スカーレット・イリス -緋き炎龍-

長篇です。ファンタジー×冒険×バトルもの。4部構成の1部目。人間族と妖精族の暮らす世界。外の世界を何も知らない妖精族の青年は、一人旅立つ。手には身の丈ほどの大剣を握り締めて。

第十一章《精霊 -Seven Elements-》

 《龍の血脈》と呼ばれる者たちがいる。
 それは、数多の時代、数多の土地になぜか共通して伝わっている伝承の一つだ。
 時代を切り開いた英雄たち、彼らには奇妙な符合点があるのだという。
 その符合点とは、生まれながらに天才や神童と詠われている者が極端に多い、ということだ。
 勿論、努力して名声を勝ち取った者だって少なくはない。だが、圧倒的に多いのは努力型ではなく天才型だ。
 まず、彼らはあらゆる技能において先天的な才能を持っているということ。
 一点だけではない。あらゆる能力が平均して高いというのだ。それも異常と言わざるを得ないほどに。
 知力、体力、そして運さえも味方に付けるという圧倒的なハイスペック。
 そして、彼らは必ずと言っていいほどに後世に名を残すということ。
 それこそ、運命が味方しているとしか思えないタイミングでこの世に生を受け、時には戦場を駆け抜け、時には学会を賑わす。
 また、必ずそれを達成しまう。不遇の死など遂げたりはしない。
 神の落とし子などとも持てはやされたりもする。
 ついには、彼らは人とは違う血が流れているのだ、などという噂まで流れ始めた。
 人でなければ何だというのか。囁く人々はやがて龍の血を継いでいるのだ、と言った。
 その証拠なのかどうかは不明だが、彼らの強い意志に反応するかのように、その瞳が赤く輝くそうだ。
 《赤色の瞳(スカーレット・イリス)》を持つ者が現れし時、古き時代は滅び、新たな時代が幕を上げる――
 ……そんな与太話があった。

 その伝承は妖精族にも伝えられていた。
 妖精にとって、龍は神聖な生き物だ。いや、もはや生き物という捉え方からして違う。
 妖精たちは、龍を神の使いだと信じている。
 神が世界を作り、神の使役する龍たちが世界を構成する元素を作り出した。そう伝えられている。
 だから妖精族が操る武術にも龍の名が冠せられ、その技は神聖なものとされてきた。
 神聖であるがゆえに、妖精は武を尊び、武は高められた。
 そうして作られた武術は、世界に存在する全ての武術を越えた存在へと昇華された。
 高き武は、神聖である。それが妖精の基本理念だ。
 そして、エルフの里で最も神聖なのは長であり、また、ある意味でクレアこそが最も神聖であった。
 神聖であるがゆえに、その力を無為に振るうことはなく、ゆえに、較べることも出来ず。
 エルフの里で神聖なものは、長であるクォラル、そしてそれに匹敵する武を持つクレアだった。
 《スカーレット・イリス》。
 その正体が何であるかはフレアも知らない。恐らくはエルフの里にも正確には伝わっていないだろう。
 だが、それに最も近しい人物をフレアは知っている。最もふさわしい人物を知っている。
 フライヤがそうであるのなら、間違いなく、むしろ確実に、そうだ。
 クレア=バーミリオンは《スカーレット・イリス》だ。
 フレアはそう、確信するに至った。

――

 フライヤとアークの戦いは拮抗していた。
 フライヤは、ここ数日の不調を疑うほどの剣の冴えを見せ、アークのほうは今日初めて見せる格闘術を放つ。
 間合いではフライヤが有利だが、アークはその攻撃のことごとくをあるいは弾き、あるいは受け止めて、いなしている。
 フライヤの恐るべきものがその知性だとするなら、アークの恐るべきものは防御力だろう。
 決定打は何一つとして受けていない。全てが弾かれ、受け止められている。
 それは武術の技量もさることながら、何より凄まじいのは気功術のキレの良さだ。
 その行動には無駄がないのだ。
 厳選された動作だけで、防ぐ。余剰に消費するエネルギーは皆無。
 その練度の高さは一朝一夕では決して身につかないものだ。
 十年以上、いや、本来ならば数十年かけてようやく至れるであろう達人の域だ。
 フレアなどとは較べるべくもない。
 気功術の才能と、良い指導者と、適切な修行作法と、豊富な経験を積んでいる。
 彼の技はそういう境地にある。
 才能のないフレアには至れなかった域だ。
 歯痒い思いと共に、フレアはその光景を見つめていた。
 意識はとっくに復活している。身体ももう十分に動く。
 なのに、動かす気にはなれない。
 フレアは膝立ちで見つめているだけだった。
 ふと見渡せば他の仲間たちも同じように立ち尽くしていた。
 それほどにフライヤとアークの戦いは苛烈を極め、戦況は混沌としていた。
 しばらくはただそれを傍観しているだけのフレアだったが、
「なぁ、フレア」
 と声を掛けられたのでそちらを向いた。
 そこにはリースがいた。
「顎は大丈夫なのか?」
 フレアが訊くと、リースは恥ずかしそうに顔を赤らめて、
「こ、こんなのはなんでもない……」
 とぼそぼそと呟くようにして答えた。
「そ、それよりだな!」
 急に張り切った声を出したリースは咳払いをして言葉を続ける。
「アンタはどう見る? このまま観客でいるつもりか?」
「まさか」
 フレアは苦笑して首を振る。
 当然、このままでは終われない。終わってたまるか。フレアは脳内で吐き捨てる。
 ――悪いが、クレア以外のやつには、素直に負けを認めるつもりはないんだよ。
 その様子を見ていたリースはなにやら苛立たしげに同意の意志を告げる。
「これは女の勘かね。なんか嫌な言葉が聞こえた気がした」
 どういう意味かはさっぱり分からなかったフレアは曖昧に頷くと、ふと脳裏をよぎるものがあった。
「あれ……? 今、《裏》のほうのリースか?」
「今更気づく? はぁ……、なんかホント、アンタ苛つく」
 話すほどにどんどんリースの機嫌が悪くなっていくので、フレアはちょっと困ってきた。
「最近あんまり見なかったし、よくよく考えると、こっち側とはちゃんと話したことないような……」
 とフレアが言うと、リースはまたも赤くなった額に手を載っけてもんもんと考え事をしているようだった。
「……ま、機会はあとで出来るでしょ。今はそれどころじゃないしね」
「それもそうか……」
 思うところもあるが、リースの言うことももっともなので視線を前へ向けた。
 そこで、ジンが口を挟んでくる。
「よし、兄さんらも一緒にいくで! 俺ちっとも見せ場ないねんもん」
「知るかよ」
 ジンのぼやきにフレアは溜息を返す。
「俺かて、ほんまは結構やるねんぞ」
「ああ、……知ってるよ」
 軽口とは思いつつも、答えてしまうフレアだった。
 しかし事実、彼の技量は高い。しかしどうにも運が悪いように思う。あるいは頭が悪いのか。
 使いどころさえ間違わなければもう少し活躍できそうな腕なのだが……。
「相棒のピンチや。今こそ活躍せな!」
 息巻いて失敗しないことを切に願わざるを得ない、とフレアは思った。
「何でも良いが、機は見誤るなよ」
 現れたのはシークだ。すでにリロードも終えたらしく、いつも通りに剣を無造作な形で下ろしている。
 そして再びの沈黙。
 剣戟の音だけが激しく火花を散らせていた。

――

 率直に言って。
 アークは焦っていた。
 ある程度の技量はあると分かっていた。
 実際その程度の技量だったのは間違いなかった。
 普通に戦えば負けるはずのない戦いだった。
 ここで彼らに敗北を与え、フライヤには戦線を離脱してもらう。
 そうなるはずだった。
 しかし、ならば現在のこの状況は何なのか。
 何故、倒せない。
 何故、立ち上がる。
 何故、攻撃が出来る。
 何故、こうまで、苦しめられる。
 力量差はあった。覆せないだけの策も練った。油断もなかった。
 なのに、何故……。
 焦り始める思考を、アークは持て余していた。
 ――いえ、ここは認識を改めるべきでは……?
 ……そうだ。
 つまりこれはこういうことだ。
 彼らは弱かったのではない。あるいは弱かったのだとしても今は違うのだ。
 僅かなこの数分で、彼らは強くなってしまったのだ。
 成長してしまったのだ。この数回の趨勢で。
 覆しようのない力量差を埋めたのは、彼らの成長なのだ。
 苗床に横たわるだけの新芽が、一晩で空へ枝葉を伸ばすが如く。
 そして、その栄養を、経験を与えてしまったのはアークだ。
 彼らを追い詰めたこと、それが引き金となり、彼らは急成長した。
 アークの計算を上回るほどの速度で、レベルアップした。
 そんなことは通常ならば、有り得ない。
 そんな急成長を簡単に遂げられるのならば、誰も苛烈な修行に身をやつしたりはしない。
 それを引き起こす要因があるとすれば、それは……。
 彼らの心に起因するものだろう。
 例えば、アークが彼女に憧れ、力を欲したように。
 フライヤにも、フレアにも、リースにも、シークにも、ジンにも。
 譲れない大切な想いがあり、それが彼らを強大な引力をもって引っ張り上げたのだ。
 経験値の底上げをしたのだ。
 上へ。遙かな高みへ。
 強さを願う想いが彼らを後押ししている。
 想いの強さは実際の強さにも影響を及ぼす。それもかなりの影響力をもって。
 アークはそれを知っていた。身をもって知っていることだった。
 だからこそ認識を改めよう。
 彼らはアークの知っている彼らではないのだ。
 別個の敵として、対峙しよう。アークはそう考えることにした。
 そして。
 敵を見据える。
 迫り来るフライヤの剣。
 それはかつて何度も受けたあの黒い剣と寸分狂わない一撃だった。
 ――やはり鋭い!
 だが、所詮は何度も受けた一撃でもある。
 かつては躱すことも出来なかった剣だが、今は避けることも容易い。
 その一撃を躱し、背後へ抜けてゆくフライヤの影を、アークは視界の端で追う。
 そして視界の外れ間際で、その影は動いた。
 視界には映らずとも見える範囲内のフライヤの動きからその体勢は想定できる。
 そしてそこからの繰り出される攻撃も、先読みできる。
 振り向きざまに拳を振るい、その一撃を止め――
 反撃を繰り出すことは、出来なかった。
 フライヤは攻撃などしていなかった。
 ――フェイント……!?
 やられた。そう思う間もなく、背後から迫り来る刃。
 完全に虚を突かれた形で訪れる凶刃を、アークは躱すことが出来ない。
 一撃目は頭を、二撃目は胴、三撃目は腕……、連撃はほぼ同時にヒットした。
 そしてその連撃は四、五、六……と猛烈な勢いのまま続いてゆく。
 視界に映る剣は、刀。
 ――ジンか!
 連撃は十二回続いた。
「ホントはもうちょい続くんやけどな。簡易版"連星剣"や」
 アークの正面で背を向いて立ち止まるジンが、訛った口調でそう言った。
 長剣と小太刀による連撃は変幻自在でアークは回避はおろか受け止めることすら出来なかった。
 ――私は、油断していた、……のでしょうね。
 アークは、嘲笑を浮かべる。
 ジンの技量を低く見過ぎていた。そして彼の技を知らなかった。
 "連星剣"と呼ばれる剣技は聞いたことがない。
 それは極小的な一族のみに伝わる秘伝の一種なのだろう。
 彼がそんな剣技を習得している可能性を考慮しなかったこと。
 彼らを自分より弱いと見下していたこと。
 そして何より、彼らの命を預け合う信頼関係を軽視していたこと。
 それがアークの敗因だった。
 刀剣による斬撃は気功術者にとっては打撃でしかない。
 よって、ジンの自称簡易版"連星剣"とやらでも、アークは致命傷は負っていない。
 気による攻撃でもあったため、疲労や消耗はある。だが、体勢を整え改めて対峙さえすれば勝機はあっただろう。
 それが"二対一"の戦いであったなら。
 だが、"彼ら"の連撃はこれで終わるわけがなかった。
 振り返るまでもない。
 背後からフレア、リース、シークがそれぞれに気の波動を放っている。
 全てを食らえば、アークの気の防御すら貫いて致命傷を与えてくるだろう。
「仕方ありませんね……」
 アークは迫る連撃を背後で感じながら、溜息を吐いた。
「貴方たちの頑張りに免じて、見せてあげましょう。私の"奥の手"を……」
 アークは立ち尽くしていた。
 フレア、リース、シークの剣が背中へと迫っていた。
「お、おい! 大将! まさか!?」
 スピアが遠方で慌てているようだった。
 ――大丈夫。手加減はしますよ。……可能な限りはね。
 アークは微笑を浮かべてみせる。
 そして、拳を振りかぶり、二つの拳を正面で打ち鳴らす。
 音と共に広がるのは巨大な気弾……のようでいて、実際はその性質を越えたものだ。
 ――"光砂の陣"!!
 眩い光がアークの全身から放たれ、周囲を包み込んだ。
 キィン、という甲高い金属音が響き渡り、灼きつくような白い光が世界の色すら奪い取る。
 それは兵器に詳しい者なら閃光弾か何かだと思うのだろう。
 だが、そうではない。何故なら光はアークの身体から放たれたうえ、倒れたフライヤたちはかなりのダメージを受けている。
 殺傷力の無い閃光弾ではそんなことは出来ない。
 それは通常、考え得る技術では不可能な技だった。
 一人、スピアだけが技の射程外にいたため、そこへ駆けつけていた。
「大将! 軽々しく使うんじゃねえよ! そいつは……」
 声を荒げるスピアに、アークは微笑を向けた。といっても身体の節々が悲鳴を上げているので苦笑めいた表情になってしまったが。
「分かっていますよ。私もここまで追い詰められるのは意外でした。これは彼らの頑張りに対するご褒美でもあるのですよ?」
「お前なぁ……」
 尚も苦言を呈しようとするスピアに、アークはまぁまぁ、と宥めるように肩を叩く。
「それに、たまには使っておかないと、いざという時に錆びついてしまいますしね」
 とアークが言うと、今度はスピアは呆れたように黙って肩を竦めただけだった。

――

 ……十年前。少年は死にかけていた。
 突如ヴァルトニックに国を奪われ、レジスタンスとして抵抗を続けるもその行動も僅か三ヶ月で限界となった。
 レジスタンスは散り散りになって逃げ去り、少年は一人、道端で倒れ伏していた。
 ここへ来るまで随分と戦ってきた。
 身体中の筋肉が悲鳴を上げ、身体のあちこちから血が滴り落ちていた。
 まだ成長途中の身体ではもう、耐え切れそうにない。
 死神の足音はすぐそこまで迫っていた。
 少年にとって、死は怖いものではなかった。
 怖いものは、そんなものではなく、敗北することだった。
 守るべき者たちを守れず。果たすべき役割を果たせず。
 志半ばで朽ち果てることが何よりも苦痛だった。
 死にたくない死にたくない死にたくない。
 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
 何度も呟く。
 死ぬわけにはいかないのだ。なのに身体はまっすぐにそちらへ向かおうとしている。
 抗おうと腕を伸ばす。必死に地面を掴み、身体を前へ進める。
 死神の鎌から逃れる咎人のように懸命に腕を動かし続ける。
 匍匐の姿勢で前へと、進み続ける。
 だが身体は次第に重くなる。
 重力が増しているかのように、身体は動かなくなってゆく。
 歯を食いしばり、地面を掴む。
 身体は縛り付けられたかのように動かない。
 やがて腕も固まってしまう。そして首が、目蓋が。次々に感覚をなくしてゆく。

 ――死ぬのか。こんなところで。
 世界に神はいないのか。
 救う神も、拾う神も、いないのか。
 多くの人が苦しんでいる。悲しんでいる。
 救いを求めているというのに。
 救うことこそが自分の使命であるというのに。
 死ぬのか。こんな訳の分からないところで。
 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
 絶対に死にたくない。
 神よ。もしいるなら救え。
 お前が世界を救わないというのならそれでもいい。
 慈悲などいらない。愛もいらない。
 だが、自分を助けろ。それだけを果たせ。
 神が世界を見捨てるのなら、それも構わない。
 貴様が世界を救わないのなら、自分が救ってみせる。
 貴様が見捨てる全てを自分が救ってみせよう。
 だから助けろ。自分を助けろ……。

 その祈りは届いたのか、そいつは現れてこう言った。
 ――痛快なり、人の子よ。……良いだろう。貴様を救ってやる。そして見せてみよ。全てが救われた世界とやらを……。

――

 ……アークとの戦闘から半日ほど経ち、再び集められたフレアたちは、そんなアークによる昔話を聞いていた。
「その時、私が身につけていたお守りが、皆様が今手元に持っている《それ》です」
 そう言われ、フレアは今しがたマツリという秘書らしき女性に手渡されたそのお守りを眺めていた。
 お守りというと、古今東西、世間には様々な形状の物があるが、そのお守りは指2本分くらいの大きさの鉄板に何かの模様が刻まれた形で、その鉄板を帯紐で身につけられるようにした感じのものだった。
 材質は普通の鉄のようだ。だが、模様に何かしらの意味があるのなら、もしかしたら材質にも何らかの意味が込められているのかもしれない。
 とはいえ、素人目には分からないような品だ。ただのよくあるお守り、といった風情だ。
 妖精族に伝わるお守りと、大差はないように思える。だが、そもそもフレアは余所の文化をあまり知らないので、もしかしたら特殊な形なのだろうか、と思い、仲間たちへ視線を向けるも、その感想はフレアと同様のようで皆、訝しげな視線をお守りに注いでいた。
 そこへアークの説明が入る。
「まぁ見ての通りでしょう。何の変哲もないただのお守りです。見た目だけは」
 そしてアークは強調するように語気を強めた。
「ですが、これは勿論ただのお守りではありません」
 視線がアークへと集まる。
「まだ確証があるわけではありませんが、精霊本人にも伺ったので確かなようです。このお守りこそが精霊との契約の証なのです」
「精霊の証、やと……?」
 胡乱そうな眼差しのジンにアークは頷く。
「そう。この証こそが精霊との意思の疎通を可能とし、精霊との架け橋となります。そして精霊を呼び寄せ契約することが出来れば、先程私が使ったような《仙術》が扱えるようになります」
「《仙術》……。聞いたことあるな。妖精戦争で妖精たちの主戦力、《龍騎衆》が使ってたとか何とか……」
 フレアの呟きにアークは感心したように首を縦に振る。
「ええ。そこはさすが妖精の末裔、と言っておきましょう。あまりに頭の巡りが悪いので少々心配してたところです」
 少しムッとしつつも、さすがに空気を読んで、フレアは反論を控えた。
「ですが、その召喚にはかなりの障害がありましてね、早い話、かなり強い意志力が試されるようなのです。つまりは想いの強さですね。これが強ければ強いほど大きな影響力を持って響き渡り、相手に届く……ということです。問題なのはその強さがちょっと尋常じゃない、ということなのです」
「さっきアンタはお守りのことを『そいつに訊いた』って言ってなかったかい? そんな強い意志で頼むもんなのかねぇ」
 フライヤが難癖をつけるようにしてアークを睨めつけていた。
「はっはっは……。そんな訳ないじゃないですか。必要なのは契約のときだけです。つまり初回の呼び出し時のみ、大出力の念波がいるんですよ。それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際で発されるような強烈な想いが……」
 それを聞きシークはやれやれ、と肩を竦めながら呻くようにして言う。
「まるでお伽噺だな。死の瀬戸際に現れる精霊、か。この飾りを持って死地へ臨め、そういうことか?」
 するとアークはまるで談笑をするような軽いノリで、肯定した。
「ええ、そんなところです。そのお守りは皆さんに差し上げますので、ちょっと死んできてくれませんか?」
 なんとも悪い冗談だ。
 しかし考え直してみれば、もし死んだとしても、それを持ってさえいれば生き返れる、……ようなものなのかもしれない。
 仮にそう考えればありがたい話でもある。フレアたちがこれから挑む相手は、これから挑む場所は、紛う事なき死地なのだから。
 そこへリース(裏)が質問を投げかけてくる。
「こんなものがあるなら、軍の皆に渡しちゃえばいいのに」
 もっともな話ではあるが、アークはそれに頭を振る。
「そう上手い話ばかりあるわけがないでしょう。これでもかなりのムリを通して間に合わせたんですよ? ここにいる人数分以上は用意できませんよ。準備にかなり時間が掛かるそうなのでね」
 と、アークが返した。
 考えてみればそれもそうだ。それが出来るならアークはとっくにやっていることだろう。《仙術》使いたちの軍勢が作れるのなら、高い金額を積んでまで武器を揃える必要すらない。
「と、まぁこれで用件のひとつは済みましたね」
 アークは溜息をひとつ吐いて言う。
「あとは、皆さんに稽古をつけて差し上げましょう。率直に申し上げまして、弱すぎて話にならないのでね」
「何が話にならんや。後半ボロボロになっとったやないかい」
 ジンが呆れるようにツッコむと、アークは、ニヤァ……と不気味な笑みを浮かべる。
「一対五の人数差で前半あれだけ苦戦することが既に論外だと、そう言っているんですよ。皆さん、……覚悟してくださいね」
 そうしてそれから決戦へ向かうまでの二週間、アークによる陰湿なしごきが始まったのだった。

――

 アークが課した特訓の数々は、人間の数倍の体力を持つフレアにとっても、かなりしんどいものだった。
 しかし、それがきっかけで得られた教訓も多い。
 例えば一つ。
 フレアは妖精族なので人間とは違い、生まれつき気功術を会得していた。しかし、それは自転車で例えるならば乗り方を知っているというだけのものであって自在に乗りこなすとか早いスピードを出すといったことが出来るわけではないのだ。そこに生じる欺瞞がフレアを弱体化させていた。扱えることと使いこなすことは大いに違う。エネルギー的なロスも多く、気を一点に集中させる際もその密度にムラがあり、結果として溜めにも時間が無駄に掛かってしまう。
 それらの欠点を直すため、改めて基礎から叩き込まれている訳だが、それがかなりの重労働となっていた。
 なぜならフレアは既に百年以上同じやり方で続けてきたのだ。それを今更崩して最適化するのははっきり言って無茶もいいところだった。
 神経を磨り減らすような修行と、肉体を磨り潰すような荒行に、フレアは心も体もボロ雑巾になったかのようだった。
 その日もフレアは体中がギリギリと軋む音を聞きながら、中庭で横になっていた。
「ぐえー。もうダメだ……。死んでしまう……。せめて死ぬ前に雷館亭の黒蜜あんころ膳を八人前食いたかった……」
 そんな泣き言を漏らしていると、隣に座る人影があった。
「……随分な量ね、それ。ちょっとは遠慮しなさいよ」
 その声にフレアが軋む首を傾けると、そこにはリースがいた。目つきで分かるが裏のほうだ。
「よう。最近ずっと出てるな。どうかしたのか?」
 フレアが訊ねると、リースは、「ん……」と少し考えるように空を眺めていた。
 空は夕暮れ。雲はほとんどない晴れ空だ。
「バイオリズム……もあるのかもしれないけど、ここ1、2ヶ月の旅で疲れちゃったのかもしれない。あの子は優しすぎるから」
「……ふぅん。アンタはもう一人のリースの記憶を持ってるのか? 表のほうには無いらしかったけど」
「あたしにも良く分からないけど、たぶん、そういう役割なのよ、あたしたちは。あの子は日常担当で、あたしは戦闘担当。日常生活を送るのに戦闘の際の記憶はいらないでしょう?」
「そういうもんかね……?」
 本人が分からないのなら、フレアにも判断はつかない。
 けど……、とリースは続けた。
「いつかはきっと、あたしは必要なくなる。あの子にあたしは必要ないんだ。あの子に戦わせる必要なんてないんだ」
「だから……消えるのか」
 言うと、リースはそのまましばらく黙っていた。
 そしてそっと口を開いた。
「そのほうがあの子の為なんだよ」
「……そんなことないだろ」
 と、フレアは思う。
 少なくとも消えるべき命や死ぬべき人格があるとは思わない。
「あたしは本来生まれるべきではなかった存在。それが消えるのは必然でしょ? あの子にはこんな血塗れの、血みどろの生き方は似合わない。だからこの戦いが終わったら、あたしは消えるよ。だから、こうして話せるのも、もしかしたら最後かもね……」
 好戦的な雰囲気だった裏リースが寂しげな顔を見せていた。
 それは初めて見せる顔だった。
 そして、フレアは一つのことを思い知った。
 まだまだフレアはリースのことを知らない。知らなすぎるのだ。
 彼女が何を思い、何を感じて生きているのか、フレアはそれを知らない。
 こうして見せる表情はとても新鮮で、それは彼女という存在の深みを表しているのだろう。
「知らなかったな。リース、アンタそんな顔もするんだな」
 そうしてリースを見つめていると、リースは恥ずかしそうに顔を背ける。
「あんまりじろじろ見るなよ……。表のほうと違って、あたしはあんまり可愛くないだろ? うまく笑えないし、愛想とか悪いし……」
「可愛くないって……、元は同じ顔だろ? それに……こうやって新しい一面が見られると嬉しいよ。なんだかリースに近づけたような気がしてさ」
 フレアがそう言い、そっとリースの頬を撫でると、リースはぶわぁぁ、と顔を赤らめて逃げるように立ち上がった。
「も、もうっ! なんなんだよ! 調子狂うなぁ! と、とにかく、もしあたしが消えたら、そんときは表のを、よろしく頼むな! それだけっ! じゃな!」
 言い終わると同時にダッシュで走り去るリースを見送りつつ、フレアもなんとか立ち上がろうとする。が、ビリビリギシギシ、と体中が軋んでしばらくその場をのたうち回ることになった。
 ――なんだか、リースのああいうの、どっかで見たことあるリアクションだったなぁ。どこだったかなぁ……
 頭を捻って考えたフレアだったが、何も思いつかなかったのだった。

――

「くしゅん!」
 エルフの里の守り手、クレアはくしゃみの拍子にずれてしまった材木を背負い直す。
 ――なんだか嫌な予感がする……。
 フレアあたりが女の子を誘惑しているのだろうか。
 ――ああ見えて天然タラシのケがあるからなぁ。
 ポニーテイルを揺らしながら、畔道をまっすぐに進む。
 思えば、エルフの里でもケイトやアンナ、カタリーナあたりがその毒牙に掛かっていたような気がする。フレア本人には全くその気がないのに気づけば女子が口説き落とされているという恐るべき一級フラグ建築士なのだ、フレアという男は。
 ――まあ、私の場合も勘違いから始まった訳なんだけどさ……
 とはいえ。
 あまり見過ごすべき事柄ではないだろう。
 となれば早速、里長の元へ向かってあの言葉を言ってしまおうか。
 ――私も、……私も里の外へ行きたいっ!
 外へ行って、フレアと一緒に冒険がしたい。もっとフレアの傍にいたい。もっとフレアに私を見せたい。
 もっと。もっとっ。もっとっ!
 ……けれどそれは難しい。
 エルフの里の決まりでは、監査役の条件は齢150以上でなければならない。クレアはまだ30才だ。
 身体こそ人間で言えば17才くらいだが、人間の十倍近く生きる妖精族の中では、更に子供と呼ばれる年齢だ。
 長の説得は、……さすがに難しいだろう。
 他に堂々と里を脱出する手段はない。かといって勝手に飛び出すのも躊躇われる。里の守り手は人手不足なのだ。
 役割が多いという意味ではなく、必要人数に達していないという意味だ。仕事そのものは特に苦があるわけではない。
 フレアが抜けた穴を埋められる人材がないのだ。
 そして欠員を残した状態で何らかの非常事態が起きた場合、対応が間に合わない可能性がある。
 勿論、そんな事態が起こる可能性など万に一つもないのだが。
 エルフの里の所在を知る者もいなければ、知ったところで襲う価値などない。なによりこんな人里離れた山の奥地に人が紛れ込む可能性などあるわけがないのだ。
 だから人員の不足も、杞憂に過ぎない。
 この嫌な予感も杞憂に過ぎない。
 フレアが他の女の子を無意識に口説いてる可能性以外に、嫌なことなど起こる訳がない。
 ――何かが起こる訳なんてないのに……
 気づけば守りを固めている。材木で壁を強化したり、木に登って周囲を警戒したりしている。
 ――フレアがいなくなって、寂しくなってるのかな……
 だから、外に意識が向きすぎるあまりに警戒を強めてしまっているだけではないか。
 誰かがこの警戒網に引っ掛かるとして、その対象がフレア以外であるはずがないのだ。

 ……しかしその予感は、最悪の形で結実することになる。

 戦闘開始まで、あと十日。

第十二章《神風纏う剣姫 -Blade Princess;01 KAMIKAZE-》

 そして、その日は来た。

 エルフの里、中央広場にて――
 長老クォラル=バーガンディーはその長い髭をさすりながら、状況を分析していた。
 西側にはケイト、アステル、ガスターが布陣し、東側にはレオ、カタリーナ、ビリーが向かっている。
 南側にはクレアの父、クラインとその部下たちが展開している。そして北側にはクレアがいる。
 クレアがいち早く敵の進入を看破してくれたお陰で、準備は間に合った。
 しかしあまりに多勢に無勢である。
 時折送られてくる様子見らしき尖兵を幾度始末しても、増援は止むことがない。数百、あるいはそれ以上の軍勢が配されているのだろうか。
 守勢であり続ける限り、切りがないだろう。こちらの勢力が削られ続けるだけだ。まずは敵勢力の布陣を見極めねばならない。そうでなければ打つ手がない。
 クレアに偵察を任せるため、北側へ足を向けるクォラルだったが、その足取りは重い。思考がその足を縫い留めていた。
 ……かつて妖精戦争の折、妖精は抗わずに屍を重ねた。
 当時下した彼らの判断が正しかったのかどうか。それはクォラルには分からない。当時、虐殺はエルフが立ち上がる日まで延々と続いたという。
 惨劇の再来を避けるため、抗うという決断をしたクォラルだが、それはかつての妖精族とは異なる選択だ。妖精の異端児であったエルフの血が、彼と同じように争いの道へと駆り立てたのだろうか。……それは考えても仕方のない話なのかもしれない。
 そんなことより今、考えるべきなのは今後の対策である。
 反撃の手は一つ。クレアの使い方こそが全ての鍵を握っている。
 もちろん彼女は一人しかいない。なので、その極大戦力をいかに扱うかが大事になってくる。
 もし彼女が些事に手を割けば、その隙を敵に食いつぶされてしまうだろう。
 だが、安心して偵察を任せられる使い手は、現在クレアしかいない。他の者ではおそらく無事に帰還できまい。クォラルはそう感じていた。
 現状戦力でもっとも力があるのはクレアだ。その次にクォラルが続く。エルフの里内で三番手の実力者はクラインだ。しかし、その実力は旅立つ前のフレアよりも下だ。今までの敵勢力の戦力から計算すると、正直心許ない力量と言える。
 ――あやつの部下を含めて、それでようやく勘定に入れられるわ。
 敵の尖兵程度が相手ならば、たとえ三人一組の集団で襲ってきても、クレインたちでもどうにかできることだろう。だがそれ以上、人数や戦力を増やされると戦線は瓦解しかねない。
 敵が本腰に入る前に反撃に移らなければ……。
 もし反撃に移ることができなければ、エルフの里は今日、滅亡することになるだろう。
 クォラルは顔を険しく歪め、足を速めるのだった。

――

 ウエスティリア大山脈を覆い尽くす森林の外れには、木々の群れを忌々しく眺めている男が居た。
 男の眼下には百数十人からなる一軍がおり、彼を乗せた戦車を護衛するように布陣していた。
 一人の兵がその戦車に歩み寄り、敬礼をする。
「小隊長! 先遣隊第六班より、連絡が途絶えました! 敵勢力による攻撃と思われます!」
 その報告を男はただ淡々と聞いていた。
「ふん……。想定通りか。……次を行かせろ」
「はっ!」
 兵が下がるのを見届けると、男は溜息を吐いてうなだれる。
「私の役割はただの時間稼ぎ……か。……ふん、つまらん」

――

 幹から岩へ飛び、岩から地面へ舞い、木陰へと滑り込む。
 周囲に人の気配がないのを確認すると、クレアは再び移動を始める。
 ――2、3、……最低でも6組はいる。
 数を数えるたびに、気分が悪くなる。
 現状の戦力では迎え撃つだけで限界だ。そしてそれが際限なく現れている。状況は最悪に限りなく近い。
 せめて敵の本陣を把握できなければ、何の手も打てないだろう。戦線は間もなく瓦解する。時間の問題でしかない。
 クレアは敵の配置から移動ルートを大雑把に計算し、そこから敵の本拠地に当たりを付け始めていた。
 そして、その予測は概ね当たっていた。
 クレアはそこで息を呑んだ。
 ――なんて数……!
 見えているだけで百は超えている。
 それだけの人数が、森の合間に居座っている。
 見たこともない武装を施した集団が、戦闘準備を進めている。
 だが、クレアの脳内では更に悪い予感が胸を駆け巡っていた。
 ――あたしの予測が確かなら、敵の陣地は、これだけじゃないはず……。
 クレアは自らの予測に吐き気がした。
 ここが本陣とは限らないということは、あくまでここは数ある陣地のうちの一つでしかないということだ。
 だとしたら、状況は最悪の更に下へ向かわざるを得ない。
 ――もしこんな陣地があと他に数十あったとしたら、エルフの里は……。
 よぎった感想を、ぶんぶんと頭を振って追い出す。それに合わせてポニーテイルが狂ったように踊る。
 戦況の悪さは充分に分かった。
 これに打ち勝つための一手は、一つしか思い浮かばない。
 クレアは腰元に挿していた剣の柄を握る。
 ――ごめんなさい、師匠。いえ、おじいちゃん。あたしは初めて貴方に背きます。でも、許してください。これなら里を守れるから……。

――

 男は戦車の上から指示を出していた。
 部下へ次の指示を出しながら、ふと一陣の風が薙いだことに気づく。
「…………?」
 特に何が起こるでもなく、男は視線を元に戻した。が、しかし。
 ブシャァアア……。
 そんな、何かが零れ出すような不快な音が足下から聞こえた。
「な……」
 言葉はそれ以上続かなかった。
 重力に負けた身体がみるみる崩れてゆく。
 ボトボトと内臓をぶちまけながら。
 いつの間にか、身体は千々に裂かれていたのだ。そこから溢れ出た小腸やら何やらが眼前で脈打っている。
 男は目の前に広がるそれが何かを理解できないまま絶命した。
 それを見ていた部下が言葉にすらならない悲鳴を上げる。だが、その悲鳴も長くは続かない。頭が裂かれ、血と脳漿をさらけ出しながらその男も息絶えたからだ。
 悲鳴は輪唱のように広がってゆく。そしてその声が徐々に減ってゆく。
「ごめんなさい。いつかあたしも同じところへ逝くから。だから今は目一杯、……恨んで」
 黒髪の少女はそう呟くと、残像を残して姿を消した。

――

 龍騎道剣術青龍剣。
 それは剣速を極めた剣技だ。
 素早く振るわれた剣は、音もなく、慈悲もなく、全てを引き裂く。あらゆるものを両断する。
 鉄も石も、試したことはないが、たぶんダイヤモンドすらも二つに裂くだろう。これはそういう剣技なのだ。
 堅いものだけではない。空を断ち、火を断ち、水をも断つ。
 真の意味であらゆるものを二つに裂くのだ。
 クレアは自らの手に付着した血を擦った。だが、汚れは落ちない。
 ――そうだよね、もうこの穢れは、落ちないんだよね……
 クレアは足を止めない。止めている時間はない。
 早く次の拠点を見つけて潰さなければ……。
 そして、また手を汚すのだ。醜く、愚かしく、汚らわしく、染まってゆく。
 赤く、赤く、赤く。
 いずれこの穢れは身体に染みついて、この身体そのものをすら赤く染めてゆくのだろう。
 ――フレアが綺麗だって褒めてくれた、この瞳も……。きっと、赤く染まってゆくんだ……。
 それが堪らなく恐ろしい。
 フレアに嫌われることも。フレアに恐れられることも。フレアに知られることすらも、怖い。
 だが、それ以上に、斬った相手以上にフレアのことばかり考えている自分が、ただただ恐ろしかった。
 ――こんなあたしに好かれてるなんて知ったら、フレアはきっと迷惑だよね……。
 そしてクレアは速度を上げる。
 次の標的が見つかったからだ。

――

「報告致します! 第三部隊、第八部隊、第十一部隊が壊滅しました! 生き残った者たちも戦意を失って遁走しているとのこと!」
 その報告を聞きながら、頬杖をついている男が一人。
「ふぅん……。やられ方は? どんな感じ?」
「は……!? どんな感じ、と仰いますと……」
 上司の予想外に暢気な返事に、部下は困ったように口ごもる。
「だから、どんな感じさ? どうやって死んだの? 殴ったとか斬ったとか一撃だったとか連撃だったとか近接? 遠隔? どんなのよ?」
「はッ! かまいたちのように何処からともなく斬られ、姿はほとんど見えなかったと……。ただ一部の報告によりますと、その姿は美しい少女のようだったとか」
 部下がそれだけ言うと、男は頬杖を放して、ぱあっと表情を明るくさせる。
 立ち上がり指を弾くと、パタパタ……とブラインドが上がり、車内に明かりが取り込まれる。
「エクセレント!! 素晴らしい……。素晴らしいよそれは! さしずめ神風姫とでも言ったところかな。ふふふ、僕の相手にふさわしいじゃないか! そのまま僕の元へ来てくれるんだろうね……?」
 男はその大きな身体を椅子から持ち上げて、ふふふ、と嗤い始めた。

――

 クォラルはその報告を苦い顔で聞いていた。
 もたらされた情報は減少した尖兵の数と、帰還しないクレア。
 ――あやつめ。
 クォラルはすぐに理解した。クレアが哨戒任務を放棄し、殲滅活動に従事しているのだと。
 ――だが、そうさせたのは、ワシらだ……。
 妖精族の守り手たちが不甲斐ないばかりに、そのしわ寄せは全てクレアへと向かっていた。
 せめてもう少し、クレインや他の者たちを育てられていたならば……。そう思わざるを得ない。
 育てることは自らの使命だった。自らの役割であったはずなのだ。そして最善を尽くしていたはずだった。だというのに、この体たらくだ。
 口惜しい、とクォラルは苦虫を噛み潰したような顔をする。
 しかしどれだけ悔いようとも、憂おうとも、出来ることはそう多くない。
 ならば今出来ることに全身全霊を込めよう。
 クォラルは気持ちを切り替え、伝令役へ指示を送る。
 この戦線だけは必ず守り抜く――。そう、胸に誓って。

――

 何人斬り伏せたことだろう。クレアは剣戟にまみれながら、そんなことを思う。
 初めて人を斬ったのは今日だ。そして今はその行為をひたすらに繰り返している。
 剣を振るい、血を撒き散らし、屍を作り出す。
 そんな行為を繰り返し、繰り返し、行い続ける。
 エルフの里伝統の白い戦装束も、今は血染めの赤に彩られている。
 剣も服も身体も、赤黒く染まってゆく。
 穢らわしい色へ変わる。
 気持ちが悪い。クレアは素直にそう思った。
 染みついた血の臭いに気が狂いそうになる。
 それでも立ち止まるわけにはいかない。
 殺さない、という道はないのだ。
 手早く指揮官を殺し、指揮系統を掻き乱す。そうして攻撃の手を緩ませてゆく。
 そうしなければ里は滅んでしまう。ならば個人の感情など考慮には入らない。
 敵は斬る。斬り殺す。
 クレアは敵兵の間隙をかいくぐり、剣を振り抜く。
 舞い散る血飛沫。絶叫。悲鳴。
 クレアは無感情にそれらを無視し、次へ標的を定める。そして右腕を振るう。
 敵兵の腕が飛ぶ。足が飛ぶ。首が飛んでゆく。
 不快で、悪趣味で、気色悪い光景を、クレアは無視し続ける。
 一度でも気を、心を奪われたら、この足は止まってしまう。
 迷っている時間はない。この瞬間にも里は脅威に晒されているのだ。
 だから斬る。斬り殺す。斬殺し続ける。
 心を凍らせて、その作業に没頭する。
 そうでもしなければ、クレアは戦い続けられなかった。
 ――この陣地の指揮官は誰……? 早く仕留めて次へ向かわないと……!
 敵と敵を切り結ぶ合間に、クレアは周囲を見渡した。
 切り拓かれた土地に、一台の鉄塊。今まで通り、あそこに指揮官がいるのだろう。
 当たりを付け、そこへ進む。ついでにその同線上にいた兵たちを屍体へと変えてゆく。
 ――見つけた! 偉そうな奴! こいつを殺せば……!
 そしてクレアがその鉄塊に足を乗せた直後だった。

