰らないで欲しい。確かに私は『人間』だが、私は『妖精』の敵ではない』
 優しい目をしていた。初めて会った『人間』は善い人だった。
『業、なのだよ。これは』
 諦観めいた顔にどんな想いが込められていたのか。もう知る術は無い。
『気をつけろ。ヴァルトニッ、ク……』
 『ヴァルトニック』。それは何を指す言葉なのだろうか。あるいはリースなら知っているのだろうか。
 そう思って振り返り、
「なぁリース。ヴァルトニックって何なのか知って……」
 そこでようやく気づいた。
 リースがいない。
 見失っただけかと思い、辺りを見渡すが、やはりいない。
 気づけば、ギルドを出てから随分と歩いてしまっていたようだ。
「まずいな……」
 フレアは冷や汗をかく。
「……オレ、迷子だ」
 夜間の少女の一人歩きが如何に危険かを、この時のフレアはまだ知らないのだった。

――

 月明かり照らす路地裏の影。
 リースを取り囲むガラの悪い男達。
 リースは壁に追い詰められていた。
「ヨォ、嬢ちゃん。かわいいネェ。ちょっとサァ、お兄さん達とイイコトしようゼェ……」
 男の一人が癇に障る猫撫声で近づいてくる。
 嫌悪感に苛まれながら、リースは腰元の護身用ナイフに手を伸ばす。
 このナイフはリースにとって特別なものだった。
 手に入れた経緯は定かではない。
 ただ、診療所で目を覚ましたリースが身につけていたというだけのものだ。
 そこには『大切なものだ』という記憶があるだけだ。それ以外は思い出せない。
 それでも譲れない想いだった。
 診療所での生活の中で、過去を思い出せないという苛立ちや不安を慰めてくれたのはこのナイフだった。
 見つめているだけで心が研ぎ澄まされていくような、あるべき姿を思い出させてくれるような、そんな感覚が胸をよぎる。
 ――このナイフを握れば、『わたし』は強い『わたし』になれる。
 そしてリースはナイフの柄を掴み、
「行けねぇナァ。そんな物騒なモン抜いちゃあ……」
 横から別の男がリースの右腕を掴んだ。鞘から抜きかけていたナイフがカランと地面に落ちる。
「そんなに怖がる事ぁねぇよ。優しくするからサァ……」
 男は醜い顔を近づけた。舐め回すような視線があまりに不快で、リースは顔を背ける。もしここで諦めたらどんな目に遭うのかを考えると、血の気が引いてゆく。
 ――怖いよ。誰か助けて……
 そう思っても、誰も来ない。フレアは何処に行ったのだろうか。見失ってからあまりに時間が経ちすぎている。きっともう遠くに行ってしまっているのだろう。
 甘えすぎていたのかもしれない。診療所の人たちにも。フレアにも。
 自分は何も与えていないのに、彼らは多くのものをリースにくれた。名前を。安心を。笑顔を。居場所を。
 だから、これは自分でどうにかしなければいけないのだろう。
 自分を助けてくれる誰かを助けられるように。与えられるばかりではなく自分からも返せるように。
 リースは左腕でもう片方のナイフを一気に抜いた。
 そして一閃。
 汚らしい手が飛んだ。弧を描き、男達の中心に落ちる。
 竦み上がる男達。一人はまるで夢でも見ているような顔で、一人は馬鹿げた現象を煙で巻くような顔で、一人は呆気に取られた顔で地に落ちた腕を凝視していた。
 月は雲に隠れ、街の景観は一層暗みを増す。
 影を背負い、少女は頬を緩ませた。
「……アタシは退屈が嫌いなの。ネェ、……アンタは、楽しませてくれる……?」
 凄絶な笑みを浮かべ、少女は宵闇に舞った。

――

 ――どこにいる……ッ!
 フレアは街を疾走していた。昼間とは打って変わり、街には人気がなかった。
 同じ街とは思えないほどに静かだった。フレアの足音だけが不快に響いていた。
 妖精の聴力を活かせば、本来ならすぐに見つかる筈だった。
 それが出来なかったのはそれだけの距離を開けてしまったからだ。
 ――クソッ! 俺、完全に迷子になっちまったッ!!
 心配する要素がおかしいとは思わなかった。
 夜とはいえ、人の住む街が物騒などとは、平和なエルフの里で育ったフレアには想像すら出来ないことだった。
 やがて妖精の聴力が音を拾った。それは街に相応しくない剣戟の音だった。
 そこでフレアはようやく、心配すべきが自身の迷子ではなく、リースの安全だと悟った。
 石畳の通りを駆け抜け、目前に脇道が見える。音は既に止んでいたが、間違いなくそこで争いが起きていた。
 フレアは剣の柄に手を掛け、角から躍り出た。
 光景が眼に入るよりも先に、背後から気配がした。
 フレアが振り返るよりも早く、
「フレア!!」
 視線を後ろへ向けると、背後にはリースが立っていた。
 肩で息をしながら、上気した顔でフレアを見ていた。
「……良かった」
 途端に崩れ落ちるリース。フレアはそれを慌てて受け止める。
 見たところ外傷はないようだった。衣服にも乱れは見えない。何かに巻き込まれたという訳ではなさそうだった。
 上手く逃げ切れたのだろう。そう結論づけてリースを背負い、路地裏に目を向ける。
 路地裏は暗く、路は入り組んでいて、立ち入ろうとする意志を挫こうとしている。
「……血の匂い、か」
 やはりここで何か起きたらしい。
 だが、女の子を背負った状態で調べる気にはなれず、その場を後にした。
 余談になるが、その後もフレアは散々迷い、リースを連れて宿に辿り着く頃にはもう陽が登り始めていた。


第四章 ≪灰色の雪が降る街 -Ruingard-≫

「……ありがとな。……報酬だ」
 フレアに手渡されたその報酬は、届けた物資よりも遙かに安い金額だった。
「ああ。確かに受け取った」
 フレアはそれを肩から下げていた鞄に押し込む。
 彼らに掛けるべき言葉が見つからなかった。
 それがフレアの正直な感想だった。

 常磐の街で受けた依頼内容はこの街、『廃街ルインガルド』への物資の配達だった。
 物資は主に食料や衣服などの日用品。それと武器弾薬の類だった。
 よくよく見れば割に合わない仕事だった。物資は自身で調達し、報酬金額はそれらを決して補い切れない額だ。
 損しかしない。だから誰もこの依頼を受けなかった。そういうことなのだろう。
 原因は依頼人が意地汚い人物だから、などでは勿論無い。純粋に物資を欲していて、それでいてその為の費用を払えなかったからだ。
 つまりこの土地はそれほどまでに衰退していた。人も金も何もかもが不足していた。
 街は滅びを迎えようとしていた。
 だが、それでも住人はそこを離れようとはしなかった。
 それは、そこに何らかの価値を見出しているからなのだろう。
 金や財産ではなく、当人たちにしか分からない大切な何かを手放したくないからなのだろう。
 もはや人の住める空間とは思えないような廃墟に、人々は縋りつくようにひっそりと暮らしていた。

――

 フレアは煤けたソファに身を預けた。くたびれたソファはギギギ、と不快な音を立てる。
 それから、おもむろに鞄を開け、中身を確認する。
 ――もうしばらくしか保たないかな。
 二重の意味で、そう結論づける。
 財布の中身もそうだが、この地域も逼迫している。
 貧窮の極みとすら言えるかもしれない。
 だが、それに対して何が出来よう。
 全財産を彼らに渡すことは簡単だ。
 その後、フレアとリースは貧困に喘ぐことになるが、そんなことは大したことだとは思わない。
 どうにか出来ない訳ではない。
 でも、それは何の解決にもならないのだ。
 一時的に得た金銭で得られるものは一時的な時間稼ぎにしかならない。
 すぐにまた底を付き、貧しい生活に戻される。
 何も変わることはない。
 勿論物資を届けたところで、やはり解決には至らない。
 それが物である限り、消費され、なくなってしまうのだから。
 だが、この街には物を作り出す力がない。
 土地は痩せ、空はガスに汚染され、水は黒く濁っている。
 何が原因でそうなったのかはフレアには分からないが、人の住める土地でないことは誰の目にも明白だった。
 何故、移り住むことにしないのか。フレアが問うと、住民は決まってこう答えた。
 『諦めたくないからだ』と。
 黒く淀んだこの街に、果たして希望はあるのだろうか。

「お兄ちゃん。フレアお兄ちゃん」
 ふと鞄から視線を上げると、そこには痩せ細った少女の顔があった。
「どうした、ニエット」
 フレアはこの街で知り合った少女の名を呼ぶ。
 油で硬くなったブロンドの髪と碧色の眼差しを宿した少女は花を咲かせたように笑い、
「おしごと終わったなら、あそぼっ」
 と、目を輝かせた。
 フレアの返事を待たずに裾を引っ張ってフレアを立ち上がらせると、ニエットはくるくると踊るように先を歩く。
 フレアは困ったように笑いながらも、ニエットに足並みを揃えてやった。
 ニエットには両親はいないそうだ。
 この街では人の死が多い。
 飢えや病気もその一因だが、それらは余波に過ぎない。
 この街で最も死をまき散らしているのは、『ヴァルトニック』と呼ばれる組織だ。
 黒服を纏った軍兵たちがこの街を蹂躙しているのだという。
 目的は一切が不明。侵攻の始まりは6年前。きっかけは特になく、いきなりのことだった。
 街が壊滅しても、侵攻は時折起こり、住人は建物の影に潜み、逃れていた。
『あいつら、街の住人なんてまるで見えていないんだ。通りがかった通行人を跳ね除けるように撃ち殺していくんだ。視界に入れば殺されちまう。近づかなけりゃ死なずに済む』
 臆病そうな男がそう訴えていた。
 ヴァルトニックの侵攻を食い止める。あるいは侵攻の目的がなくなれば、この街を救えるのではないか。フレアはそう考え始めていた。
「……ところでニエット。オレを何処へ連れていくんだ?」
 少女は爛々と輝くような笑みを浮かべて、フレアを引っ張り続ける。
「こっちこっち! もうちょっとだから!」
 ニエットは再び踊るような軽やかなステップを踏もうとしたが、足元にあった瓦礫に躓いてバランスを失してしまう。
「おっと」
 二エットを支えたのは灰色のコートから伸びた腕だった。
 一見、鋭い印象を受ける。
 灰色の髪に灰色のコートを纏った男だった。
 服のせいか、痩身長躯な体型を思わせるが、少女を支えた手は大きく、その鋭い眼つきは百戦錬磨の戦士を思わせる。
 そんな無骨な男と少女の組み合わせは何処か異質な感覚を抱かせる。
「あんたは?」
 フレアが問うと、男は一瞬眼を細めてすぐに無表情に戻り、
「お前が物資を届けてくれたのか?」
「……ああ」
 コートの男は一方的に質問を返してきた。
 慣れない対応に若干狼狽えながらフレアが答えると、男は眼を細めて頷く。
「……礼を言う」
 無視されたかと思うと、今度は頭を下げる。そんな行動にフレアは困惑していた。
 ――読めないやつだな。
 それが、この集落のリーダー、シーク=フォーレスの第一印象だった。

 フレアたちがしばらく滞在したいと申し出ると、シークはそれを快諾してくれた。
 貸し与えられたのは廃墟ビルの一室だ。窓も扉もある『普通の部屋』はこの街ではかなり希少だ。
 それだけ感謝されているということなのだろう。
 リースのことを思えば、男女別々の部屋を借りるべきなのだろうが、この街ではそれはわがままでしかないだろう。
 何より、リースがそれを拒んだ。理由は判らない。
 記憶喪失の身では心細いのだろうか。しかし、ニエットが一緒の部屋で寝ようと提案した時もフレアが行かないと聞くや、すぐに断ってしまった。なのでその日はニエット、リース、フレアは同じ部屋で眠ることになった。
 何かが起きてもその場で自分の身を守ってくれる。そんな人物が、傍にいて欲しいということだろうか。
 それほどまでにヴァルトニックの軍勢が来ることを恐れているというのか。
 そんな彼女の逃亡生活を思うと、不憫でならない。
 どうにかしてやりたい。フレアはそう思っていた。
 だが同時に、この街の現状に関してもフレアは憂いていた。
 リースに関してもそうだが、何も手を打たず放っておくなどしたくなかった。
 見知ったからには何かしらのことはしてやらなきゃならない。そう感じていた。
「……どうすりゃ、いいんだろうな」
 くすんだ街並みを窓から眺めながら独り呟いただけのつもりだったが、予想外のところから返事が返ってきた。
「フレア……、さんは誰にでも優しいんですね……」
 窓ガラスに色素の薄い黒髪の少女が映る。
「だって、放っとけないだろ? それと、敬語はいらねぇって。なんていうか、距離を取られてるみたいで、好きじゃないんだ。まぁ距離を取りたいってんなら、止めないけどさ」
 敬語は好きじゃない。それは、フレアの持論みたいなものだ。
 敬語は距離を取るために使うものであって、仲良くなるうえでは必要ない。友好の妨げにだって成り得ると思っていた。
 かと言って距離を置かないわけにもいかない。近づきすぎれば衝突する場合もあるからだ。
 近すぎず遠すぎず。適度なバランスを保つことが対人関係において大事なことだ。
 徹底的に距離を開けたがる妖精族の中では異端の考え方だが、フレアはこの考えが間違っていると思ったことは一度もない。
 リースは落ち着かなそうにスカートの端をぎゅっと掴んで何か言おうとしていた。
「え……、と。その……、……ふ、……ふれあ」
 なんだかたどたどしい言い方がおかしくて、フレアは噴き出してしまった。
 しばらく笑っていると、リースは顔を赤く染めて抗議の視線を向けてくる。
「もうっ! そんなに笑うことないじゃないですか!」
 また、敬語が出ていることを指摘すると、リースは湯気が出そうなくらいに赤面した。
 あまりに空が暗くて、あまりに街は色味がなくて、だからなのかこんなくだらないことが妙に可笑しくて仕方がなかった。
 あるいは、そうでもして笑いたかっただけなのかもしれない。
 きっとこの街に必要なのは、こういう色だ。こういう空気だ。こういう、人間なのだ。

――

 その日、住民の代表者が集って、話し合いが行われた。
 もっとも、フレアたちが来る前までの話し合いは形だけの慰み合いでしかなかった。
 お互いに不平不満を言い合い、結果どうしようもないという結論に至るだけだった。
 シークが仕切るようになり、少しは変わったが、やはり結論は変わらない。
 どうしようもなかった。
 だが、フレアが加わり、戦力は増した。今まで諦めていた計画も動かすことが出来る。
「掃討作戦だ」
 シークは言葉少なに説明した。
「奴らの動向は既にある程度探ってある。そろそろ動きがあるはずだ。そこに横槍を入れて誘い出す」
 住人たちの視線はシークに注がれる。シークはそれに頷いて返す。
「斥候の向こう側であぐらを掻いている、奴らの頭を誘き出して、潰す」
 シークの瞳に殺意の焔が灯る。
 ニエットと対する時とは別人の眼だ。
 彼の姿に似つかわしい眼とも言える。
 シークは悠然と言ってのけたが、住人たちは素直には従えない。
「ヴァルトニックに逆らうってのか……!」
「勝てる訳ない……。殺されるに決まってる!」
「お、オレは行かないぞ! あ、足手まといになるだけだ!」
 一部の住人たちが騒ぎ出した。
「だが、戦わなければ蹂躙されるだけだ。それはお前らが一番よく分かってる筈だ」
 シークは依然落ち着いた様子で語り掛ける。
 狼狽えるように住人の一人が訴える。
「も、もっと戦力が整ってからのほうが……。フレアくん一人加わってくれたってあまりに……」
 しかしその発言は途中で打ち切られる。
「私も戦います!」
 挙手をして立ち上がったのはリースだった。
「もう守られるだけなのはイヤ。私にだって出来ることがあると思うから」
 そこには、初めてフレアと会った時と同じ、強い意志を感じさせる顔があった。
 周囲はリースに圧されていた。年端もいかぬ少女が戦うと言ったのだ。
 保身だけの発言など出来よう筈もなかった。
「やろうぜ。今出来る事を、精一杯さ」
 フレアが諭すように言う。
 次第に反発の声は減っていった。
 それを見届けると、シークは良く通る声で語る。
「これだけの好機はもう二度とない。チャンスはこれきりだ。決行は次に奴らが来た時。街に侵入してきたところを追い返す」

「良かったのか?」
 話し合いは終わり、住人たちがいなくなった後、シークは口を開いた。
 どちらかというと、フレアに対して訊いているようだった。
 しかし、リースはそれに気付かなかったのか、即答する。
「大丈夫です。私だって、戦えます!」
 シークはリースを一瞥し、すぐにまたフレアを見た。
 それでいいのか、と問いかけているようだった。
 正直、フレアとしても不安がないわけではなかった。
 だが、『戦いたい』という意志は否定すべきものではない。そう思っていた。
 『戦いたい』という意志は尊重されるべきものだ。
 でなければ、どうだ。
 フレアにとって、戦う意味とは生きる意味に等しいものだ。剣に懸けてきた想いは百五十年分にもなる。
 フレアはその年月を否定出来ないし、否定をしたくない。
 自らの人生を否定するような発言はフレアには出来ない。
 だから、こう言うしかなかった。
「じゃあ一緒に戦おう。オレがお前を絶対に死なせない」
 それが、フレアに出来る精一杯の返事だった。
 同じ『戦う』ならせめてリスクを減らそう。
 そして、勇気づけるようにリースの手を強く握ってやった。
「だからせめてオレの傍にいてくれないか」
 以前のように離れ離れで何かが起きれば、今度は守り切れるという保証はない。
 だが近くに居れば対処はしやすい。守れる確率は相当に上がる筈だった。
「えっ……! いきなりそんな……。なんか恥ずかしいな……」
 見ればリースは何故か顔を赤らめてそっぽを向いていた。
 何に照れているのか分からず、シークに訊こうとするが、
「やれやれ。薮蛇だったかな。あとはゆっくりどうぞ、おふたりさん」
 シークは後ろ手に手を振って部屋を出ていってしまった。
「え、と……。あ、ありがとう。その、フレアの気持ちは、ちゃんと分かったから。すす、すごく嬉しいよ。ま、前向きに、えと、け、検討するねっ」
 リースはバタバタと走り出し、部屋を去ってしまう。
 部屋にはフレアだけが残された。
「……アレ? オレなんか変なコト言ったかな……?」
 いくら考えても、フレアには分からなかった。

――

 そして、その日がやってきた。
 
 銃声が反響し、積もった灰が風に舞う。
 シークが先頭を走り、黒服の兵を剣で薙ぎ倒してゆく。フレアとリースはそれに続く形で前進する。
 シークが振るっているのは、独特な形状の剣だった。
 刀身は俗にブレイドと呼ばれる類の幅広の剣で、主に斬撃を主とするタイプのものだった。それ自体に特筆すべき点はない。
 異常なのは柄だ。グリップに相当する部分。そこには銃が備え付けられていた。
 まるで銃の砲身から剣が生えているような、そんな形状をしている。
 今の扱いを見る限りでは、普通の剣と変わらないように見える。
 弾鉄に指をあてがう仕草すら見せない。
 銃としても扱うことが出来るということか。フレアは想像でそう結論づける。
 シークは強く、この部隊を鎮圧するだけなら彼一人で十分なのではないかとフレアは感じていた。
 事実、フレアもリースもついて行くだけで戦闘は終結していた。
 ヴァルトニックの一派が占拠していた廃墟の屋上に登り、フレアは周囲を警戒していた。
 遅れて、階段を登ってきたリースが、肩で息をしながらフレアに歩み寄る。
「……ハァ、……ハァ」
 リースは随分と苦しそうだった。一般人にはただついて行くだけでも相当に重労働なのだろう。
 それどころか、よくよく考えてみればついて来れているということ自体が既に普通ではないような気もする。
 それほどにシークの侵攻は速かった。
「よくついて来れたな。結構な速度で走ってたろ?」
 言うと、リースは目を細めて顔を上げた。
「……それが、……傍に居ろとか、……言った人の……、台詞……?」
 リースは息を詰まらせながら、不満げな表情を見せる。
 それを聞いてフレアはようやく思い出した。
「……ゴメン。なんつーか、ホラ。あるだろ? 集中すると周りが見えなくなるっつーかなんつーかさ……。えーと、悪かったよ。……怒ってる?」
「ハァ……。そりゃ怒ってますよ。……けど、もういい。期待するだけ無駄みたいだし。わたしの勘違いみたいだし」
 リースは不貞腐れたようにそっぽを向いてしまう。
「勘違いって、……いや、否定はできねーか」
 守ると言っておきながら、置いてきぼりにするかのように、突っ走っていたのでは、何を言っても説得力はないだろう。
「ゴメン。約束するよ。今度は絶対にお前のことをずっと見てるから。だから安心してくれ」
 リースの肩を掴んで、栗色の大きな瞳を見つめる。
 その瞳が揺らいだように見えた。が、リースはフレアから視線を外してしまう。
「どうかしたのか?」
 リースは少し頬を赤色に染めて、灰色の空を見ていた。
「ううん。な、なんでもない」
 リースは何かに動揺しているようだった。
「空に何かいるのか?」
 フレアが空を見上げると同時に後ろから声が聞こえた。
「やれやれ。出歯亀だったかな。一応謝っておくが、所構わずちちくりあうのもどうかと思うぞ」
 そこにいたのはシークだった。廃墟内の残党がいないかを見回ってくれていたのだった。
「よし。あとは向こうが動き出すのを待つだけだな」
「それが最大の問題でもある」
 シークは表情を曇らせた。

 日は沈み、3人は廃墟の一階に集まっていた。
 煤けた暖炉に火を灯し、フレアは燃え広がる炎に目を落としていた。
 リースは肌寒いのか、手を暖炉にかざしていた。
 シークはガラスのない窓から夜の空を見上げていた。
 やがてシークは向き直り、口を開く。
「お前ら、奴らをどこまで知っている?」
 奴ら、とは勿論ヴァルトニックのことだろう。
「黒服を着たよく分からん軍隊で、街を荒らしたりしてる嫌な奴、かな」
 リースはそれに頷くだけだった。
「お前はどんな田舎で育ったんだ」
 シークは溜め息混じりに呟く。
 お前は? とでも訊くようにリースの方を向いたが、リースが記憶喪失である旨を伝えるとシークは呆れたように頭を振る。
「分かった。そこから説明しよう」

 ヴァルトニックとは、武器・兵器の発達したこの世界で、最も力を持っている企業の名だ。
 起業後数年で業界トップに躍り出て、今や世界の金の3分の1はヴァルトニックが持っているとまで言われるほどの巨大な武器兵器生産輸出会社となった。
 その力はすでに国家レベルを越えていて、『法律よりもヴァルトニックの顔色を気にしろ』と親は子供に摺り込むという。
 会社がそこまで異常発達した理由は実はあまり良く分かっておらず、密輸や裏の組織の繋がりを指摘する声もある。
 会社が力を持つだけなら、まだそれほど大きな問題とは言えない。
 問題なのは、それだけの力を持った会社がその力を濫用しているということだ。
 ある街では住民たちは死ぬまで働くことを強要され、ある町では演習と称して残虐な破壊活動が行われているという。
 しかし、国家規模でも逆らうことが困難な存在であるため、全ては黙認されている状態なのだ。
「つまり胸糞悪い奴らの横行は、今日日珍しくもなんともないってことだ。街でも聞いたろ。『ヴァルトニックに逆らうなんて』ってよ。つまりはそういうことさ」
 シークはそこまで語ると、口を閉ざした。
 フレアには政治的な話などは分からない。ただそれでも、ヴァルトニックを放ってはおけない。目的が何であれ、こんなくたびれた街を量産するような存在をフレアは許せなかった。
 ――まずはこの街を救おう。そしてそれ以外にもヴァルトニックに蹂躙されている地区があるならそこへ向かおう。なんとかしなくちゃな。
 そのためにも、今後の動きを話し合う必要があるだろう。
 そう思ってフレアが顔を上げると、シークもリースも同時に顔を上げていて、ふいに視線が交錯する。
 目が合うだけで三人は気持ちを共有しているという確信があった。
 シークが口を開く。
「さて、それじゃあ詳しい話をしようか」
 フレアとリースはそれに頷く。

――

「第2観測所が墜ちました」
「分かった。下がれ」
 部下らしき黒服の男は頭を垂れたまま、後退し、そのまま部屋を後にする。
 部屋には一人の男のみが残されていた。
 その男も黒い服を纏っていたが、その装丁は部下らしき男のそれと違って、随分と豪奢な趣向だった。
 その違いが二人の違いを決定的に示しているようでもある。
 だが、男はその服を着崩していた。
 凝った服をだらしなく着ている様は壮絶な違和感を孕む。
 また、男の仕草は妙にわざとらしく演技がかっていた。
 大げさな形で額に手を当てると、男は自嘲したように笑う。
「さて、仮に報告が真実だとするならば、面白いことになるな」
 クツクツと男は含み笑いをし、カーテンのない窓を見やる。
「一人でヴァルトニック兵を薙ぎ倒した銃剣-ベイオネット-使い……。灰色の髪に灰色のコート、ねぇ」
 空は暗く、天候は読み取れない。新月の夜だった。
「こんな所で何をしているんだ? シーク=フォーレス」

――

「向こうが動き出さない可能性があるのか?」
 フレアは信じられずに訊き返した。
 シークはそれに頷く。
「まぁ、指揮官次第だがな。オレたちの動きを見て警戒するのなら、動かずに様子をみる可能性もある。だが、挑発に乗るような単純な奴なら間違いなくやってくる筈だ」
 そう言われ、フレアは懸念事項を口にせざるを得なかった。
「動かなかった場合は、どうするんだ」
「捕らえた生き残りに吐かせる……、って選択肢はありえないな」
「一人残らず逃げて行ったからな」
 フレアが溜め息を吐くと、シークは冷笑的に言う。
「馬鹿言うな。あいつらはな、何も吐かねぇんだよ。オレらにとっちゃ雑魚でも、向こうはプロなんだ。捕虜になるくらいなら落とし前は自分で付ける。そういう組織なんだよ」
 それは、フレアを苛立たせるのに充分な言葉だった。
「ふざけんなよ。命を何だと思ってるんだッ……!」
「ま、それが普通の反応だろうな」
 窓を覗いていたリースが声を上げた。
「ねぇ、あれ見て!!」
 黒い空に煙が上がっていた。赤い光りに照らされて、煙は空へ昇ってゆく。
「あの方角って、まさかッ……!」
 シークは歯を剥いて立ち上がる。
「……そういう、ことか……」
 フレアが訊き返す間もなく、シークは廃墟を飛び出していく。
 フレアとリースは慌ててそれに続いた。

 燃えていた。緋々と燃えていた。
 雲を染め、空を染め、地を染め、焔は緋色に燃えていた。
 猛烈な異臭がした。まるでつんざくような異臭だ。
 今まで嗅いだことのないような臭いだった。
 嘘のような光景が広がっていた。
 信じたくない、とフレアは思った。
 だが、緋い光が。鋭い異臭が。照り返す熱が。
 残酷なほどに、それを真実だと告げていた。
 燃えていたのは街だ。廃都ルインガルド。
 廃墟の街は、ただの瓦礫の塊となった。
 激しい焔と、無数の住民の亡骸を残して。
「うそ……ッ!」
「…………」
 リースは顔を覆い、泣き崩れ、シークは一言も発さずに焔を見つめていた。
「なんでだよッ!! どうしてだッ!!!」
 フレアは地面を殴りつけた。
 どうしてこんな簡単に人が殺されなければならない。
 彼らが何をした。
 ただ懸命に今を生き抜こうとしていただけだ。
 彼らは正しい人間だった筈だ。
 ならば救われなければならない筈だ。
 なのに奪われた。
 理不尽に奪われた。
 この街は廃墟の街だ。そもそも燃えるようなものはロクに残っていない。
 燃やそうとしなければ、ここまで大規模な火災にはならない。
 天災ではない。人災なのだ。
 ならばそれは誰がやったのか。
 もはや問うまでもない。『ヴァルトニック』がやったのだ。
 観測所をひとつ潰した。その報復に街一つを焼き払ったのだ。
 それは明確な意思表示だ。
 『ヴァルトニック』に逆らうことは赦されない。
 それをフレアたちに伝える為に、それだけの為に街が一つ滅んだ。
 もう生き残りはいないのだろう。『事』はもう終わってしまっているのだろう。
 ニエットも、あのいたいけな少女もこの焔に呑まれてしまったことだろう。
 彼女も成長すれば、美しい女性へと育ったことだろう。
 天真爛漫なあの笑顔で多くの人間を魅了したことだろう。
 多くの人を救ったことだろう。
 勿論ニエットだけの話ではない。多くの人に多くの未来があった。多くの可能性が残されていた。
 この街が再復興し、明るい街に変わっていた可能性だってある。
 しかしそれらはもう叶わない。
 叶う筈のない夢になった。
 またもフレアは救えなかった。
 エイリッドの時も、目の前で、突然のことだった。
 今回は、剣の届かない場所で起こった。
 一体、何の為の剣術なのだろう。
 目の前の人間も救えず、手の届かないところでは何も出来ない。
「なんでオレは、……こんなに無力なんだろう」
 シークが振り返り、フレアに向き合う。
「そうだな、無力だ。だが、それがどうした。そんなものは戦わない理由にはならねェよ」
 戦わない理由。なんとなくその言葉がフレアの胸に響いた。
「どんな時でも敵を見定めろ。標的を見失うな。そして、絶対に立ち止まるな」
 それは戦術の基礎のようだった。だが、今のフレアにはそれが染み入るように感じられた。
 そして、思い出した言葉があった。
 迷いの淵で、いつも自分を諌めてくれるあの言葉。
「戦うと決めたら剣を振るう。斬ると決めたら叩っ斬る。勝つと決めたら、絶対に倒す」
 気づくと口に出ていたその言葉に、フレアは不思議と活力が湧いた気がした。
「……そういうことだな」
 シークは口の端を吊り上げる。
「……、リース?」
 見ればリースは頭を押さえて苦しんでいるようだった。
「素人がこんな光景に立ち会えば、そうなるだろ」
 シークが肩を竦めながら言うのだった。
「そういうもんか……」
 意識があるのかないのか。それすら判然としないくらい、彼女は疲弊しているようだった。
 座り込み、荒い呼吸をしていた。
「取り敢えず、一旦落ち着ける場所に……」
 言った瞬間だった。
 クヒヒヒ、と笑い声が響いた。
 フレアとシークはそれぞれ得物を構え、その声と向き合う。
「会いたかったゼェ、シーク=フォーレス」
 そこにいたのは黒服の男だった。
 他の黒服の男とは違い、装飾の多い黒服だった。
 そして男の放つ威圧感もまた格が違う。
 フレアは背中に嫌な汗を感じながら、シークに問う。
「あいつは?」
「通称『リボルバー・マーカス』。回転式拳銃を2丁同時に扱う異常者だ。ヴァルトニック社の4人の幹部の一人で、昔馴染みの腐れ縁だ」
 フレアには『かいてんしきけんじゅう』とやらが何なのか良く分からなかったが、ヴァルトニックの幹部というだけで充分に分かった。
 敵だ。
 フレアは剣を抜きかけたが、
「オイオイオイオイ、腐れ縁って。もっと言い方があるだろう? 例えば……」
 しかしその言は途中で遮られてしまう。
 新たに闖入者が現れたからだ。
 フレアはその男に見覚えがあった。
 小汚い格好に痩せ細った身体。名前は知らないがこの街の住人だ。いや、元住人か。
 小汚い男は黒服の男、マーカスに縋みついた。
「オレは言われた通りにしたぞ! 街のやつらに気付かれないようにガソリンを撒いて火を点けた! 例のガキだって渡した! みんなみんな死んだ! ヒャッハ、死んだんだ! オレだけ生き残った! オレはお前ら馬鹿とは違うぞッ! ヒャハッ!」
 シークは鷹のように鋭い目で男を睨んだ
「お前、この街を売ったのか!!」
 シークは銃剣を持つ腕に力を込めた。
「ヒャハッ! 当たり前だろ! ヴァルトニックには逆らっちゃいけねェ。こんなんガキだって知ってらァ! オレが、オレだけが生き残れりゃいいんだよ! さぁ、早く金をくれ! 約束だろ!!」
「最悪だ……」
 シークは視線を落とした。小汚い男はシークには目もくれず、マーカスに擦り寄る。
 マーカスは男の手を払うと、汚いものを見るような冷たい眼で男を見やる。
「ああ、そうだな。報酬を渡す約束だったな。いいだろう。くれてやる、鉛玉で良ければな」
 マーカスは拳銃を構えると銃口を男の口の中に突っ込んだ。
「美味しい美味しい鉛玉だ。しっかり味わえよ。この果報者」
 藻掻く男は塞がらない口で何かを訴えようとしていた。
 しかし、マーカスは止まる素振りを見せず……

