劫火のフラム

どんな願いも叶えてくれるという《至高の魔導具》を巡って、世界最強の魔導士を決める戦いが遂に始まった!


プロローグ

 緑偃都市(りょくえんとし)オーランドを横切る大通りの店頭に置かれた一台の箱――《映像魔導具(グラス・シアター)》――から、映像が流れていた。
 店主は魔導具に力を注ぎつつ、喧伝していた。
「さぁさぁ、見ておいで! 先日に央都で執り行われた《千年祭機動式典(ミレニアル・スターター)》のヴィジョンだよ!」
 店主の周囲には八人ほどの人だかりが出来ており、皆がその画面に熱い視線を送っている。
『――魔導具が世界で始めて製作された魔導世紀元年より今日でちょうど一千年。記念すべきこの日は、同時に究極の魔導具誕生の瞬間でもあります! さぁ、見えますでしょうか!』
 映像はリポーターの女性から離れ、その奥にあった祭壇を指し示す。一面が白い精錬石で作られた巨大な祭壇だ。しかし今はその中央より放たれる金色の光が辺りを包み込んでおり、まるで祭壇を構成する精錬石全てが元から金色であったかのようだ。そして、カメラは更に中央へ近づいていく。眩い光に映像を見つめていた数人が手をかざして光を遮る。
『そう、これこそが《至高の魔導具(ゼロ・ディメンジョナル・マナ)》です! 《女神の溜息(ゴッド・ブレス)》と言ったほうが通りがいいでしょうか!? それが今、この光の中に眠っています!』
 おお……、感嘆の声があちこちから漏れる。
『私自身、恐れ多いという気持ちを感じずにはいられません。この魔導具は全ての魔導士の頂点に立つ者にしか扱えないと言われている代物です。ご覧の通り、厚い警備で守られており、我々もこれ以上の前進は許可されていません。……ですが! 一年後に開催される《頂上決戦(ミレニアム)》では必ずやその正体に近づくことを約束いたしましょう! それでは、次回お会い致しましょう!』
 そこで映像は終了し、映像は砂嵐へと切り替わる。
 そんな映像に興味を無くしたのか、人垣が崩れてゆく。
「なんだよ、あれで終わりか……?」「もっと見たいー!」「あれが、《女神の溜息》か……」
 口々に感想を述べたかと思うと、集まっていた者たちは三々五々散っていった。
 その中に、一人の少年がいた。
 青髪のその少年はしばらく画面を見つめながら、呆けたように突っ立っていた。何事かと顔を覗き込む年配の女性にも気づかず立ち尽くしていたのだが、大きな箱を抱えた男にぶつかってしまい、ようやく視線を上げた。
「おっと、悪いね」
「いえ、こっちこそすみません」
 男に謝りつつ、少年は名残惜しそうにもう一度画面に目を向け、店主が魔導具をしまい始めているのを見ると、肩を落として歩き始めた。
 歩きながら空を眺め、
「《頂上決戦》、か……」
 と呟くのだった。

第一話『シアン=リーベッド』①

 扉を開けるなり、声を掛けてきたのは真っ黒い髪の少年だった。
「よぉ、シアン。今日も買い出しかぁ?」
 そんな横柄な物腰の店員に、青髪の少年シアン=リーベッドはやんわりとした笑みを返す。
「やぁ、カイウス。こっちも色々と入り用でね」
 シアンは、入るなり扉のすぐ横に置いてあった樽に近づいた。樽は片面が空いており、そこに刀剣が二十本ほど乱雑に刺さっている。そこから一本抜き取り、刃の形状を確認しては元に戻し、すぐにまた二本目を抜いてゆく。
「ありゃ? お前、剣なんか使えたっけ」
 カイウスと呼ばれた少年は、よっこいせ、と掛け声をかけてカウンターに腰掛ける。カウンターの上にも指輪やら腕輪やらが展示されており、それらがジャラジャラと音を立てて揺れる。この黒い髪の少年は、シアンと比べると一回り身体が大きく、一見シアンより年上のようにも見える。だが、その顔立ちにはまだ若さが残り、その図体の通りの年齢ではないことが窺える。
 シアンはというと、続いて数本の剣を抜いては戻し、の動作を繰り返しながら、
「いや、相変わらず剣はムリだよ。そうじゃなくて短いのが欲しいんだ」
 と答えると、カイウスは、ガハハと笑いながら棚を指さす。
 指さされた棚には斧、槍、大槌などが並び、物々しい雰囲気を纏っていて、おや、と思ってシアンがしばらく眺めていると、棚の中段あたりに小振りのナイフが数本並んでいるのを見つける。
「見つけたか? ……ああ、そっか。ナイフなら戦闘以外でも使えるもんな。けど、どうして急に?」
 カイウスは、腰を折り、顔をシアンへと近づけた。
 シアンは頷いて答える。
「うん。今までは父さんに借りてたんだけどさ。自立の意味で少しずつ、ね」
 言うと、カイウスは再び、ガハハと笑い、膝に手を打ち付けてシアンを正面から見据える。
「オレなんて未だに非常勤の店番だぜ。自立なんていつの日かって話よ! 親父がおっ死んじまわない限りは無理な話だな! ガッハッハッハ!!」
 最後に姿勢を崩し、大笑いするカイウスだったが、店の奥から算盤(そろばん)が飛んできてカイウスの頭に直撃し、
「テメェにはあと三十年は譲らん! 覚悟しとけ!!」
 と檄が飛ぶ。そんなぁ……と泣き言を呟くカイウスの顔は年相応な様相だった。

 数分後、お叱りが効いたのか、カウンターから下りたカイウスは、腕を組みながら訊ねてきた。
「なぁ、シアン。お前はやっぱ猟師になるのか? 親父さんみたいに……」
 シアンは頭上に視線をやり、思考を巡らす。
「う~ん、そうだと思う」
 頭をごりごりと掻きながら、十五歳の少年シアンははっきりとはしない口調で答える。
 シアンの父は猟師として生計を立てており、父の作った肉料理はシアンの大好物であった。時折一緒に食べていただけのカイウスのほうが、何故かその栄養を存分に役立てて成長しているのに対して、シアンは小柄で、力も弱い。体質と言われれば仕方ないのかも知れないが、その点に関してだけはカイウスに密かな嫉妬を抱くシアンだった。
 そんな父と狩りに出かけることも最近では多くなり、週末の狩りは大抵付き添うようになっている。その際に獲物の探し方や捕らえ方、罠の作り方や戦いになったときのあしらい方などを教わったりしていて、幾分か成長しているという自信はあるのだが、自立とまではまだまだいきそうにない。未だに一人だけで狩りを成功させたことはないのだ。
 そして何より。
「やっぱ迷うよなぁ。こんな時代だし、尚更さ……」
 カイウスがそれを察したかのように、嘆くがごとく呟いた。
 何に迷うかと言えば、それは魔導士という道だ。しかしその道には大変な困難が待ち受ける。
「僕のクラスはまだ《銅級魔導士(クー・リアクター)》だし、昇任試験を受けるにはまだ勉強不足だよ。一年後の頂上決戦なんて、夢のまた夢だよ……」
 シアンは肩を落として、うなだれる。
 魔導士にはクラスが存在し、昇級には試験が存在する。《至高の魔導具》を賭けて行われる頂上決戦の出場資格は最低でも《金級魔導士(アウル・リアクター)》でなければならない。シアンよりも二階級も上、それを一年間で達成するなど、前例すら存在しない。と同時に、シアンはまだ十五歳なので《金級魔導士》の最年少記録も破らねばならない。そんなことは不可能なのだ。己の領分を遙かに超えている。シアンでもそれは分かっていた。しかも問題はそれだけではない。
「それに、もし《銀級魔導士(アルゼ・リアクター)》になんてなったら、戸籍を抹消しなきゃいけないんだよ? さすがにそこまでの勇気はないよ……」
 《銀級魔導士》。それは俗に、プロとアマチュアの境界線とも言われる。魔導士は《銀級》の資格を得ると同時に、今までの戸籍を失い、新たな名前と共に、新たな人生を送らねばならない。どうしてかというと、それは魔導に身をやつす者は人の世に未練を残してはならないと言い伝えられているからだ。つまりそれだけの覚悟をもって、その道を切り開かねばならない、ということだ。
「どうしてなんだろうな。そこまで厳密にしなきゃいけないルールなのか? 難しい話は良く分からねーけどよ」
「……知ってる? 魔導士の死亡率ってさ、ものすごく高いらしいんだよ」
 シアンは購入したナイフの刀身を指でさすりながら言う。
「それが実験の最中の事故死なのか、魔導士同士の殺し合いでもあったのか、なんなのかは良く分かってないらしいんだけどさ。とにかくいっぱい死ぬらしい。それで管理が面倒だっていう話になって、一括して魔導協会が取り仕切ることになったらしいよ」
 一般の人間が死んだ場合、葬式を開いてそれで終わり、とはならない。人が生きているだけで税金を払わなければならない世の中なので、人の生き死にには神聖教会が絡んでくる。子供が生まれれば、それを申請し、死んだ際もそれを教会に申請をする。そうすることで税金を全員から徴収するシステムを構築できるというわけだ。だからこそ、この申請を怠ることは、厳罰に処されることになる。だが、独り身だったり旅に出たりしている者はこの管理の眼からはみ出しやすくなってしまう。だからこその措置が、戸籍の抹消なのだろう。同時に《銀級魔導士》は魔導協会から報酬を受け取る際、税金を天引きされることになる。
「空恐ろしい話だな。やっぱ人生まっとうに生きるに限るな。なぁ、シアン!」
 カイウスの話に、シアンは頷いて見せた。
「うん。そうだね……」
 その言葉には、幾分かの迷いが滲んでいた。
「けどよ、例外もあるっていうじゃねえか」
 カイウスが指輪を磨きながら、そんなことを言う。
「例外……? 銀級魔導士のこと?」
「あ、いやいや。そっちじゃなくて……。頂上決戦のほう」
 シアンは少し考えた後、思いついた言葉を口にする。
「ひょっとして、《騎士》制度のこと?」
 言うと、それは当たりだったらしく、カイウスが大げさに頷く。
「それそれ! 《騎士》制度だよ! あれなら付き添いで参加できるんだろ?」
「それはそうだけど……」
 シアンは言い淀んで、思考を巡らせた。
 《騎士》とは、言ってしまえば魔導士の護衛である。魔導士は《騎士契約》によって騎士と魔導的な繋がりを持ち、共に戦うことが出来る。《騎士》になるための条件はその契約を交わすこと。それだけだ。
 つまり、金級魔導士と騎士契約すれば頂上決戦に出場することは出来る。そしてそこで勝ち上がれば至高の魔導具《女神の溜息》を手にすることも可能ではある。
 ただ、そうなると問題になってくることがある。
「魔導士と騎士、どっちが《女神の溜息》を手にするのさ」
 シアンが指摘すると、カイウスは興奮気味に掲げていた腕を途端に下ろしてしまう。
「う~ん。話し合いじゃないか……?」
 カイウスはそういうものの頭の中では分かっているのだろう。魔導士と騎士には主従関係が存在し、主人は魔導士である。となれば、自然、至高の魔導具は魔導士の手に渡る。
 至高の魔導具《女神の溜息》。この魔導具が持つ能力はとんでもない代物だ。それは使用者の願いを何でも一つ叶えることが出来る、というもの。
 だからこそ世の魔導士たちは競って名を上げ、自らの力を高め、あるいは強力な魔導具を求めていた。
 魔導具研究が始まり、暦が魔導世紀へと移り変わった年、世界では、とある魔導具の生成が開始された。それは世界中を流れるエネルギーを一点に集め、結晶化させるという研究だ。そうして出来上がった生成体こそが《至高の魔導具》、またの名を《女神の溜息》だ。
 つまりその伝説の魔導具は千年に一度しか作られず、たった一人しか手に入れることが出来ないのだ。そんなものを魔導士がやすやすと譲ってくれるものだろうか。あり得ない、とシアンは断じることが出来る。
 となれば……。
「……あるいは、奪うか……」
 シアンは呟いてから、背筋を凍るような冷たい何かが通り抜けるのを感じた。
 もし仮に。それこそ本当に仮の話だ。例えば、金級魔導士と共に戦いを勝ち抜いたとして、それはそれは宝くじを当てるよりも奇跡的な確実になるだろうが、もしも勝ち上がることが出来たとして、果たして魔導士から願いを掠め取ることができるのだろうか。
 勝ち上がる課程で、間違いなく信頼関係が築かれることになる。シアンは相手を信頼しているだろうし、向こうも同じようにそうであろう。そんな状態で、その信頼を裏切ってまで私情に流されることなどあるのだろうか。
「お前……」
 カイウスは心配そうな顔になって、シアンを見つめていた。
 シアンは愛想笑いで苦々しい気持ちを塗りつぶしつつ、答えた。
「ち、違うよ。さすがにそれは冗談って言うかさ……!」
 その言い訳は半分正しい。ただし、もう半分は、嘘だった。
 シアンにはどうしても叶えたい願いがあった。そしてそれが努力でもお金でも達成できないものなのだ。だから、あらゆる願いを叶えるという究極の魔導具に、縋るしかなかった。そのためならシアンはどんなことだってやろうと思っていた。たとえ奇跡のような確率であっても、どれだけ憎まれるようなことであっても。まだ出逢ってもいない大切なパートナーを裏切るようなことになっても。
「……なぁ、シアン。ひょっとしてそれってお前の妹のためなのか?」
 カイウスは遠慮がちに問うたのだが、それは的を射ていた。
 どきりと軋む心臓に、嘔吐してしまいそうな緊張感を覚えて、シアンは背を向け走り出した。
 振り返る際に上着の裾が引っかかり、棚の上に置いてあった装飾品たちがガシャンガシャンと派手な音を立てて落ちてゆく。
 謝罪もせずに無言で立ち去る自分に嫌悪感を抱きつつ、シアンは精一杯の速度で走り続けた。
 今度会ったとき謝ろう、そう思ってから、不安が胸を押し潰してゆくのを感じた。

――

 カイウスは座り込み、足下に転がる装飾品を眺めていた。
 装飾品は宝石などが散りばめられた、ファッション要素だけの品物もあるが、そうでないものもある。
 魔導石を加工し、特殊な効果をもたらす装飾品も数多く存在する。魔導石は魔導具に収めて使えば魔法を生み出す。また、加工することでも効果を発揮することができるのだ。例えば今、カイウスが拾い上げたブレスレットには耐炎効果が付属しており、持ち主を火傷や炎系統の攻撃から身を守ってくれる。それ以外にも持ち主の腕力を増強するものや素早く動けるようになるもの、果ては身につけると運気が上がるというなんとも胡散臭い代物まで多種多様にある。
 これらは魔導具と違い、魔導石自体に加工を施しているため、魔導石の中に込められている魔力を使い切ってしまえばただの飾りにしかならない。魔導具であれば魔導石を交換することで繰り返しの使用が可能なのだが、その分装飾品ならば魔導具を使うための資格も必要ないし、特別な技能も必要ない。身につけるだけで即座に作用する。そのかわり、使い切ってしまった装飾品は、技師に頼んで再び魔導石を込めてもらうという作業が必要になる。使用可能かどうかは魔導石の光り具合で分かるし、使い切った際は魔導石が砕け散ってしまうので分かりやすい。当然、品物として置かれているここの装飾品たちは、魔導石も綺麗で未使用であるし、手入れも行き届いているため埃ひとつ付着していない。
 そして、カイウスはひとつの髪飾りを拾い上げた。
『これ、欲しい……です』
 そんな、か細い少女の声が聞こえた気がした。それは幻聴、というよりは記憶の想起に近い物だった。
 カイウスはこの髪飾りを欲しいと言っていた少女の記憶を懸命に思い出そうとしていた。
「……シ? シ、リア……だったか? ……シリアちゃん……?」
 発音してみて、それが馴染みのあるものである自信が沸いてきた。
 シリア=リーベッド。それがその少女の名だ。
 病気がちのシアンの妹は、具合が良かったときに一度だけこの店へやってきたことがあったのだ。
 シアンと同じ青髪を肩くらいまで伸ばし、ピンク色のリボンを左右に付けた可愛らしい女の子だった。
 外出自体がほとんど出来ない体調なのだという話を聞いてはいたのだが、この店へ入った途端に可愛らしい声で歓声を上げていたのを思い出す。
 本当に病人なのかと疑うくらいに高いテンションで商品を物色し、アクセサリーを身につけてはシアンに似合う? などと訊く様子はまるで恋人同士のようで、カイウスは憎々しげにそのやりとりを眺めていたのだが、やけに白い肌と細すぎる手首を見て、その不健康な姿に胸が痛んだのを覚えている。
 そうしていくつかの商品を見て楽しんだシリアは、帰り際、しきりにひとつの髪飾りを気にしている様子だった。
『これが欲しいのか?』
 そう言ってカイウスはその値札を見た。
 安い物ならプレゼントしてしまおう、そう思ったのだった。当時はまだちゃんと給料までもらっていたわけではないが、多少なら払えるだろう。あるいは払ってみせる、と見栄を張っていたのだが、その値段が当時のカイウスの全財産と比べて数十倍近い値段だったので思わず沈黙してしまったのだった。
『ううん、なんでもないです……』
 そう言って、肩を落とした少女の背中を、カイウスはただ眺めているだけだった……。
 ……と、そんなことを考えているうちに作業は終わってしまい、床に何も転がっていないのを確認して、カイウスは重い腰を持ち上げた。
 商品を再度陳列し直したことで、売り場は元通りとなった。細かい装飾品も多く、カイウスは呼吸すら控えめにして作業に没頭していたため、終わった途端、ほぅっと溜息が出てしまう。
 結局、シリアが来店した翌日だったか、彼女は病状を悪化させてしまい、またしばらく外出できなくなってしまった。それ以来、この店には顔を見せていない。
 シアンが願うものは、やはり妹の病気の完治だろうか。それはカイウスにも痛いほどに分かる。
 だが、同時に諦めろ、とも思う。
 シアンは優しくて、でも弱い人間だ。だから、自分の目的のために誰かが苦しむのを、放ってはおけないのだ。
 なので、先程も逃げるように立ち去った。そしておそらくその行為自体にも引け目を感じている。
 そんな有様の人間が、人の願いを無視して、自分の願いだけを叶えてしまうなど、出来るはずがないのだ。
 シアンには絶対に不可能なのだ。
 カイウスの目の前には、シリアが欲しいと言っていたあの髪飾りが置かれていた。それはお姫様がつけるような可愛らしいクラウン型の髪留めで、複雑な細工と細かい魔導石による加工が施されている。込められた効能は滋養強壮。まさしく今こそその効能に縋りたいものだが、今なおその値段は高い障壁となっていた。
「きっと、似合うんだろうに……」
 あれから数年経ち、成長した彼女の姿を想像して、カイウスは眩しそうに目を細めたのだった。

――

 シアンは闇雲に走り続けた。
 何かに集中すれば悩み事など吹っ飛んでしまうはずだからだ。
 だから息が乱れようと、汗でベトベトになろうと、構わなかった。
 渇いた喉が気持ち悪くてシアンは唾を飲み込んだのだが、それしきの水分では到底癒しきれるものではなかったらしく、より綿密に感じられるようになった渇きを耐えながら大通りを走り抜けた。
 行き交う人々に時々豪快にぶつかりながらもどうにか街を抜け、街道へ辿り着いたシアンは人の気配の少なくなった場所でへたり込んだ。
 急な運動に悲鳴を上げているかのように、手足はプルプルと震えている。シアンはそんな自分の有り様を見て、ひとり、嘲るように嗤った。
 シアンの胸の中にある感情はひとつだった。
 それは恐怖だ。
 シアンは自分が怖かったのだ。
 病床の妹のため。そんな名目のために誰かを騙すだなんて……。それはシアンには考えられないような悪行だったはずだ。
 なぜそんな発想をしてしまったんだろうか。問うても内なる自分は答えてはくれない。
 いや、もしかしたらとっくに分かっていることなのかもしれない。
 あらゆる手段を尽くし、妹の病気の治療に専念してきた。その結果、あらゆる医師が現状維持以上のことができない、不治の病だ、と匙を投げたのだ。
 彼女を苛む高熱の正体は分からない。時折身体を焼き尽くすような高熱に包まれ、幼い妹はその度に何度も死にかけてきた。その度に毎回思うのだ。次はないのではないか、と。
 それほどまでにその症状は重く、今生きていることすらシアンには不思議なほどなのだ。
 発作の頻度はバラバラで、多くてひと月に一度、少ないときは半年以上起こらないこともある。
 だが、あと一年ならばきっと保つ。そのはずだ。今日からちょうど一年後に頂上決戦が行われる。それがおよそひと月ほど掛かるとして、合計十三ヶ月。その間にどうにか出場資格を得て頂上決戦に出る。そして《至高の魔導具》を奪取する。そして願うのだ。妹の病を治して欲しい、と。
 それがシアンの望みだった。だからその後、たとえ主人たる魔導士に憎まれようと、構わなかった。
 だけど……。
 シアンはぎゅっ、と目を瞑る。
 それはあまりに怖かった。憎まれることが怖いのではない。相手を傷つけることが怖いのだ。裏切ることが怖いのだ。そんなことをするくらいならいっそ、戸籍など捨ててしまったほうが楽ではないか。何もかも捨てて魔導士となり、試験を全て突破し、魔導士として頂上決戦に出場する。それこそが正しい道ではないか。
 そうは思うものの、学校で習った魔導術はどれほど頑張っても人並み以下で、シアンは落ちこぼれだった。どうにか奇跡的に《銅級》の資格こそ得はしたが、そこで受けられる仕事は軒並み失敗し、魔導士としての道は真っ暗闇の真っ只中だった。
 やはり、妹は死ぬ運命なのだろうか。抗うことなど出来ないのだろうか。
 街道は林を抜けるようにして作られた道なので、木々の梢に止まる野鳥たちがピィピィホゥホゥと騒がしく、煩わしく感じたシアンは耳を塞いで意識から遠ざけようとする。
 妹を救いたい。妹を笑顔にしたい。妹を幸せにしてやりたい。
 そんな思いすら達せられないのか。それすら許されないのか。
 思えば思うほど心は悲観的に天秤を傾げてゆく。
 ――シリア……ッ!

 やがて、ふっ、と風が額に当たった気がした。
 が、特に気を止める必要も感じずに、シアンは己の思考の中に閉じこもっていた。
 すると、
「……っと。……ぇ、……えないの……?」
 今度はわずかに声が聞こえた。
 幻聴だろう。たまたま鳥の声が複数混じって人の声に聞こえただけだろう。なにせここは人通りの少ない裏街道と呼ばれる道で、現状使われている街道とは違う。もうこちら側は数十年は使う者もいなく、ゆえに木立は高々と枝を伸ばし日光を遮っている。おかげで昼でも薄暗く気味が悪いうえに、怪談話も囁かれたりもしているのだ。だから地元の者はここには立ち寄らないし、行きがかりの者はこんなところに気づきもしない。シアンのように人目を避けようとしない限りは絶対に訪れないのだ。だから全ては幻聴であって、目と耳を閉じたシアンの前に誰かが立っているだとか必死に呼びかけているだとかそんなことは起こるわけがないのだ。もし仮に誰かがそこに居たとしたらシアンは涙目で蹲っている情けない姿を見られたうえに、さらに盛大なシカトまでをぶっこいていることになるわけだが、そんな限りなくゼロに近い可能性を考慮に入れるほどシアンは子供ではない。妹のことは話は別だが、それ以外ではシアンはリアリストだ。あり得ない可能性を考慮したりはしない。そう、そんなことはあり得……
「無視すんなッ!」
 不意に訪れた怒声と頭蓋の揺れにシアンは心臓を口から吐き出しそうになるほど驚き、尻餅をついた体勢からどうにか様子を窺う。
 まず視界に入ったのはブラウンのショートブーツだ。その革製のショートブーツからは細いふくらはぎが伸び、太腿までを黒いソックスが包む。その上に白い素肌がチラリと見え、その上を赤いフリルスカートがたゆたう。上着にも赤いフリルドレスを纏い、さらにその上からダークブラウンのフーデッドローブを身につけていた。そしてフードの中の小さい顔には利発そうな表情の少女の顔があり、ブラッドローズの虹彩がシアンを捉えていた。
 一瞬、シアンは呆気にとられた。なぜこんな美しい少女がこんなところにいるのだろうか。そしてさらに戦慄する。顔を上げると、その距離は予想外に近く、吐いた息が顔に当たりそうなほどだった。
「でぇえええ!?」
 シアンは意味不明な悲鳴を上げて飛び退いたが、少女はそれには気を留めずにまっすぐな瞳をシアンに向けていた。
 少女は呆気にとられるほど美しかった。そのまま思考停止し数秒見つめ合う形で静止していたのだが、あれ……?、とシアンは首を捻る。
 さっきの怒声はなんだったのだろうか。随分と怒っていた様子だったが、まさかこんな綺麗な女の子が声を荒げるわけもないし、と考えていると、再び声がした。
「……ねぇ……」
 声にはやはり怒気が含まれており、シアンは当然のごとく声の主の居場所候補から目の前の少女をさっそく除外する。こんな可愛い美少女が声を荒げるだなんて考えられない。
 その顔は、見れば見るほど整った顔立ちで今まで見たことのない美少女の姿にシアンは眼福の思いだった。笑ったらさぞ可愛かろう、とその眉に眼をやると、眉尻が異様に吊り上がっているように見える。あれ……ひょっとして怒ってるのかな、などと思った瞬間。衝撃が再度頭を揺さぶる。
「無視すんなっつってんでしょ!」
 頭には少女の細い手が乗っている。なるほど……あの衝撃はチョップだったのか……。カイウスのツッコミ時の無遠慮な平手打ちと同等の威力を秘めていたのでどんな豪腕の一撃かと邪推していただけに、その驚きはそのチョップの威力と同じかそれ以上のレベルだった。
 シアンはその日、ひとつのことを学んだ。すなわち、外見と中身がそぐわないこともあるのだ、と。
 そして、目の前の少女はそれを体現しているのだ、と。

 ――それがシアンと、後の相棒となる『劫火のフラム』との出逢いだった。

第一話『シアン=リーベッド』②

 シアンは今まで、美少女という生命体にある種の憧憬を抱いていた。
 もちろん、シアンの身の回りに可愛らしい少女がいなかったというわけではない。思わずドキッとしてしまうような綺麗な女の子は数人ではあるが何度か見てきた。だから美少女という存在に慣れていなかったと言うわけではない。とはいえ、じゃあ慣れていたのかと問われると、それも肯定しがたいところだ。たかだか十五年という人生では可愛い女の子と話す経験などそうそう積めはしない。もちろん、自慢の妹であるシリアは誰よりも可愛いと自負しているところではある。何人かの女性に心揺らめいたことのあるシアンではあるが、妹より可愛い女の子はついぞ見たことがなかった。妹こそが一番が可愛いのだと信じ込んでいた。だからシアンにとって憧れの女性はきっと年上なのだと。年上で自分を引っ張ってくれて、でも時々甘えてくるような、そんなお茶目な女の子が自分の理想なのだと、そう信じていた。年下ではシリアに構うまい。だからこそ年上こそ理想なのだと、そう思っていた。
 だがしかし、そんな浅はかな理屈を強引にねじ曲げる美少女がいた。今まで心を揺り動かされてきた少女たちが霞んでしまうくらい、天秤に乗せればガクーンと沈み込んでしまうくらいに圧倒的な容姿を持った女の子が目の前にいた。それはあり得ないことだった。シリアを越えることなどあり得ないはずだった。それこそ年上という別属性を絡めることでしか実現できないはずの美がそこに構築されていた。
 それだけの年下美少女であれば、内面はどれほど魅力的なのか。シアンは期待していた。期待してしまっていた。
 だからこそ。
 その落胆は大きかった。
「アンタ。あたしを無視しようなんて、十年、……いや千年早いわ! そんなに炭屑になりたいの?」
 それは一生掛けても達成できない、それどころか人生を十回費やすほどの数字だ。つまりは端的に不可能だと、そう言いたい訳か。シアンは歯噛みする思いだった。
 少女の言動に対して、というのもある。だがそれ以上に期待を裏切られたことによる落胆の気持ちのほうが大きい。
「どんなに顔が可愛くても性格まで可愛いとは限らないのか……。齢十五にして僕は真理を悟ってしまったのかもしれない……」
 シアンは力なくうなだれた。
 もしここで彼女に鉢合わせたのが親友のカイウスだったなら、あるいは順応できたのだろうか。真性童女趣味の彼ならば或いは……。
 などと考えていると、少女は顔を赤らめてもじもじと俯いていた。
「い……、今更取り繕おうとしても無駄なんだからね……! 可愛いとかそんな、ムリヤリな褒め言葉……、べべ、別に、聞き飽きてるしっ!」
 怒りに身を震わせるほど聞き飽きているということだろうか。これほどの美少女ならばさもありなんといったところだが。
「そ、そこまで言うんだったら、百年にまけてあげるわっ! ……精々精進なさい!」
 少女はそう言って顔を背けてしまう。目を合わせたくもないくらい激昂しているらしい。それでもまけてくれるというのならば、そこは彼女の心変わりに感謝するべきだろう。
「そっか。ありがと」
 言った直後に気づいてしまう。
 ――あれ……? でも結局、百年早いって言われただけなような……。
 礼を言う必要性があったのかどうか、シアンが思いあぐねていると、
「ふ、……ふんっ! ありがたく思いなさいよね!」
 と、少女はすたすたと歩き始めてしまう。
 そこでシアンはようやく思い出した。
 そういえば、先程はこの少女に呼ばれていたはずだ。用件は何だったのだろう。
「……ねぇ、君」
「何よっ!?」
 凄い形相だ……。シアンは背筋にぞくりと寒気を覚える。
 思わず手を合わせて厄除けのおまじないを繰り返したくなる衝動を抑えて、告げることにした。
「……さ、さっきはなんで……僕を呼んでたの……?」
 シアンがそう言うと、少女は顔を更に赤らめて声を荒げる。その声には、小さい外見と可愛い少女の声にそぐわず、随分と迫力があった。
「い、今からそれを言うところだったのよ! まるであたしが忘れてたみたいなこと言うのやめてもらえる!?」
 ――えぇーー。
 シアンは心境は筆舌に尽くしがたい状況だった。
 第一声からして様子がおかしいのは分かっていたが、ここに来てそれは確信となった。

 ――この子、ちょっと変な子かもしれない……!