 爆発音がクレアの鼓膜を突き破った。

 衝撃に身体が痛み、耳鳴りがした。視界も靄が掛かったようで、自分が今どんな体勢なのかも分からない。
 呆然と佇む間に、どうやらクレアは座り込んでいる状態なのだと分かった。
 足に激痛が走り、背中や手足にも鈍痛が残る。足下は草むらだった。
 視界にかかった靄の正体は、煙だったらしく、前方では鉄の塊が火を噴いて燃えている。
 先程着地しかけていた鉄塊が爆発したらしい。おそらく指揮官ごと。
 何が起こったのかは分からない。
 だが、靄が晴れるにつれ、その周囲が窺えるようになった。
 ――囲まれてる……!
 敵兵が取り囲み、何かの武器を構えているようだった。
 ――あれが、銃っていう武器よね……。まだ一度も食らってはいないけど……。
 妖精族にとって、その攻撃は決定打にはならないと聞く。だが、見渡す限りの人間から銃口を向けられたこの状況は、死を予感させるには充分だ。
 ――いくらなんでも、これは……。死んじゃうって……。
 まだ靄は完全には晴れていない。
 だからこそ、敵はまだ攻撃には移っていない。
 だが、それも僅かな間だけだ。すぐに一斉射撃が始まるだろう。そうなれば一巻の終わり。救いはない。
 どんな状況であれ、立ち止まっている時間はないのだ。
 クレアは足に力を入れた。途端に激痛が身体を駆け抜ける。
 ――だいじょうぶ。骨はやられてない。動かない訳じゃない……!
 ミシミシ……と、足から嫌な音がしたが、クレアは一気に立ち上がる。身体中に気を巡らせ、強引に身を奮わせる。
 そうして立ち上がり、剣を構えたところで、場違いな拍手が聞こえてきて、思わずクレアは警戒心を露わにする。
「ハラショー、ハラショー。手折れ伏せようとも健気に咲き誇る花……。嗚呼、なんと美しいことか! さぁ、もっとよく見せておくれ! 君のスウィートなフェイスを!」
「……何?」
 クレアは不快感と共に答えた。
 やがて靄は消え去り、声の主が姿を現す。
「おっと! 僕としたことが名乗りを忘れてしまっていたよ。済まないね、マドモワゼル」 
 太った男だった。金髪、碧眼、長身で、身なりの良い黒服を纏っている。太ってさえいなければそれなりに美形だったのだろうが、黒服のボタンを弾き飛ばそうかというほどに膨れた腹は、それ以外の要素と相まって、醜悪の極みといった風貌だった。
「僕の名はドルフ=レイヴェン=オルコット。ヴァルトニック社のエリート、四天王の一人だよ」
 男はそんなことを言ってきた。
「……ヴァルトニック……?」
 聞いたことのない言葉だった。それは《外》では当たり前に使われている単語なのだろうか。
「おっと、そうだったね。君は箱入りなんだから知るわけないか……。失礼、つまりは僕が、どこまでも尊く、麗しく、そして美しい……ということさ」
 絶対に違うだろ、とツッコみたくなるクレアだった。
「既に君の噂は千里を駆け巡っているよ。……なんてのは少し大げさかな? まぁそれはともかく、実に美しい戦いぶりだね。素晴らしいよ。エクセレントさ。そんな君にとっておきの衣装を着せてあげたくてね」
「あたしの着たい服はただ一着。そしてそれは絶対にアンタなんかには見繕ってもらいたくない」
 フレアの選んでくれた花嫁衣装が着たい……なんて、この場では口が裂けても言いたくなかったが。
「そう言わないでおくれよ。きっと似合うと思うよ。美しい……死に装束だからさ!」
 途端に背後で爆発が起こる。
 クレアは前のめりに吹っ飛ばされながら、地面を強く蹴った。
 ――こいつがこの部隊の総大将ね! だったらここで終わらせてやる!!
 意気込んだクレアを、対峙するドルフが醜悪な笑みで迎え撃った。

――

 待ち受ける森林の手前には二人の男女がいた。
「社長! まだ行かねーんですか!? 俺ぁもう退屈で退屈で死んじまいそうだぜ!」
「ったく、アンタはあの村で充分暴れただろうが! 社長はほどほどにしろって言ってたのに!」
「あん? だからほどほどに暴れたんじゃねーか。何言ってるんだテメーは?」
 男女の背後では集落が燃えていた。生き残りがいないからか、避難が終わったからか、悲鳴はもう聞こえない。
『ふん、まぁいい。俺ももう少しでそちらに着く。それから総攻撃だ』
 無線機からの応答に、男は飛び上がって反応する。
「ひゃっふー!! 楽しみだぜ! エリィ、テメーには負けねーからな!」
「社長! 私も! 私もお役に立って見せます!!」
 男女それぞれが無線機へ意気込みを投げかけると、その向こうから笑い声が聞こえてくる。
『フフッ……、期待してるよ』
 そう返事をして、回線は切れた。
「ああ~、楽しみだな~! エルフってのはアレだろ? メチャクチャ頑丈なんだろ? クゥ~、どうやって殺そう! いっぱい遊べるな!!」
 男は実に楽しそうに身をよじらせる。
 対する女は溜息交じりに、
「全く、子供かお前は。社長がどんな想いでこの作戦に挑んでいるのか……。少しはお前も考えるべきじゃないのか?」
 と反論する。が、男はそれにも屈託なく嗤って返す。
「まぁまぁ、堅いこと言うなってエリィちゃんよ。そんなことより俺より多く殺したらなんか奢ってやろうか?」
「くだらん」
「ええ~!? 勝負しようぜ~? なぁなぁ、勝負~」
 幼児退行を繰り返す男の言動にイライラしたのか、女は男を一睨みして黙らせる。
「わ、悪かったって……」
 なんだよ~ちぇ~、などと言いつつ、車へ戻ってゆく男を尻目に、女はこっそりと呟いた。
「サツキ様さえ生きていれば、こんな男となど組みはしなかったというのに……」

――

 プチ、と切断した無線機を椅子へ放り投げたヴァルトニック。
「社長、彼らは……何と?」
 男が訊くと、ヴァルトは少し気怠そうに答えた。
「ああ、暇つぶしに村を一つ消したらしい」
「それは……」
 男は口ごもる。
 だが、彼の性格上、黙って待機など出来るわけもなかった。
 リボルバー・マーカス。ヴァルト社四天王の一人、《戦闘狂》の二つ名は伊達ではない。
 相方に抑止力としてもう一人の四天王、エリィを付けたものの、結果はこんなものか。
「この戦いが終われば、我々は真っ当な人間に戻れるのでしょうか……」
 男は呆然とそんなことを呟いたが、ヴァルトはそれに首を振る。
「んなわけねえだろう。もう戻れねえんだよ、俺たちは。走り始めちまったんだ。もう止まることも、引き返すことも出来ねえ。考えてもみろ。殺された連中はどう思う。無碍に殺されて、虐殺されて、鏖殺されて、死んだんだ。今更何を言い訳できる? 初めから分かってたことだろう? それでも俺たちはその道を選択しちまったんだ。そして多くの人間を巻き込んだ。もう戻れねえよ。今更何言ってんだ。余計なことを考えるんじゃねえよ。俺たちはエルフを殺す。そうして初めて俺たちは前へ進めるんだ。それがどんな場所へ続いているのかは、……知らねえがな」
「…………」
「犠牲は多く出たが、ようやくとっておきが確保できたんだ。もっといい顔できねえのか? ああん?」
 男は黙ってヴァルトの言葉を聞いていたが、やはりそこまで割り切ることは出来なかった。
 初めから何かの歯車が狂っていたとして、どうしてこんな結末がやってきてしまうのだろうか。
 どうしてこうするしかなかったのだろうか。
 どうして他の選択肢を選べなかったのだろうか。
 考えれば考えるほど、思考はある一点に縛られてゆく。
 血と、銀色の髪と、悲鳴。涙。
 脳裏に蘇る風景。それは狂おしいほどに心を掻き乱し、一つの感情を浮き彫りにしてゆく。
 男は胸を押さえ、沸き上がる動悸を抑えようとする。
 浮かび上がる脂汗を拭うことも出来ず、男は荒い息を少しずつ和らげてゆく。
 浮上したその感情と対面してしまえば、答えは一つしかない。一つしかありえない。
 ――エルフを殺そう。
 結論はそうなる。そうなるしかなかった。
 今まで何度考え、何度熟考しても結論はそれしかなかった。今回もやはり変わらない。
 その為には仕方ない犠牲なのだ。
 例え何万人の人間が死のうが、全てに優先される事項だ。
「そうだ……。エルフは殺さねばならない。どんな犠牲を払ってでも」
 男が呟くと、ヴァルトは嘆息し、「分かってるならいいんだ」と言った。

――

 ウエスティリア大森林の中腹、伐採されたその空間では、本日数十回目となる爆発が起こっていた。
 その煙から飛び出したのはクレアだ。身体は爆炎にまみれ続け、ボロボロになっていた。それでもその神速には一切の陰りは見えない。全ての爆撃をクレアはすんでの所で回避していたのだ。とはいえ。浴びせられた熱や瓦礫で少しずつ負傷してゆく。防御するごとに、気も消費されてゆく。クレアは唇を歪め、走り続けていた。
 ――クソっ! 近づけない……!
 ドルフは設置式の爆弾、投擲式の爆弾、射撃式の爆弾を上手に使い分けていた。そのせいでクレアは移動を妨げられ、上手く近づくことが出来ない。
 クレアは歯痒い想いで、回避し続けるしかなかった。
 いっそ、玉砕覚悟で突撃してみるべきだろうか。そんなことも頭には浮かんでしまう。
 だが、それは危険だ。恐らくはそれこそが向こうの目論見なのだ。
 クレアは今までの攻撃をほとんど寸前で回避している。食らったのは不意打ちの一撃だけだ。
 あの一撃は、クレアの防御能力を試す意味合いがあったに違いない。だからこそ次の一撃は、それを打ち破る攻撃である可能性が高い。
 ならば一撃でも受けてしまっては危険だ。ここは回避に徹するべきだろう。
 しかし、このままではジリ貧だ。何か手を打たなければ負ける。
 ――何か手を……。
 考え、浮かぶのはリスクの高いものばかりだ。クレアは自らの作戦立案能力の低さに呆れてしまう。
 ――けど、それしかないか……!
 クレアは意を決し、攻撃のために身構えると、それを見たドルフは何か察したのか、動きを変化させる。
 それを合図にしたのか、クレアとドルフの間に、立ちはだかる者が現れた。
 新手――! と警戒するクレアは、そこで呆気にとられてしまう。
 そこにいたのは里の子供たちだった。
 まだ生まれて数年しか経っていない幼い子供たち。置かれた状況を理解していないのか辺りをきょろきょろと見回している。
「何してるの!? 逃げて!!」
 駆け寄るクレア。その様子を、哄笑を浮かべて見守るドルフ。ドルフの手元には一つの装置が握られていた。
 そして、太い腹と違って存外に細いその指が、グイッと押し込まれる。 
 途端――、

 閃光が、クレアの視界を呑み込んだ。

 黒に沈んだ世界で、ドルフの意地汚い嗤い声が響き渡っていた。
「くっふふふ……。ふっはははははは!!!」

――

 ウエスティリア大森林北部では、フレアたちが車から降りているところだった。
「乗り物酔いは、だいじょうぶかな? フレア君」
 紳士的な微笑と共に差し出された手を、フレアはムッとして払った。
「だいじょうぶだよ。スピアに酔い止めの薬をもらったからな」
「そうですか。それは残念。……いえ、『良かった』の間違いでした。怒らないでくださいよフレア君」
「……別に」
 そう言って伸びをするフレア。
 正面には鬱蒼とした森林が口を開けている。
 それぞれが森へ足を踏み出す中、アークが無線機を繋いでいた。
「あ、あー。聞こえますか?」
 ノイズ混じりだが、明らかな返答が返ってくる。
『……ちら、マツ……。聞こえて……す』
「んー。感度があまりよくありませんねー。まぁ距離があるので仕方ありませんか。……さて」
 アークは顎をさすりつつ、そんなことをぼやいていた。
「まぁとりあえず始めちゃってください。こっちもそろそろ始めますので」
『……ょうかい……ました』
 不明瞭ではあるが、意思の疎通は行えているらしく、マツリのほうもこれから行動を開始するらしい。
「さぁ、皆さん。死にに行く準備は出来ましたか?」
 そのふざけた物言いにもいい加減慣れてきていた一同は、一様に頷いてそれに答える。
 そんな様子をやや不満そうに見渡して、アークは森の入り口へ足を踏み出した。
 フレアたちもそれに続いた。
 この先にはヴァルトニックなどの強者たちと、その武力が結集していて、そこで待ち受けている危険は計り知れない。
 だというのに彼ら七人の足取りは軽く、しなやかで、力強かった。
 そこでどんな悲劇が待ち受けていようとも、どんな惨劇が訪れようとも、どんな現実が襲い掛かろうとも、屈することはないだろう。
 少なくともこの時は、誰もがそう信じていた――。

第十三章《剣姫と十字帝 -Blade Princess;02 VALTNICK-》

 七人は森を駆け抜けていた。
 この道を踏破したことのある者はこの中にはいない。
 ゆえに、最短距離や安全経路などは誰にも分からない。
 それでも、その移動速度を緩めることは出来ない。
 そして周囲への警戒も怠ることは出来ない。
 フライヤは全力で駆け抜けつつ、何気ないふうに告げる。
「……居るね」
 そんな発言に相棒は首を傾げるばかりだった。アークだけが注ぐ日光で眼鏡を光らせながら頷いている。
「ふむ、……そのようですね」
 そこで、フライヤは足を止めた。
 六人が振り返るが、それぞれの表情はバラバラだ。
 アーク、シーク、スピアあたりはなんとなく察してはいるようだが。
「アンタはあたしが信用できないんだろ……? だったら足止めは任せときな」
 フライヤがそう言うと、アークはしばらく考えるふうに顎に手を当て、
「……分かりました。お任せしましょう」
 と言い、再び走り始めた。
 それを四人が慌てて追い始める。
 だが、一人がそこに残っていた。
 言うまでもない。残るのは予想通りこの男だった。
「一人で手に負えるんか?」
 などと言っている。
 どんなに鈍い相棒といえど、さすがに近づく気配に気がついたらしい。フライヤは頷きを返す。
「別に……、一人でもなんとかなるけど」
 ふてくされたように言いつつも、その内心はほっとしていた。
 そんな自分にフライヤは嘆息しつつも、剣の柄に指を添える。
「言うたろ? オレはお前を守る。今度は絶対に救ったる」
 ジンはドヤ顔でそんなことを言っている。
 なのでフライヤはそっぽを向いて肩を竦めてみせた。
 途端にがっかりした表情を作るジンだが、その顔を盗み見つつ、フライヤは僅かに笑みをこぼした。
 相棒の頭の中にはお花畑でも広がっているのだろうか。
 そんなことを考えて、フライヤはひとしきり表情を緩めたのだが、すぐに気を引き締め直す。
 濃厚な気配が、すぐ傍にまで迫っていたのだ。
 フライヤとジンは鋭い眼差しのまま、敵の出方を窺っていた。
 ――来るのか……! 来ないのか……!
 フライヤは焦燥を押し殺して、意識を外へ向ける。
 風が、さらりと抜ける。
 気配は、動かない。
 ――まずは、我慢比べかな……。
 フライヤは揺れる木々を視界の端に捉えつつ、その動きを窺っていた。

――

 ……そんな二人を取り囲む者たちの中に、一人、哄笑を漏らす男がいた。
 男は口を塞いで、声が漏れないようにと気をつけているつもりのようだったが、周囲にいた兵たちには煩わしく感じたらしく、向けられる視線はかなり冷たい。
 そんな状況すらおかしくて、男はひたすらに笑い続けていた。
 なんとおかしいのだろう。なんと、なんと、なんと。
 これでは笑わずにはいられないだろう。むしろ、何故周りの兵たちは笑わずにいられるのか。男には理解できない。
 ――だって、そうだろう……?
 これから行うことを思えば、笑わずになんていられない。
 これから、何をするか。決まっている。
 コロシだ。
 社長が迷惑そうな顔をすることもない。頭の悪い相方が説教垂れてくることもない。ジークの旦那にお小言頂戴することもない。
 そんなことなしに、コロせる。バラせる。キれる。ヤれる。ツブせる。オカせる。
 ここには何の弊害もない。邪魔者がいない。正当に、真っ当に、コロせる。
 それは限りなく、自由だ。このうえなく、自在だ。
 ――しかも、雑魚じゃない。無抵抗に斬られる雑魚じゃないんだ。
 そう思うと、もう笑いが止められない。
 これから何が出来る? どこまで出来る? どれだけ出来る?
 胸が高鳴る。鼓動が加速する。
 早く試したい。試させろ。
 早く。早く。
「ヤラせろォォォオオオオオオーーーーーー!!!!!」
 狂ったような鬨の声を上げて、《戦闘狂》マーカスは回転式拳銃を引き抜いた。
 その照準は、鋭い眼差しをした金髪の女へ向けられる。
 だがその瞬間、異様な出来事が起きていた。
 目が合ったのだ。金髪の女と。
 居場所も、タイミングも読まれていたのだ。
 それを確信すると、マーカスは再び笑みを浮かべる。
 ――これだッ! この感触!
 マーカスは裂けるように口角を吊り上げて、凄絶な表情を作る。
 殺す感触と殺される感触。それこそが、マーカスを惹きつけるものだった。
 マーカスはそのために生きているし、そのために殺していた。
 追い詰め、嬲り、いたぶってから殺すのは、その感触を深く味わうため。
 そして、追い詰められた人間の、底力に期待してのことでもあった。
 だが、大抵は失敗する。以前近辺の村を襲ったときのように。
 いつだったか、シークと戦ったとき。あれは実に間が悪かった。
 余計な仕事を負っていたために、戦いに集中できなかったためだ。
 命を落としても良いタイミングではなかった。
 そのために集中できなかったのだ。
 だが、今回は違う。
 予期せぬ遭遇のために報告の義務があるだとか、目的達成のために部下に指示を出さねばならないような状況ではない。
 それが、マーカスには何よりも至福であった。
 ――ここには敵がいて、俺がいて、戦いがある。
 それだけでいい。
 それ以外は興味すらない。
 マーカスは引き金を引く。
 放たれる銃弾。銃声。硝煙の臭い。
 心地よい。此処こそが自分の居場所だ。
 これこそが生き甲斐だ。
 マーカスは隠れていた木陰から飛び出ると、そのまま全弾を女剣士に叩きつける。
 ――さぁ、それをどう躱す?
 マーカスは哄笑を上げ、その女の挙動をつぶさに観察していたのだった。

――

 フライヤは敵が動き始めるのと同時に走り始めていた。
 そのタイミングは読めていた。
 木々のざわめきの中から、強い気の流れが感じられたからだ。
 その気配は禍々しく、狂的だった。それならば攻撃は単調で派手なものが来るだろう、と予期していた。
 そして、その予想は的中した。
 放たれたのは銃弾だ。剣を操るフライヤやジンには相性が悪い。遠方から攻撃できる武器と、近接でしか攻撃できない武器ではほとんどの場合、勝負にすらならない。
 だからこそ、相手は銃使いであることは真っ先に考慮に入れていたし、方向も大まかに推測できたのだから、これで対処を誤るのはただの馬鹿だ。
 フライヤは屈み、つい数瞬前まで自身の頭があった場所を通過していく弾丸を見やる。
 口径は中程度、連射速度や銃声で敵の所有する武器の当たりを付ける。
 ――二挺拳銃、しかも回転式……!
 回転式拳銃は総弾数が少なく、再装填も簡単ではないため、二刀流で構える使い手は少ない。
 二刀流の最大のメリットである弾幕を張ることが難しいためだ。
 総弾数が少なければ、弾幕は薄くなるうえ、すぐに銃弾の再装填が必要になる。またその再装填に時間も手間も掛かるというのだから、両手に構えるのはかなりの場合、逆効果だ。メリットは減る一方でしかない。
 ――ただし……、
 フライヤは一つの懸念を抱いていた。ゆえに、即座に次の挙動へと移行する。予断は許されない。
 フライヤは再装填をさせる前、それどころか全弾を撃ち終える前に標的へと斬りかかった。
 黒服をだらしなく着崩したその男はゆらり……、と体勢を傾ける。
 その首元を、斬撃が掠めた。
 血が、わずかに跳ねる。
 ――クッ、浅い!
 首を斬り落とすつもりの一撃が、躱された。
 男の右腕から手放された銃が、中空を舞っている。
 そして、男は倒れかかった姿勢のまま、右腕を振り上げようとしている。だが、その指先は舞い上がった衣服の影になって見えない。
 だが、間違いない……、とフライヤは確信していた。
 そして、予想通り、振り上げられた腕には新たな銃が握られていた。
 そう、これはやはり――、
 ――トリプルリボルバー……ッ!
 二刀流、ではない。彼は三刀流だったのだ。
 相手の意識を二挺の拳銃に向けさせて、その不意を撃ち抜く三挺目の拳銃。
 とはいえそんな攻撃も、正体が読めていれば恐ろしくも何ともない。
 フライヤは両手持ちしていた片手剣から、片手を外していた。そしてその左手が、手刀となって三挺目の拳銃を握る男の腕を狙っている。
 しかし、そんなフライヤの左手に鈍い痛みが走った。
 見れば、男の左膝が持ち上げられており、その手刀を蹴り上げていたのだ。
 わずかに肝を冷やすフライヤだったが、その三挺目の拳銃が火を噴くことはなかった。
 手刀への対処で手一杯となったのだろう、男はそれ以上の攻撃も出来ず、舌を打って飛び退る。
 フライヤも一度距離を取り、相手の出方を窺うことにする。
 ――どうにも、簡単には行かなそうね……。
 フライヤはひとつ、溜息を吐くのだった。

――

「ヒューっ♪」
 マーカスは口笛を鳴らしていた。
 久方ぶりの手応えだった。やはり戦いはこうでなくては面白くない。
 ただの殺戮では、物足りない。
 命とは相手にあるだけのものではない。自分にもあるものだ。
 ゆえに、相手の命を舐るだけではその快楽は半減するというもの。
 自分の命を危ぶめている。そのスリルがあってこそ、戦いは楽しいのだ。
 ――さて……、
 マーカスは考え始める。
 その思考回路は暴力にしか回らない。
 如何に殺すか。如何に勝つか。如何に相手をねじ伏せるか。
 考えることはそれしかない。
 ――少し焦りすぎたか……?
 距離を取り、互いに牽制し合う状況となった今、改めてそんなふうに思う。
 トリプルリボルバー。
 二挺拳銃に注目させておいて、そこから不意を突く三挺目の拳銃。それが、まさか看破されるとは考えていなかった。
 そこそこの相手ならばこれで致命傷くらいは狙えたものの、この相手ではそうもいかないらしい。
 周囲に視線を向け、情報を集めることにする。
 視線を向けた先では、自分に充てられた雑兵どもが、相手の仲間である男の剣士と戦闘している。
 数ではこちらが圧倒的に有利だが、実力差は拭いきれない。
 時間稼ぎ以上のことは出来ないだろう。
 この状況をうまく使うには、どうするべきか。
 僅かに思考を巡らすも、マーカスは首を振った。
 ――いや……、
 それではあまりにつまらない。
 マーカスが欲するものは命の遣り取りだ。
 勝利ではない。
 そして、マーカスは砲口を、男剣士のほうへ向ける。

――

 ジンは歯噛みしていた。
 敵の構成は、黒服たちと二挺拳銃使いだ。
 強敵はもちろん、二挺拳銃だろう。一人だけ纏う気の総量が桁違いだし、身のこなしやその戦闘スタイルも異常と言わざるを得ない。
 それほどの相手ならば、ジンはフライヤに加勢したかった。
 だがしかし、現実としてそれは出来なかった。
 ――ただの雑兵、ってもんでもないんか……。
 黒服たちはそこそこに手強かった。
 恐らくは士官クラスだろう。今まで斬り結んできた奴らとは出来が違う。
 即座に倒そうと思って、攻め込もうとすると背後から不意打ちが現れる。
 なのでそちらへ標的を定め、反撃に転じようとすると、今度は横合いから銃弾が放たれる。
 そうして、ジンは攻めあぐねていたのだった。
 ――こらぁ、フライヤに気ぃ取られたらやられるな……。
 そんなふうに独りごちるのだった。
 ――待てよ、向こうが連携してくるんやったら、もしかして…………。
 ジンが顎に手を当て、思案したのはほんの一瞬。
 しかし、その一瞬を狙い撃つかのように、一発の銃弾が放たれたのだった。

――

 マーカスは着弾の確認などしない。
 フライヤの気さえ引ければ、あとのことはどうでも良かった。
 ジンが負傷していれば良し。していなくとも僅かな隙が生まれればそれで良かった。
 予測した通り、フライヤの攻勢は挫かれ、マーカスはその間に木陰へと逃げおおせた。
 三挺の拳銃を高速リロードし、すっくと立ち上がる。
 木陰に背をつけて、様子を窺う。
 ――さあて、もう死んじまったかな……?
 マーカスはペロリと舌を出し、唇を湿らせる。
 その唇が、残酷な笑みを浮かび上がらせていた。

――

 一方、クレアは仰向けに倒れていた。
 爆炎に煽られ、身体中が煤けていて、火傷の跡もいくつか見受けられる。
 そんな彼女にゆっくりと歩み寄るのは、ドルフだ。
 醜悪な笑みを浮かべ、ドルフは荒い息を吐いた。
「ふふふ……、美しいだろう? 僕の開発した『セルフタイマー』は……」
 伏したままのクレアは身じろぎひとつしない。
「躱すことの出来ない攻撃。これほど恐ろしいものはないよね。そして、僕の『セルフタイマー』は形すら自由自在! 誰にだって存在する《弱点》に設置できる。これは兵器界の革命だよ! ファンタスティック! ……だから抵抗は無駄さ。さぁ、僕と踊ろう!」
 ドルフは右手を差し出し、ウインクしてみせる。
「君の剣術ではこれほどの効率的な虐殺は出来ないだろう? なら、僕の元へおいで。足掻く意味はないし、足掻く必要だってないよ。僕なら君の望む全てを与えられるよ。だからおいで。マイプリンセス……」
 ドルフの伸ばす腕が、クレアの腕へ触れようとしたその時。
 僅かにクレアの腕が動いた。
 だが、それは一瞬だった。
 すぐに動かなくなり、ドルフは一瞬ためらった後、再びその細腕に触れようとした、のだが……。
 ボトリ。
 何かが落ちた。
 そして、腕は届かなかった。
 それどころか腕の自由すら無くなっていた。
 ドルフは自身の腕へ視線を送る。そして気づいた。
 ドルフの腕は、肩から斬り落とされていたのだ。
「な、な、なァアアアア……ッ!!」
 ない。腕が、ない。自分の腕が、ない。
 自慢の腕が。大切な腕が。研究に扱うために綺麗に扱ってきた、命の次に大切な腕が。
「腕ッ!? 僕の、腕ッ!! 僕の腕がァァアアアアアアアアアアッッ!!!??」
 吹き上がる血を浴びながら、少女は仰向けの体勢からドルフの身体を蹴り上げ、そのまま宙返りをして立ち上がる。
 右手には剣が握られていた。鋭すぎる剣閃は僅かな動きしか見せていないにも拘わらず、無数の斬撃を繰り出していた。
 ドルフは悲鳴を上げて逃げ退ろうとしている。
 振り抜いた一撃は、未だ決定打とはなっていなかった。
 トドメとばかりに剣を振り上げたクレアだったが、瞬間、身体ごと吹っ飛ばされそうな威圧感を感じて、背後を振り返った。
 そこにいたのは――。

――

 ドルフが求めていたものは快楽だった。
 スイッチ一つで人を殺めることが出来るという快楽。ドルフはこれを超える快楽を見出すことは出来なかった。
 自分が行うのは準備だけだ。入念に準備をし、戦略を練り、策を講じる。
 そして、実戦で行うのは僅かな動作だけだ。
 たった一つのスイッチを押すだけ。
 それだけで人が死ぬ。勝利が確定する。
 それは、あまりにも明瞭な報酬だった。あまりにも豊満な快楽だった。
 自らの講じた罠に嵌まり、絶望に顔色を歪めて息絶える表情は、どんな美酒にも勝る酩酊を与えてくれた。
 ドルフはそれを欲していた。どうしようもないくらいに、それに依存していた。
 中毒と言ってもいい。
 それくらいに、激しい快楽を感じていたし、生き甲斐とも言えるものだった。
 自分が行うのは最低限度の動作でしかない。
 たったそれだけの動作で、相手の全てを奪う。希望も、活力も、命も、未来も。
 それはどんな薬物を摂取したって、得られない快感だ。
 だが。
 一つだけ、ドルフは失念していた。
 気づいていなかった。
 それこそがドルフという男の器であり、ドルフという男の末路でもあった。
 それでも。例えそうだとしても。
 男はふらつく足で敗走を続ける。
 死ぬわけにはいかない。
 それだけは許容できない。
 態勢を立て直しさえすれば、まだ勝機はあるはずだ。
 丸い身体を木々にぶつけながらも、血走ったその瞳に、諦めの色は見えなかった。

――

 クレアは凍り付くような感触を抱いていた。
 心を凍らせるような肌寒さ。生まれてきてしまったことすら間違いだったかのような違和感。
 一瞬の間に、思考の一切が消え去ってしまう。
 浮かぶものは何もない。無だ。一切が無い。
 点となったクレアの心に、クレアは違和感を覚えていた。
 やがてその空白を占めていたものが、虚無でなく恐怖だったと気づくには、幾許かの時間が必要だった。
「初めて、相まみえたな。……エルフ」
 クレアにとって、それは古代の英雄の名だ。妖精族の蔑称であるなどとは想像もつかない。
「俺は人間王が一人、ヴァルトニック=フォーレス。貴様らに奪われた歴史を、取り戻しに来た」
 意味が分からない。ので、クレアは無言で空を見つめるしかない。
 男はなおも続ける。
「分からないのか? ならば教えてやろう。誤った歴史を生み出した罪を、今この場で贖って見せろ。自らの血と、屍でなァアッ!」
 男は白コートを振り乱し、一本の大剣を掲げる。
 剣の柄には銃のような機構が取り付けられている。
 それがどういったものなのかは、クレアには検討もつかない。
 分かるのは二つ。
 この男は、妖精族を滅ぼすつもりらしいということ。
 そして、もう一つは……。
 この男には、それが可能である、ということだ。
 命に関わる、という危機感からか、金縛りのような硬直からどうにか脱したクレアは瞬時に飛び退る。
 そして、振り下ろされた一撃が地面に突き刺さり、大地を砕いた。
 千々に砕かれ、地割れが放射状に広がってゆく。
 中でも一つ、一際大きな断絶がまっすぐクレアへと伸びてくる。着地したクレアはそこで再度跳躍し、地割れから逃れる。
 砕けた大地が、深々と地面を掘り進んでゆく。
 亀裂が、際限なく周囲を駆け抜け続ける。
 クレアは呆然とそれを眺めることしか出来ない。
 有り得ない。クレアはそう、声にならない呟きを漏らす。
 この男は、このヴァルトニックという男は、もはや人間を凌駕した領域にいる。
 妖精族とすら、比較にもならない。
 放たれるプレッシャーも、クレアの師匠たるクォラルを軽く、頭一つどころではなく、遙かに飛び越えている。
 脆く弱い人間の身でありながら、妖精ですら辿り着けぬ境地に達している。
 そんなことが有り得るのだろうか。
 いや。
 クレアは有り得ないと断じることが出来る。
 肉体の限界とは、気で補える領域すら加味したうえでの話なのだ。
 だというのに、人間のみでそれを為すことが出来ようはずがない。
 にも拘わらず、この男はそれを体現している。
 なぜ――?
 そう心の中で問い掛けるも、答えるものなどいるわけがない。
 クレアは剣を構え、ヴァルトニックなる男に向き合うも、その心は既に、敗北を悟っていた。
 ――どうしよう……。勝ち目が見えない……。フレア――――!

――

 木々の合間を駆け抜けていたフレアたちは、突然の騒音に警戒の色を強めた。
 地震だろうかと、それぞれが立ち止まり、身を低くしてこらえていた。
「ちぃッ! こんな時に地震だと!?」
 片膝をついた姿勢で、スピアが悪態を吐いていた。
 だが、アークは直感的に分かっていた。
 これは、地震などではないのだと。
 シークもまた同様だった。
 ヴァルトニックならば、これと同じ規模の現象を起こせると、知っていた。
 訳も分からず、立ち竦むフレア。
 若干の間。
 そこで。
 急激に事態が豹変することになる。
 地面に亀裂が走ったのだ。
 始めにそれに気づいたのは、アークだった。
「まずい……ッ! 皆さん、逃げてください!!」
 アークの警告と同時に、地割れが起こった。
 あまりの衝撃にそれぞれがバランスを失う。
 そんななか――、
「きゃあ!」
 リースの足下に亀裂が伸びていた。
 逃げなければ――、当然リースもそう考えた。
 しかし、振動はいまだ続いている。逃げようにも足下が踏ん張れない。
 まるで磁石に捕らわれてしまったかのように身動きが取れない。
「フレアッ!!」
「リース!!」
 リースは最も近い位置にいたフレアへ手を伸ばす。
 フレアも精一杯手を伸ばして、その手を掴もうとする。
 しかし、あと数歩といった距離なのに、届かない。
 亀裂はなおも広がり、リースを地の底へ誘おうとしている。
 フレアの脳裏に、出撃前のアークの言葉が蘇る。
『そのお守りは皆さんに差し上げますので、ちょっと死んできてくれませんか?』
 これは、まさしく死に迫る状態だ。
 もしこのまま放っておけば、リースはそのお守りの力で精霊の力を手に入れられるのかもしれない。
 だがしかし。そうでなかった場合。
 精霊という不確かで曖昧な情報がデタラメであった場合。
 全くのデタラメというわけでもなかったとしても、それでも必ず生存できるという保証があるわけではない。
 ――いや、そんな話は抜きにしても……。
 放っておけるのか。この状況を。
 無視できるのか。この光景を。
 フレアは、そこから先の思考を覚えていなかった。
 ただ、気づけば。
 もはや崖下とでも表現すべきリースのいる岩場へと降りていた。
 駆け寄ると、リースは涙を浮かべていた。
 その表情は《表側》のほうのリースのものだ。
 フレアはその小さな身体を抱え込んだ。途端にリースの腕がフレアの首へ回り込む。
 リースを安心させるように、一度だけポン、とその背中を叩いてやり、フレアは眼前を見据える。
 その光景はもはや断崖絶壁だ。
 だというのに、フレアの瞳には絶望など微塵も映り込んではいなかった。

 ――――、
 そして、瓦礫が、奈落の底へと呑み込まれていった。

第十四章《剣姫の決意 -Blade Princess;03 RETROGRADE-》

 対峙は、一瞬だった。
 妖精族の少女はポニーテイルを翻して、姿を掻き消した。
 ヴァルトニックにはその動向が窺えていた。追いつき、斬りつけることも可能だったろう。
 だが、あえてそうはしなかった。
 少女の背を見送ると、ヴァルトは悠々とした動作で剣を鞘に収める。
 その視線には、なんの表情も窺えない。
 ただ、冷徹な瞳だけが虚空を睨みつけていた。
「ふん……。巣へ案内してくれるというのなら、感謝の一つもすべきかもしれんがな……」
 そうは言いつつも、顔色は晴れない。
 表情は、優れない。
 虚しい風だけが、彼を撫ぜていた。
 復讐。それは甘美な毒でありながら、華美な酒でありながら、同時に酷く冷たい感傷を抱かせる。
 それは、酔いが冷めたからこその静寂なのか。それとも、酔いそのものが無為なものであるからこその静寂なのか。
 酔うために復讐を求めるのか。酔いこそが復讐の起源なのか。
 一族の悲劇を思い知らせるために彼らは剣を取った。
 それは必然であったし、宿命であった。
 生きるためにはそうするしかなかった。それ以外の方法を見出せなかった。
 目的は人を昂ぶらせる。活力を与えてくれる。
 活力なしでは、人は生きてはゆけないのだ。
 その昂ぶりこそを『酔い』と表現するのなら、一族は復讐に酔っているということなのだろう。
 そのことに、ヴァルトニックはなんの後悔も湧きはしない。
 あるのは、淡々とした事実だけだ。
 否定はしない。だが、肯定もしない。
 事実を、ただ、認識するだけだ。
「歴史は俺を嗤うことだろう。だが、それで一向に構わん。人は己の心を裏切れん。少なくとも、俺はそうだ」
 言うと、男は歩き始めた。
 その一歩が、地面を踏み締めていた。
 己の愚かさを、歴史に刻みつけるかのように。

――

 クレアは撤退していた。
 背中には、未だに悪寒が残っている。
 思わず、恐怖に足が絡め取られそうになる。
 実際には、彼は遙か後方にいる。それは気配で分かりきっていることだった。
 だというのに、気づけば背後を窺っている自分がいる。
 すぐ後ろに、剣を振りかぶったあの男がいるような気がして、冷や汗が垂れる。
 そしてそんな自分に嫌気が差す。
 クレアを脅かしているのは恐怖だ。純然たる恐怖が、感覚を惑わしているのだ。
 全ては自分が未熟なせいだ。
 逃げの一手を強いられているのも、恐怖に囚われてしまっているのも、里を危険に晒してしまっているのも。
 全ては己の未熟さゆえだ。
 ちゃちなプライドは捨ててしまえ。弱さを受け入れろ。そのうえで決断しろ。
 今すべきことは何だ。
 ――そんなの、決まってるっ!
 考えるまでもない。己に問い掛けるようなことでもない。
 初めから。初っ端から。前提から。分かりきっていることだ。
 何故ならクレアの役職は、《里の守り手》なのだから。

「長老ッ!!」
 行儀も作法も無視して扉を跳ね開けたクレアは、相手の姿も確認せずに呼びかけた。
 それは、自分の判断を伝えるためだ。
 圧倒的な戦力差以上に、たった一人の極大戦力に抗う術が見つからなかった。
 何百、何千の戦力があろうとも、あの男には勝てない。
 僅か一瞬の対峙で、確信してしまった。
 現状では、どう足掻いてもあの男には勝てないのだと。
 そうなれば取りうる選択肢は一つしかない。
 クレアが集落中央の長老邸を訪ねたのは、撤退を進言するためだった。
 だが、戸を開けて、クレアは言葉を失した。
 そこにいたのは、着物を血で染めた長老、クォラルの姿だった。
 問うまでもなく、クレアは状況を理解する。
 事態は想定していたよりも、よっぽど悪いらしい。
 長老が負傷している。この事実には二つの意味がある。
 まずは相手が長老を負傷させるほどの戦力を保持していた、ということ。
 これは対峙したあの男以外にも手練れがいるという事実を表している。
 もっとも、あれだけ多くの人員を動かせるのだから、それだけの技量や兵力を有しているのも想像に難い話ではない。
 そして、もう一つの意味。
 それは最後の砦であるべき長老が前線に出なければならないほど、守備隊が疲弊しているということだ。
 いや、もしかしたら、もはや前線と呼べるほどの戦況にすらなっていないのかもしれない。
 今、エルフの里はそれほどまでに追い詰められているということだ。
 クレアは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、こう進言するしかなかった。
「…………長老。……撤退しましょう」
 声は、僅かに震えていた。
 緊張に、だろうか。それとも怒りに、かもしれない。
 普段は怒りなどという感情を抱くことのないクレアだけに、それは戸惑いを抱く感情だ。
 同時に、本当にこれが怒りなのか……? という疑問すら浮かんでしまう。
 長老は、実際は僅かな間だったのかもしれないが、体感としては随分と長く沈黙を続けた後に、ゆっくりと頷いた。
「……致し方あるまい。ワシはこの里を失いとうない。だがそれ以上に、里の皆を死なせることだけは我慢ならん」
 ゆらり、とクォラルは立ち上がった。羽織を揺らして、戸を開く。
 その足取りは、決して力強いというわけではなかったが、しなる蔦のようにしなやかに大地を踏み締めていた。
「……お前は、死ぬでないぞ」
 そんなことを言われても、クレアには返す言葉が見つからなかった。

 敵勢力の大半は里の南側を取り囲むように布陣している。その布陣は西側や東側にも及んでおり、撤退を行うには北側にしか逃げ道はない。
 クレアは最初こそ北側で防衛をしていたのだが、南側へ集結しつつある敵勢力に危機感を覚え、急遽進路を変更。南側へ向かい、広い範囲で遊撃していた。
 そこで、かなりの量の指揮官クラスを仕留めたはずだが、絶対量が多すぎるせいか、敵の勢いは留まるところを知らない。
 そんな中、間を開けて敵の主力部隊が北から攻め込んできていたのだ。
 周囲の陣は緩んだものの、北側からの圧力に押され、妖精族の守り手部隊はほとんど壊滅状態となっていた。
 父であるクレインが敵勢力を引き付けたお陰で、クォラルはどうにか里へ帰還したということだった。
 ――お父さん……。
 クレアは祈るように拳を胸に合わせた。
 無事であって欲しい。だが、状況は絶望的だ。
 何より……。
 里の防衛こそが、いや、今となっては住民の避難こそがクレアのやるべきことだった。
 家族の無事を祈るよりも、大切な役目だ。
 里の皆を守れるのは自分だけなのだから。
 だけど、それでも……。
 ――悔しいよ。大切な人を守れないことが……。己の力の無さが……ッ!
 自分のことを完璧超人のように慕ってくれていたフレアには思いも寄らないことだろう。
 クレアにだって、悩みがあった。弱さがあった。痛みがあった。
 失った家族もいる。超えられなかった壁もある。告げられなかった想いもある。
 どこにでもいるような、普通の女の子と同じなのだ。
 もしここで立ち止まってしまえば、きっともう立ち上がれないくらい、弱い存在なのだ。
 己の手で斬り殺した人間の数を、数えてしまうような。その怨嗟の声に苛まれてしまうような。そんな小さな存在なのだ。
 いつも隣にいてくれた彼が、今ここにいたのなら、たぶん泣いてしまっていただろう。甘えてしまっていただろう。
 でも。
 彼は今、ここにはいない。
 だから、泣かない。立ち止まらない。
 《女の子》は彼の前にしかいないし、現れることもない。
 ならば、そう。
 ――……今のあたしは、《守り手》よ!
 