 銃声が、響いた。

 止める間もなく、口を挟む隙もなく、男は絶命した。
「ああ、忘れるところだった。シーク。お前にプレゼントがあるんだ。受け取ってくれるか?」
 マーカスは男のことなど始めから何もなかったかのように話し始めた。
「プレゼント? 気持ちが悪い。お前が消えていなくなることがオレにとって最高のプレゼントだよ」
「オイオイオイオイ、言ってくれるじゃねェか。……まぁいい。見てくれれば、きっと気も変わることだろう」
 シークが頭に疑問符を浮かべていると、マーカスの足元、瓦礫の影から見知った顔が姿を現した。
「ニエット……」
 そこには憔悴したニエットの姿があった。
 眼の焦点は合わず、虚ろに前を見据えていた。
「ニエット!!」
 フレアはフラフラと歩き出した少女を支えようと、ニエットの元へ駆け出そうとしたが、
「よせ!!」
 シークはそんなフレアを静止しようとする。
 フレアには意味が分からない。
 シークを半ば無視して、フレアはニエットに駆け寄る。
 ニエットは虚ろな目で、確かにフレアを見ている。
「おにぃ……ちゃ……」
 シークは声を張り、フレアを止めようとする。
 だが、フレアはその意味が理解できず、それを眺めるマーカスは実に愉しそうに破顔し、ニエットは徐々に意識を取り戻したかのように顔に表情を浮かべ。
 フレアがニエットの元へ駆け寄る、そんな一瞬が妙に長く感じる。

『チッ』
 
 何かの音がした、気がした。
 衣擦れか、とも思ったが、もっと機械的な音だった。
 そしてそれをきっかけにして、フレアの意識は途絶えた。

――

 『死の抱擁-セルフタイマー-』。そう呼ばれる兵器がある。
 その兵器を目にした敵兵は確実にその攻撃範囲に自ら近づいてしまう。あとは、接触した瞬間を見計らって指先ひとつで確実に仕留められる。
 その兵器は実にシンプルだ。なので姿は思いのままにできる。
 例えば。
 美しい女性でもいい。傷ついた兵士でもいい。無垢な子供の姿でも構わない。
 その身体に、リモコン式の爆弾を仕込み、敵兵の近づく範囲に設置すれば、後は向こうからカウントダウンを始めてくれる。
 死への抱擁。その罠へ自ら飛び込んでしまうことから、いつしかそれはセルフタイマーと呼ばれるようになった。
 
 見るからに『それ』は罠だった。シークには経験上、それが分かった。
 だが、普通はそうは思わない。
 だから、フレアは近づいた。近づいてしまった。
 そして。
 見たくもない光景だった。
 フレアは衝撃で吹き飛び、意識を失っていた。
 リースもいつの間にか、昏倒しているようだった。
 マーカスは狂ったように嗤い声を響かせていた。
 ニエットは……、言うまでもないだろう。
 シークはただ、一人頭を抱えていたのだった。
 ひとしきり嗤って落ち着いたのか、マーカスはシークへ視線を移す。
「クヒ、やっぱりそういう眼をする訳だ。いいゼェ。そうでなきゃ困る。あの時の指令はまだ解かれちゃいねェんだ! 『アンタを殺せ』ってなァ!!」
 マーカスは腰元のホルスターから二丁の拳銃を引き抜いた。
 対するシークも銃剣を構え、顔を上げた。
 裂帛の気合を宿した、戦士の瞳がそこにはあった。
「そんなに愉しいのか? 『ヴァルトニックのおつかい』が」
 血管を浮き上がらせて、マーカスは憤る。
「テンメェエ!!」
 シークはそれをじっと見据えていた。
 様々な想いが、シークの中にはあった。
 街を大切に想う気持ち。住人を想う気持ち。未来に馳せた想い。貧しさに身を寄せ合った過去。共に過ごした思い出。
 それらを噛み締めて、シークは剣を握った。
 それらを剣に乗せて、マーカスにぶつけた。
 銃剣特有の衝撃と銃声。重い圧力に身体を預け、シークは戦うことに没頭した。斬ることに集中した。
『なんだアンタは?』
『胡散臭い奴だな。傭兵か?』
 何故か脳内で再生されるイメージ。
『依頼……そうか。こいつで頼めばきっと誰かが助けてくれる……!』
『けど現実ってヤツは、そんなに優しくないんだな。……って今更言ってもなぁ! アハハハ』
 辛いだけではなかった。貧しいだけではなかった。
『あの子が依頼を受けてくれた、フレアくんだよ』
『フレアお兄ちゃんっていうんだって! ニエットとあそんでくれたの!』
 確かにそこには人の営みがあって。
『もう守られるだけなのはイヤ。私にだって出来ることがあると思うから』
『やろうぜ。今出来る事を、精一杯さ』
 『希望』は急に終わりを告げた。
 ――オレには誰かを救うことは出来ない。
 それは連綿たる事実だった。
 ――それでも……、
 救うことは出来なくとも。
 ――敵を殺すことなら出来るから。
 だから、戦う。敵を殺す。
 その結果が誰かの救いになると、シークは信じていた。

――

 気づけば、夜が明けていた。
 雲ひとつない白い空。耳が痛くなるような静寂。
 身体には気だるさが残り、起き上がろうとする意思を阻む。
 何故ここで目を覚ましたのか、考えるまでもなく答えは浮かんだ。
 周囲を漂う異臭が、嫌でも思い出させる。
「……なんで守れないんだろうな」
 フレアにとって、それは自身への問いかけだった。
「端から人はそんなに強くはない。きっと誰もがそうなんだ」
 その独白はシークのものだった。
 重たい身体を持ち上げ、フレアは声のほうを向く。
「オレにも出来る事がある筈だった。奴等の横行をどうにか出来ると、そう思っていた。だが、結果はこれだ。オレ一人の力を過信したつもりはないが、オレは奴等の本質を見誤っていたらしい。ちょっとやそっとの攻撃じゃあ何の意味も為さない。逆らうなら徹底的に、だ」
 シークはひとつ息を吐き、やがて何か決意したかのように呟く。
「……ヴァルトニックを、殺す」
「ヴァルトニックって社長の名前だっけか?」
「ああ。ヴァルトニックに組する奴等全てを殺す。情けなど掛けるべきではなかったんだ。逃げる奴も戦意を失くした奴も皆全部、殺す」
 シークは冷たく、悲しく、痛々しく呟いた。
 フレアは、それに頷いてやることしか出来なかった。
 ふと視線を移すと、リースは上の空で遠くを見ているようだった。
「……リース?」
 リースはそれに呼ばれたことに気付かないのか。在らぬ方向を見続けていた。
 そして、何事かを口走っているようだった。
「違う……わたしは……、……知らない」
「リース? どうかしたのか?」
「ひあっ!!」
 肩を叩くと、リースは小動物のように飛び上がり、おまけに奇声まで上げた。
「う、ううん。なんでもない」
 愛想笑いを浮かべ、ごまかされてしまう。
 ――ヴァルトニックにしろ、リースの記憶にしろ、オレたちだけじゃどうしようもないのかもしれないな。
 そう結論付け、シークの提案で一行は交易都市サニーガーデンへ向かうことになった。


第五章 ≪掌の上の攻防 -Zin & Flaija-≫

 廃都ルインガルドはその日完全に滅亡した。
 住人は一人残らず灰に還り、居候であったフレアとシークとリースだけが生き残った。
 襲ったのはヴァルトニックを名乗る社員及びその軍隊たち。
 その指導者であったマーカスを退避させ、フレアたち三人も無事生き残ることは出来たものの、その傷痕は彼らの心に深く刻まれることになった。
 自然とヴァルトニック打倒を掲げることになる三人だったが、その為の資金も仲間も情報も不足していた。
 それらを求め、ウェスティリア大陸で最も栄えている街、サニーガーデンを目指し旅立つ。
 
――

 フレアの目的は、人間世界の情報収集だ。
 エルフの里の外側は、どのような情勢になっているのか。妖精として何かしらの動きが必要なのかどうか。その視察だ。
 道中は妖精であることを隠すための建前として、武者修行というふうにしている。
 これは、あながち嘘でもない。
 剣の腕前を上げることも旅の理由のひとつだ。そして、フレアが外へ出たいと思っていた理由のひとつでもある。見識を広め、意識が変われば太刀筋にも変化が現れるのではないかと考えていた。
 しかし旅に出、ヴァルトニックという組織の存在を知り、当初の目的とはズレが生じていた。
 世界はヴァルトニックにより苦しめられている。フレアの目の前で街がひとつ滅び、リースは記憶を失ったうえ追い回され、シークも何かしらの理由があって戦おうとしている。
 ヴァルトニックを放っておくことは出来ない。
 それは、妖精としての使命だけではない。
 フレア自身が赦せないからだ。
 目の前で消えていった命を、覚えてしまっていたからだ。
 忘れることは出来ない。無かったことには出来ない。
 フレアの体内で、脳内で、繰り返し再生され続ける悪夢を消し去ることは出来ない。
 ヴァルトニックの横行を喰い止めなければならない。
 それは使命感でも責任感でもない。
 焦燥感のようなものだ。
 せずにはいられない。それほどまでにフレアの網膜に灼き付いていた。
 まだ幼い少女の、色褪せた笑顔が灼き付いていた。

――

 サニーガーデンはその名の通り、太陽のように明るい街だった。
 住民には活気があり、道を歩いているだけで街商人の客引きの声があちこちから聞こえる。
 今のフレアたちには少し眩しく感じる光景だった。
 シークがいたお陰で宿屋は迷うことなくすぐに見つかり、一行は早速部屋へ上がる。
 宿は繁盛しているらしく、部屋はひとつしか借りられなかったので3人相部屋となった。
 もっとも、部屋をふたつに分けたところでまたリースが反発した可能性も充分にあるのだが。
 ともあれ、ルインガルドを発ってからの疲れをここで癒し、今後の動向を定め、情報を集める。
 それがここでの目的だった。
 まだ日は高く昇っていたが、3人は示し合わせたように同時にそれぞれの寝台に倒れこんだ。

――

 リースは闇の中にいた。
 重力さえもない完全な黒の世界。
 周囲からは声が聞こえる。
『思い出せ!』
『嫌だ、怖い!』
 声は主に2種類。
『何を恐れる?』
『知りたくない!』
 高圧的で嫌悪感の走る声と臆病でみっともない声。
『ホントは分かってるんだろう?』
『違う! 何も知らない!』
 リースには分かっていた。どちらが本当の自分なのか。
『ヘェ……。じゃ、《何》を知らないの?』
『……な、何も、何も知らない……』
 情けないくらいに分かる。分かってしまう。
『《嘘》だね。何も知らないくせに怖いと感じる訳がないでしょ? アンタは知ってるんだよ。怖いものが《何》なのか。……いや、』
『やめて!!聞きたくない!!』
 リースも一緒になって叫ぶが、その声は自分の声で掻き消えてはくれなかった。
『アンタが過去に、《何》をしたか』

「嫌ァっ!!!」

 気づけば汗だくになって、リースは寝台の上にいた。
 ――夢……?
 リースは荒い呼吸のまま、汗で濡れた髪を掻き上げる。
 手は震え、眼の焦点も合わないくらいにリースは動揺していた。
 辺りは暗く、窓からは僅かに月明かりが差し込んでいた。
 しばらく深呼吸を繰り返し、気持ちも幾分か落ち着いてきた。
 それは、少し前から分かっていたことだった。
 リースは記憶喪失だ。
 リースには、診療所で目覚める以前の記憶がない。
 だが、それ以外にも抜けている記憶がある。
 完全に追い詰められた筈の黒服たちからどうやって逃げ切ったのか。
 フレアに助けてもらった直後から噴水のある広場で話をするまで何処で何をしていたのか。
 暴漢に囲まれた時も追い詰められた後、気付いたら路地を駆けていた。
 これらの記憶障害は一体何なのだろうか。危機的状況において、リースは、記憶を失う代わりに生き永らえているようだ。
 他にも、ヴァルトニックの観測地点を陥落させる際、全力で走るシークに、リースはついて行くことが出来た。これにはフレアも驚いていた。
 記憶を失っただけのただの少女には、絶対に出来ないことである、と。
 そして、思い出したくもない、だが、忘れるわけにもいかないルインガルドでの出来事。
 リースは知っていた。あのつんざくような異臭も、血の匂いもあの焔も。感じたことがあるのだ。
 しかし不思議と、そこから憎しみは湧いてこない。
 ――湧いてくるのは、何だろう……
 言いようのない倦怠感。虚無感。それはまるで。
 ――そう、それはまるで。
 リースは顔を覆う。
 押し寄せる感情の波を噛み殺すために、身体全体を緊張させる。
 甘えては駄目だ。
 この恐怖だけは、誰に委ねてもいけない。
 自分自身で決着をつけなければいけない。
 リースは宵闇の中、独り強く誓うのだった。

――

 この街には一週間程の滞在となるだろう。
 その間に次の目的地などの情報を仕入れる。
 シークに描いてもらった地図を元に、フレアは街を歩いていた。
 路は広い通りに繋がっていた。通りには多くの住民や馬車などが往き交う。未だ馴染めない街の光景に、フレアは目眩を覚える。
「いい加減、慣れないとな」
 気を取り直し、改めて地図を見つめる。
 目的の場所を再度確認し、再び顔を上げる。
 そして、歩みを再開する。
 『冒険者ギルド』。
 それがフレアの向かう場所の名前だ。


 一方、シークは買い出しに出掛けていた。
 旅をするには色々と物が要る。
 最低限とは言え、服や食料もいる。そしてシークの場合は特に装備品がかさばる。
 銃剣には弾薬や整備に使うオイル、分解するために使う工具などが要り、重量はそれなりにある。
 しかもそれらはどんなに丁寧に扱ったところで、いづれは消耗し、無くなってしまう。
 そのうえ、手を抜けばすぐに動作不良を起こし、下手をすればその余波で大怪我すらし得る。
 金も手間も掛かる。そんな銃器だが、扱う者はかなり多い。
 それだけの手間暇を天秤に掛けた上でも銃器を選択する理由は、やはり性能の差だろう。
 例え戦闘経験の全くない一般人でも、弾鉄を引くだけで驚異に成り得るのは手間暇を差し引いても充分過ぎるメリットなのだ。
 それは玄人でも変わらない。圧倒的な破壊力の兵器を自在に扱えるならば、その人物は戦場の鬼と化す。
 だが、シークの持つ銃剣はその中でも特殊な位置にあると言える。
 素人に持たせたところで、何の役にも立たない銃器なのだ。
 それ故にその使い手は少なく、達人となると数えるほどしかいない。
 なので実用化は殆どされておらず、現品を店頭で見かけることはまずない。
 当然、その部品や整備に使う工具なども市場には出回らず、それが使い手の少なさに拍車をかけている。
 シークが持っている銃剣は、その為の対策として、銃や剣の整備品を代用できるように作られている汎用型だ。
 ――必要なのは、オイルと弾薬と、あとはいくつか交換したい部品があるんだが……
 シークが見上げた看板には、『ミスリル・ガンズ』と書かれていた。
 『ミスリル・ガンズ』製ではない武器を扱っているシークにとって、あまり気の進む店ではない。
 溜息を吐き、シークは手元の相棒を見る。
 ホルスターから覗くグリップには愛用するブランドの刻印があった。
 十字に交差した銃と剣。
 その下には、

 『ヴァルトニック』と刻まれていた。


 フリーの傭兵、ジン=フラッドは冒険者ギルドにいた。
 ツンツンと逆立った金色の髪に革のジャケットを羽織ったジンはいかにも旅人といった格好をしていた。
 傭兵と言われればそう見えなくもないが、その割には軽装であった。
 しかし、腰から下げた二振りの剣はその服装によく馴染んでいて、旅慣れた様相を呈している。
 ジンはテーブルの上に突っ伏してうーうーと唸った。
 二十代の男が子供のように無邪気にうなだれている姿は、彼の思考の残念な具合をそのまま体現していた。
 そんなみっともない姿に嘆息しつつ、なだめるように言を紡いだのは彼の正面に座っていた女性だった。
「獲物を先に取られたぐらいで拗ねてんじゃないよ。ウチらにだって運は回る」
「うー、ならフライヤ。なんかオモロイもん見つけてきぃや」
 ジンは依頼の貼られたボードを指差してうなだれる。
 フライヤは頭を抱えて立ち上がると、丁度その時、カランカランと鐘の音が聞こえた。
 ギルドの来客を示す鐘など普段なら気にも留めないが、この時は違った。
 そこには大剣を背負い、白い装束を身に纏った黒髪の男がいた。
 裾や袖には赤色の縁がついた白い装束を黒の帯が締め上げている。
 フライヤもジンも、特に意味があるわけでもなく、だが、何故か気になり、その男から目を離せなかった。
 黒髪の男もこちらに気づき、三人の視線が交錯した。


 状況は今までとは全く違う。
 フレアにはお金が必要だった。
 情報にしろ、戦力にしろ、得るには資金がいる。
 となれば、依頼を受けるにも慎重に見定めなければならない。
 フレアは壁一面に広がるボードを見定め、腕を組んだ。
 時間は限られている。身体だってひとつしかない。一度に受けられる依頼はひとつだけだ。律儀に全て果たしていては時間が掛かりすぎる。
 『報奨金』の欄だけに絞ってボードを読破していくことにする。
 そうして依頼の山を読み進めていき、やがて一枚の依頼書で指が止まった。
 数千ルースから良くて数万ルース程度の額の中、ひとつだけ桁の違う依頼があったのだ。
「200万ルース……?」
 最近ようやく金銭感覚が身についてきたフレアだが、この金額には覚えがない。
「あそこの定食が800ルースだから……」
 とっさに思いつくものが食べ物な辺りにフレアの思考回路が窺えるのだが、ともあれそれはとんでもない金額だ。
 それだけの報酬を支払おうというのだから、依頼内容もとんでもないものに決まっているだろう。
 だが、その金額を放っておくことも出来ず、フレアは依頼書に手を伸ばし、そしてその手が誰かの手とぶつかった。
 慌てて振り向くと、そこにいたのは先ほど目を合わせた女性だった。
 金色の髪に赤い民族衣装のようなものを纏った美しい女性だった。
 10人が10人とも振り返るような美女で、この場に居合わせていることが間違いであるかのような錯覚すら起こさせる。
 女性は腰に届く長い金髪をなびかせ、朝空のように澄んだ声で「ごめんなさい」と言った。
 気づけば周囲にいた客たちは男も女もみな彼女を見つめていた。一挙手一投足に至るまでその全てから目が離せないようだった。
 一方、フレアはその女性に見惚れそうになりながらも、同時に恐怖すら感じていた。
 一見、柔和な表情を見せているものの、彼女からは強い威圧感が放たれていたのだ。
 そして、彼女は明らかに最初からフレアを見ていた。つまり、フレアが手を伸ばすのを分かったうえで敢えて同じタイミングで腕を伸ばしたに違いない。
 ごめんなさいと言いながら彼女が見せた微笑みは、完全に完成された笑みで、事が起こる前から用意されたものだった。
 その奥には他の客には決して悟らせない、何かギラギラした感情を潜ませていた。
「そうだ。ひとつ、勝負をしてくれませんか? この依頼を賭けて」
 パチンと手を叩いて、おねだりをする娘のように首を傾げる。
 その所作はいちいち可愛らしく、不快感を感じさせない。
 その完璧な演技が逆にフレアには恐ろしかった。
 背中に冷や汗が流れるのを感じながらも、フレアはそれに応じるしかなかった。


 リースは通りに立ち尽くしていた。
 人通りは多く、立ち止まっていれば道行く人の肩がぶつかったりして居心地はあまり良くない。
 それでもここで立ち往生しているのには理由があった。
 シークは買い物を一手に引き受け、朝のうちに宿を出て行った。
 フレアは冒険者ギルドへ赴き、依頼もしくは情報収集を行うため、昼前に(昼食を早めにとった上で)出掛けていった。
 リースは近隣の情報やヴァルトニックの動向などを探るため、酒場へ向かうことに決まっていた。
 しかし、リースは酒場の前で立ち止まっていた。
 目の前には『営業中』の札が掛けられ、歓迎の意を全面で表しているのだが。
 ――なんか、怖い……
 リースの中で、酒場とは屈強な男達が赤い顔をして大声で笑い合っているようなイメージがあった。
 そんなところへ自分が入ろうものなら、何をされるのだろうか。
 酌を頼むとか言われて無理矢理隣席に座らされ、ロレツの回らない口で愚痴を聞かされたりしないだろうか。
 あるいは店へ入るなり食器や食べ物を投げつけられたりしないものだろうか。
 それとも、以前の暴漢のように取り囲まれたりはしないだろうか。
 酒を飲んだことのないリースには酔っ払いたちの思考が読めない。
 まして酔っ払った人間に立ち会った記憶がないのだから、恐怖感は加速せざるを得ない。
 ――いや、……いくらなんでも考えすぎか。
 知識や人生経験に劣るリースに対して、フレアやシークは酒場での情報収集を頼んだのだから、心配することはないのだろう。
 安全にやり遂げられるものを頼んだに決まっている。ふたりのことをちゃんと信じてやらなければならない。
 記憶喪失の自分を受け入れてくれているふたりを、自ら拒むのは筋違いだろう。
 リースは、そうやって理由付けをして、酒場の戸に手を掛ける。
 恐怖が身体を後ろへ下がらせようとしたが、リースはぐっと目を閉じて一気に扉を開いた。
 途端に広がる客たちの歓談の声に、リースは飛び込んでいった。


 孤独な一人旅ならともかく、人数が多くなれば旅に必要な物品は比例して多くなる。
 シークは両手に大荷物を抱え、宿へ向かっていた。
 このまま旅を続けるのなら、荷物に関しては懸念すべき事項のひとつだ。
 馬車か何かを買うべきか、だがそうするとまた予算が必要に……と、頭をもたげていたのだが、ふと立ち止まってしまう。
 街の門を抜け、荒野へ向かう3人組。その中に白い装束を纏った黒髪の青年がいた。
「フレア……か? 何で町の外へ……」
 少し逡巡し、依頼を果たしに向かったのではと推測する。
「気の早い奴だな……」
 シークは荷物を置きに行くために、宿の方角へ向き直る。
 フレアに感化されたのか、少しだけ足を速めるシークだった。


「で? 何が目的なんだ?」
 街の外、門が見えなくなってから、フレアは尋ねた。
「クスッ。何のことかしら?」
 フライヤと名乗った美女は子供のように無邪気な笑顔を見せる。
 いや、作られた笑顔を無邪気と表現するのは間違っているのかもしれない。
 楽しんでいるのは間違いなさそうだが、その表情にはどことなく作為的な雰囲気を感じる。
 あるいは芝居掛かっている、といったほうが適切なのだろうか。
 そんなフライヤの纏う余裕を持った空気に、フレアは若干苛立って答える。
「初めから俺に用があったんだろ? 周りくどいやり方は止せ」
 フライヤは小首を傾げてみせる。
「初め……?」
「分かってるだろ! ギルドで擦れ違った時からだよ!」
 フレアは思わず怒鳴りつけるようにしてフライヤを睨んでしまう。
 それはそうするようにフライヤが煽っているからだった。
 フレアは分かっていながらもその挑発に乗ってしまう。
「随分と……、可愛い坊やね。そんなに声を荒げなくてもちゃんと聞こえてるから」
「オレはッ……!」
 どうにかして湧き上がる感情を抑えこもうとする。
 いつものフレアならば、ここまで誘いに乗ってしまうこともないのだが、彼女の纒う怪しげな圧力に惑わされているようだった。
 自制心を阻害させられているような、そんな感覚だった。
 全身を強ばらせて気を集中する。
 そうやって、臨戦態勢を作り上げ、どうにか自己を確立する。
「ヘェ……」
 後ろにいた旅装をした金髪の男が感心したように声をあげていた。
「まさか、フライヤの挑発をいなせるほどの上玉とは思へんかったな」
 旅装の男は独特な訛り方で賞賛の言葉を告げる。
 もし口車に乗って、フライヤに跳びかかっていれば、敗北は必至だっただろう。
 ジンの放った言葉はそういう意味だった。
 だが、フレアはジンを見ずに、フライヤのみを見定めていた。
 二人と同時にやり合おうとしたら、足元をすくわれる。
 至近距離にいて、かつ最も脅威を感じるフライヤだけに的を絞り、集中する。
 幸い、ジンのほうは遠巻きに見ているだけのようだった。
 フライヤが、油断できない手合いだということは、最初から分かっていた。
 それは、感じたことのあるプレッシャーだったからだ。
 歪みや澱みがなく、強く鮮やかで、眩しい気配。
 長老からも似た空気を感じたが、それよりも異質な気配。明らかにそっくりと言えるのは、クレアの気配だ。
 フライヤは人間でありながら、クレアと同質の気を纏っていた。
 フライヤの挑発をフレアがいなせたのは、ひとえにクレアとの実戦経験ゆえのものだった。
 まともな手段では勝ち目はない。とはいえ、交渉も容易な手段とは言えない。
 フレアは臨戦態勢のまま、剣の柄には手を掛けない。
 それが今できる最上限の行動だった。
「穏やかにはいきそうにないか……。じゃあ、」
 瞬間、フライヤの姿が消えた。
 動揺する間もない。
 首筋に冷たい感触が触れる。
「ねぇ」
 フライヤは背後にいた。いつの間にか抜かれていた剣が、バイオリンを奏でるような手つきでフレアの喉元に突き付けられている。
 声は艶やかで蠱惑的だが、この状況では寒気しかしない。
 フライヤはフレアにしか聞こえないような細く艶やかな声で尋ねる。
「《妖精》が人の世界にはるばる何しに来たの?」
 フレアは一気に血の気が引いた。
 しかし、一度体感した事態でもある。なので、フレアも簡単に証拠となるような言葉を口走ったりはしない。
「ようせい……? 何のことだ?」
「ごまかす余裕はあるみたいね。じゃあ、」
 一息飲んで、フライヤは続ける。
「貴方の故郷って何処かしら? 随分と田舎にあるみたいね」
 フライヤがどういう根拠で質問をしているのかは分からない。
 下手に情報を出す訳にはいかない。
 だが、隠し過ぎても疑われるだけだ。
 疑惑が深まれば、少ない情報からでも、いずれエルフの里すら彼女なら自力で見つけ出せてしまいそうだ。
「答える必要は、」
 言い終わる前にフライヤに挟み込まれる。
「隠す必要がある訳?」
 言動は全て先回りされている。
 口を開いた瞬間にその言葉の回答を割り込ませてくる。
 フレアの顎を汗が伝う。
「どうして、そんなことを訊、」
「ねぇ。このバイオリン、いい音を奏でそうじゃない?」
 そんな台詞はこんな状況でだけは絶対に聞きたくなかった。
「……レンデル」
 フレアは用意されていた嘘を吐く。
 レンデルはエルフの里の近辺にあるという人間族の集落の名前だ。エルフの里に似たり寄ったりの田舎町で、里を発つ際にカバーストーリーとしてそこの出身を名乗るよう、指導を受けていた。
 実際にはそんな町には行ったこともないし、どんな場所なのかも知らない。
 だが、何も無い町なので、詳しく知っているものも少なく、出身地として騙っても、バレない算段が高かった。
「3年前に滅んだって聞いたけど」
 フライヤは事もなげに言う。
 情報が混乱して嘘が吐けない。
 そんなふうに返されるとは全く想定をしていなかった。
 まさか既に滅んでしまった町だったとは。
 だが、ここで動揺すれば相手の思う壺だ。
 うまくやり過ごさなければならない。
「旅に出たのは4年前だ。そのことについては残念に思ってる」
 うまくかわせた。そう思っていた。レンデルの村で過去に何が起きたのかは全く知らないがボロは出していない筈だ。
 だが、フライヤは更にとんでもないことを告げる。
「嘘よ」
 フレアは思わず首を傾げる。
 何を言っているのだろうか。何が嘘だというのか。
「レンデルは滅んでない。私の勘違い。で、何が残念だったの? 妖精さん?」
 完全な敗北を悟った。
 フレアは視界は暗闇に沈んでいった。


 酒は臭いものだ。リースはひとつ学んだ。
 馴れ馴れしく触られるといったことはなく、真っ赤な顔で異様に大きい声に大きい図体の男が大きい態度の割に意外と親切に教えてくれた。
「ヴァルトニックって会社はよ、海を渡ったアルミリア大陸に本社があるんだ。城みたいなデッカイ本社でよ、自前の軍隊が守備を固めてるわけだ。そして世の中のほとんどの武器兵器はあそこで作られてるわけだ。だからよ、攻めようにも誰も攻められないんだ。分かるか、奴らは武器兵器のスペシャリストだ。当然大抵の武器の弱点や性能を熟知しているって訳よ。どんな兵器で攻めようにも既に対策済みって寸法さ。ヴァルトニックってのぁ、恐ろしい奴らだよ。お陰で誰一人逆らえやしねぇ」
 シークほどの男が攻めあぐねる理由はこのことだったのか。と、リースは納得した。戦力だけではない。もっと別の力がいる。
 攻め入る為の一手が自分たちには存在しない。そして、それを成し遂げる戦力もない。
「だが、物騒なのは何もヴァルトニックだけじゃない。世の中が荒れてりゃそれに便乗する奴もいる。嬢ちゃんも気をつけな。ここだけの話だが、どうにもこの街にゃあテロリストが潜伏してるらしい。つっても噂だがよ。最近、都市警察が慌ただしくてな。鋭い奴らは皆してテロじゃねぇかって言ってるぜ。要求は……、なんだろうな。良くある話としては安定した生活ってところかね。ヴァルトニックにゃ勿論逆らえねぇが、そいつらに媚びへつらってる国や都市になら或いは……、ってところか? どっかの国でもテロが起きたり起きなかったりしてるみたいだしなぁ。今のご時世、誰だって安定はしねぇさ。恒久的な何かを搾取しない限りはな。それでも普通に暮らすより、国から搾取できるなら当然そのほうが安定するだろ。出来るかどうかは置いておくとしてな」
「テロリスト……」
 それがどんな人種なのかは分からない。だが、何かを無理矢理奪おうとするのなら、それを見過ごすことはできない。
 安定した生活を得られないことは、誰にだってどうしようもないことだ。
 荒れた世の中なら尚の事仕方がない。
 なのにそれを誰かの所為にして、誰かからその代償を掠め取って、それで誰かを苦しめて。
 その責任を世の中の所為にして、自分は悪くないとでもいうのか。
 悪いのはこんな世知辛い世の中だとか、そんな理屈を吐くのだろうか。
 分からない。分からないが、その行動からは甘えが見え隠れしているような気がする。
 自分は悪くない。悪いのはこうさせた世の中のほうだ。テロリストが法廷でそう宣言する光景が目に浮かび、身の毛がよだつ。
 ――ふざけるな。
 苦しんでいるのは誰もが一緒だ。安定した生活など誰にも出来はしない。
 自分の不幸だけが特別だとでも言うのか。
 ――反吐が出る。
 男の話では、こんな奴らがあちこちで現れているという。
 それはなんとも不抜けた話だ。その程度の不幸すら受け止め切れないというのか。そんなレベルの阿呆が世には蔓延っているというのか。
 ――アタシが、潰してやる……
 リースは男に礼を言い、店を後にした。
 扉を閉めるとき、「なんかあの子、話の途中で眼つきが急に……」などと男が話しているのが聞こえたが、気にも留めずにリースは歩き続ける。
「……、市庁舎って何処だろ?」
 疑問はさておき、目的地が決まった。リースは腰元のナイフに手を掛ける。