――

 それから、少し話を伺おうとしたのだが……。
「君はどうしてこんなところにいたの?」
「……ア、アンタには関係ないでしょ! 別に、道に迷ったとか、そんなんじゃないんだからねっ!」
 では、付近の住人でなさそうな彼女が何故にこんなところへいるというのだろうか。
「道に迷ったんじゃないのか……。じゃあ、なんだったの?」
「……ちょっと街への行き方を……訊こうかと……」
「迷ってないのに? なんで?」
 迷っていないのに道を尋ねるという心境は、シアンには到底思いつかない。
「ア、アンタのコミュ力を測ろうかと思ったのよ!」
「コミュ力……? どうして?」
「な、なななんだっていいでしょ!? なんとなく……なんとなくよ!」
 随分と動揺しているようだが、出会い頭にコミュニケーション能力を試そうなど、やはりこの少女の言動はどことなく……というかどこもかしこもおかしい。
 彼女のいうことは、意味がよく分からないうえに話がなかなか進まない。
 シアンは一度整理するために、ひとつ質問をした。
「ふぅん……。ねぇ、そう言えば君の名前は……?」
「……どうしてあたしの名前を訊くわけ?」
「そろそろ『君』じゃあ呼びづらいなぁって思って」
 他意は無いのだが、少女はそれを聞き、少し嬉しそうな顔になった。
 まるで聞いて欲しかったような仕草だ。
「ふ、ふ~ん……。じゃあ特別に、本当に特別よ! 普通はそんな簡単に教えてあげないんだから! いい? 刮目してよく聞きなさい!」
「目を開いてもしょうがないんじゃあ……」
 そんな指摘は少女を増長させただけだったらしく、むきーっと眼を鋭く剥いて少女は睨みつけてきた。
「いいから眼に焼き付けとけばいいのよ! 炭屑になりたいの!? ……いい? あたしの名前は……、フラム! 人呼んで『劫火のフラム』!!」
 ビシィ! と、仁王立ちに腕を組んだ体勢でフラムは胸を張る。随分と勇ましい出で立ちだが、童女そのままといった背の低さと平たい胸ががなんとも物悲しさを誘う。
 ともかく、このような大変長く面倒なやりとりを経て、シアンはようやく少女の名前を聞き出したのだった。とはいえ偽名くさいが……。
「えっと……。じゃあ、フラムちゃん。街へ行きたいのかな……?」
 どうにか作り出した愛想笑いだったが、その苦心した顔もコンマ一秒で歪められる。なぜか眼前に金髪美少女の頭部が接近していたからだ。
「子供扱いすんなッ!」
 キレの良いヘッドバッドだった。直撃した鼻が泣きたくなるような激痛を生み出す。
「あと、ちゃん付けも禁止!」
 鼻を押さえて地面にうずくまっていると、フラムはそれを仁王立ちで見下ろす。
「分かった!?」
 逆らう気力を根こそぎ奪われたシアンは素直に引き下がることにした。
「……分かりました」
「よろしい!」
 シアンがかしこまる様を満足そうに眺め、フラムは鼻息荒く満面の笑みを浮かべた。
 先程までのツンケンした表情とは打って変わって、爽快かつ華やかな表情になる。もとから持っていた容姿の美しさも相まって、それはもう反則的な可愛さだった。
 今までの暴力と悪態を含めてもお釣りが帰ってきそうなくらい魅力的な姿に、この顔が見られるならもう2、3発殴られてもいいかなーなどと思ってしまったのをシアンは頭をぶんぶんと振って忘れることにした。

――

「ねぇ、村人A」
 市壁を越える際、がらがらがらー、とキャリーバッグを引き摺りながらフラムはそんなふうに声を掛けてきた。
「村人……?」
「アンタのことよ! ねぇ、村人A」
「えっと、僕が住んでるのは村じゃなくて都市だから……。あと、僕の名前は、」
「うるさいわね。市民A」
「じゃなくて、僕の名前はシ、」
「……民Aね! 分かったわ!」
 やられた……。シアンはがっくりと肩を落とした。
 せめて自分の名前がシの音から始まる名前でなければこんな目には遭わなかったのに……。などとしょげていても仕方がない。
 どうにかやり返してやろうと視線を上げると、あはは、と笑っているフラムの顔が目に入った。
 やっぱり、笑顔はものすごく可愛かった。
 笑われてるのが自分でなければ良かったのに。どうしてこんな魅力的な顔をこんな不機嫌な気分で眺めなければならないのだろうか。
 なんとか言い負かしてやろうとシアンが作戦を立てていると、ふとフラムが訊いてきた。
「ねぇ、市民A」
「僕は絶対に返事をしないぞ」
「市民Aって絶対泣き虫だよね~! タンスの角に小指ぶつけただけで号泣してそう」
「ぐむむ……違うぞ。僕は市民Aじゃないし、タンスの角に小指をぶつけて泣いたりしない」
 想像しただけで目頭が熱くなっているのは内緒だが。
「市民Aって~、初等部入ってもおねしょとかしてるよね、絶対~!」
「そそそそそんなわけないだろ。大体僕は市民Aじゃないし、お、お、おねしょとか、こ、子供じゃないんだから」
 実は一回したことがあった。父が山で採ってきた珍しい果実のジュースが美味しくて、ついついそれを飲み過ぎてその翌日、布団に世界地図を描いてしまったのだ。
「ふ~ん。初等部の六年生のときだっけ?」
「違う、二年生のときだ!!」
 完全にやられた。
 ぼふっ、と盛大に吹き出したフラムがケタケタと笑っていた。
「二年生っ! 八才にもなっておねしょとか……ぷくく」
「ちょ、笑うな! 笑うなそこ!」
 フラムはそれから2、3分は笑い続けていた。
 その間、フラムは何かを言おうとしていたようだが、口を開くたびに何度も吹いてしまい、うまく言い出せないらしかった。
 なんというか、笑いすぎだ。
 しかし、やっぱりその顔は可愛らしく、なんだか太陽のようにポカポカな気分にさせる、不思議な笑顔だった。
 ようやく笑いが引いてきたのか、フラムは咳払いをして、訊ねてきた。
「……ねぇ、この辺に協会ってある? あ、神聖教会じゃなくて、魔導協会のほうね」
 ようやくというか、今更な本題だった。
「ああ、そこの角に建物があるでしょ。あれだよ。左手に入り口があるからそっちから入りな」
 シアンがそう言うと、フラムは頷いて、「ああ、アレね」と手を叩いた。
「じゃあ、あたし、もう行くから。あ、最後に市民A。アンタのフルネーム、聞かせなさいよ。道案内のお礼に覚えてあげてもいいわよ」
 その言い方はどうにも釈然としないが、ここで名乗らないと永久に彼女の中ではシアンの名前が市民Aで定着してしまいそうだったので、素直に答えることにした。
「シアン。僕の名前はシアン=リーベッドだよ」
「そ。覚えておくわ、シアンA。あ、間違えた市民A」
 ちゃんと覚えろよ。と口に出さないのはシアンの優しさ……というよりは、これ以上の攻撃を恐れてのことだった。
 ――あれ……? そういえばあの子、魔導協会なんかに何の用なんだろう……?
 シアンは先程指さした方角を見たものの、そこにはもうキャリーバッグを引き摺るフーデッドローブ姿の少女は見当たらなかった。
 
――

 無事、フラムを協会まで案内するという大役を果たし仰せたシアンはそのままの足で大通りを歩いていた。
 現在シアンが在籍している中等学院は夏期の長期休暇となっている。
 この時期は皆、家業の手伝いや家族旅行や魔導研究、果ては武術修行など、生徒たちはそれぞれの自由に過ごしている。
 シアンはというと、父と狩りに出掛けたり、魔導協会からの依頼などを請け負ったりしていた。
 シアンの階級は最下位の銅級魔導士の中でも下位に属する。なので達成できそうな依頼はほとんどといっていいほどになく、またその報奨金も安い。その僅かな蓄えを妹の治療費に充てているわけだが、焼け石に水というかなんというか。徒労に終わっている感は拭いきれない。
 ならば更に上の階級を目指し、精進すればいいのではないか。そう思わないこともないのだが、現実としてそれは難しい。何故ならシアンには魔導士として致命的な欠陥があるからだ。だからこそ下の下という立ち位置から逃れようがないのだ。この欠陥をどうにかしなければ魔導士としての先はないに等しく、またそれと同じく妹の命も……。
 期間はおよそ一年だ。
 その間、妹をどうにか存命させつつ至高の魔導具を得る。そして願うのだ。妹の不治の病を治してください、と。
 もし相棒がいたのならば、そいつを蹴飛ばして。自分の願いだけを叶える。
 ゾクリ。やはり身体は強ばる。頭の奥がぼうっとする。身体の芯が熱くなる。動悸がする。
 だが、この感覚を飼い慣らしておかなければならない。その瞬間に迷ってはならないのだ。迷わず奪う。裏切る。そうするしかないのだ。
 シアンは冷や汗を掻いた腕を握りしめ、言い聞かせるように心の内で繰り返した。
 何度も、何度も繰り返した。
 ――ごめんよ、未だ見ぬ僕の相棒。それでも僕は叶えなきゃいけないんだ。
 シアンは自然に早足となって街並を駆け抜けていった。

 緑偃都市オーランドは円形に広がる都市だ。大都市というほどの大きさではないが、この近隣では中規模の街で、それなりに栄えている。
 街の中央には緑偃都市の代名詞ともいえる神樹オーラニアがそびえ、それを拝んだ中央広場から縦横に大通りが貫いている。
 そして街の中心部が神聖区、その周りが商業区、一番外周部に居住区が存在する。
 学校があるのが神聖区であり、都市に住む子供たちは大抵そこへ通っている。商業区にはカイウスの店があり、それ以外にも様々な店が存在している。そしてそれ以外の住民は外周である居住区に家を構えているというわけだ。
 元々は市壁の内側に全ての施設が収まっていたらしいのだが、年々増加を辿る人口のため、居住区は市壁の外にも続いていて、現在では三分の二が市壁の外に位置している状態だ。僅かではあるが住人の一部は市壁の外か内かを大変重要視していて、外側の住人を『外れ者』と呼んで蔑んだりするという悪習も、廃れきっている訳ではない。
 実際、市壁の外と内では家賃が3~5倍程度違うので、市壁内の人間が裕福なのは間違いない。自身を尊ぶあまり貧乏人を蔑むというのも理解できない話でもない。
 一方、シアンの家庭は家計のほとんどを妹の医療費に充てているため、外側の中でも更に外側に家を構えている。だが、その生活はシアンにとって決して不快なものではなかった。
 というのも、土地が安いお陰で家はそこそこ広いし(ちなみにカイウスの家はというと、彼の図体のわりにかなり小さく、シアンは窮屈な家という印象を持っている)、また、家屋自体が少ないため静かで過ごしやすいのだ。
 妹の療養という意味でも優れた立地と言えた。
 欠点を挙げるとすれば、街の中央街から遠いということだろう。のんびり歩くと学校まででも一時間近く掛かるのだ。
 街の喧騒もそれなりに好きなシアンではあるが、やはり自宅近辺の静かな空気が一番のお気に入りだった。
 そんなことを考えている内に、シアンは自宅へと到着した。
 鬱蒼と茂る木々の合間から覗く素朴な一軒家に足を向ける。
 今日の新たな収穫物。銀色のナイフが入った袋を、シアンはぎゅっと掴んだ。
 胸の中に沸き上がる高揚感をじっくり楽しんで、そのドアをゆっくりと開けた。

 ただいま、と言い、ドアを開けるとすぐに声が飛んできた。
「兄さん、お帰りなさい」
 声が妹の部屋ではなく、リビングから届いてきたのでシアンは若干疑問に思った。
「……寝てなくていいの?」
 妹のシリアは寝間着のままリビングでお茶を煎れていた。鼻腔をくすぐる薫りは、つい先日山で摘んでおいたハーブだろうか。
 腰元まで届く青髪はよくもまあというほどに手入れされており、絹のように滑らかに流れている。身長はシアンより少し低い程度で同年代の女の子の中では高めなほうだ(なぜ病弱な妹がここまで伸び、自分だけがここまで背が低いのかシアンには納得がいかない)。顔は均整にバランスの取れた目鼻立ちで、はっきり言って相当可愛い。身内贔屓を抜きにしても間違いなく可愛いという自信がある。ピンク色をした寝間着の裾からは細い手首と首が覗き、柔和な表情と相まって深窓の令嬢のような嫋やかな情景を作り出している。
「ちゃんと寝てなきゃダメじゃないか」
 とシアンは言いつつも、語気は出来る限り優しく、労るように丁寧だ。
「ごめんなさい、兄さん」
 シリアはその気遣いに気づき、そっと微笑んで頭を下げる。
「でも、兄さんが帰ってくるまで待っていられなくって。美味しいハーブティー用意しておきたくって……」
 そんな健気な様子を見て、シアンは嘆息する。
「遅れたのはゴメン。謝るよ。……なんか変な子に会っちゃってさ」
 先程出逢ったフラムという少女の話をしてやると、シリアはクスクスと笑っていた。
「その子はね、きっと照れ屋さんなんだよ」
 シリアは笑いながらハーブティーを口元へ運ぶ。
 あれは照れていたんだろうか……。釈然としないシアンだったが、
「兄さんはそういうの鈍感だもんね。しょうがないか……」
 などと言われてしまう。
「鈍感って……。兄ちゃんこれでも結構がんばってるんだぞ。色々気を遣ってるし……」
 そう返したら、シリアはますます笑い出した。
「うんうん、分かってるよ。だけどね、クスクス……」
 シリアは笑い上戸を発したらしく、ひたすらにクスクス笑いを続けていて、シアンの方はというと、ひたすらに肩を竦めるほかなかった。
 なんだかなぁ……と思いつつも、そんな妹の笑顔が印象的だった。たったそれだけのことでシアンの胸には温かいものが溢れていた。
「聞いてるだけでなんとなくだけど……、きっとすっごく可愛い女の子なんだろうな。年も私と同じくらいみたいだし、今度は紹介してね、兄さん」
「ああ、今度があったらね。出来ればもう会いたくないけど……」
 言うと、クスクス……と、シリアはまたも吹き出すようにして笑っていた。

――

 シアンはベッドで眠るシリアの頭を撫でてやっていた。
 その絹のような髪は艶やかに指の間を流れてゆく。
 妹の体調は髪を見れば一目瞭然に分かる。
 このように綺麗なのは元気がある証拠。逆に髪がボサボサしているときは元気がない。
 それは彼女が実に綺麗好きであるからだ。
 長い髪を梳かすのは病床の身には結構な重労働だと思われるのだが、それでも彼女はそれを休まない。
 だが、本当に具合が悪いときは身綺麗にするのを諦め、体力の回復に努める。
 ずっと昔なら、彼女はどんなに具合が悪くても髪を梳かすのをやめなかった。
 しかし、ある日。そうして梳かし続けたがゆえに体力を消耗し、生きるか死ぬかの瀬戸際へ向かってしまったのだ。
 峠を越えたシリアをシアンと父は説得した。
 髪ならシアンや父が梳かせる。だから本当に具合が悪いときはちゃんと言ってくれ、と。
 それからのシリアは本当に余裕がないときはちゃんと言うようになった。
 シアンや父も不器用ながらもシリアの髪を梳かしたりもした。
 櫛が引っ掛かっても、シリアは痛そうな顔一つせずに、髪を預け続けた。
 だから、このように何もせずとも髪が綺麗なのは本当に彼女が元気だからなのだ。
 シアンはその青絹を撫で続ける。指が引っ掛からずに擦り抜けていく様をシアンは愛おしげに眺めていた。
「待ってろよ。絶対に兄ちゃんが、お前を治してやるからな」

第二話『劫火のフラム』①

 妹の病を治すには《女神の溜息》を使うしかない。
 そのためには《金級魔導士》の頂点を目指すか、その金級の《騎士》となるしかない。
 例えどちらになるとしても、シアンの今の力量ではあまりにも力不足だ。
 何より、《ポイント》が足りない。
 シアンは《銅級魔導士》だが、そのランクは一一しかない。
 ランクというのは魔導士の経験の多さを指していて、大まかな力量はこれで測ることになる。
 ランク一~一〇は《準魔導士(セミ・リアクター)》と呼ばれ、主に一般人を指している。
 ランク一一以上が《正魔導士(リアクター)》と称される。
 ランク一一以上に上がるには試験に受かる必要があり、その試験を突破したものには《魔導証石(リアクター・ライセンス)》が与えられる。
 そこからランク四〇までが《銅級魔導士》であり、これらはセミプロとも言われている。
 《銅級》からは魔導協会への登録が必須条件とされ、協会での《クエスト》受領も可能となる。
 このクエスト(つまり一般や国家、企業などからの依頼)を果たせばポイントが与えられ、そのポイントに応じてランクが上がる。
 ランクが上がればその分協会からの扱いも良くなるし、報酬も増える。また高難易度のクエストも受けられるようになる。同様に死ぬ確率も上がるわけだが。
 ちなみに、ランク四一~七〇が《銀級魔導士》であり、ランク七一以上が《金級魔導士》となる。
 一生掛けて魔導士の道を生きたとしても銀級に辿り着ければ優秀なほう、とさえ言われているのだ。
 実際、銅級のまま年を取り、魔導士業を引退する者だって少なくはない。
 才能がないシアンには、あまりに長い道のりだ。その頂点が手にするという《至高の魔導具》など、一生を掛けても到達できそうにない。
 そのうえ、シアンにも、シリアにも時間がない。願いを叶えるチャンスだって、たった一度しかない。
 一年間で金級になる。あるいはそんな彼らをアシストできる《騎士》になる。
 どちらも不可能に限りなく近い可能性でしかない。
 シアンにもそれは分かっていた。
 騎士を目指すとしても、最低でも銀級にはならないと信用はしてもらえないだろう。
 そのためのポイントを稼ぐため、ついでに報奨金も稼ぐため、シアンはクエストを求めて魔導協会を訪ねることにした。
 小さな一歩でも、それは始まりの一歩なのだから。

――

 緑偃都市オーランドの中程、神聖区の南西部の端っこあたりに魔導協会オーランド支部が存在している。
 石造りの立派な建物は数百年前からそこに建っていて、この街を支えている。
 魔導協会は魔導具関連の資格や権利などを全て取り仕切っているため、魔導具が生活の一部となっているこの世界の住人にとってはなくてはならない場所だ。シアンは免許の申請にもここを利用していた。
 他にも様々な役割を担っていて、その一つが魔導ギルドだ。
 ここではクエストの依頼や受注、達成報告などを行える。
 依頼の場合は、依頼カウンターで協会員と詳しい依頼内容の相談などが行え、受注の際はクエストボードからクエストカードを受け取り受注カウンターでクエストを受けることが出来る。達成報告は受取カウンターで報告と同時に報酬を受け取ることが出来る。
 一般人なら依頼カウンターにしか関わることはないだろうし、銅級にあがれば受注カウンターと受取カウンターしか使うことはないだろう。
 シアンはカウンターが並んでいるエリアを抜け、広間にあるクエストボードを眺めていた。
 クエストボードの周りには待合室を兼ねている関係でソファや観葉植物、雑誌などが並び喫煙スペースも常備されているため、そこで話し込んでいる魔導士たちも少なくない。閉鎖的な人格の多い魔導士たちだが、情報の有無は生死に直結することも度々あるため、常に人が3~5人くらいはいる。
 そんな先達魔導士たちの脇を擦り抜け、ボードに貼られた依頼を読み進めていくシアンだったが、ひとつのクエストカードで視線が止まった。
「ダンジョン・クエスト……」
 シアンは思わず、呟きながらその依頼に注目していた。
 内容は、……レブラス旧坑道の探索依頼。
 これは、いわゆるダンジョン・クエストと呼ばれるクエストだ。
 指定された地域の情報収集、マッピングや危険区域のリストアップ、魔物の生態調査などが主な仕事だ。
 これらは民間の依頼ではなく、国や企業など大規模な団体からの依頼となる。
 その分報酬は多く、募集人数も多いというメリットも魅力的だが……、
 当然デメリットも存在する。
 それは調査を依頼せねばならないほどに情報が少ないということでもあるからだ。
 つまり不慮の事故が発生しやすい。
 しかしこのクエストは難易度Eの欄に張られている。ということは、このクエストは素人同然の新人銅級あたりでも果たせるレベルなのだ。
 はっきり言ってこれはかなり珍しい。
 未知のエリアの探索は危険が多く、新人ではほとんど参加できないものだ。
 それが難易度Eとは……。もう探索し尽くされたということだろう。
 ならば危険などないだろうし、シアンでも何とかなるかもしれない。
 そう思い、カードの束から一枚を剥がして受注カウンターへ向かう。
 申請書にサインをして、シアンはギルドルームを出て、協会の廊下を意気揚々を歩いていた。
「それにしてもこのクエスト、報酬高いな。こんなに報酬がもらえたら、しばらくは薬代の心配も要らないなー」
 僅かに違和感を覚えつつも、特に気にすることもなく、シアンは協会を後にした。

――

 そしてシアンがギルドルームを出て行った直後、協会員の一人がクエストボードを見てぼやいていた。
「ああもう! 誰だよ、貼り間違えた奴! このクエストは危ないから難易度Bだっての。間違って銅級とかが受けたら一大事だよ! 全くっ!」
 そう言って、その協会員はカード束を支えていた画鋲を引っこ抜き、難易度Bの欄に張り替えてから溜息を吐いた。
 この依頼はつい先程、難易度Bへと格上げされたクエストだった。張り出されていた時間は数分程度だ。協会員の男は素早く気づけたことに安堵していた。まさかこんな数分でクエストを受注してしまった可哀相なルーキーはいないはずだ。
「それにしても、レブラス旧坑道に隠し部屋か……。大型の魔物が観測されたのはヤバかったけど、大量の魔導石も見つかったって話だし、都合良く腕の良い魔導士が見つからないもんかな……」
 難易度が跳ね上がった原因はその隠し部屋にあった。
 長年の封印から開放され、自由の身となった強力な魔物たちが、今やその旧坑道内を闊歩しているのだから。
 また、巨大な影が動いているのを見たという情報も入っており、オーランド周辺を縄張りにしている下位銀級クラスでは危険すぎるのだ。
 など考えていると、背後から威勢の良い少女の声が聞こえた。
「話は聞かせてもらったわ! そのクエスト、この『劫火のフラム』が受けてあげようじゃない!」
 息巻く少女を一瞥し、協会員は再び溜息。
 視線を少女から外して、ぼやいた。
「どっかに凄腕の魔導士はいないかなー……」
「ちょっと! 無視する気!? ええい、刮目して聞きなさい! あたしが人呼んで、『劫火のフラム』よ!! って、ちょっと聞きなさいってば……。聞きなさいって言ってるでしょ!!」
 ぴょんこぴょんことジャンプしつつ、赤ドレスにローブを羽織った姿の少女が協会員に掴み掛かっていった。
「あたしを怒らせるとは良い度胸ね! 火傷じゃ済まさないんだからッ!!」
 十分後、フラムという名の少女は、駆けつけた魔導士と協会員に六人掛かりで取り押さえられることになった。

――

 市壁を西に出て三時間半歩いたところで目的の坑道が現れた。
 小高い丘の麓にぽっかりと穴が空いており、その中は薄暗い。坑道の周囲には洞窟の入り口を補強するための木枠があり、その手前には『この先危険立ち入り禁止』と書かれた掲示板が立てられている。
 シアンは入り口の前で荷物の確認をすることにした。
 事前に一応確認はしているのだが、念のためにここでもう一度確かめておく。
「さっきギルドで買った地図は、……ある。弓と矢も、OK。ナイフの手入れも……、問題なさそうかな」
 他にも、《妖精のおまじない(ライト・フェアリー)》という名の照明魔導具や、新道を見つけた際それを書き込むための紙と筆記具、遭難したときのための非常食。採掘用の小型マトック。そして予備の魔導石がいくつか。
 ……こんなところだろうか。
 欲を言えば《三脚爆弾(ボマー・ポッド)》――三脚付きの爆弾魔導具で瓦礫を崩すのに使える――あたりも欲しかったのだが、便利なぶん割高で取り扱いも難しいため、今回は諦めた。
 そもそも天井が崩れたりして閉じ込められるようなことでもない限り、必要はないだろう。そして今回は探索し尽くされたダンジョンだ。地盤も安定している。
「行くか……」
 残る危険は、暗闇に潜む魔物たちぐらいだろうか。
 ――大物は既に退治されてるだろうし、何とかなるかな。
 ギャアギャアと喚く声が洞窟の奥から届き、シアンは肩を震わせつつ、闇の中へ潜り込んだ。
 坑道内に入ると、空気は一気に冷たくなった。
 シアンはリュックサックから一つの魔導具を取り出した。
 丸い胴体の背中には折りたたまれた羽根が鎮座しており、その上部には蓋がついていて、コックを捻るとパカッと口が開く。
 その中に魔導石を放り込み、シアンは深呼吸をひとつ。
 シアンが集中すると、その丸っこいボディを細い光が走り抜ける。
 すると、球体が手のひらから徐々に重さをなくしてゆき、羽根を震わせて中空に漂い始めた。
 ィィイイ……、と音が鳴り始める。
 起動音が数秒続き、丸い物体の内部から淡い光が漏れ始める。
 光はどんどん膨れあがると、徐々に坑道内を照らしてゆく。
 《妖精のおまじない》の起動が終わった。
 金属製の丸い妖精が照らす明かりのお陰で、坑道内はかなり見渡すことが出来た。
 入り口はトロッコ一台分くらいの幅があって、その広さが薄暗い奥へと続いている。
「よ、よし……!」
 シアンは震える足を一歩、無理矢理に前へ踏み出した。