――

 結論から言って。
 マーカスの凶弾はジンに当たることはなかった。
 しかし、それに気を取られて弾を防ごうとしたフライヤと、それにあとから気づき態勢を立て直そうとしたジンには、致命的な隙が生じていた。
 そこへ、上級黒服たちの銃弾がなだれ込む。
「こなくそッ!!」
 両手の剣を振るい、弾幕を弾こうとするジンだったが、同時に回避までは出来なかった。
 足が、縫い止められてしまっていた。
 その隙を逃すわけもなく、剣を構えた上級黒服たちが斬り掛かる。
「チィッ!! チンタラやってられへんな!」
 片足を軸に身体を旋回させる。
 ジンに集中していた銃撃と斬撃が四散する。
 そのまま擦れ違いざまに二人の黒服を斬り伏せるも、周囲に展開する黒服たちの総数はざっと二十以上。
 状況は芳しいとは言いがたかった。
 ほぼ同時に、複数の弾丸と斬撃が飛び交う中、ジンは懸命に刀を振り回し、弾丸を弾き、斬撃を退ける。包囲網を抜けようと足掻くものの、簡単に覆るような実力差があるわけではない。
 ジンは神経を摩耗させるような繊細な応酬を強いられていた。
 僅かな気の緩みがあれば、一気にねじ伏せられてしまうことだろう。
 だからこそ、ジンは歯を食いしばり、堪えていた。
 そんな状態にありながら、ジンの胸の内にはフライヤの無事だけが気がかりだった。
 だが、視線すら余所へ向ける隙もない。
 ただ、がむしゃらに、剣を振るうしか出来なかった。

 状況は、フライヤも同様だった。
 しかし、フライヤには若干の余裕もあった。
 もちろん、手を休めるような余裕があるわけではない。だが、視線だけなら余所へ向けることは可能だった。
 二人のその違いは、単純に処理能力の差であった。
 フライヤのほうがマルチタスクに処理が出来る。ただそれだけの違いではあったが。
 ――あいつは、キツそうか……。こっちも無理は出来そうにないね……。
 考えれば考えるほど、今の有り様は絶望的だ。
 囲んでいる黒服たちも雑魚とは違い、練度の高い上級兵たちだ。
 一人一人の戦力は通常の黒服とは段違いだし、フライヤたちには劣る力量ではあるものの、今はあまりに多勢に無勢が過ぎる。
 そのうえ、敵戦力には、四天王などと称されている《戦闘狂》マーカスまでもがいる。
 リロードのために一旦引いたとはいえ、すぐにまた戦線へ復帰してくるだろう。
 そうなれば対処は不可能になる。
 ――その前に……!
 やるべきことは一つ。
 包囲網の突破だ。
 四方から攻撃をされるという状況はいくら何でも困難極まるというものだ。
 だが、突破をするためには何かしらの手が必要になる。
 大技で隙を作る、という手もあるにはある。
 だが、問題はそれをやるには事前に隙が出来てしまうということだ。
 たった一瞬でいい。
 僅かな隙があればそこへ大技を叩き込める。
 そうして敵の態勢を崩せば、包囲網を突破するための足掛かりにはなるだろう。
 問題があるとすれば、そのための隙すら作れそうにない、ということだろうか。
 ――やれやれ、こういうときに限って、相方は頼りにはなりそうにないか……。
 必死に両手の剣を振り回している相棒の顔には余裕など窺えない。
 状況は、手詰まりと言えた。
 ――さて、どうしたものかしらね……。
 フライヤは、絶望的な状況でありながらも、それを楽しむかのように笑みすら浮かべていた。

 リロードを終えたマーカスは木陰に隠れた体勢のまま、舌を打っていた。
 ――ったく、20人掛かりで手こずってんじゃねぇっての!
 などと脳内では罵りつつも、その内心、マーカスは愉しくもあった。
 ――ま、これくらいのほうが、ヤリがいってもんがあるか……。へへへ……。
 戦況は逼迫している。
 だったら。
 この状況を更に混乱させることは出来ないだろうか。
 もっと混雑に、猥雑に、混沌とした混戦状態。
 誰が味方で、誰が敵なのかすら分からないような。
 周囲を疑い、足下すら疑い、自分以外の全てを殺さねば安寧など訪れないような、混乱の極み。
 ――嗚呼、それはなんて愉快な、ゲームだ。
 一寸先どころか、今この瞬間が無事なのかすら判然としない極限状態。
 神経を摩耗させ、闘争本能のみが闊歩する戦場。
 愉快だ。実に快楽だ。
 マーカスは中空に、スピードローダーを放る。
 銃弾を高速でリロードするための器具だ。もちろん、銃弾もセットされた状態だ。
 これは、使い切った銃弾を高速で再装填するための布石。
 そして、一気に銃弾飛び交う危険地帯へ踏み込んだ。同時に二挺のリボルバーが火を噴く。
 敵味方の区別すらなく。乱雑に、銃弾がばらまかれる。
 悲鳴が漏れる。血が飛び交い、いくらかの兵士たちが地面へと斃れてゆく。
 戸惑い、嘆き、慌てふためく彼らを、マーカスは嗤いながら撃ち抜く。
 狂乱状態になったマーカスと、惑乱された兵士たちは、全方位へ銃弾を掃射する。
 血が、悲鳴が、命が、撒き散らされる。
 不気味な嗤い声が、あたりに谺していた。
 その光景は、まさしく、阿鼻叫喚の地獄絵図そのものだった。

――

 地割れを眺めながら、佇んでいたのはアークたちだった。
「……やれやれ、土埃だけでなく、霧まで出てきましたか。もう、ここから探すのは無理でしょうかね」
 アークはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「地下水脈でも掘り当てたのか……? もともと薄暗かったんだ。これじゃあ視界はほとんど潰されたも同然だな」
 シークは崖下を覗き込みつつ首を振り、探索の断念に不承不承といった顔で同意するのだった。
「あいつらのことだ。どうにかなってるだろう」
「おやおや、大した信頼ですね。普段からもう少し素直になればいいのに」
「……冗談だろ」
 シークが声のトーンを落として振り返った。
 その顔色は、やはり優れているとは言いがたい。
「それに、あの地割れ……。嫌な予感がする。……あまり考えたくはないが……」
 シークが言い掛けたところで、アークがその先を告げた。
「ヴァルトニック、でしょうね……」
 思わず目を見開いたシークを、アークは一瞥だけして、目を逸らしてしまう。
「……お前、もしかして、あいつを……」
「ええ。見知った間柄です。私の故郷を滅ぼしたのは、彼ですからね」
 アークが言外に込めていた意味を読み取ったシークは、それ以上何も言えなかった。
 ヴァルトニックという企業がここまで巨大化したことの一番の理由は、とある国家の乗っ取りにあった。
 被害者であるアークはそこで彼と対面を果たしており、シークも加害者の一人として、一部始終をその眼で見ていた。
 だからこそ、二人はそれ以上の言葉を語ることはなかった。
「……あいつは、誰よりも、何よりも強い。……本当に、俺たちはあいつに勝てるのか……?」
 珍しく自信のなさそうな物言いのシークに、アークが眼鏡を持ち上げながら語りかける。
「勝てるかどうか、ではないのですよ。勝つしか、ないのです。我々が生き延びるためには。今はそのための絶好の機会なのです……」
 そう言うアークの言葉は、しかし、自らに語りかけるかのような、まるで言い聞かせているような、そんなふうに聞こえた。
 もしかしたら、この二人は暗に理解していたのかもしれない。
 初めから、この戦いには勝機などなかったのだと。

 フレアたちの探索を断念し、前進を決めたアークたちだったが、その行く手を阻む者は全くと言っていいほどに現れなかった。
 行けども行けども銃声や悲鳴が聞こえ、何処かで戦闘が起こっているらしきことは分かるのだが、その位置は遠く、歩みを止めるような要因にはならなかった。
 アークが足を止めたのはそれから十数分ほど歩いてからのことだった。
 始めに感じたのは臭いだった。それは酷い臭いだった。
 むせ返るほどの気持ちの悪い異臭。鮮やかな死の薫り。
 真っ赤に広がる血溜まりの中に、灰色の外套を纏った男が切り株に座っていた。
 灰色の外套の裾には、薄汚れた血痕がまとわりついている。
 男はアークに気づき立ち上がった。
 霧の奥から、無数の屍体が姿を現す。
 男が肩に背負っていた剣を振り下ろした。
 オートマチックタイプの銃剣、銀色に輝く死の残響。
 男は銀色の髪を風になびかせて詠うように呟く。
「逢いたかったよ、シーク……」
 シークはうんざりしたように息を吐くと、グリップを握り締めて答えた。
「ああ……。……そうだな」
 その細い声に込められた想いは、感嘆か、諦観か。
 背中を向けられては、アークにその心情は察することも出来ない。
 ただ、状況を見守るしか出来なかった。

――

 ギリギリギリ……と、締め付けられるような痛みにスピアは耐えていた。
 右腕を締め上げるワイヤーの先には二人の人間がいる。それとついでに一振りの槍が吊られている。
 先にいるのは問うまでもなく、フレアとリースだ。その下にはワイヤーが巻き付けられた大槍がぶら下がっている。
 その重量が、懸命に堪えているスピアを崖下へと引きずり込もうとしている。
 そのまま腕ごと引き千切られてしまうかというほどの重量に、歯を食い縛っていた。
 ――並の人間なら、そうなっちまうだろうがな……。
 スピアは口元に笑みを浮かべていた。
 そして、ぶら下がるフレアとリースの位置は徐々に上昇していく。
 スピアが持ち上げているのだ。
 筋力だけではとても支えきれない重量だろう。だが、気功術を使えばどうとでもなる重さだ。
 まして、スピアは筋力の強化など、シンプルな気功術を最も得意としていた。
 筋肉を動かす動きに、身体を動かすエネルギーに気功術を重ね合わせ、力を増強させる。
 そうすることで、人間二人分くらいなら片腕でも持ち上げられる。
 右腕はワイヤーを、左腕は地面を掴み、徐々に引っ張り上げる。
 引っ張り上げた右腕で地面を掴み、左腕で更にワイヤーを手繰り寄せる。
 僅かでも力が抜ければフレアたちに引っ張られる形で、スピアも谷底へ叩き落とされてしまうだろう。
 それでも、僅かずつ、少しずつ、引き上げる。
 細いワイヤーに揺られるフレアとリースの顔が段々と近づいてゆく。
 そして、スピアは気づいた。
 吊られた二人の顔色に心配の色は全くないことに。
 助かるということを全く疑っていない。
 たった一本のワイヤーに命を握られているというのに、それを手繰るスピアを信じ切っている眼だ。
 ――ったく、そんな眼で見るんじゃねえよ。こりゃ、ますます気は抜けねえな。
 ワイヤーを手繰る腕は、心なしか力強く伸ばされるのだった。
 
 どうにか一命を取り留めたフレア、スピア、リースはその場でへたり込んでいた。
「ったく、無茶しやがってよぉ。俺の槍にワイヤーが仕込まれてなかったら、お前ら二人とも死んでたぞ?」
 スピアは責めるような言葉を遣ったが、その言い回しは優しげだ。
「悪かったよ。まさかあんなに落ちるとは思わなかった」
「俺もまさかあんなに跳べるとも思わなかったけどな」
 フレアが情けなくこぼすと、スピアは苦笑して乗っかってきた。
 思わず、フレアも笑みを浮かべてしまう。
 顔を見合わせて笑い合う二人に、リースは重々しく口を開いた。
「ごめんなさい。わたしが逃げ遅れたせいで……」
 目を伏せて俯くリースに、フレアとスピアは首をぶんぶんと振ってそれを否定する。
「おいおいおいおい、参るなぁ。そういうんじゃねぇんだけどよ……」
「ああ、そうだぞ。気にするな。あの場にいたらオレでも落っこちてた」
 そんな二人の気遣いに気づかないわけもなく、リースは「ありがとう、二人とも……」と小さくこぼした。
 やがてそんな気遣いだらけの空気に嫌気が差したのか、スピアはよっこらせ、と実に年齢を感じさせる(と言ってもまだ三十そこらのはずだが)掛け声を上げて立ち上がった。
「……また崩れるかもしれんし、とっとと行こうや」
「そうだな。リースはともかく、スピアが落ちたら抱えて跳ぶなんて無理そうだしな」
「俺も兄ちゃんにお姫様だっこなんて、死んでもゴメンだ」
 男同士のむさ苦しいお姫様だっこを想像してしまったのか、クスクス……と笑うリースが最後尾にして、フレアたちは一路、木々の合間へと潜り込んでゆく。

 縦横無尽に伸びる枝葉を躱しながら、スピアはなんともなく訊く。
「で、兄ちゃんの故郷ってのはまだ着かねえのか」
 その声はどこか楽しげだ。フレアはその理由もよく分からないまま素直に答える。
「さぁな。山道全て踏破したわけでもなし、ここが何処なのかもよく分からねぇよ」
「……そっか」
 今度はどこか寂しげだ。その心情がフレアには理解できなかったので、直接訊くことにした。
「エルフの里に用でもあるのか? 人間の町に比べれば、ホントに何もない退屈なとこだぞ」
「何ィ!!」
 言うと、スピアは激昂したように声を跳ね上げる。……が、それは何も本当に怒っているわけではなく、ただ単純に声がデカイから怒っているように見えるだけなのだが。
「お前は何も分かっちゃいねえぞ! 良いか、《エルフ》、あ、いや《妖精族》はなぁ……」
 スピアは妖精族の蔑称を慌てて言い換えた。その気持ちがフレアには少し微笑ましく感じる。
「……俺の憧れなんだよ。俺の師匠のじいさんすら憧れてた異郷だぜ。世界最強の武術、龍騎道……その発祥の地が目の前にあるんだぜ。こちとらイヤでも血が滾るってモンよ!」
 スピアは熱い瞳で語っていた。
 フレアにとっては自分の親しんできた流派なので憧れるという感情はあまり理解できないのだが、そのように言われるとどうにもくすぐったい。
「……そうか。じゃ、期待してるぞ」
「応よ!」
 結局、どのような想いを抱いていようと、この戦いは防衛戦なのだ。
 勝たなければ死ぬ。勝たなければ滅ぶ。勝たなければ救われない。
 そういう絶望と隣り合わせの局面なのだ。
 だからこそ、プラスに転じるようなその思考は励みになるし、何より心強い。
 だが、絶望というものは、そんなささやかな光で照らし出せるほど底の浅い闇ではない。
 闇は気づけば世界を侵食し、足下を掬い取る。
 こんなふうに。
「お待ちしておりました。サツキ様」
 霧の向こうから現れたのは、傅いた少女だった。
 金色の髪に、右目には眼帯、背格好はリースと同じくらいで、服装も近い。
 黄色いシャツにシックな黒いプリーツスカート、太腿を包むハイソックスに腰から吊らされたナイフ。ナイフの柄からは鎖が揺れている。
 リースと違うのはそのカラーバランスと眼帯と、ナイフから伸びる鎖くらいだろうか。
 黄色い少女と茶色い少女。
 いや、まだ違いがあった。
 すっくと立ち上がった少女は、歓喜に震えた眼をしていた。
 その眼は。
 裏人格のリースよりももっと残酷な色をしている。
 凶暴性を孕んだ色だ。狂気的で、驚喜的で、凶器的だ。
 その眼は、リースだけを視ていた。
 それ以外を映していない。
 それ以外を認識していない。
 それ以外の存在を、一切許容していない。
 その視線に立ち塞がるようにしてフレアとスピアが双方、武器を構えた。
 少女は、笑う。残酷に、冷酷に。
「アハ、サツキ様……。今お迎えに上がります。ヒヒヒ……」
 その後ろで、リースは頭を押さえて、歯を食い縛っていた。
 まるで、何かを思い出そうとしているかのように……。

第十五章《剣姫の逃避行 -Blade Princess;04 GREAT ESCAPE-》

 砲撃の雨が降り注ぐ中、ブラハム=ゴルドルアーは苦い顔で汗を拭っていた。
 ブラハムの眼前には多くの木々が立ち並んでいる。森の入り口、と称すべき領域が口を開けていた。
 そこを取り囲むように展開していたヴァルト軍を背後から強襲したところまでは良かった。
 だが、森林を盾に取り、木々の合間から砲弾を撃ち込まれては、《明星》率いる戦車団たちも迂闊には手を出せない。
 森の中からあぶれてしまった一部の戦車や車両たちを潰すことは出来たものの、それ以上の攻撃は実を結ばなかった。
 結果、後方へ下がってからのおっかなびっくりな牽制攻撃を突発的に仕掛けるという、なんとも情けない有り様を呈していた。
 武勇に富んだブラハムとしては、なんとも情けない話であった。
 ――やはり、正攻法では厳しいか……。
 ブラハムとしては、もう少し敵方の陣形が崩れるものかと予測していた。だが、実際には、その動きは実に的確で素早い動きで、陣形を立て直して見せた。
 状況判断、そしてそこからの作戦展開。何より、整然とした陣形の再配置が、敵将の力量を示していた。
 数の理は向こうにあり、戦力差は明確。そのうえ奇襲後もここまで鮮やかに立て直されては、あまりにも分が悪い。
 この状況を覆すには、相応の武力か、はたまた、搦め手からの奇策が必要か。
 一人唸るブラハムだったが、そのすぐ横から小さな溜息が漏れる。
 振り返るでもなく、ブラハムはその溜息の主へ声を掛ける。
「アンタならこの状況をひっくり返せるか? ……参謀長殿」
「私の正確な役職は参謀長ではありませんが、その質問には答えましょう」
 淡々と、事務的な口調で答えたのはピンク髪の麗人、マツリだ。
「私の仕事は勝負に勝つことではありません。戦争で相手にダメージを与えることでもありません。主君であるアークの補佐をすることが私の務めです。ここでの私の役割は戦線を維持することであり、ひっくり返すことではありません」
 そんなことを告げるマツリに、ブラハムは返す言葉も思いつかない。
 唖然とした様子のブラハムに対し、マツリは尚も説明を続ける。
「現状維持です。その間に味方が何人死のうと、敵が泣いて助けを求めようと、やることは変わりません。貴方がここで死んだとしても、それは変わりません」
 そんな発言を聞いては、ブラハムは肩を竦める他ない。
「……そりゃあ、参謀呼ばわりして悪かったな、狂信者」
 呆れたように口にすると、マツリは少し目を丸くしたようにブラハムを見つめていた。
 そして、その機械的に無表情な横顔に、僅かに色が加わった。
 ぴくりと動いた表情筋から、その感情は上手く読めない。だが、なんとなくブラハムには分かってしまった。
 こいつは今、笑っていたな、と。

――

 逃避行が始まった。
 先頭はクレアだ。それを囲うように里の守り手たちが警戒網を広げ、しんがりをクォラルが務める。
 一行は北へ北へと歩みを進めながら、同時に周囲を観察していた。
 クレアの進行方向の左右から戦闘の気配を感じる。
 練られた気が獲物を威嚇するように周囲へと放たれている。
 懸念はある。
 このまま進んで大丈夫なのかどうか。
 戦闘地帯が移動したなら、巻き込まれる可能性はかなり高いだろう。
 かといって、遠回りするような時間も余裕も今はない。
 後方には怪物じみたプレッシャーを放つ大男がいる。あの男だけは里の誰にも勝てない。ゆえに引き下がることも待つことも出来ない。
 追いつかれないためには前へ進むしかない。
 決めればあとは進むだけだ。
 クレアは迅速に、そして慎重に歩を進める。
 戦闘を行っている左右から気取られないように静かに。
 里の一行もそれに従い、慎重についてくる。
 非戦闘員とはいえ、それでも妖精の端くれ。気功術程度なら扱えるのだ。ゆえに気配を殺すくらいなら朝飯前。
 油断は出来ないが、必要以上に心配することもなく、前進する。
 進めば進むほど、気配は強まってゆく。追い越すにはまだ距離がいるだろう。
 だが、ここで焦れば全てが水泡に帰す。
 気を殺し、前へ。ここが第一関門だ。

――

 『サツキ様』。そう呼ばれてからのリースの様子がおかしい。
 痛みに耐えるように頭を押さえており、表情は苦痛に歪んでいる。
 対するリースと似た恰好をした金髪の少女は、不気味に笑い声を上げているだけだ。
 その対比はあまりにも対照的で、見ていて気味が悪い。
 普通に考えるなら、金髪の少女が何事かを仕組んでいて、リースがそれに苦しめられている、というふうに解釈をしたほうが自然だろう。
 そう考えたフレアは少女に詰め寄ろうとした。
「おい! お前、リースに何をし……」
「黙れ!!」
 突然の咆哮。少女は怒り狂った様子で声を荒げる。
 その変貌ぶりに、フレアは抗戦の意を削がれてしまう。
 少女はナイフを抜いて、周囲に殺気を撒き散らす。
「テメェ邪魔すんじゃねぇよ。アタシとサツキ様の間に割って入ってくんじゃねぇよ。死にてぇのか」
 今度はぼそぼそと呟くような口調だ。ともすれば聞き逃してしまうかというほどの。だがしかし、その不穏なワードのオンパレードな台詞はとても聞き流せるようなものではない。
「ああもう邪魔だ目障りだ殺そう殺すしかないやっぱりそれが一番だ。じゃあ殺す殺してやるくびり殺してやる原型も残らないくらい無残に凄惨に死にさらせよこのゴミ屑が」
 ぶつぶつと呟きながらも殺気はなおも増大してゆく。
「おいおい、物騒な嬢ちゃんだな。それにサツキってのは誰なんだ。まさか……」
「サツキ……、その名前は確か、前にも聞いたような……」
 呆れ顔のスピアに、フレアは頷きつつ思案する。
 何処だっただろう。思えど、簡単には思い出せない。
 リースのことを知っていた人物……?
 ところが、思考は長く続かなかった。
 ナイフを持った少女の姿が、突然消えたからだ。
「何処へ……ッ!」
 周囲を窺うフレアとスピア。だが、答えはすぐに明かされた。
「サツキ様。私です。エリィです」
 声は背後から聞こえていた。いつのまにか回り込まれていたのだ。
 少女は感極まったような語調でリースへと語りかけている。
「貴女の忠実な部下です。誰よりも美しく誰よりも誇り高く、誰よりも強い、……サツキ様。ああ、サツキ様。貴方様との御拝顔の栄を賜れた今日という日を、私は生涯忘れないでしょう。この日をお待ち申し上げておりました……」
 その姿は、やはり狂的だった。
 思わず後退りしたくなるような、怖気の走るような、狂信。
「もう演技は必要ありません。本来の姿を取り戻してください。本当の貴女を。偽らざる貴女の姿を。貴女の真実を。本当の、《疾風五月(ハヤテサツキ)》を!」
 その声をきっかけにしたかのように、リースは再び頭を押さえる。
 しゃがみ込み、苦痛に悶えている。
 それを眺めるエリィと名乗った少女。
「サツキ様ッ!!」
「リースッ!!」
 互いに呼びかけ合う二人。
 リースは這いつくばるようにして、痛みに耐えている。
 その視線は、上へ向けられている。
 その先にはエリィがいる。そしてフレアがいる。
「アタシは……ッ!」
 懸命に前を見据えるその鋭い眼差しには誰が写っているのだろうか。
 エリィへの悪意か。フレアへの悪意か。
 リースは、答えない。
 だが、その険しい眼光には、確かな殺意を宿していた。

――

 気づけばリースは、水音の中にいた。
 重力を失った世界。
 光は遙か上空で揺らめくばかりだ。
 暗い。冷たい。怖い。
 遠い上方でたなびいている光のカーテンは、おそらく水面だろう。
 ならばここは水中だ。
 自分は水中に沈んでいるのだ。
 答えは同時に疑問を生み出す。
 何故、こんな所にいるのだろう。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 ぼんやりと水中を漂いながら、リースは呆然と、そんなことを考えていた。
 水面はさらに遠ざかり、見えなくなってゆく。

『サツキ様! どうして私を連れて行ってくださらないのですか!?』
 脳内に響いた声に、思わず目を丸くする。
 問い掛けてきたのは金髪の少女だ。名をエリィと言う。
 確か、彼女も戦争孤児で、リースと同じようにヴァルト社に引き取られたらしかった。
 リースの部下を命じられてからというもの、あらゆる命令に忠実に従う番犬のような娘だった。
 同い年で幹部候補にまでのし上がったリースを心底尊敬しているらしい。全く以て阿呆らしい。
 忠実に指示に従えば、それで出世できるとでも思っているのだろうか。
 あるいは、それでリースのような強さを身につけられるとでも思っているのだろうか。
 どちらにせよ、阿呆らしい。
 いちいち部下を躾けるのも面倒だったリースは彼女を適当にあしらい続けた。
 それでも執拗に指示を請うものだから、扱いはさらにぞんざいになっていった。
 冷たく当たれば当たるほど、エリィは叱られた犬のようにシュンとなって落ち込んだ。
 これでいい。そう思った。だがしかし。
 翌日からまたも熱烈に挨拶を交わされる。
 生き生きとハツラツと元気一杯に頭を垂れてくる。
 それはそれは、もう、どうしようもないほどに、阿呆な娘だった。
 正直な話、これ以上冷たく当たるには、軍規に抵触するくらいの苛烈なアクションが必要だったのと、そうまでして彼女を遠ざけたいのかという心情を鑑みた結果。
 リースは態度を軟化させるという行動に至った。
 頑なだったリースの心づもりを、少女の献身が打ち破ったのだった。
 とはいえ、その行動は、献身と一言で片付けるのは少々難があった。
 というのも、風呂にもトイレにも同行を願ったりと、その行動はちょっと常軌を逸していた。
 だというのに、最初は迷惑がっていたはずなのに、何度も繰り返すうちにそれに慣れ親しんでしまったリースは、順応性が高すぎたのだろうか。
 そんな接触を繰り返し、いつしかそれが当たり前になった頃の話だ。
 話は冒頭へと立ち返る。
『サツキ様! どうして私を連れて行ってくださらないのですか!?』
 エリィはそう問うたのだった。
 リースは答えた。
『仕方ないでしょ。アンタを連れてけばリスクが高くなる。良いかい、これは簡単な任務じゃないんだよ』
『でも……!』
 頬を膨らますエリィをリースは睨みつけて黙らせる。
 案の定、強ばった少女の頭をリースは撫でてやる。
『アタシが信用できないのかい?』
 ……それは出会った当初を思えば有り得ないような諭し方だった。

 五月。それはただの識別名でしかない。
 五月に拾われたからサツキ。ただそれだけの名前でしかない。
 疾風。それは字。与えられた名前だ。
 風が吹き抜けるように、影が舞うだけで、いくつもの命が散った。
 花弁を落とす草花のように、人体を切り刻んだ。
 あとに残されるのは、血と屍。それだけだ。
 それが彼女に与えられた名前。
 疾風五月。
 リースという名前を与えられるもっと前に、彼女が名乗っていた名前だ。
 殺した数は知らない。少なくとも数えられるような数ですらない。
 腕を振った回数を覚える人間はいない。それと同じだ。
 歩いた歩数を数える人間はいない。それと同じだ。
 食事をした回数を数える人間はいない。それと同じだ。
 生きるために、人を殺し、それだけを繰り返した。
 そうやって生きてきた。そうするしかなかった。
 それ以外の選択肢はどこにも残されていなかった。
 だから疑問も感じない。何の疑問も湧かない。
 ただ、当たり前のように殺した。
 ただ、それだけだった。

 始まりは知れない。
 どこでボタンを掛け違えたのだろうか。
 どこで間違えたのだろうか。
 徐々に狂いだした歯車は、キリキリと気持ち悪い音を立てながら廻り続ける。

 少女は、理解した。理解してしまったのだ。
 自身が、記憶喪失のリースではなく、ヴァルト社暗部の殺し屋、疾風五月であることを。

――

 リースはゆっくりと目を開いた。
 目の前には金髪の少女がいる。
 あの時よりも随分と強くなっている。それが肌身に染みて理解できる。
 それは何処か嬉しいような気持ちと、何処か寂しいような気持ちとが鬩ぎ合う、不思議な感覚だ。
 自然と言葉が出る。
「あれから随分と成長したのね、エリィ……」
 その言葉を聞き、途端にエリィは涙を流した。
 フレアのほうは呆気にとられている。だがそれも詮ない話だ。
 記憶が蘇ることなど、ましてや、こんな状態の少女と知り合いだなどと、想像は出来まい。
「あと、ごめんね。フレア……」
 リースは目頭が熱くなっているのを感じていた。
「わたし、ううん、アタシ……、ただの人間じゃないんだ」
 震えてつっかえそうになる唇を、なんとか動かした。
「そう、アタシは、………………人殺しなんだ……」
 諦めたように、呟いた。
 それは告白の言葉でもあって、決別の言葉でもあった。
 ――もう、アタシは、何も知らなかったわたしには戻れない。……ううん、違う。
 リースは首を振る。
 ――アタシは、初めから、何もかも間違えていたんだ!

 キィン!

 と、ナイフを抜き放つ。
 過去は変わらない。変えようがない。
 終わってしまった事実は、そこに冷たく横たわるだけだ。
 だからこそ、終わらせる。
 この関係性を、終わらせる。
 ボタンを掛け違えたのなら、全部まとめてぶった切ればいい。
 それで全てが丸く収まる。
 ――ああ、なんだ。簡単なことじゃない……。
 なのにどうしてか、リースの視界は歪んでゆく。
 頬が、濡れる。
 雫が、落ちる。
 それは、一つの淡い恋心が、儚く散った瞬間だった。
 それでもいい。どうだっていい。
 このナイフが、全てを終わらせる。幕を、引く。引いて、裂く。
 ――こんなアタシは、もうフレアの隣には居れない……。居ちゃ、いけない……。だから……ッ!
 分かっている。簡単な話だった。
 もう一度、『サツキ』に戻るだけだ。
 あの瞬足の、殺し屋に。

――

 シークの脳裏には一つの光景が思い出されていた。
 映像はスローモーションで再生される。
 真っ赤な鮮血と、舞い上がる銀髪。
 シークは絶望を胸に抱きながらその光景を見つめていた。
 指一本動かすこともなく、まばたきすら忘れ、見入っていた。
 ただ、見ているだけだった。

 よく考えれば簡単に分かる話だった。
 人生というものは、それほど虫の良いものではないのだと。
 それでもなお、楽観的な思考を信じていたのは、想像力が欠如していたのかもしれないし、単に甘えていただけなのかもしれなかった。
 ただ、シークはそんな紙一重の幸せが続くものだと信じていたし、疑う余地などないのだと考えていたのだ。
 そして当然のごとく、甘い予想は裏切られることになり、現実というものは、その世知辛い側面を惜しげもなく晒すことになるのだった。

 その日、シークの母は死んだ。
 人間によって、殺されたのだ。
 人が人を殺す理由などいくらでもあるだろう。
 怨恨、強盗、強姦、人や物の独占、憂さ晴らし、逆恨み。そして、迫害。
 例えば、幸薄い貧乏な街々があったとして。例えば、歴史上多くの不幸を招いた民族がいたとして。 
 溜まりに溜まった不満や鬱憤を、晴らす場所すらなかったとして。
 その矛先が彼らに向かったとして。
 果たして誰が彼らを責められよう。
 そんなふうにして。
 何処にでもあるようなありふれた貧民街の連中が、とある事情から差別を受けていたフォーレス家を執拗に攻撃し、暴行した。
 未遂ならば今までいくらでもあった。
 その程度の逆境は幾度となく越えてきた。
 だが、それは綱渡りのような神懸かり的なバランスで回避してきたのであって、避けられて当然というわけではないのだ。
 だから、それは起きた。起こるべくして起こった。
 というより、今まで起こらなかったということのほうが不思議なくらいだったのだ。
 たまたまシークと母が二人でいた時のことだった。
 突然、三人の男たちに囲まれ、刃物で斬りつけられた。
 その凶刃を受け止めたのは母だった。
 鮮血が、舞った。
 母は、静かに微笑った。
 まだ幼かったシークを(この時はまだシークは八歳だったが、もっと幼い頃、4~5歳の子供に向けるような優しい笑顔で)安心させるように微笑を見せた。
 その口元から、赤い雫が溢れる。
 倒れる母を、少年シークは見つめることしか出来なかった。
 あの頃の弱い自分は、守られることしか出来なかったし、現実を受け止めることすらも出来なかった。
 シークは見ていただけだった。
 その目の前で、母は死んだ。
 たなびく銀色の美しい髪だけが、鮮烈に目蓋に灼き付いて離れなかった。

――

「アルテリーク=フォーレス。俺にとって何よりも大切な人の名前だ」
 灰色の外套を赤く染めた男は、ぽつりと、そう呟いた。
 それにアークは怪訝な表情を浮かべる。それは今までに聞いたことのない名前だったからだ。
 しかし、フォーレス、という名字には浅からぬ因縁があった。
 『フォーレス家』。かつて古き時代に人間王として君臨していた者の名前だ。
 そして、それ故に妖精戦争に人間族が敗北した際、民衆から一斉に蔑まれ、疎まれた一族の名だ。
 荒廃の元凶にして、衰退の象徴。
 彼らは住む土地を持たない、追われ迫害される一族となった。
 妖精戦争終結より一万年経過した今も、その歴史は忘れられることもない。
 止むことのない軋轢が、そこにはあった。
 その立場が大きく変わったのは、僅か十年前。
 一つの王国が乗っ取られたのだ。たった十人にも満たない一団に。
 そのうちのほとんどはフォーレスの血筋を引いているというだけの、特に特筆すべき点のないただの剣士、あるいはガンナー程度でしかなかった。
 ただ一人。
 たった一人だけが、常軌を逸していた。
 名を『ヴァルトニック=フォーレス』という。
 剣を振るえば三十人を薙ぎ払い、銃を撃てば百人の軍勢を統べる指揮官の眉間だけを的確に狙い撃つ。
 軍を指揮させれば圧倒的に不利な戦況すらも打開して見せ、城を守らせればあらゆる計略を看破して見事な防備をこなす。
 言うなれば、それは超人だった。
 世の中には《龍の血を継ぐ天才》が世界を揺るがし、歴史の刻み手となると云われている。
 アークは知っている。
 《龍の血族》の一人を。
 究極無比なる人物を。最強の剣士を。天賦の才の持ち主を。
 ゆえに分かるのだ。常識では計れない天才。ヴァルトニックもその一人なのだと。
 ほぼ、たった一人からなる軍勢で国を滅ぼした覇王。
 ヴァルトニック=フォーレスは、《スカーレット・イリス》だと。
 アークにとって、『フォーレス』という名はそれだけである種の畏怖を抱かせるジョーカーだ。
 その血筋の者が、シークであり、今目前の男が口走ったアルテリークという名の人物なのだ。
 男の返答に答えたのは、シークだった。やはり浅からぬ因縁があるらしい。
「忘れるわけないだろ、当たり前だ。そこまで俺は親不孝者ではないつもりだ、ジーク」
 懐かしむような、声音ではあるが、その立ち姿には明確な闘志が宿っている。
「……そうだな。さすがにお前は覚えているよな。俺たちの目の前で死んだ、母さんの名前だ」
 二人は得物を構えたまま、語り合っている。行動と口調がちぐはぐではあるが、何故か違和感は感じない。まるでこの状態こそがこの二人のあるべき関係性であるかのようだ。
「やっぱりアンタらは、こういうやり方を選んじまうんだな……」
 シークが少し寂しげに呟くと、ジークと呼ばれた男は僅かに闘志を燃え上がらせた。
「……そうか。お前は、やはり味方にはならないか……。親父は最後までお前を信じていたというのに……」
「……期待なんかするから裏切られるんだよ、馬鹿野郎ッ!」
 それは、どこかフレアとの仲違いを思い出させるような言い回しだった。
 そして、そのシークの喧嘩腰な発言をきっかけにして、二人は身構えた。
 ジークは、叫んだ。
「邪魔をするなら、斬る。例えそれが同じ血を分けた、弟だとしてもな!」
 シークの得物は、銃剣。そして、ジークが右手に持つ、その武器もまた――

 ――銃剣だった。

――

「ヒィ……、ヒィ……、ヒィイ……」
 男は、脂汗を全身に浮かべながら、荒く息をついていた。慣れない山道を全力で疾走してきた。それも片腕を失った状況でだ。
 身体中が軋み、動く度に激痛が走る。
 それはあまりにも無様な有り様だった。
 こんな筈ではなかった。こんなのは、あまりに自分らしくない。男はそう考えていた。
 そんな折、正面から足音が聞こえた。どうやらこちらを目指しているらしい。
 男は、ぼんやりとそちらを眺めていた。
 不思議と、危機感というものはない。
 今、この状況でもちらに向かってくる者は、味方に違いないと、そう予測していたからだった。
 そして、その予測は当たっていた。
 視界に映ったのは黒服の男たちだ。自分が身につけているものと比べて、飾り気の少ない下等な者たち。
「ドルフ様! ご無事でしたか!?」
 男たちは、駆けつけるなり担架を広げ始める。どうやら負傷の報せを聞いてやってきたらしい。
 担架に乗せられ運ばれる中、残った左腕を強く握り締める。
 煮えたぎる憎悪を消化しきれぬのか腕はプルプルと震え始める。
「許さん……ッ!」
 ドルフは、静かに吠えた。
「この恨みは必ず果たしてやるからなァッ……!!」

第十六章《剣姫は五月雨に打たれ -Blade Princess;05 May-be May...?-》

 ガキィィイイン!!