 フライヤは、フレアの喉元に剣の切っ先を突き付けながら、逡巡していた。
 こうしてフレアより、実力的な面でも情報的な面でも圧倒的優位に立ったフライヤだが、それはまだ前段階に過ぎない。
 これからは、依頼においてもそれ以外の面においても、フレアは充分に道具として扱えるだろうし、手足が広がれば、その分仕事もしやすく、情報や資金も得やすい。
 フライヤの求めるものには、それだけ近づけるということになるのだが、そこで問題が一つあった。
 それは、如何に扱うか、だ。
 フレアが妖精だという事実(確信はしているが証言は得ていない)をもってすれば、脅すことでフレアを意のままに扱うことは出来るだろう。
 だが、フレアの人格を重視するなら、むしろ脅さないほうが有利かもしれない。
 彼は単純で素直な性格だ。今までの言動でそれは容易に推測できる。
 そのような性格の場合、不信感を抱かせ無理矢理に働かせるより、自分を信じさせ協力させたほうが十二分に実力を発揮できるのではないだろうか。
 そう考えると、このまま攻めても熱心な協力を取り付けるのは難しいだろう。
 ならばどのような手を投じようか。
 ――さて、『どう』しようかな。
 フライヤは様々な手段を考えながら、思わず笑みを浮かべる。
 しかし、思索は途中で中断される。
 フライヤの頭上に突如刃が出現したのだ。
 真っ直ぐに振り下ろされる一撃を、フライヤは笑みを崩さないまま、踊るようなステップで回避する。
 だが、そこでフレアが示し合わせたかのように抵抗した。
 一つのアクシデントになら充分に対応は出来る。だが、同時に二つ起こったアクシデントには、流石のフライヤも対処できなかった。
 フライヤの腕より逃れたフレアと、空中より降ってきた灰色のコートの男が、フライヤに向き直る。
 ――……二対一、か。
 それでもフライヤは特に表情を歪めることなく二人と対峙する。
「手伝おうか」
「要らない」
 ジンの提案をフライヤは即答で拒否した。
 ジンは少し拗ねたような顔をしたが、それ以上不満をあげない。
 フライヤは、ゆったりと構えながら意識を対峙する二人に向ける。
 フライヤは右手に持っていた片手剣を旋回させ、後方へ引き抜く。左手を眼前に突き出し、構える。
 対するフレアは身の丈ほどの大剣を青眼に構え、灰色の男は半身で銃剣の切っ先をフライヤに向ける形で構える。
 若干の間、対峙していた三人だったが、フライヤは残像を作るような速さで一気に仕掛けてくる。
 それは人間が持つ筋力の限界を越えた動きであり、気功術の恩恵による動きだった。
 肉眼では捉えられないような超高速から放たれる刺突は、まさしく必殺の一撃だった。
 秘技、"バースト・ランス"。
 片手剣で放たれた破壊の槍はフレアの身体を軽々と弾き飛ばす。
 だが、同時にフライヤは受け止められた手応えを感じていた。
 勿論、一撃で仕留めるつもりで放った技ではない。
 大体、ここで仕留めてしまっては脅した意味もなくなってしまう。
 闖入者に交渉を邪魔されたという、この予想外の出来事を更に利用する為には、相手をコントロールするのが一番なのだ。
 だから真っ先にフレアを吹き飛ばした。
 全てはこの闖入者を見定めるためだ。
 だが、灰色の男は同時に動き出してしまっていた。
 フライヤが放った技の隙を突くため、背後に回りこんで銃剣を振り抜こうとしていた。
 銃剣。
 ベイオネットとも呼ばれるそれは、ただ銃の仕組みを剣と繋ぎ合わせただけの武器ではない。
 そういった使い方が主流となってしまっているのが現状だが、それは本来の使い方ではない。
 本来の使い方とは――。
 フライヤは技の余韻のために地面を滑りながら、銃剣の一撃を片手剣で受け止める。
 瞬間。
 銃声と剣戟が同時に嘶き、フライヤの身体が傾ぐ。
 そしてその衝撃が、フライヤの身体を宙へ浮かべる。
 そう――、銃剣の恐ろしさとは、銃弾の破壊力と剣による斬撃を同時に扱えるというその機構にある。
 インパクトの瞬間に弾鉄を引き、銃弾(厳密には銃剣用に改造された特殊弾)を刀身内で炸裂させ、その衝撃を攻撃に利用することで、破壊力を何倍にも高めている。
 その代償として、使用者自身もその衝撃からダメージを負うことになる。特に戦闘において重要な動きを担うであろう手首に対して重大なダメージを与えるので、銃剣は毛嫌いされやすい武器となった。
 その代償を何らかの形で、例えば気功術を戦闘に取り入れることで衝撃を受け流したりしなければ、まず実戦では導入されない。
 灰色の男は間違いなくこのマニアックな武器の熟練者で、同時に気功術の熟練者でもある。
 その一撃はそれほどまでに見事なものだった。
 フライヤは衝撃に引き摺られつつも、宙へ舞い上がる。
 そして受け止めた衝撃を自らの気を放射することで相殺し、身軽になったフライヤはそのままふわりと着地する。
 灰色の男とフライヤは向かい合う形で再び構えを取る。同時にフライヤの背後でフレアが立ち上がっていた。
 二対一という状況は最初から変わってはいないが、挟み撃ちのような状況はフライヤにとっては不利と言える。
 と言ってもそれは一般論で言えば、の話だ。フライヤには通用しない。
 フライヤは微笑すら浮かべていた。
 演技などではなく、本当に楽しいと感じていた。


 フレアは既視感を抱いていた。
 フライヤとの戦いでは、どうにもクレアとの戦いを思い出してしまう。
 片手剣を扱う戦い方もそうだが、底の知れない雰囲気や全力を振り絞っても軽くいなされる感覚はどうにも似ている。
 その経験がフレアに言っている。勝ち目はないと。
 だが、それは野生の勘と言えるのだろうか。ただの臆病風と呼ばれる存在が作り出した幻ではないだろうか。
 勝てる勝てないの話ではなく、勝とうとしていない心理が作り出した、夢幻の類なのではないだろうか。
 勝ち目がないと決め付けるには、まだ早すぎる筈だ。
 フレアは剣に込める力をより強固にする。
 と、シークが走り出していた。
 爆炎を放つ剣を掲げ、フライヤに斬り掛かる。
 フライヤはそれを或いは躱し、或いは受け止め、或いは流すことで反撃に転じる。
 シークは連撃を止めずに、フライヤの一撃も紙一重で躱し続ける。
 フライヤの戦闘技術は完全な達人技の領域で、エルフの里でもまず見かけないくらいの技量(無論クレアは除く)を垣間見せていた。
 シークの顔は険しかった。
 その連撃があまり保たないことは明白だった。
 すぐさま助太刀に向かおうとするフレアだったが、シークは一瞬、フレアに視線を送った。
 その眼が言っていた。『まだ来るな』と。
 フレアは身構え、その意を汲むことにした。
 シークは全身全霊の一撃で、フライヤの隙を作ろうとしているのだろう。
 この苦しい戦況の中、その一撃を放つことが如何に困難か。フレアは充分に分かっていた。
 しかし、カチリ、と虚しい音がした。
 シークの銃剣の装弾数は六発。そして今放たれた斬撃は七発目だった。
 弾切れ。途端にフライヤは身体を旋回させ遠心力を乗せたトドメの一撃を繰り出そうとする。
 フレアは走り出す。だが、フレアよりも早く、フライヤの片手剣がシークに肉薄する。
 刹那。
 シークは顔を歪める。『愉しそうに』。
 そして、弾鉄が引かれた。

 シークの銃剣から暴風が吹き荒れた。
 それを気の奔流であると気付くには、若干の時間が必要だった。
 気の奔流に、シークとフライヤの距離は離され、フライヤの一撃は空を斬る。
 放たれた気流は、ダメージを与えるほどの密度はなかったものの、体勢を崩すには申し分なく、フライヤの意識を拡散させるという意味でも非常に優れていた。
 注意力が散漫になり、体勢は崩れ、フライヤはかつてないような大きな隙を見せていた。
 そこに。
 シークという仲間を信じた男の一撃が解き放たれた。
 龍騎道剣術、赤龍剣。"破神撃"。
 フレアの渾身の力を込めたフルスイングが、フライヤの腹を貫く。
 気の奔流が爆散し、沈黙した空間だけが取り残される。
 フレアの大剣の柄がフライヤの鳩尾を的確に捉えていた。
 フライヤは静かに崩れた。
 目立った外傷はない。とっさに気で防御したのだろう。
 フライヤはそのまましばらくは動きそうになかった。
 しかし、ほっと胸を撫で下ろす間は存在しなかった。
「んじゃ、二戦目と行きましょか!」
 金髪の旅装の男は胡座を掻いた体勢からゆっくりと立ち上がる。
 場は一層緊張していた。
 

 リースは市庁舎の正面、通りの生垣の影に隠れていた。
 視線の先には、大工の男がいた。
 大工の手には作業に使うであろう道具箱らしきケースが握られていて、警備員の男と何か話していたようだった。
 そして、大工は愛想笑いを浮かべつつ、庁舎へ入っていった。
 リースは確信していた。
 『大工はテロリストだ』、と。
 大工を見失わないように付いて行こうとするが、警備員に呼び止められてしまう。
 歯噛みしつつ、大工が建物の中に入っていくのを見た。
 ――猶予はないか。
 リースは引き返し、警備員の視線が外れたのを確認してから切り替えし、走り出した。
 コツ、と小石が跳ねた。リースが投げたものだ。
 警備員はそちらを窺うが、そこには何もない。
 警備員がよそを見ている一瞬の隙をついて、リースは門の内側に滑り込む。足音すらしない疾走に、気づいたものはいない。
 リースは見失った大工の後ろ姿を求め、建物の中へ入る。
 外には多くの監視がいたが、中にはほとんどいない。そもそも門の前にも一人しかいなかった。
 ――隙だらけ。入ってくださいと言わんばかりね。
 呆れながら、リースは市庁舎の中を進んでいく。
 市庁舎はそれほど豪華な造りではないが、かと言って地味でもない。言ってしまえば普通だった。
 ――むしろこれだけの大都市なんだから、もっと豪華でもおかしくないんだけど。市長は倹約家なのかしら。
 それはそれだけ優秀な市長だということなのだが、その砦とも言うべき庁舎がこれほどのザル警備なのは何故なのだろうか。
 自己の重要性を認識していないからか。あるいは、攻めこまれても充分に対処できるという余裕からなのだろうか。
 市長がどんな人物なのかについても話を訊いておくべきだったか、と若干の後悔をするリースだった。
 そこで、正面に大工の姿を見つけた。
 大工は扉の前で手に抱えていた道具箱らしきケースを開いていた。そこから垣間見える異物。
 ――爆弾か!
 リースは凄まじい俊足で瞬間的に間合いを詰める。大工にナイフを突き付けたつもりだったが、その手は宙を切った。
 大工は窓際に立っていた。カーテンが風になびいている。
 ――速い!
 大工はダルそうに口を開く。
「ったく、市庁舎に爆弾仕掛けて市長ぶっ殺すだけの簡単なお仕事だと思ったんだがなぁ。人生楽な道ってのはないもんだねぇ」
「アンタはッ……!?」
「嬢ちゃんみたいなプロに狙われちゃあ逃げるしかねぇわな」
 言うと、男は爆弾を床に落とす。それが地面に着いた瞬間。
 爆炎がリースを吹き飛ばした。
 身体を壁に叩きつけられ、リースはよろめきながらも立ち上がる。
「……もう二度と、狙った獲物は逃さないんだからッ!!」
 リースは身体中が軋む痛みに耐えながら、走り出す。
 吐いた言葉の意味は判らない。何故走っているのかも判らない。何故大工の男にイラついているのかも判らない。
 リースの中の無意識が、身体を動かしていた。


 フレアとシークはジンと対峙していた。
 しかし、シークは弾切れを起こしていた。
 シークは弾を装填しようとするも、
「んな暇与えると思っとんのか! アホが!」
 ジンは剣を構え、シークに斬り掛かる。フレアがその剣を自らの大剣で止める。
「お前こそ、オレがそれを黙って見過ごすとでも思ってるのか?」
「上等じゃ、ボケェ!」
 ジンは剣を弾いて距離を開いた。
 ジンの得物は刀だった。
 極東の異国に伝わるという剣。斬撃も刺突も出来る万能さや見た目の芸術性の高さなど、特筆すべき点は多いが、その真髄は切れ味にある。
 重さで断ち斬るでもなく、力で叩き斬るでもなく、ただ鋭く引き裂く剣。
 達人になれば鉄すら斬るという恐ろしい武器。
 だが、ジンの持つそれは、聞いていたものとは少し違うようだった。
 刀特有の反りがないのだ。まっすぐな刀。そして、その刀身は片手剣と呼ばれる剣と比べると少し長い。
 それが何の為のものなのか、フレアには分からない。
 様子を窺うためにも、フレアは受け手に回る。
「良ェんか? 受けに回って」
 ジンは神妙に尋ねる。フレアには答えようがない。
「お前ェのターンは一生来ェへんぞ!!」
 ジンの横薙ぎが繰り出される。
 フレアはそれを屈むようにして躱し、低い姿勢から大剣を斬り上げる。
 ジンはそれを上体を反らすことで回避し、一気に距離を詰めてくる。
 だが、ジンの得物は長い。振り切った直後に攻撃は出来ない。
 ジンの右手には長刀があり、そして。
 左手には、短剣があった。
 フレアは柄で、迫る短剣を受け止める。
 逆手に握られたその短剣も、妙な長さだった。
 刀と呼ぶには短く、短剣と呼ぶには長い。
 半端な長さの剣を二本。それは決定的なスタンスを表していた。
「間合いのコントロール……」
「チィ、やっぱもうちょい温存しとくんやったな。失敗や」
 フレアは短剣を弾き、距離を開ける。
 ジンは気怠そうに立つ。
「オレも焦り過ぎたっちゅうワケか。なっさけな」
 だが、その眼には戦意が消えていない。
「あ~ぁ。お連れサン、リロード早ぇなぁ」
 シークはフレアと肩を並べて身構えていた。
「まぁええわ。時間稼いどったんはそっちだけちゃうしな」
 気づけば。
 フレアの背後で気配がした。
「迂闊、ね……」
 フライヤが起き上がっていた。
 確実に急所に当てたと思っていたのに。どうやら気での防御が想定以上に強固だったらしい。
 よろよろと立ち上がったフライヤはゆったりと構えを取る。
 フレアはジンと、シークはフライヤと向き合い、1対2対1といった陣形となる。
「行けるか、フレア」
 シークが背中越しに尋ねる。
 フレアはそれに返す。
「手がない訳じゃない。アンタこそどうなんだ」
「……なら、そいつで行こう。オレがアシストする」
 フレアは力強く頷く。
「ああッ!」
 それで息はぴったり合った。
 二人は同時に息を吐き、走り出そうとしていた。
 しかしそれは唐突に止められる。
 それは人の気配だった。
 向こうはこちらに気付いていない。だが、かなりの速度で走っている。
 感じる気は、相手が只者ではないと告げていた。
 フレアもシークも、ジンも立ち尽くしていた。
 フライヤだけが、意味深に微笑っていた。


「見つけたッ!」
 リースは街を抜け、荒野を走っていた。
 大工の格好をした男は気功術を走りに利用していた。
 ――まぁまぁの速さじゃない? ……でも、アタシには足りないかな。
 リースの俊足は常軌を逸していた。
 気功術を利用した走法はいくつかあるが、一般的には脚力を高めることが多い。
 地面を蹴る力を高め、スピードを増していく。
 これはシンプルなうえ、普段の走法とさほど変わらないため、自然に体得することができる。
 無意識に気功術を編み出したような天然術師と呼ばれる者たちは、全てこの走法を利用していると言っていい。
 だが、これらの走法の場合、戦闘に反映しやすいというメリットもあるが、物理的なロスも多い。
 地面を蹴る際、摩擦が発生することで、力は殺され、無駄ができる。
 また、足から推進力を得ているため、足運びが移動の要となってしまうのだ。
 つまり足を狙って攻撃をすれば走行を停止させられてしまう。
 場合によっては転んでダメージを負ってしまう。
 ならば足をつかずに移動したらいいのではないだろうか。
 そうして編み出された技術が足を地につけずに低空を飛ぶように移動する気功術だ。
 気を背中などから放出し、推進力を得る。
 これは術師ならではの走法と言える。また、空を飛べれば360度自由に移動し敵を攻撃できることになる。
 勿論そこにはデメリットも存在する。
 それは比較的小柄な体格でなければ、移動するのに必要なエネルギーが膨大になりすぎてしまうということだ。
 結局、人の身体を支えるのに適しているのは足であり、それ以外のもので代わりを担おうとすれば、その無理は必ずどこかに返ってくる。
 そしてリースの走法はどちらかと言えば、実はそのどちらでもなかった。
 あるいはそのどちらでもあると言うべきなのかもしれない。
 足で推進力を得つつ、気も放射している。
 しかし気だけで全てを担うようなことはなく、かといって、足運びでそれを阻害するようなこともない。
 二つの走法を組み合わせ、最適化することで、無駄なくかつ高速で移動する。
 これは勿論簡単なことではない。
 二つの走法を同時にこなすということは、全く別の神経を使うものだ。
 歌と楽器の演奏を同時にこなすのとはレベルが違う。一人でオーケストラを奏でるようなものだ。
 複数の楽器、複数の譜面、全体の調和、およそ一人では構築することのできない演算を、独力でこなす。それは俗に不可能と呼ばれる。
 それくらいの想定を脳内で構築できなければ、実現することのできない技術なのだ。
 それは、ちょっとでも気功術をかじったことのある人間ならば、誰もが嘆息するくらいに洗練された達人技だった。
 そして事実、距離は詰まっていた。
 背後の気配に気づき、男はそびえ立つ岩壁を身を滑り込ませる。
 リースはそれに続いて岩壁の向こうへ身を翻した。
 その岩壁の向こうで、リースは自分の思考がついていかないような場面に遭遇した。


 まず始めに動き出したのはフライヤだった。
 岸壁に潜むようにしていたフライヤは、現れた闖入者を背後から足を掛けて転ばし、倒れこんだ男の腕を即座に掴んでその背中で交差させた。
 関節を極められた男は、呻き声を上げ、フレアたち3人はそれをただ見守っていた。
 あとから駆けてきたリースもきょとんとしていた。
 フライヤは事もなげに言う。
「依頼達成ね。ご苦労様」
 フレアには何がなんだか良く分からなかった。

 先程までの緊迫感はどこへやら、フライヤは突然現れた大工風の男を引き摺るようにして、市庁舎へ向かう。
 ゾロゾロと現れた得体のしれない連中であるフレアたちに対して、警備員の男は怪訝な眼差しを向けるが、フライヤは気にも留めない。
「依頼を達成したから、貴方たちの雇い主をここに呼んで」
 あまりにもメチャクチャな話だった。
 フレアたちは勿論、警備員の男も呆気に取られていた。
 だが、フライヤがじっと睨みつけると観念したかのように、門の中へ引っ込んでいった。
「依頼とか、雇い主とか……。何の話なんだ?」
 思わずフレアは訊いてしまう。ジンもそれに頷いていた。
 ――アンタも判ってなかったのかよ!
 フライヤは、その質問が何故されるのか、判らないといったふうに自然に答える。
「そこに書いてある通りでしょ?」
 指し示されて、フレアは依頼書に目を通す。
『――、市庁舎の警備及び、非常事態が起きた際の可及的速やかな解決。』
 そんなような内容が書かれていた。
 ――どういうことだ?
 フライヤはこの依頼内容を知っていたのだろう。
 その依頼書をフレアが取ったということも。
 リースが言うにはこの大工風の男は市庁舎に爆発物を持ち込んで、市長の暗殺を目論んでいたらしい。
 その男が今、反抗に及ぶということも、その逃走経路にどういうルートを使うのかも、計算していたということだろうか。
 その上で、フレアたちを挑発しあの場で戦いに持ち込んだということなのだろうか。
「別に難しいことじゃないでしょ? 集団食中毒で警備員が足りなくなってる。増援はまだ手配中。逃走ルートはここからなら海路しかないし、港はさっきの荒野をまっすぐ行った先のシューゲル港しかない。近いうちに動きがあるのは明白。絶好のタイミングを見事に引き当てたのはただの強運だけど」
 恐ろしい話だと、フレアは思った。
 だがそもそも、フライヤに同行して市庁舎を訪ねるのはどういう理屈だろう。そう思ったのだが、フライヤは意味深に八重歯を剥いてニヤついた後、結局何も語らなかった。
 
 応接室には、市長であるラミアス=クーベルトがいた。
 30代くらいの、少し若さの残る顔立ちと、それでいて感情を読ませない作られた無表情で黒塗りの椅子に腰掛けていた。
 机を挟んで向かい側には、フライヤたち旅の冒険者達が立っていた。
「クローズドミッション、所謂極秘での依頼のつもりだったんだが、こちらが干渉する前に始末してくれるとは予想外だ」
 ラミアスはまずこう告げた。
「報酬は表記した通り、200万ルース支払おう。この街の平穏に比べれば安いものだ」
 フレアたち一同は大いに喜び、「で、どういう配分になるんだ?この場合」と疑問符を浮かべ、「てかお前何もしてへんやろ」とジンがそれにツッコむ。
 明るいムードが広がる中、フライヤだけがその輪に加わらない。
「まさか、報酬はこれだけっていうんじゃないでしょうね」
 フライヤの言にフレアたちは戸惑い、ジンも「まぁまぁ、これだけでも働きに対してなら充分やろ」となだめてくる。
 だが、フライヤは納得しない。
「状況が分からないほど平和ボケしてるのかしら、ラミアスさん?」
 艶妖な笑みを浮かべ、フライヤは剣に手を掛ける。
 それに反応し、護衛たちが市長を守ろうと身構えるが、ラミアスはそれを手で制する。
 ラミアスはフライヤを推し量るように見つめる。
 フライヤは先程からフレアに対して行った挑発をラミアスにも行なっていた。
 フレアよりは余程冷静な対処だった。
 ラミアスは顔には出していないが、それでも緊張しているのか額には汗が光っていた。
「話を聞こう」
「ありがと。話は簡単よ。私たちが守ったこの街の治安はたった200万ルースの価値しかないの?」
「そういう依頼だったはずだが」
 ラミアスは苦しげに答える。
 対するフライヤは淡々と告げる。
「ええ。依頼はね。だからここからは取引よ。私と貴方の」
 ラミアスは押し黙る。
「分かるでしょう? 貴方は依頼に頼る他なかった。そんな不確かなものに頼らなければならないほどに都市は弱体化していた。ヤツらにそれだけのことをされた。そんな貴方が、冒険者ごときに支払うお金を渋る気持ちは分かる。それだけ財政が圧迫されていて、1ルースたりとも無駄にできない気持ちも分かる。でも貴方にだって分かっているでしょう? もう手をこまねいている時間はない。行動に移る必要があるんじゃないの?」
 難しい顔でラミアスは聞いていた。
「君たちを、雇えと」
「そう難しい話じゃない。協力を申し出てくれればいいの」
 フレアたちには口を挟む余地がなかった。
 だが、護衛の脇にいた職員の一人はラミアスを案じていた。
「市長。いくらなんでもメチャクチャな話です。こんな話は……、」
 言葉が途中で途切れたのは、フライヤが目を向けたからだった。萎縮した職員は目を伏せて口をつぐむ。
 ラミアスは思案するように、数秒目を閉じていたが、やがて静かに頷いた。
「……、君たちを敵に回すのは怖そうだ。穏便に済むなら望んでそうしよう。ただし、出来ることと出来ないことはある。私は市長としてここにいる。それは市民を守るためだ。市長としての協力なら受けよう」
 フライヤはそれに微笑を返す。
「安心して。それほど無茶なことはお願いしないから」
 その一言で、話は収まり、この場は一時解散となった。そして、フレアはフライヤを敵に回さないようにしようと心に誓ったのだった。
 何故なら恐らく、今日の出来事は全て彼女の掌の上で起こったことだからだ。


「協力するかはアンタの自由だよ。好きにしな」
 フライヤはそう言って部屋へ引っ込んでいった。
 フライヤの部屋の隣にはフレアたちが借りた部屋がある。
 「この子は借りてくよ」とフライヤに引っ張られ、リースは彼女の部屋へ。そして放っぽり出されたジンはフレアたちの部屋へ転がり込んでいた。
 なんとなく考えたいことがあって、フレアは部屋ではなくテラスへ向かった。
 テラスにはテーブルがひとつ、椅子がふたつ置いてあって、どうやらちょっとしたコーヒーブレイクみたいなものを楽しめるようになっていた。
 スペースはそれほどなく、あと一組のテーブルと椅子を置けば身動きが取れなくなってしまうだろう。
 フレアは手摺に手を掛け、街並みを眺めていた。
 人の往来は多く、賑やかな通りだった。
「テロリスト、か」
 フライヤの持ち出した話はこうだ。
 「私たちはテロリストと戦うためにこの街と協力関係になった。世界を混乱に陥れているのはヴァルトニックだけじゃない。テロリストたちが力ない者たちの拠り所を奪っている。ささやかな平穏すら脅かされている。私たちには私たちの目的があって彼らと戦う必要がある。そのための協力者を求めている」。
 ヴァルトニックを倒す。漠然とそう考えていた。だが、それだけでは何も救えないのかもしれない。
 いや、救えないことはないだろう。だが、それだけでは完全に救ったことにはならない。
 ヴァルトニックの悪行を終わらせたところで、世界の混乱は収まらない。
 それがフレアにとって重い事実となってのしかかっていた。
「それに……」
 考えなければいけない。
 ヴァルトニックを倒すだけの旅を続けるのか、世界を救うために出来ることをやろうとするのか。
 答えは考えるまでもない。
 だが。
「いいのか、そんな簡単に信用して」
 背後にはいつの間にかシークの姿があった。
 フレアは振り返らずに答える。
「テロリストと戦う。それはヴァルトニックを倒すのとは違う話になるけど、人を救うことに変わりはない」
 シークは溜め息を吐いた。
「そうじゃねぇよ」
 「えっ」と訊き返す間もなかった。
「あいつらのことも確かにそうだが、オレが訊きたいのはそんなことじゃない。オレがお前に言いたかったことは、そんな簡単に人の話を信じるなってことだ」
「嘘を言ってたのか、あいつらは」
 シークは首を横に振る。
「いや。全くの嘘ってことはないだろう。あいつらの話に関してはな」
 だったら一体何の話なのか。
「オレのことだよ」
 シークのその発言はフレアには良く分からなかった。
「オレのことも、リースのことも、あいつらのこともそう簡単に信用するな。オレはヴァルトニックに私怨があって戦いたいだけだ。お前はそれに巻き込まれただけに過ぎない。そして、そんなオレが持ってる得物がどこで作ってるものなのか知ってるか?」
「……?」
「ヴァルトニック製だよ。馬鹿げた話だろ。オレはヴァルトニック製の武器を使ってヴァルトニックを潰そうとしている。こんな男を簡単に信用できるのか?」
「……。何か理由があるのか?」
 シークは少し考え、頷いた。
「昔、少しな。さっき言っただろ、私怨だとな」
「訊いてもいいのか?」
 シークは溜め息を吐いて頷いた。
「大した話じゃないけどな。オレはヴァルトニックの元従業員なんだよ。昔は純粋に人を守るための武器を作ってる。そう信じていた。ある日、会社の実態に気づいてオレは逃げ出したのさ。それから剣を取ってヴァルトニックと戦うんだと決意するまで、そう長くは掛からなかったな。ヴァルトニック製の武器を使うのは過去を忘れないためだ。オレはかつて知らずとは言え、悪行の片棒を掴んでいたんだと思い出すためだ」
「……そうだったのか」
 シークは自嘲気味に問う。
「それを信じるのか?」
「え?」
「嘘を吐いているとは思わないのか?」
「それは……」
 フレアにはそういった習慣がない。と言うとおかしな話だろうか。でも、フレアには人を疑うという考えがほとんどない。エルフの里で過ごす上で、不必要なことだったからだ。人を疑うことも、嘘を吐くことも。
 人間の社会で暮らす彼らにはない考え方なのかもしれない。
「……、その時はその時だよ」
 フレアはそう答えた。
 フレアは、クレアやフライヤのように頭が回るわけではない。相手を利用したり、相手の動きを推測したりといったことは苦手だ。
 出来ることは信じること。そして考えること。それだけだ。
 下手な推測や推論で人を判別したりは出来ない。それを間違えばもっと大変な事態を引き起こすことだって考えられる。
 だから、覚悟をする。
 今は未だ覚悟なんて出来ていない。いつ出来るかも判らない。
 だけど、いつかそんな日が来るのかもしれない。
 そんな時に絶望してしまわないように、自分を見失ってしまわないように、覚悟をしよう。
 そう考えることにした。
 シークはそれを聞いて笑った。
「いいだろう。信じることはお前の役目だ。そうしよう」
「役目?」
 フレアには意味が分からなかった。
 シークは頷いて、答える。
「お前はそのままでいい。信じるならとことん信じろ。疑うことはオレの役目だ。オレが全てを疑おう。そうすればバランスは取れる。ひとつの情報を鵜呑みにすることもないし、疑いすぎて二の足を踏むこともない」
「なるほど」
 名案のように思えた。全てを自分一人で解決する必要はない。仲間がいるならそいつに託せばいい。分からないなら相談すればいい。話し合えばいい。
 全てが綺麗に巡っていくように思えた。
 人は一人では生きていけない。そう何処かで教わった。それはきっとこういうことなのだろう。
「だからオレはオレの役目を全うしよう。それとフレア、リースのことだが」
 シークは目を伏せて呟く。
「もう言うまでもないと思うが、あの娘はただの記憶喪失の可哀想な娘じゃない。一応教えといてやるが、あの娘が普段身に付けているナイフ。アレはな」
 一息、呼吸を整えて吐き出すように告げる。
「葉印房製実戦用ナイフ『落葉』。プロ御用達の一級品だ。加えて」
 シークの眼がフレアの眼を捉える。
「ヴァルトニック傘下の子会社のひとつだ。これ以上は言わなくても分かるだろう?」
 関係者。そういうことなのだろう。
 そうだとしても。只者ではなかったとしても。
 助けを求めてきた彼女の瞳は迷いなく強い光を放っていた。
 誰かを騙そうとしている人間に出来る眼ではない。フレアはそう確信していた。
 だから答えは一つしかなかった。
「過去なんて関係ないよ。リースはリースだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「そう言うと思ったよ。一応伝えとくだけ伝えておきたかっただけだ。それじゃあな」
 扉が閉じられ、忘れていた喧騒がまた耳に飛び込んでくる。
 思えばそこには多くの人がいる。そこにはそれぞれの事情があり、それぞれの想いを胸に、それぞれの人生を生きているのだろう。
 それを脅かすヴァルトニックがいて、その隙間でテロリストたちが蠢き、その中で誰かは倒れ、誰かは涙を流し、誰かは仮初の平和を享受し、誰かは何かを憎んでいる。
 どうにかしたい。そう思う。
 だがその為にはどうしたらいいのか。考えても簡単には分からない。
 思案を巡らすうちに、気づけば人通りもまばらになり、太陽は西に沈んでいた。
 階下から美味しそうな匂いが漂ってきたので、フレアは部屋へ戻った。
 上の空で食べる夕飯は、味の記憶が残らないものだと知って、フレアは激しく後悔するのだった。
 その日はそれで終わった。夜、ジンが親しげに話しかけてきたが、どんなやりとりをしたかも思い出せない。
 眠れない夜はすぐに明け、決断の時はすぐ先に迫っていた。
 長い一日が終わり、そしてまた長い一日が始まるのだった。


第六章 ≪明星の櫂き手 -Spear=Luefork-≫

 ――いつだって見る夢は悪夢だった。
 黒い雨。銃声。暴力。悲鳴。舞い散る肉片。赤々と染まる風景。
 嗤う声。救いの無い空。癒しの無い家。
 涙は枯れ、痛みに咽ぶのにも飽きた。
 やがて少年は武器を取った。
 守るために。生きるために。
 奪うために。殺すために。
 思考の矛盾になど気づかない。気づきようがない。
 考える暇すらなかったのだ。
 そして少年はあの日、人であることを辞めた。
 あるいは、人であることを忘れてしまったのかもしれない。
 長く時が経ったが、今でもまだ自身が人であったことを思い出すことが出来ないでいた――