――

 その数分後、坑道入り口に一人の人影が立っていた。
 その人物はフーデッドローブの内側で笑みを浮かべる。
「迷わずに着いたわ……。やっぱり日頃の行いが良かったのかしら」
 翻るローブからの隙間から、華奢な身体が見え隠れする。
「それにしても、……魔導鉱石の発掘、古代遺跡の発見、そして、現れた巨大魔物の討伐……。これは美味しすぎるわね! またランク上がっちゃうかも」
 魔導鉱石は魔導石の原料となる鉱石だ。そのままでは純度が低く、魔導石としては使えないがギルドや技師がそれなりの値段で買い取ってくれる。量が多い場合は報告だけ済ませ、そこまでのマップを渡せば任務完了だ。
 古代遺跡も同様にマッピングするだけでいい。巨大魔物の討伐は……、そいつの息の根を止めて安全を確保さえすれば問題ない。
 これだけの役割を果たせば、あとはそこにある鉱石や遺跡の価値次第でポイントはかなりの値になる。
 それを想像すれば、誰だって自然と笑みがこぼれるというものだ。
 幼い少女の声で、その人物は含み笑いをしていた。
「さて……」
 少女は右腕を正面へ向ける。赤いフリル付きのドレスがそれに遅れて僅かに揺れる。
 すると、手のひらが閃き、赤黒い蝶が4羽現れて少女の周囲を漂い始める。
 少女の指先に填められた指輪が赤黒い光沢を放っていた。
 4羽の煉獄蝶は、それぞれ光を放っていて、それが暗闇を照らし上げていた。
 《煉獄死蝶(ルージュ・ブラッド)》。照明魔導具の一種だ。怪しい光で暗闇を照らすことが出来る。光度が低いため隠密性に優れ、上級者やかっこつけの初心者などが好んで扱うものだ。
 煉獄死蝶の明かりが、岩壁を柘榴色に染めてゆく。
 少女は満足げに頷くと、その細い足を坑道内へと向けた。
 その影が坑道内へ潜り込むと、辺りは再び静寂を取り戻した。
 晴天と木々のさざめきと、微かな魔物の鳴き声だけが、取り残されていた。

――

 地図を見ながら曲がりくねる道を右へ左へ進んでいき、しばらくすると少し広い空間へ出た。
 シアンはきょろきょろと周囲を警戒しつつ、その空間を一歩一歩踏みしめてゆく。
 ザクッ、ザクッ、ふわっ。
 突然変わった足音に、シアンが足下へ視線を下ろすと、そこは今までの岩場ではなく、砂が敷き詰められていた。
 柔らかい黒砂の上は歩きやすく、自然に足が速まるシアンだったが、そんな足下をぼうっと眺めると、シアンは思い出す言葉があった。
 それは狩りに出る際、父がよく言っていたことだった。
『環境の変化に敏感になれ。そこに何かが《いる》とき、その情報は必ずその場に残る。そこに《いる》のが倒せる魔物か、倒せない魔物か。それを一瞬で見極めるんだ。自然の中では、それが出来ない奴から死んでいく』
 そうだ。
 この黒砂はなんだ。どうしてこんなところで急に地質が変わる? 地質を変える何かがあるからだ。
 何かがこの周辺に影響を与えている。多くの時間、あるいは大量の何かが、ここの環境を変えてしまったのだ。
 この黒砂は、砂じゃないのだ。
 踏み締めて、分かる。
 これは砂ではなく、……糞だ。
 動物の糞が乾燥し、砂のように敷き詰められているのだ。
 そしてそれに気づいた直後、天井がガサリと蠢いた。
 《いる》。
 ……いや、《いた》んだ。初めから。ずっと。
 シアンは恐る恐る、魔導具の照らし出す天井を見上げた。
 黒い黒い天井。それらは波打つように揺れている。そして、それぞれが意識を持っているかのように別々に動いている。
 否、ように……ではない。それぞれが別個の個体なのだ。
 そこにいたのは、天井にびっしりと張り付いた大量の蝙蝠。
 あろうことか、それらが一斉に飛び立ち始め、シアンへと突撃してくる。
 どうやら巣穴に進入した敵と見なされてしまったらしい。
『そこに《いる》のが倒せる魔物か、倒せない魔物か』
 再び父の言葉が蘇った。
 シアンは一瞬考え、カッと目を見開いて答えを弾き出した。
 ――倒せない魔物だッ!!
 迫り来る大量の飛行生物は恐怖しか生まない。
 シアンは今にも泣きそうな顔で、戦略的撤退を敢行するのだった。

――

 コツコツコツ……、と小さな足音を響かせているのはフラムだった。
 手足を振るたびに袖に付いたフリルがふわふわと揺れている。
 胸元では赤い光を帯びた魔導証石が、歩行に連動して上下する。
 フラムの正面では4羽の《煉獄死蝶》が道を怪しく照らしている。
「……報酬は何に使おうかしら……」
 皮算用にもほどがあるが、つい考えてしまうことだった。
「まず、魔導石は欠かせないわね。これは魔導士には不可欠なものだし、あたしにとって必要な物だわ」
 魔導石無しに魔導具は扱えないし、魔導具無しに魔導士は名乗れない。
 魔導具が存在しなかった旧史とは違い、今の時代では魔導具無しではまともな生活すら送れない。
 フラム一人の問題ではなく、魔導石は誰にとっても必要なものだ。
 だからこそその発掘には報奨が出るし、こういったダンジョン・クエストも存在できるわけだ。
「ま、そのぶん魔物も現れるんだけどね……」
 魔導石は人体にも影響を及ぼすということが近年分かってきている。
 そしてその研究の成果として、人間を脅かしてきた魔物たちの正体が、実は魔導石を呑み込んでしまった野生動物の成れの果てだという仮説が生まれた。それは真実だったらしく、検証実験も成功したとか何とか以前どこかで聞いた気がする。
 だからこそ魔導鉱石が発掘されたダンジョンというのは相応の危険性が含まれているのだ。その大量の魔導鉱石の影響を受けた魔物が高確率で出現するのだから。
「あたしみたいなプロと違って、もしバカで愚鈍で低級な銅級あたりがこんなところに挑んでたら、大惨事でしょうね。ま、ありえないけど」
 悲鳴を上げながら泣き顔で逃げ惑う青髪の少年の姿を思い浮かべてしまう。
 その顔は、イメージにぴったりだからか、先程出逢ったばかりの少年、シアンのものだった。
 あまりにお似合いな光景にフラムは、くふふ、と腹をよじり、ふとその足を……、止めた。
「………………?」
 僅かな違和感に首を傾げ、フラムは思考を巡らす。
 イメージしたシアンの声が耳に反響している。
「幻聴……? バッカみたい。そんなわけ……ない、のに…………」
 語尾が小さくなったのは、予感が強まっていったからだ。
 『もしかしたら……』が、『たぶん……』になり、途中で『絶対……』に切り替わる。
「うわぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!」
 その、声変わりをしきれていない少年の、怯えて竦んで嘆くような声は、まさしく今日聞いた、あの声だ。
 その声は徐々に近づいてゆき、狭い坑道内で鉢合わせる。
「っていうか、こっちくんなぁぁぁぁああああ!!」
 背中に大量の蝙蝠を引き連れ、走り来るシアンから逃げるように、フラムは走り出した。
「ちょ! ちょっと助けて! そこの道行く方! 悪いようにはしないから!!」
「どう考えても悪いでしょ! アンタ、バッカじゃないの!? ほら、さっさとやられちゃいなさいよ!!」
 フラムはシアンを指さして罵声を浴びせる。
「嫌だ死にたくない! 綺麗なお姉さんといちゃいちゃするまで僕は死ぬわけにはいかないんだ!!」
「堂々とナニ狂言吐いてんのよ!! キモイ死ね!!」
「……あれ? よく見たらあの時の変な女の子! ここは危ないから早く帰りなよ」
 このタイミングで暢気にそんなことを言うシアン。その後ろでは蝙蝠がバサバサとひしめいている。
「正論だけど危なくしてんのはアンタだし! ついでに思考も危ないから近づかないでッ!」
「近づかないで……って、無理言わないでよ。道は一本道だよ」
「その通りだけど、……ああ、もうッ! こいつのマイペースっぷりがムカつくッ!!」
 そうして逃げ続けていると、目の前に絶望な状況が待ち受けていた。
「あ……、行き止まりだ……」
「げぇッ!? っていうかもっと深刻そうにしなさいよ!!」
「えぇ……結構深刻な顔してるつもりだったんだけど……」
「声が平坦なのよ! もう最悪……、仕方ないわね。あたしの術でおっぱ……、いぃぃぃ!!」
 追っ払う、というつもりが余計な邪魔が入ったせいで何か卑猥な響きになってしまった。
 というよりも、この体勢は……
「ごめん、躓いちゃった。てへ」
 舌を出して可愛らしく謝るシアン。そしてそれに組み敷かれる形のフラム。そしてシアンの両腕はフラムの平坦な胸に押し当てられていた。
 フラムは見る見るうちに顔を赤く染め、ぷるぷると右腕を震わせる。
 そしてブッチィ、と血管が破裂する音がした。
「て……、て……、……てへじゃねぇぇぇええええええ!!!!」

第二話『劫火のフラム』②

 数分後、シアンは変わらず命の危機を味わっていた。
 ……ただし、相手はフラムだ。フラムが鬼のような形相でシアンを見下ろしていた。ちなみにシアンは正座させられている。
「可愛くて美しいフラムさまの平坦なお胸様を撫で回してしまって本当にごめんなさいでもぶっちゃけ男の子と変わりないサイズだったしあんまり嬉しくもぷろぶ!」
 言い切る前にシアンの顔面に右ストレートがヒットした。
「んー? 聞こえないなぁ、市民A。ほら、お姉様にちゃ~んと謝ってごらん?」
「……お姉様? 年齢も身長も、胸囲だって物足りぱぶろ!」
 今度はボディブロー。
「きちんと謝れたら許してあげるわよ……? アンタ、人の胸を揉みしだいといて謝りもしないわけ?」
「それは間違いだよ、フラムちゃん。揉みしだく……、という表現を用いるには君のおっぱいはあまりにも質量が不足しぽぶふ!」
 完全にノックアウトだ。
 シアンは倒れ伏したまま横目で仰ぎ見ると、フラムは真っ赤な顔のまま涙目になっていた。
 事故とはいえ、出逢ったばかりの男の子に胸を触られたという事実に、ショックを受けているのだろう。
 まだ年端もいかないこんな少女には、あまりに耐えがたい恥辱なのかもしれなかった。
 そんな行為を働いてしまったということに、シアンは申し訳なさを感じてしまう。
「……ごめん。悪かったよ……」
 なんとかそれだけ絞り出した。
 たぶん、シアンはこの少女のことが苦手なのだ。理由は分からない。可愛いから戸惑ってしまうのかもしれないし、性格が扱いづらいからかもしれないし、度々振るわれた暴力のせいかもしれない。
 だが、それしきの理由だけで、謝らなくても良いという理屈にはならない。一応シアンはフラムよりも年上なのだから、年上らしく振る舞わねばなるまい。
 フラムはというと、謝られて溜飲が下がったのか、大人しくなった。そしてぼそぼそと呟くように言った。
「せ、責任……取ってよね……」
 シアンは即答する。
「それは無理だよ。僕は年上にしか興味ないから」
 責任、とは結婚しろという意味だろう。ならばそれは無理だ。何故なら年の差は埋まらないものだからだ。
 シアンが5つ歳を取れば、フラムも5つ歳を取る。当たり前の話だ。
 シアンは年上が好きだし、フラムは年下だ。聞けば十二歳だというし。
 ならば完全に守備範囲外。考えるまでもないことだった。
 それを聞いて、フラムは再び怒気を滲ませる。
「……バカぁ!!」
 最後のパンチは、ちっとも痛くはなかった。
 しかし、起き上がる気力は根こそぎ奪われてしまい、そのままシアンはしばらく横になっていた。
 ――さて、どうやって助かったんだったかな。
 シアンは気持ちを切り替えるように数分前のことを思い出していた。

 と言ってもそれはほとんど一瞬のことだった。
 シアンにしがみつかれて、動揺したフラムは右腕をまっすぐに振り下ろしたのだ。
 それだけで。
 地面が大きく震え、古びた坑道はあっという間に崩落、下の階層らしき空間に放り出されたのだ。
 そこへ向かって、蝙蝠が降りてくる様子はなかった。巣から追い払えるのなら、生死は問わないということだろう。
 それにしても、とシアンは首を捻った。
 フラムが放った一撃。あれは魔導具によるものだったのだろうか。
 ここ数回の問答で、シアンは数度殴られ、その威力を目の当たりにしていた。
 ただの馬鹿力では説明できない威力なのだ。
 シアンの知る限りでは、超常の力など魔導具しか存在しない。
 この世界には自らの力で奇跡を起こす《魔法使い》はいない。素手で魔物を圧倒する《戦士》もいない。
 この世界には『魔導具の力を引き出す』という能力を有した《魔導士》しかいないのだ。
 つまり超常的な力は全て魔導具の力によるものなのだ。
 フラムは魔導具の力で、馬鹿力を発揮し、その力を使って岩盤を砕いたのだ。そうとしか考えられない。
 問題は力を増やす、言い換えるなら、膂力を増やすような魔導具が存在するのかどうかということだ。少なくともシアンは聞いたことがない。
「……え? あたしの魔導具が何か知りたい……? 駄目よ、魔導士ってのは普通自分の魔導具の詳細は明かさないものよ。魔導具一つのために命を狙われることだって少なくないんだから。魔導士自身はもちろん、それを知ってしまった誰かだって、危険に晒されるかもしれないんだから、厳守は基本。残念ね。あたしの超スゴイ魔導具を自慢したいところだっただけど、諦めるしかないわね。……でも」
 言いかけてフラムは少し言葉に詰まった。
「でも、《騎士》にだったら話すのが一般的よね。一緒に戦う仲間なんだもの。その程度の信頼関係は必須と言ってもいいわ」
 《騎士》。
 シアンにとってほぼ唯一の《至高の魔導具》へ至れる手段だ。
 そのためにとりあえず銀級を目指そう。そういう想いでここへ来たはずだった。
「そ、《騎士》。アンタみたいな駆け出しでも知ってるでしょ?」
 見通したような発言に、ドキリとするシアン。
「なんで駆け出しって分かったの?」
「《トレイン》。魔物をいっぱい引き連れて逃げ回ってたでしょ? あれのことよ。あれは立派なマナー違反。バレたら査問委員会がやってくるわよ」
「う……」
「巻き込んだのがあたしで良かったわね。……で、どーせそんなことだからアンタ、ランク低いんでしょ? いくつ?」
「ゅう……ち……」
 全くもって自慢にはならないが、シアンのランクはプロに劣るセミプロの中でも、最も低いのだ。
「え? 何言ってんの? 聞こえないわ」
 フラムのほうは、からかうつもりもなさそうな素の反応だったので、シアンは半ばヤケクソになって答えた。
「十一だよ! 文句あるか!?」
「じゅ、…十一!? イレブン!? 一一と書いてじゅういち!?」
 よほど信じられないのか、執拗に確認する何かと偉そうなフラム氏。
「そ、そうだよ……。ていうか君はどうなんだよ。見たところ君だって……」
「五六」
 ふふん。と得意げに鼻を鳴らすフラム。
「……え? なんだって……?」
 五六、と聞こえた気がした。それはいくら何でも聞き違いだろう。この街では熟練の魔導士ですらランク五〇に届かないというのに……。
「耳が遠いのかしら? おじいちゃん。ご・じゅ・う・ろ・く・よ!!」
「は……? ……ああ、なんだ、胸囲のことかぴぐむ!」
 ローキックがシアンをすっ転ばせる。
「ウエストかっつーの」
「え、いや、だって……ランクの話をしているのですよ? いやー、フラムちゃんたら冗談がキツイなー」
「子供扱い禁止! これ見なさいよ、これ! 見ての通り、あたしは《銀級魔導士》! 忘れたの? あたしは人呼んで、『劫火のフラム』よ!!」
 言うと、フラムは首元から鎖に繋がれた球状の石を取り出した。フラムはそれをよく見えるようにシアンのほうへと近づける。
 自然、フラムの顔が急接近することになり、女の子慣れしていないシアンはどぎまぎすることになるのだが、フラムのほうは全く気にしていないようだった。
 やっぱりお子様だからか。無防備だよなしかし……。と、シアンは少し頭を抱えたくなってきた。
 フラムが差し出してきたのは《魔導証石》だ。縁の色が魔導士の階級を表しているというのをシアンは聞いたことがあった。もちろんシアンの証石はくすんだ銅色だ。
 そして、フラムの見せた赤銅色の球体を支える縁の色は、見事な銀色だった。
「証石の違法改造は重罪だぞ」
 メッ! とフラムの頭を小突いてやると、フラムはわなわなと震え、竦んでいるようだった。
 心配げな目線を向けようとしたシアンだったが、それは杞憂であったらしく、キッと矢のように鋭い目が向けられた。
 と、今度はジャブが鳩尾にヒットした。
「本物に決まってんでしょ……ッ!!」
 震えていたのは怒っていたかららしい。
「そうでしたすみません……」
 すぐさま土下座へ移行するシアン。なんだか動きが洗練されてきている気がする。近いうちにいかなる動作からも土下座へ派生できるようになるかもしれない。人間の持つ無限の可能性にシアンは少しげんなりした。
 とはいえ、簡単に信じられるような事実ではない。何故なら、もし彼女のいうことが真実なら、それはこの街のどの魔導士よりも彼女は経験を積んでいるということになるからだ。たかが十二歳の少女がだ。そんなことが有り得るのだろうか。
 銅級それ自体には年齢制限はない。これは有能な魔導士を育成するために有望な少年少女たちを育てられるようにという配慮からだ。勿論、危険の多いクエストをさせたりはしない。だからランクもそこまで上がることはまずない。だが、もしも危険を顧みない師の元、無茶な教育を受けたのならば、どうなのだろうか。その場合、ランクは高く、けれど幼い魔導士が生まれることもあるのかもしれない。しかし、そんな非倫理的な教育を弟子に行うなど、このオーランドでは全く聞いたことがなかった。
「とにかく! あたしが仕事を終えるまではじっと大人しくしてること。でないと命の保証は出来ないわよ。……いいわね?」
 もしこの少女の生い立ちが、そういう不幸な生い立ちだったのなら、この難儀な性格もあるいは仕方がないことなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、シアンは神妙に頷くのだった。

 薄暗い岩窟の中を、シアンとフラムは歩いていた。
 かれこれ一時間くらいは。
「ねぇ、ひょっとして僕たち、迷ったんじゃない……?」
 シアンが恐る恐る訊ねると、フラムは元気よく頷いた。
「あら、奇遇ね。あたしも同じ結論に辿り着いたところよ!」
 フラムは仁王立ちになって、ビシッと背筋を伸ばす。「いや、別に格好良くないぞ」とツッコミを入れたい衝動をどうにか抑え込むシアンだった。
 要はフラムのチョップで足場が崩落して階下へ落っこちてきてしまったため、現在地も分からなくなり、地図は役立たずとなってしまったのだ。
「だいじょうぶよ! こんな事もあろうかと、《深淵へ至る階(サーチャーズ・アイ)》を持ってきたから!」
 フラムの小さい手のひらに載っているのは、《演算魔導具(スフィア)》と呼ばれる高位の魔導具の一種だ。純度の高い魔導石を使わなければ起動すら覚束ないという、シアンには手も足も出ないような高級品だ。シアンの記憶が確かならば、これ一個で数万ルースというとんでもない値段が付いていたはずだ。シアン擁するリーベッド家での一ヶ月の食費よりも高いという一品。ちなみに《演算魔導具》を機動するために必要な魔導石の相場も大体数千ルースはする。とにかくシアンにとっては、とんでもない代物だった。
 なので、ついつい物珍しそうに少女の手元を覗き込んでいるシアンを、フラムがニヤリと口の端を吊り上げて見ていた。なんとも得意げな表情でフラムは笑う。
「むっふっふ……。アンタみたいな下位の魔導士には見たことも聞いたこともないような魔導具でしょう? いい? これがかの天才魔導技師マギウス・テラ作……」
「《演算魔導具》、だよね」
 シアンが先回りして答えると、そこにはがっくりと肩を落としたフラムの姿があった。
 ――そんなに説明したかったのかよ……。
 仕方なく、遠慮気味に「えっと、どんな効果なのかな?」と訊くと、
「そんなに知りたいの? えー、仕方ないなー。あたしもヒマじゃないんだけど、たまにはバカで惨めで愚鈍なアンタに花を持たせてみるのもいいかしら」
 訊いといてなんだが、もう聞きたくなくなってきたシアンだった。
「これは数ある《演算魔導具》の中でも、《マッピング》性能を有した魔導具よ。これを起動しておけば歩いた道のりが勝手に地図に記載されて、ほら、こっちの画面に表示されるわ」
 そう言ってフラムは岩壁に映し出された画面を指さす。どうやら地図を作製・記録するだけでなく、丸い本体から放たれた光には地図を出力する機能もあるらしい。どれだけ高性能な魔導具なんだ、とシアンは自然と溜息が漏れる。
 《演算魔導具》が高価な理由の一つとして、複数の小型魔導具を組み合わせているという点が存在する。単独機能ではなく複数機能であるがゆえに調整が難しく、生産数が少ないのだ。
 見た目は手のひらサイズのただの球体でしかないというのに、それは魔導技術の結晶のようだ。
「……それがあるなら、迷うってことはない、……のか」
 納得したシアンだったが、直後、嫌な予感がした。
「さ、起動するわよ」
 ――今かよ!
 せめて一時間前に起動しておくべきだったんじゃあ……、という提案は、シアンには出来なかった。
 フラムは花を咲かせたような満面の笑顔で、その起動を見守っていたからだ。
 笑顔だけは可愛いのになぁ、と口には出せないシアンへ向けて、フラムはただ「さ、行くわよ!」と言った。

「ちょっとストップ!」
 そこから二十分ほど歩いたところで、そんな風に言われた。
 フラムが手で制していたので、シアンは立ち止まって様子を窺う。主にフラムの機嫌周りを重点的に。
「何かいるわ……。ちるどらかしら」
 フラムは神妙にそう言った。
「チルドラ……? なにそれおいしいの?」
「仔ドラゴン。チャイルドドラゴン。略してちるどら」
 どうやら個人的に略した単語らしい。
「そんなの分かるわけないじゃん。……で? どうして仔ドラゴンがいる、なんて思ったの?」
「分からないの?」
 肩を竦めるフラム。とは言っても、シアンにはやはり見当も付かない。
「これだから格下相手は疲れるのよね……」
 フラムは露骨に舌打ちした。
 ――というか、舌打ちしたいのはこっちなんだけど……。
 本日何度目かのツッコミを呑み込んで先を促すと、フラムは声を殺して告げた。
(しっ! ……こっち来てる)
(え……!? なんで分かるの?)
 囁き声のフラムに合わせて、シアンもひそひそと喋ることにした。
(直感みたいなものね。アンタも長くやってれば分かるわよ。……で、どうする?)
 いつになく真剣な表情になったフラムが、拳を握りしめていた。どうやら臨戦態勢に入ったらしい。
(どうするって、何を?)
(倒すのかどうかってこと)
(倒す……!? ムリムリムリ、ムリに来まってんじゃん! ドラゴンなんて幼体でも倒せないって!)
 本当にドラゴンがいるのかどうかすらシアンには分からないが、もし幼体だろうがなんだろうが、ドラゴンが本当にいるのなら絶対に敵うはずがないのだ。
 ドラゴンは俗に《生ける天災》とすら云われている、人間には太刀打ちできない相手なのだ。数多の英雄がドラゴンに挑み、そして無様に自身の屍を積み上げてきたという。
 それを自分が倒すなどと、ましてやたった二人だけで。これを無謀と呼ばずに何と呼ぶのか。
(……確かに、あたしでも楽じゃないわ……。ドラゴンは独り立ちが早い分、群生はしてないから親兄弟に囲まれるって展開はなさそうだけど、手こずってる間に他の魔物に狙われたらシャレにならないし……。ここは逃げるが勝ちね)
(賛成!)
 あのフラムから逃げの手が出てくるのは正直意外だったが、シアンは気が変わらないうちに早く逃げてしまいたかった。
(幸い、この先に分かれ道があるみたいだから、そこで反対側へ進みましょ……。……って嘘!?)
(どどどど、どげんかしたんすかフラムさん!?)
 フラムの声が震えていた。明確な動揺だ。シアンは伝播したようにガクガクと震えだしてしまう。
(……囲まれた……)
(#$%&=*+¥!?)
(なに脳味噌クラッシュしたみたいな顔してんのよ。……さて、後ろにもちるどら。左手には、なんか気持ち悪い虫……。……最悪だわ)
 露骨に嫌そうな顔をして青ざめるフラム。シアンのほうは青ざめるを通り越してもうなんか白くなってきた。
(ど、どうすんの!?)
(虫だけは絶対に嫌よ。ドラゴンを倒しましょ)
(絶ッッ対! ムリだよムリ! 虫、虫殺そう。そっちのが良いって!)
 必死に説得しようとするも、フラムは頑として譲らなかった。
(何言ってんの!? 虫よ! 毒持ってたり、カサカサ動いたりすんのよ! あんなの論外だわ! あたしは龍を殺す。火吐こうが空飛ぼうが所詮は子供よ。どうとでもなるわ)
(そっちこそ何言ってんの!? ドラゴンは幼体でも人間より強いの! 究極の生命体なんだよ、アイツらは!)
(それでも虫よりはマシよ。とにかく邪魔しないで)
(ダダダダメだったら! お願い考え直してフラムさん、いやフラム様!!)
 みっともなく縋りついて止めようとするシアンだったが、思い立ったら即行動が指標らしく、フラムの身体のあちこちから魔導石の輝きが放たれ始める。なんらかの魔導具を起動させているらしい。
(却下。今日からあたしは『龍殺しのフラム』よ)
(イヤぁああ! やめて! 死んじゃう! 絶対死ぬから!!)
(死ぬのは仔龍ただ一匹よ。……邪魔するならアンタもだけど)
(どっちも嫌ァーーーー!!)