 ナイフが受けられ、耳障りな金属音が咽び泣いた。
「どうして……」
 刃を向けられた相手は困惑のままに問うしかなかった。
 戸惑い、焦り、混乱し、そんな複雑な感情を払拭するかのように大声で叫んだ。
「どうして、貴女と戦わなければならないのですかッ!? サツキ様!!!」
 慟哭の声は哀しく空へ響き渡る。
 その視線の先には、悲壮な顔をしたリースがナイフを握り締めていた。
 リースは目を伏せて、言う。諦めたように、それでいて何かを必死に守ろうとするかのような声音で、言う。
「終わらせるんだ、アタシの……。……過ちを」
 同時に。エリィは絶叫した。
 女性らしい金切り声ではない。猛々しい獣のような声だ。
「イヤだ……。イヤ……ッ! うわぁぁぁあああああああああああああああああ!!!!」

 端から見ているフレアには二人の心情は察せない。もちろんスピアだって完全に置いていかれている。
 ただ、それを妨害したり、割って入るような無粋な真似は、さすがにやろうとは思わなかった。
 この戦いは、二人のためのものだ。
 それが、フレアとスピアの共通認識だった。

「……ォォオオオオオオオオッッ!!」
「……ハァァアアアアアアアッッ!!」
 両手に二本、一対のナイフを構えた少女たちが激しくしのぎを削っている。
 リースの突進をエリィは弾き、すかさず繰り出されるカウンターをリースはもう片方のナイフで捌く。
 次いで放たれたのはリースの足払いだ。近接戦闘の要である足は、二人の戦闘においてかなり重要なファクターを占めている。
 エリィもそれを読んでいたのか、ブーツの臑でその足を受け止める。
 だが、リースの攻撃はそれだけで終わりではなかった。
 いつの間にか、軸足の代わりに両腕を地面についていて、残った足がエリィの後頭部へ狙いを定めていた。
 ブーツで蹴りを受け止めた直後だ。身体のバランスは崩れつつある。
 この状況で反撃に徹するのは危険だ、とでも判断したのだろう。エリィはそのキックを受け流すように後方へ自分から吹っ飛んだ。
 手応えで攻撃がいなされたと分かったリースは、すぐに立ち上がる。
 エリィも額から血を流してはいるが、大したダメージではないのだろう、そのまま構えへ移行していた。

 攻防は、膠着していた。実力は同等。状況は五分。
 リースは、肩で息をしつつ、額から垂れる雫を拭った。
 汗か。あるいは、結露した霧だろうか。
 わずかに逡巡し、やはりどうでもいいか、と視線を前へと向ける。
 その先には、金髪の少女がいる。
 服装も、戦闘スタイルも、おそらくはリースを意識したものだ。
 それは戦い方が似ているという意味でもあり、同時に相対が困難な相手だということでもある。
 エリィは強い。それは先程の数合のやりとりで分かったことだ。
 記憶の中のエリィとは比べるべくもなく。
 体術も上達しているし、気功術の能力も向上している。
 やはり一筋縄ではいかない相手だ。
 だが、勝算がないというわけでもない。
 以前指導した際、リースが自分の全てを披露したわけではない。
 教えたのは基礎的なことでしかなく、本格的な技術は後回しにしていた。
 たとえば。
 歩法だ。
 リースはエリィを取り囲むように駆け抜ける。
 たった一人からなる包囲網。
 "疾風刹陣(しっぷうさつじん)"。
 『飛行』でもなく『歩行』でもなく、『疾行(しっこう)』。
 それこそが、サツキが編み出した独自の歩法であり、それを最大限に生かすための戦法。それこそが"疾風刹陣"。
 高速で取り囲まれた相手は、もうこちらを認識することすらできない。
 状況を把握すらできず、死ぬだけだ。
 できれば元の弟子を殺したくはないが、手加減はできないだろう。
 何より、戻った記憶がそれを許さないだろう。
 サツキが腕を振るえば、そこには死しか訪れない。
 それはもう、決定された事実なのだから。
 こちらを認識できなくなった相手を仕留めることは、花を摘むように容易い。
 寂寥の念を胸に浮かべながらも、リースはナイフを突き出し、

 その刃は、エリィを貫かなかった。

 否、貫けなかったのだ。
 何故ならばリースのナイフは、受け止められていたからだ。
 エリィに。
 エリィの持つナイフが、リースのナイフが描く軌跡を塞いでいたからだ。
 そして、目が合う。
 エリィの目がわずかに細められる。
 嬉しそうに、その頬が揺らいだ。
 リースは、息を呑んでいた。
 ありえない。ありえるはずがないのだ。
 未だかつて、この技を見切った相手はいない。
 もちろん、ヴァルトニックが相手ならば分かる。
 彼ならば、どんな攻撃も見破り、打ち破り、破り抜くことだろう。
 だが、相手はエリィだ。
 まだ幼い少女でしかない。
 ほんの数年前まで人も殺したことのなかった、ただの小娘にすぎなかったはずだ。
 成長するのも分かる。理解できなくはない。
 だが、これほどの成長が。起こりえるというのだろうか。
 このわずか数年で、ここまで追いつかれるだなどと、そんなことが。
 ありえない。ありえるはずがないのだ。
 こんなことは絶対に、ありえない!
 リースは、身を引いた。
 地に足を滑らせ、若干の距離を取る。
 そこから。
 狙いを定める。
 油断だ。間違いない。リースは歯を剥いた。
 さきほどの一撃は手を抜いてしまったに違いない。
 だから躱された。受け止められたのだ。
 ならば、今度は、殺す。
 自分がバカだった。リースは後悔していた。
 戦いで手を緩めるなど、どうかしていた。
 思い出せ。あの時のことを。サツキがしていたことを。
 無遠慮に。禍根なく。無感情に。当たり前のように。
 ――エリィの頸動脈を、断ち切る。
 一足目からの全力疾走。流派によっては縮地などと呼ばれる神速の領域。
 そこへ更に気の放射を乗せて、リースの出しうる最高速度でその首へナイフを振るう。
 "疾風絶迅(しっぷうぜつじん)"。
 地を滑りながら、リースは着地する。
 わずか一瞬の出来事だった。
 その軌跡を、鮮血が繋ぐ。
 地面に血が、撒かれる。
 リースのナイフには一滴の血すら付いていない。
 だが。
「そうか……。そういうことですか……。サツキ様……、私は、哀しいです」
 背を向けたリースへ、エリィはポツリポツリと独白のように想いを吐露していた。
「貴女は、こんなにも弱くなってしまったのですね……」
 ガフっと、リースは血を吐き出した。腹には鋭い痛み。斬られていた。いつの間にか。
 エリィは鮮血に塗れたナイフを、舌でゆっくりとなぞっていた。
 垂れる蜂蜜を舐め取ろうとする子供のような仕草に、寒気が走る。もっともその寒気は失血に起因するものかもしれないが。
「もう、サツキ様は、ここにはおられないんですね……」
 少女の声が、断罪を下すハンマーのように、リースを絶望へ突き堕とした。

――

 それは銃声か、剣戟か。
 爆音と共に飛び出したのはシークだ。そのまま背中から古木へと叩きつけられる。
 爆炎の中では、さらに数度の撃ち合いが繰り広げられている。
 煙が風に流され、アークの姿が垣間見える。
 対峙しているのは、ジークだ。
 血色のコートを翻して戦うジークはさしずめ狂戦士だ。
 《狂戦士》の名はもう一人の四天王、マーカスのものだったはずだが、もはやこの域になると称号など関係ないようだ。
 彼らが本気で戦えば、それはもう、《狂戦士》であり、策を弄すれば《死の軍師》、闇夜に紛れれば《執行者》であり、軍備を整えれば《不死の将》である。
 その全てが尋常ではなく、超常の存在。
 改めて考えるまでもなく、それが当然の事実であり、歴然の真実であった。
 四天王などという、大仰な異名は伊達ではない。与えられるべくして与えられた名前なのだ。あるいは勝ち取った、と表現すべきか。
 いずれにせよ、シークとアークにとって、《不死の将》ジークは強大な壁となって立ち塞がっているのだった。
「ハァ……、ハァ……、……くそッ!」
 シークは痺れる腕に気を送り込み、運動エネルギーに変換することで、強引に鋒をジークへと向ける。
 鋒は、銃口でもある。
 銃弾では弾かれるだろうが、気弾ならばおそらくは……。
 眩む視界の中、シークは引き金を引くが、

 突如、視界は暗転する。

 背後にあった古木が半ばから折られ、視界を遮ったのだ。
 あとから、気づく。
 アークとジークの撃ち合いのなか、一発だけ銃剣らしくない、剣戟を孕まない銃声が混じっていた。
 おそらく、一撃をこの古木に向けて撃っていたのだ。シークの反撃を予期したうえで。
 それは、圧倒的な技量差を思い知らせるのに充分な所作であった。
 それでも、シークはこの戦いを降りるわけにはいかない。
 たとえ勝ち目がなくても。敗北しても。死んでも。
 復讐に狂った一族を止める。
 それが、シークがこの戦いに懸けていた想いだった。


 アークはというと、ジークと対峙しながらも、その胸中はシークへ向けられていた。
 無論、懸想などではない。さすがに道中で繰り返した寸劇は全て冗談だ。アークにそのケはない。
 思うことは、シークを如何に死なせるかであった。
 それは、ヴァルトニックに与するというわけではもちろんなく、その目的は打倒にこそある。
 精霊との契約。
 それを果たすには、やはり一度、死の淵へ赴いてもらうのがいちばん手っ取り早い。
 しかし、それは可能性の話だ。
 あくまで死の間際には精霊と接触しやすいということ。そして、精霊に接触さえできればかつての自分と同じように生還できるだろうということ。
 この二つを満たせるがゆえに、決死隊に近い形でここへ潜り込んだのだ。
 だから人数は最小限で良かったし、正直な話、アークとしては、妖精族を救えなくても良かった。
 この中で何人かがアークと同じように仙術に目覚めてくれればいい。
 あわよくば、ヴァルト軍に打撃の一つでも加えられれば儲け物だ。
 そう思っていた。
 だが、拳と剣を交えて分かったことがある。
 敵は想定以上に強い。
 やはり全員の生存と、仙術の会得は必須と言っても過言ではないだろう。
 そのためには、現状はあまり好ましくない。
 アークが手を塞がれていることも。シークが機を狙っていることも。ジークがわざと戦況を膠着させていることも。
 よって、何かしらの対処が必要だろう。
 とは言っても、仙術は使えない。ここで手の内を敵に掴ませるのは下策だ。仙術はまだ隠しておきたい。
 ならば。
 アークは、繰り出された胴への一撃を腹と腕で押さえ込む。と、同時に爆炎がアークを包み込む。
 言うなれば、自滅行為だ。
 銃剣による斬撃は爆炎を伴うので掴み技とは相当に相性が悪い。
 だが、それは常識的な観点から物を言えばの話でしかない。
 たとえば、銃剣の一撃を受け止めきれるだけの強固な守備力があればどうだろう。
 爆風など、そよ風でしかない。
 アークにとっては、銃剣の一撃など、些末なものでしかなかった。
 身体を気で満たし、防御に専念すれば、どうということはなかった。
 もちろん、反撃に気を割いていれば、こうも簡単にはいかなかっただろうが。
 これをジークが機と見てくれれば戦況は移り変わらざるを得ない。
 果たして、ジークは攻勢に転じた。元より攻勢ではあったものの、より苛烈に攻撃を繰り広げてくるようになる。
 ――これで尚更に、防御することも厳しくなりましたか……。
 だが、アークにならば、その攻撃をいなすことも不可能ではなかった。
 そして、ジークに生じるであろうその隙を、シークが付け狙う。
 隙は、まだない。
 連撃を放ちながらも、ジークは隙の少ない動作で攻撃を繰り返すばかりだ。
 これでは、わざわざ攻めさせている意味がない。
 動きを観察しながら、アークは思う。
 この男、ジークの戦い方はシークを良く似ている。髪色や口振りなどから鑑みても、やはり血縁者なのだろう。
 そして、同じ相手から剣を習った、というところか。
 ゆえに、シークとジークは剣を交えていないのだろう。
 直接相対するにはリスクが大きすぎる。お互いにその技の利点も弱点を知り尽くしているのだから。
 だから狙いは、アークなのだ。まず第一に不確定要素を潰しておく。それがジークの思惑だろう。
 あるいは……。同族同士という観点から感情的に剣を交えにくいという可能性もないわけではないか。
 ――しかし……。
 このまま守勢に回り続けても、状況は好転しないだろう。
 向こうは余力を残しているようだし、シークはやはり隙を付け狙っている。
 この状況で連携などできようはずもないし、現状、シークとの意思疎通もできていない。
 ――致し方ありませんね。一か八かにはなりますが、反撃させていただきましょうか!
 向かってくる銃剣を、弾く。
 銃剣特有の衝撃が拳を揺らすものの、痺れさせるには至らない。
 所詮、敵の持つ剣は一本。超近距離に持ち込めば打つ手などない。
 アークは正拳を抉り込むように鳩尾へ打ち込んだ。しかし、気で防御されてしまい充分なダメージにはならない。
 もう一撃を打ち込もうと、右足を振り上げた瞬間に、アークはそれを見てしまった。
 ジークの右腕は弾かれていて、反撃も防御も間に合わない位置だ。が、しかし。
 左手にもう一本の銃剣が、握られていた。
 ――外套の裏に隠せるような、折り畳み式の銃剣、ですか!
 右腕に持つ銃剣と比べると一回り小さいサイズだ。
 だがその分、小回りが効くのか、鋭い軌道を描いてアークの眉間へと伸びてくる。
 その一瞬。
 既にお守りを使ってしまった自分には、死の淵より蘇る方法が存在しないということを今更ながらに思い出したのだった。

――

 徐々に歩を進めてゆく。
 クレアは木々の合間から身体を乗り出し、周囲へ監視の目を送る。
 ――……だいじょうぶみたいね。でもここからは、簡単じゃなさそう……。
 かなり慎重に進行しているが、そもそも敵の気配は感じられない。ここまでは罠も仕掛けられてはいない。
 とはいえ、これからもこのままとはいかないだろう。
 何故なら、敵の気配は確実に濃くなってきているからだ。
 ここから先は敵の警戒網に引っ掛かる可能性が高い。そのうえ、気配は三方向から感じられる。
 前方はまだ幾分か距離があるだろう。残りは左右の二方向だが……。どちらもかなり近い。
 今は戦闘中のようで、警戒そのものは散漫になってはいるが……。クレアは背後を見やる。そこには70人前後の妖精たちがいる。
 これだけの人数だ。いくら戦闘中とはいえ、気づかないということはないだろう。
 そして気づかれれば最悪だ。あとは散り散りになって逃げるしかない。生存率は……、格段に下がる。
 全員を生存させるには、気づかれないのが最低条件。気づかれれば、それで終わりだ。
 その鍵を握るのは、クレアだ。クレアは、ぎゅっと、胸元の羽根飾りを握った。
 それは、里を出る前にフレアがくれたもの。修行中に見かけた怪鳥が落としたもので拵えたなどと言っていたのを思い出す。
 ふわり、と胸に懐かしい香りが蘇る。フレアがすぐ傍で笑っているような錯覚さえしてしまう。
 それがクレアに活力を与える。
「よしっ!」
 名残惜しそうに羽根飾りを手放すと、不思議と不安は消え去っていた。
 ――里のみんなは、私が絶対に守り切ってみせる!!
 クレアは、迷いなく足を踏み出した。

第十七章《やがて五月雨は止み -Blade Princess;06 May-be Rain-》

 薄れゆく視界。遠ざかる感覚。
 ――この感触、どこかで……。
 リースは自らの体重を支えきれずに膝をついた。その眼は、現実を視てはいない。
 ここではない何処か。存在し得ないいずれかを懸命に視ようとしていた。
 そこに意志はない。無意識の自我。彼我の境地とでも言うべきもの。
 思うわけでもなく、感じるわけでもなく、ただひたすらにそれを念じていた。
 虚空の彼方、見えざる領域にそれがあるかのように、無心になってその糸を手繰る。
 あるいは、手繰られてゆく――。

 リースが倒れるのを待つこともなく、フレアとスピアは走り出していた。
 勝敗は決した。だからこれ以上はもう傍観者に徹する必要はない。いや……。
 もう、傍観者には、なりたくない。
 二人の胸中は、そんな想いで満たされていた。
「「うおおおおおおおおっ!!」」
 怒濤の勢いでそれぞれの得物を身構えた二人。だが、そんな彼らには見咎めるような冷たい眼差しが向けられていた。
 問うまでもない。エリィだ。見た目はどこぞの町娘といった風情の少女が、町娘には似つかわしくない鋭利な目つきでナイフを握っている。そのナイフからは、リースの血が滴り落ちている。
 そして、見た目だけは可憐な少女の、綺麗で妖艶な唇が、動く。
「ジャマを……、するなァァァアアアアアアア!!!」
 絶叫。
 と同時に、フレアは右へ跳んだ。その頬を何かが掠め、血が噴き出した。あと僅かでも反応が遅ければ顔を貫いていたかもしれない。
 視線を向ければ、そこにはワイヤーが伸びている。エリィの右手からワイヤーは伸び、その先端は背後の古木に突き刺さっている。よく見ればそれは……、ナイフだ。
 ワイヤー付きナイフを超高速で放っている。それに気づいた刹那。
 エリィは姿を消していた。
「フレアッ!! 右だ!!」
 声と同時に、今度は前方へ跳ぶ。襟足を風が切った。
 だが、それで油断などするわけにはいかない。
「スピア! 後ろッ!!」
 次に狙われたのはスピアだ。スピアは横宙返りでナイフを躱す。
 だが、そうこうしているうちに、もはや戦況はエリィが支配しつつあった。
 さきほどリースが見せた疾行とはまた違う形で、包囲網が形成されている。
「"キル・フロア"。踊り狂って、死ねよクズ共」
 それはさながら、ナイフとワイヤーによって奏でられる死のダンス・フロアだ。
 ワイヤーが増えれば増えるほど、回避は困難になり、徐々に掠める頻度も高くなってゆく。
 ナイフの威力は、その細腕に似合わずかなり強力だ。気功術の使い手であることはいまさら疑いようがない。
 問題なのは威力ではなく、ワイヤーだ。斬って斬れないこともないだろうが、高速でナイフを投げ続けられればそれを果たすだけの暇もない。
 そのうえ、ワイヤーが増えれば行動範囲も狭まり、直撃する確率は増大してゆく。
 ナイフの数にも限りはあるだろうから、躱し続けるというのも戦略のひとつではあるのだが、それを実戦するのは無謀と言わざるを得ないだろう。
 そのうえ、フレアもスピアも扱うのは長重武器だ。大槍に大剣。どちらも鈍重で初動が遅い。
 ゆえに、今回のように一度回避に徹してしまうと、その後の反撃が非常に苦しい。
 そして、今回ばかりはそれだけではなかった。
 ワイヤーは木々を結ぶだけではなく、ある存在にも結わえ付けられていたのだ。
 一本一本と徐々に支えを増やし、フレアがそれに気づいたときにはもう全てが手遅れとなっていた。
 ワイヤーが、リースを吊り上げている。
 そこに。エリィがナイフを突き付けている。
 エリィの表情は、窺えない。
 それは失望にも似ているのかもしれないし、あるいは絶望とでも呼ぶべきものなのかもしれない。
 いずれにせよ、彼女は望んだものを手に入れられなかった。それとも、これからそれを手に入れようとしているのだろうか。フレアとしては、その行為を『手に入れる』と表現することに壮絶な違和感を抱いてしまうのだが。
 少女は、言う。
「ああ、サツキ様。誰よりも強く、誰よりも気高く、そして誰よりも美しかった貴女は、もう何処にもいないのですね……」
 その声は、歌声とでも表現すべきなくらいの感極まった物言いで、それゆえに彼女の気持ちは否が応にも伝わってしまう。
 それは底の知れない、喪失感。神を失った狂信者の姿だ。
 リースを人質に取られ、身動きの取れないフレアとスピア。
 絶望のナイフは、静かに終演を告げようとしていた。
 鬱蒼とした白霧の中、一つの命が今、途絶えんとしていた。

――

「もう終わりだよ、君は」
 嗄れた男の声が、残酷にそう告げていた。
 リース――、いや、サツキはその時、その声を聞いていた。
 果たしてそれは何処だったか。果たしてそれはいつだったか。
 思い出そうとしても、記憶は空白のままだ。だというのに、光景は巡り続けている。
 これは、思い出しているということなのだろうか。それとも、妄想の一種でしかないのだろうか。
 実際に起きた出来事なのか。あるいは、自分の頭の中だけにある虚像なのか。
 真相は分からない。しかし、リースは知っていた。
 これは自分にとって紛うことのない真実なのだと。
 その光景へ、意識を傾けてゆく――。

 次第に視界に入ったのは、黒革の豪奢なデスクチェアーだ。いかにも大物が座っていそうなタイプの椅子。膝元には高級そうな猫なんかが寝転がっていそうなイメージ。
 そこに座っているのは、黒いスーツを纏った壮年の男だ。刻み込まれた皺は彼の老獪さを物語っている。
「聞こえなかったのかい? もう終わりだと言ったんだよ、君は」
 男は足を組み替える。じっくりと言葉を溜めるのは癖なのか、妙に重みがあるように感じられる。
 彼が築いてきた何らかの経験から成せる技なのか。それとも、そう見せたいだけなのか。
 いずれにせよ、サツキはもう呑み込まれてしまっていた。言葉を詰まらせ、男が放つ先の言葉を待ち続けている。
 追い詰められ、思考回路を奪うことが目的なら、それは充分に達せられているはずだ。
 にもかかわらず、男は態度を変えようとしない。
 ならば、目的は何なのか。攪乱でないのなら一体――。
 抱いた疑問はしかし、氷解する。
 リースには分からない。知らない出来事だ。だが、サツキにとってはそうではない。既知の出来事だ。
 サツキは全て知っている。当然だ。過去のサツキは記憶を失くしてなどいなかったのだから。
 ならば何が起きていた。これは何の光景なのか。
 サツキはこの時、何が終わりとなってしまったのか。
 そして、記憶喪失の原因とは何なのか。
 リースが今、この光景を見ているということはつまり、リースはこの時のサツキとしての記憶を思い出しつつあるということのはずなのだ。
 ならば、知りたい。教えて欲しい。一体自分は誰なのか。どうして記憶を失ったのか。
 そしてもし、記憶が完全に戻ったならば、あの、エリィという少女にも、太刀打ちできるのかもしれない。
 今は完全に敗北している。それは分かりきっている。無様に倒れ、それを理解した。困惑も、今は解消している。
 勝つためには、まだ足りない。まだ、サツキとしての記憶が足りない。
 きっと、だから――。
 下へ下へ、墜ちてゆくような感覚に不安が募る。
 それでも、この不安こそが、求めていた真実なのではないかと思うと、少しだけ力が湧いてくるようだった。
 この温かい気持ちは、どことなくフレアを思い出させる。
 彼のことを想うと、リースは胸がさらに熱くなるのを感じた。
 その想いの正体は、まだリースにはよく掴めていなかった。だが、それでもいい。油断すると、挫けてしまいそうになってしまうから、今はこの温かさが心地よい。
 そんな気持ちをゆっくりと噛み締めて、リースは瞳を開いた。
 そこはまだ現実ではない。あくまで仮想的な動作でしかなかった。
 だとしても、もうその眼には、恐れや迷いは一切なかった。

――

『思えば始めから違和感はあったんだ。
 僅かではあったけれど、そこに些細な違和感は感じていたんだ。
 けれど、アタシはそれを見過ごしていた。引っかかりはしたけれど、それを気に留めず、意識の外へ放り出してしまっていた。
 後になってみれば、それは酷く単純で、酷く滑稽な罠だったのだろう。
 それでもどうにかなると思っていたし、今まではどうにかしてこれたのだから。
 だから気にも留めなかった』

「これが次のマトなの……? 随分とあっさり見つかるのね、要人のクセに」

『アタシは依頼書に目を通すと、すぐにライターで火を点けた。灰皿の上に黒い灰だけが残されていた。
 違和感は、標的発見の報告の早さだった。警戒中の標的にしては見つかるのが早すぎる。そのうえおあつらえ向きな殺害用スポットまで発見されている。これでは殺してくれと言っているようなものだ。余程のバカなのかもしれないし、実は大したことのないヤツなのかもしれない。どっちでもいいけど』

「会談のため、船で移動の予定。その船を棺桶にしてやれ、ね……。いい趣味してるわ」

『多分だけど、侵入さえしてしまえば仕留めるのは簡単だろう。船の上は狭く人数も確保しづらい。そのうえ通路も狭いし逃げ道もない。あわよくば海面へ逃げたとしても移動速度は鈍重もいいところ。空を飛びでもしない限り、退路など存在しない。現状そんな技術はヴァルト内でも未達成なのだ。
 速度と小柄さを武器としているリースには、かなり有利な戦場だった。
 違和感なんてすぐに飛んで消えていった。どうせ、ウチの諜報員も優秀だったというだけの話でしょ』

『今にして思えば、アタシは慢心していたのだと思う。たとえどんな罠があったって、自分なら脱せられる。掻い潜れる。そう思ってた。
 だってそうでしょ? 今までどうにか出来てたんだもの。どうにか出来なかったことなんて今までなかったんだから』

『やはり情報通り、標的は船に乗り込んでいるらしい。乗組員に扮した護衛も多数発見されている。巡回も的確に行われているようだ。
 間違いなくホシは乗っている。大船にでも乗ったつもりだろうか。すぐに沈んでしまう泥船だとも気づかずに』

『アタシは小型艇から暗闇に紛れつつ海面を走り、甲板へ着地した。音沙汰はない。気づかれてはいないようだ。
 周囲にレーダーでの索敵くらいは行っているだろうが、見つけられるのは船舶か、潜水艇くらいのものだろう。気功術による海面走行など考えもしていないはずだ。
 気功術の使い手は世界中に点在するものの、銃器が発達した現在では進んで開発をしようとは思わないらしい。
 多くの国家、軍隊では、武装にばかり焦点が当てられている。理由は分からないでもない。能力差のはっきり現れてしまう超人開発と、凡人でも戦力に変えられる近代武装ではどう考えたって、後者のほうが育成の手間は少ない。そのうえ安定した戦力を確保できる。
 だが、それゆえに気功術に対する防御も疎かになりやすく、アタシたちのような暗殺者は食うに困らないわけだ。世の中ってのは皮肉なモンだ。
 気功術の開発を諦めた所為で、気功術に苦しめられるってんだから』

『とにかく、船の制圧はチョロかった。アタシは息ひとつ上がらせることもなく物の数分でおおまかな敵戦力を殲滅した。
 発見される可能性は著しく減ったが、そろそろ船の異常にも気づいていて良さそうな頃合いだ。しかし……』

「静かだ……。まさか本当に無能なのか……? それとも……」

『アタシは、次第に忘れかけていた警戒心を取り戻していた。
 もしかしたら、もうすでに動いている可能性だってある。それを気づかせないだけの技量があるのかもしれない。
 外部にいた見張りの数も決して少なくはなかった。だが、もちろん中にだって相当数の敵が潜伏しているはずなのだ。
 アタシは、慎重に扉を開け、後回しにしていた船室の探索を開始する』

『中は粗方空っぽだった。すでに逃げられていた……?
 いや、それはない。いくらこっそり逃げようとしていても、アタシの耳を騙すことなんざ出来ようはずがない。
 間違いなくボートが着水するような音はしていなかったし、それどころか扉を開く音だってしなかった。
 波音やエンジン音で誤魔化されるほど、アタシの耳は鈍感ではない。
 何せ相手は一人二人ではないのだ。標的の要人を含め、護衛があと二十人前後は内部に潜伏しているはずなのだ。
 それだけの人数が逃げ出そうというのだから、物音は聞き逃しようがない。ならば何故……?』

「そうか……。なるほど。アタシを殺せる自信があるってことか……」

『アタシは不覚にも嗤ってしまう。だってあまりにも愉快だから。
 相手は逃げてはいないのだ。それどころか、アタシを殺そうとしている。アタシはそれを確信していた。
 船内の階下には間違いなく人の気配がある。近くではないが、遠くでもない。燻る炎が酸素を求めるような、殺しきれない悪意が滲み溢れている。
 この策ならアタシを殺せる。そういう決意のようなものを感じる』

「あはは……、バカみたい。……身の程知れよ、ドブネズミ共が」

『嘲笑と共に、アタシは船内を歩き始めた。ブラブラと身体を揺らしながら乱雑な徒歩で仄暗い鉄製の廊下を進む。
 ……敵に動きはない。距離はそう遠くないくらいには来たはずだ。だというのに……、随分と慎重なものだ。
 殺気も強まるわけでもなかった。もちろん弱まるわけでもない。
 ……段々と違和感は募る』

『何か前提を履き違えている……? アタシは何かを勘違いしているのか……?
 だとしたらそれは何だ?
 敵は複数いるということ? 殺そうと待ち構えているということ? それとも……。
 ここに敵がいるということ自体が間違いだった……?』

「いや……」

『いくらなんでもそれは荒唐無稽に過ぎるというものだろう。
 でなければ、わざわざ護衛を携えて船なんかに乗るのか?
 乗ったふりをしていただけ……?
 まさか……。
 アタシはこの目で確認している。そんな真似は不可能なはずだ』

「……まさか、替え玉……?」

『可能性は零ではない。むしろ始めに疑われたはずだ。だからこそ盲点だった……?
 アタシは報告を信用していた。だがもし。もしもの話ではあるのだが……』

『アタシは、ここに来て初めて冷や汗を掻いていた。最悪の気分だ。
 気は進まなかったが、開けかけた蓋を閉じるわけにはいかない。目の前には気配を放つ扉がある。
 そこに、いるはずだ。敵が。想定を越えた敵が、そこで待ち構えているはずなのだ。
 アタシは、首を強く振って、思い切りドアノブを捻った。そして……』

「……やれやれ。待ちくたびれたよ。お嬢さん」

『アタシを迎え入れたのは、壮年の黒スーツ。白髪をオールバックに纏めた大柄な男だった。
 男は言う』

「その顔だと、もう察しはついているようだね。話が早くて助かるよ。
 ああ、そうだ。その通りだとも。君は嵌められたのだよ。サツキくん。
 考えてもみたまえ。名の知れた要人が素直に顔を晒すと思うかね。ましてや自分の乗る船を特定させるなど……。
 だが、君は信じてしまった。そんな馬鹿げた報告を。
 何故だか分かるね。君は聡明だ。そう、報告者が既に我々の手に堕ちていたのだよ。だから簡単に君を引きずり出せた」

『男は語り出す。ひとつひとつの言葉が、アタシを責め立てる。アタシの未熟を責める。アタシの、弱みを抉る』

「君も知っているだろう。国家は気功術士に対処しきれていない。我らは気功術士に対して後手にならざるを得ない。だからこそ、手を打たねばならなかった。
 反撃の手が、必要だった。
 長い時間を掛けたよ。ヴァルトニックに取り入り、密偵となれたのは送り込んだ三十人のうち僅か二人。うち一人は最初の任務で帰らぬ者となった。
 だが、残された一人は見事にやり遂げてくれたよ。嘘の報告書をでっち上げ、君をこの船に呼んだ。この……、棺桶にね」

『最悪の皮肉だ。この船は本当に棺桶だったのだ。暗殺者を仕留める。たったそれだけのために生み出された……』

「……けど、どうしてアタシを……? アタシごときを亡き者にするためだけに、あまりに手の込んだことをしてる……」

「ふふ……、それは過小評価というものだよ、サツキくん。
 君は強い。強すぎるくらいだ。君一人のために一個中隊を失うくらいならむしろ安い代償と言えるだろう。厳密には総計五十二名だがね。君を騙すためだけに死んでもらうことになった。
 言ったろう? 君ら気功術士は厄介な存在だ。たとえ強引な手段を用いてでも殺しておきたかった」

『振り返り、船を脱しようとしたところで、退路が断たれた。バクン、とここへ侵入するまでに開いた扉の全てが閉じられた。同時に閂でも掛けられたみたいな重い鉄の音が響いた』

「残念ながら、もう終わりだよ、君は」

『男は言う。ゆっくりと、絶望を噛み締めさせる重低音。それは、空っぽの頭を痺れさせる不快な残響。
 何もかもを諦めたくなる。そんな音色を孕んでいた』

『次いで、鳴り響いたのは階下からの爆音。もう考えるまでもなく、絶体絶命の不協和音が、鉄製の巨大な棺桶に鳴り響いた』

「聞こえなかったのかい? もう終わりだと言ったんだよ、君は。
 希望など捨てたまえ。
 君という暗殺者に多くの有望な政治家が死んだ。優秀な王が殺された。
 君が我々の国の希望を奪ったのだ。
 これはね。覚悟なのだよ。大臣の替え玉に過ぎない私に課せられた大いなる使命。
 敵戦力の優良株を早めに摘み取る。そのために命を賭する壮大な決意。
 君に分かるかね。
 息子を。娘を。妻を。夫を。姉妹を。兄弟を。父を。母を。
 大切な者の未来を思うがゆえの、我々の悲壮な意志を……ッ!
 散れ! そして、セントラルブルーの藻屑と化すのだ! 《執行者》サツキよッ!!」

『そんな捨て台詞と共に、男の身体は弾け飛んだ。自爆しやがった。近距離での爆破の威力は凄まじく、アタシは鉄扉に叩きつけられた。防御も受け身も間に合わず、激痛が身体を駆け巡る。
 しばらく身動きも取れず、蹲っていたアタシだったが、ようやく立ち上がれるようになった頃、アタシは遅まきながらひとつの事実に気づいたのだった。
 それは窓の外。丸窓から水面が垣間見えるのだ。さきほどまでは薄暗い宵闇が見えていたというのに。
 沈んでいる。それもかなりの速度で。
 水面はすぐに窓の上まで達し、景色は水中へと切り替わる。
 タイムリミットは間近だ。あと十分、あるいは二十分もするうちにこの船は沈没するだろう。
 壁は鉄製。扉も鉄製。退路は全て塞がれている。そのうえ、身体には爆発のダメージもある。
 扉を複数破るくらいなら、壁をぶち抜いた方が早いだろう。その結果どんな惨状が巻き起こるのかは想像すらしたくないが。
 とはいえ、このまま沈むのを待つよりかは幾分かマシだ』

『そしてアタシは、気を練った。
 勢いをつけるため、足を曲げ、重心を落とす。
 次に腕を引き絞り、ナイフを身構える。
 腰だめにしたナイフへ気を集中させる。
 纏めた気は面へ。それを圧縮し、線と化す。さらにそれを縮めてゆき、威力を研ぎ澄ませてゆく。
 狙うは一点。壁の中腹辺りを目標とする。そこへナイフを突きつけるイメージ。
 イメージを強固にしてゆく。考えるのでもなく、想像するのでもなく、それを結果であると認識する。
 起こって当然であり、それはもう起こった出来事だ。そして記憶を戻してゆく。過程をなぞる。
 そうすると、イメージは現実となり、想像はリアルになる。
 "疾風顕神(しっぷうけんじん)"。
 アタシに使える最強の技だ』

『だけど、そこからの記憶がない。
 アタシは壁をぶち抜けたのだろうか。おそらくそうなのだろうが、あまりの衝撃と水流とに押し流され、その際に頭でもぶつけたのか、アタシは記憶を失くした。
 気づいたときには、アタシは診療所にいた。目の前には点滴の管が垂れ下がっていた。
 そこからアタシは、リースとなった』

『それがアタシだ。アタシという人間なのだ』


《そうか……。それが……、お前という人間なのだな》


『頭の中に声が響いた。聞いたことのない声だ。
 アンタは誰だ。どうしてこの声が聞こえるんだ』


《当然だ。我がお前をここへ呼び寄せたのだからな》


『……アンタは、誰だ?』


《我は……、精霊だ》

第十八章《欠ける月夜の五月晴れ -Blade Princess;07 May-be Ray-》

 ジークの振るう二刀目のベイオネットが容赦なくアークを薙ぎ払おうとしている。
 いまわの際の瞬間、アークはその光景を見つめながら過去の記憶がフラッシュバックしていた。
 ――そうですね。あの瞬間も、こんなふうでした……。
 あの時もこの時も、それはまさしく絶命の瞬間。死を予期した瞬間の出来事だった。
 加速した感覚が時間感覚を途方もなく間延びさせ、あたかも時間が止まったかのように感じていた。
 目前に迫る凶刃が、ぴたりと静止している。
 そんな異様な光景を、アークは呆然と見つめていた。

《……やれやれ。二度も三度もよう死にかけるものだな、人の子よ》

「もちろん、わざとですよ。あなたの気を惹きたくてつい、ね……」

《減らず口を……。まぁ良い。我が貸した力を以てすれば、この程度の敵、造作もあるまい》

「そうであればいいですけどね……」

《なんじゃ、お前らしくもない。儂の知っとる貴様は、もっと生意気な口を効いておったはずだがな》

「あれから十年経っているんですよ……? 何もかも一緒とは、いきませんよ」

《そういうものか……。相変わらず、人とはよう判らん生き物だな……》

 そんなセリフを残して、精霊の気配は消えた。
 心配して現れた、というわけでもなさそうだが、目的があったとも考えづらい。「精霊のほうが良く判らない存在ですよ」と呟きたくなってしまう心境のアークだった。
 死は目前に迫っているというのに、不思議と心は落ち着いていた。
 それは精霊が守ってくれていると信じているからか。それとも――。
 精霊に頼らずとも生き残ることができると、確信しているからか。
 もっとも、精霊から借り受けたこの力で戦うというのだから、結局は精霊に頼っているのと似たようなものなのだが。
 ともあれ――、精霊の力、もとい光の仙術さえあれば、敗北などありえない。
 アークはそう感じていた。
 どこか懐かしさすら抱かせる、この加速した感覚は、かつて初めて精霊と邂逅した時にも味わった感覚だ。
 もし、彼らが精霊に出遭うことができたならば、同様にこの感覚に包まれているはずだ。
 この、燃え上がるような力強い脈動を。迸るような熱い情動を。
 だというのに、アークはそれでも手放しで安心はできない。
 絶対に敗北はありえないという感覚を、アークは享受できないでいた。
 精霊すら心配していない素振りであったものの、アークはそれを信用できないでいた。
 そして、その予感は、的中することになる。

――

 何のために戦うかと問われれば、リースにとってそれは、生き残るためでしかなかった。
 リースは、いや、サツキは戦争孤児だった。
 拾われたのは、ヴァルトニック社だった。求められた役割は一人でも多く敵を殺すこと。それだけだった。
 よくある話なのだろう。実際、彼女の周りには似たような境遇の子供たちはたくさんいたし、それをサツキ自身何度も見てきた。
 そして訓練もそこそこに戦場へ放り出される。そこはまさしく地獄でしかなかった。
 銃弾が飛び交い、罵声や怨嗟は絶えず聞こえた。屍体はあちこちに転がっていたし、怪我人も大勢いた。
 そこら中に転がっているそれらが生きているのか死んでいるのかは判らなかった。敵か味方かも良く判らなかった。
 向こう側にいるやつを殺せ。それだけの命令をただ忠実にこなした。
 たった一日で周囲の面子は様変わりした。生き残っている少年兵たちは数少なかった。
 実際には少女の兵もいたのだから少年兵では語弊があるかもしれないが、とにかくその子供たちだけの小隊は何度も何度も最前線へと駆り出された。
 毎日が地獄絵図そのもので、惨憺たる有り様だった。
 そんな中で生きていくうちに精神は摩耗していった。疲弊していった。
 それは生き残った全員に言えることだった。
 当たり前の倫理観や道徳観などを、抱えて生き残れる場所ではなかった。死に物狂いにならざるを得なかったのだ。
 そうすることでしか生きていくことはできなかった。
 そんな余計な思考を抱えて一度でも立ち止まってしまえば、その瞬間を銃弾が貫く。そんな場所にいた。
 一度伏せれば立ち上がることなどできない。敵か味方かも判らない連中にもみくちゃにされ、踏み潰されて死ぬだけだ。そうなったやつを何度も見てきた。
 立ち止まることは許されなかった。思考する暇さえも許されなかった。
 武器を取り、戦い、殺すしかなかった。それができなければ、地面に転がって死に絶えるだけだ。
 そんな生き方を強要され、サツキは心を閉じ込めることを選択した。
 今までの想いも、気持ちも、思い出も、全部。心の奥底に封じた。厳重に封をして二度と取り出せないよう心の深いところにしまってしまった。
 壊れてしまわないように。思い出して辛くなったりしないように。懐かしくなったりしないように。
 二度と思い出せないくらい、心の奥底へ封じ込めた。
 良心を、閉じ込めた。
 そうして生まれたのが、この、裏の人格だった。
 強いて言うならば。この時にサツキは生まれたのだった。