――

 この世界は、逼迫している。
 ヴァルトニックという巨大企業が大きな権力を持ち過ぎたことで、誰も彼らに逆らえなくなってしまった。
 国家という枠組みも意味をなくし、民衆は無限に搾取され続ける無残な有様となっている。
 更にそれだけでなく、一部のテロリストが弱体化した都市国家を襲い、安心して暮らせるような場所はほとんどなくなってしまった。
 ヴァルトニックの凶行を目の当たりにしたフレアたちは、彼らヴァルトニックの打倒を目指していたが、突如布石が投じられる。
 テロリストの危険性。それをフレアたちは初めて知った。
 苦しんでいる人たちを救いたい。その為には闇雲に戦い続けるだけでは駄目なのだと思い知らされた。
 フレアはテロリストと戦うというフライヤの話に乗り、彼女と協力関係を取ることにした。
 底の知れないフライヤの計算高さに不安を抱きながらも、それ以外の選択肢は残されていなかったフレアたちには、共に旅立つ他なかったのだった。
 
――

 フレアは慣れない振動に酔い、吐き気と格闘していた。
 道は踏み固められた土砂で舗装されていた。とはいっても、小さな段差に車は跳ね、車体は大きく揺られる。
 未だ普及していないエンジンを積んだ機動式車両は排気ガスを吐き出しながらグングンと突き進んでいく。
 車両の前面に風除けが、左右には幌があるため、風は感じないが、景色はあっという間に流れていく。
 せめて風に当たれれば、少しは気分が楽になれるのに。と、フレアは頭の中で悪態をついた。
 そんなフレアの気持ちをよそに、運転席に座るジンのテンションは引き裂けんばかりに高かった。
「いーけ、いーけ、ぐーんぐーん、どーこまっでーもー♪」 
 ついにはハンドル片手に歌まで唄い始めた。しかも音痴だった。
 揺れの次は耳にまで不快な要素を持ち出す気か。フレアは苛立ったが、何か行動を起こそうとすると途端に吐き気が湧いてくるので、無視に徹した。
 グロッキーなフレアを他所に、ジンはフライヤに問い掛ける。
「テロリストが潜んでるとかいう街にゃ、まだ着かへんのか?」
 助手席に座っていたフライヤは窓を眺めながら事も無げに答える。
「さぁ。そのうち着くんじゃない?」
「テキトーやな」
「そんなことないけど。ただ、そう長くは掛からないでしょ?」
 フライヤは顎に手を当てて少し考えるふうに繕う 
「そうなんか?」
「たぶんね」
 その影で、リースはひとり俯いていた。
 浮かない表情で、じっと手元を見つめている。


 リースはサニーガーデンを起つ前のことを思い出していた。

 ……リースはフライヤに招かれ、彼女の借りていた部屋で休んでいた。
 リースには考えたいことが沢山あった。
 失われた記憶。自らの身体に備わった能力。時々感じる激しい感情。手に残る確かな暴力の感触。
 自分はかつて何をしていたのか。自分の頭の中には何が潜んでいるのか。
 記憶が戻れば解決するのだろうか。いや、それで終わりではない気がする。
 記憶が戻ったとき、リースはリースのままでいられるのだろうか。
 いつか暴虐な自分に支配されてしまうのではないだろうか。
 自分が自分ではなくなってしまうのではないだろうか。
 想像や推測は、嫌なものばかりを連想させる。
 ネガティブな思考に支配される。
 良くない傾向だと自覚していても、やはりポジティブにはなれない。
 自分はどうしたらいいのだろうか。
 ふいに、そんな疑問をフライヤへぶつけてみたくなったのだった。
「自分が何者なのか、ね。私も考えたことあるし、正直今でも答えが出てないから何とも言えないかな。ただ」
 少し前置きして、フライヤはリースの眼をじっと見る。
「きっと永遠に無くならない悩みよ、ソレ」
 それは衝撃の走る言葉だった。
 いつか必ず、対面するものだと、対峙することになる問題だと、そう思っていた。
 少なくとも記憶が戻れば、問題は表面化する。対峙せざるを得なくなる。違うだろうか。
「そうとは限らない。人は一人では生きていけない生き物だからね。例えば、あなたがあなたのままでも、あなたでないあなたになっても、一人では生きていけない。必ず誰かと関わることになる。誰かと親しくなる必要がある。そうしなければ生きていけないから。少なくとも普通の人はそう。たぶんあなたも」
 確かにそうだ。それは変わらない。フレアやそれ以外の人であろうとも、関わらずに生きていくことはちょっと想像できない。完全な自給自足でも出来れば話は別かもしれないが、現実味はない。
「誰かと関わる上で役割は必須。人は何かを演じざるを得なくなる。嫌いな人でも大切にしなきゃいけないかもしれないし、大切な人でも捨てなきゃいけない日が来るかもしれない。そんな不安はいつだってどこにだってある。私の胸の中にも、それは絶えずある」
 不謹慎かもしれないが、フライヤがそんな細かなことにも気を割いているなんて、リースには予想外だった。
 フライヤはそんな感想を察したのか、盛大に笑う。
「そりゃあたしにだってあるさ。こんな腹黒いあたしにだって、怖いものはある。孤独だって怖い。むしろ黒いからこそそういうのに敏感なのさ。覚えときな、悪魔は世界で一番弱いやつの名前なのさ。だから世界の全てを支配したがる。裏切られるのが怖いんだね。だから裏切られないように策を練る。そうやって構築した檻みたいな世界で震えてるのさ」
 なんだかおかしな、それでいて不思議な話だった。
 フレアもシークも市長のラミアスもが恐れていたフライヤだが、その裏ではみんなから裏切られるのを恐れている。
 みんなの前で見せていた嗜虐的な笑みすら、演技だったというのだろうか。
「一人が怖いの……?」
 訊くとフライヤは大仰に頷いた。
「ああ怖いさ。だからあたしは仲間を作るのさ。ちょっとだけ乱暴にね」
 そう言ってフライヤは、舌を出していたずらっぽく笑う。
 その様はとても可愛らしくて、でもそれでいてやってることは結構えげつないのだから、恐ろしい。
 だがそれでも。
「……フライヤさんも同じような気持ち抱えてるって聞けて、ちょっとだけ安心しました」
 勿論それで全て荷が降りたという気分ではない。
 ただ、ほんの少しだけ気が紛れたような気がした。
 なんだか、彼女の言うとおりにしていれば、何もかも上手く回ってくれるような安心感を感じた。
「それにしても……」
 リースは顔を上げた。それだけの動作で少し前向きになれた気がするのだから、人間というものは単純な生き物だ。
「フライヤさんって喋り方がコロコロ変わるんですね。なんだか一人称まで変わってるみたいで、おかしくて」
 冗談だった。フライヤなら「そんなことない」などと返してくると思っていた。しかし、
 フライヤは黙りこくったまま、顔を上げようとしない。
「どうか、したんですか?」
 言うとフライヤは首を振り、朗らかな表情に戻る。いや、表情を作ったと言ったほうが適切かもしれない。
「いや、まぁ……、えっと」
 フライヤがここまで言い淀むのも珍しい気がする。
 即決即答が彼女に抱いていたイメージだった。
「まぁ、リースになら言ってもいいかな。おあいこだし。実は私も記憶喪失なんだ」
「えっ!?」
 それからフライヤは淡々とした様子で語った。
「気づいたら医務室で寝てた。傍にはジンがいた。私の名前は『フライヤ=ルクセフィア』。そう聞いた。それ以外はジンもよく知らないらしかった。私はジンと賞金稼ぎとして暮らすことになった。元は私も賞金稼ぎをやってたらしくて結構名も売れてたんだって。
 でもそれだけ。
 それ以上の過去は分からなかった。分かったのは凄腕の賞金稼ぎであったことと、素性が不明であったことだけ。
 そうして宛てもなく賞金稼ぎとして暮らすうちに、気づけば私は色々な役を演じていた。
 それは失った記憶を求めるために、色々な人間を演じてみたかったのか。それとも演技自体が過去の私に根付いた習慣なのか。……まぁ、とにかく私はその時々に応じて色々な演技をしていた。必要だったし、便利だったから。
 でもある日、気づいてしまった。私は本当の自分を失くしてしまっている。
 どんな些細なときにでも演技をするようになって、いつも何かを演じるようになってた。
 いつの日か、演技をしていない素の私は何処にいるんだろう。そんなことを考えるようになってた」
 そこまで一気に語り、フライヤはごまかすように伸びをする。
「フライヤさん……」
「まぁとにかく。そんな訳だから、あまり気にしないで。でもあんまり指摘もしないでね。ちょっと傷つくから」
「ごめんなさい」
「いいって。気にしてないし。リースが良い子だってことは分かってるから。大丈夫」

 ……そしてリースの意識は揺れる荷台の上へと戻った。
 ようやく一つ、ほんの少しだけ。踏ん切りがついた気がする。
 ――進もう、前へ。
 不安も消えない。未来も見えない。
 それでも、先がある。
 みんなそうして生きているんだから。

――

 サニー・ガーデン市長、ラミアス=クーベルトは政務に勤しんでいた。
 感情を読ませない表情の中には、僅かに陰りが見え隠れしている。
「良かったので?」
 傍らにいた秘書の男は、そう尋ねた。
 ラミアスはそれに苦笑で答える。
「良くはないが……、一概に悪いとも言い切れん」
 ラミアスは視線を手元から離し、窓際を見やる。
 空は快晴。市街の向こうまで続く地平線が見渡せる。
「だが、まさか車まで持っていかれるとはな。……手痛い出費だ」
「帰ってくるのでしょうか……?」
 車の話か、はたまたフライヤたちの話か。
 少し判断に困りつつも、
「燃料にも限りがある。そうやすやすと手に入るものではないだろうし、遠くまでは行けんよ。さて……」
 告げるとラミアスは立ち上がり、表情を切り替える。
「時期が迫っていることも確かだな。そろそろ向こうからもアクションがあるだろう。後手には回れん。こちらからも手を回しておこう」
 秘書はそれにぎこちなく従う。
「はぁ……。それは連盟の話ですか? それとも……」
「……両方、かな」
 ラミアスは立ち上がり、扉を開ける。
 その足取りには一切の迷いがなかった。

――

 シューゲル港についてもフレアの気分は冴えないままだった。
「何だ、この臭い……」
「潮の香りよ。海見るの初めて?」
 前を歩くフライヤが振り返りながら訊いてきた。
 ある程度は教わっていた。海というものがどんなものか。どんな場所か。
 しかし、それは想像で賄いきれるような光景ではなかった。
 恐らくは、里にいる誰もが知らなかった光景なのだろう。
 一面に広がる水。嗅いだことのない潮の香り。港と呼ばれる建造物自体。
 フレアにとってはちょっとしたファンタジーだった。
 夢でしか見れないような不思議空間が目の前に広がっていた。
「これが、……海か」
 しばらく感動に浸っていたかったが、駄目だった。
「う、……慣れないな」
「まぁ最初はそうかもね。でも気にしなくていいんじゃない?」
 フライヤはあっけらかんとした態度で言った。
「どうして?」
「船旅は何週間か掛かるから、慣れざるを得ないでしょ」
 フレアは肩を落とながらも、先を行くフライヤについていくしかなかった。

――

 フライヤたちはゾロゾロととある料亭に入っていった。
 旅の一同としては5人は多いほうだ。周囲には多くても2~3人程度の集まりしかない。そんな中、5人がひとつのテーブルに寄り集まっている姿は少し目立っていた。
 奇異の視線に慣れていないフレアは、どうにも落ち着かなかったが、フライヤはそれを歯牙にもかけず話を始めた。
「今回私たちが追うのは『明星(あかぼし)』と呼ばれる一団よ。そのメンバーの一人がこの街に潜伏している」
 シークはそこで口を挟んだ。
「信憑性は?」
「この前のサニー・ガーデンの一件、覚えてる? あのテロリストはこの街へ逃げようとしてた。だったらここに仲間がいても不思議じゃない」
「もう逃げてる可能性だってあるんじゃないか? 失敗して捕まったって情報は、敵にだって伝わってるはずだろう?」
 ええ、とフライヤは頷く。
「それも在り得るけどね。でも私はいると思う」
「根拠は?」
 シークは食らいつく。
 フレアの脳裏に蘇ったのは、『疑うのは俺の役目だ』というシークの言葉だった。
「情報は重要よ。それの有無で戦局は180度変わることだってある。捕まったにしろ、そこから脱走できたにしろ、観測そのものは続けざるを得ない。だって奴らの目的はサニー・ガーデンだけじゃないもの」
「何?」
 これにはシーク以外も首を傾げる。
 自らの利権のみを求めて、国に牙を剥く奴らが、テロリストなのではないのか。だとすればその目的は何なのか。
「連盟よ」
 シークが一人、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「国家連盟……」
「そう。サニー・ガーデンのダメージを餌に国家連盟に揺すりを掛けるのよ。『次にこうなるのはお前らだ』ってね」
 一同は、固唾を呑んだ。
「そしたら後は奴らの思い通りになるでしょうね。お偉いさんにとって大事なのは民衆よりも自分の命だろうから」
「そう簡単にいくのか? サニー・ガーデンの一件も失敗して、そのうえ警備も強化されたんじゃ手を出しようがないだろう」
「だからこそ、この件を成功させたいのよ。どんな手を使ってでも」
 シークはしばらく逡巡し、それから視線をフライヤへ向けた。
「それで? 奴らの目的がそうだとして、それでこの街に居ると断言できるわけじゃないだろう?」
 言うと、フライヤは一笑に付した。
「断言できる」
「どうして!?」
 シークはいきり立って問い質した。
 それに対し、フライヤはこう答える。
「逃げ道の確保。情報伝達の拠点。物資の確保。旅人の多さ故の紛れ込み易さ。これだけの利点を放置しない理由はないでしょう。疑うというなら答えてみせて。ここに奴らが拠点を構えないことのメリットを」
「…………」
 フライヤの問いに、切り返せるものは誰もいなかった。
「最後に一つだけ訊きたいことがある。連中が『明星』だという根拠は?」
「ああ、それね。それは、これだけの規模と統率力を持ったテロリストは彼らくらいしかいないってことと、あとは……」
 フライヤはようやく到着した食事に手を合わせつつ、続けた。
「……勘ね」

――

「ここは何だ?」
 開口一番、シークはフライヤに尋ねた。
「漁師スピア=ルフォーク邸。街一番の顔利きで街一番の船乗りと言われてる人の家よ。人望も厚い。そして、私が最も疑っている人物」
 そこは街から少し離れた郊外に位置する一軒家だった。
 質素というよりはもはやボロ屋だ。しかしよく見れば掃除が行き届いていて、住んでいるものの器量が窺える。
 フレアにはそんな人物を疑う理由が見当もつかない。
「疑う? なんで…」
 フライヤはなんともない顔で答える。
「勘かしらね。ただ、もし違くても本命に近づける情報も得やすい」
「大したもんだな」
 シークは溜め息混じりに呟く。
 フライヤの周到さに呆れているのかもしれない。
 戸の前にフライヤが立った。
 フライヤが戸を叩こうと手を持ち上げた瞬間。
「おいおい、こりゃまた随分とゾロゾロ来やがって……、生憎とウチは手狭でね。何人かご退場願っても構わねぇか?」
 すぐ背後に気配がした。フレアたちは瞬時に跳び散り、距離を取る。
 それぞれが戦闘態勢を取る。
 現れたのは男だった。あちこちが破れたジーンズとランニングシャツから伸びる太い腕。青い髪をオールバックで固め僅かに垂れた前髪には数珠の石に髪を通したような形の髪留め。口には紫煙を纏う巻き煙草。背には銛のような巨大な槍を背負っていた。
 感じる圧力は、間違いなく武術に精通したものの気配だった。
 それぞれがお互いの動きを読み合い、場は拮抗していたかに見えたが、紫煙の男は悠々と口にする。
「なぁ兄ちゃん。ちょっと遊ぼうや。退屈はさせんぞ?」
 男はフレアを見ていた。
 フライヤは顎で『行け』、と合図していた。
 紫煙の男、恐らくはスピア=ルフォークであろう男が何を考えているのか。フレアには分からない。
 だが腕に覚えがあり、好戦的な性格なのだろう。
 ならば実力を見せ、納得させれば情報が得られるということだろうか。
 ……確信はなかったが、そう納得せざるを得ない。
 フレアは大剣の柄に手を掛ける。
「分かった。念のため訊くけど、ルールはどうする?」
 男はニヤリと嗤い、銛のような槍を構えた。刀身が大きく矢印状で、刃は後端にまで達していた。
 槍としての重量、突進力に加え、剣のように扱うことも出来るのかもしれない。
「俺が勝ったら嬢ちゃんたちに酌でもしてもらおうか。お前が勝ったら……」
 男は槍を引いて、刺突の構えを取った。
「オレが勝ったら……?」
 フレアも構える。男の気配は鋭く、油断は出来そうにない。
「何もかも洗いざらい話してやろう。この街のことも……、"明星"のこともなッ!!」
「なッ!!?」
 唐突な発言。同時の突進。フレアは意を削がれ、一撃を受け止めるしかなかった。
「どうしたッ! 躊躇ってる時間なんぞやりゃしねぇぞ!!」
 早々防戦一方になるフレア。
 形としてはフレアとスピアの一騎打ちとなっているため、手を出せない一同。
 リースとジンは固唾を呑んでそれを見守り、フライヤは歯噛みした顔で戦いを見つめ、シークはそれを何処か遠くの出来事のように見ていた。

 ――潮の香り……。そういえば、あの時も……

――

『穏やかな海ね……。世界もこれくらい穏やかなら良かったのに』
 銀色の長い髪をなびかせ、女性は優しい声で呟く。
 少年はそれを見上げながら付き従う。
 砂浜には、少年と女性だけがいた。
 潮騒がそれを見守るように静かに佇んでいる。
 さざ波は足をすくい、そして引いてゆく。
 少年にはそれが少しこそばゆくて、頬を緩ませた。
 女性は、たおやかに振り向いて、少年を愛おしげに見つめる。
『忘れないで。世界には目を塞ぎたくなるような嫌なこともあるけれど、こんなふうに綺麗なものだってあるんだから』
『母さん……』
 銀髪の女性は今にも泣き出しそうな、儚い声で言う。
 少年は思った。
 穏やかなのは海ではなく、この瞬間なのではないか、と。
 母が居て、自分が居て、こうしてゆっくりと会話できている。この風景こそが穏やかなのであって、海はその装飾品みたいなものだ、と。
 叶うなら、ずっとこうして居たい。
 ゆっくりと流れるだけの時間に、いつまでも浸っていたい。
 何も考えず、いつまでも身体を委ねていたい。
 そう思っていた。
 そんな淡い希望は、やはり数分で砕け散ることになった。
『いたぞーー!! やっぱり来ていやがったんだ!』
 突如現れる人影。
 男たちは手に思い思いの武器を取り、少年のほうへ向かって来ていた。
『行きましょう、シーク!』
 少年は母の手を取って、懸命に走り出した。
 砂に足が取られる様は、自身の運命のように不自由だった。

――

 戦いは明らかにフレアが劣勢だった。
 大剣と槍。
 2つとも重量のある武器だが、間合いという点において、スピアは優位に立っていた。
 実力は近かったが、スピアのほうが力が強く、武器の特性を上手く引き出せていた。
 一方、フレアは出鼻を挫かれた形で始まった勝負に、未だ順応できないでいた。
 スピアは力だけでなく、手数も多く、一度押されれば反撃は難しい。
 受け止めた一撃に耐えるので精一杯で、次の一撃を回避することも反撃に移ることも出来ない。
 ただ受け止め続けることしか出来ずにいた。
 だがそれでは、ジリ貧だ。
 このままでは負ける。
 だからこそフレアはムリな勝負に出るしかなかった。
 迫り来るスピアの刺突。それを受け止めると同時に後ろへ跳躍。
 距離を取ったフレアはその勢いを殺さずに旋回。周囲に気で作り出した空気の渦を展開する。
 渦は巻き上がり、擬似的な上昇気流を作り上げる。竜巻のようにも見える。
 その渦に乗り、フレアは普段よりも高く舞い上がる。
 ――龍騎道剣術、緑龍剣"辰流旋刻"!
 上昇と同時に周囲に放たれた斬撃と暴風。
 スピアはそれの餌食となっていた。
 そして――、
 "辰流旋刻"は初撃に過ぎない、そこから二撃目へ派生するのが定石なのだ。
 高く浮き上がった地点から大剣の重量を乗せた一撃を繰り出す。
 ――龍騎道剣術、黒龍剣"魔空劫彗"!
 フレアが得意とする赤龍剣は攻勢の剣だが、この黒竜剣は殺意の剣だ。
 威力ではなく破壊力を重視している。
 より正確に表現するならば、人体への破壊力。あるいは殺傷力だ。
 斬撃ではなく、刺突。高所からの重量、溜めた気を剣先の一点に収束させ、対象の部位を徹底的に破壊する。
 狙うはスピア本人ではない。
 何故なら対象としては小さく、的を外しやすいからだ。
 だからこそ、狙いは地面。
 剣先が地面へ触れた瞬間、わずかに浮かんだ地表の砂利。そこへ瞬間的に気を放出させる。
 すると、地面はその姿を維持できずに爆砕する。
 刺突の衝撃と共に、気が地面を駆け巡る。
 舞い上がるのは砂利どころではなく、岩盤のような巨大な地面。
 まるで彗星を思わせる衝撃が轟き、フレアの鼓膜を震わす。
 これを喰らったスピアは、間違いなく無事では済まされない。
 生きていたとしても、四肢を酷く損傷しているはずだ。戦闘も行えないくらいに。
 それだけの威力の技だった。また咄嗟だったため、遠慮も出来なかった。
 だから、無事なわけがなかった。
 まして、怪我を負っていないなど、想像すらしていなかった。
「ほう、初めて見たぜ。こいつぁ"龍剣"か!」
 スピアは、躱していた。
 地面が砕けるより前に、跳躍していたらしい。
 飛んでいれば、衝撃は受けない。多少の瓦礫が飛んでくるくらいだ。気功術を使えればそれくらいはダメージにはならない。
 そして何より。
 "龍剣"。その言葉に、フレアは呼吸が止まった。
 世界最強の剣技であり、妖精族に伝わる剣技だ。
 伝説の流派である。
 その技は人には伝わっておらず、故にもう誰も知ることのない剣技であったはずだった。
 知られていたのか。と驚く間もない。
 ――我龍、"龍薙翼-ドラゴンウイング-"! 
 フレアの大剣の重量と、気を乗せた一撃と、同等の力を持ったスピアの薙ぎ払いが放たれる。
 あまりの衝撃にフレアは吹き飛ばされそうになる。
 だが、まだ技の余波がある。フレア自身はまだ充分に動けないが、攻撃の角度を変更することは可能だ。
 そして、地面へ向けていた気の波動をスピアに向ける。
 周囲に拡散したエネルギーを集め、スピアへと放つ。
 一度放たれたエネルギーを再度操作し、攻撃へ転じることは、技術的に不可能というわけではない。
 だが、大変ロスの多い技術と言える。だからこそ普通ならそんなことはしないし、するべきでもない。
 にも関わらず、今回そうしたのは、そうしなければ攻撃が間に合わなかったのと、それだけの大量の余波が周囲に漂っていたからだ。
 スピアの薙ぎ払いと共に放たれた気と、フレアが周囲の気を収束して放った気がぶつかり合う。
 二人共が咄嗟に放った攻撃だ。圧力は多くとも、質量は多くない。よって衝突は一瞬で終わる。
 砂埃は吹き飛び、視界は開ける。
 そこには消耗したスピアがいた。向こうも攻撃の回避と反撃に、随分と多くの気と集中力を消費してしまったのだろう。
 気功術は便利だが、扱いを上手く行わなければ消耗も激しい。
 そういう意味では、この二人はかなりの悪い見本だった。
 実力が均衡した同士であれば、よくある話でもある。つまりは初めからお互いに余裕が無かったというわけだ。
 そして。
 フレアは消耗し、もう派手な戦闘行為は行えない状態だ。肩で息をし、膝に手を当ててどうにか立っている。
 それはスピアも同じだった。
 フレアは、震える足で、一歩を踏み出す。
 視界は歪み、倒れそうになる。自分の身体とは思えないくらいに不自由だ。
 それでもまた一歩を踏み出す。
 何故なら戦いは終わっていないのだから。
 一歩踏み出す。体力は回復しないが、それでも歩みは止めない。
 手には力を込める。拳を強く握る。
 スピアも同じように近づいてくる。
 やはり眼は戦士のそれだ。
 決して死なない。
 満身創痍とは思えないほどに闘志を燃やしている。そんな眼だ。
 感覚は無いに等しかった。どうして自分が歩めているのかもフレアには分かっていなかった。
 ただ、一点を見ていた。
 敵だ。
 敵であるスピアを見る。
 そこへ向かう。腕を振りかぶる。
 敵を倒す。その思考だけが頭を支配する。
 そうして――。
 ……フレアの視界は白く弾け飛んだ。
 
――

 白い世界、を見ていたのはフレアだけではなかった。
 シークも同じようにして白い世界を眺めていた。
 あるいは夢想していた、のかもしれない。
 それは想像の産物だったのかもしれない。
 とはいえ、それを白い世界と認識していればどちらであれ大差はない。
 それは、白い世界だった。
 だが、白いだけではなかった。
 浮かび上がる幾つかの影があった。
 そして影は緋色に染まってゆく。
 白い世界は段々と緋い世界へと変貌を遂げる。
 ああ、またこの夢か。とシークは独りごちる。
 初めは祖母、次に祖父と続き、叔父、叔母などの親戚が、次々と弾けてゆく。
 爆ぜてゆく。
 腕、足、臓物などが無造作に地面に転がっている。
 転がされてゆく。
 それは心象風景などではない。
 過去に見た景色だ。
 思い出せる光景だ。
 一度見た風景だ。
 皆死んだ。殺された。
 救えなかった。助けられなかった。
 いや、そもそも自分は助けようとしていたのだろうか。そんなことすら思う。
 当時は幼かったし、出来ることはあまりに少なかった。
 仕方なかった。情状酌量の余地があった。
 ただしそれは人の目から見て、の話だ。
 いや、それすら違うかもしれない。
 何故なら誰も助けようとはしなかったからだ。
 世界はフォーレス一家を助けようとはしなかったのだ。
 言うならばいっそ、フォーレス家は世界に殺されたのだ。
 そう言っても間違いではない。
 家族は無残に殺されたし、シークは何も出来なかった。
 残されたシークたちは、無力に嘆き、力に飢えた。
 その果ての蛮行が、今の現状だとして、それはもはや喜劇でしかない。笑うしかないだろう。
 彼らは、嘆いた。大声で呪った。世界を、人間を。
 そして。
 こんな世界を作り上げた神を。
 そして。
 こんな世界を構成させた"エルフ"たちを。
 憎み、憎悪し、嫌悪し、呪った。
 それはシークにとっての、過去だ。
 同時に血肉でもある。
 もう今となっては切り離せない、一心同体の思考とも言える。
 そう、シークは憎んでいる。
 いまだに根深く、しつこく、執拗に、憎んでいた。
 彼らを、憎んでいた。

――

 任侠の漁師、スピアにとって、龍剣は憧れの武術だった。
 昔、まだ一介の漁師だった頃、いや、当時はまだ見習いでしかなかった。
 そんな折、現れたのがその男だった。
 一言で表すなら、汚らしい爺さんだった。世捨て人、そのものだった。
 ボロ布をマントのように羽織り、髭や髪はぼうぼうと伸ばし散らし、身体からは異臭を放っていた。
 そんな見るからに怪しげな老人に近づくような人間はこの街には居なかった。
 だからだろう、宿を探していたその爺さんはスピアのところを訪ねたのだった。
 当時父は、今のスピアと同様に、街を仕切っていたのだった。
 勿論市長などではない。だが、漁師組合の顔利きではあった。
 だからなのか、色々と面倒事を頼まれることも多かったようだし、それにスピアが巻き込まれることも少なくはなかった。
 何だかんだあって、その怪しげな老人は父の管理する小屋を借り受け、しばらくそこで生活をすることになった。
 まさかその老人がハーフエルフだとは気付きようもなかった。
 当時のスピアは、武術の訓練をしていた。漁師は体力の必要な仕事だし、身体を自主的に鍛えるならば、スポーツや武術は大変効率がいい。
 というのが父の教えであって。
 そんな訳もあって、スピアが槍の稽古をしていると、声を掛けてきたのが例の老人だった。
 老人の異臭は、磯の香りでも誤魔化しが効かず、どちらかと言えば、相乗効果で最悪の結果を導き出していた。
 スピア自身が自主特訓で汗をかいてはいたのだが、それとは比較にならない臭いだった。
 だが、老人はいった。気功術の扱い方がなっていない、と。
 そんな唐突の出会いからしばらく彼を師事し、教わったものが"我流龍剣"。通称"我龍"。
 彼自身がちゃんと会得したわけではないらしく、だからこその我流なのだが、それでもその技はそこらの流派では太刀打ちできないほどの技で、それを体に馴染ませてからというもの、街にはスピアに敵う者はいなくなっていた。
 我流(師曰く、ではあるが)とはいえ、やはり指導をしてもらえたというのは大きかった。気功術というのはきちんと教わったかどうかが成果に直結する。
 教わって覚えるのと自力で編み出すのとでは、効率という面で大違いなのだ。
 だからこそ、スピアにとって、そのハーフエルフの老人との出会いは掛け替えのないものとなった。
 結局、最後まで臭いには慣れられなかったのだが。
 それからしばらくしてスピアは思ったのだった。
 これが"我流"の龍剣なのならば、"本物"の龍剣はどんなものなのだろうか。
 その出会いを所望していた。とはいえ、叶うはずのないものだと分かってもいた。
 妖精、エルフの生き残りはもう居ないのだと、居たとしてももう会うことは出来ないのだと、そう思っていた。
 そんなスピアにとって、本物の妖精かあるいはハーフエルフか、どちらかは知らないが、龍剣の使い手であるフレアと出会えたことは、この上ない僥倖と言えた。

――

 そうして。
 場は拮抗した。
 硬直してしまった。
 時間は静止してしまったのだ。
 状況を説明しよう。
 フレアはもう目を醒ましている。
 一同はスピアの小屋の前、フレアとスピアが先日対峙した場所にいる。
 時刻は夕方。日は傾げてきている。緋色に燃える太陽が地平線に顔を埋めてようとしている。
 スピアはフレアに声を掛けた。
 元々、洗いざらい話すと決めたのだ。"明星"についての情報を話さなければならなかった。
 だが、その前に少し雑談でもしよう、と。少し龍剣について訊こう、と。もし出来たら龍剣を教わったり、あるいは秘伝書? のような何かを見せてもらえないだろうか、と。そう思って、スピアはフレアに尋ねたのだ。
 お前はエルフか何かなのか? と。
 確かに空気は読めていなかったのかもしれない。
 そもそもエルフというのは妖精の蔑称なのだ。
 普及しているとはいえ、あまりやすやすと使うべきではないのかもしれない。
 そのせいかどうかは知れないが、周囲は押し黙ってしまったし、フレアも息を詰まらせたように沈黙していた。
 だが、何より予想できなかったのは、たった一人。銀髪の青年、シークの挙動だった。
 突如、剣を抜き、切っ先をフレアに向ける。
 剣先がフレアの耳元を掠める。
 髪が千切れ、風に溶ける。
 耳が生えた。フレアの耳だ。
 シークの剣はフレアの耳元の髪を切り落としていた。
 そしてあらわになった。
 白日のもとに晒された。
 正体が明らかになった。
 僅かに先の尖ったその耳は、間違いなくエルフのそれだった。
 シークは、息を殺しながら、否、上がる息を精一杯抑えこもうとしつつも、それを御しきれていない上がった息でこう言った。
「お前との縁もこれまでだ。俺は誰よりエルフを憎む」
 言って刃をフレアの頬に突きつける。触れた箇所から緋い血が滴る。
「俺はお前を、殺さずにはいられない」