――

 ドッ!!
 爆風を撒き散らし、フラムは正面へ、仔ドラゴンの元へと掛け出した。
 速度は神速、神の申し子とも呼ばれる龍種であろうとも見切ることは不可能。
 暗がりから気配のみを発していたその風貌が露わになった。
 子供とはいえ、人の頭くらいなら噛み砕けそうな凶暴な顎。大の大人より発達した筋肉の隆起を見せる前肢。鞭よりも鋭く、禍々しい突起を持った尻尾。何より、放たれるプレッシャーがそこらの魔物を大きく凌駕している。
 ――やっぱり、まともに戦って敵う相手じゃないか……。
 フラムは肉薄する仔龍を冷静に分析していた。
 悔しいがシアンの言う通り、逃げたほうが賢明かもしれない。
 ――それならそれでも構わないけど。
 そもそもどちらの選択肢も選べるように行動していたのだ。
 フラムは仔龍へ掌打を叩き込む。途端に爆炎が燃え広がり、フラムの小さな身体を浮かび上がらせる。
 爆炎に乗りながら、シアンへ指示を飛ばす。
「ほら! 早くついてきなさい! ちょっと、シアン!?」
 仔龍が怯んでいる時間は保ってあと数秒。にも拘わらず、シアンは動こうとしない。
 こちらの意を汲めていないのか。
 ――自分で逃げようとか言っといて、あたしが手のひら返したら気づかないっての?
 ……と思ったものの、どうやら違うらしい。
 少年はフラムを見て、一度頷き、そこから静止している。
 立ち止まることに何らかの意図があるのかとも考えるが、フラムはその考えを否定する。
 シアンの足が硬直していたのだ。そして、肩は小刻みに振動している。
「バカ! 震えてんじゃないわよ! 逃げらんなくなるわよ!」
 フラムは長い跳躍からようやくと言った想いで着地しつつ、声を荒げた。
 それでもシアンは動かない。いや、動けないのだ。
 恐怖心が極度に高まり、思考能力を停止した状態。いわゆる恐慌状態だ。
 仔龍のほうも体勢を回復させ、目標をシアンへと定めていた。通路の反対側にいた節足系魔物も先程背後にいたもう一匹の仔龍も、狙いをシアンへと向けていた。
 ――何やってんのよ、あのバカは! もうッ!!
 焦ったところで事態は好転しない。
 固まるシアン。にじり寄る魔物たち。
 一か八か、もう一度特攻を仕掛けてみるべきだろうか。そんな無謀ともいえる作戦を真剣に考慮し始めたフラムの視線の先で、一つの動きがあった。
 シアンが動いていた。と言っても、やはり足は動いていない。
 どうして……、と激しく問い詰めたい衝動が胸を過ぎるものの、その動きをつい追ってしまう。
 シアンがリュックサックから取り出したのは、弓矢だ。
 見たところ、何の変哲もないただの弓矢でしかない。
 そんなもので魔物を撃退できるのならフラムが逃げの手など打つ必要もないというのに。
 ――あるいは、何かの魔導具とか……?
 ここからでは距離が遠く、判然としない。
 だが、関係ないとも思う。魔導具であれ、ただの弓矢であれ、それが通用する相手ではないのだ。
 だというのに、シアンはそれを構え、弓を引き絞る。
 そこへ魔物が殺到する。
 ――ダメ! 間に合わないッ!!
 出遅れた、それを痛感する。
 シアンを見ている場合ではなかったのだ。すぐさま助太刀をするべきだったのだ。
 胸に沸き上がるのは後悔だ。判断の間違いが人を死なせてしまう。魔導士の道とはそういう道なのだ。何度も何度も教わった。そんな簡単なことすら実践できない。自分はなんてバカだ。どうしようもない馬鹿者だ。
 ――シアンに偉そうなこと言えないや……。あたし、バカだ。
 そして魔物たちと、シアンの影が交錯した。
 フラムの目元には涙が滲んでいた。

――

 怖い。
 そんな気持ちが沸き上がった瞬間、シアンの身体は金縛りにあった。
 自分の足が、まるで鉛にでもなってしまったかのように、ピクリとも動かない。
 殺到する魔物たち。その様子だけがシアンにはゆっくりと見えていた。
 先程からフラムが何事かを叫んでいた。その様子は見えてはいたものの、やはり声は聞こえない。
 音という概念の全てが、シアンの身体には残っていなかった。
 あるのは視界。それだけだ。
 取り残されたような空白の世界が、そこにあった。
 これが死ぬということなのだろうか。
 音はなく、風景は静止したようにゆっくりと動いている。肉薄する魔物たちの牙が、爪が、徐々に近づいてくる。
 明確な死が、すぐそこまで迫っている。
 身体は動かない。足はぴくりとも動かない。
 まばたきも出来ない。もう何処も動かせないのだろうか。
 今、目前に迫る死神の鎌のごとき、鋭利な刃を食い止める手段はない。
 身体が動かなければ回避も不可能だ。
 ならばその先には死しかない。
 死ぬ。
 死んでしまう。
 死ねば帰ることはできない。誰に会うこともできない。シリアにも、会えない。
 妹を救うこともできない。《至高の魔導具》など目指すべくもない。
 終わりだ。一巻の終わり。
 死ねばどうなる。妹のことはいい。全くもって良くはないが、とりあえず良いとしよう。
 目の前の少女はどうなるだろう。
 この勝ち気でわがままで強気で、意地っ張りで、そのくせ照れ屋で不器用で、ほっとくとどうなるか分からないこの破天荒娘はどうなるだろう。
 悲しむだろうか。泣くだろうか。この状況を悔いるだろうか。
 この選択を後悔するのだろうか。
 一生苛まれ続けるのだろうか。うなされ続けるのだろうか。
 このわずかな付き合いで、ある程度は理解できたつもりだ。
 シアンは彼女が気に入らないし、恐らく向こうもそうだろう。
 だからこそ、そんな相手を苦しめたり歪ませたりするのは嫌だ。
 自分のせいで彼女の方向性が変化するのは、嫌なのだ。
 シアンは彼女を嫌っている。そしてそうありたいと思っている。
 だから、その価値観を歪めたくない。
 彼女を変化させたくない。今のままでいて欲しいのだ。
 ――じゃあ、生きよう。
 シアンは安らかな顔で決意をした。
 彼女を泣かせない。苦しめない。傷つけない。そうすれば、フラムをわがままな小娘のままでいさせられる。
 そうすればシアンは彼女を嫌いでいられる。
 彼女を好きにならずに済む。
 彼女に好意を抱かずに済む。
 彼女を嫌い続けられる。
 わがままで傲慢でメチャクチャな彼女を、シアンは嫌いでいられる。
 そのために生きる。そういう決意だ。
 決めてからは早かった。
 シアンは瞬時に全身に力を入れた。
 それで現状を確認したのだ。
 動くのは上半身、主に腰、肩、そして腕だ。それだけ分かれば充分だった。
 シアンは背中越しにリュックサックを漁る。目的の物はすぐに手に取ることができた。
 シアンはそれを引き抜き、身構える。
 弓に矢を番える。
 矢は刃の付いた通常のものではなく、先端に魔導石をつけた殺傷力のない物。
 標的は誰でもない。ただの足下だ。
 放たれた矢はシアンの前方で弾ける。魔導石が砕け、破砕した粉末が飛び散る。
 それを目にした魔物たちは、シアンへの攻撃を中断する。
 魔物たちの目の色が変わった。
 一斉に砕かれた魔導石の淡い光に向かってゆく。
 それを見届けると、シアンは腰から力が抜けていった。
 そのまま崩れ落ち、顔面から突っ伏すように倒れてゆくシアンを支える影があった。
 小さな腕を見れば相手が誰なのかは考える必要もなかった。
「なに倒れてんのよ。ほら、さっさと掴まりなさい!」
 いつも通りの不遜な声を聞いて、シアンは思わず苦笑を浮かべた。
「どーせなら、綺麗なお姉さんに掴まりたかったけどね」
 などと言うと、臑を蹴られた。

第二話『劫火のフラム』③

 狭い坑道の中、フラムとシアンは座り込んで荒い呼吸を整えていた。
「ハァ……、それにしてもよく無事だったわね……。絶対死んだと思ったのに……」
 小さな肩を激しく揺らしながら、フラムはそんなふうに言った。
「ああ、アレね……。ハァ……ハァ……、魔導石の……欠片を……、ハァ……ハァ……疲れた。……やっぱいいや」
 息が持たず、会話がしづらかったため、シアンは説明を諦めて横になる。
「良くないわよ! 説明……はふぅ……、説明しなさいよ! ……ってちょっと! 何一人で水飲んでんの!? あたしの分は!?」
 渇いた喉を潤すため、おもむろに水の入った革袋をがぶがぶと飲み始めたシアンに、フラムが掴み掛かった。
「君の分? あるわけないじゃん……。ごくごく……」
「ちょっ、ズルいわよ! 寄越しなさい!」
「や」
「ちょ、ちょっとぉ……」
 水を独り占めしていると、フラムが上目遣いに瞳をうるうるとさせていて、思わずたじろいでしまったシアンは仕方なく袋をフラムへ渡してしまう。
「くふっ、ありがと。ごぎゅるごぎゅるぐびぐびごくんごくん……」
 物凄い音を立てながら実に旨そうに水を飲み干してゆくフラム。
 猛烈な嫌な予感に襲われてフラムから袋を奪い返そうとするも、相変わらず外見からは予想も出来ないようなパワフルな馬鹿力で水を死守するので、シアンはそれを端から見守ることしか出来なかった。
「フラムさん……? あのー、大変申し上げにくいことなんですが……、サバイバルにおいてはですね、水・食料の保守ってのが一番肝要でして……。え~っと、聞いてます?」
「ぷは~! 美味しかったわ! アンタ、なかなか使える下僕ね!」
「下僕じゃないし! うわ、全部っ! 全部飲みやがった! どうすんだよ、これ! このまま脱出できなかったらホントに死ぬぞ!!」
「明日のことは明日考えれば良いのよ。ねぇお腹空いたわ。なんかないの?」
「あるわけないし、たとえあったとしてもお前にはやらん!!」
 ……結局、またうるうる上目遣い作戦に屈してしまったシアンは隠し持っていた食料を分け与える羽目になったのだった。

「へぇ……魔導石で、ねぇ……」
 フラムは、シアンの持つ矢の一本を眺め、何やら感心しているようだった。
「いや、だって、聞いたことないわよ? 魔導石で魔物をおびき寄せるだなんて……」
 それはさきほどシアンが見せた、仔ドラゴンの注意を逸らしたことについての話だった。
「けど、有名な話なんだろ? 魔物が魔導石を取り込んでしまっただけの、元は野生動物なんだってさ」
「そうかもしれないけど……、魔導石に引き寄せられる性質、ねぇ……」
「実際に見て、まだ疑問なの?」
「だ、だって……」
 フラムは不満げな顔をしていた。けれどそれも仕方ないのかもしれない。
 フラムにとって、そして多くの魔導士たちにとって、魔物を退けるには戦うしかなかった。その注意を逸らす手段などほとんどなかったのだ。だが、狩人として修行を積んでいるシアンにとって、魔物とは倒す相手ではなく、制する相手なのだ。
 殺せなくてもいい。戦えなくても構わない。その場を御することが出来ればそれでいいのだ。
 その考え方の違いが、フラムを考えさせてしまっているらしい。
「この戦い方を教えてくれたのは、父さんなんだ。僕の憧れの猟師……」
 シアンがやや熱っぽい視線でそう語ると、フラムは、ふぅん……と頷きながら、
「大した魔導士ね……」
 と呟いた。
 確かに父は猟師でありながら、魔導士でもあった。
 今のこの世の中では、魔導具を使わない人間はほとんどいないし、狩りに使う道具だって魔導具が大半を占める。
 優れた猟師は優れた魔導士でもあるのだ。
 フラムが魔導士として、父を認めてくれている。それがシアンにとってとても嬉しいことだった。
「震えて動けなくなってた誰かさんとは大違いね!」
 そんなことを笑顔でいうものだから、シアンの顔はすぐに暗く塗り潰されてしまうのだが。

――

 それからしばらく歩き通しで片っ端から地図を埋め尽くしてゆくシアンとフラムだったが、その行動にもやがて終末点が訪れることになる。
「地図……、埋まっちゃったね……」
 それは死刑宣告のように重苦しくシアンの心にのし掛かった。
 シアンとフラムが落ちてきたこの空間は、閉じていたのだ。
 つまりどこにも脱出する場所はなく、抜け出ることは不可能。
 水も食料もなく、岩と土しかないこの味気ない空間で命尽きるまで立ち往生だ。
 ――まったく、笑わせてくれるよ。ちっとも笑えないけどさ。
 どこか矛盾した感想を抱いたシアンだった。
 相棒を裏切って殺されるだとか、途中で魔導士に殺されるとか、強力な魔物に立ち向かって殺されるとか、そんなドラマティックな死に方を考えていただけに、この状況はあまりに悲惨だった。
 ――大体こんなところに閉じ込められたのも、この子のせいじゃん。
 そもそもフラムが地面に大穴を開ける極みチョップが炸裂しなければ、こんなところに閉じ込められることもなかったのだ。
 そんな恨みがましい視線を向けるシアンだったが、フラムはどこか真剣な面持ちで辺りの様子を探っているようだった。
「何か面白いものでもあるの? 今なら僕の絶望した表情が拝みたい放題だよ。さぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
「しっ! 黙って。……聞こえない?」
「聞こえるって? 僕には死神の足音しか聞こえないよ。あとは幸運の女神様が逃げ去ってゆく足音とか」
「いいから黙んなさいこのバカ! 炭屑にするわよ!」
 女神も裸足で逃げ出しそうな鬼の形相で睨まれては、シアンは黙るしかなかった。
 ――そうか。幸運の女神を逃がしたのはアンタか……。
 そんなことを考えていると、ふと音が聞こえた気がした。
 それは笛の音のような高い音だ。
 その正体は、誰かが笛を吹いている……、と考えるよりも、何かが笛の音のような音を出している……と考えるほうがよっぽど現実的だろう。
 たとえば、風の音とか。
「この音の先に、出口があるわ」
 フラムはフーデッドローブの裾を翻してそう言った。

 フラムとシアンの眼前には、崩れた岩が転がっていた。瓦礫に埋め尽くされていて、完全に行き止まりとなっている。
 だが……、
「音はここからするわね……」
「ど、どうするの……?」
「……崩すしかないわね」
「ええッ!!?」
 一体何をしたせいでこんなところに閉じ込められることになったというのか。それを思い出したシアンは反抗心を剥き出しにしてフラムの提案を蹴ろうとする。
「ムリムリムリ! 今度は絶対に死んじゃうから!」
「このままここで餓死したいなら勝手にすれば? あたしはやるわよ」
 フラムはやはりというべきか、譲るつもりはないらしい。
「せめて、もう少し慎重に、岩を退かしたほうが……」
「時間が惜しいわ。退いて、ジャマよ」
 フラムが腕を振ると、途端にその腕を炎が覆う。その魔導具の素早い駆動に、シアンは一歩たじろいだ。
 その隙をついて、フラムが岩へ向けてその細い腕を掲げ上げた。
「お願いだから、待って! フラム!!」
「却下よ。さっさと帰って、あたしはお風呂に入りたいのよッ!!」
 そんな極めて個人的な欲求のために、煉獄の炎が放たれる。
 狭い坑道内を爆音が反響し、キィン……と、耳鳴りがする。
 果たして、その煙が晴れると、そこには奥の間へ続く横穴が空いていた。
 ケホケホと咽せるシアンを横目に、フラムは身じろぎ一つせず堂々とした様子で歩み出す。
 薄暗い横穴を照らすように、《煉獄死蝶》を先行させつつ、フラムは振り返り、
「何してんの? ささっと行くわよ」
 と、溜息を吐いていた。
「うう……ムチャクチャだよ……」
 シアンはうなだれつつも、その背を追いかけ始める。
 だが、この傍若無人な少女とはぐれたら、待ち受けているのは餓死か、魔物の胃袋に収まるかの二択しかなかったからだ。
 ――どうしてこんなことに……。
 己の不運を嘆きながらも、どうにか瓦礫の山を乗り越えたシアンだった。

 それからしばらく歩いていると、開けた空間が現れた。
 周囲は魔導具の光が届かないくらいに広く、天井も高い。
 それを見渡していたシアンは遠方に光の筋が降りているのが見えて、思わず声を上げる。
「で、出口だ! やったー! 無事に生還できたんだ!!」
 光へ向かい走り出したシアンを訝しげに眺めていたフラムは、急に表情を改めて声を荒げる。
「待ちなさいシアン!」
「どうしたのさ、急に……」
 シアンはそこで立ち止まった。振り返り、フラムへと声を掛ける。だが、その背に現れた影に、フラムは息を呑んだ。
「バカ!! 止まりなさいッ!!」
「えっ……」
 ゆっくりと後ろを見たシアンは硬直してしまう。
 そこに大量の蝙蝠がいたからだ。
「うわぁああ! また!?」
「……というより、こっちが本流だったみたいね……」
 その数はざっと二~三百程度だろうか。先刻シアンを追い回した数よりも多い。
 だがそれよりもフラムが恐れたのはその中央にいる大型の蝙蝠だ。
 周りにいるものと比べるとその図体は十倍以上ある。人間よりもでかい。
 そんな相手が、まだ飛び立たずにこちらの様子を窺っていたのだ。
 間違いなくこの群れを統べるボスだろう。
「あっちにいたのは第二陣に過ぎなかったのね……」
 本陣はこちらにいたのだ。そしてその親玉も。
「無視して出口に行けないかな……?」
「出口って、あっちの通路のほう? 壁にびっしりヤツらがついてるみたいだけど……行きたい?」
「遠慮する方向で」
 シアンは即答した。
 それに頷きつつ、フラムは顎に手を当てて、唸っていた。
「ん~……」
「どうしたのフラム。……便秘?」
「はぁ……。アンタ、実は余裕なんじゃないの……? まぁいいわ。まずはあたしがやってみる。アンタは援護よろしく」
「え……? ちょッ!」
 言うや否や、フラムは駆け出した。即座に魔導具が起動する。
 フラムの纏うグローブ型魔導具に備え付けられた魔導石たちが一斉に光を放つ。
 そこでようやくシアンは気づいたのだが、フラムの手に填められたその魔導具には多数の魔導石が連結されていたのだ。
 魔導石は魔導術を扱う際に消費されるものだ。使うたびに徐々に光が失われてゆき、最後には砕け散ってしまう。
 魔導石が砕けてしまえば、魔導具はただの装身具でしかない。その効力は全て失われてしまう。
 だから一流の魔導士は魔導石の予備を複数所持しているし、場合によっては複数連結させて装備している。
 そして魔導石の連結には二つの意味があると言われている。
 一つはスペア。つまり予備として携帯する場合だ。この場合、連結させていれば、一つが砕けても即座に二つ目の魔導石を起動させ魔導術を展開できる。
 もう一つはブースト。つまり二つの魔導石を同時に使用し、術を行使する場合だ。
 この場合、魔導石は長持ちしたりはしない。むしろ多大な負荷が掛かり、消耗は激しくなるだろう。
 その代わり、得られる力は通常の三倍から五倍ほどに膨れあがる。
 そしてフラムのその魔導具は、恐らく後者だ。
 バチバチと放電するように、フラムの魔導石から力が溢れ出ていた。
 魔導石が放つ光は通常の淡いブルーではない。閃光のような青白く凶暴な光。
 その光がフラムの手元から炎へと変換されている。煉獄のような赤黒い凶悪な炎へと。
 フラムの放つ劫火が振るわれ、蝙蝠たちはパタパタと地へ落ちてゆく。あるものは炎に灼かれ、あるものは拳打に打たれ、キィキィと無残な声を上げる。
 そのまま十、二十、と数を減らしてゆくのを見て、シアンは行ける、と確信していた。

――

 フラムはというと、余裕を見せてはいたものの、その内心は焦りを感じていた。
 理由は単純明快。敵の数が多すぎるからだ。
 一体一体の強さは大したことはない。だが、その数が百を越えるともはや暴力的にすら思える。
 ――これが三百か……。保たないかも……。
 フラムが懸念しているのは、魔導石の残量である。
 フラムの装備しているこの、グローブ型魔導具は火力重視の魔導具である。圧倒的な力で敵を一方的に屠る。そういう扱いをするために開発し、調整し、錬磨してきた。
 一方こういった戦いでは、いかに消耗を抑えるかが重点を置かれる。消耗を抑え、隙を削り、無駄をなくすのだ。
 フラムには、それが出来ない。
 そんな慎重な戦い方は出来ない。そんな丁寧な戦い方は出来ない。
 フラムには全力で敵を屠ることしか出来ないのだ。
 そして、身体にだって限界はある。
 フラムの身体は小さく、動く上での消費そのものは少ない。
 だが同時にスタミナもないのだ。
 だから、フラムの辞書には持久戦という言葉は存在しない。
 故に歯噛みする。
 この状況は危険だ。
 このままでいればいずれフラムはやられる。そしてフラムの次はシアンがやられる。
 それだけは嫌だった。
 シアンのようにバカで、愚図で、愚鈍で、何も出来ない素人を守れずに死ぬのは、絶対にゴメンだった。
 だからフラムは死力を尽くした。
 あらん限りの力で、蝙蝠を仕留めてゆく。
 ――力の抑え方が分からないのなら、一撃でより多く仕留めれば良いだけよ!!
 一撃で可能な限り広範囲の蝙蝠にダメージを負わせる。そうすることで一匹でも多く仕留めるのだ。
 その作業を続ければ、いずれその数は逃げ切れる程度まで減らせるはずだ。
 そこで。
 パキンッ! と、魔導石が一つ砕けた。
 ――ッ! けど、たかが一つよ!
 フラムの魔導具には片手に三つずつ。計六個の魔導石を連結させてある。
 その威力が多少減ることになったとしても、戦局に大差はない。
 そう瞬時に判断し、フラムはそのまま攻勢へ移ろうと前を睨んだ。
 だがその瞬間。敵に動きがあった。
 フラムが僅かに魔導石へ意識を向けた瞬間にはもう敵は動いていたのだ。
 フラムの眼前に迫る巨大な翼。鋭い爪。尖った牙。
 ――親蝙蝠ッ!?
 先程まで様子見に徹していたはずなのに、フラムが仔蝙蝠を殲滅することに意識を向けたことで、隙ありと判断したのだろうか。その姿はもう目の前にまで迫っていた。
 ここでフラムは始めて守勢に回ろうかと両手を交差し、ガードの体勢を作ったのだが……、

 ――――ィィイイイッッ!!!!

 途端にグラリと視界が歪んだ。まるで脳震盪を起こしたような心地だった。
 身体に力が入らず、視界はぼやけ、音も聞こえなくなる。
 ――まずい……! これって、超音波……?
 フラムが気づいた頃にはもう遅かった。
 力も入らず、周囲も窺えない。
 フラムには迫り来るその一撃を回避する手段がなかったのだ。
 前からか後ろからかも分からない。ただ漫然と、痛いとだけ感じた。
 その顔を覗き込むシアンの顔が見えた。
 どうやら後方まで吹っ飛ばされたらしい。
 そのまま大岩の後ろにまで引きずり込まれつつ、フラムはただぼうっとしていた。

――

 大岩の向こうでは、蝙蝠たちが悠々と飛んでいた。
「どうする……?」
 シアンは不安げにそう訊ねた。
 ようやく回復したフラムはしばし考えると、
「まずは情報を整理しましょう」
 と言った。
「まずは、出口が向こうにあって、ヤツらをどうにかしないと外へ出れないってこと」
「そうだね。かといって、動いてくれる様子もないし……」
「当然、向こうはこっちが何処に潜んでるかくらいは察してるでしょ。《反響定位(エコーロケーション)》とか言うんだっけ? 目の代わりに音で周囲の情報を探ってるんだわ」
「うん。蝙蝠の中には超音波を発して、その反響具合で周囲の様子を探れる種もいるらしいよ。だから暗闇でも自由に飛行できるんだね」
 ほとんど父からの受け売りだったので、シアンは感心したように蝙蝠を眺めていた。
「まず厄介なのは蝙蝠の仔どもね。数が多すぎる。馬鹿正直に戦ってたら命がいくつあっても足りないわ」
「けど、魔導石の欠片も使えないよ。数が多すぎて全然意味ないもんね」
「そうね。それに砕かなきゃアイツらも寄ってきそうにないし……。それだけの数を砕くのも物理的にも物量的にも無理だし……」
 以前のシアンが使った対策は今回は使えない。魔物が魔導石に寄る性質があるとはいえ、いきなり魔導石に寄りつくわけではないのだ。砕いて粉末状にして初めてヤツらはそれに集まってくる。精製された魔導石そのものは外部へ魔導結晶を晒していないからだろう。魔導石の表面のガラス体が彼らの感覚を阻害しているからかもしれない。
「あと、超音波攻撃も厄介よ。あんなの受けたら即スタン状態よ。アンタが無事だったところからして、遠ければだいじょぶっぽいけどね」
「つまり近づけない……てこと?」
「近づきたくないってことよ」
「けどさ……。それって……」
「何よ……?」
 今までの情報を統合すると、シアンとしては一つの結論を出さざるを得ない。
 つまりは……、
「勝てない……ってこと?」
 シアンがそう訊ねると、フラムは黙ったまま何も言わなかった。
 それはつまり、仔ドラゴンにも屈しなかった魔導士ランク五六のフラムが諦めてしまった、ということだ。
「そんなぁ……」
 泣きそうな顔で嘆くシアンに、フラムはむすっとした顔のまま告げた。
「現状では……、……そうなるでしょうね」
 その応答は、絶望的だった。
「くそ……、シリア……」
 思わずシアンは妹の名を呼んでしまう。死にたくない。もう一度会いたい。もし死ねば、彼女を病から救うことは永遠に不可能となってしまう。
 それだけは嫌だ。自分などどうなってもいい。ただ彼女を救いたい。
 だが生き残る手段は、皆無なのだ。
 そんなことを考えていると、フラムがその名に反応した。
「何それ……? アンタの家族? それとも……こ、ここ恋人……とか……?」
 何故かフラムの顔が少し赤らんでいる。
「ああ、妹だよ。病気がちでさ……助けてあげたかったんだ……」
 シアンはそう言うと、出口のほうへ視線を移した。
 走れば数秒で渡りきれそうな、僅かなこの距離を進むことができない。それがシアンにはどうしようもなくもどかしかった。
 そうして眺めていると、フラムの声が返ってきた。
「……ねぇ、シアン。一つだけ、生き残る手段があるの……」
 フラムは、切なげな目をしてそう言った。
 そこでシアンには思い至るものがあった。だが、いくらなんでもそれは考えすぎだ。だから何としてもフラムを止めねばならないだろう。
「フラム。早まっちゃダメだ。子作りなんて僕らには早すぎるよ」
「………………は…………?」
 ぽかん……、と間抜けな顔を見せるフラム。
 だが、しばらくして意味を理解したらしく、みるみる顔を赤くして、拳を振り上げる。
「バッッッッカじゃないのッ!!? バカ! バカ! バ~~~~カ!!」
 ぼこすか、とコンボ攻撃が飛んできた。シアンは身を躱そうとするも、巧みな連撃はその動きの裏を綺麗に読み取ったように、シアンの顔へ全弾命中した。
「だ、だって生き残るってそういう意味じゃないの……?」
「そんなわけないでしょッ!! 何が好きでアンタなんかと、その……えっと……、とにかくバカ! 変態! 死ね!!」
 驚きの十六連撃を食らい、仰向けでぶっ倒れたシアンの横で、フラムが真っ赤な顔で告げる。
「分かんないの……? 《騎士契約》よ」
「《騎士契約》ぅ……?」
 オウム返しに答えつつ、シアンは頭を巡らせた。
 《騎士契約》とは、主従の魔導士と魔導士が契約を結び、互いを互いに助け合い、共に生きてゆくという誓いではないのか。
「ホントに何も知らないのね。《騎士契約》は魔導供給ラインの接続術式を行うための契約なのよ」
「え……? それってどういうことなの……?」
 シアンが問うと、フラムはやれやれ、と首を竦めて説明する。
「良い? 契約の方法はいくつかあるけど、まぁ今は手っ取り早く出血してることだし、アンタの血を使わせてもらうわ」
 言うと、フラムはシアンの鼻から滴る血の先に魔導証石を当てる。
 ――だから近いってば……!
 フラムの髪からなんだか良い匂いがして、落ち着かない心地のシアンだった。
 すると、その血液は石に吸い込まれ、脈打つように光を放つ。
 何らかの魔導具の影響だろうか。気がつくと、フラムとシアンの周りに魔方陣が浮かび上がっている。
 その中央で、フラムはぞっとするくらい綺麗な声で、詠唱を始める。
「『汝、契約の元、我が盟約の友と成らん……』。さ、アンタも誓いなさい」
「誓うって、何を……?」
「あたしを助け、守り、共に戦うかってこと」
「え……、ああ。うん、……誓う」
 すると、その言葉に共鳴するかのように、淡い光が漏れ、洞窟内を駆け巡っていった。
 光はすぐに消え、フラムが、よし! と元気に立ち上がった。
「さ、これで供給ラインは作れたわ。言っとくけど、主人はあたしでアンタは下僕ね。これで《騎士契約》は完了よ」
 何が起こったのかはシアンにはさっぱり分かっていない。
 シアンの血をフラムの持つ証石に当て、フラムと共に何らかの詠唱を行ったというだけだ。
 これだけで契約が成立……? と疑いの眼差しを向けるシアンだったが、確かに身体か心か、どこかに違和感があったのだ。
「なんだろう……。なんか胸が……、あったかい……?」
「そりゃ、そうでしょうね。今はアクセス回路を開いてるんだから。あたしの力がアンタにも流れ込んでるのよ。そして、それは逆にも言える」
 言っている意味が分からず、シアンは首を傾げる。
「つまり、《結線(リンク)》しているってことよ。今のあたしとアンタは。そして《結線》している間、あたしはアンタの魔導具の力が使えるし、アンタはあたしの魔導具が使える」
「え? なにそれ。すごい便利。じゃあ僕は魔導具を持ってなくてもフラムが持ってればその魔導具を使えるってこと?」
「そうよ。もちろん使うときはあたしに対する感謝の気持ちを忘れないように。んでもってもう一つ、というかホントはこっちがメインなんだけど……、複合術式が使えるようになるわ」
「複合術式……?」
 聞いたことのない言葉に、シアンは再びオウム返しする。
「そ。つまり、複数の魔導具を同時に扱うことで術式を複合させ、新たな別種の魔導術として行使することが可能になるのよ」
「新たな魔導術……。僕の《蒼穹の風弓(ストーム・ブリンガー)》でも……?」
「へぇ……。そんな名前だったのね……。っていうかやっぱり魔導具だったんだ。どれ、見せなさいよ」
 フラムはそう言うと、シアンの弓へ手を伸ばした。
 シアンの弓は背に背負われていたため、フラムが手を伸ばすとその距離はかなり狭まることになる。
 ――だから近いんだってば……!
 フラムの金糸のような綺麗な髪がシアンの顔にしなだれかかり、シアンは羞恥に顔を染める。
「ふぅん……。属性は《風》ね。魔導具で威力を上げてるのかしら? それとも軌道修正? あるいは両方かな……?」
 シアンの肩越しにそんなことを言うフラムだった。
 ――控えめだけど、胸の感触が……
 冷や汗混じりにそんなことを思いついてしまい、シアンは意識するまいと努めていた。
「これなら行けそうね……。ってなに赤くなってんのよ。……さては、あたしの色香に惑わされちゃったのね。でもそればっかりはどうしようもないわ。許してちょうだい」
 ぐむむ、と反論を試みるシアンだったが、案外的を射ていたため、何も言い返せないのだった。
 その様子を満足そうに眺め、フラムは自身の腕を覆う魔導具を指し示す。
「これがあたしの魔導具、《殲滅劫火(フラムベルク)》よ。両手両足に連結されてて、魔導石は計六個装着できるわ。あ、今のうちにさっき割れた一個を装着しておかなくちゃね」
 フラムはそう言い、キャリーバッグの中から魔導石を一個取り出す。が、その中身を見て、シアンはぎょっとした。
 ――全部、魔導石なのッ……!?
 キャリーバッグの中身は、魔導石で埋め尽くされていたのだ。
 魔導石の予備を持ち歩くのは多くの魔導士が実践していることだが、ここまでの量を持ち歩くのは常軌を逸している。
 だが、それ故のあの火力なのかもしれない。
 ともあれ、魔導石を聖遺物扱いする神聖教会には間違っても見せられそうにない有り様だった。
 そんな心の内も知らずに装着を終えたフラムは、再び大岩から身を乗り出した。
「さぁ、そろそろ行くわよ。準備は良い?」