 そんなことを思い返しながら、リースは右手に残るナイフの感覚に意識を傾ける。
 かつては重くすら感じていたナイフは、今や身体の一部であるかのように馴染んでいる。
 堅いグリップの感触が、リースに現実感を取り戻させてゆく。
《今、お前が感じている気力は、所詮気の持ちようでしかない。それは、活力ではない。そう錯覚しているだけに過ぎない》
 声は聞こえる。いや、脳内、あるいは意識に直接語りかけるかのようなその声は、聞こえるというよりは感じると表現したほうが的確だろう。
 声は言う。
《今からお前に我が仙術を授けよう。さすれば、お前は活力を得、敵を屠るだけの力を得ることになる。さて、そうなる前にお前には訊きたいことがある》
「訊きたいこと……?」
 脳内に届くこの声が精霊なのか。それを確かめる術はないが、それ以外の何者かも判然としないため、そうであると仮定して聞き流すことにする。問い質す意志など初めから挫かれていたようなものだったのだが。
《人の子よ。小さな小さな人の子よ。何故に戦う。何故に力を欲する。お前の心に渦巻く生きたいという強い意志は、一体どこから来ている?》
 声はそう問うた。
 そんな問いに、リースは口をつぐむしかない。
 答えなど、なかった。意志など、なかった。死にたくない。ただ無心でそう願っただけだ。それだけでしかない。
 その気持ちの出所はなんだったのだろうか。考えて思い出せるのは、地べたに転がる屍体だけだ。
 血に塗れ、泥に塗れ、傷口を露出し、内臓をさらけ出して横たわる姿が。
 それは嫌悪だった。
 こうはなりたくない。こうは見られたくない。
 たとえ死んだとしても、こんな死に様だけは絶対に嫌だ。そういう嫌悪感がサツキを動かしていた。
《ふむ。当時はそうであったのだろうな……。だが、今はそうではあるまい。お前の心からは、もっと明るい、活力のようなものを感じるぞ?》
 言葉にせずとも、向こうには届いているらしい。やがて声は、興味深げにそう問い掛けてきた。
 そうだ。確かに、今と昔では考え方が変わっている。今ある感情……、それは何なのだろう。
 変わったもの。それはたとえば、記憶を失ったこと。
 記憶を失い、サツキはサツキになる前の心を取り戻した。表のリースであるときは、普通の女の子として過ごしてきた。
 そんな生活で一番変わったところは、仲間の存在だろう。
 共に旅する仲間がいること。それは今までに味わったことのない素晴らしいものだった。
 サツキにとって、他人は敵か味方か、それだけしか重要でなかった。敵であれば殺し、味方であれば援護する。それだけだ。
 だが、共に旅する間はいつも楽しかった。……実際には楽しいことばかりではなかったけれど、それでもリースは心地よく感じていた。
「……わたしは、もっと皆と一緒にいたい」
 リースは絞り出すように、そう言った。
《……お前の心、確かに聞き届けたぞ》
 そう呟いて、声の気配は何処かへと消えた。

――

 身体を、温かいものが包み込んでいる感触がした。
 蒸気のように軽く、熱い。まるで、空気に守られているような感覚。いや……。
 そう考えて、リースは首を振る。
 言うなれば、これは、大地のような……。
 堅牢な石壁が身を守ってくれているような安堵感がある。この壁は絶対に壊れない。そう感じさせるだけの信頼感がある。
《ふむ……。興味深い反応だな。おおよそは間違っていない》
 声が脳内に響く。
《訂正すべき箇所があるとすれば、それは絶対の壁ではないということ。それと、お前は守られているのではなく、自らの力で守っているに過ぎないということか……》
 思わず、リースは顔を上げた。もちろんそこには精霊の顔などないのだが。
《精霊の力、人間は『仙術』と呼んでいるが、これはお前自身の気を変質させただけに過ぎない。つまりお前の持つ力の絶対量が増えるわけではないし、それで特に強くなるというものでもない。ゆえにその壁は破られもするし、消えもする。全てはお前の采配次第というわけだ》
 やがて、視界が戻る。現実へと引き戻されてゆく。
 目前には静止したエリィ。喉元に向けられたナイフ。迫り来る死の予感。
 身体を糸が蝕む。脱出はすぐにはできない。
 フレアもスピアも糸に阻まれ、救出は間に合わない。彼らが追いつく前にナイフはリースの喉元を貫くだろう。
 それだけだ。
 たったそれだけの光景が眼下に広がっているだけだ。どうということはない。
 一見して絶体絶命な状況だが、危機感は不思議とない。それは何故なのだろうか。
《分かっているのだろう。答えは簡単なことだ。どうにかできるからだよ。お前は、この状況を覆せる。確実にな。お前はそれを理解しているからこうして落ち着いている。落ち着いて見渡している。それだけのことだ》
 リースは、淡々とそれを聞いていた。分かりきった答えのようになんとなく聞いていた。
 そして、時間は急激に加速を始める(厳密に言うならば、彼女の高速思考が解除され通常の速度へと移ってゆく)。

 エリィのナイフがリースの首元へ肉薄し、寸前で止まる。

 歯を食い縛ったのはエリィだ。ナイフが動かないのか。全身に力を巡らしナイフを押し込もうとするが、何か力強い圧力によって引き戻されてしまう。
 ギリギリと歯を鳴らし、殺意を向けるエリィの身体を、突如暴風が吹き飛ばした。無数の糸がまとわりつき、今度はエリィが糸に捕らわれる。
 そんな中、リースは糸を悠然と引き剥がしに掛かる。反撃を全く考慮していないのか、エリィには一瞥することもない。
 それに苛立ったエリィは立ち上がろうとするが、その肩を誰かに押さえ込まれているのか、動くことができない。
 慌てて周囲を見回すも、やはりそこに人影はない。だというのに身体が言うことを聞かない。この鈍重な圧迫感の正体は……?
 だが、視線をリースへ向けたことで、その回答へと辿り着いた。
 気だ。リースは大量の気をエリィの真上から叩きつけることでその動きを封じているのだ。リースの身体から溢れ出るその気配を感じ取って、エリィの肌には鳥肌が浮かんだ。
 とんでもない量の気が、リースの身体から放たれているのだ。死にかけの人間のそれではない。
 一体どうして……?
 考えて、一瞬、下らない逸話を思い出し、エリィはそれを思考から排除した。
 臨死体験で新たな力に目覚めるだとか、精霊からの神託があるだとか、そんな世迷い言は戦場では通用しない。
 そんな馬鹿げた信仰は物語の中だけのものだ。どこぞの三文小説の中にあるべきものだ。
 だというのに。エリィはその思考から逃れられない。否応にも思い起こされる。
 だって。何故なら。何故かと訊かれれば。エリィはこう答えるしかない。
 かつてのサツキがここにいるのだから。――否、それは少し違う。
 サツキ以上の存在が、今、ここに存在している。
 神の顕界。神の降臨。救世主。
 雑多な思考回路を焼き尽くしてしまうような、衝撃だった。
 真っ白になった脳内で、彼女の姿だけが浮かんでいる。
 それを見た瞬間、エリィは糸が切れた絡繰り人形みたいに気を失った。

 倒れた少女の横顔は、同じ人物とは思えないくらいに可憐で美しかった。

――

 眼前へ迫る銃剣。止まった時間の中、アークは導き出した答えを、迷いながらも貫くことを決めた。
 その凶刃を、あろうことかアークはその頭で受け止めた。
 触れた瞬間、銃剣が炸裂し、衝撃と爆炎がその身を灼く。
 気功術を限界まで酷使した防御であれば、脳震盪を起こさずに耐えきることは理論上可能だった。
 とはいえ、実践するのはコリゴリだと思うアークだった。
 身体は焼けるように痛むし、額は衝撃を緩和しきれずに出血した。鉢巻の中に鉢金を仕込んでおかなければ即死していただろう。
 ――ですが、威力は想定内です!
 そして、体勢を崩さずに堪えきれることも想定内。直撃した瞬間はお互いに肉薄していて、攻撃する上では最大のチャンスであることも想定内。トドメと思われる攻撃の直後で若干の隙が生まれることも想定内。
「ォォオオオオオ!!」
 そこへ渾身の右ストレートを叩き込む。
 その一撃は辛くも躱されたが、急激に体勢を変えたせいでジークはバランスを崩している。
 ここを逃すつもりはない。アークは左足からの蹴りを浴びせる。
 ジークは器用にもそれをガードして見せた。が、その守りも堅くはない。すぐに崩れてしまうに違いない。
 アークは自身が受けたダメージなど、全く感じさせないような猛ラッシュを仕掛けた。
 おそらくそれは、最後のチャンスだった。
 ジークは強い。それは分かりきった事実だった。
 見聞きした話からでもそれは充分に分かっていたし、対峙してなおその通りだと確信した。
 これ以上の勝機はそうそう起こりえないだろう。アークはそう予感していた。
 だが、同時に粟立つような不快感もある。
 何か、見過ごしているような……、そんな不快感だ。それは些細な違和感とも言えるものだが、そんな感覚が意識の端に引っ掛かっている。
 それはアークの気負いから来る油断なのか、ジークの放つ威圧感から来る怯弱なのか。あるいは……。
 わずかにブレた一撃をジークは躱した。その表情は無表情で無感動だ。
 対するアークは、さすがに焦りの色を隠せない。
 鋭く迫る死の刃。だが、その一撃は万全ではない。咄嗟に出しただけの斬撃だ。
 手甲を填めた右腕でそれを弾き、同時にジークへ向けて気弾を放つ。
 コンボへ派生できなかったことは痛手だが、これでダメージは負わせられるはずだ。そんな思惑は一瞬で破られる。
 気弾が、衝突した。そして、相殺。
 爆発の余韻が奔流となって周囲を駆け巡る。
 ――まさかあの刹那で、同等の気を放ちこちらの気を相殺するとは……。
 隙も何もあったものではない。アークは溜息のひとつでも吐きたい心地だった。
 そこへようやく戦況に追いついたらしいシークが詰め寄る。
 連携を狙っていたらしいが、当てを外させてしまったのは少し心苦しいと思うアークだったのだが、シークのその表情はそれを責めているようには見えない。それよりはむしろ予想通りだったとでも考えているふうでもある。
 シークは苦々しい口調でこう告げる。
「アーク、あいつに全力を出させるな。あいつを叩くなら余裕を見せている今しかない」
 アークはその発言に苦笑を返すしかない。
 これで全力でないということもそうだが、そんな相手を打ち破れとは……。それはあまりにも無茶で、荒唐無稽にすら思える。
 だがそれ以上に、そこまで冷静に戦況を分析されていることに対して、アークは少し呆気にとられていた。
 アークは、状況を整理する。現在の戦況。周囲で繰り広げられている戦闘。そしてその経過。今後の動向。敵の思惑。こちらの思惑。
 楽観視できる要素がひとつもないが、奥の手や打っておいた布石もいくつかはある。
 それで覆せるかどうか。勝てるかどうか。
 何通りかの手段を思いついても、それぞれがリスキーだ。だが、それも仕方がないだろう。
 敵は強く、数も多く、そのうえしたたかだ。
 しかし、だからこそ読みやすいという側面も存在する。
 その一点を鑑みれば、反撃の手は、なくはない。
 ――いわば綱渡りですかね……。
 その細い道筋を思い、アークは僅かに肩を竦めたのだった。

 こうして戦況は、より泥沼へと進行していく……。

第十九章《蒼天に霞む月 -Blade Princess;08 crawed moon-》

 ジーク=フォーレス。
 彼の残す逸話は数が知れない。
 指揮を執らせればあらゆる局面で戦闘を勝利に導き、白兵戦では苦難にすら陥らない。
 そもそもヴァルト社の軍勢そのものが劣勢にすら立たないのが世界の情勢ではあるのだが、それでも負け知らずの軍人というのは実はなかなかいない。
 特に、ジークは戦闘回数そのものも多い。そのうえで勝利回数が多いということはそれだけ圧倒的な戦力を保持しているということになる。
 その情報だけでも、アークは頭が痛くなるのを堪えなければならなかった。
 だというのに、その戦力には、まだ裏があるらしい。というのがシークから与えられた情報だった。
 そこまでになると、もはや呆れてしまいたくなるというのがアークの偽らざる本音だ。
 敵の情報は強すぎるということ以外の一切が不明。シークにすら詳細は分からないというのだから、手に負えない。
 アークは大きく息を吐いて、気持ちを落ち着かせることにする。
 さきほどの手合わせから考えるに、ジークを食い止めることすら30秒も保たないだろう。そのうえ相手はまだ全力ですらないらしい。
 二人掛かりで足止めがやっとだろうか。
 それで果たして何ができる?
 勝利の鍵があるとすれば仙術だろう。
 アークの仙術はまだ彼にはお披露目をしていない。ゆえに隙を作ることくらいなら可能かもしれない。だが、そうまでして隙を作っても当てる攻撃がロクにないのではあまりにも無意味だ。光の仙術はその特性上、どちらかといえばトドメの一撃に適している。それを隙を作るために使うのでは荒唐無稽と言わざるを得ない。
 となると使えるのはシークの仙術だろうか。とはいえ、まだ属性も不明なうえ、習得すらしていない。この場で臨死状態になってもらうには一計必要だろうし、よしんば会得したとしてもすぐに戦闘に利用できるかといえばそれは難しいところだろう。使えることと使いこなすことは全く意味が違う。そんなものに縋るのは、いよいよ追い詰められたときくらいだろう。まだその時ではない。
 アークがそんな思考を巡らせていたときだった。
「さすがに二対一では時間が掛かりすぎてしまうな……。せっかくの弟との再会ではあるが、すぐに終わらせてもらおう。なに、時間は掛からんさ」
 そう言うとジークは銃剣を中段に構える。利き手である右手に気が集中していくのが分かる。
 その量が異常だと、アークは思わずにはいられない。自然体に構えているが、その気の総量といい、集中するまでの速度といい、思わず肌が粟立つのを感じる。
 自分が努力を怠っていたとは思わないが、圧倒的な差が存在していた。それが才能の差なのか努力の差なのかはアークには分からないが。
「安心して欲しい。俺は今、弟に会えたことで随分と機嫌が良い。だからじわじわと嬲り殺しになんかしない。……すぐに終わらせてやるからな」
 その声色は優しげでありながら、仄暗く不気味だ。嫌悪感に眉根が歪むのを止められそうにない。
「さぁ、二度と逆らう気が起きないように、きちんと視ておくんだ、シーク。これが俺の全力、"グラヴィティ・アウト"だ」
 そうして構えた剣は、ただの気が込められただけの剣に見える。とはいえそれだけで充分以上の殺傷力があることは明白なのだが。
 緊張した面持ちで見守るアーク。
 そこへ、ふわりと軽やかな足取りでジークが迫った。
 速度は比較的ゆっくりだ。一瞬、身構える拳を緩めかけた刹那。
「来るぞ! 避けろ!!」
 その声に、我に返ったアークは大袈裟なくらいオーバーにその斬撃を回避した。はずだった。
 しかし、まるで時間が早まったかのようにその刃は急激にアークへと迫り、その足を掠める。あと僅かでも反応が遅ければ足と胴体は切り離されていたことだろう。
 アークは驚愕に身を震わせるが、そこへ第二撃が押し寄せようとしていた。
 回避は間に合わないと踏み、アークは防御の姿勢を取るが、
「よせ! 受けるなッ!!」
 シークの悲鳴染みた叫びに、アークは応えられない。
 またもグン、と速度を上げた一撃がアークの籠手にぶつかり、直後、身体ごと大きく吹っ飛ばされる。
 大岩に背中をぶつけ、その意識は明滅する。
 ――この、威力は……。
 完全に想定外だった。というよりもこれだけの気の総量を持った一撃を溜めもなく何度も振るえるのは不自然だ。
 つまりこの攻撃には、タネがある。それこそが"グラヴィティ・アウト"というわけだ。
 おそらく戦場で振るった回数はそう多くはあるまい。だからこそ、情報が少なく打つ手が浮かばない。
 ならば、彼のこの気まぐれに感謝するとしよう。
 ここで打ち破れれば、今後の進撃の糧になる。対処法のひとつでも得られれば大きな戦果となり得る。
 ――ヤツは、ヴァルト社のナンバー2。今後、必ず大きな障害となる。
 だからこそ、これは幸運だ。可能な限り情報を収集する。あわよくば撃破する。そうすれば今後の展開は相当有利に進むだろう。そう、思うことにしよう。
 でなければ、絶望に身をやつしてしまいそうだ。
 もちろん、ここでアーク自身の自信が砕かれ、再起不能になることもあるだろうし、それ以上に死ぬ可能性のほうが圧倒的に高いのだろうが。
 そうして思案に耽る間隙すらないままに、第三撃が間断なく放たれる――。

――

 ジンとフライヤは混沌の直中にいた。
 敵味方問わず飛び交う銃弾が、容赦なく命を刈り取ってゆく。
 増援は絶え間なくやってくるし、幾度敵を斬り捨てたところで、終わりなど見えなかった。
 次第に気は消耗してゆくし、大きな怪我は負わずとも、徐々にダメージは蓄積されてゆく。
 手足が痺れるような感覚がする。剣を握り続けていられるのは奇跡的とも言える。
 そんな地獄絵図の最中、それでも戦意を失わずにいられるのは背中を預ける相棒の存在が大きい。
「まだいけるか……?」
「……余裕っ」
 相棒はそんなふうに答えてくるが、その声は明らかに弱りつつある。
 ――いよいよ正念場やな……。
 ジンは一人の敵兵を斬り払いながら、視線をその先へと向ける。
 嗤う悪魔、マーカスを睨む。
 速さと、トリッキーさでなかなか捉えることはできなかったものの、やはりヤツこそが最大の障害だろう。
 ――アイツさえ仕留めりゃ、逃げるんも容易いな……。
 安全策に縋っているだけでは、この状況は覆せない。
 そう思い、視線を背後へ向けると、不意に相棒と目が合った。
 思わず、ジンは笑ってしまう。
 この相棒が傍にいると、どんな困難もどうにかなりそうに思えるのだった。

――

 数度の絶技、グラヴィティ・アウトを放ったあと、突然に攻撃を中断して、ジークはこんなふうに切り出した。
「ヒントを教えてやろうか、テロリストの頭領よ」
 名乗った覚えはなかったが、向こうも何も知らない馬鹿ではないのだろう。アークは首肯もせずに視線だけでその先を促した。
「俺の"グラヴィティ・アウト"は、溜めの一撃だ。気を攻撃方向の逆ベクトルへ向けて放つことで攻撃を溜め、溜まったエネルギーを一斉に解き放つ、というのがこの技の特性だ」
 それにはある程度、予測が付いていた。しかしだからといって、簡単に打破できるような単純な仕組みではない。
 いや、構成がシンプルであるがゆえにその対処法が思いつかない。
 それに何より、仕組みが分かったところで、あの気の量はやはり異常なのだ。通常の人間のなせる業ではない。
 だが、その問いは意外なところから返される。
「……ジークは、肉体を改造しているんだ。戦士として戦いやすいように。その代わりとして、調整を続けなければ一年と生きられない身体に成り果てしまった……」
 無言の問いに答えたのはシークだった。
 肉体改造。そう聞いて、アークは底冷えするような悪寒を覚えた。
 確かに可能性としては、かねてより提示されていた。しかしそれを目の当たりにする日が来るとは……。
 人体実験そのものが行われていなかったわけではない。アークが聞き及ぶだけでもいくつかの事例は聞き及んでいる。
 だが、それを実践した成功例が今目前にいるのかと考えると、アークは嫌悪感に顔をしかめずにはいられなかった。
 ――ヴァルトニック打倒のため、その禁断の道に足を踏み入れ、後悔のままに死んでいった者たちを私は見てきました……。ですが、対する相手がそれを果たし、ここまでの戦力に育て上げていたとするならば、彼らの苦労も覚悟も、報われませんね。
 人体実験は、未知の分野のため、多くの犠牲を必要とする技術である。
 ここでいう犠牲とは、金銭や時間などではなく、人命そのものであるため、その重みには雲泥の違いがある。
 そして、その犠牲の糧を得やすいのは、確かにヴァルトニックのほうなのである。潤沢な資源を豊富に使い、その技術を完成させた。
 その技術の高さは、同時に犠牲者の多さを物語っているというわけだ。
 ――まったく、厭になりますね。
 情報をここまで与えてくれたことは感謝したいところだが、話した理由は不明だ。勝者の余裕とも思えるが、家族との再会で上機嫌(本人曰く)だからなのかもしれない。
 ――その情報が勝ち目を生み出してくれないというところが、なんとも癪ですが……。
 とはいえ、やるしかない。
 ここで逃げるという選択肢はありえない。というよりも、選ばせてはもらえないだろう。それは、仲間たちはもちろんのこと、ジーク本人にも敵を逃がすつもりがないからだ。
 情報を与えたということは、余裕があるからという側面もあるだろうが、それ以上に今、ここで終わらせられるからだという一面が大きいのだろう。
 そして、その解釈は間違っていない。この戦い、この局面、アークたちに勝てる要素は二つしかない。アークの仙術か、シークの仙術か。決め手はそれしかない。
 チャンスは一度、あれば良い方、といった程度。出し惜しみせずに決め手を残しておく、というのは一見矛盾したような論法だ。
 だが、手がないわけではない。そのためには……。
 視線を向けると、シークは神妙に頷いて見せた。
 ――やはり、あなたもそういう結論を出しましたか……。
 丁度良いところではあるが、あまり良い気持ちはしない。
 それでも、それしかないのであれば、それを果たすだけだ。
 それでジークに一矢報いることができるのであれば、それが最上の策と言える。
「作戦は決まったか……? それじゃあ、……躱してみろッ!!」
 膨大な気を纏って、走り始めたジーク。
 その気の総量から、さきほどの秘技、グラヴィティ・アウトである覚ったアークは今度こそ大きく躱そうとしたのだが、
 まるで壁にでもぶち当たったかのようにその身体は動かなかった。左右だけではない。僅かな身じろぎすら利かない。そして、頭上に迫る銃剣。
 アークは再度、気を集中させての防御でそれを凌ぐ羽目になった。
 ――グッ……ゥ……! これは……ッ!
 ……気の放射を使い、かろうじて受け流しつつ、恐らくはこの異常もグラヴィティ・アウトの一種である、とアークは推測した。
 攻撃方向とは逆に対して気を放射することで、『強制的に溜めを作り威力を向上させる』のがグラヴィティ・アウトという技の正体であるならば、当然その逆も行えるわけだ。
 つまり、攻撃対象の回避方向に対して逆向きの気を放射することで、『強制的に回避を溜めさせる(遅らせる)』ことも可能である、ということだ。
 一手ごとにここまでの驚異を見せつけられてしまっては、大抵の人間は戦意を失ってしまうことだろう。アーク自身、視界が真っ暗になってしまったような錯覚を抱いた。
 あれだけの強大な攻撃を連発してきて、そのうえ回避すらできないのであれば、それはもう敗北するしかない。
 肉体を改造したジークの気の総量は尋常ではなく、初期スペックの時点で勝ち目は非常に薄い。
 だが、改造しているがゆえに生まれる弱点もあるはずなのだ。そここそがアークたちにとっての勝ち目になり得る。
 たとえば、戦闘時間。
 あれだけの無茶苦茶な戦い方を長時間継続できるとは考えにくい。であるならば、長期戦へ持ち込めば勝算はぐっと上がる。
 ――いや……。
 違う。それではダメだ。今は防衛戦の最中だ。まずは妖精族の安全を確保する。そのうえで反撃……という流れでなければ、この一局では勝てても大局では負けてしまう。
 ジークに対しては、時間を掛けるわけにはいかない。
 しかし、短期決戦という価値観で推し量るのであれば、戦況は絶望的と言わざるを得ない。
 相手には一方的なまでの、圧倒的なまでの火力がある。それは大きなアドバンテージだ(無論、こちらにとってそれは劣勢極まりないことになる)。
 そのうえ、その戦力は未だ未知数。
 だが、こちらにも優位な点はある。まずは数だ。
 二対一という戦力差は小さくないはずだ。とはいえ、チームワークなんてものはほぼ無いに等しい。その優位性を遺憾なく発揮できるとは思えない。
 そして、仙術。
 一か八かにはなるが、これを生かすほうが無難だろう。
 ――だったら……ッ!
 アークは駆け出した。結局の所、道は前にしかない。前にしか拓かれない。前にしか見出せないのだ。
 だからこそ、愚直に駆ける。愚鈍に駆ける。愚策に賭ける。
 吹き荒れる暴力的な気の嵐。
 瞬く間もない攻防。死の刃。砲口から放たれるけたたましい咆哮。それが死という方向を決定づけようとしている。
 思慮すらもない。あるのは感覚だけ。ただ、前へ。腕を突き動かすのみ。
 愚かしくも浅ましい闘争は、終わらない。
 必殺の一撃が届かない。当たらない。
 その一撃を躱し、放った一撃が躱され。そこへ放った一撃を辛くも躱し、次の一撃を叩き込む。
 一瞬が永劫に続き、永劫は一瞬で終わる。
 時間にすればそれはわずかな時間だっただろう。
 だが、その時は濃密で、凝縮されていた。
 気の暴風に巻かれながら、懸命に拳をジークへ叩き込む。それだけを望む。
 シークも同時に動いていただろうが、もうそれは意識の外だ。記憶にない。
 それどころか、そこからの記憶すらも、アークには残っていない。

 ――私は最後、眼前へ迫った銃剣を、きちんと受けられたのでしょうか。

 もちろんその独白に答える者は、誰も居なかった……。

第二十章《落月に緋は指して -Blade Princess;09 Sundown,Moonrise-》

 アークが思い出せることは少ない。
 だが、打撃を繰り返すうちに少しずつタイミングが合うようになってきたアークとシークの攻撃が、その時丁度、合致したのは鮮明に覚えている。
 同時に繰り出される攻撃は、いなせるような生半な威力ではなく、かといって躱しきれるようなタイミングでもなく、アークはその瞬間、自身の勝利を予感していた。
 だが、そこでも敵――、ジークの判断は早かった。
 回避が不可能と見るや、行動を攻撃へと変じたのだ。そしてその矛先は、アークへと向けられていたのだった。
 三人はそれぞれ攻撃動作に入っており、もう回避は間に合わない。
 アークはにわかに死を感じたのだった。
 死を覚悟した一瞬。しかし、それこそが絶好のチャンスでもあった。
 この一瞬こそ、ジークに最も隙が生まれる瞬間だからだ。
 シークへ背を向けたジークは、背後から迫る銃剣を回避できない。
 この一瞬を逃せば、今後二度と隙など生じないだろう。
 ならば。
 光の仙術を使うタイミングはここにある。
 同じ動作、同じタイミングで出せる技だ。だからこそ、切り替えも容易であるその技を、叩き込む。シーク諸共、巻き添えにする形で。
 一瞬を貫くがごとく、一閃を解き放つ。

「……射貫け。"閃きの王剣"」

 アークの拳から一条の光が迸った。
 光速で放たれる気弾はあらゆるものを貫く。障害物を貫いて走り抜ける。それを妨げることのできる物質は存在しない。
 この一撃で終わったはずだった。
 直撃を受けたジークも。
 その背後にいたはずのシークも。
 生きているはずがなかった。
 なのに。

「言ったろ? 俺は機嫌が良い。気功術の先に、こんな道筋があるなんてな。やはり敬うべきは先人だ」

 アークの放った閃光は、何故かジークには効いていないようだった。
 そして、シークの斬撃も、左手に握られたもう一本の小振りな銃剣が受け止めている。
 何故だ。
 アークは、そう問わずにはいられない。
 何故なら、アークの放つ光の仙術は、防御不能の絶技だからだ。
 光は直進する性質を持つ。物体に遮られようとも直進をし続ける。光とは本来そういうものだ。
 それが現実で起こらない理由としては、反射という性質に因る。
 障害物にぶつかり、反射することで光は曲がり、拡散する。そうして徐々に散ってゆくものなのだ。
 仙術とは気の変質に他ならない。
 精霊から仙術の力を授かることで、人間は気を変質させる能力を得る。
 光の仙術とは、気を光へと変質させる術である。
 つまり、アークの放つ仙術は光でもあり、同時に気でもあるエネルギー体なのである。
 光もであるため、光の特性を宿しているし、気もであるため、アークの操作を受け付けてくれる。
 これが光を攻撃に利用するメカニズムなのだ。
 音の速度と比較して、実に88万倍に及ぶ光の速度で放たれた気はまっすぐに直進し、対象を通過する。その際、その通過点の物質は消滅される。それは約束された因果律というものだ。この法則を打ち消す法則があるとするならそれは……。
 気功術――、ということなのだろう。
 仙術とはいえ、気であることに変わりはないのだから、気で防ぐことは不可能ではないのかもしれない。
 ただ、光の速度で――、かつ光の性質を持った気を、気で相殺することなど、可能なのかという疑問は残る。
 ……いや、それは欺瞞なのかもしれない。
 敵は強く、強大だ。こちらの思惑をすでに何度も破っている。それを今更ありえないだとか、そんなありきたりな言葉で覆すのは間違いと言わざるを得ない。
 ゆえに結論は出せる。ジークは気を放射することで身を守ったのだと。そして、こちらの手の内は割れ、そのうえ、隠してきた奥の手はすでに受けきられている。おまけにこれ以上の隙は、もう生み出せる目星もない。
「実に興味深い技術だ。鋭く洗練された高度な気功術師と相見える幸運に、感謝をしよう」
 ジークは無造作に歩きながら、そんなふうに呟いた。その表情を見て――、アークは、この男は狂っている――、と感じた。
 笑みを浮かべるその顔色は一体何に狂喜しているというのか。
 恐怖心が刺激されるアークだったが、その視界の端で動く影があったのだった。
 シークだ。ジークから離れた位置で剣に気を集中させているのが分かる。
 そこから、アークにはシークの思惑が分かってしまった。それは先程までの連携の賜物か、アイコンタクトだけで伝わってしまったのだ。
 ある意味ではその選択も狂的と言わざるを得ないのだが、それ以上の選択肢はないように思える。
 ――ならば、やるしかありませんか……。
 アークは再び拳を握りしめた。黒い手甲の感触が気を引き締めてくれるのを感じていた。

――

 妖精族の逃避行は、着実に進んでいた。
 クォラルはひとつ、息を吐いて心を落ち着かせる。
 東西南北、里を四方から襲い掛かったヴァルトニックなる軍勢は、最初は東・西・南を重点的に攻めてきていた。
 ゆえに、北にはクレアと少数の護衛を、南にはクラインと精鋭たちを送り防衛に徹していた。
 中央にはクォラルが控えることになる。
 しかし、戦況の不利を覚ったクレアは独自の行動に出始めた。持ち前の剣速を生かした遊撃を開始したのだ。
 そのため、妖精族全体の配置にも変更の必要性が生じた。敵の勢いが減じたのをきっかけに少しずつ部隊を下げさせることにしたのだ。
 敵は想定以上に強く、その技術力は看過できないものに成り果てていた。
 これ以上戦線を拡大すれば部隊は散り散りになり各個撃破される可能性もあった。それゆえの後退だ。
 クレアたった一人での抗戦は、それでも凄まじい戦力であった。効率的に指揮官を殺し、混戦に持ち込むことで被害を押さえるやり口は鮮やかですらあった。
 その間も敵の攻撃は止むわけではない。押され始めたクラインを援護するため、クォラル自身も何度か戦線に出向いて剣を振るった。
 一度退いてはくれたみたいだが、あの銃剣使いは別格だった。クラインでは荷が重いだろうが、何とか耐え凌いでもらうほかなかった。
 そして、クレアから撤退の提案がもたらされた。それもやむなしといった状態だった。
 クレアですら臆するような存在が、同じ時代に生まれてくることが奇跡のように思える。それくらいにクレアの戦力は強大なのだ。
 時代が時代なら歴史に名を残していただろう。
 たった十年の修行で兄弟子のフレアを越え、師であるクォラルよりも強くなった。妖精族の中ですらそうなのだ。気功術を生まれながらに使えないはずの人間族とでは勝負にすらならないだろう。そう思っていたのだが……。
 何事も予想というものは軽々と覆されてしまうものだ。
 あのクレアですら臆するような相手が現れたとは。……それこそがこの軍勢の総大将、ヴァルトニックに違いあるまい。
 クレアにも敵わないのであれば、あとは撤退することでしか、生存の道は残されていないだろう。
 依然、東・西・南には多くの戦力がいるらしく、一度相対したあの銃剣使いはいるだろうが、北こそが最も手薄に違いない。であるならば、そちらに前線力を集中させ突破するしか活路はない。
 そうして撤退戦は始まったのだった。

 敵の目的は分からない。だが、何かを求めるようではなく、純粋に殺すつもりなのだということだけが分かっている。話し合う余地すらなかった。
 人と戦うつもりなど、妖精族にはない。だが、妖精戦争の折に無抵抗に殺害された同胞のようにはなりたくない。
 見殺しにはできない。抗戦することに決めたのだ。
 死ぬわけにはいかない。絶対に生き延びる。犠牲者を出さないことは無理だろうが、可能な限りは生存させる。
 それこそが長であるクォラルに与えられた使命だった。
 若くして死んだフレアの父に代わり、里長を務めると決めたあの時から、定められた宿命なのだ。

 そんな決意と共に進む道すがら、クォラルは気づきたくない疑問に頭をもたげ続けていた。
 ――クレイン、ヌシは今何処におる……?
 一度転進させ、北で戦っていたはずの部隊とは未だに合流できていない。その行方にはおおよその見当は付いているものの、心配でならない。
 無事でいてくれれば、それが一番いいだろう。
 もし無事でないとしても、この道中にはいないで欲しいものだ。
 ――今のクレアには、出来うる限り見せとうないわ。
 クォラルは、前方で揺れるクレアのポニーテイルを目の端に留めつつ、そう願わずにはいられなかった。

――

 放たれた光の槍はやはりジークの気で受けられている。
 ならば、と今度は立て続けに打ち込んだのは光の針の槍衾。
 だが、高笑いと共にそれらは吹き飛ばされる。アークは呆れて失笑すら浮かべてしまう。
 恐るべきはその気の総量だ。どうしてあれだけの気を無造作に放ち続けられるのか。肉体の改造、その一言で片付けるにはあまりにも不可解だ。
 ヴァルト社の技術力の高さ、と言ってしまえばそれまでなのだが。
 そして。もちろんこちらにも限界はある。
 光の仙術は燃費が悪いのだ。
 それもそのはず。光の仙術は通常の気功術と比較して、より圧縮して放たなければ殺傷力を持たせられない。つまり、ただの閃光にしかならなくなるのだ。
 ゆえに密度を持たせ、圧縮し、凝縮して打ち込む。それは他の物質を消滅させるほどの威力を誇るのだが、当然それには大規模の消費が不可欠だ。
 今までアークが使用を控えていたのは奥の手の温存という考えもあるにはあったが、それ以上に体力消費を考慮してのものだった。
 これだけの大量消費は、アークにとっても初めてのことであり、それだけに不安は拭いきれない。
 奥の手が時間稼ぎにしかならないというのは、なんとも歯痒いものである。
 だが、それも大事な戦術のひとつだ。この時間が、勝敗を分けることになる。
 アークは疲労に震える手足を気合いだけで振り抜く。
 地面を放射状に広がる光の波動。やはりジークの足下からそれは無効化されている。
 それを見留めつつ、アークは跳び上がる。頭上には巨大な太陽があった。
 いや、それは太陽ではない。太陽と見まがうほどの光の塊。戦いの最中に少しずつ練り上げていた気弾だ。
 それが、重力に従うかのように、地面へと吸い込まれてゆく。
 ここでようやくジークは回避に向かおうとした。だが、その足はそこで止まる。
 ジークは振り向かなかったが、その背後にはシークがいた。
 まるでシークを庇うかのように、ジークはそこで待ち構えていた。
 やはり、予想は的中していた。
 ジークは、家族を裏切らない。シークを巻き添えにするようなアークの攻撃は全て受け止め、無効化していた。
 だが、この一撃は無効化できまい。よしんばできたとしても、そこに隙は絶対に生じるはずだ。
 シークはそれを見越して、すでに気を集中している。背後から襲い掛かるための二撃目だ。
 守ろうとしている弟から決死の一撃をもらう気分はどんなものなのだろう。願わくばその表情は唖然としていて欲しいものだが、光に霞んでアークからは窺えない。
 僅かに垣間見える気配からは、あまり驚いているようには見えない。全て分かっていたとでも言うのか。
 だが、それでも結末は変わらない。ジークは、弟を守るためにもアークの放つ"嘆きの太陽"を躱せない。だが、受けきったところで背後から迫るシークの"ストライク・アウト"を躱すことはできない。
 これで完全に詰みだ。逆転の手はない。
 そして、太陽はジークを、シーク諸共、包み込むように落下し、視界は白に塗り潰された。

 ――音もなく、光が全てを呑み込んだのだった。

第二十一章《月蝕む太陽 -Blade Princess;10 Sundown,Mooncry-》

 穏やかに流れる川のせせらぎですら、長い年月を掛けて岩を割るものだ。
 百年、千年という年月を経て、地形は変わり、変化してゆく。
 その過程の中で滝は後退を続け、地図も書き換わってゆくというのは、途方もない未来の話のように感じるが、明確に訪れうる運命であるとも言える。

 そんな壮大な話へシフトさせなくとも、分かりきっていることがある。
 それは、僅かなダメージも蓄積されれば致命傷になり得るし、僅かな疲労さえも命を失いかねない明白な損害であるとも言えるわけだ。
 戦いに疲労した思考の中、ジンはそんなことを考えていた。

 戦いの最中、ジンが分かったことは、マーカスという敵の正体だった。
 もちろんそれは生き別れの兄弟だとかそんな壮大かつロマンチックな寓話ではなく、単にその性質が分かったというだけの話だ。
 マーカス。この男の戦いぶりは噂通りに『戦闘狂』そのものだった。
 例えばの話をしよう。
 ゾンビ映画――娯楽には疎いジンでも知っているような比較的ポピュラーな映画のひとつだ――が、ホラーの属性を背負っている理由は、そこに連綿たる恐怖が潜んでいるからだ。
 その恐怖とは、戦うことをやめないという狂気性にあると言えよう。
 人間が人間たる存在を確立する上で、意思というものは必要不可欠だ。
 そして、意思があれば、そこには迷い・恐れ・油断・驕りなどの感情が入り交じることになる。
 その感情は大変分かりやすい、ともすれば共感しやすい感情だ。
 理解できるものに人間は恐怖は抱かないものだ。逆に、理解できないものには人はとことん恐怖心を抱いてしまう。
 目を疑うような現象・行動に、人間は対処ができないのだ。
 急所を狙われ、気づかないというわけでも躱すというわけでもなく、自ら刃に向かって突進してくるような戦い方はまともな人間にはできない。というよりもできるわけがないのだ、普通ならば。
 意思を持ち、戦う人間ならば、絶対に破らない法則。
 それを破り、愉悦に顔を緩ませるような敵に、ジンもフライヤも対応しきれなかった。
 ジンとフライヤの得物は剣だ。急所への攻撃は本来必殺となる一撃だ。だが、気功術士同士での戦いでは、剣は切断力を発揮できない。相手と気とこちらの気がぶつかり合うことで干渉し合い、斬撃は単なる衝撃でしかなくなってしまう。
 それでも急所への攻撃は有効な打撃であることは変わらない。気に因る防御である程度までは防げたとしても、全くの無傷とはいかない。ノーリスクでは捌けない攻撃だ。
 だというのに、そこへ自ら飛び込み、回避も受け流しもせずきっちりと受けた上で、貪欲に攻撃を続けるというそのマーカスの戦闘スタイルは、まさしく『戦闘狂』と言わざるを得ない。致命傷をかろうじて避け、それ以外の余力を攻撃に注ぎ込む。その絶妙な攻守のバランス感覚はおそらく天性のものなのだろう。
 そんな敵との戦いによる心理的なダメージと、長期戦による過度のストレス。そして紙一重で躱し続けたとは言え、蓄積した手傷が少しずつ、ジンとフライヤを蝕んでゆく。
 綱渡りのような戦闘は、均衡しているようでその実、一方へと傾き始めていた。
 張り詰めた緊張感を抱えて戦い続けるジン&フライヤと、恍惚としたトランス状態で戦うマーカスとでは、徐々にではあるが明確に戦況は決しつつあった。