第七章 ≪片秤の欠席 -Seek=Forless:Absence-≫

 こざっぱりとしたスピアの家の中は、なんだか庶民的だった。
 スピアとフライヤしか居ない今は少し寂しげでもある。
「随分と余計な真似をしてくれたもんね」
 フライヤは歯噛みする想いで呟く。
 蒔いてきた種は最悪の形で結実したのだ。
 フライヤは溜め息とともに不満を口に出したのだった。
「……ああ。そのことに関しちゃあ返す言葉もねぇよ」
 スピアは見慣れないしおらしい態度で、煙草をふかしている。
 確執の始まりは間違いなく、あの瞬間だ。
 フレアが妖精族の末裔である、と露呈したあの瞬間。
 だが、事の始まりは更に多くの時間を遡る必要があるのだろう。
 フレアが妖精であることを隠し、旅に出たこと。
 シークが妖精族を憎んでいたこと。
 スピアが妖精族、特に龍剣について憧れを抱いていたこと。
 全ては不幸な偶然だった。
 もしこの世に神がいるのなら、随分と面倒な世の中を作ってくれたものだ。
 フライヤは憎々しげに空を仰ぐ。
 透き通る蒼い空。ふわふわと浮かぶ入道雲。照りつける太陽。当たり前の空がそこにあった。
『俺はお前を、殺さずにはいられない』
 その言葉は、どんな想いで告げられたものなのか。
 シークの心中は察するに余りあるものだ。
 そうして、シークは去った。
『次に会う時が、お前の最期だ』
 その場で、事を果たさなかったのは、スピアやフライヤたちを巻き込まないための良心なのか。
 フレアに対する最後の義理なのか。
 あるいは彼自身のための矜持ゆえか。
 いずれにせよ、結末は変わらない。
 フレアとシークの戦いは回避できない。
 先のことを考えると、フライヤは憂鬱になるばかりだった。
「今は時間が惜しいってのに」
 愚痴ったところで始まらないのは、フライヤも良く分かっていた。
 それでも愚痴らずにはいられない。
「まだまだこれから忙しいんだからさ」
 フライヤは、やれやれと肩を竦める。
 スピアはそれに気づき、顔を上げる。
「ああ……。もうそんなところまで知れてるのか。大した嬢ちゃんだな」
 スピアは眩しげに目を細めて、フライヤを見る。
 その微妙な表情は、感心した顔なのだろうか。それとも呆れた顔なのだろうか。
 どちらでも構わない。と、フライヤは頭を振る。
 フライヤにとっては、この男は"明星"へ至るための足掛かりでしかない。だから関心は要らない。そんな感情はドブに捨てる。接触を図ることが出来たなら、もうこれ以上の接近は必要のないことだ。だからこそ、散々に文句を浴びせてやろうかとも思ったのだが、そんな気はもう、どこかへ霧散してしまった。
「まったく。私も甘くなったもんだ」
 それは忌々しくも悩ましい独り言だった。

――

 『エルフ』。
 それは『妖精』の蔑称。
 差別的な呼称。
 虐げるための単語。
 一般的な人物と比べて圧倒的に知識の少ないリースには、その言葉は空虚に響いた。
 人ではない。そうは言われてもそれがどういうことなのか、分からない。
 だってフレアはフレアだ。リースにとってそれだけでしかない。ないのだが……、シークやそれ以外の人にとっては、それだけではないらしい。
 人ではない。
 確かにその言葉は怖い。
 人ではないのなら、常識で計れない。私たち人は、人しか知らない。だからそれ以外を、知らない。
 知らないものは怖い。分からないものは怖い。得体のしれないものは恐怖しか生み出さない。
 その気持ちはリースにも良く分かる。リースにとってほとんどのものは分からないことだからだ。
 記憶喪失であるリースにとって分かるものなど多くはない。
 だから必然的にほとんどのものを怖いと感じてしまう。分かるものなど数えるほどしかないのだ。そして、その中には自分すら含まれない。
 リースはリース自体がどんな人物なのか分からない。
 リースは何も知らない。
 だから、怖くなかったのだ。
 リースから見て、フレアが怖くはなかったのだ。
 『妖精』であっても、人ではなくても、怖くはなかった。
 少なくとも、自分よりは信頼できるのではないか、とすら思う。
 記憶もなく、ときどき意識もなく行動している自分とは違って。
 フレアは優しくて、まっすぐで、純粋で、まるで子供のように無邪気で。
 そんな彼のことを思うと、リースは胸の中に暖かい気持ちが生まれる。
 リースには、それが初めてのことだった。
 後に、リースやジンとも話すようになり、シークともようやく少しずつ会話らしいものが出来るようになってきた。
 フレアと同様に、暖かいものが胸を満たしてゆく。
 その想いには差異がないでもない。
 やはり最初だからなのだろうか、この気持ちはフレアに対してのみ、強く感じる。いや、もっと熱く感じる、のだろうか。想いの大きさの違いなのか、そもそも別の感情なのか。それは経験情報が欠落したリースには判別できない。
 きっと自分は特別なのだ。そう結論づける。
 フレアと共に旅をしてきたからこそ、感じなくなってしまった種族間の違和感。それはもう、取り戻すことは出来ないのだろう。
 例え人の10倍長い寿命を持っていてリースが年老いてもフレアは若い姿のままであろうとも。例え頑丈な身体のせいで普通なら死んでしまうような大怪我からでも回復できたとしても。例え超人的な運動能力で向かってくる敵を一網打尽にしてしまおうとも。
 リースはフレアを信じ続けるだろう。慕い続けるだろう。そのことには寸分の疑う余地もない。
 だからこそ、リースにはシークが理解できなかった。
 フレアとシークの間にはしっかりと友情が育まれていた。それは自他ともに認めるところだろう。
 それを捨て去ってまで、復讐に走るシークが、リースには理解できない。
 だが、それこそがリースが失ってしまった価値観なのかも知れない。
 一般的な価値観というものなのかも知れない。
 彼こそが普通なのかも知れない。
 そう思うとリースには、シークが不憫でならなかった。
 同様に、一般的と呼ばれる人たちも可哀想でならなかった。
 ――だって、フレアはとても素敵な人物なのに。
 それを受け入れられないなんて、なんて悲しいことだろう。
 リースはそんなふうに思うのだった。

――

 戦場を支配するのは、力ではなく心である。
 それがフレアの師匠、クォラル=バーガンディーの教えだった。
 これには色々な意味が込められていて、その内の一つは、どんなに優秀な戦術家であっても、優秀な戦略家には絶対に敵わないということだったりする。
 戦いに勝てても、勝ち続けていても、望みを叶えられる訳ではないのだ。
 国を守るなら外交手段は必須。滅ぼすだけではなくて、富をもたらさなければならない。自国だけで賄える資産などほとんどないのだ。それは多くの国に対して言えることだ。だからこそ、心を持って他者を支えなければならない。
 戦上手なだけでは結局のところ、誰も救えないし、誰も守れない。戦う術だけでは意味が無い。力だけでは意味が無い。
 優秀な戦略家ならば目的のために、力を尽くす。それは自己中心的であっても構わない。確実に自己を守るためには、多くの人の支えが必要だからだ。
 その、多くの人からの協力を得るためには、それ以上に多くの人を支える必要が出てくる。即ち民衆を救う必要がある。
 そのために必要なのは、心だ。人は心によって動かされ、心によって動く。
 故に心を鍛える。
 強き心の持ち主こそが戦場を支配するに足る器であり、詰まるところ、力というものはその手段にすぎない。
 目的を主とするか、手段を主とするか。同じ戦いという意味においても、その違いは余りに大きい。
 それは戦場というスケールの大きい話だけではない。
 例えば、1対1の局面。拮抗した力量同士での戦いでも、心が強いほうが勝算が大きい。
 この場合、油断の有無や諦めない意志などの要素が話の主題になる。
 いずれにせよ、力に頼ったところで本当の意味での勝利は訪れない。そういうことだ。
 それはそういうような教えだった。
 だけど。
 心は簡単に揺さぶられる。
 一瞬でボロボロになることだってある。
 友人と思っていた相手に、憎しみをぶつけられただけで、簡単に折れる。
 フレアは、自分の情けなさに嫌気が差した。
 そして同郷の従兄妹に思いを馳せる。
 彼女ならどのように対処するだろうか。
 そんなことを考えて、気持ちは更に沈む。
 こんなふうに悩むことすらないのだろう。憎むなら憎めばいい、そう言って剣を抜くのだろう。やれるもんならやってみな、とでも言いながら。
 フレアは自分が情けなくなった。どうしてこうも違うのだろう。
 そもそもフレアには剣術の才能がなかった。それはもう分かり切っている。20代そこそこのジンやシークとも実力は似たり寄ったりで、フライヤには負けるだろう。2対1でなければあの時の勝敗は入れ替わっていた。というよりシークが来なければ戦いにすらならずに敗北していただろう。スピアとは引き分けたが、これもたまたまだ。これも妖精としての気の総量の差で強引に押しただけのようなものだ。そもそもがフェアじゃない。そもそも経験年数が違うのだ。彼らのように10年やそこらではない。フレアは100年以上修行してきたのだ。そのうえ妖精としての身体の頑強さや身体能力の高さ、気の総量の差などもある。それだけのものを足してようやく互角なのだ。これはもう、どうしようもなく本当に才能がないということだ。
 だからこそクレアに憧れたのだ。そして妬んだ。羨んだ。一方的に、慕った。
 本当にもうどうしようもない。
 思えば思うほどフレアはどうしようもない男なのだった。
 だからこそどうでも良くなったりもする。
 何もかも投げ出してごろんと寝そべり思考を投げ出す。
 無意味に空を眺める。
 空はどこまでも蒼く、雲は真っ白。太陽は眩しく視界を霞ませる。
「憂鬱だなぁ」
 そんなことを呟いてしまう。
 そもそも今は鍛錬のために宿から出てきたのだった。街の市壁を出て少し歩いた辺りの草原。向こうに見える木々がさやさやと優しく唄っている。
 フレアの手元には一通の手紙がある。
 見れば見るほど溜め息しか漏れない。
 はふぅ、と情けなく息を吐く。
 内容は、日付と時間、場所が書かれているだけの簡素なものだ。
 それだけでもう、どうしようもなく、気分が優れなかった。

――

「んで? いつまで塞いどんねん。なっさけな!」
 フレアが宿に帰ると、開口一番、ジンにそう言われたのだった。
 全くもってその通りだと思ったので、頷いて部屋に戻ることにする。
 扉の前に立ち、ドアノブに手を掛ける。
 ああ、そうか。ここを開けても中には誰も居ないのか。なんて思うと、無性に開けたくなくなった。
 立ち尽くすフレアに、ジンは盛大な溜め息を漏らす。
「……明日なんやったか? 例の、決闘は」
 濁すことなく、ジンは手紙の内容に触れた。
 バレていることに一瞬驚いたが、フライヤの差し金だろう、と受け流すことにした。ここ最近、フライヤの鋭すぎる直感に対応してきている自分に気づいて愕然とするフレアだった。たぶんもうプライバシーなどないのだろう。全てバレている。その前提で話をすることにもはや慣れ始めてきていた。
「ああ。明日の正午、市壁の外で待ってるらしい」
「罠とか用意してんとちゃうか?」
「……まさか。そんなはずは、」
 言って、途中で詰まる。
 そうだ。何も知らない。
 フレアはシークのことを何も知らない。
 友人だと思っていた。仲間だと思っていた。だが、彼のことをフレアはほとんど知らない。
 なんて軽薄な友情なんだろう。フレアは自己嫌悪の情に押し潰されそうになった。
 そんなフレアを見かねたのか、ジンは大振りに手招きして言う。
「ちっと来ぃや。お前みたいなボンクラ見てられへんわ」
 ジンに誘われるがまま、暗い夜道へ飛び出したフレアだった。

「かんぱーい!」
 流されるまま、乾杯していた。
 そこは近場の酒場のようだった。扇情的な服装のウェイトレスが複数の皿を器用に抱えてテーブルを巡っている。客は多く、そこかしこで笑い声や怒鳴り声が聞こえる。運ばれてきた肉料理の匂いにフレアはよだれが溢れ落ちそうになった。
「いや、溢れ落ちそうっちゅーか、まんま流れとるけどな」
 ジンの突っ込みを受け流し、焼かれた肉片をおもむろに口に押しこむフレア。香辛料の効いたタレが肉の旨味を見事に引き出していた。そして野菜に手を出す。よく、肉料理が好きだと告げると、野菜はちゃんと食べているかと聞かれることの多いフレアではあったが、実際は野菜も好んで食べている。プレートに乗ったニンジンは良く火が通っていて、野菜本来の甘みが生かされていた。そして、スープに手を伸ばす。こちらはさっぱりとしていて、こってりした肉料理と非常に相性が良かった。何だこれは、順繰りに喰うだけで最高の合わせ技に昇華するじゃないか、と感激の意を示さざるを得ない。
 そうしてしばらく食事に没頭していたフレアだったが、ジンに名前を呼ばれて、食事の途中に箸を休めることは不本意ではあるが、落ち込んでいる自分を励まそうとしてくれている友人の恩義に報いるためにも、箸を置くことにした。
「まさか本題の前に6皿も平らげるとは思わんかったな。まぁええわ…、ええっちゅーことにしたるわ。んで、本題」
 と言い、ジンは立てた人差し指をフレアに向けた。あまり行儀はよろしくない。が、やはり友人であるため、口には出さない。
「コイバナしよか?」
 ジンはにやっと歯を見せる。
「こいばな?」
「そや。コイバナ、恋話、恋の話っちゅーやっちゃ! どや? なんか盛り上がらへんか?」
「別に」
「……お前、ほんっとに剣術少年だったんやな」
「ほっとけ」
 随分と虚しい話である。
 そもそも、フレアの人生はそういった浮ついた話とは無縁だった。
「なんや、サイキョーの剣士になりたいー、みたいな? そんなんか?」
「なんか急に馬鹿っぽく見えるから、その言い方はやめてくれ」
 急に恥ずかしくなってくるのだった。言い回し一つ変わっただけで、随分と印象が変わってしまうものだな、と関心してしまった。
「いやいや、ちゃうやろ。なんかこう、その原点には女が居ったりするんちゃうんか? 何を隠そう、オレはそうやで!」
「聞いてない。っていうか興味もない」
 この人懐っこい性格にも、ある程度慣れてはきたが、やはり人間族特有の雰囲気なので、まだすんなりとは馴染めない。
 なんともくすぐったいような想いを抱きながら対処する。やや冷ために接しているのは、フライヤがそうしているのと一緒で、理由はつけあがるからである。
 調子に乗らせると、いつまでも喋り続け、本題に進めないので、自然にそうなっていった。
「傷つくわー。持ち直せないわー。今日も涙で枕を濡らしてしまうわー」
「そうかい。良かったな」
「んでな、オレの初恋はな……」
「結局、話すのかよ!」
 思わずツッコんでしまった。そこにはしたり顔のジンがいた。
「相変わらず優しいなー、兄さんは」
「はぁ、そうかい」
 にまにまといやらしく嗤うジンに、フレアはがっくりと肩を落とした。
「とまぁ、余談は置いとくとして」
 ジンは声のトーンを落とす。どうやら本題に入るらしい。
「聞かせてもらいましょか。兄さんの恥ずかしい初恋を!」
 どうやらこの男、本題に入る気はさらさら無いようだ。

――

 なかなか口を割らないフレアのため、ジンは昔話をした。
 ジンは元々、一人で賞金稼ぎをやっていた。実力は如何程だっただろうか。古い記憶の所為か定かではない。と言うよりもフライヤと組んでからの生活が楽しすぎた所為で、それより前を思い出せないのだ。だが、最初は一人だった。それだけは間違いない。古いとはいえ、フレアとは違って、たった10年すら経ってはいないのだから。色褪せることはあっても忘れることは決してない。
 フライヤ=ルクセフィア。
 シルクのように艶やかな長い『黒髪』、細くしなやかな手足、白く滑らかな肌、整った凛々しい顔立ち、何者にも屈さぬ強い意志を宿した『枯木色の瞳』。
 髪と眼の色を除けば、それは現在のフライヤと瓜二つの姿の女性だった。
 その名は畏敬の念で呼ばれることが多かった。ジンには遠い存在だった。彼女はいつも一人ではなかった。周りには多くの彼女の仲間たちがいた。ジンは近づくことすらなかった。出来なかった。それだけ有名で、強かった。そして何より美しかった。彼女は遠い存在だった。
 ジンのほうはソロで動くことが多く、だから彼女とは関わることはないのだ、と思っていた。それはその時が来るまで、ずっと。
 片田舎のギルドでのことだ。
 手を組みましょう。彼女はそう言った。それは突然のことだった。
 これから追う標的が現状の面子では手に負えない可能性があるのだという。
 フライヤは強かった。最強の賞金稼ぎと言われていた。間違ってもサイキョーなどではない。真の意味で最強だった。徒党を組む必要性がないくらい、彼女は強かった。当時はそういった説話が、真偽はともかく、余りに多くあった。100対1の斬り合いで勝ったとか。人外の獣を討ち取ったとか。その手の話はいくらでもあった。噂がひとり歩きしてしまっていた。それくらいに有名だった。だが、それも仕方がない。彼女はそれだけ強く、多くの依頼を果たしていて、そして何より美しかったのだから。噂くらい作られて当然だった。
 ジンはそんな彼女の提案に、最初は恐れをなした。巻き込まれたくない。そう思った。
 賞金稼ぎ、それは謂わば傭兵の一種みたいなものなのだが、そんな生き方をしている人間にとって、名が売れすぎることはそれなりにリスクも孕んでいるのだ。有名な傭兵を暗殺する傭兵刈りなるものも時折現れるのだ。有名すぎる傭兵は恨みも買う。いや、妬みと言うべきか。
 現にフライヤは恨まれてもいた。妬まれてもいた。彼女は有名すぎたのだ。
 フライヤに依頼を請け負ってもらえるのは光栄だし、それが行き過ぎてフライヤ以外の傭兵では不名誉だなんて風潮すらあった。請け負ってくれるのがフライヤじゃないのなら依頼を取り下げます、なんて輩まで現れる始末。
 彼女は、傭兵連中からは煙たがられていた。それも事実なのだ。
 彼女の仲間たちがどういうつもりで仲間で居続けたのかは知らない。だが、状況は確実に彼女を追い込んでいた。
 そういう状況での提案だった。ジンは手をこまねいた。悩んだ。そして。
 ジンは、その手を払った。
 フライヤがどんな顔をしたのかは知らない。見ていないのだ。怖くて見れなかった。
 彼女も。その仲間たちも。怖くて見れなかった。
 ジンはそんな恐怖をひた隠しにして、ギルドを出たのだった。
 そして数日後。

 フライヤ=ルクセフィアは行方不明になった。

 ジンは狂騒に駆られた。居ても立ってもいられない状態になった。
 いなくなって初めて気づいた。
 彼女に惹かれていたことに。
 だから逃げた。だから手を拒んだ。受け止める覚悟がなかったからだ。
 手を拒んだ時、彼女の眼を見れなかったのは怖かったからだ。
 はじめ、彼女の眼には好意が見えた。それが失意に変わる様を見たくなかったのだ。
 あまりに無様だった。
 そしていなくなった。
 オレの所為だ。そう思った。
 考えられることはいくらでもあった。
 仲間たちが実は共謀していて、フライヤを貶めたとか。あるいは傭兵刈りに襲われたとか。あるいは依頼に失敗したとか。
 ジンは真っ先に仲間たちの裏切りを思い浮かべた。それしか考えられない。そう思っていた。
 なぜなら、それはあまりに不自然だからだ。
 疎まれていた彼女の側に付くことも。彼女に味方することも。傭兵としては在り得ない。
 フライヤばかりが優遇されれば、他の傭兵は仕事にありつけなくなる。そうなれば自然に彼女は疎まれることになり、そしてそれは仲間たちにも飛び火する。
 もしその仲間たちに傭兵としての矜持が残っていれば、彼女を厚遇したりしない。それは傭兵業の破綻に繋がるからだ。
 彼女を厚遇するのであれば、彼女をギルドのトップに据えでもしない限りは安定は在り得ない。状況はそれくらいに切羽詰まっていた。
 だが、彼らはそうしなかった。ギルド職員への転身希望を彼らは突っぱねたのだ。
 猛反発を食らい、書類を千千に裂かれた彼女の想いがどんなものだったのかは知れない。
 だから、結論は結局そちらへ向かうしかない。
 彼女は殺されたのだ。仲間たちに裏切られて。
 そうして。気づけば。
 ジンは森に立っていた。ギルドで彼女が言っていた提案。依頼案件の場所。
 彼女はここでテロリストの倉庫を潰していた筈だ。
 ここの倉庫がメチャメチャにされ、テロリストは活動不可にまで追い込まれたのも知っている。そこでフライヤとその仲間たちが消息を断ったのも知っている。そしてその後視察に来たギルド職員が立ち入り、この有り様を記事にして新聞に貼り出されことも知っている。
 だから余程奥まった場所でもない限り生存者はいないだろうことも分かっていた。分かっていてジンはそこを訪れた。
 そして、煤けた廃倉庫に侵入した。
 そしてすぐに耳に入った。
 人の声がした。
「フライヤっ!?」
 考えもなしに走る。入り組んだ作りが腹立たしい。目的の場所にはなかなか辿り着けない。
 襲撃対策なのだろうが、狭い廊下があちこちで曲がりくねっていて、方向感覚を失わせる。それでも声だけははっきり聞こえる。勘違いではない。間違いなくそこにいる。
「フライヤーっ!!」
 ジンは声を荒げた。それはあまりにもどかしかったからだ。
 そうこうして、ようやく迷路のような道を切り抜け、一気に視界が開けた。
 そこには。
 いくつかの屍体と一人の生き残りが倒れていた。
 途端に異臭が鼻を突く。おそらく死後から数日が経っているのだ。舞う蝿たちに嫌悪感が募る。
 見知った顔がいくつかある。フライヤから提案を受けた時に見た顔だ。フライヤの仲間たちだろう。いや、もしかしたら元仲間というべきかも知れない。
 何が起きたのかは分からない。彼らの死の真相は生き残りに訊くしかないだろう。そして、周囲を見渡す。声の主を探す。
 屍体から少し離れた場所、そこに彼女がいた。
「たす、助けて……」
 声は弱々しく、聞いたことのない声だ。だからそれが彼女だとは信じられなかった。
 衣服はボロボロで、絹のような黒髪は金色に染まっていた。滑らかだった肌はささくれて痛々しい。声には覇気がない。
 彼女には彼女と認識するに足る全てがなかった。
 それはもう彼女ではなかった。ジンの知るフライヤはもう何処にも居なかった。
「いたい、……やめて、つらい、苦しい……」
 彼女はうわ言のように呟く。もう意識はないように見える。
 そして、手が伸びてくる。
 彼女は助けを求めるように、腕を伸ばした。ジンはそれを掴んだ。
 ジンの意識は呆然としていた。何より意味が分からなかった。
 彼女が襲われたのは、恐らく予想した通りなのだろう。
 だが、何があってこの状況になったのか。
 何故、彼らフライヤの一団は死に、フライヤは変わり果てた姿で生きているのか。
 そもそも、一度調査が入っているはずだ。であれば、この惨状はおかしい。
 やはり、捏造されていたのだろうか。そこまでは予測してはいたのだが。
 おそらく調査員は視察に来ていないのだ。視察せずに記事を書き、公表した。そういうことだろう。
 まぁ良くある話だ。
 だが、この現状ばかりは、理解が及ばない。
 ――何か新種のクスリでも盛られたか……?
 そういう結論しかつけられない。
 そしてジンは彼女の腕を引いた。
 その細い腕は剣など握れそうにない。ものの数日で見事に痩せ細っていた。この様子なら食事もしていないだろうし、当然とも思える。
 そのまま彼女を抱き寄せる。それでも彼女は呻き続ける。
「いやだ、いやだ、奪われたくない……わたしは、わたし」
 もう見ていられなかった。ジンは彼女の鳩尾を打ち、気絶させた。

 もう彼女にはフライヤの面影はない。ジンは彼女のことをほとんど知らないが、もう元の彼女は残っていないだろう。
 町の小さな診療所で、彼女の快復を待った。
 快復した彼女は記憶の全てを喪っていた。
 全てを失った彼女に、ジンはもう一度フライヤ=ルクセフィアの名を与えた。
 彼女がフライヤであるという根拠があるわけではなかった。だが、ジンはその名を与えた。
 今度こそ彼女を救いたかった。だから真偽などどうでもいい。
 彼女を守る。そう決めたのだった。

――

「フライヤに、そんな過去が……」
 それはフレアにとって意外だった。というかそんな状況からどうしてあそこまで不敵になれるに至ったのか不思議でならない。
「まぁそこら辺は、やっぱりアイツは強かったっちゅーこっちゃな。面食らったんはこっちかて同じや」
 それが彼女の本質、ということなのだろう。過程はどうあれ、いずれ辿り着く形は同じということか。
「っていうか大丈夫なのか? その、毒盛られたんだろ?」
 フレアはよく知らないのだが、中には後遺症が残ったりする厄介なものも多く存在するという。
「ああ、医者が言うには問題ないらしい。クスリはたぶん盛られてない、やと」
「だけど、それだと……」
「そやな。説明できひん。髪色変わるわ、気ぃ狂うわ、記憶喪うわ、めちゃくちゃやもんな。けど残念ながら、それ以上は分からんのや」
 言葉を失してしまう。思っていた以上にジンもフライヤも重たい過去を背負っていた。
 自分もしっかりしなければ、なんとも情けないではないか。
「まぁ結局、オレの話だけで時間使いすぎてもーたさかい、兄さんの話は今度に回すとして……」
 ジンは立ち上がりながら言う。
「惚れた女の為なら、何でも出来るのが漢ってもんやろ?」
 勘定をテーブルに置き、ジンは酒場を後にした。フレアは一人残される。
「惚れた女、ねぇ……」
 思い浮かぶ顔はやはり一人しかいない。
 はぁ……、と盛大に溜め息を吐く。
 ふと顔を上げると、並べられた料理はすっかり冷めてしまっていた。

――

 温まった身体に、夜風が気持ちいい。
 フレアは酒場を出て、通りを歩いていた。
 宿まではたいした距離もない。迷うことはないだろう。脳裏には常磐の町で徘徊していたときの記憶が蘇った。道に迷っているときの心細さや不安、焦燥感はあまり思い出したいものではない。行きたい場所へ行けないストレスは存外に大きいもので、人を惑わすには充分な魔力がある。ゆえに更に迷い、状況は悪化の一途を辿るわけだ。
 これがあと一本向こうの通りまで掛かるような距離だったらどうだろう。さすがに迷わないと思いたいが、自信を持って答えられない自分が情けない。
 そんなことを思いながら歩いていると、違和感を感じた。
 それはさながら糸のようだった。
 糸のように細く、視界の端を縫う影。それを目視しようと振り向けば姿はそこに無く、気配はフレアの背後に迫っていた。
「フライヤ、か」
 フレアは憶測を口にする。
「ちっ、バレたか」
 もう一度振り向くと、そこには金糸の髪を夜風になびかせて佇むフライヤがいた。
 月光を背に受け、輝く髪が、彼女の赤い異国の衣装を照らし出す。
 聞いたところによると大陸製の民族衣装らしく、太腿を露出させる深く裂かれたスリットは、彼女の常軌を逸する立ち回りを一切阻害しない。そして、上半身は逆を行き、露出は少ない。膨らんだ胸元からは相当なプロポーションを想像させるが、布がそれを覆い尽くしている。襟先は首元までを丸く囲う。
 それが彼女の普段の姿だった。
 他の衣服を着ることもあるようだが、いつもはこの姿でいることが多い。
「何か用か?」
 フレアにとって、フライヤは敵ではない。警戒する必要もないので、気を楽にして訊く。そして彼女はそれに答える。
「聞いたんでしょ。私の秘密」
 どことなく蠱惑的な響きに聞こえなくもないが、もちろんここではそんな意味では全くない。
 先程のジンとの会話を聞かれていたらしい。
 あるいは、ジンが話すことすら予測済みだったということだろうか。
 どちらにしろ、大いに有り得る話ではある。
「ああ。聞いたよ」
 隠すようなことではないし、そんなことはこの女の前では無意味だ。というか逆効果になる。
「……そっか」
 と、フライヤは神妙に頷く。
 様子から察するに、聞いていたというわけではないのかも知れない。そう考えるとますます恐ろしくもなるわけだが。なぜなら、フライヤは予測だけで会話の内容すら当ててしまうというのだから。ジンがフライヤの秘密を明かしたことに、何か重大な意味があるとするなら、また別の意味が生まれるわけだが、それは今考えることではないだろう。
「ひとつだけ、忠告」

 フライヤは指を立てる。その仕草は、やはりいちいち魅惑的でいじらしい。思わずその所作に目を奪われる。
 指はそのまま、フレアに向けられ、止まる。流れるような手つきはなぜか注目せずにはいられない。
「私は誰の指図も受けない。誰の理解も要らない。そして一切に遠慮をしない。全ては私のものであり、全ては私の自由だ。だから……」
 その蒼い眼光に炎が宿る。意志の炎だ。フレアにはそれが何故か赤く輝いて見えた。炎のように赤く揺らめいて見えた。
「父も母も家族も王も皇帝も法王も民衆も神も精霊も、私の邪魔はさせない。何人の妨害も赦さない」
 フライヤの眼の炎は更に昂る。迸る。炎のように波打つ。
「私は私だ。私でしかない。私でしか在り得ない。他の何者にも支配されない」
 赤い。蒼いはずのその眼は赤く爆ぜる。
「私は私だけのものだ。これだけは譲れない。なぁ、フレア……」
 不意に、炎のような圧迫感のある気配が夜気に紛れた。
 全ては錯覚であったかのように、静かになる。黒い空、金の月、金の髪、赤い装束、蒼い眼。全ては元通りだ。
 そして、
「いつまでもあたしの掌の上に居なよ……?」
 そんな台詞を吐くのだった。
 なんともフライヤらしい言葉だった。
「ああ、分かってる」
 フレアはフライヤを追い越し、背を向ける。
 不思議と、重たい気分は感じなくなっていた。
 それはジンとの会話のおかげか、フライヤのおかげか。どちらでもいいのかも知れない。
 フレアは続ける。
「退屈してるんだろ? 手持ち無沙汰はさせねぇよ」
 フライヤが立ち去る足音が聞こえた。
 一人。
 その掌の上から零れ落ちた奴がいる。
 一人だけ逃げようたって、そうはいかねぇぞ、とフレアは吐き捨てる。
 これは復讐を遂げるための決闘ではないのだ。
 人形を一人、掌の上に戻すための決闘だ。
 フライヤならば、ヴァルトニックもテロリストもない、新たな世界を作り出せる。フレアはそう信じたのだ。
 だがそれだけでは事を成せない。
 信じるだけでは駄目なのだ。
 肯定だけでは暴走するだけだ。疑う役目が必要なのだ。
「疑うのは、アンタの役目だろうがッ!」
 答える相手はここには居ない。
 夜の帳はまだ深いが、満月のせいか、やけに明るい気がしたのだった。