第二話『劫火のフラム』④

 走り出したフラムは即座に《殲滅劫火》を起動し、炎をその小柄な身に纏う。
 だが、今彼女を覆う力はそれだけではない。
 《蒼穹の風弓》。
 《騎士契約》の供給術式を経由して、風の力が共に宿り、その身を包み込んでいる。
 ――なんだか優しくて、軽くて、……変な気持ち。
 だが、嫌な気分ではなかった。むしろ心地良いくらいだ。
 フラムは炎と風を纏わせた腕を振りかぶり、仔蝙蝠たちへと立ち向かう。
「邪魔よッ!!」
 一撃で十匹ほどを刈り取り、フラムは頬を緩める。
 ――いけるッ! これならいけるわ!!
 フラムの劫火を、シアンの嵐が拡散させ、より広範囲を攻撃できる。これにより力の無駄が少なくなり、より多くの蝙蝠たちを仕留められる。
 腕を振るい、足で薙ぎ払い、僅かな趨勢でフラムは勢い付いていた。
 だが、その勢いを止めようとするものがいた。
 親蝙蝠だ。
「来たわね! 《マザー・バット》!」
 フラムにそう固有名を付けられた親蝙蝠は、鋭利な爪で切り裂こうとしてくる。
 フラムは、その爪を払い除けるように回し蹴りを放った。
 蹴りに爪を弾かれた《マザー・バット》は、怒り狂い、ギャア! と啼く。その声に導かれるようにして、仔蝙蝠が体当たりを仕掛けてくる。
 その波状攻撃を両手でガードして受け流すと、フラムは腕を大きく振り回し炎を撒き散らすように噴出させる。さきほどは見せなかった技だ。
「あたしの専門は近距離だからこういう中距離技は得意じゃないんだけどねッ! 今は風の力があるから威力を殺さずに使えるわ!」
 フラム自身初めての戦い方だった。フラムは炎を遠方へ放つことを苦手としていた。故に炎を纏い、その身で戦うというおよそ魔導士らしからぬ戦い方を身につけたのだ。
 本来、魔導士は追い詰められない限り近距離戦など行わない。
 それは、詠唱に時間が掛かるし、魔導具の使用に筋力は関係ないので、身体を鍛える魔導士が少ないからだ。
 フラムのように、自身の膂力を上乗せ出来る魔導具は少ないし、ましてやそれを主戦力にする者など、そうそういる訳がないのだ。
 ――あたしは魔導士としては欠陥品だ。でもだからこそ出来ることだってあるのよ!
 だからこそ身につけられたのが大威力の物理攻撃であり、更に今はそれを広げる手段まで獲得している。
 ――今のあたしが、今更アンタなんかに後れを取る訳ないでしょ!!
 その、炎と風の力に蝙蝠たちが後退し始めた頃、動き始めた者がいた。
 《マザー・バット》だ。
 《マザー・バット》は大きく息を吸い、身を震わせる。それはフラムが見切った《超音波》の予備動作だった。
 フラムは一瞬、退きたくなる衝動を感じつつも、その場に留まり続けた。
 何故なら、フラムには一つの考えがあったからだ。

 ――――ィィイイイッッ!!!!

 ビリビリと空気を、岩を、地面を震わせるその一撃は長くは続かなかった。
 その身体を、シアンの放った矢が射貫いたからだ。
 そして、吹き荒れる風が、その音の波を狂わせ、威力を減衰させたのだ。
 ――計画通り! 良くやったわね、シアン!

――

 シアンは矢を引き絞りながら、フラムの言っていたことを思い返していた。
『アンタのあれは、恐怖で身が竦んだんじゃなくて、集中力が高まった状態なんじゃないの?』
 フラムはそんなことを言ったのだ。
 当然『えっ?』と聞き返したシアンだったが、フラムは構わずに続けた。
『よく言うでしょ? 集中力が極限まで高まると、周りが見えなくなって、周囲の音が聞こえなくなって、物がゆっくり動いて見えるの』
 確かにシアンの状態とよく似ていた。だがしかし――
『でももへったくれもないわ。きっとそうに決まってる。あたしが言うんだから間違いないわよ。だから信じなさい。アンタのそれは欠陥なんかじゃない』
 フラムはそう言って人差し指を立てた。
『集中して、アイツが身体を震わせた瞬間を狙うの。風を纏わせた矢でね。そうすれば厄介な《超音波》攻撃を無効化できるし、その隙だって突ける。あとはあたしに任せなさい』
 そう言って、フラムは笑った。人を惹きつける魅力的な笑顔で。
 ――だからこそ僕は、その言葉を鵜呑みにはしない。
 シアンは弦を震わせて、《マザー・バット》を睨めつけていた。

――

 《超音波》を無効化され、《マザー・バット》は隙だらけな状態だった。
 そこへフラムはコンボを仕掛けた。拳を、脚を、炎を、風を、浴びせ続けた。その度に《マザー・バット》は奇声を上げ、のたうち回り、弱っていった。
 そろそろ終わりだ。そう思い、フラムは両手に力を集中させる。炎が唸りを上げ、劫火の爆炎を作り上げる。
「《灼熱劫火(インフェルノ)》……、あたしのとっておきよ!」
 そしてその火球を叩きつける。
 生き物が燃える嫌な臭いが辺りに充満し、フラムは顔をしかめる。
 だが、これで終わりだ。この一撃で全てにけりが付いた。
 《マザー・バット》は地に伏せ、統率を失った蝙蝠たちは、散り散りになって逃げ去ってゆく。
 ふぅっと息を吐いて、フラムはシアンへと向き直り、そこで息を止めた。
「……シアン……!?」
 そこには弓を構え、矢を番えたシアンがいた。その目は鋭く、フラムのほうを向いている。
 ――どういうこと……!? なんでシアンがあたしを射ろうとしてるの……?
 驚きの余り、身体が動かなくなる。
 フラムはただ、なんで……、なんで……、なんで……、と繰り返すことしか出来ない。
「フラム、覚えてた? 僕はさっき、最後に返事をしなかったんだ。僕は君の言葉を、そこまで信用していなかった。何故だか分かる……?」
 シアンの目が、シアンの言葉が、フラムには感情が凍り付いているかのように聞こえる。
 抑揚のない、無感情な言葉が、怖い。
「僕は君が嫌いだけど、……それだけじゃあないよ」
 そう言って、シアンは番えた矢から手を放した。
 その矢が、尖った矢先が、自分の胸を貫くのだろうかと思うだけで、それだけで心臓が潰されそうだった。
 ――どうしちゃったの……? シアン……。どうして……。
 そしてその矢が、燃えさかる炎と、吹き荒れる風を纏った矢が、《マザー・バット》の身体を貫いた。
 そしてとっくに息絶えていたはずの《マザー・バット》が再びギャァァアア……、と断末魔の声を上げて燃え上がる。
「えっ……?」
 何故シアンが《マザー・バット》を射たのか。何故《マザー・バット》が生きていたのか。フラムには訳が分からない。
 シアンは弓を下ろすと、フラムのほうへと歩み寄ってくる。
「《擬死》。いわゆる死んだふりってやつだよ」
 などとシアンは言うが、フラムにはまだ良く分からない。
「《擬死》には体勢ってのがあってね。《マザー・バット》の屍体が妙に丸まってたからたぶんそうなんじゃないかって……。ってあれ? なんか様子がおかしくない? だいじょぶ? フラム……」
 《擬死》に関してはいいだろう。だが、我慢ならないことがある。
「じゃ、じゃあ、さっきの信じないとかなんとか……、あれはどういう意味よ!?」
 食い掛かるようにして問い質すと、シアンは平然とした様子で頷いた。
「サバイバルに大切なのは疑うことだよ。フラムは確かに魔導士としては僕より上だけど、生き物に関しては僕のほうが詳しいからね。全部フラムに任せるってのはさすがに無理だよ」
 などと、シアンは笑って言いのけてしまう。
 なので、フラムは肩を震わせて、怒鳴り声を上げる。
「……紛らわしいのよ、バカァアア!!!」
「ひゃあ! ……あれ、どうしたのフラム? なんか涙目になってる?」
「うるさい、うるさい、うるさぁああああい!!! もうシアンなんて知らない!! 死んじゃえ、バカ!!」

 外に出ると、そのあまりの光量差に、シアンは目を細めて遠方の夕日を眺めていた。
「なんだか一週間くらい潜ってた気分だよ」
 そんな言葉を、フラムは笑い飛ばすようにして言った。
「そんなに長く潜ってらんないわよ! バッカじゃないの?」
 フラムの発言は、その口調ほど嫌そうな様子ではなかった。
「はぁ……、あれ……?」
 フラムは伸びをしようと身体を傾けて、そこでバランスを崩したらしく、シアンが咄嗟にそれを支えた。
 どうやら随分と疲れているらしい。シアンも、そしてフラムのほうも。
「ちょっと休もうか。僕もう疲れたよパトラッシュ……」
 シアンがどてっ、と近くの草むらに腰を下ろすと、フラムも「犬役はアンタの適任でしょ?」などと言いつつも隣に腰を下ろした。
「ったく、少しだけだからね」
 その時、ふわっ……と風が吹いた。
 風になびいた金糸の間から、汗に滲んだフラムの額が垣間見える。
 口ではなんだかんだ言いつつも、やはり疲労の色は隠せないらしい。
 フラムは足を伸ばしてリラックスした体勢になるとなにやらごそごそと腰元のバックパックを漁り始める。
「ちょっと魔導具を使いすぎたかしらね……」
 フラムはそう言うと、おもむろに一つの魔導具を取り出した。何の飾り気もない酷く空虚な球体だった。
 その魔導具は周囲に魔方陣を投射し、フラムの力を吸い上げてゆく。
 魔導具を使いすぎた、という発言の後にどういうつもりなのだろうか。と声にするまでもなく、フラムが答える。
「《凪の冷印(カーム・コールド)》。熱冷ましよ」
 フラムは膨大な力を注ぎ込みながらも、平静な顔で告げる。
「魔導具を使いすぎると、ときどき身体が発熱するときがあるわ。そんなときにこれを使って熱を下げるの」
「何が何だか良く分からないけど、なんとなく分かったよ」
「それは分かってないって言うんじゃないの……? ……まぁ、いいけど」
 フラムはしばらくして《凪の冷印》の発動を止めた。
「ついでだから説明してあげるけど、アンタ、そもそも魔導具ってどうやって力が発現しているか知ってる?」
「え……? 魔導石の力を魔導士が引き出しているんじゃないの?」
「残念ながらそれははずれよ。正解は《気》。あたしたちはその《気》を単品で扱うことは出来ないけれど、《魔導具》を介してなら操ることが出来るの。人間の体内に宿っている生命力、いわゆる《気》を変換して、《魔導力》として使役している訳ね」
「生命力、ねぇ……」
「《魔導具》という回路に《気》を送り込み、それが《魔導石》というレンズを通過させて《魔導力》へ変換しているという訳よ。あたしたちは《気》を操ることは出来ないけれど、《魔導力》なら扱うことが出来る。だから、《魔導具》ってのは《気》をあたしたちの身体に合わせて変化させるための変換器と言っても間違いはないわね。まぁ結果としてそれに機能を付属させた物が《魔導具》として普及したことになるんだけど」
「……うん、良く分かった!」
 即答するシアンだったが、フラムは溜息交じりに看破していた。
「嘘ね……」
 ビクっ!、と過剰反応するシアンに肩を竦めつつ、詳しい説明を諦めたのか、フラムは視線を空へと向けた。
「……《気》は普段、常に体内で一定量を生産されているんだけど、戦闘時とかに魔導具を使いすぎると《気》の正常生産リズムが狂っちゃうときがあるのよ。そういう時に身体は発熱するわ。さっきのあたしみたいにね。それを抑えるのが《凪の冷印》よ。ちょっとは分かった……?」
 その言葉は、シアンの中で、妙なしこりとなっていた。
「リズムが狂う……。発熱……」
「分かってくれればそれでいいわ。いずれアンタ自身にも起こることかもしれない訳だし、知っておいたほうが何かと便利でしょ」
 フラムはそれで会話を終えたつもりだったようだが、シアンはというと、まだ考えがまとまっていなかった。
 フラムの話は、まるで……。
「シリア……。妹の病状に似てるような……、気がするんだ」
 発熱。狂ったリズム。だが、どうなのだろう。
 シリアの《気》の生産リズムが狂っているせいで、発熱しているのだろうか。それこそが病の正体……?
 だが、もしそうならば、医者はとっくに病状を看破し、シリアは既に回復していてもおかしくはないだろう。
 つまり、この話とシリアは無関係……、ということになるのだろうか。
「……看てみないと、何とも言えないわね。……今は発作は起きてないのよね?」
「うん……」
「じゃあ、次に発作が起きたときはすぐにあたしに連絡をしてちょうだい。その時なら試せることがあるわ。元気だと、正直、判断しづらいし……」
 フラムはいつになく真剣な面持ちでそう言った。が、しかし。
「連絡……?」
 シアンが疑問符を浮かべると、フラムは手をぽん、と叩いて証石をつまんでみせる。
『そういえば説明してなかったわね。……ねぇ、聞こえてる?』
「うわっ! 頭にフラムの声が響いてくる! なんだこれ! うっわ! なんだこれ!?」
 いきなりテンションマックスになったシアンを、フラムは冷ややかな目で見つめている。
『初めて都会に出てきた田舎者みたいなリアクションしないでよ、恥ずかしい。……良い? これは《騎士契約》をして、《結線》した証石同士を繋いで会話する《念話》よ。《念話(コール)》は主従関係なくどちらからでも《結線》出来るからこれも覚えときなさい』
「どうやってやんの?」
『念じるのよ。発音しても良いけど。《念話》! って強く念じれば出来るわよ』
「《念話》ッ!!」
『だから恥ずかしいってのっ!』
『《念話》ッ!! あ、今の出来たんじゃね!? 聞こえた? ねぇ今の聞こえた!?』
『……聞こえたわよ、もう。ったく、疲れるなぁ……』
 構わずはしゃぎ続けるシアンに、フラムはただ溜息を吐くのだった。

――

 それからまた迷子になるだろうと思ってフラムを街まで案内して、ついでに協会で報奨金を受け取ってから、フラムは宿へと帰り、シアンは家路へとついたのだった。
 報奨は存外に多く、シアンは初めてお金の重さに足腰を弱らせつつ、なんとか家まで辿り着いたのだった。
「おかえりなさい、兄さん」
 扉を開けると、居間にはシリアがいて、髪を梳かしていた。
「ただいま。……あんまり無理するなよ……。ほら、僕がやってやるから」
「だいじょうぶよ、兄さん。心配しないで」
 シリアはそんなことを言うが、シアンは構わず、櫛を奪い取り、妹の青髪を梳かしてやる。
「もうっ、兄さんってば強引なんだから」
「そういうお前は強情だけどな」
 シアンが軽口を叩くと、シリアは吹き出して、笑っていた。
「でも、もうだいじょうぶよ。兄さんが遅かったから、私はもうご飯食べちゃったのよ? だからもう寝ないと……」
「そっか……、ゴメン」
 シアンは俯きながら返事をして、シリアの手に櫛を返した。
「それじゃ、おやすみなさい。兄さん」
「おやすみ、シリア」
 シリアが部屋の扉を、パタンと閉めた。

――

 扉を閉めて布団を被ると、シリアはケホケホと咳き込んだ。
 頭が僅かにふらつき、手足は少し痺れたような感覚があった。
「……まだ、そこまで悪いわけじゃないし……。無理はしてないもんね……?」
 無理はしない。それは兄と、父との約束だった。
 もうあんな悲しみに満ちた家族の顔は見たくない。
 だから嘘は吐かない。
 けれど、心配も掛けたくない。
 だからそれが僅かなことであるなら、話したくはないのだ。
「だいじょうぶ……。まだ、だいじょうぶだから……」
 シリアは一人うわごとのように呟くのだった。

第三話『氷楔のサクヤ』①

 街の門の下、そこには佇む少女が一人いた。
「緑偃都市オーランド……。ようやく追いつきましたわ。待ってなさいな、……フラム!」
 少女は群青色の和装を翻し、悠然と歩き始める。
 その手には魔導杖が一つ、握られていた。
「まずは、魔導協会を目指しましょうか。華麗に、ね……。そこゆく殿方! よろしいかしら?」
 声を掛けられた男性は、何やら荷物を運んでいた最中らしく、「悪ぃな、嬢ちゃん。構ってやる時間もなくてよ……」などと言って足早に去ってゆく。
「何ということですのっ!? このわたくしを、無視なさいますの!? ええい、そこに直りなさい! 成敗して差し上げますわ!」
 右腕をバッと広げ、自慢の和装をなびかせつつ、愛用の杖を高々と構え、少女は声高に叫んだ。
 が、しかし。
 その威容に歓声を上げる者はいない。
 それどころかほとんど見向きもされていないのだった。
「なんということ……!? この街には下賤な者しかいないんですのね……。なるほど、これが異境の地。わたくし、分かりましたわ!!」
 少女は演技者のようにはきはきと独り言を喋っていたので、周囲には珍しい者を眺める観衆が出来上がりつつあった。
「ふふ、良いでしょう……。ならばわたくしが教えて差し上げましょう! 真に頭を垂れるべき相手は誰なのかを! その作法の悉くを叩き込んで差し上げますわ! 皆様方! どうぞお喜びくださいまし! 仕えるべき相手はここにおります! そう、わたくしこそが天上の魔導士、『氷楔(ひょうせつ)のサクヤ』ですわ!! おーっほほほ!!」
 いつのまにか集まっていた市民たちは、そんなサクヤの口上に聞き惚れたのか、パチパチと拍手を送っていた。
 サクヤは気持ちよく高笑いを続けていた。
 大道芸人か何かと勘違いされての拍手だったのだが、幼い少女はそれに気づくこともなく、ふんぞり返っていた。

 通りを歩いていた少年、街商人の息子でもあるカイウスは、その人ごみを見つけて、訝しんでいた。
 一体何の集まりなのだろうか。
 興味本位で覗き込み、そこで笑い声を上げていた少女を見て、カイウスは身体に電撃が走ったような感覚に襲われた。
 白く透き通るような滑らかな肌。白肌と究極のコントラストを実現する宵闇のように黒い長髪。その髪を纏め上げるのは意匠の凝ったかんざし。華美で威厳を感じさせる独特な和装。知性と品性を感じさせる魔導杖。その気位の高さを表しているかのような表情。
 なんて美しい少女だろう。
 今まで見た誰よりも可愛らしく、美しく、可憐で、キュートで、ポップで、エキセントリックだった。
 こんな少女を愛したい。こんな少女に愛されたい。
 敵うことなら、こんな少女に……
 ――踏まれたい。
 そんなことを思う。
 革靴で頭をグリグリと踏んづけてもらいたい。そして罵詈雑言の類を思うままにぶつけてもらいたい。
 あの少女の、小さくて張りのある唇で、メチャクチャに罵られてみたいのだ。
 カイウスの脳内はそんな思考で埋め尽くされていた。
 カイウスはたった一目でその心を奪われてしまっていたのだ。
「……やっと、見つけた。俺の運命の人……ッ!!」
 溜息と共にそんな言葉が漏れていた。

――

 魔導協会サロン。
 職員たちの食堂を兼ねているその空間は、魔導士たちにとってちょっとした憩いの場となっていた。
 今は昼食時のためか、人の姿も多く、それぞれが世間話に夢中になっていた。
 主にその中心となっている話題は何なのか。
 聞き耳を立てるまでもなく、否応でも耳に入る。
 シアンはじとっとした嫌な汗を拭いながら、コップの水をすする。
「なんか、すごい話題になっちゃったね……」
 シアンが対面に座っている少女に話しかけると、その少女は腕を組んで胸を張っていた。
「当ー然でしょ! なんせこのあたしが出張ったんだから、その程度の評判は付いて当たり前よ!」
 そういう割には随分と嬉しそうだな、と思いつつ、口には出さないシアンだった。
 昨日は疲れていたのもあって、すぐに別れて家路についたものの、本来ならもっと話したいことはいっぱいあったのだ。
 この報酬をどうしようかとか、ランク上がっちゃったよどうしようとか、フラムはいつもこんな大変なことをやってるの? だとか。
 そんなことを考えていると、フラムは何を思いついたのか、にまにまとイヤらしい笑みを浮かべている。
「そんなことよりシアン。今日こそは教えなさいよ」
 フラムはそう言って身を乗り出す。
 バン! とテーブルを叩きつつ、ぐいっと顔を近づけてくる。
 するとフラムの髪の匂いがふわりと漂ってきて、シアンは思わず立ち退いてしまう。
「な、なななんのことさ!?」
 そんなシアンの胸ぐらを掴み、無理矢理席へ戻らせると、フラムは唇の端を吊り上げていた。
「とぼけるんじゃないわよ。アンタのランクいくつになったの?」
 ランク、と聞いてシアンは一瞬きょとん、となってしまう。
「昨日は結局教えてくれなかったし……」
 そう言えば……、とシアンは思い出したことがあった。
 昨日、報酬を受け取った後、シアンはあまりに疲れていたのでさっさと返ることにしたのだが、フラムのほうはまだ余力が残っていたようで、何かと話しかけてきたのだ。段々それが鬱陶しく感じてきたシアンは最近会得したばかりの高い集中力を発揮して、フラムの言動を無視したのだ。無視することに集中した訳だ。今にして思うと、ちょっと悪いことをしたかもしれない。
「ああ、ごめん。疲れてたからさ……。そして、僕のランクを聞きたいんだったな……。ふふ、ならば覚悟して聞き給え」
「うんうん」
「なんと!」
 どんっ! とシアンは気合いを入れて言う。
「……うん」
「あろうことか!」
 どどんっ! シアンは拳を掲げる。
「……」
「こともあろうに!」
 どどどんっ! そこからの仁王立ちだ。だがしかし……。
「…………」
 ――あれ……? 引っ張るたびにリアクションが薄れていくような……?
 とはいえ、そこで止まる訳にはいかない。走り出したら止まらない……、それがシアンのスタンスなのだから。
「にじゅぅ~~~~~~……」
 それだけ聞き、フラムはジト目になった。
 ――なぜなにホワイ? どうしてそんな目をしているの、フラムさん!?
 まだ発表は途中だというのに、早くも心が折れかけるシアンだったが、立つのもやっとという気力をどうにか振り絞り、続きを告げた。
「ななぷげふッ!」
「長いのよッ!!」
 良く練られた素晴らしい右ストレートだった。もしシアンが名トレーナーだったらスカウトしていたところだ。
 ――まぁ『魔導ボクシング』なんてマニアックな競技、今じゃそうそう流行らないだろうけど。
 そんな十年前に廃れた流行を思い出しつつ、シアンはテーブルに手を掛けてどうにか起き上がった。
「でもまぁ、一一から二七まで上がったんなら、……そうね。あたしの《騎士》としてはようやく半人前といったところかしらね」
 などと、フラムは実に偉そうな口調で言った。
「これでも半人前なの……?」
「何言ってんの? たかが二七でしょ? 言っとくけど、あたしは《至高の魔導具》を狙ってるのよ。最低でも銀級くらいにはなっててくれないと《騎士》として戦力に入れられないじゃない」
 《至高の魔導具》……。それを聞くだけで、シアンは胸が締め付けられるのを感じた。
「もちろんあたしも金級を目指すつもりだから、いつまでもここを拠点にするわけにはいかないけど……」
 シアンの願いは妹、シリアの病の治療だ。それは何よりも優先順位が高い。シアンにとって、何よりも重要視される事柄なのだ。
「ポイントを稼ぐならそのうち遠出が必要になるでしょうね。まぁ、とはいっても、しばらくはレブラス旧坑道関連の仕事だけでも充分稼げそうだけどね」
 フラムの願いよりも、あるいはフラムの命よりも。ずっと……。
「まずはシアンの戦力強化が課題よねぇ……。魔導具の性能も良く分かってないし……」
 たとえフラムを裏切り、傷つけたとしても、シリアを救ってやりたい。
「ねぇ、聞いてるの……シアン?」
 シリアのためならば、どんな苦汁だって啜ってやろう。どんな困難にでも立ち向かってやろう。何としてでも、《至高の魔導具》を……、
「聞けって言ってんでしょォオオオ!!!」
 突如シアンに襲い掛かったのはフラムの両手だった。シンバルの間に頭を挟み込んだみたいな衝撃で脳が揺さぶられる。
「ギャァァアアアァアアア!!!!」

 ……その後、あまりにも騒がしかった二人が、サロンから摘まみ出されたのは言うまでもないだろう。

――

 バタン!
 そんな大げさな音を立てて、魔導協会の扉が閉まった。
 扉に背を預けるようにして、和装の少女、サクヤは魔導具を起動していた。
 サクヤが持っていた魔導具は《演算魔導具》と呼ばれるものの中でも、《書記機能》を有したものだ。
 そこに文字を打ち込んで情報を記録したり、その情報を光として壁や地面に写し出したりすることが出来る。
 サクヤはその魔導具を日常的に使っていて、今では紙に文字を書く回数よりも、《演算魔導具》に打ち込むことのほうが多いくらいだ。
 そこに今受けた依頼の詳細を書き込み、情報を整理する。
「ふんふん……、順調ですわ」
 今回の《クエスト》でのポイントが入れば、ランクが上がる。それはそれだけ目標に近づいたことになる。
 それを考えるだけで、サクヤは顔が綻んでしまう。
「……さて!」
 パタン、と魔導具を閉じると、サクヤは軽い足取りで通りを進んでゆく。
「思ったより、時間が空いてしまいましたわね……」
 ならば、やることは決まっている。
「情報収集、ですわね!」
 言い方を変えれば、それはただの観光なのだった。