 ――狂い始めた歯車は、不協和音を響かせ始めていた。

――

 辺りは眩しい光に包まれていた。
 この場からでは太陽よりも大きく窺える光の玉を、ジークは憮然としたまま見つめている。
 傍から見れば絶体絶命だ。助かる余地などないように思える。
 頭上からは巨球が舞い降り、背後には弟であるシークが決死の覚悟で彼の得意技である"ストライク・アウト"を放とうとしている。
 この第二の太陽を受け止めることはおよそ不可能である。物体を消滅させるほどの密度を持った光を受け止めるには、それ相応の密度を伴った気が必要だ。普通の使い手ではそれだけの気を溜めることすら不可能。ジークほどの使い手であろうと、これだけの量の気を練るには時間が足りないに違いない。
 躱すという選択肢も本来ならばある。だが、躱せば実弟の覚悟を無下に扱うことになる。その末路は太陽に灼かれての即死だ。見るに堪えるものではない。それ故にジークは詰む。そのはずだった。
 だが、シークは聞いてしまった。その不可解な言葉を。
 憮然と、見ようによっては呆然としていたように思えたジークから漏れた呟きは、こんなものだった。

「……臭うな」

 明白する意識の中、シークの耳にはその一言がしこりのようになって残り続けていた。

――

 "嘆きの太陽"。
 それは、今のアークに放つことのできる最大の攻撃力を持った攻撃だった。
 その特性はアークの放出した気を無尽蔵に吸収し続けるというところにある。
 アークが時間稼ぎのために使い続けた光の仙術。本来なら、それらは攻撃の役割を終えた時点で気化し大気中に分散してゆく。しかし、コントロールを完全に失うというわけではない。拡散した気は磁石に吸い寄せられるかのように上方へ移動し、その後、凝縮される。
 そうして徐々に、まるで水蒸気が雲を形作るかのような形で――もちろん凝固する速度は水蒸気のそれとは比べるまでもなく早く――形成されてゆく。
 集結した気弾は速度こそゆっくりではあるが、威力や密度は比べものに通常の術とはならないほどに高い。
 威力は集めた気に比例して強化されてゆくが、今回のケースはアークがコントロールできる範囲の中で、限界に近い容量だった。もしこれでも、ジークに太刀打ちできなければ、この戦いは戦いにすらならない。ジークが全力を出した時点でもはや虐殺にしかならない。
 どうなるかは一切が予測不明。アークは、太陽の墜落で舞い上がった砂埃の中、ただ、気を張り詰めさせるしかなかった。
 
 ――やがて、煙は晴れ、結末は日の目を浴びることになる。

 銃剣が、その腹を貫いていた。
 吐き出された夥しい血の量が、その傷跡の深さを物語っている。
 その終焉の凄惨さを物語っている。物悲しく語りかけるように、伝えてくれる。
 それは死を予感させる出来事だった。死しか想定できない有様だった。
 それくらいあっけなく、無残に、殺された。
 シークは、死んだ。アークはそう覚ったのだった。
 手に握る刃を紅に染めながら、ジークは振り返る。その顔色は返り血に染まって、悪鬼か何かのようにさえ見える。
「すまないな、シーク……。もう少しお前と語らっていたかったのだが、そうも言ってられないんだ。俺には果たすべき、復讐がある」
 ジークは剣を振るうと、刃に付いた血が飛び散り、払われる。
 血を拭いきらぬままに、ジークは跳び去った。
 残されたのは、呆気にとられたアークと、腹部を深く斬り込まれたシークの亡骸だけだった。

――

 エリィを無力化したリース、フレア、スピアの3人は、里の北側から進行していた。
 エリィを撃退したことにより、進路を妨げるものもなく、その道程は順調そのものだったのだが……。
 その道中の会話はというと、実に少ない。
 緊迫した状況だからというのも、もちろんある。
 だが、それ以上に、リースが記憶を取り戻したということが一番の理由だった。
 フレアとスピアは、どう切り出したものかと頭をもたげていたし、リース本人もどう伝えていいのか分からないでいた。
 長い沈黙を破ったのは、スピアの一言だった。
「……で、嬢ちゃん。あんたのことはなんて呼んだ方がいいんだ?」
 紆余曲折、思案を経た末に辿り着いたのは、呼び方というシンプルな問答だった。
 それでいて、記憶に関する問いでもあるのだから、ある意味上手い質問でもあっただろう。
 リースは少し言葉を詰まらせながら、つっかえつっかえと言った様子で答える。
「……別に。今まで通りリースでいいよ。そう呼んでくれるなら、そうしてくれていい」
 そっけないふうな受け答えではあるものの、言外にリースと『認めてくれるのなら』という前提を入れてくる辺り、リース本人も現状に迷いを抱えていることが窺える。
 記憶を取り戻し、無垢でいられなくなった自分は、果たしてリースを名乗って良いのだろうか。彼女はそう問いたいのだろう。
 その口調は、いっそ受け入れてもらえなくてもいい。拒絶されても構わない。そんな心境が現れていた。
 そして、そんな回答を返されれば、反論を挙げるのはフレアの役目だ。
「過去が何だって、リースはリースだろ。今更別人みたいな言い方するなよ」
 それは、悪いふうにだって捉えられる発言だ。一瞬、良いように解釈しようして、頭を振りながら、リースは沈んだ声で頷く。
「……そうだよね。アタシは昔から、人殺しだったんだ」
「そうじゃねえよッ!」
 思わず、と言った様子でフレアは足を止める。それに併せて、スピアとリースも立ち止まった。フレアの顔色を盗み見て、リースは自分の間違いに気づいた。思い知ってしまった。
 自分の被害妄想が、彼の優しさを棒に振るったのだと、気づいた。
 信じたかった。信じていたかった。でも、信じて裏切られるのが怖かった。だから、嘘を吐いた。被害者ぶった反応をした。
 その結果、リースはフレアを傷つけていたのだ。
 フレアが言っていたことは、過去のリースがやってきたことを非難するようなものではなかった。むしろ逆だった。
 どんな過去があったとしても、自分の本質を見てくれているのだ。そういう意味でリースはリースだと言ってくれていたのだ。
 それはリースにとって、とても嬉しくて、でもとても恥ずかしくて、けれどもやっぱり嬉しい気持ちのほうが大きかった。
 思わず、目頭が熱くなっているのを感じた。
 そうして、遅まきながら、リースは初めてひとつの感情を知った。
 その感情の名前に、心当たりが出来た。
 暖かくて、恥ずかしくて、嬉しくて、じんわりと胸に広がって、むず痒くて、ドキドキして、そわそわして、ふわふわする。
 そんな感情の名前を、思い出した。
「頼むから、そんなこと言うなよ……」
 懇願するような、彼の口調を、リースには責めることができない。
 突然の気づきに、思考回路はショート寸前になっていた。
 ――そうだ。アタシは……、フレアのことが好きなんだ……。
 リースは一人、胸の中で独りごちるように想ったのだった。

第二十二章《共喰の双星 -Blade Princess;11 Yin and Yang-》

 刀を握っているのか、いないのか。それすら判然としない。
 疲労した筋肉と感覚神経が、正常に働いていないジンには、慣れ親しんだ勘だけを頼りに剣を振るっていた。
 フライヤと組むようになってから、これほど長時間戦闘したことはなかったように思う。
 それは、フライヤの奸計により、そうならないように策を弄していたからに他ならない。
 それは安全マージンを取ることでリスクを減らす目的だったのだが、その弊害が今まさに目前に現れていた。
 リスクの極小化。それは、いざ危険な状態に陥っってしまったときに人を平静でいられなくさせてしまう。
 身体に染み込んだ安全な戦闘は、危機意識を鈍くさせる。
 ジンは、悟った。――今までの自分はフライヤと協力していたのではない。フライヤに甘えていたのだ、と。
 徐々に低下するフットワークと共に、ジンたちの連携も崩れてきていた。
 今まで見通すことができたフライヤの動きに、ジンは対応できなくなっていた。
 先が読めない。
 徐々にもたれつつある身体捌きは、次第に縺れ合い始める。
 庇うつもりが、互いを傷つけ合い――。守るつもりが、足を引っ張り合う。
 無様なダンスのような様相を呈していたジンが、決定打の銃撃をもらうことは、もはや必然の出来事だった。
 そんなジンを庇おうとより懸命に守備領域を広げるフライヤだったが、フライヤに負担を掛けまいとするジンの挙動が、ぶつかり合い――。
 再び、弾丸がジンの胸を貫いたのだった――。

――

 木々の合間を駆け抜けてゆく――。
「なぁ、ホントにこっちで合ってんのか? ずっと似たような森にしか見えねぇが――」
「ああ、だいじょうぶ。間違いない、こっちだ」
 フレアは迷うことなく突き進んでゆく。進むにつれ、気の圧力が高まるような心地がする。
 間違いなく合っているのだろう。そう思うからこそ、スピアも、リースもそれ以上問い掛けるようなことはしなかった。
 この先には誰かが、何かが待ち受けている。優れた気功術の能力を宿した誰かが、この先にいる。二人はそれを確信していた。
 スピアは思う。
 これは妖精族の戦いだ。自分たちはそれに便乗しているに過ぎない。
 守る――、というのは体裁だ。本来なら、彼らは守られるような立場にいない。
 けれど、助けなければ危ないというのなら。そして、それを助けたいと友が叫ぶのなら。そんなささやかな理屈など水に流してしまえる。
 最強の種族。最強の流派。スピアが最も憧れた人物たちがこの先にいる。
 およそ足下にも及ばないような若造が助けるだなどと宣っている。
 そんな愚かな言動を笑われたって良い。友の想いは、そんなふうに蔑ろにされるべきものではないはずだ。
 だから。
 スピアはより強く駆けようとその足を蹴った。
 その瞬間に、ゾクリと背後から嫌な気配がする。あまりの気持ち悪さにスピアは咄嗟に振り返る。リースもフレアも同様だった。
 それが敵であることは考えるまでもない。ならばそこからは考える必要などない。
 友の想いを守るために、里を救うという使命を遂げさせるために、スピアは大槍を突き出して構える。
「兄ちゃんは先に行きな。余計な時間を使わせるわけにはいかねえだろ」
「けど……」
 フレアは優しい男だ。やはりそこで一歩踏み止まる。だが、それではいけないのだ。二兎を追う者は一兎をも得ない。ならばより優先順位が高いほうを先にするべきだ。こんな相手に時間など掛ける必要はない。
「二秒で敵を殺せる確信があるなら止まれば良いと思う」
 リースは、そんなふうに呟いた。冷たいようにも聞こえるが、スピアには随分と優しい台詞に聞こえる。
 立ち止まれない、理由を与えたんだ。
「……分かった。死ぬなよ、スピア」
 そんなふうに名残惜しそうな雰囲気を醸し出して、二人は走り去った。スピアだけがこの場に残る。
 死ぬな、とは随分な捨て台詞を残してくれるものだ。
 この気配が感じ取れないとでもいうのだろうか。まったく馬鹿らしい。スピアは溜息を漏らす。
 今までにこんな気配を感じたことはない。
 ここまで圧倒的な気配は。
 勝てるかどうか以前に、何分持つかも分からない。
 それくらいどうしようもない力量差が存在している。
 スピアの胸にはアークからもらった例のお守りがある。
 死ぬ間際に精霊が現れて、力を与えてくれるだのなんだと。
 スピアは頼りないお守りを眺めながら、いづれ来る死の時間に想いを馳せていた。
 
――

 戦いの気配はそこかしこから感じられる。
 それは妖精族の末裔であるクレアには、当然に備わった技能だった。
 しかし、それとは別に一カ所だけ。どうしても拭いきれない違和感がある。
 そこに行くべきだと、内なる何かが訴えているようだ。だが、それと同時に行くなとも、訴えている。
 相反する想いは、同時に一つの確信を抱かせる。それは、いずれにせよ何か大事なことなのだということだ。
 そんな大事なものを見過ごすべきなのか。クレアは自らに問い掛ける。
 答えは、否だ。
 だったら、多少のリスクは踏んだとしても、そう行動するしかない。
「長老。少し離れてもいいですか」
「何を言っておる。それが出来るような状況だとでも……」
 しかし、クォラルはクレアの顔色から、その覚悟を悟り、やがて頷いた。
「10分やろう」
「ありがとう、お祖父ちゃん」
 頭を下げて、戦線を離脱する。
 戦況が危ういのは理解している。本当は離れるべきではないのも理解している。
 だけど、この胸騒ぎをほっといて、戦いには望めない。
 だから――。
 クレアはできる限りの最高速で、その場へ向かう。
 ――と言っても、誰かの戦いに巻き込まれたら時間を食っちゃうから、ちょっと遠回りになっちゃうけど――。
 それがクレアの最高速度だった。いくつかの戦闘を遠巻きに避けて、辿り着いた場所には――。
 吐き気がしそうだった。
 森が血で赤く染まっている。無残に切り刻まれた屍体。目を背けたくなるような地獄絵図。
 一体何が憎いというのだろう。森の奥地で密やかに生きていた一族の何が気に入らないというのだろう。
 どうしてこんな惨たらしい有様に身をやつさねばならなかったのだろう。
 妖精族の何がいけなかったというのだろう。
 見れば見るほど、死屍累々。見たくない惨状が辺りに広がっていた。
 鼻につくのは死臭。血の臭い。鼻の曲がりそうな悪臭だ。そして、胸騒ぎの元凶は――。
 ……臭いだ。臭いがする。
 血の臭いに混じって、何か別の――、嫌な臭いがする。
 そこで、見つけてしまった。
「お父さん……」
 父、クラインの首だけが転がっている。クレアは膝をついてしまう。
 ――酷い。酷すぎるよ……。
 これが人間……? これが外界の実情……? これがフレアの憧れた、旅だった世界……?
 そんなはずはない。そんなわけがない。こんなものが当たり前の世界など、あっていいわけがない。
 ただ、そんな異常者がこの里を襲った。それだけの話のはずだ。でなければ、もう……。
 クレアは何も信じられなくなってしまう。
 見れば辺りには、顔は窺えずとも見慣れた服装の跡が見える。クラインとその部下たちのものに違いない。
 クレアはそっと、かつて父だったその首へ手を伸ばす。
 妄執に身を焦がすかのように血走り、見開いたままの目を、まぶたを閉じさせて覆ってやる。すると少しだけ表情が安らかになった。
 そのときだった。ピシリと指が痛んだ。
 あの、嫌な臭いが鼻をつく。その正体は――。
 いくつもの想像が像を結び、やがてクレアは答えに辿り着く。
 きちんと弔ってやりたいが、それは時間が許してくれない。
 それよりも早く救わなければならない命がある。
 クレアは先程にも劣らない速度で走り始める。
「早く伝えないと――。敵は、毒を持っているんだ」

第二十三章《共喰の双逝 -Blade Princess;12 Black and White-》

 それはまるで無様なダンスのようだった。
 一度狂ったリズムは足掻いたところで取り戻せない。庇うために踏み出した足が縺れ合い、ぶつからないように避けた動きが致命的な隙を生み出す。
 傷付き合ったフライヤとジンは互いを庇うために身を寄せ合い、フォローし合っていたが、その相性はあまり良いとは言えない。
 普段の彼らなら造作もなく動きを合わせられたことだろう。だが、ここまで追い詰められたのも、消耗させられたのも、初めての経験だった。
 フライヤがリスクを策謀で排除しきっていたことが敗因だった。
 人間は危機感を強く感じることで、普段とは違う動きをしてしまう生き物だ。というよりもそれは生命全てに言える本能のようなものなのだ。
 経験で培った技術や、先天的な癖とも違う、心に植え付けられた衝動が、理性に逆らい、フットワークを掻き乱す。
 庇うべきではなかったのでは……。一瞬だけそう思うジンだったが、すぐにその考えは打ち消される。
 今この手を放せば、死ぬのは自分だ。ジンはそれを確信している。
 フォローができないのは確かだが、支え合っていることは紛れもない事実なのだ。
 迂闊に立ち上がることさえできないような極限状態で、回避している。
 この奇跡は、ジンとフライヤだからこそ成し得る奇跡なのだ。
 一人では成り立たない。二人だから成り立つのだ。
 その奇跡が、少しずつ綻びていっている。ただ、それだけなのだ。

 飛び交う銃弾は数知れず。数十、数百に及ぶ弾丸が宙を舞う。
 敵兵の屍体もごろごろと転がっている。同士討ちがほとんどだが、ジンたちが仕留めた者も何割かはある。
 それもこれも同士討ちを引き起こそうと誘導して躱し続けた成果なのだが、それでも体力までは温存できるわけではない。
 躱しきれないと悟るや、ジンは肩で銃弾を受け止める。そこからスイッチしたように回避をフライヤに任せる。
 そうして交代制で挙動を制することで、温存をするつもりだった。
 だが、そんな苦労も実は結ばないだろう。
 呼吸は苦しく、視界は霞み、音は不鮮明で、触覚はもうほとんど残っていない。
 残っているのは意識だけだ。戦うという意思だけで戦場に立っている。

 そんな最悪のタイミングで、ヤツは何度目かの特攻を仕掛けてきた。
 ヤツは何度かそんなふうにヒットアンドアウェイを繰り返している。
 ここが一つの山場だ。ここを堪えればまたしばらくヤツは来なくなる。そこで如何に敵を減らせるかが勝敗の分かれ目だ。
 だが、戦闘狂マーカスの戦いは尋常ではない。死を恐れずに前進し、急所へ打ち込むためだけにその身を滑り込ませてくる。
 銃口が、無防備なジンへ向かう。
 フライヤの剣が、マーカスの攻撃を防ごうと、標的を定める。
 条件反射で動いてしまった後、後悔が胸をよぎる。
 背後から迫るサーベル。回避できるはずの位置から、回避できない位置へと動いてしまっている。
 咄嗟に動きを変えようとした。しかしそうすればジンを守ることができない。
 フライヤは歯を食い縛り、そのまま剣を振るった。
 そして背後からの一撃で、意識が飛ぶ。
 ――バカ、な…………。

 フライヤは自らの未熟な力量を呪った。

――

 どうして私は、肝心なものを、いつも守れないんだろう。
 本当は大事にしていた。逃げたつもりなんかない。守るべき者を守ったつもりだったのに。
 結局何も伝わらない。私は一人だ。いつだって一人なんだ。
 分かってる。慣れてるし、気になんかしてない。
 ただ、分かってくれているんだと思ってた。それが理解されていなかった。それだけのこと。
 裏切られた。そう思ったし、悲しかったし悔しかった。
 けどまぁ、自分勝手な物言いだというのも分からないでもない。
 だからこの状況は受け入れられる。だいじょうぶ。だいじょうぶなんだ。
 私はそう、思っていた。

 《龍の血族》(スカーレット・イリス)。それは百年に一度生まれる天才の総称なのだと言う。
 もし本当に私がその天才なのだとしたら、天才の大安売りもいいところだと思う。
 それがどんなものなのかは知らない。けれど、私にできることは多くない。
 私のすべきことは、とうに分かっている。
 故郷であるこの国を平和へと導くこと。
 私を支えてくれた皆を、幸せにすること。
 そのためにすべきことは国の繁栄だと私は思った。
 幸い、私は王家の血筋の生まれだった。国の後継者になることは容易い。
 実権を握れれば、それからの活動は楽に進むだろう。もはやこの国の平和は約束されたようなものだった。
 ……私が一つの事実に気づくまでは。

 私には弟のように可愛がっている弟子がいた。
 実際幼い頃からの付き合いだし、向こうも王家の血筋の一人だったので、本当の家族のように過ごしていた。
 周囲は噂していた。彼が私の主人になるのだと。あるいは優秀な副官として、王の右腕として活躍するのだろうと。
 私もそういう未来を予想していた。そうなれば素敵だろうと思っていたのだ。

 成長するにつれて、私は力を制御できるようになっていった。
 《龍の血族》としての力を存分に振るえれば、もっと多くの人を幸せにできるに違いない。わたしはそう感じていた。
 しかし、力を得れば得るほど。力を知れば知るほど。私はその力の正体に気づいてしまう。
 私の思考は徐々に拡大していった。家族から街へ。街から国へ。国から大陸へ。大陸から人類へ。そして人類から……。
 私の思い描く理想は徐々に姿を変えてゆく。大きく、大きく、肥大してゆく。

「姉さま。それは違うと思います。そんなことをしては住人は暴動を起こすことでしょう」
「長い目で見ればそのほうがいいでしょう? 今のほうが傷跡は少なくて済むのよ?」
「しかし、それでも……私は反対です」

 初めて、弟が……アークが私に反論をしたのだった。
 内容は確か……、畑の位置についての話だったように思う。
 効率を考えればもっと適した場所がある。住人総出で移動したほうがより大きな収穫が見込める、と。確かそういった案件だったはずだ。
 対して、アークの反論は住民の気持ちを慮ったものだった。
 今までそこを耕し続けてきた者たちの気持ちはどうなる。その土地を耕し続けてきた先代、先々代の誇りをドブに捨てていいのか、と。
 その発言は、以前私がアークに問い掛けたことのある言葉だった。
 彼はそれを受け継ぎ成長し、私はそれを見失ってしまっていた。
 全てを血の所為にするのは、浅はかだと思う。けれど、私は王の器ではないのだと悟ったのだった。

 そうして私は国を捨て、一人の人として生きることにした。
 その生活は決して楽ではなかったが、今までと違うことも多くて、新鮮な生活だった。
 けれども、そこでも私はまたしても自らのアイデンティティに脅かされることになった。
 信奉者が現れたのだ。私を救世主に見立てて、祭り上げようとする輩。次第に身動きは取りづらくなり、私は一計を案じることにした。
 誇り高い賞金稼ぎなら、今の私を諫めてくれるはず。
 人の道を踏み外し、道を彷徨う私に、正しい道を指し示してくれるはず。
 その言葉を聞きたい。その言葉に打ちひしがれたい。
 そんな馬鹿げた思考が渦巻いていた。

 迷いつつも、行動は変わらない。
 その頃の私は力を大分制御できるようになっていて、そのお陰かどうかは知らないが、大体の人間のことは眼を見れば判断できるようになっていた。
 見切りの発展系みたいなものだろう。鋭い洞察力の先にある技能だろうか。それがどういう人間かが大雑把に分かる。
 大雑把も大雑把だ。厳しそうに見えて、人の弱さを知っているから実際は優しい人だとか。しっかりしているふうに見えて、実際は自分のことしか考えていない自己中だとか。おちゃらけた雰囲気で賑やかすけれど、その性根は凄くナイーブで神経質だとか。そんな感じ。
 場合によるが、以外と頼れる技能で、人を使うときにはかなり重宝した。
 そんな私の眼が、捉えた男がいた。
 世を憂い、賞金稼ぎに身をやつす青年。その性根はまっすぐで、歪みがない。まっすぐに私を見通し、見透かしていたように思う。私を軽蔑するような、そんな軽薄な眼差し。
 それは、普段私が浴びることのない、希有な眼差しでもあった。

 私は、彼に――。ジン=フラッドに目を付けていた。

 そして――。

 …………そして……? どうした……?
 記憶が混濁する。ノイズが走る。不鮮明に明滅する。
 そこから私はどうした……? 彼と出逢って、それからどうなった?
 ちゃんと私は望みを伝えられたのだろうか。
 私は否定されたかった。間違っていると指摘して欲しかった。正しい道を指し示して欲しかった。
 間違っているのは分かっていた。けれど、正しいはずの道を指し示せなくなっていたんだ。
 正しいものが何なのか。私には分からなくなってしまったんだ。
 だから、物差しを持つ人を探していた。それこそが彼だったはずだ。
 求めていた人を見つけた。だから声を掛けた。……はずだ。
 なのに、その記憶が、ない……?
 いや、違う。記憶が……。記憶が……。

 お願い――。助けて……。
 私を……見つけて――……。 

第二十四章《共喰の双生 -Blade Princess;13 Dead and Alive-》

 ――私は今、何を考えていた――?

 思い出せない。
 何かを思い出したような気がするのに、今ではその残滓すら残っていない。あるのは、何かを思い出したような感覚だけ。
 空虚な、空っぽな自分――。
 飽き飽きするぐらいいつも通りの自分でしかなかった。大嫌いで、許せない自分でしかなかった。

 ――私には何もない……。

 求めても手に入らない。独りぼっちの空白。
 目的も理想もない。ただ、あるだけの存在。フライヤはそれを嫌悪していた。
 しかし、嫌悪するだけ、憎悪するだけ、視線はそれに吸い寄せられることになる。その結果何度も目の当たりにしてしまう。
 自分を見ないで生きる手段などないのだから。

 一人でいるのは嫌いだ。大嫌いな自分しかいないから。
 だから求めた。彼を求めた。彼がいれば何でもできる。何にでもなれる。
 それはもう、病的なくらい、彼に依存していた。
 分かっていた。理解していた。それでも、求めずにはいられない。それ以外に自分を保つ手段がないのだから。
 だからこそ、ここは嫌いだ。

 独りぼっちの空白。虚無の空間。
 何もない。自身を象徴する一切が存在しない伽藍堂。
 吐き気がする、居心地の最悪な空間。
 自分以外の一切が存在しない、フライヤ自身の脳内。

 目を覚ましたい。
 けれど、その手段は分からない。
 何故、意識を失ったのか。何故またここに来たのか。
 分からない。分からない。

 ――助けて……。私を見つけ出して……。

 ――ここから、連れ出して――……

――

 銃弾が飛び交う中、肩を寄せ合った相棒が意識を失っている。
 ついに来るべき時が来たのだと、ジンは戦慄した。
 相棒は天才だ。それは努力の必要がないという意味だ。
 どんなことでもほんの数回で身につけてしまう彼女には、反復練習が必要ない。その結果、体力があまり保たないのだ。
 それでも、気の消耗は最低限に抑えられているため、普段はあまり気にならない程度の体力であると言える。
 だが、こういった極限状態では、それすらもままならない。
 傷つき、追い詰められ、ギリギリまで磨り減らされた精神では、堪えきれない状態になる。

 ツケが来たのだ。
 今まで彼女の才能に、彼女の危機回避能力に甘えてきたことのツケが、今にしてようやく回ってきた。
 頼みの綱のフライヤには、もう頼れない。彼女はもう、戦えない。
 ならば今、彼女を守るべき存在は自分しかいない。思えば、自分はこの時のために彼女と共に居たのかもしれない。
 ここで命を潰えたって構わない。彼女を守れるのなら、こんな命、いつ捨てたって構わない。
 フライヤの笑顔を守れるのなら、どんな苦痛にも、孤独にも耐えきってみせる。
 この、絶望的な現状からも脱してみせる。
 彼女の命、それと引き替えなら、自分の何と引き替えになったっていい。

 ――俺の全ては、お前にくれてやるわ。

 こんな命に価値があるなら、全てを燃やし尽くしてやろう。
 ジンを包む気が、煌々と猛り、燃え上がっていた。

――

 元々、ジンには何もなかった。
 ゴロツキばかりがたむろする汚い街でその日暮らしに生きてきた。
 刹那的な人生。今日死ぬか、明日死ぬかの毎日。賭け事でありついた金を一夜で使い切るのもいつものことだった。
 街の治安は最悪だった。盗みも賭博も当たり前の日々。ジンはそんな毎日に満足していた。
 太く短い人生だと、そんなふうに考えていた。
 当たり前の幸せなど、知りもしなかった。安心して眠りにつける世界を知りもしなかった。
 罵声と銃声が鳴り響く街で、当たり前のように眠りこけていた。

 そんな日々が永遠に続くかと思っていたが、存外に早く、僅か一晩でジンの日常は終わりを告げた。
 ヴァルトニック社の軍勢と、レジスタンスの戦いの主戦場になった街は、翌日には廃墟になっていた。
 ジンが寝座にしていた地下道は災禍を免れたらしい。……地上は酷い有様だったが。
 なんとなく九死に一生を得てしまったが、特にすることもない。
 別の街に移ったジンはそこでなんとなくギルドの門を叩いた。
 賞金稼ぎとしての生き方をそこで得た。

 意味など特になかった。今まで通りに盗みや賭博で生きても良かったが、前の街ほど治安が悪かったわけでもなく、そういう生き方が若干ながらしにくいだろうというのもあった。
 だが、それだけだ。
 別に誰かを助けたかったとか、生き残る力が欲しかったとか、そんな感傷的な理由ではない。
 楽な生き方を望んだ結果だった。

 初めての依頼を果たしたとき、そこで初めて疑問が生じた。
 何故、ここまで喜ばれているのだろうか。
 自分がしたことはただの喧嘩だ。今まで通りの暴力と罵声が飛び交うだけの汚いだけの日常だ。
 だが、「助かりました」と笑みをこぼす老人に、ジンは困惑するしかなかった。

 今まで通りだったはずだ。何が違う? 何処が違う?
 繰り返す度に疑問だけが膨らんでゆく。
 何なんだこれは? 一体何だ?

 ある日、ギルドの受付の親父が気前よさそうな口調で言う。
「あんちゃん、最近楽しそうだな。どうしたんだ?」
 疑問は膨らみ続ける。
 ――楽しそう……? オレが……? 何かの間違いやろ?

 なんとなく鬱憤を晴らすつもりで、ジンは親父の話に付き合った。
 今まで通り、人に嫌われるだけの喧嘩をしていただけで、何故今は感謝されている? 理解ができない。分からない。
 親父は笑う。

「同じ行為でも、状況が変われば対応も変わる。お前は人に迷惑を掛ける喧嘩から、人を助ける喧嘩をするようになった。それだけのことだろ」
 そんなものか。暴力で人が救えるのか。こんなくだらないことで、誰かを救えるのか。こんなことで、人は笑顔になれるのか。
「大事なのは行為そのものじゃないだろ。それで何を成したかってことさ。人を助けて金がもらえるんだ、いい商売だろ、あんちゃん」

 くだらない。
 無意味な時間を使った。
 本当にバカみたいだ。
 こんなくだらない話に時間を使うだなんて。
 こんな話で、顔が綻んでいるだなんて。

 戦ううちに分かったことがあった。
 世界には、需要と供給が存在している。
 求められるものには金が支払われる。求められないものには鉛玉が仕向けられる。
 賞金稼ぎは、足りない人手を補うもの。人と人を繋ぐもの。潤滑剤のようなものだ。
 だから地方へ散り、仕事に当たる。その結果、金が手に入る。単純な話だ。

 だからこそ、求められるものには、求められるだけの何かが必要とされる。
 ジンが提供できるのは、掃き溜めの街で培った戦う術だけだ。けれど、それだけでも誰かの助けになれる。
 それでいい。それができれば、構わない。
 そんな僅かな充足感が胸を満たしていた。

 ――そうしてオレは、出逢ったんや。今の相棒、フライヤ=ルクセフィアに――。

第二十五章《共喰の双勢 -Blade Princess;14 Body and Soul-》

 いつの頃から、自分の中でフライヤが大きな割合を占めるようになったのかは分からない。
 気づけば心の真ん中には、彼女が居座っていたように思う。
 初めは、精神的に不安定だった彼女を守るという、義務感のような感情だったはずだ。
 それがいつしか、変質していった。
 求められることから、求めることへと変わっていった。甘えられることから、甘えることへと変わっていった。
 いつしかとも共にあるのが当たり前で、共にいないことが不自然なようになっていった。
 いつの間にか、相棒と呼ぶようになっていった。

 だが、このままでは、守れない。
 今のままでは守れない。
 銃弾が飛び交い、一発、二発と、身体を貫いてゆく。
 血が飛び散り、死が目前に迫り来る。
 怖い。そんな気持ちもなくはない。だが、それ以上に、憎い。
 痛い。苦しい。耐えがたい感情だ。

 意識を失い、重しでしかないその身体を抱え、ジンは宙へ舞い上がる。
 遠心力を生かして、大きく身体を回転させ、どうにか銃弾を回避する。
 しかし休む間はない。止まれば的になるだけだ。襲い掛かる重力を受け流し、再び跳び上がる。
 着地は大きなロスを生む。そこで発生する慣性を受け流して、そのまま跳躍の力に変換する。
 イメージはフレアが見せた旋牙と同じだ。と言っても、フレアのようにぶんぶんと振り回すわけにはいかない。相手は剣でなく人間だ。
 しかしそれでも応用は利く。フレアを見ていて良かった、とジンは少しだけ感じていた。
 イメージは重要だ。無か有かで、感覚は大きく変わる。
 その差が、今の生命線となりつつある。

 だが、ここでまたしても、ヤツが来た。
 《戦闘狂》マーカス。
 殺戮に狂った獣が猛威を振るう。
 リボルバーから放たれた弾丸は、十二発。完全な致死量だ。
 距離は近い。見切れるだけで奇跡のようなものだ。躱すことなど到底不可能。
 咄嗟に気を集中させ受け止めようにも、威力に負けてしまうだろう。なにより、疲労が大きく、気での防御が間に合わない。
 三発は外れてくれた。が、残りは無理だ。

 九発、食らった。

 全身の力が抜ける。
 意識や気合いでどうにかなるものではない。
 集中しても意識は遠のいてゆく。
 音が、光が、心が、遠ざかる。
 熱が、痛みが、感触が、消えてゆく。
 見えなくなって、逝く――。

――

《やれやれ……。貴様の脳内は煩いのぅ。うちは静寂が好きなのじゃがなぁ》

 悪かったな。と独りごちるジン。誰かは知らないが、無意識でそう答えようとしてしまう。

《まぁ仕方あるまい。なにせ今際の際じゃからのぅ。さぁ、小僧よ。うちは貴様が少し気になっておる。ちょいと質問に答えよ。答え如何によっては、貴様に力を貸してやってもいいぞ》

 ああ、そういえば精霊が出るだとか、そんな話を聞いていたかもしれない。今更ながら、相手が何なのか予測がついた。

《ふむ。質問というのはじゃな……。貴様が力を欲する理由じゃ。人間らしい汚れた理想が好みじゃ。さぁ言ってみれ》

 ……願うもの。欲するもの。考えるまでもない。答えは何度も胸の中で思い返されたし何度も引っかき回したものだ。
 大切すぎて、ともすれば忘れそうなくらい間近に存在するものだ。

《……くっさ! やってられんのぅ、たまらんわこりゃ。まぁ良い。問うたのはうちじゃし、嫌いな答えでもない。しゃあないから、力貸したるわ、感謝せえよ、この果報者》

――

 突如、視界は明瞭になる。疲労も、感覚も、痛みも、状況も何一つ変わらない。
 だが、あるのは危機感ではない。どうにでもなるだろうという、根拠のない万能感。
 どうやらこれが、精霊に与えられた力というものらしい。
 血は、止まっている。が、一時的なものだろう。ダメージも大きい。疲労も大きい。
 それでも、心に余裕がもたらされる。

 これが、精霊の力か。こんなものが精霊の力なのか。

 少し、肩透かしのような気さえする。
 気の絶対量が増えたわけでも、新次元の能力が開花したわけでもない。
 だが、研ぎ澄まされた感覚はある。今までよりもより明確に気を認識している。
 細やかに操作ができる。
 そして、気と、風が同化している。これこそが精霊の力。通称――仙術。

 周囲に飛び交う弾丸の群れが全て擦り抜けてゆく。全身に纏った気を風に変質させ、弾丸を逸らすのはあまり難しくはない。
 そして、少し感覚を伸ばしてやれば――、
 辺りでグハァ! と悲鳴が鳴り響く。
 弾丸の向かう方向を修正し、敵に命中させるのも簡単だ。
 こんな――、たったこれだけのことで戦局は大きく傾いていた。

 できることはまだありそうだ。
 風を防御だけでなく、攻撃に転化させる。
 風を纏った剣を振り抜く。
 指向性を持った風が、カマイタチのように剣の延長線上を突き進んでゆく。届くはずのなかった木に命中して、木はミシミシと唸りながら倒れた。

 これだけ攻撃範囲が広がれば、この局面の困難はほとんど解消される。
 あとはあの、戦闘狂にどこまで通用するか、だけだ。

――

「そこをどいてもらおうか」

 銀髪の銃剣使い。そいつの放つ威圧感は今まで出逢った誰よりも凶悪だった。
 死を、予感せざるを得ない。
 それでも、食い止める。時間を稼ぐ。そうするのだと決めたが、身体がそれを拒絶するかのように震え始める。

「俺を止めるつもりか? ハハ、面白い。大爆笑だ」

 その銃剣が、スピアに向けられる。死へ誘う切っ先が、まっすぐに伸びている。まるで死神が命を掴もうと舌舐めずりしているようで気味が悪い。

「俺も暇ではないのでな。すぐに終わらせてもらおう」

 スピアも槍を構え、気を集中させる。初撃から全力で向かわねば死ぬだけだ。
 僅かでも気を抜けば終わる。

「おおッ!!」

 堪えきれず、スピアは飛び出した。勇みすぎだと自覚していたが、踏み出してしまった手前、今更どうにもならないだろう。
 ならば、渾身の一撃で踏み抜くしかない。全力の一撃で。

「我龍、"ドラゴン・ファング"!!」

 龍剣に憧れ、我流でその高みに迫ろうとした、あの老人から伝え聞いた技。
 このとっておきでも手も足も出なければ、スピアにはどうしようもない手合いだということになる。
 そして――、

「随分と弱い龍もいたものだな……」

 龍の牙は届きもしなかった。

 ――こんなもんかよ、チクショウ……!

 スピアの視界は、黒に染まった。

――

 エルフの里へ、向かうフレアとリース。
 その足取りは、決して軽いとは言えない。
 多くの妨害があり、多くの懸念があり、足を遅らせている。
 なにより、リースは怪我を負っている。
 気功術によるカバーと、仙術の目覚めによる効果で、出血こそ止まっているものの、体調は万全にはほど遠いのだ。
 それも含めて、歩みは遅くならざるを得ない。
 だが……。

「気配が、……近づいてきてる」
「じゃあ、スピアは……。――くそッ!!」

 早すぎる。足止めにすらなっていないのではないか。
 これが四天王などと呼ばれるヴァルトニック社幹部クラスの力量というわけか……。

 それに……。
 強大な気配はグングンと近づいてきているのが、覚醒したばかりで感覚が鋭敏なリースでなくても、分かるくらいだ。
 追いつかれれば苦戦は必至。
 それどころか、辿り着けない可能性すら考えられる。
 それだけはどうしても防ぎたい。とすれば――

「だったら、アタシが……、行くよ」

 そうはしたくなかった。それが偽らざる本心だった。
 が、そうするしかなかった。
 フレアが足止めしてどうなる。追いついたリースは里のエルフたちを説得できるのか。逃げるよう説明ができるのか。
 ……できなくはないだろうが、タイムロスが発生する可能性は高い。そして、その僅かなロスが生死を分ける可能性だってある。
 エルフを救うのなら、取れる手段は一つしかない。

「……悪い。頼んだぞ、リース」

 格好悪いと思いつつも、リースに足止めを依頼する。
 フレアは後ろめたさや情けなさを背中へ置いていくつもりで走り出す。

 背中から溢れ続ける嫌な汗は、引きそうにない。

――

 向かい来る敵に対して、リースは攻撃を開始した。
 相手も馬鹿でなければ、こちらが待ち構えていることも分かっているだろう。
 そのうえで奇襲を掛ける。
 最初から全力。出し惜しみなしだ。

 リースは気の感覚野を広げてゆく。
 周囲にリースの気が拡散されてゆく。

 仙術。
 それは気を別の物質やエネルギーへ変換する技術だ。
 もちろん、ただ変化させるだけなら気功術だけでも不可能ではない。
 だが、変換を行う時点で消費されてしまうのだ。そうして生み出されたエネルギーは元のエネルギーよりも出力が小さくなる。
 より大きな過程を経れば、消費はそれだけ多くなる。熱量と蒸気機関の関係と似たようなものだ。直接的に変換しているのではなく、一定の工程を経ているために余分に消耗してしまう。
 だが、仙術はそれとは違う。何故なら使い手の気の性質そのものを改変しているからだ。

 リースの場合は、気に、土と同じ性質を持たせている。
 つまりそれは、リースの生命エネルギーであると同時に、大地でもあるエネルギーなのだ。
 気を纏わせれば自然の大地そのものも、気の一部であるかのように操作することができる。
 それを使えば――、

 大地に亀裂を生じさせ、足止めをすることだってできる。
 だが、敵はそれにも対応する。
 飛び上がり、亀裂を乗り越えようとしている。――奇しくも、先刻、ヴァルトニックが生じさせた地割れと同じような構図だ。
 跳び上がった敵には大きな隙が見える。そこへ――、
 振りかぶったナイフを放る。空中では身動きが取れまい。
 しかし、ナイフは弾かれる。リースは、仕込んでおいたワイヤーでナイフを引き寄せる。
 左手にはもう一本のナイフ。投げナイフと手に持ったナイフによる挟撃。これならば――、

 そんな小手先の技を、まるで無視した大振りの銃剣が。
 ジークの着地と同時に地面で炸裂する。
 大地の仙術に覚醒したリースならば、ここでバランスを失うことなどない。
 しかし――。
 ほぼ同時に突き立てられた剣が、腹に突き刺さる。

 気での防御は間に合った。が、無傷とはいかない。再びの出血に、視界が霞む。
 残る気を放射し、地面を砕いて飛礫を浴びせかけ、どうにか距離を稼ごうと足掻くものの……。
 頭がふらつき始める。
 血を流しすぎた。体力が保たない。
 全力での悪足掻きは、時間稼ぎにしかならない。
 リースは歯を食い縛って、攻撃を続ける。

 ――お願いッ! もう少しだけ保って――ッ!