第8章 ≪片秤の血跡 -Seek=Forless:Blood-≫

 一人でいると、部屋は異様に静かだった。
 窓の外から聞こえる喧騒は、どこか遠く感じる。
 まるで、この部屋と屋外では、違う世界が広がっているような感覚。
「……くだらないな」
 シークは自嘲気味に笑う。
 静かに感じるということも、孤独を感じているということも、それに違和感を抱いているということも、それを懐かしんでいるということも。その全てがくだらない。本当にくだらない。馬鹿げた思考だった。そんなことに意識を奪われていること自体が馬鹿げていた。そんなことを可笑しく感じる自分が本当にくだらない。
 そうして。シークは膝の上で解体していた銃を組み上げていく。
 それはいつも通りの作業だった。何も滞り無く作業は進む。何の妨害もない。可笑しいくらいにスムーズだった。
「邪魔者がいない。たったそれだけのこと、か……」
 やはり違和感が胸をよぎる。
 ここには作業の邪魔をする変な訛りの阿呆がいない。何でも信じる純粋すぎる馬鹿もいない。他人を振り回す傍若無人な天才もいない。いつもおどおどしている二重人格者もいない。ここには誰もいない。
 当たり前だ。部屋は新しく取った。この部屋はシークしかいない。だからそれは当然のことだ。
 当然のことなのに。
 当然であるはずなのに。
 自然に問いが生まれる。
 どうしてこうなのだろう、どうしてこうしているのだろう。
 自分で選んだはずなのに、自分でそうしたはずなのに、問いが胸を締め付ける。
「……本当に、くだらないな」
 このままであっていいはずがない。このままではいられない。
 だからこそ。
 シークは立ち上がる。銃は銃剣として組み上がっている。
 断ち切る。
 現状を断ち切る。
 迷いを断ち切る。
 過去を断ち切る。
 エルフを、断ち、斬る。
 フレアを、斬る。
 前へ進むために、その道に立ち塞がるものは何であろうと退けるのだ。
 かつて戦友と信じた相手であろうと、斬る。
 この想いはそうすることでしか果たされない。成就されない。結びつかない。
 だから。
 シークは扉を、力強く開けた。

――

 信じるものは救われない。
 それはヴァルトニックに従事していた際、シークが得た一つの真理だった。
 ヴァルトニックの所業を信じていた頃のシークは、技術者兼戦闘員として働いていた。
 噂ならばあった。
 ヴァルトニック社が、辺境の地で暴虐の限りを尽くしているとかなんとか。
 だが、シークはそんなもの、ただの噂だろう、と。根も葉もない虚言にうつつを抜かしているだけなのだろう。そんなふうに考えていた。そんなふうに見過ごしていた。気づくことはなかった。気づけずにいた。愚かしい限りだと、今ならば思えるのだが、当時は、そうだった。そうなふうにして意識に蓋をしてしまっていた。
 だからだろう。気づいたとき、シークはどうしようもない後悔に襲われたのだ。無知でいたこと。想像すらしていなかったこと。未熟だったこと。そして、信じていたこと。
 全ては、裏切られた。
 初めて、奴らの行いを見た時の、あの衝撃は忘れられそうにない。
 笑いながら人を苦しめられる。そんな所業を人間がするとは。まして、信じていた仲間が。
 友達だと思っていた。仲間だと、思っていたのだ。
 そんな相手が、人を人とすら思わない態度で、蹴り、罵り、唾を吐く様が。
 世界は歪んで見えた。軋んでいたようにすら思う。異世界かと思ったのだ。夢にしたって気分が悪い。悪夢というには、妙にリアルで。不快極まりなかった。
 だが、同類だ。同時に思う。ヴァルトニックがこういう会社であったならば、そこに所属する限りシークもまた同類なのだ。
 嫌悪感に身震いした。吐き気がした。身の毛がよだった。シークは逃げるように仕事をほっぽり出して逃げてきた。
 歯車はとっくに噛み違えていた。
 気づいた時には、とんでもないものが組み上がっていた。
 こんな筈じゃなかった。そう思ってももう遅い。遅すぎる。
 ヴァルトニックはもう、取り返しのつかない場所に成り果てていた。
 企業理念なんてものは、もう忘れてしまったのだろうか。もう、かつての面影は残っていないのだろうか。
 いずれにせよ、このままでは済まされない。済ましてはおけない。
 その想いで、シークは戦ってきた。
 だが、根っこの部分は変わらない。ヴァルトニックはどうか知らないが、シークは変わらなかった。
 エルフに復讐する。
 この想いだけは、譲れない。
 思想も目的も友情も、関係はない。
 復讐は全てに優先される目的なのだ。あらゆるものを越えた衝動なのだ。
 生きる目的なのだ。シークが生きている理由なのだ。
 だから。
 フレアを殺す。

 約束の時間。約束の場所。
 復讐を遂げる。その時がやってきた。
「最後にもう一度訊いておきたい」
 現れたフレアはそんなことを言う。
 往生際の悪い。いや、時間稼ぎのつもりか。時間を稼いで何をするつもりかはシークには分からないが、何故か無性に苛々した。
 シークは無言を答えとする。
 フレアはやや待ってから気づき、その意を汲んだように黙った。
 周囲には仲間たちがいた。リース、ジン、フライヤ、そして恐らくはその後に加わったのであろうスピア。彼らは離れた場所で遠巻きに見守っているようだった。
 フレアを殺した後、彼らはシークと合流するのだろうか。少し考え、在り得ないと結論付ける。フレアを殺した後で、もはや仲間もないだろう。そうあろうとしたところで、きっと上手くは行かない。ならば在り得ないと、断じるべきだ。そうしたほうが幾分か気が楽になる。
 シークは銃剣を青眼に構える。対するフレアも構えを取る。
 そこで、シークは意表を突かれた。
 見たこともない構えだった。
 それは、剣を肩に担ぎ、身体は半身ではなく正面を向いている。いつものフレアならば剣は青眼に構えていたはずだ。構えを変えるにしても半身でないのは違和感を覚える。
 そもそも青眼は剣術における基礎のような構えだ。もっともオーソドックスであると言える。どんな戦術にも生かせる万能な構えだ。戦術も研究されており、扱いやすい。だが、確かにデメリットも存在する。それは、研究され尽くしている、ということだ。それだけ普及してしまえば、対策も容易に講じられる。また万能ゆえに、実力差に影響されやすいというのもある。力の差がそのまま結果に現れてしまうのだ。
 また半身とは、身体を横へ向け、構えることで攻撃を受ける箇所を減らすことが出来る構えだ。その分相手の攻め手を減らし、防御に徹しやすくなる。これのデメリットを挙げるならば、相手の動きを読みやすくはあるが、少なからず隙の生じる構えであるということだ。あらゆる攻撃を確実にいなせるという訳ではない。
 そういった点を考慮するなら、奇をてらった構えを取るのも有効とは言える。少なくとも警戒はするべきだ。だが、慣れない構えは命取りになる。戦場では一瞬の油断、一瞬の読み違いが生死を分ける。だから素振りなどの訓練を行い、身のこなしを身体に覚え込ませるのだ。戦場で役立つのは思考よりも経験だ。何度も動作を反復させ、練度を上げた技だけが、有効打になりうる。付け焼刃の構えや戦法など、実戦では何の役にも立たないのだ。
 案ずるには及ばない。シークはそう結論づける。
 フレアの性格上、付け焼刃が無意味であるということも分かっていそうなものだが、それは追い詰められたゆえの暴挙といったところか。その点に関しては残念に思う。互いに全力の状態で勝敗を決したかった。だが、遠慮など必要ない。いや出来よう筈がない。相手がエルフであるならば、手心など加えられはしない。シークは、柄に力を込める。
 ――小手先の技など、銃剣の前には意味を成さない。それを思い知らせてやる。

――

「防戦一方ですよ? だいじょうぶなんでしょうか……」
 リースは不安げに尋ねてくる。
「だーいじょうぶでしょ! 見たところ結構余裕あるっぽいし」
 フライヤは気楽に答える。
「せやけど、あんな構え初めてやないか? ちゃんと戦えるんやろな?」
「ハッハァー! 坊主、龍剣をナメちゃいけねぇ。 ありゃ、最強の剣術だぞ!」
「サイキョーっちゅーてもな……」
 あまり納得のできないジンだった。
 スピアのほうは、もう勝利を確信しているようで観戦する気満々のようだ。
 戦況はシークが攻めている。フレアはその剣を弾き、躱している。だが、大振りの大剣ではシークの動きに対処できないのか、どうにも一方的のようだった。
「にしても、シークのやつ。ホンマに強ぇーな。ほとんど態勢が変わらん。随分と安定しとるわ」
「動作に入りと戻りが殆ど無いんだろうな。あいつは青眼で構えるか、構えを取らずに無造作に立ってることが多いみたいだな。だが、そこからの動作は相当洗練されてる。ほとんど体勢を変えずにあれだけ動けりゃあ隙なんてそうそう出来やしないだろうな」
 シークの攻撃は、速く、鋭い。それでいて動作が短く隙が少ないのでは打つ手は無いように思える。
 ましてフレアの剣は大剣。分類するなら超重武器とでもいったところだ。身の丈ほどもある剣なのだ。そんな鉄の塊がやすやすと通るほど、シークの守備は甘くはない。
「フライヤ、ホンマに大丈夫なんか……? オレ、いまいちアイツ信用できへんのや」
 不満気に尋ねるジンだったが、フライヤは返事をしなかった。
「フライヤ?」
「変わった……」
 フライヤの表情が真剣のそれになる。ジンは意味が分からなかった。
「つーか、あっち見なさいよ。フレアの方。構えがまた変わってる」
「え……? なんや、格好良ぇーなぁ」
 フレアは大剣をぶんぶんと回していた。旋回する大剣は、力強く、見た目も派手でジンはしばらく見入っていたが、ふと思った。
「あれ、疲れませんかね」
 発言したのはリースだった。
「結構重いしなぁ。格好良ぇーけど」
「だが、見た目が派手なだけじゃねぇぜ。フレアの動きも良くなってる」
「慣性、かもね」
 フライヤの説明によると、フレアのような超重武器は慣性に対する対処が必要になってくるらしい。
 止まっているものは止まり続けようとするし、動いているものは動き続けようとする。それが慣性だ。慣性は物体である限り、避けようのない特性と言える。また、慣性は重量にも強く影響する。
 止まって構え続ける限り、初速は出せない。超重武器では、如何に鍛えようと、気功術の恩恵を受けようと、初速では他のどんな武器よりも遅れてしまう。シークのように速く動ける相手ならば、尚更だ。
 ならば逆に動き続けていればどうなのか。初速が殺されることはないだろう。とはいえ、それは難しい。動き続けると言っても折り返しのある動作であればそれは決定的な隙になってしまう。そこでいっそ旋回させてしまう、というのは面白いアイデアだった。だが、問題というのはそれだけではない。
 そう、重いのだ。フレアの剣は重い。それこそ人間一人分くらいには相当する重量を備えている。それを振り回し続けるなど、並大抵のことではない。気功術を併用したところで、消耗は激しい。だが。
 だが、恐らく、フレアはそれを気にしていないのだろう。フライヤは結論付ける。
 何故ならば、そもそも超重武器というもの自体が持久戦に向かないのだから。ならば初めから消耗することは考えていないのだろう。
 大剣の戦い方とは、一撃必殺。当てれば勝ち。でなければ敗北。それだけのことなのだから。
「追いついてきてる!」
 戦況はまた逼迫してきていた。
 リースは自分のことのように喜んでいる。
 ジンもスピアも一様に表情を明るくさせる。
 フライヤだけは、不敵に笑っていた。

――

 フレアが剣を旋回させてからというもの、シークは押され始めていた。
 フレアの動きはどんどん洗練されてゆく。シークは認識を改めねばならなかった。油断していたつもりはない。だが、見誤っていた。
 フレアはエルフなのだ。人間より長い寿命を持っている。実年齢は知らないが、その経験値はきっとシークよりもずっと多い。
 戦術を変えたところで、構えを変えたところで、ブレない自力があったのだろう。それを見抜けなかった。それこそが誤算だったのだ。
 一撃の重さは増してゆく。攻撃は鋭く。守りは厚く。
 苦しい。
 その想いがシークを過去へ誘う。記憶が蘇る。
 果たさなければならない。
 復讐を。
 殺さなきゃ。
 エルフを。
 重い一撃をなんとか受け止めるシーク。重量と膂力により、その圧力は凄まじいの一言に尽きる。
 身体全体の筋肉と、気を全開にして纏い、どうにかといった具合で受け止める。
「どうして」
 攻勢を止めたフレアが、捻り出すようにして言った。
「どうして、妖精を、エルフを憎んでるんだ……」
「……それは」
 答えは簡単だ。呆れるくらいシンプルだ。
「こんな世界を作り出したのが、お前らだからだ」
 憎しみの由来は、シークの心の真ん中に突き刺さっている。
「世界は、理不尽だ。けど……」
 根源。そこには茨が蔓延っている。
 エルフ。憎きエルフ。
 偽善の権化。災禍の根源。禍根の矛先。怨嗟の深奥。
 蘇るのは、音声だ。誰かの声とそれに対する誰かの声。


『奴らは世界を救い、貴様らは地獄へ堕ちた……』

 ――憎い。

『足掻くんじゃねぇよ! とっとと墜ちろよ!』

 ――エルフさえ。

『生きようとすんじゃねぇよ! 愚族のくせにッ!!』

 ――エルフさえ、いなければ……ッ!!


 ――始めよう。俺たちの復讐を。

 シークは、言葉を紡いだ。
「始めから知っていたさ。世界の理不尽さくらい」
 改めて、自分を俯瞰する意味も込めて。
 過去を振り返ることにした。

――

 かつて世界は妖精と人間で争っていた。
 力を持つ妖精と、欲を持つ人間。本来ならば戦争どころか小競り合い程度にしかならなかったはずの諍いが、何故そこまで発展したのか。それは、人は際限なく欲を持っていたからだ。その欲求の先に、世界の危機が待ち受けていたとしても、彼らはそれを選択し続けた。ゆえの粛清。それがその発端だった。
 戦いは妖精族と人間族の戦いとなってはいたが、その中央にいたのは互いに王族だった。つまり戦いは妖精王と人間王の争いであったとも言えるだろう。
 妖精王の名を、エルフ=レッドフィールドと言い、人間王の名をヴェルノ=フォーレスと言った。
 勝利した妖精たちは、人の世に関わらないことに決め、森の奥へと姿をくらました。
 残されたものは荒廃した大地、後退した文明、負けた王族の末裔、貧困した人間たちだった。
 人間は苦しければその鬱憤を弱者にぶつけるという生き物だ。あらゆる苦しみは全て負けた王族、フォーレス家に向けられることになる。
 その弑逆は戦後1万年経った今でも続いている。もはや意味などない。風習が焼き付いてしまっているのだ。こびり付いて取れやしない。
 フォーレス家は無意味に差別され続けた。住む場所もロクに得られず、点々と各地を旅しながら貧しく暮らしていた。
 そして10年前。幾度繰り返された虐殺がまたもフォーレス家を襲った。
 生存者は3名。数十人の命が散った。
 彼らは復讐を誓った。
 『エルフ共を始末し、世界に新たな秩序をもたらそう』と。

 その話は、フレアにとって少なからぬ衝撃を与えた。
 世界を守るため、文明を滅ぼさざるを得なかった妖精族。
 だが、世界のためなのだから納得できるかと言えばそうではない。不平や不満は人々の心に深く降り積もった。妖精は眼前から消え、残ったのは負けた王族たち。矛先は無情にも彼らへ向いた。王が倒れた直後、世界は荒れた。
 その原因は妖精にあった。
 情勢が落ち着くまで、妖精が人々を導いていたならこんなことにはならなかった。それは間違いなかった。
「な、なんだよ……それ。確かに破壊活動は悪かったんだろうけど、どうしてそんなことに……!」
「人はお前らほど強い生き物じゃあないってことだろ。難しい話じゃないさ」
 狼狽えるフレアに、シークは静かに諭すようにして言った。
 そして、シークは銃剣を構えた。シークの中で燃える復讐の炎は、更に熱量を上げて燃焼する。
「オレが許せねえのはな、それだけの破壊活動を行っておいて、その後始末をしなかったことだ。そのせいでどれだけの不幸が生まれたか分かるか!? どれだけの人間が死んだか分かるかッ!? てめえらが森の奥で眠りこけてる間に、オレの大切な家族はみんな死んじまったんだよッ!!」
 その瞬間、シークの瞳が悲しみに濡れているように見えた。が、シークが瞬きをするとその色はどこかへと消えてしまう。気のせいだったのか。それとも。
 フレアは己の浅はかさを呪っていた。本当に何も知らなかったのだ。
 シークのこともそうだし。妖精戦争の後のことも。戦後の後始末。たったそれだけのことを失念していた。それは小さいようで大きい。
 戦後。荒廃した大地。機能を失った都市。惑う民衆の心。
 妖精はそのフォローをしていなかったのだろうか。だが、シークの言から想像するに、間違いなく助力は十分な量ではなかったのだろう。だからこそ、不平や不満が生まれた。そしてそれは指向性をもって、とある一族へと向かった。
 その悲劇を想像できなかった。幾度も聞いた戦争の話であったのに、彼らの行く末を想像していなかった。知識の少なさ、情報の少なさは勿論あるだろう。だがそれでも、見落としていたことがショックだった。
 しかし、それで立ち止まるわけにはいかない。正面にはシークが立っている。未熟な自分であろうと愚かな自分であろうと、それを隠す真似はしたくない。フレアは大剣を肩に担ぎ、構える。
 対するシークは銃剣をフレアに向け喧伝する。
「エルフと名のつく奴は全て殺す。てめえの一族も皆殺しだ」
 シークは依然、復讐の炎に囚われたままだ。だからフレアには言ってやらねばならない言葉があった。
「そいつは、おかしいだろ……? 間違ってる」
 フレアは、剣を旋回させる。
 この構えを旋牙という。
 正確には龍尾の位。通称"旋牙"。龍騎道剣術の数ある構えの一種だ。
 一朝一夕の構えではない。随分と昔ではあるがきちんと修行をしていた。
 だが、フレアの剣術相手はもっぱらクレアとクォラルだったのだ。二人はフレアより圧倒的に強く何をしても勝てなかった。ゆえに旋牙も通用せず結局は青眼へと構えを戻したわけだ。しかし今思えばこの構えは理に適っているし、身体に馴染む心地があった。もう一度試そう、そう思ったのがつい昨日のことだったのだ。
 結果は功を奏した。シークを圧倒し、現状追い詰めていると思う。このまま勝敗が決すればいいのだが、それはあまりに軽んじた考えだ。シークはこれで終わらない。フレアにはそれが分かっていた。
 そして、それは当たっていた。
 そこから数度、打ち合いを重ねたが、先程より手応えがあった。シークの剣戟が鋭いように感じる。一度目はそれが偶然なのか計りかねていたのだが、三度目で確信に至る。回転を読まれている。
 剣を旋回させているということは、そこには角度が存在している。フレアは状況によりそこからの技を選んでいるのだ。前へ流れてくるときならばその勢いを斬り下ろしに転化させ、後ろへ流れているときならば回避、といった具合に。その速度はそれなりに高速だ。見切れるのはシークの目が良すぎるからであり、普通ならばそのように対処は出来ない。
 ――こう来るか……!
 だが、旋牙の本領はこんなところではない。
 次の打ち合いで、フレアは旋牙で受け止める。次いでくるシークの連撃。フレアの剣は後ろへ向かって流れているところだった。間違いなく狙った一撃だ。フレアは回避の動作で後ろへ飛び退りつつあった。そこへシークの銃剣が迫る。が、フレアのその動作は回避のためのものではなかった。剣だけではなく身体全体を回転に乗せ遠心力を乗せた一撃を振り下ろす。
 銃剣特有の重たい衝撃が身体を痺れさせる。だが、フレアの剣は振り抜かれていた。そして、砂埃の舞う中、シークは地に伏していた。
 だが、決定打ではなかったのか、シークは立ち上がり、ふらつく身体で銃剣を構える。
「……間違ってるのは、世界だ。こんな犠牲者の生まれる世界は、間違ってる」
 傷つき、それでも意志を曲げないシーク。だからこそ言わねばならないことがあった。
「いいや。お前は正しくない。間違ってる」
「なんだと……?」
 その声は霞んでいる。目に見えて消耗しているようだ。
「お前は言ったよな。『信じるのはお前の役目。疑うのはオレの役目だ』って」
「それが、どうした……?」
「なら、どうしてオレを疑わなかった」
「……?」
 シークは首を傾げた。フレアはそのまま続ける。
「どうして始めにオレが妖精、エルフかもしれないって疑わなかったんだ。疑うのが役目って言ってたじゃねえか!」
「な……!?」
 それはあまりに馬鹿げた理屈ではあった。だが、シークは疑うべきだったのだ。どんなに可能性が低くても、それが妖精かどうか、疑わねばならなかった。それこそが彼の一番の望み、諦めきれない復讐であるというのなら、まず疑うべきだったのだ。しかしシークはそれをしなかった。
「今更グダグダ言ってんじゃねえよ! お前は信じちまったんだよ! オレのことを! 疑うべきだったにも関わらず、お前は信じちまったんだ!」
 シークが本当に復讐だけを望んで生きているのなら、そんなことにはならない筈だ。復讐だけを目的にしているのならば。
「本当に復讐が大事だってんなら、お前はもう目的を忘れちまってる。目の前にエルフがいて、それに気づいてなかったんだから。だからお前は違うんだ。お前の本心はそうじゃないんだ!」
「馬鹿なことを言うな! オレはお前を憎んでる! エルフを憎んでる!」
 シークは焦燥を露わにするように剣を構える。だが、鋒先がふらついている。それは消耗からか、それとも混迷からか。
「だがお前は見逃した。いまさら復讐者ヅラすんじゃねえよ。お前はそんな人間じゃない」
「ふざけんな!! てめえに何が分かる! 目の前で母さんは死んだんだ! 妹も! 弟も! 従兄弟も! みんな!!」
 シークは叫び、大上段に斬りかかってきた。その一撃は力任せで強引だ。しかし鋭い。フレアはそれを弾いた。再び距離が開く。
 言うべきことは言った。あとはシークを止めるだけだ。フレアは旋牙の回転を速める。
 ひとつ、実行に移したい考えがあった。この回転の力を最大限に利用すればあの技が使えるのではないか、という考え。
 掌の上で剣を旋回させる、その動作を身体全体へとシフトさせる。ジャイアントスイングのような軌道で剣を回転させる。
 周囲には風が生まれる。風はフレアの気功術により乱雑に吹きすさぶ状態からひとつの奔流へと移行していく。
 ふいに視界が歪む。体力の消耗が激しい。やはり旋牙は疲れる。だが、回転に入れる力は緩めたりしない。むしろ強めていく。そうしなければ弱音に負けてしまいそうだった。
 歯を食いしばり、旋回を続ける。
 シークは動かない。もう体力がないのだろう。だから次の一撃に賭けているのか。だが、もうその時期を誤っている。既にシークの膂力では防げないエネルギーがここには渦巻いている。
 龍剣には六つの流派が存在する。
 赤、青、黄、緑、黒、白。
 世界の創世を司る六体の龍。彼らを模した剣技こそが龍剣。全ての剣の頂点に立つ技。
 フレアの得意とする赤龍剣は獰猛といわれる赤龍に由来する。その真意は攻勢の剣。ただ攻める、それだけの剣技だ。
 その力を、旋牙を用いて最大限に引き出す。そこから放たれる技は……。
 ようやく過ちに気づいたのか、シークが慌てて斬りかかる。だが、フレアはそれを飛び上がって躱す。
 風が後押しするようにフレアを持ち上げてくれる。気流に乗り、フレアは高く高く空へ。
 重力と、遠心力と、溜め込んだ気を剣に纏わせる。すると、愛剣は陽炎のような靄に包まれる。エネルギーの密集が熱量を伴って猛り狂った結果がこれだ。
 対するシークも身構えている。彼も気を集中させている。相当な量だ。フレアは舌を巻く。彼もただ待っていたわけでなく、準備をしていたというわけか。慌てたように見せておいて、やはり手強い相手だ。そこに集まる熱量も今までに見たこともない量だ。間違いなく彼の奥の手と言えるだろう。
 シークが集中させた気は、もはや凝固と言ってもいいほどに寄り集まっている。それが重く纏わり付くように銃剣に取り憑いている。
 そして、重力が二人を引き寄せていく。交差点に向かって互いにエネルギーをぶつけ合う。
 途端、凄まじい圧力が衝突を阻む。互いの気が反発し合い、フレアを押し留めていた。
 ――振り抜けないッ!
 弾き飛ばされそうになりながらも、必死にそれに食らいつく。
「うぉおおおおおお!!!!」
 フレアは吠えた。この一撃は届けなければならないのだ。シークに、この剣が、この思いが、本気であると伝えるために。シークは復讐に生きる人間じゃない。希望を持たない人間じゃない。ルインガルドで出会った剣士は、そんな弱い男ではない。そんな男を慕って住人が集まることなど無い。信頼を勝ち得るはずがない。ヴァルトニックに立ち向かうはずがない。今、シークがここにいる。その事実こそが、彼を復讐者ではないと告げているのだ。
 ――いい加減、気づけッ! 馬鹿野郎ぉおおーーーッ!!
 龍騎道剣術、赤龍剣奥義"一太刀"!!
 "ストライク・エンド"!!
 互いの奥義が、互いの思いが炸裂し、交錯した。
 爆風が音を置き去りにする。光を奪う。フレアは意識が飛びつつあった。
 それでも、剣は放さない。力は抜かない。暴風が吹き荒れる中、ただ叫び続ける。声は出ない。空気すら希薄に感じられる。だが構わない。
 届くと信じていた。言葉にならずとも、言葉にせずとも、届くと、信じていた。純粋な子供のように。無垢な少女のように。信じた。
 想いは言葉にならない。言葉に出来ない。努力はした。したと思う。だが届かない。届くことはない。おそらくはそれが真実で、真理なのだ。
 だけれども。
 ――信じることはオレの役目なんだろ……?
 だから。
 届け。届いてくれ――! そう、信じ続けた。
 
 まるで落雷のような爆音が耳にこびりついていた。
 フレアとシークの周囲にはクレーターのような大穴が空いていた。二人はその中央に倒れ伏していた。
「……生きてるか? シーク」
 フレアは霞んだ声で話しかける。
「……オレじゃなかったら、死んでるところだ……」
 シークは絞り出すようにして答える。
 そしてそれからはしばらく無言が続いた。言葉が続かなかった。
 お互いに何を言えばいいのか、分からなかったのだ。
 フレアも言うべきことは言い、シークも言うべきことは言った。そう思っている。
 言葉と剣を通じて、伝わったものがあった。それは何と言葉にすればいいのか。いや、その必要はないのかもしれない。シークは痺れる身体に全力で鞭打って、顔を上げる。その目に、フレアのまっすぐな眼差しが映し出される。
 その目を見た瞬間、言葉はもう必要ない、そう感じた。
 エルフであってもフレアはフレアだ。ふとそう感じたのだった。
 やがて、すっと腕が差し出される。フレアが朗らかに笑っている。
 シークはその手を、取らない。
 疑問を抱くようなフレアの顔。だが、シークはそれに答えない。フレアは諦めたのか、不承不承といった体で腕を引っ込める。
 シークにとって、エルフ、いや、妖精に対する確執は溶けない。殺す、というほどの強い憎しみは、フレアが根こそぎ吹き飛ばしてくれたのだが、それで全てに決着がついたわけではない。シークにとって、妖精は敵だ。その認識は、まだ覆らない。
 だが、もしかしたら今後、その認識は崩れ去る日が来るのかもしれない。そんな想いを抱いていた。
 それはシークにとって意外なことだった。
 ――あれほど強く憎んだってのに、な……。
 しかしどうだろうか。今のシークの心境は。
 今まで心の内にあった、重たいものの感覚は随分と薄くなっていた。妙に清々しい気分だった。
 以前のようになれるとは思えない。フレアとも以前の関係には戻れないだろう。それでも良かった。
 フレアの無邪気なまでの全幅の信頼。それが存外に快かったのだ。
 だからいつか、いつの日かきっと。
 心の奥底に巣くう黒ずんだ心情も、やがて昇華されるのだろう。
 そう、感じた。

――

 戦いが終結し、二人の元へ駆け寄ろうとしていたリースたちだったが、そこに立ち塞がる存在がいた。
 黒い髪の青年のようだった。額には赤いバンダナを巻き、線の細い鼻に掛けられた丸眼鏡をくいっと中指で引き上げている。その指は細く、女性のようだった。眼鏡から覗く眼も細く、体型もシャープで、引き締まった細身のジーンズと細身のジャケットが相まって、全体的に鋭い印象を与える。
「いやぁ、待ちくたびれましたよ。ひとまず、一段落といったところでしょうか? 早速で悪いのですが、貴方たちの身柄を預からせてもらってもよろしいですか?」
 男は、空気など読む気もないといった風情で佇んでいた。呆気にとられるリース一同。
「大将……!?」
 一人、スピアだけが違う意味で驚いていた。
 フライヤだけは、場に流されまいと、険しい視線を向けている。
「おっと、怖い怖い。安心してくださいよ。危害を加えるつもりはありませんから。……今のところは」
 わざとらしく付け加えられた最後の一言に、歯噛みするフライヤ。
 直後、一斉に現れたのは大量の銃口だった。
 いつの間に取り囲んだのか、周囲には軍服の姿が二十人ほど。どの程度の手練れかはともかく、この人数相手に手負い二人を抱えて戦い抜けるとは到底思えない。
「悪い……。今は言うことを聞いてくれ。頼む」
 スピアは震える顎で、そう頼むのだった。
 リースたちは構え始めていた武器から手を放した。
「ご苦労様です、スピア。あとで美味しい珈琲でもご馳走しましょう。ご希望の豆があれば今のうちに伺いますよ?」
 スピアは、苦い顔をしたまま黙り込んでいた。
 その横で、汗の滲んだ顔でフライヤが悔しそうに唇を歪める。
「ふふん、丸くなったものですね。《黒剣》フライヤ」
 黒髪の青年は、楽しそうに顔を綻ばせる。
「……!? アンタは、私を……?」
 青年は、何も答えずに立ち去ろうとする。
 そんな青年を止めようと伸ばした腕を、軍服の男が羽交い締めにする。
「待て……! 待てよ……!! アタシは、アタシは一体……誰なんだッ!?」
 声は虚空に響くばかりだった。


第9章 ≪昴を戴いた男 -Ark=Dice-≫

 意識は暗闇に沈んでいた。
 暗闇の淵で、少女の声が聞こえる。
『私、もう疲れちゃったよ……』
 そうかい、と彼女は答えた。それは少女の頭を撫でるような優しい響きをはらんだ声だった。
 仕方ないことだと、彼女は考えていた。この少女には、もう支えきれないほどの、処理しきれないほどの現実が突きつけられていたのだから。だから、困憊するのもしょげてしまうのも致し方ないことなのだろうと思う。
 そんな少女のために、何が出来るだろうか。彼女は自身に問うた。
 考え、思考し、思案を重ね、熟考し、出る答えはやはり一つだ。
「アタシが肩代わりしてやるよ」
 彼女はそう答えた。
 その視線の先に蹲る少女が居る。自分と全く同じ姿をした少女を見て、決意を固める。
 この少女を守るのだ。それこそが自分の生きる意味なのだ。

 やがて、意識は現実へと戻る。
 冷たい石床に身体は随分と冷やされていた。彼女はゆっくりと身体を起こす。視界は石床から石壁、そして正面には鉄の格子が屹立していた。
 いつもの少女ならば、あるいは怯えを抱いたかもしれないが、彼女にはそういった感情が芽生えることはなかった。
 そして周囲を見渡して、確認した。
 苛立たしげに鉄格子を睨めつけるジンに、どこか心ここに在らずといった感じのフライヤ、落ち着かない視線を巡らせているフレア、それぞれじっと座ったまま何事か考えている様子のシークとスピア。
 不思議と心が落ち着くのを感じる彼女だったのだが、それが顔に出ることはなく、鋭い目を一通り辺りに向けた後、再び思考の渦へと飛び込むのだった。
 ――もう、あの子は限界に近い。アタシが代わりに片づけないと……。
 そうして彼女は、リースに成り代わった。
 リースが悪い目つきをしていようと、鋭い気配を発していようと、このような非常事態において、それに気づく者は一人もいない。
 少女の姿をした彼女は、沈黙したままことのなりゆきを待つことにした。
 それは来たるべき時へ備えてのことだった。