 時間が余ったのを確認すると、サクヤは協会へ再び入ってみた。
 ギルドへは行ったが、サロンには行っていない。
 人が集まる場所ならば、ギルドだけでなく、こちらでも情報は手に入るだろう。
 ところが、サロンルームへの扉の前に立ち、サクヤは首を傾げることになる。
 扉にデカデカと張られているのは、「サロンでは騒いではいけません!」と書かれたポスターだ。
「どういうことでしょう……。サロンというのは社交場。紳士や淑女が歓談をする場だというのに。それごときで騒いでいるなどと、神経質すぎるのではありませんの……?」
 サクヤには、サロンが騒がしいという状態自体が想定できない。何かの間違いでないだろうか。
「あるいは、本当に馬鹿騒ぎするような奇天烈なお方がおらっしゃったんですの? それとも、心穏やかに会話を楽しむという営みすら庶民には出来ないということなのかもしれませんわ……。ああ、なんて嘆かわしいことですの。やはりわたくしが貴族として、立ち居振る舞いの何たるかを体現せねばならないのですわ! そうすれば皆、お分かりになることでしょう。歓談のいろは、というものを」
 サクヤは一人、ほくそ笑むと、扉を一思いに開いた。
 そして一気に広がる視界。その空気が、サクヤの肌に触れる。
「……普通ですわね」
 歓談の声がそこかしこから聞こえるが、そのボリュームは騒がしいなどと形容するほどではなかった。
 それは、故郷にあった協会となんら変わらぬ気配だ。
 サクヤは少し、威を削がれた気持ちになりつつ、サロンの中央へと足を運ぶ。
 魔導士たちは大抵、偏屈者が多い。
 だから、サクヤは魔導士に情報を訊ねる際、参考にしているサインがあった。
 ――粗暴な者はダメ。あちらのお腹を出した服の方は論外ですの。
 そうして数人を見定めていき、一人に目を付けた。
 ――まぁ、素敵な殿方ですの!
 ……完全に見た目重視だった。
 若くて柔和な表情をした、利発そうな男性にサクヤは声を掛けた。
「よろしいかしら? そちらの殿方。訊ねたいことがありますの」
「えっと……ごめん。僕、これでも女なんだけど……」
 瞬間、場が硬直した。
「……そ、そんな……。わたくしのイケメン=誠実な男性という方程式が崩れてしまいましたの……」
 打ちひしがれるサクヤに、その麗人は困ったような笑みを浮かべつつ、「えっと、……で、どうかしたのかな……?」と返してきた。
 すると、サクヤは瞬時に顔色を変え、はきはきと用件を喋り出す。
「ああ、忘れるところでしたの! 今このあたりで、何か噂になっていることがありましたら、お伺いしたいのですわ」
 サクヤの大仰な仕草に、肩を竦めつつ、麗人は考え事をするように視線を上へ向けた。
「そうだね……。やっぱり今話題なのは、『劫火のフラム』だろうね。若干十二歳で銀級上位のクエストを達成してしまうなんて、正気の沙汰とは思えないよ」
 彼女がそう返すと、サクヤは表情をぱぁっと明るく変えて、歓声を上げた。
「フラム!? 今あなた、フラムと言いましたの!? 今『劫火のフラム』と申しましたの!?」
 そのあまりの食いつき具合に、麗人はやや顔を引きつらせながらも、「……うん。そう聞いているよ」と返したのだが。
「見つけましたわ!! フラム! ついに見つけましたわよ!! もう逃がしはしませんのよ!! ……うふふふ、お~ほほほほ!!」
「えっと、君。サロンではあんまり騒いだりしないほうが良いと思うんだけど……。うん、やっぱ聞いてないよね……。はぁ……」
 麗人の制止も意味をなさず、そんまま高笑いを続けていたサクヤだったが、やはりというべきかなんというか……。

 ……その後、あまりにも騒がしかったサクヤが、サロンから摘まみ出されたのは言うまでもないだろう。

――

 神樹オーラニアを巡り、出店に寄って神木カステラをもふもふと平らげたあと、オーランド織りの展示をうっとりと堪能し、オーランド弦楽団の演奏に耳を傾けつつお茶を満喫し、他に面白いものはないかと街の外周部へ訪れたサクヤだった。だが、道がみるみる怪しげな方向へ進んでいることに気づいて急にそわそわとし始める。
 生い茂る木々。日光が遮られ、なんとも薄暗い砂利道だ。
「なんですの……、この道は……? 暗くて見通しが悪くて……。サイアクですの!」
 とはいえ、この程度のことで竦んでいては平民に示しがつかない。そう感じたサクヤは敢えてその道をまっすぐに突き進むことに決めた。
「ふ……、フンっ! わたくしは貴族ですわ! こ……、この程度の道に竦んでなんか……きゃあ!」
 突如、ドスンと音がして、サクヤは腰が抜けてしまう。
「ち、ちち違いますわ! 驚いて腰を抜かしてなどいませんの! これは、たまたま持病のギックリ腰が出てしまっただけですの!」
 誰に言い訳をしているのかはサクヤ本人にも分からない。そしてその言い訳に多少無理があるということにもサクヤ自身は気づいてもいない。
 サクヤはその性格上、常に気を張っているため、周りに人がいないと分かっているときでも強気な態度を決して崩さない。
 人目があろうとなかろうと、あるべき姿をそのままに生きる。それこそがサクヤの信じる貴族の生き方なのだから。
 そしてまたドスン、と音がして、サクヤは再び竦み上がる。
「なんですのなんですのなんですの……!? わたくしは決して屈しません。暴力にも権力にも美貌にも!」
 ただし、イケメンには屈するという脆い弱点はあった。
 しかし、それ以上に異変は起こりはしない。ただ、音だけがドスドス、とするのみだ。
 ――ひょっとして、危なくありませんの……?
 しばらく様子を窺うが、やはり音がするのみで、それ以上の危険はなさそうだった。
「ふ、フンっ! まぁ、貴族たるわたくしには、初めから分かっておりましたのよ! お~ほほほほほ!」
 そう高笑いをして、サクヤはその音源へ、足を向けた。
 そろり……。そろり……。その足取りは貴族的とは言いがたい動作ではあったが、本人はさして気にすることもなく、そのまま進み続ける。
 そしてようやく、その音の正体が判明した。
 そこには矢を番い、射ろうとする少年の姿があった。
 少年が矢を引き、弓がぴんと張る。少年は目をぐっと細めて、その先にある木に掛けられた的を狙っている。
 張り詰めた空気が流れる。サクヤは息をするのも忘れて、ただその光景を見つめていた。
 やがて少年が矢を放すと、瞬く間に的の中央へと吸い込まれてゆく。その腕は、圧巻の一言だった。
 遅れてドンっ! と先程の音が大気を震わせる。どうやら先程の音の正体は、この射的によるものだったらしい。
 少年が汗を拭い、次の矢を番えようと、矢筒へ手を伸ばし、空振った。
 矢を全て撃ち尽くしていたのだ。
 そこで少年は振り返り、ようやくサクヤの存在に気づいたのか、少年は視線をサクヤのほうへと向けていた。
「あれ……? 君は……」
 少年は声変わりが終わっていないおとなしい声で、そんなふうに言った。
「え……あ……、わ、わたくしですの……?」
 少年の動作に見入ってしまっていたため、答えあぐねてしまう。
 ――ふ、不覚ですわ……。理想の殿方像からはとても離れておりますのに……。なのにどうして、こんなに胸がときめいておりますの……?
 それは彼が見せた射的の腕前のせいだろうか。それともその射的の際に見せた高い集中力のせいだろうか。
 理由はともかく、サクヤの心臓は早鐘のようにドクドクと脈打っている。
「その……、えっと……、……道に、迷ってしまいまして……」
 どうにか捻り出せたのはそんな強引な言い訳だった。
 しかし少年は驚いたように瞳を見開くと、表情を崩して微笑みを返してきた。
 ――その笑顔……、反則ですの……っ!
「なんか最近そんなのばっかだなぁ……。うん、分かった。じゃあ街まで案内するよ」
 少年はそう言って、的や矢を片付け始めてしまう。
「あ、……あの……。お邪魔では……?」
 と訊くと、少年は再び柔和な笑顔を見せて、気にしないで、と言った。
 ――そうは言われましても……。
 サクヤは困惑していた。
 少年の射的の邪魔をしたくはないのも本心だが、街まで一緒に歩けるというのもかなり魅力的に思えていた。
 ――相手の都合より、自らの私情を優先させるなど、愚の骨頂ですのよ、サクヤ! 貴族にあるまじき失態ですわよ!!
 そう、自らを叱咤してみるものの、高鳴る鼓動は行動を阻害してしまう。
「お待たせ」
 そう言って笑いかける少年の顔を、見てしまったのは失敗だった。
 キュンっ。
 そんな音が聞こえた気がした。
 ――いけませんの、いけませんの! でも……。
 そう思おうとすればするほどに、甘美な罠にサクヤは身体ごとどっぷりと浸かった心地になる。
 だが、片付けを終えてしまっているのなら、今更道に迷ってはいなかったなどと打ち明けても迷惑が掛かるだけだろう。
 今はその誘いにのるほうが賢明なはずだ。
 サクヤはそのように思考を切り替えて、少年の足並みを追いかけ始めた。
 そうして自らドツボにはまっていくサクヤだった。
 ――もう、認めるしかありませんわね……。そう、これは恋なのですわ……!
 サクヤは赤らんだ顔で少年の顔を見上げつつ、思った。
 ――やっと、見つけましたわ。わたくしの運命の人……。

――

 その後、歩きながら互いの自己紹介を済ませ、魔導協会の前で少年と別れた。
 名残惜しくもあったのだが、同時に、今にも破裂せんばかりの心臓に、音を上げてしまいそうだったサクヤは少し足早に立ち去ったのだった。
 気づけばサクヤは宿に着き、ベッドにうつぶせになって突っ伏していた。
「…………シアン様――」
 焦がれる想いで彼の名を呼んでは枕に顔を埋める。
 その顔は上気して真っ赤になってしまっている。
 心音は手を当てたりしなくても分かるくらいに激しく脈打っている。
 サクヤは幾度目を瞑っても眠ることが出来ないでいた。
 目を閉じると少年の笑顔が、思い出される。
 その度に、はぅー……、と呻き声が溢れてしまう。
 ――眠れるわけがありませんのっ!
 サクヤは布団をはねのけ、《演算魔導具》の《旅の栞(ログ・ストック)》を起動した。
 ブィン……、という起動音がして、明かりのない暗闇を青白い光が飛び交うのを見つめる。
 サクヤはカタカタ……、とそこに文字を打ち込む。一心不乱になって打ち込み続けた。
 消化できない想いを叩きつけるかのように、サクヤは思いの丈をぶつけた。

 ……その部屋からは、日が明けるまでずっと小さなカタカタ音が続いていたという。

第三話『氷楔のサクヤ』②

 音のない世界だ。
 視界に映る全てのものは静止している。動く者はいない。
 シアンはそこで腕を動かした。左手を突き出し、右手を引く。すると、弓がしなり、ギチギチと腕を震わせようとする。
 それを押し留めると、深く息を吐いた。鼓動は静かに脈打っている。
 矢の切っ先を的へ向ける。切っ先は鼓動に合わせてゆっくりと揺れている。
 シアンは呼吸を止め、集中を更に高める。すると矢はぴたりと静止し、まっすぐに的を指す。
 次に空気を見る。木々の葉は揺れない。完全な無風。
 距離を考え、矢の向きをやや上向きに調整する。
 そして、射た。
 感触で当たりを確信し、シアンはひとつ息を吐いた。
 これで射た矢の数は十一本。全て撃ち尽くした。
 的の中央に描かれた赤丸の真ん中に十一本、全ての矢が刺さっていた。
 精度に関しては、問題ないだろう。
 強いて問題を挙げるとするならば……。
「早さと威力ね。速度変化って手もあるけど」
 回答を述べたのは少女の声だった。
 魔導士フラム。通称『劫火のフラム』。
 シアンが騎士として務めている魔導士であり、現在は魔導具の扱いにおける師匠のような役割を担っている。
 だがしかし……。
「精度の特訓を指示したのは君のほうだろ、フラム」
 そんなシアンの不満気な発言も意に介さずに、フラムは自らの思考に没頭する。
「精度だけは使い物にはなるみたいね。けど、実戦でそんな悠長に射る暇があると思ってんの? 人間にしろ魔物にしろ相手は動いてる訳だし、挙動を予測できるとも限らない。だったら射るまでの早さと、命中箇所に依存しないだけの威力は、必須項目でしょ?」
 話を聞かないフラムに、シアンは僅かに苛立って声を荒げる。
「だから、そうしろって言ったのは……」
 しかしフラムは言い終わるのを待たない。
「少しは考えて行動しなさいよ。アンタは犬なの? 命令されなきゃ何もしないの? 何も出来ないの? 課題があると分かってるならさっさとそれを克服しなさいよ! 《至高の魔導具》が、そんな甘っちょろい代物だとでも思ったの……?」
「ぐっ……!」
 言い返せない自分が悔しい。シアンはぐっと拳を強く握った。
 だが、確かにその通りなのだった。シアンとフラムが目指すものはそんな簡単に到達できる領域には存在しない。遙か向こう、輪郭すらおぼろげなくらいに手が届かない場所にあるのだ。
 それは《銅級魔導士》のシアンにとっても、そしてそれより更に格上である《銀級魔導士》のフラムにとっても、遠い、遠い存在なのだ。
「どれ、ちょっと貸してみなさい」
 言うと、フラムはシアンの弓をもぎ取ろうとしてきた。シアンはというと思わず手を引っ込め、それを回避したのだったが、フラムのほうはその眼に薄ら笑いを浮かべている。
「良い度胸ね……、褒めてあげる。けど、必ずしも褒められた行動じゃあないってことも、理解してるのかしら……?」
 フラムの、美しい少女の顔に影が浮かび上がる。眉間に皺が寄り、目尻が吊り上がり、鬼の形相が出来上がった。
「し……、失礼しましたぁぁあああああ!!!」
 街外れの薄暗い森で、少年の絶叫がこだましたのだった。

――

 日課の店番を学校の課題を言い訳にして辞退してきたカイウスは、魔導協会前の大通りのベンチでくつろいでいた。
 目的は課題などではない。そんなものをカイウスはやらない。未来の決定しているカイウスには勉学は面倒ごとでしかなかったのだ。
 卒業さえ出来ればあとのことはどうとでもなる。だから学業は疎かにしている。
 ならば彼が今ここにいる、その目的とは何なのか。
 もちろん休息ではない。人間観察でもない。残念ながらカイウスにはそんな真っ当な趣味はない。
 カイウスの目的とは単純にして明快。シンプルにしてクリーン。

 つまり、ストーキングである。

 あの小さな身体から滲み出る気品。小さくて華奢な手足と透き通るような白い柔肌。幼さを強く残した美しい顔立ちと凜々しい瞳。その子供らしい挙動と良く通る声。見たことない異国の服をその小さな身体に身につけた可憐なシルエット。
 昨日見たあの異国の美少女はどこにいるのだろうか。
 彼女の言動や装身具から、魔導士であると当たりを付けたまでは良いものの、押しつけられた仕事もあったため、そこで追跡を諦めざるを得なかったのだ。
 なので魔導協会大扉の正面で待ち続けているのである。
 もしこの姿をカイウスの父に見られたなら、面倒なことになるのは間違いないだろうが、それよりも優先すべきことがあるのだ。
 ――分かってくれ、親父……。
 カイウスは胸の内でそう、こっそりと呟いた。
 男には、他の何を犠牲にしてでもやらなければならないことがあるのだ。
 たとえその手段がストーキングであったとしても、だ。
 カイウスは街並に溶け込みつつも、視線はさりげなく魔導協会の出入り口を押さえていた。
 ――課題を言い訳に、二、三日くらいは張り込んでやるぜ……!
 カイウスは下卑た笑いを押さえ込むと、手にした本へ顔だけを向けていた。

――

 魔導協会内にはサクヤの姿があった。
 サロン・ギルド間を行ったり来たりしつつ、その人影を追う。がしかし、目的の人物は見受けられない。
「シアン様はどこにいらっしゃるのでしょう……?」
 先日案内してもらった際に聞いておいた名前を口に出しつつ、その姿を探していたのだが、一向に見つからないのだ。
 もしサクヤが思い人を探すためとはいえ、ストーカー紛いの行動を取っていることをサクヤの父が知れば、どれほど激昂するだろうか。想像し、サクヤはその細い肩を震わせてしまう。
 貴族としてあるべき姿とは、思い人にうつつを抜かすようなことではない。
 全ての平民たちの、規範とならなくてはならないのである。
 それは、鋼のように堅い自制心と、氷のように研ぎ澄まされた理性と、炎のように熱い向上心を併せ持つということだ。
 ――だけど、分かってくださいませ、お父様……。
 サクヤは胸の内でそう、こっそりと呟いた。
 女には、他の何を犠牲にしてでもやらなければならないことがあるのだ。
 たとえその結果がストーキングであったとしても、だ。
 ――わたくしは、貴族である前に、一人の女なのですわ。だから、わたくしは間違っておりませんの!
 魔導協会にシアンの姿はなかった。ならば昨日逢ったあの街外れにいるはずだ。
 そう思い直し、フラムは協会の大扉を開けた。
 通りを抜けつつ、サクヤは奇妙な視線を感じていた。が、特に気に留めるようなことではない。
 貴族が、そして美しい女性が、世間から注目を浴びてしまうのは仕方のないことだ。
 そのような羨望の眼差しを、不快がっていては余計なひんしゅくを買ってしまうだけだ。
 サクヤはその視線から隠れようとはせず、むしろ注目を浴びるように両手を広げ、優雅に歩いてみせた。
「さぁ、どうぞご覧になってくださいませ! これが恋する乙女の華麗なストーキングでございますのよ!」
 その発言にどよめく民衆を、サクヤは涼しい顔で受け流していた。
 サクヤが歩き去ったあとには、呆気にとられる住民だけが残されていた。

 また逢えるかもしれない。
 そう考えるだけで、サクヤは高揚する想いを押さえきれなくなっていた。
 なんだか妙にそわそわして、自然と早足になってしまう。
 顔は火照り始めるし、鼓動はどんどん早くなってゆく。
 昨日彼がいた場所まではまだ少しある。その距離は街から五分も歩かないくらいだろう。
 だというのに、その距離が果てしなく長く感じる。
 地脈が歪み、道が永遠に続いてしまっているかのように遠い。
 一歩一歩がどうしようもなくもどかしい。
 そんな思考を幾度か繰り返し、ようやくその空間のすぐ手前まで到達した。
 あとは、あの木陰まで到達すれば、そこに彼がいるのかどうかを確認できる。
 そう思った瞬間だった。
 今度は恐怖が胸をよぎった。
 逢ってしまっても良いのか? そんな問いが胸の内に生まれる。
 もちろん、逢って良いに決まっている。
 だがしかし。躊躇してしまう。
 髪は乱れていないか。服装に汚れは付いていないか。襟や裾が不自然に折れ曲がったりはしていないか。サクヤは念入りにチェックをする。
 ――だいじょうぶ。だいじょうぶですのに……。
 心臓がドクンドクンと高鳴り続ける。一歩が今度は果てしなく重い。
 どうにかにじり寄り、サクヤはその一歩を踏み出した。
 そして、木々の影から、人影を見つけた。
「シアンさ……」
 言い掛けて、止まる。
 そこにいたのは二人だった。
 一人は青髪の少年シアンだ。
 そしてもう一人、金色の髪の女が一人。
 シアンを組み敷くように両手で押さえ込もうとしていた。
 相手が誰かなどということは考えもしない。
 シアンに暴力を振るう女を成敗する。
 それは貴族であるサクヤに課せられた使命だ。
 そして、女であるサクヤに託された天命なのだ。
「離れなさい! この不届き者ッ!!」
 サクヤは杖を振り、魔導具を起動した。
 その魔導杖の先端に輝く魔導石が、淡いブルーの光を溢れさせていた。

――

 今でこそ《銀級魔導士》として名を馳せているフラムだが、そんな彼女にも修業時代というものがあった。
 魔導具の扱いを師事してくれる者の元で、フラムは修行に明け暮れていた。
 時に厳しく時に優しくフラムを導いてくれた師匠と、幼く未熟だったフラム。そして、師匠の娘であった同い年のサクヤ。
 フラムの思い出せる幸せというのは、そんな情景だった。
 師匠と、フラムと、サクヤは魔導具の研究や修行を連日行い、その技術を高めていた。
 師匠は誰よりも強かった。フラムなど足下にも及ばなかった。そんな彼に褒めてもらえることがフラムにとって何にも代えられない喜びだった。
 そんな生活の中、フラムを睨み続けていた眼があった。
 それがサクヤだった。
 フラムを一方的にライバル視し、何かと食い掛かってくる少女。
 そんな彼女を妹のように可愛がっていたつもりだったのだが、サクヤのほうはそれを快く思っていなかったらしい。
 旅立ちの際、絶対に打ち負かしてみせる! などと意気込んでいたその姿は今でも鮮明に思い出すことが出来た。
 そして、その顔が今、目の前にいた。
「サクヤ……?」
 フラムが細い声で、そう呟くと、向こうもそれに気づいたのか同じようなリアクションを見せる。
「……フラム、ですの……?」
 その声は耳に馴染んだあの声だった。特徴的なお嬢様言葉は他に類を見ない。
 だが、同時に疑問も浮かぶ。
 何故、今、ここにいるのか。
「ちょっと待って。なんでアンタがここにいるのよ。屋敷はどうしたの? きちんと許可は取ったんでしょうね?」
 そうフラムが問うが、サクヤはその言に答えようとしない。
「……あなたがそんな方だとは思いませんでしたわッ! フラムッ!! こんなひとけのない場所で強猥など有り得ません! たとえお天道様が許したとしても、このわたくしが許しませんわッ!!」
 きょうわい……?
 しばらく悩み、それが強制猥褻の略だと気づき、フラムは途端に顔が赤くなる。
「ばッ、ばばばばばば、バッカじゃないのッ!? ちゃんと見なさいよ! どこをどう見たらそう見えるの!? 良い!? あたしとシアンは全ッ然、そんなんじゃないんだからねッ! 勘違いも程々にしときなさいよ!」
 そう言い、フラムは今の体勢を客観的に見てみる。
 フラムはシアンの両腕を押さえ込み、押し倒した状態で馬乗りになっている。とりあえずマウントを取り挙動を封じた上で弓矢を取り上げようとしていたのだ。
 魔導士として、魔導具を手放さないことは優れた魔導士の証でもあるのだが、フラムの騎士であるシアンがそこで抵抗したという事実がフラムにはどうにも耐えられなかったのだ。
 つまり、この体勢には並々ならぬ事情があり、サクヤの指摘は的外れもいいところなのである。
 ――あたしの『妹』なら、それくらい察せるわよね……?
 対するサクヤはじっくりとその光景を眺め、そしてはっきりと断言した。
「どこからどう見ても完全な強姦ですの! フラム……。このような形で決着をつけるのは不本意ではありますが、『姉』として慕っていたあなたを、討たせていただきますわッ!!」
 ――この、バカ……ッ!
 そのときフラムの頭の中で何かがプツンと、はちきれた気がした。

――

 率直に言って、シアンにはもう状況が把握できていなかった。
 フラムがシアンの《蒼穹の風弓》に手を伸ばしたので、それを思わず拒んでしまい、それにフラムが腹を立てていた、はずだ。
 そこでフラムに押し倒され、馬乗りになられ、フラムがシアンの持つ魔導具へ手を伸ばした、というところだった。
 シアンはというと、その小さな身体から発せられるとんでもない馬鹿力に組み敷かれ、かつ、その長い金髪がしなだれかかるように降りてきて鼻をくすぐり、しかもそこから漂うフラムの匂いに頭が少しぼうっとしていた。
 ――妹のシリアといい、昨日会ったサクヤといい、このフラムといい、なんで女の子は良い匂いがするんだろう……。
 なんて、少し呆けていたときだった。
 突如現れたサクヤが何故かフラムに戦いを挑み、シアンはそんなフラムに付き合わされる羽目になった。
 ――どうしてこう、こいつはトラブルばかり呼び込むんだよ……ッ!
 恨めしく思って半眼で睨んでも、フラムは意に介さない。
 シアンはやれやれと思いつつ、フラムの差し出した手を取って立ち上がった。
 それを見ていたサクヤがみるみる青い顔になってゆく。
 病気だろうか、と声を掛けようとするシアンだったが、
「そんな……手を、つ、繋ぐだなんて……。ま、まさか……相思相愛……? いえ、そんな、嘘です……!」
 サクヤは何かうわごとのように呟いていた。そしてぷるぷると震えた後、魔導石が填められた杖を掲げて声高に叫んだ。
「し、シアン様を賭けて、……勝負ですわ! け、けけ決闘ですの!」
 正直、意味が分からなかった。
 だが、フラムはそうでもなかったらしく、
「決闘……、アンタその意味、分かってんでしょうね……?」
 などと、驚きつつも怒気を孕んだ気配を漂わせる。
「も、もちろんですわ! シアン様! ご安心なさいませ! このサクヤがフラムの毒牙をへし折って差し上げますわッ!!」
 それを聞いたシアンのほうは逆に鳥肌が立ってしまう。
 何故なら、そんな言葉を聞いたフラムがどんなリアクションを取るのか、もうシアンには手に取るように分かるからだ。
 メリメリと音が鳴るほど強く握られた拳。ギリギリと音が鳴るほど噛み締められた顎。
 フラムの顔色を窺うまでもない。そこには女神も裸足で逃げ出すような形相のフラムがいる。
「……《結線開始》。炭屑にしてあげるわ!」
 フラムの発声と同時に、《結線》が開かれる。フラムにはシアンの、シアンにはフラムの、魔導具の力が流れ込んでくる。
 それを見たサクヤがブチィ! とほっぺたの肉を噛み千切って激昂する。その心境はシアンには皆目検討もつかないが。
「《結線》ですのッ!? 許しませんわ! 許しませんわ! 許しませんわァァアアア!!」
 《結線》という言葉に過敏に反応したサクヤが迎え撃つように身構えていた。
 魔導杖の先端が光を解き放つ。
「……『大気よ、震え! 空よ、凍り付け! ……お眠りなさい!』」
 サクヤが叫び、文言を唱える。
 ――詠唱……!?
 シアンは驚愕と警戒から、一歩引き下がってしまう。
 魔導具の中には、高い集中を必要とするものがある。
 魔導具の操作に集中するため、キーとなる詠唱を必要とするのだ。
 フラムもシアンも、詠唱を用いない魔導士だが、それはどちらかというと少数派であり、大火力の魔導具を使う魔導士ならば、誰もが詠唱をする。
 それは即ち、サクヤの魔導具が大火力の魔導具であることを示唆していた。
 シアンが回避を頭に浮かべた直後、頭上に影が出来上がった。
「《氷結咲花》!!」
 咄嗟に反応できないシアンを、フラムが蹴りで吹っ飛ばし、その合間に巨大な氷塊が墜落した。
 砕けた氷が、飛礫となり二人に襲い掛かる。
 シアンのダメージは大したものではなかった。多少の打撲はしたものの、戦闘に支障が出るほどのものではない。
 フラムのほうも同様だった。
 しかし。
「先手を打たせたのはまずかったかもね……」
 と、フラムは珍しく怯んだような声を出した。
 それを聞いて、サクヤは更に調子づいたようだった。
「ふふん。これもわたくしの愛の力故ですわ。さぁ、跪くのです! フラム!!」
「勢い付くのは早すぎるんじゃないの……?」
「な、なんですって! クッ! 『氷よ……。集いて束ね束ねよ!』」
 サクヤの魔導杖が煌めき、周囲の氷が再び魔導力を帯び始める。だが……、
「遅いッ!《廻天劫火》ッッ!!」
 両腕を旋回させたフラムが爆風を巻き起こす。
 集まりかけていた冷気は拡散、昇華し、消えてしまう。
 水蒸気がシュゥゥ……、と湯気を残して舞い上がってゆく。
 その光景をサクヤは悔しげに見つめる。
「くぅ……、やっぱりわたくしでは敵いませんの……? ……こうなったらッ!」
 サクヤは杖を構え、魔導力を集中し始めた。だが、その質は先程とは段違いだ。
 魔導力を束ねるだけで、サクヤは随分と疲弊しているようにすら見える。
 それだけの消耗。即ちそれは、それだけの威力の魔導術ということなのだろう。
「ふんッ! バッカじゃないの!? そんな大火力を溜めるだけの時間を、このあたしがあげるとでも思ってんの? シアン! 潰すわよッ!!」
「容赦ないね」
 僅かに非難めいた視線を向けるシアン。
「悪い!?」
「……いいや」
 フラムの迫力ある返答に、シアンは萎縮してそう返すしかなかった。
「初めの一撃で結界陣を作れなかった時点で、アンタの敗北は決定事項よ! シアン! 援護しなさい!」
 フラムはそう言うと、起動したままの魔導具に、更に力を注ぎ始める。青い燐光が魔導石から溢れ出る。
 そして、その力を近接で解き放つために、フラムは走り始める。
 援護とはつまり、フラムへ向かう攻撃の阻止か、あるいはサクヤへの牽制攻撃を指しているのだろう。
 だが。
 サクヤの幼い面構えを見てしまうと、どうにも攻撃の意志を削がれるものがある。
 ――この子も、シリアと同い年くらいかなぁ……。
 などと考えていると、フラムの檄が飛んでくる。
「なにサクヤなんかに見惚れてんのよ! このバカシアン! ロリコン! ペドフィリア!!」
「そんな……シアン様ったら……ッ!」
「見惚れてないし! ってかペド……?」
 何やら難解な言葉まで並べ立てられて罵倒されたシアンだった。なんとも腑に落ちないのだが、今更フラムの言動を責めても仕方がないし、諦めることにする。そして、サクヤも何故か顔を赤らめているし……。
 仕方なく弓を番えるシアンだったが、そこでサクヤが「あぁ……射止められてしまいますわ……」などと恍惚とした表情で言うので、ますます困惑する羽目になった。
 そうこうしているうちに、フラムはサクヤに接近し、その右腕に集中させた魔導力を爆散せんとしていた。
 肩を回して振りかぶり、繰り出された細腕による豪腕(おかしな表現だが)は、しかしサクヤには当たることはなかった。
 代わりに、
「ごふっ!」
 という無駄に太い声が痛々しく響いたのだった。
 呆気にとられたのはフラムだけではない。サクヤもきょとんとしていたし、シアンも唖然としていた。
 フラムの拳を受けて吹っ飛んだのは年の割にガタイの良い少年だった。
 名を、カイウス=アルカンスタと言う。
 シアンの幼馴染であり、魔導商店の店主の息子にして、ろくに働こうとしない不真面目人間。
 そんな彼が何故、こんなところにいるのか。そして何故フラムの拳を受けたのか。っていうかなんでそんな恍惚とした表情で、受けた右頬をさすっているのか。
「カイウス……?」
 シアンがそんなふうに怪訝な表情を向けると、カイウスは起き上がりながら滴ってきた鼻血を拭う。そして、豪快に頭を下げた。そして叫んだ。