――

 懐かしい匂いがした。
 随分と久しぶりの気配。それが妖精族の持つ独特の気配なのだと、フレアは確信していた。
 まだ里には遠いはずだが、ここまで逃げてきていたらしい。フレアはほっと安堵の息を吐いた。……が、すぐに気を引き締める。
 防衛戦は、帰路のほうが大変だ。ここから犠牲者を減らしつつこの場を脱することができるのか。
 あれだけの敵を相手にして……。
 フレアは自分がしようとしている無茶に、今更ながら気がついていた。

 ――それでも、守るしかないんだ……ッ!

 そうして。
 ようやく拝めた顔を見て、フレアは息を詰まらせる。

「――危ないッ! 逃げろッッ!!!」

 赤い、雫が撒き散らされる。
 巨大な銃剣。暴力的な気の奔流。
 暴君、ヴァルトニック。
 知らずとも確信する。こいつが、ヴァルトニックに違いない。
 この男が、悪の根源。災禍の起源。悲劇の根幹。

「テメェが、ヴァルトニックか」

 ヴァルトニックは睥睨するように目を光らせた後、フレアを見ずにこう言った。

「御機嫌よう、エルフの諸君。今日はキミらの命日だ。そして覚えておけ、今日、貴様らは滅亡する」

 ……それが一人の妖精王の末裔と、一人の人間王の末裔が初めて出遭った瞬間だった。

第二十六章《復讐刀架 -Blade Princess;15 Lust the Last-》

 突如現れた男は、同胞である妖精たちを斬り捨て、吠える。
 妄執に狂う。獣のように猛り狂う。
 理解はできない。妖精であるクォラルには存在しない衝動だ。
 あそこまで強い情念は、妖精である彼には抱けない。
 だからこそ、理解が及ばないし、思考もついていかない。
 あるのは驚異と懸念。そして、拭いきれない不安と畏怖。
 クォラルは確信していた。――自分はここで死ぬのだと。
 そしてその予感は、的中することになる。

 血が、舞う。悲鳴が轟く。
 痛みに、恐怖に、皆が足を止める。足が、縫い止められている。
 心を縛るのは恐怖だ。自分が死ぬという恐怖。否、それ以上に……。与えられた役割をこなせない畏怖が、身体を竦ませている。
 この一行の主導者はクォラルだ。信頼も充分に得ている。だが、それでも彼は王ではない。長である。王を名乗る資格は、彼にはない。王を名乗るべき人間は、とうに墓の下に眠っている。
 それを継ぐべき人間は、自分ではない。強く若い魂を持つ彼にこそ、相応しい。彼が戻ってきた暁には、彼にその座についてもらうはずだった。

 彼なら今、目の前にいる。まだまだ未熟で、頼るには情けない少年だが、心根だけは信頼できる。あとは時間さえあれば良かったのだが……。
 こればかりは悔やんでも仕方ないことだ。現実は急いても変わることはない。
 今は自分が長であり、守るべき責務も全て、自分の両肩に預けられている。

 飛び交う血の雨をかいくぐり、男に肉薄する。
 感じるのは凄まじい威圧感。フレアを何度も威圧して、脅かしてきた自分をも軽々と越える力量。
 予感というよりは確信だった。自信というよりは確実だった。
 死を感じ、剣を構え、立ち塞がる。
 まるで鋼鉄の剣が紙かなにかのように思える。なんと脆弱なのだろう。
 それでも、変わらない。果たすべき役割は変わらない。里の者を守る。そのために命を賭す。
 それが、里を率いる者に与えられた役割なのだから。
 たとえその刃に身を貫かれ、地に伏せようとも、覚悟は変わらない。
 一撃で死のうとも、答えは変わらない。
 心残りがあろうとも、選ぶ回答は一つしかありえない。

 そして――、銃剣がクォラルの身体を深々と貫いたのだった。

――

 それは、一瞬の出来事だった。

 妖精たちの逃走する一団と、フレアが目を合わせた瞬間。
 背後にはヴァルトニックが迫っていた。

 その凶刃を防ごうとフレアが身体を動かす前に行動に出たのはクォラルだった。
 その行動は、どちらかというと条件反射に近い。
 気づいた、というよりは気づくと同時に身体が反応していた。
 全ては直感と、経験による反射によるものだった。

 それでも、犠牲者をなくせたわけではない。
 クォラルがヴァルトニックに追いつくまでの数歩の間に、妖精族は三人、犠牲になった。

 ヴァルトニックの二度の斬撃で、三つの命が散り、次の一振りの前に、クォラルが立ち塞がった。
 その結果は、クォラル自身が四人目の犠牲者になっただけだった。

 フレアはその衝撃の光景に言葉を失い、それでも懸命に腕だけは伸ばしていた。

 クォラルはというと、口から鮮血を吐き出しながら、――笑った。

 終わりではない。まだ勝負はついていない。
 龍剣、龍騎道剣術に伝わる六龍の奥義を修めた者が、最後に会得する奥伝。
 極めし者の、奥の手がある。
 究極の返し技にして、龍剣最後の奥義が。

 "龍神剣"(りゅうのみつるぎ)。

 見切りの剣、白龍剣で相手の攻撃の正体を見破り。
 速さの剣、青龍剣で脅威たる攻撃に対処し。
 守りの剣、黄龍剣でその切っ先を、威力をいなし。
 連ねの剣、緑龍剣で防御から反撃へ動作を転じ。
 殺めの剣、黒龍剣で的確に殺しうる急所を狙い。
 攻めの剣、赤龍剣で持ちうる全力を以て敵を屠る。

 六つの奥義を同時に放つ、その技を受けて絶命せぬ者はなし。
 これで戦いは終結する――はずだった。

「ほう……。森に籠っていた割には鋭い剣だ。ま、それだけだがな」

 クォラルの放った渾身の一撃は、ヴァルトニックに届いてすらいない。中空で、気に阻まれて食い止められている。
 全霊の気力を込めて、クォラルの持ちうる技量の全てを網羅した奥義は、まったく歯が立たなかった。
 積み重ねた時間も労力も、全てが無意味になった。
 守るべき者を守れず、磨いた牙は届かず、僅かな命は風前の灯火の如く。
 燃え尽きる様は静か。無為に消えゆくだけ。

 ――そんな莫迦なことが――。

 クォラルだけでなく、フレアや周りの妖精たちも呆気にとられている。
 それくらい無様に、簡単に、妖精族の長は敗北した。

――

 引き抜かれた剣。滴る赤雫。
 膝をつく老兵。絶望に縁取られる風景。
 そのとき、フレアは。
 フレアは、慟哭した。訳も分からず声を張り上げた。
 そうするしかなかった。そうしなければ心が押し潰されてしまいそうだった。
 不安に、恐怖に、絶望に、屈さぬためには戦うしかなかった。
 勝ち目がなかろうとも。勝機が見えなくとも。剣を振るうことしかフレアにはできなかった。
 それだけで精一杯だった。

「――――ぁぁぁああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」

 凶暴に吹き荒れる暴風。剣が巻き起こす嵐の中、老人は一人、呟いた。
「緋き暴風の炎龍――、ヌシの二つ名じゃ……」

 優れた妖精族の守り手に捧げられる名を、長は既に用意していた。
 その名が、思っていた以上に相応しい名であったことを誇らしく思うクォラル。
 眼を細めて笑う老人は、そのままその眼を二度と開くことなく、伏していた。

 研鑽も、修練も関係ない。
 ただ暴力的に剣を振るい、ただ、悪意を叩きつけるだけ。
 こんな剣の振り方をしたのは、フレアは初めてだった。
 無心で振り続けた剣の腕は、こんなときでも確かに助力となっている。
 それでも、過去の自分が見ればこの剣は、悲しく空しい剣に映ることだろう。

 ここに来るまで、仲間たちがフレアの気を温存させてくれた。
 その恩恵には、果たして意味があったのだろうか。
 荒れ狂う気の奔流を剣に纏わせて叩きつけるだけのこれを、果たして剣術と呼べるのだろうか。
 フレアの脳内に流れた疑問は、しかし浮上することなく沈んでゆく。
 表面化することなく、無意識の海へ沈んでゆく。
 そんな些事を消化できるほどの余裕すら、フレアにはなかった。
 フレアの脳内には、目の前の凶事に対する感情だけが満たされていた。

「……おいおい、この程度で狂ってんじゃねえぞ? 俺らの復讐はまだ始まったばかりなんだぜ……?」

 ヴァルトニックはフレアの剣を受け止めながら、そんなふうに笑いながら言った。
 フレアとは打って変わって、ヴァルトニックには余裕があるようだった。暴力的なだけの剣では、まるで通用しないかのようだった。
 そして。

 大きく振り抜いた銃剣で、フレアの剣を弾き、大きく退けるとヴァルトニックは何かをばらまいた。
 ばらまかれた物体は、手榴弾のような何かだ。
 ただし、形状は丸い。瓶状の器に無色透明の液体が並々と詰まっているみたいだった。
 それが何なのか。フレアには想像もできなく……。

「――ダメッッ!!!」

 咄嗟に放たれた声。
 そして、声の主が突撃してくる。と同時に――。
 炸裂した水煙を、彼女の剣技が吹き飛ばした。

 しかし――、それでも全ての水滴を弾けたわけではない。
 その水滴を受けた妖精たちが、血を撒き散らして倒れ伏す。

「……なんてものを作ってくれてるのよ、アンタたちはッ!!」

 その問いに、ヴァルトニックは嗤う。
 不敵に嗤う声が不快に耳にこびり付いていた。

第二十七章《復讐透過 -Blade Princess;16 Gust the Last-》

 ヴァルトニックは嗤う。
 何故なら、おかしくて仕方ないからだ。
 考えてもみて欲しい。当たり前のことなのだから。
 だから結果は当然の帰結。考えるまでもない明瞭な結果。
 もたらされた現実は、分かりやすい真実でしかないのだから。
 だが、ヴァルトニックには、そんな現実が面白くて仕方がない。
 嗤いが込み上げてきて、それを抑制できない。
 だから嗤う。嗤い続ける。

「簡単な答え合わせをしよう」

 ヴァルトニックは、そう告げた。
 この愉快な復讐劇を盛り上げるための策の一つとして、ヴァルトニックは解説することを選んだ。

「――かつて、人間は高度な文明を誇っていた。だが、それでも駆逐できない敵がいた。……いや、敵とは直接言わないまでも、敵視していた相手がいた。無論、考えるまでもない。そう、エルフ共だ」

 寿命も、力も、精神性においても人間の上位種。煩わしい不愉快な存在だった。
 もちろん、全ての人間がそう感じていたわけではないだろう。おそらくは少数派。だが、首脳陣にはそういう感性を持つ人間が多かったのだろう。まぁそれは推測に過ぎない。真実は知れない。遙か過去の出来事だ。歴史にも記されない消えた……、消された事実だ。

「だが、首脳陣は考えたはずだ。そして声には出さずとも支持するものは少なくなかったと思われる。だからこそ、計画は進められた。……そうして開発されたのだ。……禁忌の薬物が」
「妖精だけを死滅させる毒物……」
「そう。素晴らしい発明だった……」

 きっかけがそれだったのか、それ以外の何かだったのかは今となっては分からない。だが、戦争が始まり、激化するにつれてその重要性は高まっていった。

「ところで……一つ。この薬には問題点が存在していたのだ。それは安定した供給を妨げる、厄介な性質とも言えた。……そもそも」
 と、ヴァルトニックは講釈を続ける。
「どうやってエルフだけを死滅させている? 人間に利かない理由とはなんだ……? ……答えは気だ」

 フレアも、クレアも、静かに耳を傾けていた。
「気には陰性・陽性どちらかの性向が表れるものだ。身体のつくりも、見た目もほとんど一緒なのに、そこだけは明確に違いがあった」
 その寒気のする講釈に、ただ聞き入るしかなかった。
「エルフは陽性の性向を示し、人間は陰性の性質を示していた。そして、強い陰性を結晶化させれば、それはヤツらにとって毒になりうるらしい。……それは実に興味深い話だった。人間の存在を重ね合わせれば、憎きエルフ共にも一矢報いることができるというわけだ」
 ヴァルトニックは愉しそうに、語る。何処が愉しい話なのかは、二人には永遠に理解できないことだろう。

「……とはいえ、そこまでを遺跡の資料から探り当てたのは良かったが、再現に苦心してね。陰性結晶を作り出すために人間の死体を相当数無駄に消費したよ」
 苦労話を語るように、ヴァルトニックは溜息交じりにそう言った。
 薄ら寒い感覚を抱きながらも、返す言葉は見当たらなかった。

「結果として、人間の骨髄から若干量の陰性結晶を採取することに成功してね。……あとはそれを量産するだけだった」
 ……そこから、フレアは一つの結論を出してしまった。考えるだけでも恐ろしい仮説を。
「ふ、もう分かったかな。各地に戦禍を撒き散らしたのは力を誇示するためでもなく、ただの兵器実験をするためでもなく、ましてや意味のない示威行為でもなかったわけだ。……全てはひとえに陰性結晶を量産するため。エルフ共を駆逐するためだったというわけさ」

 狂っている……。フレアは戦慄した。
 復讐それだけのために、各地へ攻め入ったいたというのか。人間の骨髄を回収し、妖精を殺す毒物を作るためにそれだけのことを……。

「ああ、そうそう。試作品もいくつか試したんだったな。お前らは知っているか? 病死したように見せかけられるような毒性の低いものを何度か雲に紛れ込ませたんだ。確実性は欠けるが、どこかで病死したエルフはいなかったか? 居場所を探し当てるまではそういう地道な復讐しかできなくて随分ともやもやしていたんだが……」

 病死。病死した妖精は、確かにいた。
 病気になる可能性が低いはずの妖精族は確かに何人か病死していた。
 可能性の低さの割に、件数自体は少なくなかった。なのに、どうしてそれを考えなかった。
 どうして、殺されているという視点でものを考えられなかった……?

 フレアの両親。クレアの母。他にも数人。そういえば森で会った最初の人間、エイリッドの妻も病死と聞いていたような……。
 全てが陰性結晶のせいで死んだのかは不明だが、間違いなくそのなかの何人かは、殺されているはずだ。

「雨には紛れ込んでいただろうが、やはり直接内服させるのと違って、確実性が低すぎるのが難点だな。利点は攻撃範囲が広いことだが……。効果を踏まえると成果は微妙か」
 ヴァルトニックは、独り言のように呟いていた。
「川や地下水に溶け込んだ分もその分薄まってしまうだろうし、やはりいまいちだったな。こうして直接攻め込めて、本当に良かった。直接この手で下せるかと思うと、本当に報われる気分だ」

「さて、気分はどうかな……? 精々惨めたらしく足掻いてくれよ。あまりにも呆気ないと、つまらないからな」

 ここまでの長話の間に、どうにか待避を進められれば良かったのだが、それは全然進んでいない。
 周囲に包囲網が作られていて、逃げ場がなかったためだ。
 そして、ヴァルトニックの放つ威圧感は、長であるクォラルを超えている。そんな相手に腰が引けてしまい、うまく立ち上がれない者までいる始末だ。
 だから、状況は最悪。そして……。

 話を終えたヴァルトニックは、再び剣を構えた。無造作に持った状態から、攻撃する構えへ。
 ヴァルトニックの講釈のお陰で、僅かにはやった気が抑えられつつあったフレアだったが、身構えようとすると身体は依然強張ったままだ。
 それを察したのかは分からないが……。

「わたしに任せて」

 クレアがヴァルトニックの前に立ち塞がる。
 大剣を持つ大男と、華奢な少女の対比は、あまりにも冗談のようだった。
 全てが嘘臭く、胡散臭い。
 荒唐無稽で、滑稽ですらある。
 だが、滑稽をいうのならむしろ自分のほうだった。
 クレアを止められず、立ち尽くすしかない自分のほうがよっぽど滑稽だ。

「できれば、目を逸らしていて。この男は、わたしが殺す」

 そんな勇姿を、彼女は見られたくないらしい。
 そうは言われても、フレアにはそれはできない。無理な相談だった。
 何故ならフレアは確信していた。この勝負の行く末は、予想通りの結末に終わる。
 予想通りに、敗北するだろうからだ。
 いざという時に彼女を守れるよう、フレアは目を離さないと決めていた。

第二十八章《剣鬼龍眼 -Blade Princess;17 Just the Last-》

 視界が赤に染まってゆく。
 わたしはこの感覚を知っている。よく識っている、――気がする。

 赤は何だ。
 視界に映るは、赤い血糊。命であったもの。抜け殻。屍体。
 胸に宿るは炎。赤く燃える劫火の猛り。情念そのもの。わたしの心の憤り。

 赤い炎と、赤い血が、わたしの視界を埋めている。
 それしかない。それ以外がない。

 胸の中の雑念が消える。わたしは一本の剣になる。

 敵はそこだ。そこに一人。それが敵だ。振るうべき敵だ。倒すべき敵だ。
 わたしはそのために在る。そのために居る。そのために生まれ、そのために死ぬ。

 わたしは一本の剣だ。そのために殉じる。そういう運命。
 それで良い。それで構わない。

 守るべき者は同胞たちだ。それを守り通す。それだけの戦い。
 何のことはない。ただ、それだけのことだ。

 難しいことなど何もない。
 在るべきように在れば良い。そのための剣になろう。
 そのためにこの命、費やしてみせよう。

――

 その時、少女の瞳が赤に染まった。

 放たれる気迫は、鬼気迫るものでそれが伊達や酔狂などではないことは明白だ。
 見知ったその気配を感じ、ヴァルトニックは打ち震えていた。
 こうなるか。こうなってしまうのか。
 やはり神は、そういう展開を用意していたのか。

 ヴァルトニックは嗤う。愉しそうに嗤っている。
 狂気に満ちた、嗤い声を上げる。

 少女が剣を抜いた。
 刹那。
 間近へ迫る刃先。
 しかし。

 ヴァルトニックにはそれすらも見える。見えすぎるくらいだ。
 無造作に躱し、振り返る。
 そこには避けたばかりの刃が肉薄している。

 だが、それを避けることも容易い。
 躱すと同時に踏み込む少女。動作はワンアクションするごとに速く疾くなっている。
 研ぎ澄まされてゆくように。調整されてゆくように。
 あるいは、その感覚に慣れてきているのかもしれない。

 ゾクゾクと、背筋を震えが走る。
 これこそが、《スカーレット・イリス》。これこそが《龍の血族》。
 そうでなくては困る。
 つまらない復讐では盛り下がるばかりだ。

――

 青龍剣、奥義《鏡華葬》。
 そこから派生したのは、緑龍剣、《風旋連牙》。
 更にそこから赤龍剣、《豪破断》。
 更に、更に、更に……。

 絶技と絶技の応酬。奥義と奥義の化かし合い。
 目を疑う攻防に、フレアは目を回しそうだった。
 だが、それと同時に確信を深めていった。
 クレアは、やはり《龍の血族》であり、《スカーレット・イリス》なのだと。

 そしてそれと同時に、疑いも深めてゆく。
 この、クレアと同レベルで戦うことのできるこの男は、何なのだろうか。
 彼も《龍の血族》だというのか。それとも……、それ以外の何か……?
 だとすればそれは一体何だ……?

 ――こいつは一体何者なんだ……?

 クレアの剣技は加速してゆく。
 あれは……、緑龍剣奥義、《無塵劇》。
 青龍剣のみならず、緑龍剣まで極めていたというのか。ようやく赤龍剣を修めたばかりのフレアには到底及ばない戦闘センスだ。
 放たれる無数の連撃を、しかしヴァルトニックはあっさりと躱している。
 そこから更に加速するクレア。それを危なげなく回避するヴァルトニック。

 ――どこまで……、どこまで加速してゆくんだ……!

 やがて動き出したのはヴァルトニックだ。今まで回避に専念していた分、クレアの反応が若干遅れる。
 その攻撃は、クレアを狙ってはいなかった。さすがにクレアを狙ったものであれば、即座に反応できただろうが……。
 標的は後方で見守っていた妖精たち。そこへ放たれた先程の瓶弾がクレアの剣に裂かれ、あの劇毒が撒き散らされる。

 そんな超速度で行われていた戦いに反応できた者はいない。フレアもそれを弾くような行動は取れなかった。
「ぐあぁッ!!」「いやぁああッ!!」「痛い、助けて……!」
 悔しさに歯を食い縛るが、そうして生じた隙を見逃すヴァルトニックではなかった。

 銃声と共に振るわれる銃剣。あの威力は以前受けたシークのものとは比べものにならない威力だろう。
 それをクレアは細い身体で受け流す。凄まじいまでの技量だ。
 そして、フレアは気づいてしまった。

 クレアと同じく、ヴァルトの瞳も赤に……。
 スカーレット・イリスの証左でもある赤い瞳へと変貌していることに。

 ――そんな……、嘘だろ……!

 だが、こうして切迫した戦闘を行っているという事実が、それを証明していた。
 ヴァルトニックは、《スカーレット・イリス》を宿している……。

――

 《スカーレット・イリス》を発動させたクレアとヴァルトの戦いに、フレアは関与できない。
 ステージが違いすぎるためだ。
 速度に秀でたクレアと、抜群の破壊力を持つヴァルトの戦いは一見、拮抗しているものの、攻撃範囲の広さと周囲に守るべき者がいる状況下では、その通りにはならない。
 戦いには参加できないフレアだったが、妖精族の守りだけであれば、どうにかできなくはない。なので、そういう態勢に移ったのだが……。
 やはり、ヴァルトの攻撃力は半端ではなく、飛んできた技の余波を受け止めようにも、3回に1回程度しか受け止めることができない。
 声を張り上げ回避してもらうにも限度がある。
 ……完全なジリ貧になりつつあった。

 それだけなら、まだ挽回の余地はあったはずだ。
 しかし、緩急自在に攻めるヴァルトには妖精にとって猛毒である瓶弾を多数所持していて、度々劣勢に持ち込まれる。
 そして、ついにクレアの足に、毒霧が掠めてしまった。

「痛ッ!! ぐぅッ!!」

 痛烈な悲鳴を上げるクレア。
 そこへ飛び出し、クレアを守ろうと、必死に瓶弾の前に躍り出るフレア。だが……。

 瓶はそのままフレアの頭上を軽々と飛び越え、遙か後方へ流れてゆく。
 そこにいるのは――。

 判断ミスを悟るも、もう手遅れでしかない。放られた弾はクレアを狙ったものではなく、後方の妖精たちを狙ったものだった。

 何人かが放射した気で防御壁を作ろうとしたようだが、範囲は適切ではない。防ぎきれなかった水滴を喰らい、同胞が苦痛に怯む。
 飛んできた霧はクレアが剣圧で弾いたが、それで防げるのは一瞬だけだ。
 なにより、ヴァルトの攻撃はそれだけでは終わるわけがなかった。
 振り下ろされた銃剣を、フレアは受け止めきれず、クレア諸共押し潰され、ついで放たれた横薙ぎの一撃が周囲を巻き込んで吹き飛ばす。
 そこにいた妖精全員が息も絶え絶えといった様相を呈す。

 ――情けない。たった一撃でこんなもんかよ……。

 フレアは自分の未熟さに嫌気が差した。
 本当に大切な者を守りたいのに――。そのためなら命だって惜しくないというのに――。
 ダメージに身体が動かない。立ち上がれない。足に力が入らないのだ。
 ここで立ち上がらなきゃ、何も守れないのに――。
 でなきゃ、何のために剣を振るってきたのか分からない。
 何のために戦ってきたのか分からない。

 ――オレは……。オレは……ッ!

 本当に苦しいとき、辛いとき。それでも立ち上がれるヤツは英雄になれるヤツだ。
 ――少なくともそれは、オレじゃない……。
 もしそんなヤツがいるとしたら、……それは……。

 背後で音がした。
 振り返るまでもない。そこにはアイツがいる。
 アイツなら、英雄と持て囃されるのも分かる。持て囃したくなる気持ちも理解できる。
 こいつになら、全てを任せられる。
 ――こいつなら、きっと勝ってくれる。

 ――だからオレは、任せたんだ。任せてしまったんだ。
 ――それを一生後悔することになるとも知らず、アイツに任せてしまったんだ。

 ――アイツに重荷を背負わせてしまったんだ。
 ――本当ならオレが背負うはずだったものを……。
 ――オレが背負うべきはずだったものを……。

 ――オレはこの時のことを一生後悔することになる。

「わたしは絶対に負けない。負けるわけにはいかない」

 少女は一人、悲壮な決意をする――。

第二十九章《剣姫繚乱 -Blade Princess;18 Last the Last-》

 膨大な気を如何に扱うか。それはある種、一つのテーマだ。
 それを広範囲に使えば、それはジークのグラヴィティ・アウトとなる。
 謂わばそれは面としての集中。気を平面に集中させ場を制す戦いは、肉体改造を施したジークならではと言える。
 それをごく狭い範囲に使えば、それはヴァルトの剣技に通じる。
 名を、"ワールド・アウト"と言う。

 世界から否定された存在――、フォーレス一族が編み出した秘技。
 それを《スカーレット・イリス》としての力と組み合わせることで、常軌を逸した破壊力を発揮させている。
 攻撃範囲を平面より狭く、直線に絞ることで威力に特化させているわけだ。
 膨大な気を圧迫、集中させることで、一撃必殺の領域にまで押し上げている。
 それこそが、ヴァルトの剣の強さだった。

 クレアは幾度も剣を交えることで、その技の本質を見抜いていた。
 だからこそ、それと同じ領域にまで、自らの剣を昇華させることで、戦いの糸口を掴もうとしていた。
 少しずつ、近い領域には踏み込めてはきたものの、まだ完成にはほど遠い状態だろう。
 ならば、方向性を変えねばなるまい。

 同じ領域に踏み込んだ以上、気の総量などの基本条件はあまり変わらないはずだ。つまりそれ以外の部分で勝敗が分かれている。
 あるのは体躯の差。
 大柄なヴァルトと、小柄なクレア。
 それは威力にそのまま結びついているわけではないが、得意としているスタイルの違いがそのまま表に出ているのだろう。
 だが、それだけだ。
 威力に劣り、早さに勝るだけで勝敗は決しない。
 勝敗の差は、それ以外のところにこそあるはずだ。
 即ち、それは技にある。
 悲しい事実だが、妖精族の長い歴史が誇る剣術より、彼の持つあの"ワールド・アウト"のほうがより優れている、ということだろう。……もちろん、クレアはその技名までも細かく知るよしもないのだが。

 つまり、ならば導き出される結論は一つ。
 それを越える技を今編み出せば良い。それだけの話だ。難しいことはない。
 イメージは掴めている。あとはそれを実践するだけだ。
 勝敗はそれで決する。

 勝てば生き残れる。負ければ死ぬ。――当たり前の勝負でしかない。

 クレアは、剣を構える――。

――

 少女は、切っ先を下に向け、剣を正面に突き立てるかのように構えていた。
 一見すると防御の構えのようでもある。
 ……が、剣に集められた気の流れから察するに、どうにもそれだけとは考えづらい。
 何より、この局面だ。防御を重視する気になるだろうか。
 だとするならば、その思惑は何なのか。ヴァルトも剣を構え、その動向を見守った。

 面白い。そう感じたヴァルトは、その攻撃を受けることにした。
 簡単に、呆気なく終わるのもつまらない。
 それに、自分が憎み続けた対象は、やはり巨大な敵であったと認識しておきたい。
 この局面において、もはや劣勢などありえないと断じたヴァルトは、余裕からか、相手の出方を待っていた。

 そして――、
 地は裂けた。

 黄龍剣奥義"黄崩砕"。

 地面へ注がれた少女の気は、地面を砕き、無数の瓦礫にさせて吹き飛ばした。
 突如、浮く身体。地面の感覚が失われる。かなり広範囲への攻撃だ。
 目的は、崩し。こちらの防御を崩すこと。そして、意表を突くこともあっただろう。
 少女の背後では、その現象が起きていないことからもそれは容易に推測できる。
 背後のエルフを守り、敵の防御を崩す。果たしてそこから――。
 どんな攻撃に転じるのか。ヴァルトは期待を膨らませる。

 黄龍剣上技"訃霊陣"。

 ヴァルトの周囲を気の方陣が包み込む。
 あれだけの大技を放ったうえで、まだ派生させる余裕があるとは――。
 ヴァルトは僅かに驚く。
 光芒が身を灼くような熱を発し、身体が宙へと舞い上がる。
 その圧力は、ヴァルトの気の防壁を突き抜けるほどのものではあったが、かといって大ダメージを受けるほどかというと、そうでもない。
 ヴァルトにとっては、まだ驚異ではない。
 が――、

 浮いたヴァルトの身体へ視線を向ける少女。
 いつのまにか納刀している。そして、手は柄をしっかりと握っている。
 その仕草は、どこか極東の剣技を彷彿とさせる。まさか――。
 だが、まだ距離は遠い。もし、あの剣技やその派生だとしても、それだけの攻撃範囲を持つ技なのだろうか。
 考えて、ヴァルトは思考を止めた。
 改めるべきだろう。敵は強い。なかなかに強い。
 そんな生半な相手ではないのだから。だからその剣は、届く。
 この身にも、届くだろう。

 剣は、閃いた。
 白龍剣上技"居合い・朱雀"。

 神速そのままの速度で少女の剣が接近してくる。
 これは、突剣技。少女の持つ速さを最大限に生かした大技。
 奥義すら布石にした攻撃。
 剣閃は、――見えない。
 感覚だけを頼りに上体を捻り、辛うじてダメージは軽減できたが、肩口を斬り裂かれ、血が噴き出す。

 ここに来て、初めての出血。
 それを長ではなく、少女が果たすとは……。
 それがエルフ共の体たらくというべきか。新しい時代の到来とでもいうべきか。
 だが、そろそろ余興も充分だろう。これ以上遊べば、本分を逸してしまう。
 目的は復讐なのだから。
 敵は強く強大だった。それが分かった。それを踏みしめて、終わらせよう。
 そう思った。そのときだった――。

 黒龍剣上技"鎚鏖刹"。

 背中に、抉られるような痛みが走った。
 仰ぎ見れば、そこには少女が。
 自由落下の重力すら利用し、最後の追撃を仕掛けてきていた。
 そして、そのまま崩れた地面へ墜落する。
 着地は、ままならない。
 平坦な地面ならともかく、瓦礫のようにグチャグチャな地面だ。受け身など取りようがない。
 そして落下の衝撃もまた、威力へと還元される。

 初めての痛みだった。
 恐怖すら感じる激痛。背後からでも正確に急所を捉えている。
 より正確に表現するならば、気の急所を。脊髄を。
 気の防御膜で、全損にまでは至らないが、衝撃までは防げない。
 気のコントロールが、不完全になる。

 これが目論見だったのか――。
 確かに、これならば勝機になりうる。
 むしろ、唯一の勝機といっていいだろう。
 なるほど。これがエルフ。これこそがフォーレス家を、そして人類を破滅に追い込んだ一族の力か……。
 確かに驚異だ。驚異的だ。
 過去の人間が敗れたのも納得がいく。こうして人間王は地に伏したというわけか……。

 しかし、それは彼らがその程度の器だったというだけのことだ。
 ――俺は、そうじゃない。
 決め手の一撃も、貫けなければ必殺でも何でもない。
 いっそ肉薄したこの瞬間こそ最大のチャンスだった。
 別に狙えばいつでも狙えたが、希望は根こそぎへし折ってやらなければ、気が済まない。

 あらゆる希望は根絶やしにされて、絶望に震えろ。
 畏怖に、弛緩しろ。
 恐怖に潰れろ。
 希望など、ない。絶望しかない。
 そうやって暗闇に塗り潰されて、自我を崩壊させて、己の無力に苛まれろ。
 ――俺たちと同じように、苦しめばいい。

 ヴァルトは口の端に笑みを浮かべながら、――その時を待った。
 空に放たれた瓶弾が弾けるその時を待った。

 そして、ヴァルトは、雨に濡れた。

 透明な雨と、真っ赤な雨に濡れて、男は狂ったように嗤っていた。

第三十章《復讐の咎人 -Blade Princess;19 SCARLET IRIS-》

 ずっと傍にいた、大切な少女。
 いつの間にか当たり前に享受していた幸福。
 誰よりも強く、誰よりも美しく、誰よりも優しかった、少女。
 クレア=ヴァーミリオン。
 風に揺れる黒絹のような黒髪が美しかった少女。
 大輪の花が咲いたみたいに、綺麗な笑顔を見せる少女。
 その声色は、木々のさざめきみたいに心を落ち着かせてくれた。
 いつの間にか剣の腕は抜かれ、それでも兄弟子としてずっと慕ってくれていた、少女。
 時折、恥ずかしがるような仕草で隣に座っていた少女。
 その時、香った優しい匂いに鼓動が高まって、きっとこの気持ちも見透かされてしまっているのではないかと、怖くなったときもあった。

 君の声が好きだった。
 君の笑顔が好きだった。
 君と取り留めのない話をするのが好きだった。
 くだらない冗談で笑い合う時間が好きだった。
 凜としたふうに剣を構える君が好きだった。
 強く優しい君に憧れた。
 その瞳に映りたいと、強く願った。
 分不相応な願いを、胸に秘めていた。

 大切な幼馴染。
 妹のような親友。
 優秀すぎる兄弟弟子。
 そういうふうに付き合った。
 それしかできなかった。
 それ以上は願ってはいけないんじゃないかと、そう思っていた。

 だから……、遠ざけた。
 君を遠くへ置いていった。
 結局こうして戻ってきて、気持ちは有耶無耶になった。

 近づきたい。けど、それが怖い。
 遠ざけたい。けど、それは寂しい。
 そんな無様な俺の、無様な結末は、最悪の形で結実した。

 ――俺は、世界で一番、大馬鹿野郎だ……。

 俺はどこかで、この距離感が永久に続くと思っていた。
 この関係は永久に続くと思っていた。
 妖精族の長い寿命に甘えて、俺は行動を起こさなかった。
 ホントは、ずっと好きだったのに……。
 それに気づいていたのに……。
 その気持ちに栓をして、気づかない振りを続けていたんだ。

 その結果が、このザマだ。

 破裂した毒薬爆弾。
 喰らった妖精は全員、皮膚が裂け、血を撒き散らしていた。
 どうして俺だけが助かっているのか。
 ……答えは簡単だ。

 ヴァルトの攻撃を受け止めきれなかった俺は身動きを取れなくなっていた。
 だが、体調は同じぐらいだろうに、それでも妖精たちは俺を庇って毒薬を被った。
 そうしてみんな血だるまになって転がっている。
 生きているのか死んでいるのか。……生きていても長くはないだろう。そんなのは見るまでもない有様だ。
 クレアも、同じく毒薬を受けて倒れた。
 クレアの最後の攻撃は、里長の攻撃の時とは違い、敵の身体には届いていた。が、致命傷には至らなかった。

 ヴァルトはゆらりと立ち上がった。不気味に嗤い続けている。
 俺は呆然と、それを眺めていた。

 視界が霞む。
 拭っても拭っても、すぐに視界は曇ってしまう。

 全部俺の所為だ。
 俺がクレアに委ねてしまったんだ。
 戦いの行く末を。
 里の宿命を。
 負ければどうなるか。分かろうともせずに……。

 ヴァルトは足下に転がる、少女を見下ろした。
 その目は冷たく、冷徹だ。
 人を見る目には見えない。まるで物を見るかのような目で、クレアを見ている。
 そして、その足でクレアの身体を、踏みつけやがった!

「……テメェッ!!」

 こんな大声が出ることに後から少し驚いたが、そんなことはどうだっていい。

「今すぐその足をどけろ! さもないと……」
「さもないと……? お前に何ができる? こいつはお前の大切な女か? それを死ぬまで指くわえて眺めていたのはどういう了見だ?」

 分かってる。全部俺の所為なんだってことも。だけど、これ以上の狼藉だけは見逃せない。
 体(てい)の良い文句だってことも分かってはいるが、それでも許せないんだ。

「……なぁに、分かっているさ。ホントは大切なんかじゃないんだろ。そういう《振り》なんだろ? みなまで言うな。分かってるって」

 なおもヴァルトはクレアの指を踏みつけている。グリグリと踏みつける度に、クレアが呻き声を上げている。

「違うッ! 俺は……俺はそいつが……、クレアのことが……ッ!」

 言葉にしようとして、詰まる。
 それはこんなところで口にして良い言葉ではないような気がする。

「ん~? なんだどうした? こいつがどうした? ちゃんと言葉にしないと分からんぞ? あぁ?」

 やがて、飽きてきたのか、ヴァルトはクレアの顔を踏みつけやがった。
 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな。
 誰の顔だと思ってるんだ。お前なんかが踏みつけていいヤツじゃないんだ。そんな足で、あいつを傷つけるのはやめろ!
 踏みつけられながらも、クレアは懸命に叫んだ。

「良いからッ! フレア!! アンタだけでも逃げて! わたしのことはどうなってもいいから!」

 そんなこと言われて逃げられるわけないだろ。
 俺はお前に追いつくために、お前を守るために剣を磨いてきたんだ。
 ここで逃げたら意味が分からないだろ。

「ふっふっふ……。だってよぉ、エルフぅ~。逃げたらどうだよ? こんなに懇願されてるんだぜぇ?」

 俺は、俺は……。俺は――ッ!!

 視界が弾けた。
 視界が広がる。
 今までに見えなかった世界が見える。
 緋い、緋色に染まった世界だ。
 血と炎。悲劇と温もり。
 使える力の、領域が広がっている。
 今まで見てきた世界とは、彩りが違う。
 緋い。血で塗り潰された、最低な世界だ。

 ドクン――と、鼓動が高鳴る。

 どうして、今まで身動きが取れなかったのか、不思議なくらい身体が動く。
 と、同時に吹き上がる感情に身が灼かれそうになる。

 なんだ、この感覚――ッ!