――

「お初にお目にかかります。私はアーク、アーク=ダイスと申します。以後お見知りおきを」
 アークは恭しくお辞儀をするが、それを受けるフレアたちは思い思いに不愉快そうな顔立ちを見せる。
「おやおや、どうしたと言うんですか? まだ何の話もしていませんよ?」
 そんなことを口走るアークに対し、フライヤが我慢の限界といった表情で反論した。
「人を牢屋に押し込んでおいて言うセリフとは思えないね」
 フライヤは憎々しげに、目前で立ち塞がる鉄柵を叩く。鈍い音が床、壁共に石で造られた回廊に響き渡る。
 フレア、リース、シーク、ジン、フライヤ、スピアは一つの大きな牢に一緒くたになって押し込まれていた。脱獄を警戒する気はないようだ。あるいは一時的に入れているだけということなのだろうか。まぁこれから別途個別の牢に送り込むという可能性もゼロではないのだが。
「まぁまぁ。細かいことはお気になさらず。いつも通りごゆるりと過ごしていただいて構いませんよ」
「んなとこでゆるりと過ごせるかい、ボケ」
 ジンが恨み言を呟くと、アークは楽しそうに微笑を浮かべる。
 その挑発に、ジンは苛立ち、鉄柵をメチャメチャに蹴りつける。
「こんにゃろっ!!」
「落ち着け。こいつは分かっててやってるんだぞ?」
 そういうスピアは随分と落ち着いていた。
 その様子を見て、フレアは尋ねた。
「なぁスピア。やっぱりこいつが……」
 言い終わる前に、アークは言い放った。
「ええ。私が犯罪組織、あるいはテロリスト、《明星》のリーダーです。サイン欲しいですか?」
「要らねえよ。で? これは一体何なんだ? オレたちを捕まえてどうするっていうんだ?」
 言うと、アークはくるりと背を向けた。ジャケットの背中には大陸文字で《昴(すばる)》という文字が書かれている。意味は、宇宙の中央……だっただろうか。《明星》と合わせて、宇宙に関する言葉だ。その意味は……
「宇宙そのものに意味はありませんよ」
 アークはその推測を呼んでいたかのように続ける。
「中央。そちらが大事でして。我々は世界を照らす光となる、あるいは光そのものを作り上げる。そのための組織です。まぁヴァルトニックの支配を逃れるという意味では、テロリズムの一環であるのは間違いないでしょう。ですが、貴方たちが人知れずヴァルトニックと戦おうとしていることも知っています。ですから私たちは共通の目的があるのですよ。だから協力関係になりましょう。そう言いたいのです。何も悪い話ではないでしょう?」
 その言葉には一考の価値がある気がし、フレアはしばし黙っていたのだが、フライヤは頭を振った。
「あり得ない。論外よ」
「どうして?」
 アークは意外そうに肩をすくめる。対して、フライヤは当然であるかのように告げる。
「あたしは誰の支配下にも置かれない。あたしの支配権はあたし以外に渡さない」
「結構ですよ。元より支配するつもりはありませんし。出来るとも思ってません。大事なのは協力関係。それだけですよ。だって目的は一緒なのですから」
 アークは再び笑顔を向ける。内心を読ませない嘘くさい笑顔。だが、不信感を募らせる一同に観念したのか、その表情を消し、無表情となる。
「これだけは断言しておきましょう。我々、明星はヴァルトニックを壊滅させるための組織です。私たちの目的は彼らの支配からの脱却です」
 その言葉は強い重みを負って放たれた。嘘とは思えない。演技にも見えない。彼の真剣さが滲み出ているようだった。フライヤも押し黙り、先程から一言も発していないシークも悔しげではあるが、反論はないらしい。
「私が貴方がたに求めるのは協力……、もっと言ってしまえば情報の共有だけです。こちらは作戦内容を全面的にお知らせしましょう。それを利用してくださって結構です。我々を捨て駒にするのも結構ですし。勿論協力してもらっても結構です。ですが、ただ一点だけ、守っていただきたいことがあります」
「それは……?」
 フライヤは慎重に尋ねる。
 アークの口ぶりからは、先行きは全く読めないフレアだったが、彼が何を要求してきてもおかしくない人物だというのは今までのやりとりだけでも十分に分かった。
 一同は緊張した面持ちでその先の言葉を待つ。
「ええ。事後処理は全て我々に一任していただきます。これだけは譲れません」
 それはあまりに恐ろしい話だった。
 アークや明星が組織として強大な力を持っていることは分かっているのだ。事後処理、というのはヴァルトニックがいなくなった後の政治的なやりとり全てを指していると思われる。それはひとえに明星が政府となって新政権を執り行うということになるのだろう。それだけのことを任せていいものだろうか。などとフレアが考えているうちに、フライヤは返事を返してしまう。
「構わないけど」
「ええっ!?」
 フレアとジン、そしてリースが驚きの声を上げた。
「何言ってんの? あたしたちが後始末なんて出来るわけないでしょ? そんなもんはやりたい奴にやらせればいいのよ」
 そんなことでいいのだろうか。つい先日、妖精が政治的後始末をしていなかった件について、シークから言及されたばかりだというのに、これでいいのか。しかし、シークも異論はなさそうだった。それどころか、
「やっぱりあの噂は本当だったのか……」
 などと言っていた。
「噂……?」
 フレアの疑問にアークがいち早く答える。
「さすがに耳が早いですね。ではもう来てもらいましょうか。どうぞー」
 言うとぞろぞろと、現れたのは護衛と思われる屈強な男たちとそれに囲まれて現れた中年の男たちだった。要人風の者が十名ほどと護衛風の者が二十名ほどのちょっとした大所帯だった。
 ほとんどはフレアの見たことのない者たちだったが、一人だけ見知った顔がいた。
 サニー・ガーデンの市長、ラミアス=クーベルトだった。
 ということはこのメンツはもしかすると……。
「国家連盟、ってやつか……?」
 ジンの問いは的を射ていたらしく、
 彼らは一様に頷きを返した。
「これだけの面子がいれば、事後処理はなんとかなるでしょう。とまぁこんな理由で格子が必要だったのですよ。ラミアスさんから忠告を頂きましてね……?」
 以前、フライヤがラミアスに剣を向けたことが、この状況の原因だったらしい。フレアは、恨めしく思ってフライヤを見たのだが、その表情はどこか上の空で、少し肩透かしを受けた気分がした。
 そしてそこから、如何にヴァルトニックを倒すのかの話し合いをするため、アークは扉の鍵を開け放った。

――

 数分後、移動した一同は会議室に集まっていた。
「さて、ではどのように打倒ヴァルトニックを実現しましょうか。何か案はありますか?」
 アークが丸眼鏡を指で持ち上げながら、問いかけた。
 アークの正面には大きな机があり、そこに各国の要人がそれぞれ座っており、更にその要人の護衛たちが背後に付き従っている。
 十人の要人が対面する形で椅子につき、アークの正面にはフレアたちが立ち尽くしていた。
 椅子はフレアたちには用意されていないらしい。それどころか手と足には枷がつけられている。扱いにはかなりの差があり、ジンなどが不満顔ではあったが、今更不平を言う者はいなかった。
 アークの問いに一同は静まり、それぞれが思案に耽る中、一人動きを見せた者がいた。
 黒髭を生やした壮年の大男だった。豪放磊落を絵に描いたような外見で、老獪な見た目の割に、声には渋みと張りが混在していた。
「どのような形を取るにせよ、まず、戦力の増強が不可欠であろうな。人員はともかくとして、十分な武装が出来ない」
 その言に要人たちは揃って頷く。
「また、その武装をヴァルト社に頼るというのも危険だという意見も多い。とはいえ、これは現状打つ手がないだろうな。ヴァルト社以外で十分な数の兵器を揃えるのは至難だ」
 黒髭の男がそこまで話すと、急に割り込んでくる者がいた。金髪に眼鏡をかけた線の細い男だった。
「そうは言いますが、こんな話もありますよ。どこかのテロリスト共が武器・兵器を集めすぎてヴァルト社に忠告を受けたらしい。再三の忠告を無視したそのテロリストたちはヴァルト社の軍隊から猛攻撃を受けて壊滅しました。このことからも分かるようにヴァルト社から軍備を調達しようとするのは危険すぎます。大体、これから戦おうという今から相手にしっぽを振るような真似は許されません!」
 その発言で会議は一気にヒートアップしてしまう。
「じゃあ、どうやって戦力をかき集めるんだ! 今から造るつもりか!?」
「そんなことをしている間に何人の人間が死ぬと思ってるんだ!!」
「手がないわけじゃない! 各地で少量ずつ買い集めればそれでも十分な数は揃えられるはずだ!」
「それこそ時間を浪費する行為だ! 大体貴様の国は……」
 議論は過熱し、いよいよ口論へ発展しようかというところ、そんな言い合いをものともしない大音声がこだました。
「喝ッ!!」
 黒髭の男はそれだけを発すると再び席に着く。室内には水を打ったような静けさが生まれ、立ち上がりかけていた各国の王なり市長なりが各々腰を下ろしたのだった。
 壮年の要人は、黒髭をさすりながら視線をアークへと向けた。
「それに関して、ご意見をお持ちなのではないか? "明星"、アーク殿」
 その確信に満ちた問いに、周囲の視線が一人に集まる。
 若干の沈黙を挟み、アークはゆっくりと口を開いた。
「……策なら、あります」
 一気に議場はざわついた。そして、その続きをせがむように再び沈黙が訪れる。
「……と言いますか、実は武器なら既にある程度は揃えてあるんですよ」
 どよっ、とひしめく各国の首領たち。アークはそれらを窺うことなく話を続ける。
「ですが、現状としては全兵力に対して6割ほど、といったところでしょうか。それもこれも内外のテロリストを買収したりしてどうにか工面した物です。戦闘に当たれない人員も出てしまいますが、その方たちには運搬やら整備やらに回っていただきましょう」
 言うと、赤毛の要人が細く呟いた。
「6割……。元々の兵力差を考えても、あまりに手痛い事態ではありませんか? もっと量を、せめてもう少し時間を掛ければ……」
 その声はあまりに苦しげだった。
「ええ……。お気持ちはよく分かるのですが……。私自身そうしたいというのもあります。ですが、どうにもきな臭い予感がしましてね……」
 アークは珍しく濁すようにして咳払いを挟んだ。
「実は、我々は、ヴァルト軍の動向をつぶさにチェックしているのですが、その動きが最近、どうにもおかしいのです。この地図をご覧いただけますか?」
 アークが広げたのはウエスティリア大陸南西部が写し出された地図だった。フレアは胸がどきりと軋んだ。エルフの里を内包するウエスティリア大山脈が中央に置かれている。
 アークが指さしたのは常磐の街。そして、レンデルの町だ。山脈南部に常磐の街があり、レンデルは大山脈を挟んで遙か北方にある。その距離は直線で結んでも相当な距離があり、おおよそ大陸の半分を縦断するくらいだろうか。それが足場の悪い山脈だというのだから、エルフの里がどれだけ辺鄙な場所にあるのかが如実に理解できる。
 その地図を眺めていると、不思議と今までの旅路が思い起こされた。偶然かも知れないのだが、それはフレアの足跡を一覧できる配置だったのだ。常磐の街でフレアはリースと出逢ったし、レンデルはフレアが住んでいるという設定に利用させてもらった。そう言えば以前、フライヤが三年前に滅んでいるなどと告げていたのだが(後で勘違いだとも言っていたが)、地図上で見た限りだと未だ健在のようだ。
 そしてフレアが物思いに耽っていると、アークは口を開いた。
「ヴァルト軍は現在この周囲に陣を展開しています。野営地というよりは基地、ですかね。急拵えの感はありますが、相当の戦力が集結しています。まるでこれから戦争でもするかのような、ね」
 それに対し、周囲が反発するように「馬鹿なッ!」、「……一体何のメリットが?」、「あんな辺境の山に、何かあるのか……?」と口々に異論を告げる。
 困惑の広がる議会の中、シークは一人確信したように机を叩いた。
「まさか、『見つけた』のか!?」
 その声に一同は黙ってシークを見、アークは無言で顎をしゃくり、続きを促した。
「あ、いや……。……ヴァルト社はある人物たちを憎んでる。そして、そいつらがそこにいると確信したんだろう。でなければ戦力の集結などあり得ない。各地への侵攻は探索を兼ねていたはずだからな」
 アークはそれを聞き、眼鏡をくいっと指で上げ直して、思案していた。
 だが、フレアには聞き捨てならない言葉だった。
 シークはある人物たち、と濁して発言したが、それは間違いなくエルフ、つまり妖精族のことだ。ヴァルトニックの侵攻は全て、妖精族を滅ぼすためのものだったというのか。確かに森の奥地へ隠れ住んでいた彼らを探すにはそういった手段しかない。だがまるで、これでは妖精族のせいで各地の悲劇は起こされている、と言っているようにも聞こえる。妖精が隠れてさえいなければ、このような酷い社会情勢にはならなかったのではないだろうか。
 そしてなにより聞き捨てならないことがあった。
「ここに……、何があるんです?」
 アークの問いに、シークは困ったような沈黙で答えた。やれやれ、とアークは溜息を吐いて肩をすくめた。
 アークが指した広大な山脈の森林地帯を見つめて、フレアは叫びたい衝動に駆られた。「そこにはオレの故郷があるんだよッ!!」、と。
 しかし、それを伝えるわけにはいかない。ヴァルト社がエルフを狙っていたことも、フレアがエルフであることも、探ればいずれ分かることだ。だが、エルフの里の所在だけはバラすわけにはいかない。彼らは平穏に暮らしているだけなのだ。そんな彼らを巻き込むわけにはいかない。
 だがしかし。
 ヴァルト軍の侵攻。それは即ち、彼らがエルフの里の所在を確信してしまっているということではないだろうか。もしそうなら、それだけはどうにかしなければならなかった。廃墟の街ルインガルドで見たような惨劇が、エルフの里で再現されるのだけは絶対に許容できない。
 もっとも、幼なじみのクレアや師匠のクォラルなどがいるので、簡単にやられるとは思えない。フレアには彼らの負けている姿など想像できない。とはいえ、それを黙って見ていることだってできない。
 フレアは仲間たちを見回した。すると一様に頷いてくれるのが見えた。シークはというと、無言で頷きもせずに目を反らしていた。フレアは自分の想いがみなに届いているのだと気づき、嬉しい気持ちが抑えきれなかった。
 ――ありがとう!
 胸の中でそう言い、フレアがエルフの里へ向かうよう進言しようとすると、一瞬早くアークの発言が耳に入った。
「我々にとってメリットがないようなら、ここは見過ごすのが得策でしょうか……」
 アークがそう言うと、各国の要人はそれぞれ肯定の意を示す。
「そうだ、奴らの思惑が何であれ、消耗したところに仕掛けたほうが有利でしょう」
「無様に疲弊した奴らに目に物見せてやりましょう!」
 わいわいと盛り上がりを見せる要人たち。
 そんな……、とフレアは息を詰まらせた。
 ヴァルト軍が行うのは種族は違えど人殺しだ。許されるわけがない。食い止めるのは必然だろう、と思った。
 しかし、実際はそうではないのかもしれない。明星軍の兵数はヴァルト軍と比べればかなり少ない。とはいえ、その数は数万にも及ぶ。もしそれだけの戦力がぶつかり合ったなら、間違いなく多くの人間が死ぬことになる。エルフの里の全住民が死ぬのよりも、もっと多くの人間が死ぬ。
 だから。
 軍は出せない。明星は動かない。各国も動いてはくれない。そういうことなのだ。
 であれば、起こせる行動はひとつしかない。フレアは意を決し、挙手した。
「オレたちが、そこへ向かいます」
 フレアが言うと、やはり要人らは困惑を示した。ひとり、アークだけがフレアに興味深げな視線を送る。
「ひとつ、訊いてもいいですか?」
 アークは慎重に、言葉を選ぶようにして質問を投げかけた。
「……ああ」
 フレアが答えると、アークはまたしても慎重に問いかける。
「そこの住人はどれくらい居るのですか?」
「……?」
 フレアは意味が分からず停止していると、アークは再び質問をした。
「貴方とそこに住んでいる者たちの関係はわざわざ問いませんよ。要は何人住んでいるか、訊きたいのです。それすらも知らない、というのでしたら答えなくとも構いませんが」
 フレアは再び沈黙せざるを得ない。
 アークの思惑が分からなかった。エルフの里に住んでいる人数を聞いて、何をしようというのだろうか。何人であれ、明星に得する要素は思い当たらない。だが、余計な情報を出すことでエルフの里を脅かす結果にはならないだろうか。初めて里を出た折り、フレアは初めて会った人間に対して、かなり動揺し、同時に混乱もしていた。果たしてどこまでが安全に話せる情報でどこからが話してはならない情報なのか。巡りの悪い自分の頭をフレアは心底憎らしく思う。
 しかし、そこで顔を上げるとフライヤが目を細めてフレアを睨めつけていた。その眼が言っていた。「くだらないことでうじうじ悩むな」と。フレアは一度頷いて、ほうっと息を吐き、アークに向き直る。
「およそ百人だ」
 やはり喉はカラカラと渇くし、顎は震える。こういったやりとりに、フレアは慣れられそうになかった。
 けれど、フレアは一人ではない。信頼の置ける仲間がいる。それだけで身体を支える両足は震えることなく留まり続ける。フレアにはそれが何よりも心強く思えるのだった。
 対するアークは、そうですか、と頷き、眼鏡を上げ直すと、
「ならば放置よりも良い手があります」
 アークの眼鏡が反射してキラリと光った。気がした。
「説明しましょう」
 部屋の視線が全てアークへと向けられる。そして有無を言わさぬ空気で一気に説明した。
「そこの住人が生きているうちに攻め込みます。そのほうが内と外で挟撃を仕掛けられるという利点があります。先程のように疲弊したところを狙うという作戦も悪くはありませんが100対数万という戦いでは疲弊するとは思えません。疲弊したとしてもすぐに立て直されては意味がありませんしね。それならばいっそ挟撃するほうが敵の後方を突けますし、相手の意表も突けるでしょう。こちらのほうがなにかと利点が多い」
 もちろん反論も上がった。手を挙げたのは先程も反論をした金髪眼鏡の男だ。
「挟撃とは言いますが、そこにあるのはただの山村か何かでしょう? 戦力としてあてになるとは思えません! よしんばなったとしても協力を取り付けられるとも限りません! そんな不確かなものに合わせて戦略を立てるなど馬鹿げています!」
 するとヒートアップした者たちが一斉に声を上げ始める。
「おい、口が過ぎるんじゃないか、レアード卿!」
「だが、信用できん人間を戦力に加えるなど、有り得んだろう!」
 再びやいやいと喚き始めるのを今度はアークが鎮める。
 アークがすっと手を挙げただけで、議会は途端に水を打ったような静けさを取り戻した。フレアはそれを魔法のようだなと思いつつ見つめる。
「まぁ、お静まりください、みなさん。お気持ちは分かりますよ。ですがご安心ください。内部で抗戦するのは何もその村落の住民だけではないのですから」
 アークが告げると、どよっと周囲が反応を返した。
「彼ら、フレア君たちと私が、内部へ向かいます。明星軍の指揮はブラハム書記長にお願いしましょうか」
 そう言い、アークは席を立ち上がった。「お願いしますよ」と、アークが黒髭の大男の肩を叩くと、大男は落ち着いた声で「承知した」と一言だけ告げる。
 そこで会議は終わり、とでも言うようにアークが席を離れるが、反論の声はそれ以上続けられることはなかった。
「アーク殿が出撃だと……!?」
「いくらなんでも無茶では……」
「いやいや何を言っているのか。相手はあのアーク殿ですぞ」
「……ああ、そうでしたな」
 残された者たちは口々にそんなことをぼやいていた。
 そんな一連の流れを見てもイマイチ理解の及ばないフレアがぽかんと口を開けているとアークがふと、宜しく、と右手を差し出してきた。
「宜しく」
 そう返事をして右手を掴んでしまったフレアは、1秒後それを後悔することになる。
 ぎゅりりり。
 そんな効果音が聞こえてきそうなくらいの強烈な右手の締め上げは、万力で締め上げられているかのようで、フレアは声にならない絶叫を上げる。
「あ、い――、うぁ……つッ!」
 そんなフレアを見て、アークは頬を綻ばせる。
「おやおや、どうしたんですか? 握手くらいでそこまで感動してしまうなんて」
 蹲り震えるフレアをどう解釈したらそう見えるのだろうか。などと問うタイミングは全くない。
「ふふふ。録音したら高値で売れそうな良い喘ぎ声ですね。男性のそういう音声も一部では熱狂的な支持者がいるそうですよ。どうです? 私と組んで一儲けしませんか?」
「な……、い、ぐぅ……ッ!」
「あはは。何を言っているのか分かりませんよ。もっとッ! はっきりとッ! 喋ってくださいよッ!!」
 声と合わせるようにしてメリメリと更に力が込められ、骨が砕けるようなミシミシという不気味な音と共に、フレアは泣き叫んだ。
「ぎゃあああああああああ!!!」
 良い声ですねー録音してないのがもったいないくらいだー、などとのたまくアークに冷ややかな視線が一斉に向けられたが、アークは何知らぬ顔で握手していた手を放し、扉を抜けて会議場を去って行く。何事かと駆けつけた外部の護衛たちと擦れ違うが、そちらには一切、目もくれない。
 そして、入ってきた護衛たちは部屋を見て、「なるほど……」と呟いた。
 そんなフレアへ歩み寄ったのはスピアだった。
「フレア、今更だが良いことを教えてやろう。アークとは握手するな。握り殺されるぞ」
 しゃがみ込んでフレアの顔を覗き込むスピアの表情に心配の色が窺えないのを確認すると、フレアはそこで力なく横たわるのだった。

――

 打ち棄てられた古城に手を加え、明星がそこを拠点としてから実に一年が経過している。
 表向きはとある貴族が享楽で買い取り、別荘としていることになっているが、その実態はテロリストのアジトだ。
 城全体は石造りで、所々の崩れた部分や守備の甘い部分などを鉄板などで強化補強している。とはいえヴァルトニックを相手にするにはあまり有効な守備とはいえないため、あくまでそれは体裁を整えるためのものでしかない。ミサイル攻撃に耐えられるような堅固な城など目指しようがないのだ。
 拠点としている理由のひとつはその広さだ。五十から百近い民家をまるごと収用できるような面積を石壁が覆っているのだ。雨風を防ぐのはもちろん湿気に弱い火薬などを保存するのにも適している。また襲撃を受けた際にも四方から散り散りになって逃げることも容易い。その広大な面積を囲みようがないからだ。そしてこういった城には大抵、王族避難用の地下道が埋設されているのだ。これらを使えば生還率は大いに跳ね上がる。
 また街並から程よく離れているというのも利点の一つだ。近すぎれば便利ではあろうが人通りが多い分、隠密性に欠けてしまう。かといって遠すぎれば拠点としては不便だ。普通に暮らす分にはかなり不便な距離が開いてはいるが拠点として見るとその距離は適正と言えた。
 こういった拠点は各地に点在していて、もしここが陥落したとしてもすぐにまた別の場所を活動の中心として活用できるようになっている。テロリストは、国家の下に就く軍隊ではないので、その身軽さこそが信条となる。
 現在この城には三百人近い人数が滞在している。
 会議を行う際に無用な疑いを避けるため、離れたところにあった別邸に各国要人を集めたわけだが、そこの広さも相当なものだった。さすがに本城と比べればその面積は十分の一にも満たないが、十分に豪邸クラスの建物だ。客人のために建てられたのか、使用人の住居として建てられたのかは不明だが、古き時代に住んでいたであろうこの城の主は一体どんな人物だったのだろうか。今となっては想像するしかない。
 別邸の廊下には左右が対になるように壁にランプが付けられていた形跡があり、それが盗難にあったのか軒並み外された状態で、現在では質素なオイルランプが飛び飛びで設置されている。なんともケチな作りだ。現在の主の性格が滲み出ている気がする。
 そんな思考を浮かべながら、スピアはその廊下を歩いていた。
 大柄なスピアの前を歩くのは細身の男。黒髪を赤いバンダナで鉢巻のように巻き、帯はリボンのようにふわふわとたなびいている。背中には『昴』の文字が書かれたジャケットがあり、見る者を威圧する。
 スピアはそんな彼に声を掛けた。
「で、大丈夫なのか……?」
 問うと、アークは歩行の速度を落とさずに答える。
「フレア君のことですか? いやぁ、思わず手を握りしめてしまいましたよ。あんな熱い眼差しを向けられたら私のような益荒男でもさすがに心揺らめいてしまいますよ」
 スピアは一度溜息を吐くと、語気を強めてもう一度問うた。
「戦況はどうかって訊いてるんだよ、大将」
「フレア君攻略の進捗ですか? いやぁ、参ったなぁ。誰にも言わないでくださいよ? 実は……」
「大将? 三度目はないぞ」
 今度はアークが溜息を吐く番だった。
「全く、スピア。貴方はもう少し落ち着きを持ったほうがいいですよ。平静さを欠いてはことをし損じます」
「そのくだらん性癖を落ち着けてから言え」
「ふふ、ごもっともで……」
 振り返ったアークの顔には笑みが浮かんでいた。
 雑談は終わりとばかりに、こほん、と咳払いをすると、アークは再び歩行を再開した。スピアもそれに従う。
「ブラハム書記長は書記長と言う肩書きに似つかわしくないような武人でして、頭もそこそこ切れます。今回の戦闘は任せてしまっても問題ないかと。少なくとも攻め際・引き際の見極めくらいは出来るでしょう」
 アークはこともなげに言ってのける。
「…………。そこまで出来れば問題はないな……」
 攻め際・引き際と、簡単に言うが、それは尋常なことではない。どんな武人であれ驕りや油断は存在するし、判断の難しい局面も少なくない。引くべき時に引き、攻めるべき時に攻める。それが上手い人間を戦上手と呼び、出来なければ愚将と呼ぶ。つまり、それを誤らないとは、むしろ最高の誉れなのではないかとすら思う。つまりアークはそれほどまでに信頼を寄せているということなのか。
「マツリもいることですし、どうにでもなるでしょう。そんなことよりこちらのほうが一大事です」
 局面という意味ではどちらも難しい、とスピアは思っている。それだけにそう簡単に断言できるアークの心境が理解できないスピアだったが、スピア自身も参加することになっている内部抗戦チームの作戦を考えねばならない。
 そうして、扉の前へやってきた。
 アークが呼び寄せた彼らがこの中にいる。アークが彼らとまともにコミュニケーションが取れるかどうかは極めて微妙だが、ともあれ何とかせねばなるまい。
 だが、そんな目論見はすでに破綻しているということに、スピアはまだ気づいていなかった。
 飛び込んできた声は同時に5つ。
「何だよ、あの手紙!? オレが欲しいって何だ! 気持ち悪いぞ!」
「リースじゃないアタシの過去、全部話してもらうから……」
「フライヤはオレの相棒や! 渡さへんぞ!」
「一族の誇りを穢す奴は赦さない……!」
「あたしの秘密、知ってるなんてねぇ……」
 全員がアークに対して殺気を放っていた。
 その光景にスピアは唖然としていた。が更に愕然とするようなアークの発言が耳に入った。
「あっはっは! いいですよ。存分にお相手しましょう!」
「おい、アーク!」
 止めようとするも、5人の破竹の勢いは止めようもない。
 嘆息したスピアは諍いを止める役を諦め、アークから一歩遠ざかった。
 巻き上がる喧噪を尻目に、スピアは窓の向こうに浮かぶ空を眺める。
 この天蓋の向こうに、ヴァルトニックの軍勢がいる。
 会戦の瞬間にはまだ日があるだろうが、一ヶ月もしないうちに時は来る。
 来たるべき戦いの日は、遠くない。
 嵐が去れば海は快晴だ。
 去らない嵐はなく、止まない雨もない。
 この血の雨もいつかは、止む――。

「むふふふふー! 愛していますよーー! フレア君ーーッ!!」
「ぎゃあああああ!! やめろーー!! やめ……、ッアーーーー!」

 ――止む、はずだ。……きっと。


第10章 《黒剣と黒拳 -Being to BLACK-》

 ――時間はわずかに遡る。
 それはフレアが会議室で右腕を握り潰された数分後の話になる。

 フレアたちにはそれぞれ待機するための客室が用意されるとのことらしく、フレアはジンの案内のもと、なんとか客室へ辿り着いたのだが、その部屋の扉には手紙が差し込まれていた。どういうことかと封を開けてみると、そこには目を疑いたくなるような内容が閉じ込められていた。
『――愛しのフレア君へ。一目見たときから貴男の六つに割れた腹筋にゾッコンでした。今宵は是非とも私とベッドの上で、時には上になり、時には下になり、技を錬磨しあいましょう。というかぶっちゃけ貴男が欲しいです。色よい返事を期待しています。つきましてはこの手紙を受け取ってからすぐに応接室へお越しくださいますようお願い致したく思います。草々。――アーク=ダイス』
「げぇええ……」
 本気なのかネタなのか、計り知れないというところが、あのアークという男の真の恐ろしさに違いない。
 フレアは溜息と共に手紙を千々に引き裂いた。
 向かいはジンの部屋だったらしく、そちらからはジンの怒鳴り声が聞こえた。
「あんの野郎ッ! フライヤは誰にも渡さんで! 愛ゆえにな!」
 手紙を千々に引き裂いているところを見ると、向こうもアークから何か言われたのだろうか。
「ジン。もしかして、あんたも……」
「なんや!? フレアもか! あんにゃろ、何股かけるつもりなんや!!」
「…………?」
 なにかツッコむところが違うような、……というよりこの男、どちらかというとボケ側に属する人間らしい。と今更になってフレアはなんとなく察したのだった。
「……応接室、な。……よし、フレア。剣の準備はええか? 開けると同時に斬り殺……いや、仕掛けるぞ。ええな?」
 応接室への道すがら、物騒な発言を隠しきれないジンと共に、来た道を戻ってゆく。応接室なら会議室から来る途中に見かけた覚えがあった。
 もちろんフレアが先導すれば迷うのは確定なので、先頭はジンだ。
 ジンはドタドタと足音を立てて早足で進んでゆく。フレアは小走りでそれについて行く形だ。
 そして、正面に扉が現れた。門扉には『応接室』と書かれていた。
 ジンはぴたりと壁に背中を押しつけたまま、ノブに手を掛ける。
 フレアは反対側の扉に、ジンの仕草を見様見真似して張り付き、同じように息を潜める。
(ええか。1、2の、3! でブチ殺……、やなくて突入するぞ。準備はええな? 行くで! 1……)
 という小声に、フレアはゴクリと唾を呑み込んで頷いて、剣の柄を堅く握った。
(2の……)
 ジンのドアノブを持つ手が引き締められる。
 そして……。
(3!)
 瞬時に回転したドアノブから、扉は一気に開かれ、部屋の様子が視界へ吸い込まれてゆく。
 その感覚のまま、部屋へ滑り込むフレアとジンだったが、その足取りはすぐに重く縫い止められてしまう。
 それは、アークが待ち受けていたから……ではなかった。
 それどころか、誰もいなかったのだ。
「……あ、あれ……?」
「…………? ……な、なん、やと……?」
 戸惑い、視界を巡らすフレアとジン。だが、その眼にはアークの姿が捉えられなかった。
「…………どういうことや……?」
 呆気にとられる二人だったが、その背後から声が届いた。
「……アークは、何処……?」
 そこにはやつれた様子のリースが。
 そして更に後ろには普段の数倍目つきの悪くなったシークがいた。
 その影からにゅっと現れたのはフライヤだ。こちらも目つきが随分と悪い。今ならばアークよりもフライヤのほうがテロリストのリーダーといった風貌だ。
「主賓の到着までに、段取りを考えておきましょうか。まずは初手で頭をくびり落とそうか……」
 フライヤの顔が醜悪に歪んでいた。それはもう楽しそうで、それはもう恐ろしいものだった。