「あ り が と う ご ざ い ま す ッッ!!!」

 ……………………。
「「「は?」」」
 見守る三人が一様に首を傾げていた。
 彼を良く知るシアンですら、疑問を抱かずにはいられないのだ。彼を知らないフラムやサクヤにはさっぱりだろう。
 そんな中、ようやく顔を上げたカイウスがシアンに向き直った。なにやらご立腹のご様子だ。
「……シアンよぉ。オレは悲しいぜ……」
 何か喋り始めた。
「お前だけはモテないと……、お前だけはいつまでも独り身だと……、お前だけは非リア充を貫くもんだと……、そう信じていたっていうのに……」
 酷い言いぐさだが、今更なので良しとしよう。というか、何故シアンの周りにはこんな酷い人物ばかりなのだろうか……。少し自らの不幸を嘆きたくなったシアンだった。
「美少女二人がかりで組んず解れつってなぁ、どういう了見だよッ!!」
 それは完全に言いがかりだし、そのうえ酷い勘違いだった。
 だが、最悪なことに、カイウスは真性童女趣味なうえに想像力が豊かではない(妄想力はあるのだが、それとは似て非なるものだ)。なので、思い込みが激しいきらいがある。
「オレの愛するスウィートハニーを穢した罪、その身体で贖ってもらうぜ」
 カイウスはそう言うと、腰から剣を抜いた。
 《海賊曲刀》。近接型魔導具のひとつだ。
 近接型の魔導具なんてものは、基本的に主力武器ではないのだ。
 何故なら威力も効果範囲も遠隔型には遠く及ばないし、相手に近寄るということはその分反撃のリスクや予期せぬダメージを負いやすいからだ。
 だから普通は余程の自信がない限りは使わない。せいぜい護身用として小型のものを持ち歩く程度だろう。
 だが、カイウスのように体躯に恵まれている場合、そして使いどころを誤らない限りは、そんな近接型でも充分な脅威になり得る。
「良く分からないけど、お呼びみたいよ、シアン?」
「うぅ……、僕だって意味分かんないよ……」
 フラムが一歩退いたので、仕方なくシアンは護身用だったナイフを構える。すると、魔導石が仄かな光を放つ。
 正面にはカイウスが、《海賊曲刀》を悠々と構えている。
 刃渡りの長さだけでもシアンのナイフの2,5倍はある。まるでナイフが木の枝か何かに見えてしまうくらいだ。
 ――こんなの無理に決まってるよ……!
 くわっ、とカイウスが肉薄してくる。遅れて振り下ろされる鋭い斬撃。
 シアンはナイフを盾にして必死に逃げるしか出来ない。
「わ、うわわわ!」
 全身の力を使って耐えるものの、身体は大きく揺り動かされ、恐怖が足を縛り付けてゆく。
 斬撃がナイフにぶつかるたびに剣戟が響き、それが全身の骨を振動させる。
 もしこの刃が身体に当たってしまえばどうなるか。考えるだけで思考など停止してしまう。
 シアンは斬撃のたびに思わず目を瞑ってしまっていた。
「何やってんのよ! シアン! もう見てらんないわ! どきなさい!!」
 いきり立つフラムの声が聞こえたかと思うと、斬撃は止んでいた。
 代わりにフラムの拳がカイウスに突き刺さる。
「あ り が と う ご ざ い ま す ッ!」
 食らうカイウスは何故かうっとりとした表情をしている。
 そんな彼の様子を気にも留めずに、フラムは振り返ってシアンを見た。
「まぁ、やっぱりって感じだけど、アンタは接近戦ムリね……。とりあえずは遠隔で攻めて」
 そう言うと、フラムはカイウスをボコ殴りにする。
 そこで気づくと、サクヤが再度詠唱を始めていた。
 フラムはこれに事前に気づいて、動いていたのだろう。
 普段はその言動ゆえについつい忘れがちになるのだが、フラムはこう見えてプロで、しかも凄腕の魔導士だ。
 その事実は、シアンに重くのしかかる。
 シアンには、魔導士として致命的な欠陥があるのだ。
 それは、恐怖すると身動きが取れなくなる、ということだ。
 フラムによると、集中すると足が止まってしまう習性がある、とのことだがどちらにせよ、やはり接近戦は不得手だ。
 かといって相手から離れたとしても一対一では勝負にすらならない。恐怖が足を縛り付け、致命的な隙を作ってしまうからだ。それは距離をおいての遠隔攻撃の撃ち合いでも、救いようのない弱点となっていた。
 ならば誰かと組めば良いと思った。だがそれも難しかった。
 何故なら魔導士のほとんどが中~遠距離戦を得意としているためだ。身動きの取れないシアンは真っ先に狙われ、潰されてしまう。大火力メインの魔導士には牽制攻撃が出来ないからだ。
 だからこそシアンは魔導士として、欠陥品だった。
 一人では何も出来ず、仲間がいても足を引っ張るしか出来ない。
 シアンはずっとそう思っていた。
 フラムだけだった。
 シアンを認め、シアンをサポートし、その上でシアンの力を引き出すことの出来る存在は、彼女だけだった。
 そんな彼女に報いるため、シアンはサクヤへ弓を向ける。
 サクヤの夜色の瞳がシアンを見る。僅かに目が合ってしまう。
 シアンは後ろめたい気持ちになって、思わず目を逸らしてしまった。
 やはりサクヤは狙えない。狙うとするなら……、
 シアンは照準を一点に集中させる。
 威力ではない。早さだ。そしてタイミングを見定めるのだ。
 シアンは矢を引いて、その瞬間を待つ。
 そして。
「これがわたくしの奥の手ですの! 《雪月花(せつげつか)》ッ!!」
 瞬間、シアンの周りに冷気が生まれる。先程作り出した氷塊が、シアンの周りに六個ほど作られようとしている。
 その精製は瞬時に終わることだろう。
 だが、シアンにはそれがゆっくり見える。
 そして音が消える。
 フラムの特訓のお陰か、集中すれば無意識的に発動するようになってきたシアンの能力だ。
 そして矢をぐぐぐ……ッと引き絞る。
 魔導具は魔導術として行使される際、身体と魔導具が直結している必要がある。
 つまり魔導士は、魔導具と直接肌で接している必要がある訳だ。
 それが出来ない場合、術は原型を保てなくなり、霧散する。
 これだけの大火力であってもその理屈は変わらない。
 ならば狙うには、術者よりも好都合な場所がある。
 魔導具だ。
 サクヤが持つ魔導杖。そこに衝撃を与え、魔導具を手放させれば良い。
 サクヤの右手から僅かに離れた柄の部分。そこに狙いを定める。
 風が矢を中心にして渦巻いている。
 その風を感じながら、シアンは矢を放った。
 矢は風を受け加速する。重力に負けることもない。グングンと速度を上げ、サクヤの魔導杖にぶち当たった。
 その衝撃にサクヤが顔を歪ませる。
 杖は簡単に弾き飛ばされ、魔導力の通う証である青い燐光も消え失せてしまう。
 それと同期するように、シアンの周りに漂っていた冷気も掻き消える。
 そこまでが僅か一瞬で起こったのだった。
 杖を落とされ呆然とするサクヤ。カイウスをぶっ飛ばしてガッツポーズしているフラム(シアンのことは全く気にかけていなかったらしい)。そして何故か悦に浸った顔で仰向けに倒れているカイウス(ちなみに顔中青アザだらけだった)。
「ふんッ! あたしたちに喧嘩を売ろうなんて十万光年早いのよ!!」
 などと、フラムは得意げに平たい胸を張っていた。
 シアンはというと、
 ――十万光年早い……ってどういう意味だろう……?
 と首を傾げていたのだった。

第三話『氷楔のサクヤ』③

 日の沈み始めた砂利道には、すでに充分な暗がりが充ち満ちていた。
 そんな中、ドサッと崩れ落ち頭を垂れる少女がいた。
 氷楔のサクヤ。
 青色の豪奢な和装に身を包んだ黒髪の美少女だった。
 かんざしが斜陽を受けて赤く煌めいていた。
 少女は地面へ突っ伏したまま慟哭するように叫んだ。
「どうして!? どうしてですのッ!? 答えてくださいまし! フラム!!」
 その言葉には目的語はなく、見守るシアンにはその真意は計り知れない。
 フラムのほうはどうなのだろう、と顧みるも、その顔はどちらとも取れない無表情だった。
 あえて表情を作るまいとしているからか、それとも作るべき表情が見当たらないからか。……ここでは第三の選択肢、表情すら作ろうとしていないは除外しておこう。
 何故ならシアンには、フラムのその顔が少しだけ悲しそうに見えたからだ。
 それは表情というよりは、仕草や気配、といった類のものだろう。
 そんなものを纏ったフラムは、視線だけをサクヤへ向けて静かに言う。
「……それは、シアンのこと? それとも、…………《師匠(マスター)》のこと?」
 サクヤはそれに即答する。
「両方ですの!!」
 そんな答えにフラムは破顔して、そのまま嘆息する。
「……シアンはあたしの《騎士》よ。パートナーなの。アンタの一目惚れ相手を奪うようで可哀相だけど、売約済みなんだから諦めなさい」
「……えと、僕の人権は……?」
「は? 犬に人権とか……(笑)」
 シアンが口を挟むと、なんかとんでもない言葉が出てきた。
 フラムはクスクスと可愛らしく笑っているが、シアンはというと背中から嫌な汗が噴き出るのを感じていた。
「……では、お父様は……?」
 サクヤが力なく問いかけてくる。
 シアンには事情は理解できないのだが、サクヤの父には何やら切羽詰まった事情があるらしい。
「あたしが出て行ってから、どんな事態に陥ったのかは知らないけど、たぶん面倒なことをしでかしたみたいね、その様子だと」
 フラムがそう言って促すと、サクヤは涙を一粒こぼしてしまう。
 細い肩を震わし、思わず庇護欲を刺激されるシアンだったが、すんでの所で踏み留まった。
 妹がいるせいか、どうにも小さな子に弱いシアンだった。
「……お父様は弟子をほっぽり出して旅に出てしまわれましたわ……」
 それを聞き、フラムは少し困惑しつつ、訊ねた。
「それは、死んだってことの比喩じゃないのよね……?」
 ぞっとしつつそんな言葉を聞いていたシアンだったが、サクヤはそれに頷いた。
「当然ですわ。あのお父様がそう簡単に亡くなったりは致しません! ……むしろ元気すぎたのですわ」
 しゅんとした様子で、サクヤは小さくなる。
「なるほど……。つまり、文字通り旅に出たって訳ね。そして理由は……」
「問うまでもありませんわ」
 そこはシアンにも推測が出来た。
 《至高の魔導具》だ。
 サクヤも、その父でありフラムの師匠であるそのマスターとやらも、そしてフラムも、もちろんシアンも。
 求めるものは一つしかない。
 自らの望みを叶える究極の魔導具。
「貴重な情報ありがと、サクヤ。アンタも戦うつもりならいずれどこかでまた会いましょう。その時は、敵として。本気で。潰し合いましょう」
 フラムはそう言うと、フーデッドローブを翻し、街のほうへ歩き始めてしまう。
「ちょッ! 待ってよ!」
 慌てて追いかけるシアンの腕を掴んで、フラムはそのまま突き進んでしまう。
 後ろ目に見ると、そこにはうずくまったままのサクヤと仰向けに倒れたままのカイウスがいた。
 なんとなく放っておけなかったのだが、フラムの腕力が凄まじく、僅かな抵抗は完全に無力だった。

 ズルズルと引き摺られるのをやめ、日が暮れ始めた大通りをフラムと二人で歩いていた。
 しばらく歩いていると、フラムが思い出したように口を開いた。
「そういえば、シアン。アンタ、速度変化、出来たじゃないの」
 速度変化。というのは矢に風を纏わせて、速度を上げたことだろうか。
「あたしの特訓が効いてきた証拠ね~。ねね、次はどんな特訓がいい?」
 急に表情を変えるフラムに思わず、シアンの心臓がドキッとしてしまう。
 ――いきなり笑うのはズルイと思う……。
 しかもその笑顔はとびきり可愛かった。
 シアンはついつい顔を背けて、素っ気ない返事をしてしまう。
「べ、別に……あんなのはまぐれだよッ! あと、特訓はラクなのがいい」
 言うと、フラムはにへら~、と笑って身をよじらせる。
「くふふ、次はどんな特訓にしようかな~。アレも良いなぁ~。あ、でもコレも良いかも~」
 すごい魅力的な笑顔なのだが、そこに何故かそこはかとない恐怖を感じ始めるシアン。
「ね、ねぇ! ラクなのだよ!? キツイのはやめて! お願いだからッ!!」
 全力で懇願するシアンだったが、フラムはそれを慈愛顔で見つめている。
「え~? どうしよっかな~?」
 やめて! お願いだから虐めないで!! ……そんな声が夕空に吸い込まれていった。

――

「わたくし、失恋してしまいましたの……?」
 うずまったまま、サクヤは動かなかった。
 その場には、サクヤとカイウスだけが残されていた。
 カイウスは呆然としたまま、彼女のことを好きなのだと、改めて思ったのだった。
 小さな肩を震わせ、まつげには今にもこぼれそうな涙が乗っかっていて、カイウスはそんな彼女を抱きしめてやりたくて仕方がなかった。
 けれど、それは出来なかった。
 何故ならその役割は、カイウスのものではないのだと思ったからだ。
 あの肩を抱くべき人間はきっと……。
 そう思うと、カイウスの胸には、堪えきれない想いがふつふつと沸き上がってきた。
 それは胸の中でどんどん膨張していって、破裂せんばかりに膨れあがっていた。
 そんな思いのままに、カイウスは胸の内をサクヤに告げた。
「あいつが、君を守らないのなら、オレが生涯、君を守り続ける。オレはそれを、誓うよ」
 言ってみて、随分ととんでもない台詞だと思ったが、今更止まることも出来ない。
「オレは君が好きだ。初めて見かけたときから好きだった。だから、君を守りたいんだ。君の涙を、止めたいんだ。そのためなら、オレは何だってやる。何だって出来る」
 そう言うと、サクヤはびっくりしたように背筋をピンと伸ばし、そして視線が交錯した。
 その顔は、やはり、泣いていた。
 だが、その表情は、悲しみとは少し違う色合いを見せている。
 すると、サクヤは目元を拭って、苦笑した。
「……ふふ、おかしな殿方ですの」
 そんな笑顔を見て、カイウスは決意を新たにしたのだった。
 ――オレは彼女を守りたい。そのためなら、他の何だって犠牲にしてやる。
 それは燃えるような熱い決意だった。
 サクヤの氷すら溶かし尽くしてしまうような、激しい想いだった。

――

 フラムと別れ、シアンは家へ帰宅した。
 くたびれた声で、「ただいまー……」と言い、玄関の戸を開け、中に入り、違和感が胸をよぎる。
 その正体はすぐには分からない。だが、どうしようもなく嫌な予感がしていた。
 訳も分からず、シアンは妹の部屋の戸を開けた。いつもより乱暴に。ノックすらしない。
 だが、そこで待っていたのはシアンの無礼を責めるシリアの姿ではなかった。
 シリアが床に突っ伏すようにして倒れていたのだ。
「シリア! おい、シリアッ!! しっかりしろよ! おい!!」
 その細い肩をいくら揺すっても、シリアの反応はない。ただ、荒い息を吐いているだけだ。
 そして、気づけばシリアの顔には無数の汗粒が浮かび上がっていた。
 顔は上気していて、つらそうにしている。
 肩越しに触るだけでも充分に分かった。
 見知った症状だった。
「嘘だろッ!? おい、シリア! シリアァァアアーーーー!!!」

第四話『シリア=リーベッド』①

 青白い空が部屋を照らしている。
 部屋は暮らしている少女の性格そのままといった感じの可愛らしくて素朴な部屋だ。
 だが、その主は今、起き上がることすら出来ない。
 ベッドで横たわるその少女は、高熱にうなされ、息は荒く、身体中の水分を吐き尽くす勢いで汗が噴き出ている。
 シアンには出来ることが何もない。
 その細い手を握ってやるくらいしか出来ない。そして、その手は握り返してくることもない。意識がないのだから、当然だ。
 だが、そんな当たり前のことが、シアンには耐えがたい苦痛を与えた。
 そんなシアンに声を掛ける者がいた。
「シアン。父さんと交代だ」
 その、太くて安心感のする声に、シアンは少しだけ気が緩んだ。
 父に任せれば全てが丸く収まるような、そんな錯覚を与える声だ。
 今は勘違いでも良い。何かに依存してしまわないと、シアンの頭は焦燥感に支配されてしまいそうだった。
「ありがと、父さん。それじゃ、少し外に行ってくる……」
「ああ……」
 父が頼もしく頷いていた。シアンもそれに力なく頷いて返すと、妹の部屋の扉をそっと開いたのだった。

 そんな塞ぎ込んだ気持ちで家の外に出ると、そこにはもはや見慣れた少女の顔があった。
「な~に、暗い顔してんのよ!」
 その顔が、その仕草がなんだか眩しくて感じられて、そのうえ何故だか妹に似ている気がして、シアンは思わず目を背けてしまう。
 その様子を注意深く窺うようにしていたフラムは声音を落として言った。
「ねぇ、……ちょっと付き合いなさいよ」
 そんなふうに言って、シアンの袖を引っ張った。
 普段のシアンならば、付き合うとかそんなこと出来ないよ僕は年上のほうが……、などと返していたのだろうが、今のシアンにはそんな余裕もなく、引かれるままに歩かされることになった。
 フラムに引っ張られる形で辿り着いたのは自宅前にある切り株の前だった。
 フラムはそこにちょこんと座り、足をぶらぶらさせている。
「ほら、アンタも座りなさいよ」
 そんなことを言い、フラムは切り株をぺんぺんと叩いていた。
「えッ……! そこに座るとほとんど密着状態なんじゃ……」
「へぇ……三つ下の妹と同じ年齢の子に興奮しちゃってるんだ……。だったら良いのよ? ……別に、立ったままでも」
 フラムは鼻息荒く勝ち誇った顔をしていた。
 なんだか悔しくなったシアンは、フラムの隣にドカッと腰を落とし、両腕を組んだ。
 顔が火照っているような気がしたが、そんなことは気にしない。気にしたら負けな気がする。
「良く出来ました♪」
 カラカラと笑っているフラムの顔が少し眩しい。
 今のシアンには受け止められない顔だ。いつものように切り返すことも出来ない。
 なので、そのままそうしていたのだが、そこでフラムがぽつぽつと語り出した。
「ねぇ……、アンタ、妹のためならどこまで出来る……? どこまで差し出せるの……?」
 それは随分と本質的な質問だった。
 本当のところを言えば、それはたぶん『何でも』なんだろう。
 シアンは、シリアのためならば何だって出来る。何だって差し出せる。
 元よりそのつもりだったのだ。
 フラムと共に《頂上決戦》に挑むのならば、その大切なパートナーであるフラムすら裏切る。見捨ててやる。そういう覚悟だった。
 それは今になっても変わらない。いざという時、迷わないかと問われるとそこは疑問なのだが、今ならば迷うことなくシリアを選ぶ。それだけは間違いない事実だった。
 シアンは頷いてから、答えた。
「たぶん、何でも。僕の命だって惜しくない。……何ならこの世界だって、壊したっていい」
 妹が笑って暮らせる世界があるのなら、この世界なんて必要ない。
 シアンはそれくらいに思っていた。
「……そう」
 そんなシアンを、フラムは寂しそうな顔で見つめていた。
 シアンは、そんなフラムの顔を見ていたくなくて、目を伏せて俯いていた。
 すると、フラムは「分かったわ……」と言い、続けてこんな話を始めた。
「この前、言ったわよね……。魔導具を使い過ぎると《気》の生産ペースが乱れてしまう時があるって」
 以前のダンジョン・クエストでフラムが語っていた話だ。
 シリアの症状にも似通っていたため、シアンは印象深く覚えていた。
「……うん。けど、シリアは魔導具を使ったことなんてないはずだ。それにもしそんな単純な理屈だったら、とっくに医者が看破して治してると思うんだ」
 細かい理屈は分からない。生産され過ぎた《気》が身体にどんな影響を及ぼすのかなど、シアンには分からない。
 だが、既知の病状ではないのだ。だからこそ治療は長引き、完治には至っていない。
「《先天性命炉渇焼症(せんてんせいめいろかっしょうしょう)》……。そう呼ばれる病があるわ」
 フラムは淡々と説明を続ける。
 その声色は暗く、およそフラムらしからぬ不健康的な声だった。
「それは魔導士ならよくある突発性の《命炉渇焼症》とは違い、常にリズムが狂った状態になる病気なの。体質……、って言ったほうが正しいかしらね。……その体質を持って生まれてしまった人間は、生産されすぎた《気》を昇華できずに体内に溜め込んでしまい、激しい高熱を出す。自分の生み出したエネルギーに灼かれて悶え苦しむのよ。そうやって身を削ってなんとか熱エネルギーに変換して発作を押さえ込んだとしても、生み出される《気》の量はそのまま。結局、命の器を空っぽにするまで燃やし尽くすのよ。これはそういう病なの」
 フラムはそう告げると、目を伏せる。今にも泣き出しそうな顔だった。
「発作が治まるっていうのは何も、生み出される《気》の総量が減ってくるってことじゃないのよ。弁が閉じるという訳でもない。生み出し続けた反動で歯車が空回りしているってだけなのよ。だからすぐに《気》の蓄積は再開される。普通の人ならこうはならないんだけどね。生み出す《気》の量を無意識下とはいえ一応コントロール出来るから。でも彼らにはそれが出来ない。命を焼き尽くすまで燃やし続けるだけなのよ……」
 フラムはそんなふうに語った。
 それがシリアの病の正体なのか……。
 何故フラムがそんな知識を持っているのかは分からないが、もしそうならシリアはかなり危険な状態といえる。もしかしたら一年後の頂上決戦まですら保たないのではないか。そんな懸念すら浮かんでくる。
 そんな予感を、頭を振ることで追いやったシアンに、フラムは優しく告げた。

「それがあたしの身体を蝕んでいる病の正体よ。正式名称、《先天性命炉渇焼症候群》。通称は、《-flame limit-(フラム・リミット)》……」

 一瞬、シアンの思考が停止した。
「な、何言ってるの? フラム……? 君が……、病気……? もしかして……シリアと一緒……?」
 フラムは頷いて、シアンの目を見つめてくる。
 その目は潤い、とても嘘をついている人間の目には見えない。
「シアン。時間が無いわ。今すぐ決めて。妹を救いたい? あたしを救いたい? それともやっぱり自分? あるいは、世界でも救ってみせる……?」
 その質問は突飛すぎてシアンには意図が掴めない。
「な、……どういう……?」
「あたしは世界を救いたい。この病に冒され、死んでゆく人間を見たくない。あたしはそのために願う。そのために《至高の魔導具》を使う。そのために戦う。そう決めたの」
 突然すぎる告白。シアンはついて行けない。
 《至高の魔導具》の使い道? そんなものはシリアを救うに決まっている。
 だが、フラムの願いが叶っても、シリアは救われるのではなかろうか。
 だとしたら奪ってまで、救う必要はあるのだろうか。
 彼女を支え、導いてやるだけで目的は完遂されるのではないだろうか。
「だけど、あたしのやり方は世界しか救えないわ。シリアもあたしも救われない。世界だけを救うの。そんな無様な救済よ……」
「そんな……」
 そんな馬鹿な、とシアンは嘆く。
 シリアを救わないどころかフラム自身も救われないのか? そんな救いでいいのか? もっと良い方法はないのだろうか。
「あの子を一時的にこの世に繋ぎ止めることは今でも一応は可能よ。あたしと同じ方法でね。だけどその代わり、長生きは出来ないわ。保ってあと数年。二十歳になる前に《気》が枯れ果てて死ぬのは確実」
 そうか。救える。一瞬そう安堵した。だが、それは完全な救いではない。今よりも少しマシになるだけだ。根本的には救われない。それではダメだ。シアンはシリアを救いたいのだ。それはたかだか二十年も生きられないような短い生涯ではない。そんな薄幸な人生を与えたくはない。両手に抱えて持ちきれないくらいの幸せを与えてやりたいのだ。そのためには、そのやり方ではダメなのだ。
「もう一度訊くわ。アンタはあの子の為に何が出来るの……? どこまで差し出せるの……?」
「僕は……」
 答えに窮する。
 今までずっと失うことばかり考えてきた。
 《願い》を叶えてくれるという至高の魔導具、《女神の溜息》の名に浮かれて、何かや誰かを犠牲にすればシリアを救えるのだと、シアンはそう考えてきた。
 だが、もしかしたらそれは間違いだったのかもしれない。
 救うとは何なのだろう。与えるとは何なのだろう。幸せとは何なのだろう。
 考えれば考えるほどに、答えは手のひらを擦り抜けてゆく。
 実態を掴めずに、するするとどこかへと霧散してゆく。
「……分からない……。分からないよ……」
 シアンの頬を涙が伝った。
 自分は無力だ。シアンはそれを痛感した。
 《至高の魔導具》などという言葉に操られ、思考を放棄していたのだ。
 シアンが死んで、シリアは幸せになれるのか。シアンが誰かを裏切って、シリアは幸せになれるのか。
 そんな簡単なことにも想像がいかなかった。
 なんて自分は無力なんだろう。そう思うと、シアンは涙が次々とこぼれてきて、そのままむせび泣いていた。
 その肩をフラムが優しく抱いてくれた。
 暖かい。シアンはそう感じた。
 もう感じることの出来ない母の温もりを思い出すような、そんな温かさだった。
「あたしもよ。これが本当に正しいやり方なのかは分からない。でもそれしか思いつかなかった。だから今はそっちに進む。けど、もっと良い道を探すこともやめない。皆幸せになれるなら、そっちのほうがいいもんね! ……だから、さ……」
 気づけばフラムも涙をこぼしていた。
 二人は馬鹿みたいにグシャグシャな顔で抱き合っていた。
「一緒に探そう? 皆が幸せになれる道を……。誰も犠牲にならない世界を……」
 二人はそうしてしばらく抱き合っていた。
 惑乱した気持ちが落ち着いた頃には、どうしてここまで動揺していたのか馬鹿馬鹿しく感じたりもした。
 だが、一人ではないという心強さを、シアンはこの時初めて知ったのだった。