 視野が急に狭まってゆく。
 不必要な物が視界から消える。
 見えるのは、敵だけだ。
 憎き敵。憎悪の対象。
 殺すべき――、対象。

「ハァ……ハァ……ハァッ! ウォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 身体が軽い。綿のように軽い。
 剣も軽い。片手で軽々と大剣を振るう。
 敵に剣がバカスカ当たる。回避も遅い。全然当たる。
 防御壁の存在なんてまったく気に掛からない。
 敵は血を流し、防御に専念しているが、大したことない。なんてことない。
 なんだ、これならすぐに――、殺せる。

 ほら、とっとと死ねよ。生きてんじゃねえよ。息してんじゃねえよ。無駄な生を謳歌すんな。とっとと往生して死に絶えてくたばって消え去れ。その吐き気がする顔を人前に晒すんじゃねえよ。息臭えし。呼吸すんなよ、もう。あ~あ、ホントにお前なんて存在する価値がねえよ。この世から消滅していなくなれよ。ほら早く。十秒以内。ほら早く。とっとと消えろ。目障りなんだよボケが。この穀潰しが――

 そうして俺がめんどくさそうにトドメを刺そうと、振り下ろした刃は、しかしその役目を果たす途中で止まってしまう。
 間に割り込んできた存在によって。

「――わたし、ずっと好きだったよ。まっすぐなフレアの剣が。ずっとあの剣に憧れて、修行してたんだから……」

 そんな何気ないふうに言って。
 クレアは俺のほうに倒れ込んできた。
 抱きかかえた腕が鮮血で緋に染まる。
 クレアは力なく、笑う。
 最期みたいに、笑う。

「ねぇ、わたしのことは気にしないで良いよ。わたしが好きでこうしただけだから。フレアの剣が汚くなっちゃわないように、いつまでもわたしの好きだったフレアの剣でいて欲しかっただけだから。だからそれがどんな結果になっちゃったとしても、それはフレアが気にしなくて良いんだよ。わたしが選んだことだから」

 何もかも俺の所為だ。俺が追い詰めて、俺が斬り捨てた。
 最悪だ。最悪な幕引きだ。

「……ねぇ、最期に、訊かせて欲しいな……。わたしのこと……、……好き?」
「……ああ、好きだよ。……俺はクレアが、……好きだ」
「わたしも……、フレアが、好きだよ……。……良かった、。……やっと、言えて…………」

 俺は、そのまま力なく横たわったクレアを抱いて、泣き叫んだ。

第三十一章《剣姫終演 -Blade Princess;20 End Call-》

 敵が強大であることを認識したとき、クレアに導き出せた答えはほんの小さなものだった。
 結果、刃は届いたものの、撃破には至らず、凶刃に敗れ、敗北した。

 けれど、守れた。

 一番守りたかったものを、身を挺して守れた。それだけで随分と心は軽くなった。
 剣の技量は上がっても、ああも真っ直ぐに剣を振ることはできなかった。
 気の総量は上がっても、ああもひたむきに剣を握ることはできなかった。

 フレアの剣が好きだった。

 それこそが剣を始めたきっかけだったし、強くなるために目標にしたものだった。
 剣の腕はフレアを越えた。それでも、あの剣は再現できない。
 クレアは、フレアの剣に憧れていた。
 試行錯誤を続け、真似と模倣を繰り返し、いつしか気づいてしまったのだ。

 あれは、魂そのものなのだと。

 想いを、心を、剣に賭して振り抜くから、あの剣は真っ直ぐなのだ。
 フレアのように。その魂と同じように。
 つまり、答えは何のことはない。

 クレアは、初めからフレアのことが好きだったのだ。
 剣を通して、それに気づけた。それだけのことだったのだ。

 クレアにできたことは、学んだ剣を組み合わせ、敵に届かせるまで。
 だが、フレアなら、きっと――。

 今は無理でも、いつかはきっと。
 その剣を届かせてみせるだろう。
 そして、その剣で想いを貫いてくれることだろう。
 きっと、自分には一生掛かっても無理だろうから、だから、それができるフレアが羨ましい。

 悔しいのは、それを見届けられないということ。
 もう、フレアとは共に居られないということ。

 クレアには、それだけが無念でならない。

――

 ヴァルトニックの知る知識の中に、二つの《スカーレット・イリス》が存在する。

 一つは《龍の血族》と呼ばれる者たち。俗に言う神に選ばれた天才たちだ。
 彼らは、謂わば《因子》持ちだ。
 《因子》を持って生まれ、世界に望まれて誕生した、神の尖兵。
 歴史に望まれて、動かされる神の手駒。
 運命に弄ばれて、使い潰されるだけの愚かな人形だ。

 そして、もう一つは《復讐の咎人》とヴァルトが呼んでいる存在。
 自らの意思を持って、人の領域を超え、復讐のための権化となる禁断の領域。
 発現例が少なすぎて、条件までは細かく導き出せないが、エルフの少年、フレアとかいっただろうか。彼が実践して見せた。やはり、鍵は復讐のようだ。
 ヴァルトが発現したときも同様だった。一族を無残に殺されたあの日、ヴァルトは《スカーレット・イリス》を発現した。
 赤い瞳。神の如き極大戦力。ここへ来て、その仮定は正しかったことを証明できた。

 とはいえ――。
 今回はまだ、運が良かったのだろう。
 もし、エルフの少女が《因子》持ちというだけでなく、《覚醒》済みだったなら……。
 戦いはこうも簡単にはいかなかったはずだ。
 神がこの局面を、どこまで織り込み済なのかは分からないが、まだ自分に有利に動いているらしい。
 ならばそれを有効に使うのが得策だ。
 ヴァルトはそう、自分を納得させた。

 さて――。

 エルフの少年、フレアは《復讐の咎人》を発動させた。
 それは、自分と同じ領域へ足を踏み入れたということだ。
 自身の勝利は盤石とは言えなくなった。
 しかしそれは、戦うステージが揃った、というだけのことでしかない。
 それだけで勝敗が決するほど、世界は生温くはない。そんな甘い世界なら、自分は復讐者などにはならなかっただろうし、それは向こうも同じだろう。
 ここからが、本当の復讐だ。
 ヴァルトはそう、意気込んでいた。
 ――がしかし……。

 少年の様子がおかしい。
 譫言のように、殺す、殺したくない、殺す、クレア、殺す、俺は……、などと呟いている。
 まだか。
 この少年は、まだこの領域には辿り着けないというのか。
 復讐。殺された憎しみを果たすために剣を取るという覚悟を。殺してやるのだという覚悟を、少年は持てないでいるのか。
 こちらが憎むのと同じくらい憎んでもらわなければ、張り合いがない。
 その憎しみを飲み干し、磨り潰さなければ、この渇きは潤せないというのに。

 何が足りない。どうすればこいつを激昂させられる?
 先程のようにもう一度演技をしてみせるか?
 悪役らしく少女をいたぶって見せようか。それで抑圧を解放できるのならいくらでもそうしよう。
 だが、そうするまでもなく、フレアは剣を振り上げて飛びかかる。
 その剣には明確な殺意がある。悪意が込められている。
 憎しみのままに害しようとする明瞭な邪念が、その瞳に込められている。

 そうだ。それでいい。それこそが、復讐者のあるべき姿だ。

 この少年には、容易く殺せるなどと勘違いされているだろうが、むざむざ攻撃を受けたのも、相手を乗せて復讐心を煽るためでしかない。
 実際のダメージは見た目ほどではない。
 平静な状態なら気づけただろうが、《復讐の咎人》と化した状態で見切れるわけもない。
 
「死ね、死ねッ! 死ねェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!!」

 叫びながらの斬撃。
 ヴァルトはそれを嗤いながら、待ち構えていた。
 死ぬはずのないトドメの一撃を、待ち受けていた。
 が――。

 シン、と。

 剣は中空で動きを止めた。
 切っ先は痙攣するかのように震えている。
 何故――。
 仰ぎ見れば、少年は剣を必死の形相で止めていた。
 その顔色には葛藤の気配が色濃く感じられる。

 何故だ。何故抗う……?
 復讐は彼にとって心の支えのはずだ。
 愛する少女が死に、同胞も死んでいる。
 その血の臭いも、死の気配も感じられないほど鈍感ではないだろう。
 ならば何故。何故に抗う……?
 甘美な力に、復讐という名の誘惑に、何故染まらない……?
 何が少年を喰い止めている……?

 落とした視線に、目が引きつけられる。
 剣の形状が変化している……?

 フレアの持つ大剣の形状に変化が見られる。
 無骨だった造りが僅かに細くなって、極東の剣に似ている……?
 いや――。

 少女の剣が消えている――。
 まさか、剣が、他の剣を取り込んだとでもいうのか……?
 そんな現象は聞いたこともない。物理的にありえない現象だ。
 だが、状況的にそう考えたほうが自然だ。

 エルフの持つ剣だ。何か古代の超技術を宿していたとしても、不思議ではない。
 今では滅ぼされてしまった技術だ。そういった現象を引き起こせた可能性だってゼロではない。
 ならば――。そういうことかもしれない。
 あまりにも荒唐無稽な話だが、検討する価値はありそうだ。

 そして、その剣を見たからだろう。少年の気配がまたも変わった。
 抗おうとしている。《復讐の咎人》から。その甘美なる毒から。

「イヤだ、イヤだイヤだイヤだッ!! 俺は……。俺は……ッ!! ウワァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」

 狂ったように叫ぶと、少年は糸が切れた人形のようにプツリと意識を失い、倒れた。
 自分の妄執に憑き殺されたか……。呆気ない幕引きだったな。
 このまま少年の復讐をもう少し見ていたかった。
 それがどんなものなのか知りたかったものだが、仕方あるまい。興も削がれた。

「帰るぞ、ジーク」

 ヴァルトは影で見ていた同胞へ声を掛けた。
「もういいので……?」
「ああ……。もう充分だ」

 エルフは滅んだ。復讐は果たせた。もっと恨み辛みを撒き散らせるつもりだったが、興が乗りすぎて忘れてしまっていた。
 何事もほどほどが一番らしい。難しいところだ。

「まだ……生きているらしい。……殺しても?」
 ジークが少年を見て、そんなことを尋ねてくる。
「充分だと言っただろう。……先に行くぞ」
「……了解しました」

 すっかりと慣れてしまった血と硝煙の香り。
 これが日常と化してしまったのはいつからだろう。
 そんなことを考えながら、ヴァルトは里を後にした。
 黒服の兵隊たちもそれに付き従い、立ち去ってゆく。
 死屍累々の地獄絵図の最中、少年は一人、何を想う――。

第三十二章《慚愧流世 -Blade Princess;21 Late Reglets-》

 ギシギシ……、と不吉な音を立てて大木が傾き始める。
 そのまま地に辿り着く前に、大木は半ばからへし折れた。劈くような爆音が辺りに響き渡る。
 周囲は混沌としていた。戦場らしい殺伐とした空気を纏っている。
 元凶はおそらく、この男だろう。

「ふふふふ、はははははははぁッ!! 死ね、死ねッ! 死ねェッ!! さぁ、無様に転がれ、這い蹲れ! 芋虫みたいに潰してやるよォッ!! ひゃははははははは!」

 ドルフ=レイヴェン=オルコット。
 クレアに斬られた腕を止血して、応急処置を済ませた彼は、そのまま戦車に乗り込み、前線の指揮を執っていた。
 戦場が、硝煙が、怨嗟が、悲鳴が、彼を昂揚させる。
 失った矜持を取り戻すためには、快楽に身を任せるしかない。
 殺傷行為。残虐行為。戦闘行為。それらが彼の心を満たす。震わせる。
 前線で人間共を相手取り、殲滅することに集中する。
 それ以外を頭から消し去る。敗北などまるでなかったことであるかのように。
 それでも、すぐに思い出すだろう。忘れられるのは一時的な状態に過ぎない。
 それでも、すぐに冷めてしまうだろう。熱くなれるのは刹那的な快楽に過ぎない。
 それを意識してか、無意識でかは分からないが、彼も理解していた。
 たとえそうであろうと、操縦桿は放さない。照準は逸らさない。
 冷たく、死を撒き散らし続ける。屍体を量産し続ける。
 それだけが彼にとっての拠り所なのだった。

――

 革命軍――テロリストを自称してはいるが、同胞の多くは自らを心の内でそう呼んでいる――の動向は、消極的なものになっていた。
 理由は唐突にヴァルト軍の攻撃が苛烈になってきたためである。
 包囲網はあっさりと形成できたものの、立ちはだかる木々が侵入を拒み、巨木を盾にされては攻撃も届かず、戦況は膠着していた。
 戦線の維持をマツリが指示したため、大きく攻め込むこともなく、控えめに後方から攻撃を散発的に行っていたのだが、今になって敵は急に慌ただしい動きを始めていた。
 戦いが始まってから――つまり、アークたちが突入してから――、半日近く経過している。
 そろそろ撤退戦が始まるのだろうか。
 となれば、当然気になるのはここからのリアクションだ。
 このまま攻め続けるのは、下策だろう。戦力も備蓄も向こうほうが多い。総力戦も持久戦もこちらには分が悪い。
 何より、『頭』を逸した状態での長時間の戦闘は遠慮したいところだった。

「さて、どうするんだ? 参謀閣下……?」

 この戦いの指揮権を持つ将軍格、ブラハムは隣に控えているピンク色の髪をした女性に問い掛ける。
 問われたマツリはというと、轟音飛び交う戦場だというのに、平常通りの様子で、平常通りの声で答えた。

「タイミングとしては、そろそろでしょうが……」

 マツリはまだ何かを気にしているかのようだった。
 またアークからの指示なのだろうが、最初から全て教えてもらえたほうが楽に思えるのだが……。
 などとブラハムが考えていると、その心を読んだかのようにマツリは告げる。

「全てを教えるのもやぶさかではありませんが、指示書は数百枚近い分量がありましたので、生憎と貴方では理解は無理かと思いますが」

 しれっとそんなことを告げられれば、ブラハムとしては頭を抱えるしかなかった。

「じゃあ、優秀な参謀閣下殿に指示してもらいますかな」
「……話が早くて助かります」

 マツリは恐縮するように頭を下げる。その仕草が嫌みにならないところがこの女のズルイところだと思うのだった。

「それに……、そろそろアークから合図が来るはずです。それが確認できたら撤退しますので、準備だけはしておいてください」

 アークの状況は連絡もないため、想像するしかないのだが、ヴァルトニックや四天王などと呼ばれる幹部たちの強さを考えるに、甘い状況ではないはずだ。
 ここよりはずっと、酷い状況になっているはずだ。
 そこから合図が出せるものなのか、疑問に思う気持ちもないわけではない。
 と同時に、あのアークがやられるところも想像はできないのだが……。

 ――一心不乱にお前を信じ続けるこの女を、裏切るんじゃないぞ……。

 そう空に念じた直後、まるで狙い澄ましたように一条の光が空へと伸びていた。
 合図、そう言われた直後だからか、ブラハムはそれをそうだと認識したし、マツリも聞かされていた通りの光だったので、それが合図であると理解していた。

 アークが指示した、撤退戦の開始。
 そして、救出部隊の投入の合図だ。

――

 気功術による治癒。
 それは、空想上の魔法のような、みるみる傷を癒していくような便利なものではない。
 人の持つ治癒力を手助けし、あくまで回復を早める程度のものでしかない。
 出血を抑え、失われかけた生命力を補填し、あとは相手の回復力に委ねるしかない。
 アークは、死にかけのシークへその術を行使しながら、無力な自分を呪っていた。
 せめて、自分が強ければ……。せめて自分の治癒術がもう少し強力であったなら……。
 状況はもう少し変わっていただろうか。
 あるいは、せめて、もっと上手い戦術を組み込めたなら、ここまでの敗北を味わわずには済んだだろうか。

 シークは死んではいない。だが、辛うじて生きている、というだけだ。
 見た目はもはや、死んでいるようにしか見えない。
 亡骸、と表現するしかないような有様だ。
 死んでいないのは、渡したお守りの効用だろう。これはそういう奇跡でしかなかった。

 合図は送った。
 マツリは気づいただろう。
 同時に、彼らも動いたはずだ。
 ならばそれでいい。それでこの局面は改善される。

 こうなることは予測していた。
 だから、彼らを温存していた。
 撤退戦を確実にこなすため、戦力を保持しておいたのだ。
 強力な戦力である彼らを。
 この選択はおそらく正しい。
 生き残るうえで正しい選択をした、という自信がある。
 あるのだが、それでも……。
 これ以外の選択肢がなかったか、と思わずにはいられない。

 全てを救い、勝率も上げられる。そんな奇跡のような手があったのではないだろうか。
 それに思い至らないのは、自分の落ち度ではないだろうか。
 アークはそう思わずにはいられない。

 ポツ、ポツ……。

 シークへあてがった手に、雫が落ちる。
 雨が、戦場を、濡らしている。
 まるで空が泣いているかのようだと、アークは感じた。
 と同時に、そんな感傷的な自分を笑いたくなった。

 雨に紛れれば撤退はより楽になるだろう。
 今までけたたましく鳴り響いていた銃声や罵声、爆発音も、もう聞こえない。
 戦闘はもう、終わったらしい。
 森の外ではどうなっているだろうか。
 そう思ったとき、背後でピチョン……、水が跳ねる音がした。

「……随分と早いですね、エイクス君」
「……待ちくたびれたからな」

 背後の青年は、渇いた声で答える。
 疲労もあるだろうが、それ以上に彼の心境によるところも多いだろう。

「数年ぶりの故郷なんでしょう……? 気分は如何ですか……?」
「……厳密にはここじゃねえしな。まぁ同じ森ではあるんだけど……。……それより――」

 エイクスは沈んだ口調のままに、それを口にする。

「……あいつは、フレアは何処にいるんだ……?」

 その質問に、アークは沈黙で答える。
 視線は、彼がいるであろう里の方角へ向けて――。
 否、里があった方角へ向けて――。

第三十三章《剣騎喪失 -Blade Princess;22 Lost the Lust-》

 雨が戦いの終結を告げていた。
 ジンは、雨に濡れながら、倒れた相棒の頬をそっと撫でる。
 雨の冷たさは、生きていることを実感させてくれる。どうにも、生き残ったらしいと教えてくれる。
 戦いの最中に閃いた斬撃は、鉄をも斬り裂く強靱な刃と化していた。
 風の仙術だけでは決して出せない威力。それは、新しい可能性の発露だ。
 まだ、強くなれる。まだ、先に行ける。
 これで彼女を、守れる。
 ジンは、冷えた相棒の身体を温めるように、その手を握り続けた。
 その手が握り返してくることはなくても、握り続けた。
 彼女を支え続けることが、きっと自分の存在理由なのだろうから。
 だから、今はその手を包む。それだけだ。
 やがて彼女が立ち上がれるその時まで、ジンは支え続ける。
 自身の命の価値は、それだけで構わなかった。

――

 撤退命令。
 それは、中途半端な苛立ちばかりを生じさせる。
 殺しきれなかった。
 生きている。それは確信していた。
 しかし、出されたのは撤退命令だ。
 そのうえ、雨で視界は悪い。転がった屍体も多く、戦闘の継続には適していない場所だ。
 それでも戦いはできる。敵は殺せる。
 見失いさえしなければ。雨さえ降らなければ。
 不運さえ重ならなければ、マーカスは敵を殺せた。
 果たすことができたのに。
 苛立ちは募るばかりだ。
 伝令を殺してやろうかとさえ思った。
 しかし、すぐ近くまで、ジークの気配が迫ってきていては、それもできない。ヤツは無駄な殺生にはうるさい。
 エルフという言葉には過敏に反応するが、それ以外には比較的慎重と言わざるを得ない性格をしている。
 全く以て度し難い。
 殺戮を愉しめないとは、あまりに貧弱だ。虚弱だとすら感じる。
 あるいは臆病なのか、慎重なのか……。
 そんな心境は実にどうでもいいことだが、疑問といえば疑問だ。
 あんな人殺しが得意な人間が、それを愉しまない道理とは一体何なのだろう。
 理解に苦しむところだ。あれだけの戦力があればあの二人を殺してもお釣りが来るくらいだったろうに……。
 ……無い物ねだりも、みっともないか。と、マーカスは思考を打ち切った。
 その手の中では、拳銃が鈍く禍々しい光を放っていた。

――

 搬送するための担架に乗せられたスピアは、混濁した意識の中、聞こえるはずのない声を聞いた気がした。

「……やれやれ。このザマでは先が思いやられるのぅ、……スピアや」

 懐かしい声に一瞬意識が覚醒しかけたスピアだったが、それも僅かな間のことだった。
 深いダメージがスピアの精神を削ってゆく。
 再び意識の水底へ沈んでゆくのを、力なく横たわるだけのスピアは、留める術など持たなかった。

 スピアと同様に担架で運ばれていたのはリースだ。
 傷はスピア同様に深く、相当に消耗していた。仙術に覚醒したばかりだったからこそ、出血を抑えられていたのだろう。それこそが生死を分けていた。
 もしも、覚醒がもっと早く訪れていたのならば、今頃出血は抑え切れていなかっただろう。
 そうなれば、彼女は死んでいた。
 それは本当に些細な偶然に過ぎなかった。
 そんな些細な偶然がいくつも重なったことで、アークたちは生存することができた。
 辛うじて生き延びるに至ったのだ。

 そうして、エイクスと呼ばれた青年と、その仲間たちによる救護班の活躍により、仙術使いたちはほとんどが生存・帰還が確認された。
 だがしかし……、フレアだけが依然として姿が確認されなかったのだった。

 姿自体は一度見つかってはいたのだ。だが、救出のための担架を用意しているほんの僅かな時間、目を逸らしている間に、彼の姿はなくなっていた。
 その後の彼の動向は誰にも掴めなかった。
 アークは方々に手を伸ばし策を弄したものの、やはり見つからず、そのまま戦後処理や部隊の再編成、次なる戦闘の準備にとやらねばならない作業が山ほど増えた結果、捜索活動は打ち切らざるを得なくなった。
 手の空いた時間に救護班ことエイクスたちに捜索を依頼するも、フレアの行方はようとして知れず、時ばかりが無駄に経過した。

 ――一体、何処へ行ってしまったんですか、フレア君……!



to be continued...

あとがき

第十一章
◆イリスカの補足
フレア視点での説明です。

◆フレ&リー
ようやくちらっと会話できました。
裏リースです。
性格&口調が三章と別人なのはご愛敬といいますか……
まじめに解説すると戦闘時ではなく、敵対もしていないため、ちょっと以前より大人しいです。
……というのは建前で、なんか書いてる僕の気分が変わりました。
何気に書き始めてからもう三年近く経つんですねぇ……

◆ジンがんばった
ちょっと格好良く書いてみました。
これが最後の見せ場にならないといいけど……

◆アーク視点バトル
前回引っ張っちゃったので今回決着です。
結局アーク強すぎ。

◆アークの過去
いずれきちんと書きたいですが、タイミングがあるのかなぁ……

◆精霊
お守りを持って生死の淵に立ち入ると精霊が現れ、契約を迫ります。
シークも言っていたとおり、ベタベタな設定です。
精霊契約によって得られる仙術の説明はいずれ詳しく書くと思います。
ちなみに精霊は全部で7体います。
なんらかの偶然か導きか、フレアたちのパーティメンバーと同じ数ですね。たまたまだと思うよ。

◆クレア再登場
久々すぎて別人です。誰だお前は。

◆最悪の形
大事なエピソードなのできっちりしっかり書き上げたいものです。
あと、一応書いておくとイリスカはハッピーエンドを目指しています。
途中に悲劇はあるかもしれませんが……

第十二章
◆クレア
たまにはこういうのも良いかと思って、今回はクレア編です。
クレア分をきっちり補填してやるぜー! と意気込んでみました。
とはいえ、書き込みづらくて展開早めです。すみません……。
読みやすいからいいよーという意見が欲しい今日この頃です。

◆防衛戦
里の面子がちょろっと出てきました。
機会があったら書き込んでやろーっと画策していたんですが、何故かすっ飛ばし気味。すまんレオケイトアステルその他……

◆クレイン
クレアパパです。あんまし強くない、という設定。クレアを主眼にしたら置いてけぼり食らってしまった可哀相な人。次章で補完できたらいいな……。

◆青龍剣
ってか強すぎです。
まぁ設定通りではあるんですが……。
ちなみに。フレアはまだ赤龍剣の奥義をギリギリ使えるかなーといったレベルですが、クレアは青龍剣を極めてます。達人の域です。その辺りが影響してるんじゃないかと思います。

◆グロ要素あり
クレアの剣は鋭い、ということで。
なんか書いてたらグロくなりました。内臓どばしゃーっ! みたいな。
一応書いておきますが、この作品は暴力を賛美するものではありません。本当です。

◆爆弾使いドルフ
嫌な悪役登場、の回。
嫌悪感を抱いて頂けたら嬉しいです。そんな感じのキャラ。
セリフに横文字が多めなのは、彼のクセです。かっこつけです。別に格好良くないけど。

◆セルフタイマー再登場
ホントすみません……。残酷表現ばっかりで。
一応。マーカスにセルフタイマーの技術を提供したのは彼です。
ちなみにマーカスはあれ以来セルフタイマーを使ってはいません。理由は「なんかめんどいから」だそうです。回りくどいのが嫌なんじゃないですかね、マーカス的には。

◆次回主人公はフレアへ!
という引きでした。
それにしても露骨に嫌な予感を煽るシナリオですみません。
そしてその予測はたぶん裏切りません。ほんとすみません。
このお話はフレアの成長物語でもあります。
なので、どうしても乗り越えてもらわなきゃならないものがあるのです。
そのためにこれからヘビィな内容を書いていく予定です。
がんばります。

◆第一三章
・三ヶ月振りです。お久しぶりです。亘里です。
新人賞の原稿書いたり、書き終わって意気消沈してたり、転職したりしてたら遅れました。ごめんなさい。

・バトル。バトル。バトル。
な内容です。

・マーカスVSジン&フライヤ。
もうちょっと先まで書くつもりだったんですが、色々考えた結果次回持ち越しになりました。
やきもきしてくれるとちょっと嬉しいです。……調子乗ってごめんなさい。すぐ書きます。がんばるっ。

・クレアVSヴァルトニック。
本作中最強VS最強です。
とんでも級に超強いクレアさんですが、ヴァルトもぶっ飛んでます。
剣振っただけで地割れ起きますからねw ヴァルトさんマジぱねえ。

・地割れに巻き込まれたフレアたちの運命や如何に!
……という感じで幕を下ろしてみました。打ち切りじゃないよ。
次回はヴァルト社幹部の四天王の、マーカス・ドルフ以外の面子が出てきます。
クソ野郎ばかりだったので、他の四天王は良い人かもしれません。……そんなことないかもしれませんが。
……正直な話、早くエンディングを書きたいです。そのためには辛いシーンもがんばって書かねばならないようです。
もうちょっとがんばります。
なので、もうちょっとだけお付き合いください。お願いします。

◆第十四章
・毎度毎度、ご無沙汰です。亘里です。
新人賞用の原稿は見事落選が決定したので公開してます。『劫火のフラム』というタイトルです。良かったら見てやってください。ぺこり。

・剣姫シリーズ三話目。
というかもうネタ切れ感満載です。
縛るとすぐにイっちゃうんです。あはん。
……それはともかく、ここら辺は大事なエピソードなのでじっくり書きたいなーという話。
一応六話目くらいで終わる予定。
そのあとはもう一個山場が来て完結です。いやー、長い。というか永い。
【retrograde:後退】

・名前とか
というかこの辺のネーミングは小学生の時に思いついたものなんで今見ると色々と被ってて大変です。
シークとアーク、リースとかあともう一人似た名前の人が今回も出てくるんですが(まだ名前は名乗ってないけど)、
こういうのは本当に良くないですね。かといって、今更変更するのも個人的にしっくりこなかったので勘弁してください。
あと、ホントにどうでもいい話だけど、フォーレス家の一族は名前の最後に必ず『ク』が付きます。マジでどうでもいい……。

・次回、リースの過去……?
もうすぐ明らかになりそうですね。
っていうか三年掛かったよ。ここまで書くのに……。というかもうすぐ四年かもしれない……。
文字数だけカウントすると、まだ文庫本二冊程度なのに……。
まあ、今はペースも上がってきてるし、来年中には文庫本三冊ぶんくらいの内容で完結できそうなので一安心です。
……あれ? もう四年経ってたかも……?
……全く、恐ろしい話ですよ。ふぅ。

◆第十五章
・ご無沙汰です。亘里です。
フラムと人間倶楽部が一段落したのでようやく本腰入れてアレとかコレとか出来ます。よっしゃ。

・グラハムとかマツリとか
戦争始まったのに戦場を全く描写してなかったことに気づきまして、書きました。
マツリはいわゆる狂信者なのです。

・リースの過去
昔リースが何をやってたか。ついに思い出しました。
予想通りの展開すぎて新鮮味が薄いかもしれません。
どうして記憶を失ったかなど、もう少し書く予定です。

・シークの過去
今回、リースの過去と並列で並べてしまったので、なんともベタな感じ。
以前にもちょっとだけ描かれていたので、焼き増し感は拭えないかもしれません。

・ドルフ
不穏な空気を感じさせてます。
やられキャラ感満載ですね。

・次回予告
思った以上に話が進まなくて困ってます。しばらくはバトルが続きます。
よろしくお願いします。

◆第十六章
・毎度ご無沙汰しております。亘里です。
今回はちょっと短めです。更新ペースを上げたかったので。あと、読むうえでのウェイトを下げたかったというのもあります。
気軽に読める小説を目指しております。

・エリィ戦
思ったより長引いてます。次回か次々回あたりには終わります。
過去篇がどの程度の分量になるかによって変わります。たぶんそんなには掛からないはずなんですが……。

・ジーク戦
こちらはいつまで掛かるんでしょうね、不明です。結構強いという設定なのでアークとシークには頑張ってもらいたいところ。
あと、書いててシーク、アーク、ジークの名前が分かりづらい! と散々文句を言いたくなりました。
安易なネーミングですみません……。

・クレア視点
唐突に出てきた羽根飾り。
うん。すっかり忘れてた。
書ききれなかった場合は短編として書くかもしれません。

・次回
その前に。全六回くらいで剣姫篇終わらせるとかほざいてましたが、全然無理っぽいです。すみません。
今年中には終わらせたいです。がんばります。
次回もエリィ戦、ジーク戦を進めていきます。ジンフラは……しばらく置いておくとして。
十一月までには更新したいです。

◆第十七章
・毎度ご無沙汰です。亘りん坊将軍です。
ついにやってしまいました。リースオンリー回です。
リースのお話だけでも終わらせたくって、がんばってみたんですが、結局続きます。
あははー。

・サブタイトルについて
正確には前回辺りに書いておくべきでしたが、サブタイトルの解説です。
【maybe】は【多分】とか【~かもしれない】みたいな意味の英単語だった気がします。
それとサツキ【五月/May】を掛けています。言葉遊びです。
意味合いとしては【私はたぶんサツキだ】みたいな意味です。
maybeをmay beとも取れるようにかいてあるので【私はサツキであるのかもしれない】ともとれます。結局意味はあまり変わりませんが。
あ、それと今回からサブタイトルの剣姫が抜けました(英題のほうには残ってるけど)。
理由はネタがなくなったからです。あと、今回クレア出てこないし……。

・次回
次回こそはエリィとの戦いに終止符をつけます。
おかしい。十一章のプロットの時点ではこの先まで書く予定だったというのに。もう十七章だよ。どうしてこうなった。陰謀説を唱えてもいいですか。だめですかそうですか。
十八章は、十一月上旬には上げます。よろ!

◆第十八章
・全然十一月更新じゃありませんでした! 上旬どころかもう十二月だよ!
というわけで予定より遅れまして申し訳ありません。
急激なモチベ低下と、ネタ切れにより消沈しておりました。
……励ましのお便りをお待ちしております……。

・エリィ戦、了。
どうにか片づきました。とはいえなんだか強引に幕を落としたっぽいですが……。
はてさてお次はジーク戦です。こいつははっきり言って超強いので勝てないんじゃないかと思います。
如何にダメージを与えられるかが見所でしょうか……。

・色々考えた結果。
剣姫篇完結までは十五章分前後は掛かりそうな気配です。
当初の目論見より倍以上に膨れ上がりました。
一章あたりの文字数減らしたのもありますが、それ以上に書くべき要素が多すぎる……。
そろそろ新人賞用の原稿も進めたいのですが、どうなることやら。
今年中に剣姫篇完結も無理っぽいので、気ままにがんばります。

・サブタイトル
季語が五月雨から五月晴れに変わりました。完結っぽく。
次回から月シリーズかもしれません。英題はどうしよう……。

・次回
いついつなどと約束はしません。守れないので。
ジーク戦を一段落付けたいです。
そしたらマーカスとかドルフとかヴァルトとか出番待ちがまだまだいるので。
あとそういえばイリスカの最終章までを大雑把に計算したら、第五十章くらいになりそうでした。
お暇な方は気長にお付き合いください。
……ホントはこのあとに第二部とか第三部とか第四部とかもやりたいんですけど適当に計算したら全部で二百章か……。
代筆できる方、募集してまーす。嘘です。書きます。がんばります。怒らないでください。石は投げないで痛いから。

◆第十九章

・毎度のことですが、長らく掛かりました。ジーク戦です。
ようやく秘技も登場し、いよいよ佳境といったところでしょうか(ジーク戦において、の話ですが)。
思った以上に執筆に難儀しており、今後も更新はこんなペースかと思われます。ご了承ください。

・グラヴィティ・アウト。
強制的に溜めを作る秘技です。
シンプルゆえに強い。結構良い技閃いたなーと作者一人でほくそ笑んでいます。
これについては昔からあったアイデアではなく、書く寸前くらいで思いついたネタだったりします。
こういうのが楽しいので、バトルものは書いてて楽しいです。

・ジーク戦
あんまり長引かせてもアレなので、次くらいでジーク戦は幕を下ろす予定です。
剣姫篇なのにクレアが最近放置気味なのでそろそろ動かしたいところ……。
今年中には剣姫篇を終わらせます。たぶん。きっと。おそらくは。

◆二十章

・お待たせして申し訳ありません。
マイペースに続いております。
言い訳はいっぱいあります。
ゲームがいっぱい発売されたんです。仕方なかったんです。
許してください。
『アルノサージュ』と『初音ミク Project DIVA F 2nd』が面白すぎたんです。
だから俺は悪くねえ!
アルノもFもまだまだ全然クリアできてませんが、いい加減サボりすぎたのでそろそろ上げます。
……そろそろ小説の書き方すら忘れつつありますが、きっとなんとかします。未来の僕が。
大丈夫、あいつはやるときはやる奴だよ!

・ジーク戦。
引っ張りました。すみません。
今回で終わらせるつもりだったんですが、終わらなそうだったので次で終わらせます。
明日の俺がきっとやってくれるさ!

・そういえば。
ちょっと思うところあってエルフサイドのまとめ的なシーンを入れてみました。
昔はよくまとめ的なのを書いてたんですが、最近はおざなりだったりして。
こういうのを入れると書いてる側としても状況を整理できるのでいいかも。

・そんなわけで。
次回へ続きます。
ジーク戦のオチとエルフサイドの進行。それからフライヤサイドの進行をしたいです。
それにしても長く掛かりすぎですね、剣姫篇。
すみませんがもうしばらくお付き合いください。ぺこり。

◆二十一章

・毎度のお話
進行遅くて申し訳ありません。
伏線回収しまくり&新規で張りまくりの所為で大変七面倒な感じです。
そのうえでお話として面白く筋道立てて小説書くとか人間に出来る所行ではありません。
兎にも角にも、全ては僕の無計画が生んだ悪循環です。
本当にすみません。

・ジン&フライヤ側
ずっと乱闘してますね。そろそろ進める予定です。

・フレア・リース・スピア側
久々の登場です。もうちょっと書くことがあります。
それと、恋心の描写をようやく始めました。LOVE、始めました。
やっぱりそれもこれも全て伏線です。
今後の展開のためにリースの恋も進めることにしました。
お陰でさらに状況が複雑に。
もうたぶん収拾つかない気がする……。えへへ……。(白目)

・アーク・シーク側
名前がややこしいこちら側もいよいよ佳境。
シークは死んだんでしょうかね。どうでしょうかね。

・クレア側
今回は触れませんでしたが、そろそろ動かしたいところ。

・言い訳とかいろいろ
仲間7人は多すぎましたw
全員を描写して、それぞれに見せ場用意して、過去を設定して、シナリオを進めて、敵も描写して……。
ええ。そりゃもう、見事に長引きますよ。当然じゃないですか。
そのうえ、素人です。プロでも手こずりそうな内容をズブの素人が手探りでやるわけです。
結果など見るまでもありませんね。
……長い目で見守っていただければ幸いです。

◆二十二章
相変わらずのスローペースで申し訳ありません。
次回はジンフラとかクレアとかスピアとかのお話が進みます。

◆二十三章
フライヤの過去篇をちょっとだけ書いてみた。
しかしホントのところはもう少し先で書くことになりそうです。
それにしてもイリスカは全然進まねえな……。

◆二十四章
ジンの過去篇。これで洗いざらい書けたと思います。
ほとんど土壇場で書き上げたところなので矛盾点とかいっぱいありそう……。
そういえばタイトルはきょうしょくのそうせいと読みます。
深い意味は実はありませんが、守り合うために傷つけ合う構図は、共食いするのと似てるような気がしたというだけです。
ノリだけで書いてるので深いところはつっこまんといてください。
一挙二話公開するくらいなら纏めたほうが良いんでないのとも思いましたが、やっぱり節目っぽい気がしたのと、読むうえでのウエイトを減らす意味でもこのほうがよかったんじゃなかろうかとも思います。
改行増やしたのもそういう理由です。読みやすくなってたら良いなー。

・きょうしょくのそうせいシリーズはもうちょっと続きます。もうそろそろ当て字のネタがないけどね!
それにしてもイリスカはなかなか進まなくて困ってます。プロット長く組みすぎなんですよね。大体人を死なせすぎなんだと思います。まぁ半死半生だけど。
きょうしょくのそうせいと、スピアVSジークを書いたら、あとは剣姫篇のクライマックスまでまっしぐらなのでがんばります。
そのあとに休息篇と決戦篇が予定されてるし、なんなら第二部第三部第四部まで構想あるけど、キリの良いところまでは書き上げますので、お付き合いいただけると幸いです。

◆二十五章
ようやくちょっとだけお話が進みました。剣姫篇の終わりが見えてきたよ!

・ジンフラ
飛ばし気味ですがようやくこっちも覚醒。フライヤはもうちょっと先です。

・スピア
瞬殺でしたw
こういう扱いもありかと思いましたが、実際どうなんだろ。

・リース
覚醒済なので、ちょっと解説役になっていただきました。

・次回「VSヴァルトニック」です。
あとひと踏ん張りです!

◆二十六章
剣姫篇クライマックス!
長くなりましたが、剣姫篇はどうにか三十章までには終わりそうです……。
人が死ぬシーンでは、結構慎重に書こうと足掻いてます。
心に残る死に様でしたでしょうか。下手なりにがんばりました。

◆二十七章
今までずっと書けなかった伏線をようやく消化できました。
不自然な病死と、大量虐殺の真意。
それにはそんな理屈もありましたとさ。

◆二十八章
サブタイトルですが、「けんきりょうがん」と読みます。
うまく話を進められなくて、四苦八苦してます。
あと、どっかで三十章までに終わるとかほざいたことがあったが、すまなかったな。アレは嘘だ。
……三十五章までには終わると思う。ホントゴメン。自分計算とか出来ないんで……。無理ゲーなんで……。

◆二十九章
クレア回でした。

・読み方解説。表記がずれてるのは愛嬌だと思ってやってください。修正めんどくて……。
青龍剣奥義《鏡華葬》せいりゅうけんおうぎ、きょうかそう
緑龍剣《風旋連牙》りょくりゅうけん、ふうせんれんが
赤龍剣《豪破断》せきりゅうけん、ごうはざん
緑龍剣奥義《無塵劇》むじんげき
黄龍剣奥義"黄崩砕"おうりゅうけんおうぎ、おうほうさい
黄龍剣上技"訃霊陣"ふれいじん
白龍剣上技"居合い・朱雀"はくりゅうけんかみわざ、いあいすざく
黒龍剣上技"鎚鏖刹"こくりゅうけんかみわざ、ついおうさつ

◆三十章
超展開感が拭えないんですが、どうしたらいいですか。

◆三十一章
剣姫篇はこれで大体終わりです。あとは後始末をちょっとだけやります。

・もっと恨み辛みを撒き散らせるつもりだったが、興が乗りすぎて忘れてしまっていた。
ヴァルトの胸中ですが、ぶっちゃけセルフツッコミです。
エルフに対する歴史的な恨み辛みとかを吐いてもらう予定だったのですが、あんまり書いてなかったなーという話。
後の祭りとも言う。

◆三十二章
マツリとアークの後始末。
現れた救護隊、エイクス。
思わせぶりですが、正体はもう少しだけ内緒です。
もうほとんど答え書いちゃってるけど……。

◆三十三章
なんかちょっと中途半端な気もするけれど、とりあえず第2篇、剣姫篇終了です。
突然ですが、フレアの物語は復讐がテーマです。
そんなわけでボスは復讐者です。
そんなボスに立ち向かう主人公が復讐心を持たないというのでは、あまりに内容が薄い気がするのです。
大切な誰かを失った誰かじゃなきゃ、大切な誰かを失った痛みを分かち合えないと思うんです。
そんなボスと戦うからこそ、主人公にはしっかりと復讐心に芽生えていただく必要がありました。
そのためのシナリオが剣姫篇です。クレアはこのエピソードのために生まれました。
初期案ではフェリーという名の妹キャラだったんですが、より強い復讐心を抱いてもらうためにより大切な人になっていただきました。
それを失ったフレアの悲しみは作者にも量りきれませんが、それを克服することこそがこのお話のテーマでした。
なので次からはフレアが立ち直るまでのお話になります。そのあとはラストバトルですね!
いやぁ、全然終わりが見えないなぁw
ともあれ、マイペースに続けていきますので、お時間のあるかたはお付き合いください。
拙い筆と、拙いキャラたちで精一杯のおもてなしをさせてください。
どうかよろしくお願いします。



to be continued...