 そして僅か十分後。
 屋敷の中庭に七人は集まっていた。中央にいるのはアークで、それを取り囲むように各々の得物を構える五人。
 スピアだけが傍観に徹していた。
 殺気すら混じるほどにそれぞれが裂帛の気を宿す。
 それをアークは悠々と見渡している。
 中庭は人気の少ない立地になっており、見物する聴衆などはいない。わずかに木々が風に揺れ、鳥たちだけがささやかにその存在を鳴き声で知らせる。
 初手、動いたのジンだ。もっとも我慢が苦手な男だ。手に持つのは二振りの刀。小太刀と呼ばれる短いものと、大陸刀と呼ばれる反りのない長剣。間合いの違う二つの剣は相手を惑わし、ペースを乱す。その剣を操る技量には、フレアも舌を巻いた。まだ見慣れていないその技を見逃すまいと、フレアは注意して観察していたが、アークはそれを瞬時に看破したのか、まず初撃の長剣を、サラシを巻いただけの拳で受け流す。そのまま、舞を踊るような流れる動作でジンの懐まで入り込み、小太刀の間合いすら封じる。ほぼゼロ射程まで近づかれ身動きの取れなくなったジンを、アークはまず右の肘打ちで鳩尾に一撃、加えて左手でショートアッパー。脳を揺さぶる人体急所である顎に強打し、そこで発生したジンの身体の硬直を、肘打ちを引く動作のままに首根っこを掴み背負い落とす。
 それだけの動作がほぼ同時に行われていた。
 これには五人共が戦慄した。
 だが、それも一瞬だ。次に動いたのはリースだ。ジンに倍するほどの速さで急接近したリースはナイフを鞘から引き抜き、瞬速の刺突を繰り出す。その一撃はアークの背後を、そして背負い投げ直後の隙を突いた最高の一撃だった。
 背後から肉薄してくる死の一撃を気づけるはずもなく、ましてや躱せる訳もなく、アークを仕留められる、……筈だった。
 しかし、アークは背中に目玉でも付いているのかの如く、その一撃を躱し、それどころか振り返りざまに膝を持ち上げる。その膝はリースの顔の真正面に突き立てられていた。リースの神速は初速からトップスピードへの、謂わば加速にこそ重点を置かれている。だからリースには急減速できるだけの技量はなかったし、何よりその心構えすらなかった。ぶつかると分かっていても、リースの加速した思考回路内で、ゆっくりと見えているその足を、リースは見ているだけしか出来なかった。見えることと躱せることは別だ。静止状態からなら相対的に同速度であっても躱せただろう。だが、リースに神速の速度が付加されていれば、それはもはや不可能だ。リースは加速した思考で顔にめり込む膝を、ただ憎らしく見つめるだけしか出来なかった。
「次」
 アークは機械的に告げ、視線はシークへと向けられる。
 僅かに視線を交差させた二人だったが、シークは銃剣を無造作に下ろしたまま走り始めた。そしてそのまま構えることなく走り続け、距離は剣の射程範囲にまで近づいた。そこまでに予備動作は一切ない。ただ走っているだけだ。にもかかわらず、シークが一歩踏み出した瞬間、
 斬撃がアークの頭部へ向かっていた。
 しかしその一撃すらアークは読み切っていたらしく、シークの斬撃はむなしく空を切った。
 そしてその無防備な体勢を、見逃すアークではなかった。
 一歩。
 深く切り込んだ左足に力が込められ、そこから腰の捻りを加えた正拳突きが放たれた。
 それを受けたシークは軽々と吹っ飛ぶ。しかしそれでも吹っ飛ばした武闘家アークの表情は晴れない。
 吹っ飛ばされたシークのほうは、地に足をつけた瞬間、錐揉み状態から脱出。改めて無造作に立ち上がった。
 受け止められていたのだ。アークの正拳突きは。
 その様子を見守るアーク。その後ろから現れたのは身の丈ほどの大剣。フレアの、不意を突いた一撃だった。
 頭部を狙った斬撃は、しかし屈むようにして躱され、フレアの視界の外側から足を掬う足払いが迫る。
 バランスが崩れる、と確信したフレアは踏ん張らずにそのまま第二撃を放つ。
 空中に跳ね上げられつつも振り上げた斬撃は、込められた力は無いに等しく、しかしその重量とアークに生じていた隙とが伴い、アークを押さえつけるには十分だった。
 一瞬とはいえ地面に縫い付けられたアークにシークが追い打ちを掛ける。
 一度失われた信頼とはいえ、そのコンビネーションはいざという時に現出する。それは心の奥底で、シークがフレアを信頼しているという裏付けでもあった。
 フレアの一撃を左腕で受け止めた体勢で、シークが放った気弾をアークはもう一方の右腕だけで受け止める。
 轟々と吹き荒れる爆風。尚もそれに踏み留まるアークに、フレアは感嘆の念を抱いた。
 だが、その風には殺傷力はない。あるのはバランスを崩すだけの風圧だけだ。
 そして、そこに畳み掛けるフレアとシーク。
 アークはその挟撃をまたも両腕だけで受け止めるように構えている。
 ――いくら何でもムチャだ!
 アークの無謀な試みにフレアは他人事ながらも肝を冷やした。
 そして、フレアはアークを敗北の海へ沈めるための剣を振るう。しかし……
 それ以上は剣がピクリとも動かないのだった。
 晒しを巻いただけの拳で、フレアの剣は受け止められていたのだ。
 それはシークのほうも同様だったようで、二人は一様に口元を歪める。
「合格点は差し上げましょう。ですが……、まだまだ甘い!」
 均衡は瞬時に崩れる。
 がくんと身体が揺られたかと思うと、フレアは攻撃をいなされ、鳩尾に右拳を打ち込まれる。
 肺の中の空気が一気に吐き出され、同時に視界も霞む。
 そんな中、シークも崩しからの跳び蹴りを顎に食らい、地に沈んでゆく。
 そして倒れ込む寸前、フレアは見た。
 眩く煌めく太陽。そこに指す一筋の影。
 稲妻の如く降り注ぐレイピア。
 即ち、フライヤの姿を。

――

 フライヤは空へ跳んでいた。
 切っ先はアークへ向けて、必殺の刺突を浴びせようと身構えていた。
 フレアとシークの連携はアークに大きな隙を作り出した。フレアとシークがやられた以上、おそらくこれ以上の隙は作れない。
 失敗は許されない。そういった状況だからこそ、この一撃は必ず当てる。これで仕留める。
 フライヤは、気の奔流を纏う。
 切っ先から全身を、気でくまなく包み込む。
 アークはというと、まだ気づいていない。少なくともフライヤへは一切の視線を送ることもない。
 フライヤは気を放った。後方へと。
 重力と、気の放出が莫大な推進力となり、落下中のフライヤを更に加速させる。
 全身が一本の"槍"と化す。
 巨人の振り下ろす大槍の如き刺突が、風切り音と共に地面へと突き刺さろうとしている。
 ――秘技"フォール・スピア"!!
 轟、と唸るその暴風纏う大槍へ、突如視線を向けたアーク。
 ――やっぱり、気づいてたか!!
 アークは右腕を振り上げた。
 そこでフライヤは一つのことに気づいた。
 ――グローブ……?
 上空から見るフライヤからは影となって見えなかった右腕にだけ、グローブが填められていた。
 ――受け止める気……!?
 状況から見て、そうとしか考えられない。
 上空に跳んだフライヤの死角で片腕にグローブを填め、次に来る一撃を防ごうとしている。
 だが、そう簡単には事は運ばないはずだ。この一撃は片腕で防げるようなレベルではない。
 素手で受けたならば、アークの右腕は今後使い物にはならなくなるほどのダメージを負う筈だ。グローブにどの程度の防御力があるのかは知らないが、それでも骨の一本や二本は間違いなくへし折れる。
 しかし、
「そう来ると思ってましたよ」
 ガキン! と激しい衝突音を響かせ、フライヤの一撃をアークは受け止めていた。
 なんで、と狼狽えている時間などない。戦闘は攻防を繰り返す。それを瞬時に切り替えねば戦場では死ぬだけだ。
 だが、気を放った直後、ましてや空中では瞬時に身動きなど取れない。
 アークは、フライヤの動向を観察するように見つめる。その顔色には落胆の気配が色濃く滲み出ていた。
「貴女は実につまらない……。つまらない女性になってしまった。"黒鴉の審判"、"黒剣"とまで呼ばれた貴女は何処へ……?」
 そして、拳を弾き、フライヤは空へと舞い上げられる。
「私は貴女を認めていた。……憧れてすらいたのに……、今はひたすらに……失望ですよ。無念極まりない。誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも誇り高かった貴女は何処へ行ったのですか?」
 着地し、剣を構えるも、アークは攻撃の兆しを見せない。
 彼の言い分にも心当たりがなく、フライヤはじっと身構えるしか出来なかった。
「貴女は先程、言ってましたよね……? 何者にも支配されない、とかなんとか。あれって、もしかして私を馬鹿にしてるんですか?」
「……?」
 アークの様子がおかしい。まるでフライヤをかねてから知っていたかのような言い回しだ。
 いや、耳慣れぬ"黒剣"という言葉。そして依然から数回、昔のフライヤを知っているかのような口振り。
 フライヤにはジンの隣で目を覚ますまでの記憶がない。そしてそれからの人生で黒剣などと名乗った覚えはない。
 つまり考えられるのは、彼は記憶をなくす前のフライヤを知っているか、あるいはそれは勘違いで彼の言うフライヤとここにいるフライヤは別人物なのか、ということだ。
「自由……? 支配からの脱却……? 笑わせないでください。貴女のそれは、ただの逃避です」
 アークの言動からは憤りが感じられる。今までの応対では常に微笑を欠かさなかった男が、そんな余裕も見せずにひたすらフライヤを睨み続けている。
「逃げているだけなんですよ。過去から、記憶から、故郷から、家族から」
 言っている意味が分からない。
 逃げている? 過去から? 違う。フライヤは過去を求めている。求めるが故に痛みを知った。
 自らを肯定するための記憶がないフライヤは、自らを肯定できないということに痛みを覚えた。圧倒的な痛覚の刺激を受けた。
 筈なのに……。その筈なのに……。
 フライヤは反論を返せない。
 なぜか、それが正論のように感じている自分がいた。言われて当然のことを言われている気がしていた。確信を突かれている心地がした。
「貴女は逃げた。国から。立場から。家族から。宿命から。それを自由のためなどというのは、正直片腹痛い思いです」
 意味が分からない。……筈なのに、申し訳ない、という思いが沸き起こってゆく。
 胸の中がざわつき、頭の中をまさぐられるような不快感が駆け抜けてゆく。
 フライヤの体内を駆け巡っているのは言葉だ。
 フライヤには身に覚えのない言葉。覚えのない、筈の言葉。
「言い逃れしたいのですか? それなら簡単ですよ。貴女の知識を示してくれればそれだけでいいのです」
 その言に、フライヤは顔を上げた。
 『逃げられる』、そんな期待が胸に浮かんだ。
「貴女は記憶を取り戻すため、恐らく地図を広げましたね。それは正しい選択です。ですが、問題です」
 フライヤはそれを聞き、頷いた。
「サウザンガス大陸について、貴女はどれほどの知識を持っていますか?」
 フライヤは脳内の情報を漁っていた。
 そこから導き出された知識は……
「サウザンガス大陸はこの惑星に位置する四大地域のひとつで南部に存在する大陸の一つ……」
「それくらいなら子供でも知っています。で?」
 アークが再び微笑を伴って、詰めかける。
「それで、荒野地帯が広がってて……、それで…………」
 フライヤは頭が真っ白になっていた。
 フライヤは記憶を失い、多くの知識を求め、本を読み漁った。言ったことのない地域でも、空で大雑把な地図は思い浮かべられる。
 どこへ旅に出ても迷わない、それくらいの自信はあった。勿論それは大げさではあるが、大きな街が近くにあればそこから推察して目的地の場所をなんとなく推測できる程度の知識はあった。その程度の地図が脳内に記憶されている。今までならそう断言できた。
 なのに……真っ白だ。
 サウザンガス大陸の地図を、フライヤは見たことがなかった。
 その知識だけがぽっかりと空白になっている。
 だが、それは何故だ。
「なぜ貴女は記憶を求めているはずなのにサウザンガス大陸に関する知識だけ持っていないのですか?」
 何故だ。分からない。
 だが、今までの記憶でもその地域の情報だけは何故かなんとなく避けていたように思う。それもほぼ無意識的に。
 知る必要があったにも関わらず、フライヤは知ろうとしていなかった。
 いや、もしかしたら本当は……。
「……質問を変えましょうか。博識な貴女なら当然知っていることでしょう。《スカーレット・イリス》のことです」
 スカーレット・イリス……?
 やはりフライヤには聞き覚えがなかった。
「何のこと……?」
 言うと、アークは明らかに嘆息しながら答える。
「やはりこれも知らない。……いや、知ろうとしなかった、ということですね。やはり嘆かわしいと言いますか何と言いますか……」
 アークはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「何も覚えていないのですね。……いや、全て忘れて、そのまま『なかったこと』にしようといている。私はね、残念なんですよ正直。昔の貴女は本当に強かった。そして頭が良くて、気高くて、……美しかった」
 アークは詠うように空を見やり、両手を広げる。
 が、その手をぱたん、と下ろしてしまう。
「貴女に助け船を出すようで気は進みませんが、まぁそこは良しとしましょう。いいですか? 貴女はサウザンガス大陸のとある国で暮らしていました。そして貴女はスカーレット・イリスと呼ばれる、選ばれた人間だったのですよ。だからこそ強く、頭も良く、だからこそ私は憧れもしたわけですが、まぁそれは余談ですかね。そして貴女は故郷を去り、いつしか記憶まで失った。あるいは失おうとしたのでしょうね。そして今尚失ったままでいようとしている。私はそれが我慢ならないのですよ。全てを捨てて逃げ去って、今尚それを改めず、それでもまだ逃避し続けるためだけに戦っている……。そんな目的意識が低い貴女を、私は戦場で信頼できません。……だって、どうせ逃げるのでしょう? 私は過去の貴女を知っています。あのときの落胆を今でも思い出すことが出来ます。貴女は逃げますよ。自由のため、などという戯言を抜かしてね。断言しましょう。次の作戦、エルフの里防衛戦に貴女が参加した場合、窮地に陥った貴女が戦線を去ります。そしてそこに空いた穴をヴァルトニックに突かれ、我々は全滅します。生き残れるのは、無様に逃げ去った貴女だけ……」
「……わ、私は……」
「はっきりいいましょうか。私は貴女を信用できません。エルフの血を継ぐフレア君よりも、エルフを憎むシーク君よりも、人格の分裂しているリース君よりも、何だか頼りなさそうで訛りも取れないジン君よりも、貴女が一番弱い。貴女が一番未熟です。今回の茶番も半分くらいは私の趣味でしたが、もう半分は貴女のためだったんですよ。貴女をここに置き去りにするためのね」
 そこまで言うと、アークはグローブを両手に填める。
 そして拳を打ち鳴らし、臨戦態勢へと突入する。
 フライヤはというと、後退りしながら、冷や汗を掻いていた。
 このままでは負ける。フライヤはそう確信していた。
 そして負ければ言い分通り、フライヤだけ牢にでも入れられるのだろう。
 皆とは離ればなれになる。ジンとも……。
 ……それは。
 ――嫌だ。
 フライヤは首を振る。
 記憶を失ってから、フライヤが目を覚ましてから、ジンとはいつも一緒にいた。
 目を覚ましてばかりの頃は、ジンが傍にいないと眠ることすら怖くて出来なかった。
 独りは怖いのだ。だから仲間を作る。多少強引な手段を使ってでも。
「ああ、安心してください。話し相手くらいは用意しますよ。マツリというのがおりましてね、あれでなかなか気の付く優秀な部下なんですよ」
 話し相手……? 違う。それは違う。
 だから、
「要らない」
「そうですか……。残念です」
 アークはがっくりと肩を落とす。
 フライヤにとって、ジンは単なる話し相手ではないのだ。
 フライヤにとってはもう、半身に近い。
 いなければ駄目だし、いなくてはならないのだ。
 ジンがいてフライヤは初めてフライヤになれる。フライヤでいられる。
 彼がいて初めて強気な態度も取れるし、生き生きと過ごせるのだ。
 彼がいるから、フライヤは不敵に笑えるのだ。
 彼がいなければ、フライヤは今尚ベッドで蹲り続ける蛹みたいな存在に成り下がってしまう。
 彼がいない生活など、考えたくもない。
 そんな人生は真っ平ゴメンだ。
 フライヤは剣を抜いた。
 細い銀の装飾の付いたレイピア。
 敵を刺し貫き、射殺すためだけの武器。
 対するアークは、拳。
 自らの肉体をより強く相手に叩きつけるためだけの武器。
「貴女が何をどうしようと、これは決定事項です。覆しません。貴女にはここに留まって頂きます。最悪、屍体にしてでも、ね」
 フライヤは剣を水平に構える。
 切っ先は勿論アークの脳天へ向けて。
「あたしは自由に生きる。邪魔をするならアンタだろうと神サマだろうと容赦しないよ」
 そして、両者は対峙し、衝突する。

――

 ノザニア大陸中央部、ノザニア連合書記長、ブラハム=ゴルドルアーは庶務室という札の付いた部屋で書類を眺めていた。
 内容はエルフの里防衛戦に関する資料だ。
 そこには何故かエルフの里がどういった場所なのか、という大まかな説明と配置図。そしてヴァルト軍の現在の配備状況、そして今後の配備予測までが描かれている。
 これらの詳細な資料はアークが密偵に探らせたものらしく、中には目を疑うような報告も少なくない。
 ブラハムにとって、エルフ、つまり妖精族が生存していたという報告の時点で既に付いて行けていない。
 そしてそこを故郷としているフレアという名の青年も、同じく妖精族であるという事実も、信じがたい。
 アークが寄越す情報というのは、以前からぶっ飛んだ内容が多く、今までも随分と疑って掛かったものだ。
 しかし不思議とその情報は間違っていた例しがなかった。全てが綿密な調査の元、割り出された真実なのだ。
 故にこれも真実……。とはいえ。
 ――嘘クセェ……。
 ブラハムは嘆息する。
 毎度毎度、どうしてこうも簡単に信じられないような報告ばかり渡すのだろうか。まるでこちらを試しているみたいだ。
 そういう節も、今までなかったわけではない。
 そうやって篩に掛けた結果、今ここにいる面子を取捨選択したのだろうが、正直な話、少々のことでは動じない男だと思って生きてきたブラハムには、アークという男は規格外に過ぎると思っている。
 まるで今まで信じてきた経験の全てが、アークによって塗り替えられてしまうようだ。
 それがブラハムにはどうしても歯痒く、だが同時に楽しくもあるのだ。
 アークという人間はブラハムが今まで見てきた人間とは違う。
 彼との付き合いはブラハムに新鮮な経験を与えてくれる。
 まるで若返ったかのような心地を感じさせてくれるのだ。
 なので結局、ズルズルと関係を続けている。我ながら呆れて物も言えない。
 ブラハムは肩を竦めて、改めて書類と向き直る。
 見たところ、ヴァルト軍はエルフの里の西、南、東の三方向に軍を配備しているらしい。
 ヴァルト軍の本拠地は南部大陸サウザンガスにあるのだから、そこから距離的に遠い北側は捨て、三方向から挟み込むつもりなのだろう。
 装備はミサイルのような大型のものはなく、手持ちの銃器がメインのようだ。あとは火炎放射器や焼夷手榴弾などの家屋を焼き討ちするための装備。
 そしてあろうことか四天王の配備とヴァルトニック本人の出撃、と書かれている。
 ヴァルト軍の軍隊には通常兵と呼ばれる兵たちがいて、その上に黒服兵と呼ばれる戦闘に特化した者たちがいる。黒服たちはまがりなりにも気功術を使えるので一般人では太刀打ちも出来ないレベルになる。更にその上に黒服将兵という者たちがいて、彼らは気功術のエキスパートだ。きちんと国に勤めていたなら大隊長~将軍クラスに値する強者だ。そしてその黒服将兵の中でも抜きん出た四人の実力者が四天王。時代が時代であれば英雄と称されてもおかしくない戦果をあげた者たちだ。そして多大な戦禍を引き起こした殺人鬼たちでもある。
 そしてそんな彼らすら凌ぐと言われるのがヴァルトニック、ヴァルト社社長の男だ。その戦力は未知数。計り知れない。
 そんな連中が徒党を組んで一カ所にいるというのだ。ブラハムは背筋に寒気が走る。
 ――可能な限りの戦術を考えておかねばな……。
 ブラハムはひたすらに思考を巡らせた。そうしなけれな恐怖に呑み込まれてしまいそうだったからだ。
 そんな彼の隣で、呟く声が一つ。
「……そろそろですかね」
 そう言い、立ち上がったのはマツリと呼ばれる女性だ。
 ピンク色の癖の強そうな髪を短めに切り揃えた細身の外見で、ダークブラウンのスーツを身につけている。スーツの下もスカートではないので、麗人のような印象を見る者に与える。
 ブラハムとは話したことが数回ある程度で、アークと比べるとあまり勝手が分からない相手である。
「……どうかしたのか?」
 ブラハムが訊ねると、ええ、と簡潔な答えが返ってきた。疑問を抱いたブラハムがしばらく見ているとマツリは、
「……いえ、実はアークに渡さなければならないものがありまして、そろそろ指定された時間になりますので」
 と告げる。
「なるほど……。今度はどんな物騒な代物なのかねぇ……」
 ブラハムが愚痴っぽく言うと、マツリはやはり淡々とした答えを返してくる。
「……いえ、アークからはおまじないのようなものだと、伺っております」
 ――おまじない……?
 それはアークらしくないように思える。
 しかし、そう思わせることもアークの目論見の一つであるとしたら、あるいは重要な意味を持つのかもしれない。
 だが、もしもそこまで勘ぐらせることまでが目論見であった場合……。
 ――メンドクセェな……。
 結局、ブラハムはその件に関しての思考を棚に上げた。
 今やるべき事は、そちらではない。
 部屋を出て行くマツリを視界の端で見届け、ブラハムは書類へと視線を落とした。

――

 エルフの里、南西、平野部――。
 急拵えの建造物が町を形作っていた。
 市壁の中にプレハブ小屋が数軒あり、その一つの屋上に彼は立っていた。
「社長、東・西・南拠点、共に順調とのことです。予定通り来月の半ばには侵攻できるかと」
「……ご苦労」
「はっ」
 彼は背後の部下に一瞥もせずにそう済ませると、眼下に広がる光景をただじっと見つめていた。
 彼は羽織っていた灰色のコートから無線機を取り出した。
「そっちは行けそうか?」
 彼がそう言うと、無線機から返事が返ってくる。
『社長~、あと3週間も待機なんてくたびれちまうゼ。なぁ、近くで遊んできても良いか? 最近血を浴びてなくてサ~』
「今は殺すな。準備がないんだ。もったいない」
 無線機から返ってくる陽気な声に、彼はたしなめるように告げる。
『ちぇ~、りょ~かいですよ』
「他の奴らにも言っておけよ。ほどほどにしろと」
『ハイハイ、わぁかってますよ~!』
 無線機から別の声が届く。向こうは一人ではないらしい。
『ほら、だから言ったじゃないか。社長はお気に召さないだろうって』
『何だヨ。偉そうに言いやがって。ああ早くシークと戦いたいゼ! ほらお前ら! とっとと準備しろヨ!!』
 直後、無線の向こうから数発の銃声と悲鳴が聞こえた。
 彼は溜息を吐いて、無線へ言う。
「悪いな。もう少しだけ待ってもらうぞ」
『ええ、面倒な馬鹿が一匹いますが、こちらは何とかします。それでは失礼致します』
 無線機を再びポケットへしまい、彼はまた遠方へ視線を移す。
「気持ちは分からんでもないよ。俺も胸を駆け巡るこの気持ちをうまく飼い慣らせない。ルテ……、もうすぐだ。もうすぐ奴らに引導を渡せる……」

 ……戦闘開始まで、あと二十一日。




第十一章へ続く

あとがき一~十

序章
◆説明ばかりの序章。
もう少し良い導入方法はなかったのかと問われること数回。ですが何回も書き直した結果これしかなかったんです。完全な消去法でした。当時の僕にはこれが限界でした。
うまく説明できなかったため一から順に説明する、という手法をとってます。

◆『つんざくような異臭』
あんまりツッコミは頂かなかったんですが、日本語としては完全に間違ってます。
『つんざく』はとてもうるさいという感じの意味で、音に対して使う動詞(形容動詞?)です。
ここでは、ニオイの限界を超えるくらいクサイ、という比喩的なニュアンスで使ってます。
正しい日本語ではありませんので、ご注意ください。

◆エルフ=レッドフィールド
実はけっこう重要な人物だったりします。

第一章
◆主人公、フレア
フレア君登場の回。主人公です。
大食らい大剣士。

◆『戦うと決めたら剣を振るう。斬ると決めたら叩っ斬る。勝つと決めたら、絶対に倒す』
行き当たりばったりで書いた台詞ですが、今後もちょっと出てきます。
フレアの名台詞、なのか?

◆幼馴染、クレア
ヒロインと見せかけてこれから当分出てきません。
分かりやすいツンデレ。ヒロインらしい性格。惜しいキャラです。

◆長老、クォラル
物凄く強そうに書いてますが、ぶっちゃけクレアのが強いです。
経験値だけ見れば本作ではダントツかと思われます。

◆色々あって、外へ
紆余曲折を経て、里の外へ。
改めて読んでみると、実にあっさりしています。
エルフの里での生活などもう少し広げてみても良かったような気もしないでもないです。
当時はうまく書けなかったんですけど。

第二章
◆タイトル
緋き暴風の炎龍というサブタイトルだったときの名残です。
現在は縮めて緋き炎龍です。次書き直すときが来たらもっと縮むかと。

◆エイリッドさんのお話
ザ・ダンディ&ナイスミドルなエイリッドさん。
イメージは世捨て人。FE封印に出てくるカレルさんがモデルです。
とはいえそこまで強い人ではなく、ちょっと名の知れた剣豪、というくらい。

◆旅立った息子
今はどこにいるんでしょうかねぇ……

◆激情
このあたりは伏線も兼ねているような……、勢いだけのような……

◆賞金稼ぎ
こんな事件に遭遇したあとに賞金稼ぎの真似事を始めることになるフレアさんですが、その思惑やいかに。
それにしてもこういう冒険物のお話ってどうやってお金稼ぐんでしょうかね。賞金稼ぎとか用心棒とかゲームに出てくるようなギルドクエストくらいしか思いつきません。商人とかもありか。あるいは初めから超お金持ちで資産が有り余ってるとか。
ここで出てくるシステムまわりもなんとなくで書いてますが、きちんと成り立つんでしょうかね。ちょっと疑問。
まぁそこらへんのリアリティを追求しすぎてもつまらなくなっちゃったりするんで、難しいですね。

第三章
◆リースちゃん登場
正直な話、勢いだけで書いちゃってます。
もう少しきちんと描写してあげてキャラの輪郭をくっきりさせたほうが良かったような。今更ですが。

◆常磐
言うまでもなくポケモンのトキワシティがモデルです。
もうちょっと土地にまつわるエピソードを入れたかったんですが、当時色々考えた結果削りました。
今思えばこの2倍くらいの分量割いてしっかり書くべきだったかなぁとも思います。
この土地の設定は完全に死んでしまっているので。

第四章
◆シーク登場
導入が唐突かも。漫画とかアニメとかならこれくらいぶっ飛ばしても行けそうだけど、小説だとちょっと無理があるような。

◆町の人々
もう少し描写が多ければ、感情移入とか狙ったり伏線とか張れたかなぁ。
当時はニエットにのみ焦点を絞ってました。

◆結末
酷すぎる結末かと思われます。
ですが、こういう話を書いておかないと、ヴァルトの悪っぷりが表現できないんですよね。悪いことしてるらしい、とか書くだけだと敵愾心とか生まれないし。
そのためにニエットを出して目の前で死なせた訳です(しかもかなり凄惨な形で)。そして街を売ったのも住人の一人であった、だとか。
ぶっちゃけた話、書いてるときはノリノリでした。
酷い奴らは書いてて楽です。

◆マーカス
ここでのバトルは心理描写くらいですぐに引きます。
フレア視点だとあんまり触れにくかったので。

◆これから
この事件から、打倒ヴァルトニック、という方針が立ちます。
そしてリースがどんどん目立たなく……

第五章
◆視点変更多すぎ
読みづらかったかと思われます。本当にすみません。
いろんな人物のいろんな行動が影響し合って物語が進んでいく……というのをやってみたかったんです。
もう少し描写が細かければ及第点かなぁ、といったところ。

◆バトル
熱く書けたんじゃないかと思ってます。

◆フレ&シー
仲睦まじくなっていく二人。もうお前ら結婚しちゃえよ。
という冗談はともかく。
これからの展開のために仲良くさせておきたかったんです。

◆『信じることはお前の役目だ』『疑うことはオレの役目だ』
こちらもいつの間にか名台詞化。
分かりやすくて使いやすいフレーズです。
GJ昔のオレ。良い言葉思いついたもんだよ。全く。

◆ラミアス
ドラクエ6での伝説の剣。結局ラミアスって誰なのよ。
というのが由来。響きがかっこいいよね。ラミアス。
脇役のつもりでしたがちゃっかり再登場します。
意外と優秀な政治家らしいですよ。作者が政治の話に無関心のため、そういった描写は今後もなさそうですが……

◆ちなみに
分量はいつもの2倍およそ二万文字掛かりました。
途中で切って上げちゃうって案もあったんですが書き終わらないと分量が予測できなくって、結局がんばって書き上げたという話。
当時は一話完結を目指してたんです。

◆ジン&フライヤ
フレアがフライヤたちにパーティインしたのか、フライヤがフレアたちにパーティインしたのか、どっちなんでしょうね。

第六章
◆スピア登場
スピア登場のお話です。
彼の物語はちょっと薄いので困ります。

◆シークがそわそわ
生理じゃないんだからね。意味不明。
そんなわけで仲違いへの伏線を交えています。

第七章
◆シーク復讐編Aパート
タイトルも『片秤のけっせき』で揃えて英題もAから始まる単語からとってます。
そのまま欠席という意味です。

◆まさかのバトル無し回
まさかこんな日が来るとは。長生きはするものです。
ちなみにシークは出番無しです。

◆フライヤの過去
衝撃度をアップさせるため、フライヤの髪色チェンジ設定をでっち上げました。かなり土壇場で。
真相はなんなんでしょうかねぇ……

第八章
◆シーク復讐編Bパート
血跡というと物騒ですが一族の系譜みたいな意味です。
ぶっちゃけ驚かすためのタイトルです。
英題もそのまま血液という意味です。

◆バトルしたくて堪らねーぜ
そんなテンションで書いてました。
熱い展開に書けたでしょうか。
個人的にはがんばったつもりです。はい。

◆おいおいこの引きはねーぜ
って終わりですね。すみません。
続きが気になる終わり方を目指してみた次第です。
次回予告みたいな感じで。

第九章
◆『疲れちゃったよ……』
リース(裏)をあまり描写できてなかったんで、強引にチェンジしていただきました。
内容が薄くて申し訳ない気分です。

◆アークさんマジ鬼畜
後半BL的なネタ要素を入れてみましたが、いかがでしょうか。
ネタでやる分にはBLも結構好きです。でもガチはちょっと……

◆会議室で……
アレコレ言い合ってますね。
リアリティを出すために意見と反対意見を出したりさせました。
イメージはTVタックル。あれ見てると政治家って本当に頭良いのかな、という疑問がよぎります。

◆物語は再びエルフの里へ……
というわけで再びの登場となりました。フレアの故郷、エルフの里です。
ここからしばらくはエルフの里防衛戦編となります。

◆全員へラヴレター
アークらしいエピソード。
展開的にはちょっとベタというか、マンガっぽいというか、コメディ系ですかね。
そんな中にも彼なりの思惑があるわけでして……

第十章
◆ちょっと振り返ってすぐバトル
あらすじっぽいものを書くのはいつものクセです。
視点を変更してあるので新鮮味はあるかと思います。

◆アークさん強すぎ
今後の修行フラグとして、とりあえずフルボッコにしていただきました。

◆アー&フラ
ちょっと唐突だった感もあるアークとフライヤの因縁。
この話は今後しっかり書かれると思います。

◆《スカーレット・イリス》
ようやっと出てきました。表題のイリスカです。
ここでは片鱗しか出てきませんが……
一応言っておくと、四部仕立ての一部目になりますので、ここではあくまでも表面をなぞる程度しか出てきません。

◆マツリさん
美人秘書マツリさん。
彼女の話もいずれ詳しくやるかと思われます。

◆ヴァルトニック初登場
ようやく出てきました。ヴァルトさんです。ラスボスです。たぶん。
伏線を張ったり張らなかったり。


第十一章へ続く