 数分後、シリアの部屋の扉を開くと、父は驚いた顔でされるがままに出迎えてくれた。
 シリアを見れば、その顔は疲労と苦痛に歪んでいた。シアンはギリッと歯を食いしばった。
 彼女を根本から救うことの出来ない自分がもどかしい。
 だが、それでも救う。そうするしかない。
 シアンはフラムを見た。
 フラムはしっかりと頷き、手には魔導具を抱えていた。
 《凪の冷印(カーム・コールド)》。
 その効果は、数ある魔導具の中でもかなり特殊で、《気》の吸収。そして空気中への拡散だ。
 体内で膨張する《気》を集め、外へ解き放つ効能を持つ。
 これを用いればシリアの発作を軽減できる、はずだ。
 そのフラムの言を、シアンは信じる。あるいは縋る、と言ったほうが適切かもしれないが。
 そんな言葉はどうだっていい。
 僅かでも光明があるのなら、今は何にだって縋りたい。
 《凪の冷印》をシリアの手にあてがいながら、フラムは何度目かの問いを投げかけてくる。
「本当にいいの? このやり方は最適じゃない。一時しのぎにしかならないわ。いずれ採算は取られる。跳ね返ってくるのよ?」
 それでもシアンは頷いてみせる。
「分かってる。けど、今はそれしか手が浮かばないんでしょ? それに、今をしのげなきゃ元も子もないよ」
 それが、シアンの出した答えだった。
 フラムと同じやり方で、シリアを救う。だって、それしか分からないのだ。彼女を救う方法が。彼女を救う手段が。
 考えて、考えて、考えて。それでもそれしかないのなら、そうするしかない。
 だから、シアンはそれが一時しのぎであると分かった上で、選んだ。
「頼んだよ、フラム……」
 そんなやりとりを、父はただ見ていただけだったが、そこから何か察したのか、僅かに頷いて言った。
「シアン。迷うことはない。お前がちゃんと考えた上で、出した結論なら父さんも異論はない。細かいことは分からんが、遠慮なくやれ」
 シアンはそんな父の顔を、目を丸くして見上げていた。
 事情も分からず、それでも大事な娘の命運を息子に差し出すだなんて。その心境は一体、どのようなものなのだろう。
 まだ若く幼いシアンには想像すら及ばない。
「……分かったわ」
 と、頷いたフラムは、魔導具、《凪の冷印》を発動させた。
 《凪の冷印》の放つ青い光芒が小さい部屋を照らし上げた。
 《凪の冷印》が起動したのだ。
 しかし、それはフラムの《気》だけを吸い上げ、シリアの《気》は全く吸い上げているようには見えない。
 それも当然だった。魔導具は、アクセスしている人間の《気》しか使わないのだ。意識のないシリアの《気》が消費されるわけがない。
 だが、フラムはそれでも《気》を緩めない。フラムは額に汗粒を浮かべて魔導具を起動し続けている。
「シアン……ッ! アンタも、貸して……!!」
 呼ばれて、シアンもその手に指を重ねる。フラムの温かい指が火照っているのが分かる。
 それは、それだけの力を集中しているからだ。
 集まった《気》が彼女の体温を上昇させているのだ。
 シアンは言われたとおり、腕を貸し、そこに力を注ぐ。
 途端にグイグイと体力が吸われていくのが分かる。
 これは、健常な状態の時に使う魔導具ではないのだ。シアンにとっては体力を吸い上げるだけの、ダメージしか残らない。
 それでも、力を注ぐことをやめるわけにはいかない。
 命を使い尽くすつもりで、シアンは魔導具へ力を注いだ。
「お願い、気づいて……! 力の使い方に……ッ!!」
「頼む、シリア……! 生きてくれ……ッ!!」
 シアンとフラムが何をしているのかというと、それは簡単に言うなら荒療治だ。
 本来、魔導士が魔導具の使い方を覚えるには修行と経験の蓄積が必要である。
 だが、シリアは魔導士ではない。シリアは日常的な魔導具すら使えないのだ。
 魔導具は日常に広く取り入れられているが、それは厳密には、かなり簡易化された《魔装具》と呼ばれるものがほとんどなのだ。
 魔導石を埋め込んだ装飾品や、道具。それこそが《魔装具》である。
 《魔装具》は修行など必要なく手に取れば誰しもが扱える。
 その分、効力や出力されるエネルギーの総量は魔導具には遠く及ばない。
 だが、その魔導具を使うための修行を行う時間など、今は作れる訳もない。
 そして、《凪の冷印》は魔導具なのだ。だからシリアにはまだ扱えない。
 《凪の冷印》に代替する魔装具があればいいのだが、生憎とそれを探している時間などない。
 だからこその荒療治なのだ。
 彼女の身体に馴染ませるように、その間近で魔導具を使用する。
 そうすることで魔導具を使う感覚を、彼女の身体自身に覚えさせようというのだ。
 こんなものは治療じゃない。病人に鞭打って生きろと命令しているだけでしかない。
 そもそも、そんなことが本当に出来るのかどうか。シアンにはそこから半信半疑なのだ。
 だがそれでも、やるしかない。
 方法はそれしかないのだから。それしか思いつかないのだから。
 シリアを救う手段は、現状それしかないのだ。
「シリア……! お願い……ッ!」
「頼む……ッ! シリア!」
 シアンとフラムは、祈るように呟いた。
 もしこの世に神がいるというのなら、この祈りを届けてくれ――!
 そう願ったシアンの耳が、一つの言葉を聞き取った。
「……ぃ、さん……?」
 シリアの口から、僅かに声が漏れたのだ。
「僕だ! 僕だよッ! 僕はここにいる! ここにいるから……! だから……ッ!」
 シリアの目蓋が一度ぴくりと震え、次いでゆっくりとその眼を開いた。
 紫紺色の瞳がシアンを捉えていた。
「……兄さん、…………ごめん、なさい……」
 シリアがその唇を動かしていた。
「わたし、ムリ……してた…………。嘘……、ついてた……。…………ごめん、……なさい…………」
 この期に及んで、シリアは謝罪していた。
 シアンと父についた嘘を。心配させたくない一心で騙したことを。信頼を裏切った事実を。
 こんな時にまで。シリアは他人に気を遣う。
 馬鹿みたいだ。シアンはそう思う。
 自分はこんなに苦しんで、今だって辛くて泣きそうなくせに、なのに相手を気遣う。そんな妹の性質が。
 シアンは身勝手に妹の幸せを想像し、あまつさえそれを押しつけようとすらしていたというのに。
 救いたい。そう思った。
 いや。
 そうではない。そうではないのだ。
 妹は。シリアは。
 救われなければならないのだ。
 生き残らなければならないのだ。
 こんなふうに誰よりも強くて、優しくて、シアンにとって誰よりも大切な妹。
 父にとってもそれは変わらないだろう。
 それ以外の誰かがこれを見ても、同様の感想をもらえるはずだ。
 こんな、弱くて、頼りなくて、身勝手な兄がのうのうと生きていられるのなら。
 これだけ強くて、優しくて、可愛くて、人の気持ちを考えてやれる妹が、死んでいい訳がないのだ。
 だから、シアンは、決めた。
 シリアのためなら、どんな業だって背負ってやろう。
 業などといっても、何もそれは、誰かから奪うようなことではない。誰かを傷つけるようなことでもない。
 貶めるだけだ。自らの品位を。気位を。そんな心底どうでもいいものを。
 捨てるだけだ。余計なものを。
 見苦しくたって良い。
 格好悪くたって構わない。
 ――命を懸けるってこういうことだろ……?
 だから。
「お願いだ……ッ! シリア、生きてくれ! 僕にはお前が必要なんだッ!!」
 懇願した。
 涙ながらに。縋りつくように。みっともなく。
 フラムがそれに感化されたように魔導具を握る力を強めた。
「聞いて。呼吸を落ち着けて……、深呼吸するの。そして、左手に意識を向けてみて。この魔導具に力を注ぐの……!」
 フラムが懸命にレクチャーをしていた。
 シリアはそれに僅かに頷いた。
「あなたの身体の周りを、やわらかな《気》の流れが巡っているわ。その流れの中に、この魔導具を組み込むの。そうすると《気》は少しずつ落ち着いていくから……! やってみて」
 フラムが珍しく優しげな口調で語りかけている。その言葉はシリアに届いているはずだ。もちろん心も。
 だが、シリアは汗を垂らすばかりで、その《気》は静まる気配を見せない。
 猛るような奔流が、その体内に渦巻いているように見える。
「怖がらなくて良いわ。だいじょうぶ。あなたは強い。きっと出来るわ。……だから落ち着いて」
 フラムは絶えず、言葉を掛け続ける。
 すると、シリアが呻くような声を上げる。
「うっ、熱、い……。苦しい……。父さん、……兄さん……怖いよ。……助けて、……わたし……、死にたくない…………」
 シリアが苦しそうに身を震わせている。
 そんなシリアの手を、フラムが力強く握り締める。
「アンタの兄さんも父さんもここにいるわ! アンタは死なない。死ぬわけがないの。だから、お願い……この声を聞いてッ!」
 気づけば父も、《凪の冷印》に手を当てていた。四人の手が一つの魔導具の上で重なっている。
 だが、シリアは《凪の冷印》を起動できていない。
 その意識が、握力が、みるみる失われているのが手に取るように見えている。
「いやだ……、わたし……も、う……い…………や…………」
「諦めちゃダメだ! だいじょうぶだから! 集中しよう……!」
 もう声が届いているのかすら分からない。
 シリアはうわごとのように怖い、嫌だ、と嘆き、その声量は徐々に弱まっていく。
 次第に声は掠れ、聴き取れなくなっていく。
 そして。その声が、口の動きが止まったとき。
 同時に、シリアの呼吸が、止まった。
「……う、嘘だ……ッ!!」
 シリアは、強い人間だ。
 謎の病に冒され、十二年それと闘い続けた。
 それは並大抵のことではない。
 なのにシリアは笑っていた。シアンと父に笑いかけてくれていた。
 その影にどんな想いが、葛藤があったのか、それは察して余りあるものだろう。
 だからまだ、終わりじゃない。シアンはそう思った。
 終わりにはさせない。そんな想いで胸中は支配されていた。
 シアンは顔を上げた。
 フラムが、長い髪を振り乱して、シリアに必死に呼びかけている。
 その声が、徐々に意識から掻き消えてゆく。
 時間が、止まる。
 シアンは、シリアの手元を見た。
 その手には《凪の冷印》、丸くて飾り気のない、無骨な魔導具が握られている。
 いや、手の下に魔導具が置かれている、といったほうが適切な表現かもしれない。
 もはやその手に、握力はおろか感覚すら残っていないのかもしれない。
 それでも、その手に、シアンは期待を抱いていた。
 だってまだ、シリアは生きることを諦めていないからだ。
 身体に力が入らずとも、感覚すらなくとも、その意識は間違いなく《凪の冷印》へ向けられているはずだ。
 もちろんそれには何の根拠もないのだが、それでもシアンは確信していた。
 シリアは死なない。死ぬ訳がない。
 シアンは片方の手で《凪の冷印》を起動しながら、もう片方の手でシリアの頭を撫でた。
 いつもそうしてやると、シリアは嬉しそうに身をよじらせていた。
 ちょっと恥ずかしそうに、ちょっと照れくさそうに。
 だけど不思議と、そうしていると、いつだって通じ合っているような感覚が沸き上がっていたのだった。
 今だってそうだ。
 妹の些細な心境が、頭と手を通じて、流れ込んでくるような感覚が。
 気のせいかもしれない。
 けれど。
 シアンにとっては紛れもない真実だった。
 そして、この時にとっても、それは変わらなかった。
 《凪の冷印》に青い光が宿った。
 既に放っていた光とは別に、もう一筋の光。
 そして。
 すぅ……。
 シリアの胸が上下した。
 その小さな口から僅かな呼吸音が漏れている。
「良かった……。良かったよぅ……っ!」
 フラムが涙をぽたぽたと落として、シリアに抱きついていた。
 シリアはまだ目を覚ましてはいない。
 だけれども。
 その口唇が僅かに、くすぐったそうに笑って見えたのだった。

第四話『シリア=リーベッド』②

 ……高熱が己が身を焼き続けるというのは、まるで拷問のような日々だった。
 フラムにとって、その日々は重く、苦々しい記憶だった。
 もし彼が、フラムを訪ねるのがあと数日遅れていたら、今日という日は来なかったかもしれない。
 病床から回復した数日後、彼は言った。
『君みたいな人を探してたんだ。どうだい? 魔導士に、興味はないかな?』
 柔和な表情で笑いかける彼は、フラムにとっては、初めて出逢うタイプの人間だった。
 あの日から、フラムの生活は変わった。
 今までの鬱屈した生活から解き放たれ、明るく希望に満ちたものとなった。
 やがてフラムが彼の影響を受けて、《-flame limit-》の治療を志すのは自然な成り行きだった。
 その険しい道のりは一筋の光すら見えないほどに困難だったのだが、それでもフラムの心にはもう、影が差されることはないだろう……。
 フラムは、夕景に沈む部屋の中、シリアの穏やかな寝顔を見ていた。
 それはフラムが初めて救った命。
 第一歩目だ。
 フラムは目元に浮かんだ水滴をグッと瞬いて隠し、そっと部屋を出た。
 その間際、扉越しにその少女の顔を見る。
 途端に胸の中に広がる暖かなものを噛み締めてから、フラムは音もなくその扉を閉めた。

――

 シアンは自宅前の切り株に腰掛け、溜息をついていた。
 ほっとした。まずはそんな気持ちになった。
 シリアの病の正体が分からない。そんな状態はシアンや父をやきもきさせ、どうしようもない焦燥感に駆られたりもした。
 だが、そんな日々も今日で終わりだ。
 そして新たな課題が提示される。
「魔導石の買い付け、かぁ……」
 早い話、シリアはフラムと同じ状態になったのだ。
 発作を起こさない代わりに、魔導具を使い続けないといけない身体に。
 そのためには大量の魔導石が必要なのだ。フラムのキャリーバッグなみの貯蓄が不可欠になってくる。
 当然、そんな量の貯蓄はリーベッド家には存在しないし、それを買うだけの経済的余裕もない。
 治療費が魔導石購入費に取って代わっただけで、経済状況はさして変わらないだろう。
 それでも。
 シリアが穏やかに眠っているのを見て、シアンは随分と気が楽になっていた。
 そんなことを考えていると、背中にゴツンと重量が押しつけられた。
「な~に、甘いこと考えてるのよ!」
 その動作に遅れて、フラムの匂いが漂ってきて、シアンは少し緊張した面持ちになる。
「アンタは現状を舐めてるとしか思えないわ。今がどれだけの奇跡の上に成り立ってるか、ちっとも理解してないんだから……」
 背中合わせに座り込んできたフラムの声は、口調の割に随分と嬉しそうだった。
 ――なんだかんだでおかしな子だけど、根は良いヤツなんだよな、フラムって……。
 そんなことを考えつつ、シアンは頬を緩めていた。
「今回はたまたま上手くいったけど、もし失敗したら、今頃辺り一面焼け野原だったのよ? そこんとこ、ホントに分かってるのかしら……」
 などとフラム氏は宣っておられた。
「え……っ? えぇッ!? ……嘘だよ、そんなの……、嘘だッ!!」
 シアンは看破した、と言わんばかりに目を見開いて叫んだ。
「なんでそんな猟奇的なリアクションなの……? まぁとにかく、残念ながら、……事実よ」
 そんなことを冷たく言い放つフラムに、シアンは両腕を組んで反論を企てていた。
「どうしてそんな嘘をつくんだい? ……良く分からないな。ここはチェス盤をひっくり返して考えてみようか……」
「どうでもいいけど、テンションおかしいわねアンタ。妹が助かって匙加減を忘れちゃったのかしら?」
 フラムの呆れ顔が目に浮かぶようだった。今は背中を向けているので、直接見えはしないのだが……。
「説明するわね。まず奇跡その1。魔導力の暴走の可能性。高まり過ぎた《気》は暴走することがあるの。《天灰(オーバードライヴ)》っていうんだけどね。少なく見積もっても街一つ分くらいはまとめて炭屑にする破壊力があるわ。今回はたまたまどうにかなったけど、今後も《-flame limit-》の治療を続けるのなら考えなきゃいけないわね」
 あまりにもあっさりと告げるので、シアンは思考が置いてけぼりになっていた。
「え……? 魔導具ってそんな物騒なものなの……? 僕でも起こるのかな? その……《天灰》ってやつ」
 とシアンが訊くと、フラムは素っ頓狂な声を上げた。
「はぇッ? …………アンタさ、……バッカじゃないの?」
 振り返って見れば、ジト目のフラムさんがシアンを見ていた。
 フラムは肩を竦めて、やれやれと溜息をついてから説明を続けた。
「……あの子が特別なのよ。いい? ここからが奇跡その2。あの子には天性の才能がある。もしかしたらあたし以上のね。そもそも《-flame limit-》として生まれてきた人間は大抵、生後数日で死んじゃうわ。理由は《気》の暴走。赤ん坊の生み出せる《気》の総量なんてたかが知れてるけど、それでも人ひとりくらいだったら巻き添えに出来る威力があるわ。本来《気》を無尽蔵に生産し続ける身体で、人間が生きていける訳がないのよ。それを可能にしているのは、患者自身の適応力なの。
 《気》を体内に溜め込む能力。溜め込んだ《気》を熱エネルギーに変換する能力。回路を空転させて、熱を気化させる能力。
 このうちどれか一つでも欠ければ、患者は生きていけない。分かる? 今シリアが生きているってことがどれだけの奇跡の上に成り立っているか」
 シリアの才能。
 シアンはそんなもの、考えたこともなかった。
 シリアは、優しくて、強くて、可愛くて、シアンの自慢の妹だった。だが……。
 ――シリアには、魔導士としての才能があるのか……。
 自らの才能の無さを、日々嘆いていたシアンとしては複雑な思いだった。
 嬉しいというのももちろんあるが、同時に自分には持てないものを妬むような悔しさもあった。そして、そんな感情を抱く自分自身に対する苛立ちも。
 ――けど……。
 シアンは頭を振って思考を打ち消した。
 違うのだ。
 シリアは強い娘だ。
 だから、自らの力でそれら希少な能力を勝ち取り、生き抜いてきたのだ。
 全てはシリアの想いが結んだ奇跡なのだ。
 それを妬むのは、シリアの気持ちを裏切るのと同じだ。
 そう思えば、気は楽になった。
「じゃあ、そんな才能溢れる妹を、立派な魔導士に育て上げてやろうじゃないか!」
 意気込んで立ち上がったシアンだったが、フラムが背後から水を差した。
「どーせ数日で抜かれるでしょうけどね」
「なにをー!」
 太陽が沈み始め、辺りは随分と暗くなっていたが、二人の笑い声はずっとこだましていた。

――

「それじゃ、そろそろ行くよ。……シリア」
「うん、気をつけてね。……兄さん」
 シアンが微笑むと、シリアが遅れて微笑を返してくれた。
 元気なシリアの姿だった。
 今後は、魔導石さえ確保できれば、《凪の冷印》で発作は食い止められる。
 その事実が、シリアにも、そしてシアンにも、いい影響を与えてくれている。
 シアンが名残惜しそうにその髪を撫でていると、後ろから憎々しげな声がぶつけられる。
「なにイチャイチャしてんのよ……! もうシアン、さっさと行くわよ! ……じゃ、またね。シリア」
 そのままフラムにどつかれ、振り返るシアンだったが、そこにはキャリーバッグを掴んで走り去る後ろ姿がちらりとしか見えなかった。
 そんなやりとりを、シリアはいつものクスクス笑いで眺めていた。
「ちぇっ、……それじゃ行ってくる」
 唇を尖らせつつ、そう呟いたシアンを、シリアが心配そうな面持ちになって見つめていた。
「だいじょうぶだよ。今回は危険度低いクエストだし、それに……」
 窓の外に見えたフラムの姿を見やり、シアンは砕けた笑顔を作る。
「『劫火のフラム』が隣にいるしね……」
 妹の病を根本から救う手段を求めて、シアンは再び決意を新たにするのだった。



to be continued...

あとがき

◆プロローグ

・概要とか
このお話は某新人賞に送りつけたのち、落選してしまったものに手を加えたものになります。……○撃文庫はやはり競争率激しいですね。
ちなみに内容はバトルです。あとコメディとか美少女とか。
内容を纏めるのにいっぱいいっぱいであまり掘り下げきれなかったので、二巻目とかも書きたいです。よろしくお願いします。

・今回は魔導士モノです。
《気》で戦うのではなく、魔導具で戦います。いろいろな魔導具が出てきていろいろやるお話が書きたかったんです。

・キャラクター
今作に登場する作品は、何故かバカばっかりなのでいつもよりやんわりした内容になってます。コメディ作品ってほどでもないけど。
あとあと登場するヒロインといい、ライトノベルらしさを追求した結果でもあります。

・今後とか
とりあえず一巻分は書き上がっていますので、修正終わり次第すぐさまうpしていきます。
楽しんでいただけたなら、あるいはどこかワンシーンでも記憶に残していただけたなら、書き手として幸いでございます。

◆第一話

・紹介篇
といった内容となっております。
ホントなら紹介的な内容でありながらシナリオもしっかり練られていて、きちんと面白くて尚且つ今後への伏線もさりげなく内包している……。
といった内容を目指すべきではあったのですが、完全に力量不足でした。

・ヒロイン
ラノベにありがちなヒロインを目指して作ったキャラです。
長い間暖めていたオリキャラのエッセンスを盛り込んだ、亘里一押しのキャラだったりするのですが、いかがでしょう……?

・ややコメディ路線
また、今作ではあんまりシリアスっぽくない、やんわりしたイメージも多分に含ませております。
ばっさり人が死んだりしないというのも、今回挑戦した内容の一つだったり。
ちょっとエンターテイメントぶってみたかっただけです。ハイ。

・病弱な妹
なんか、こういうの、ベタすぎるかもしれないんですが、そういうの大好きなんで勘弁してください。
これからもベタなお話をいっぱい書きたいです。ごめんなさい。

◆第二話
・長くてすみません。
書いてる最中はもっとも長かったような気がします。
とにかくいくら書いても終わらず、延々と書くだけの日々が思い出されます。
第二話だけで、大体文庫本の三分の一くらいの分量があります。

・クエスト篇です。
内容はひたすらにベタですが、書きたかったものは大体書けました。
今回の作品の中で、一番満足しているのがこのエピソードになってます。
思いついたネタは全部書けたし、読んでて熱くなれるので、まぁいいだろう、と。
この密度で全編書けていればもう少し面白くなったんじゃなかろうか、と思わなくもないです。
とはいえ、ここのエピソードは、登場人物も少ない、洞窟内なので周囲の描写も少ないなど、かなりの限定された空間が舞台になっているんですよね……。
なので、書きやすいのは当然で、だからこそ、それ以外の場所での描写などを今後はがんばらねばならないと思います。
課題は山盛りです。

◆第三話
・①
新キャラ登場&コメディ一直線なお話。
物語を分かりやすくシンプルにするために一目惚れという要素を多用していますが、きっと大丈夫だ、問題ない。
ただ、正直な話、コメディコメディしすぎてなんか書いてて苦しかったのを覚えています。
猛烈にスベっている感覚を抱きながら書き続けるのはどうにも大変でした。
プロット組んでるときはそうでもなかったんだけどなぁ……。
・②
まだわりとコメディしてますが、バトルが入ってちょっとぴりっとしてきました。
そもそものコンセプトとして、フラムとシアンは通常の魔導士と騎士の関係性としてはかなり異常な組み合わせでして。第三話ではそれとは違う、いわゆる普通の魔導士というものを描きたかったんです。
ですがそれはちょっと力量不足だったかなぁと後になって反省しています。
通常の魔導士というものをもう少しうまく描ければフラムとシアンの特別っぷりをよりくっきりと浮かび上がらせることも出来たんだろうなぁ……。
・③
今回のオチ。
フラムの過去を若干語ってはいるのですが、あんまり深くは語れなかったんですよね……。チラ出しと言いますか。
もっときっちり書くべきだとは思うのですが、あのまま書くのはどうにも蛇足っぽくてやめました。
まだ構想段階ですが、第五話ではそちらも扱う予定です。
・次回予告
持病の高熱を発したシリア。彼女を蝕む高熱の正体とは。そして彼女の命運はいかに……。-flame limit-篇、最終話。――開幕。

◆第四話
・反省とか
-flame limit-篇、最終話です。
②で終わります。
結構大変でしたが、なんとか書き上がったなーと当時は感慨に浸っておりました。
……というのも、亘里はものすごく遅筆でして。
なので今から一年後、○撃文庫の新人賞に投稿してやるぜ! と高らかに決意してホントに一年ギリギリ掛かりました。
それまでの間に今までやってた動画投稿を中断したり、小説を読み漁って書き方を学んでみたり、いろいろしまして。
そもそも今までは1万文字書くのに一年近く掛かっていたんですよ。
そんなある日、テンション高くなって小説書いてたら速度が上がっていきまして。ついには一ヶ月で一万文字書けてしまいまして。
だったら新人賞も行けるんじゃない? と調子に乗った結果がこの作品でした。
可愛いヒロインがいて。バトルがあって。コメディもあって。ファンタジー作品で。
自分の『大好き』をこれでもかというほど詰め込んだのが『フラム』です。
とはいえ、書いてて思ったのは最後の盛り上がりとか足りないよなーというところでした。
やっぱりボスがいて、それぞれに思惑があって、それを乗り越える主人公……っていうほうが燃えますよねー。
今作の最大の反省点としては、あまりにも内容が序章的だったことだと思っています。
このあたりを次回作への反省点としまして、現在頑張っている最中でございます。今後ともよろしくお願いします。

・①
今まで伏せておいたシリアの病気とは何なのか。フラムの体質とは何なのか。そういった説明から、シリアの治療までを描いています。
まぁ厳密には治療というよりかは、克服とか習得とか、そんな言葉が適当かもしれませんが。
いちおうギミックとしては、『頭を撫でられることで意志が疎通できる気がする』ので、『魔導具を使う感覚をそこから感じ取った』ためにシリアは生存できた、という形になっています。
兄妹の絆が二人を繋ぎ留めたとでもいいますか。
それも含めて、シリアの強さへと集約されているような。そんな感じです。
②でフラムは一旦完結ですが、続きの話もいろいろと妄想しております。遠くないうちに更新すると思いますので、よろしければお付き合いくださいませ。

・②
オチです。
フラムと同じ状態になって、一応の快復を果たしたシリア。
今後はシリアの魔導士としての成長とか書きたいです。
「隣に劫火のフラムがいるから」
ぶっちゃけこの小説は、このセリフのためだけのシナリオでした。
もう本当にそれだけが書きたかったんです。
それだけだったんです。

・次回予告
迫る銀級試験。そのためにはまだランクが足りない。
そんななか、大平原に突如現れた魔物の群れ。大行進に阻まれ、行商人が立ち往生している。
当然のごとく出された依頼。高額の報酬。勇み足で駆けつけるフラムとシアン。
だが、そこに立ち塞がる者が現れた。サクヤとカイウス。そして《師匠》こと《白寂のミチヤ》だった。
「ハッハッハー! 待ち侘びたよフラム! そしてシアン君! この先へ進みたければこの僕を倒したまえ! さぁさぁさぁあ!!!」
「これのどこが白寂なの……? ああ、《寂しがり》の《寂》なのか」
「……残念だけど、その通りとしか言えないわね。……そう、これがあたしの《師匠》。そして今回の、……《敵》よ」
第五話『白寂のミチヤ』――そのうち公開予定。(内容は暫定です。変更の可能性もありますのでご了承ください)


to be continued...