劫火のフラム

どんな願いも叶えてくれるという《至高の魔導具》を巡って、世界最強の魔導士を決める戦いが遂に始まった!


第五話『青嵐のシリア』①

 気持ちの良い昼下がりのこと。シリアとフラムは商業区へ赴いていた。
 理由はもちろん、考えるまでもなく買い物をするためだった。
「わぁ……、このワンピース、すっごく可愛い……」
 思わず溜息をこぼしながら、シリアは呟いた。
 今まで病気がちで出掛けることも困難だったせいか、今では隙さえあればウインドウショッピングをしている。
 おっとりした兄と出掛けるのも楽しいのだが、最近はもっぱらフラムと来ることが多い。
 フラムとはもうすっかり仲良くなり、背はシリアよりも小さいけれど、なんだかお姉さんのように感じるシリアなのだった。
「フラムはどう思う?」
「う~ん、地味じゃない? シリアにはこっちのほうが似合うと思うけど」
 出されたのは花柄のワンピースだ。色合いはピンク系で、かなり可愛らしい。
「で、でも……、派手じゃないかなぁ……」
 おずおずと返そうとすると、フラムはその服を手ごと引っ掴んだ。
「きゃっ!」
「もうっ! ちょっとくらいなら着てみたってバチは当たらないわよ! さぁ来なさい!」
 遠慮するシリアを尻目に、フラムは試着室へグングンと突き進んでゆく。
「え……、ちょっ! ちょっと~!」
 シリアの悲鳴など露とも気にせずに、フラムは試着室のカーテンを閉めた。

 まず、手渡されたのは黄色いワンピースだ。
 もやもやした気分もあるが、それ以上に綺麗な洋服に袖を通せる興奮のほうが強かった。
 そして、鏡に映った艶姿はというと、シリアの青髪に良く栄えていて、晴れやかな印象を受ける。
「う~ん、でもちょっと違うか……。これだけ綺麗な青髪なんだからもっと違う色のが良いわよね」
 フラムは顎に手を当てると、首を捻って唸り始める。
 恐縮したシリアは、恥ずかしさに上気した頬の上に冷や汗を浮かべるという芸当を成し遂げていた。
「……あ、あの……。フラム……?」
 恐る恐る声を掛けるシリアだが、フラムはそれに気づかずに手をポンと叩いた。
「よしっ! じゃあ、これからもっと良いのをよりを掛けて選んで来てあげるわ。待ってなさいっ!」
 言うが早いか、フラムはたたたー、と走り去ってしまう。
 慌てて引き留めようにも、その姿は既に彼方だ。
 溜息を吐いて、諦めるシリア。……シアンともども、なんとも溜息の似合う兄妹なのだった。

「やっぱり、ピンクが一番可愛いわね……。けど白も捨てがたいか……。むぅ~~」
 恐縮しすぎてすでにグロッキー状態のシリアには目もくれず、フラムはうんうんと唸っている。
 極貧生活の染みついたシリアにとって、洋服の一枚一枚がすでに結構な高級品だ。今まで中古品や近所のお姉さんのお下がりを頂いていた身としては、新品の試着だけでも恐れ多いというのに……。
 やがて、フラムは懐からおサイフを取り出すと、店員へ声を掛ける。
「これ、全部頂くわ」
 声を掛けられた店員は、子供たちの遊びだろうと少し冷ややかな目で眺めていただけに、フラムが取り出そうとした現金を見て、思わず座ったまま垂直に跳び上がるという曲芸を披露しながらも頭を垂れる。
「あ、ああああありがとうございますっ!!」
 ――え、ぇぇぇえええええええーーーー!!??
 あんぐりと開いてしまった口の閉じ方を忘れたシリアはというと、フラムが金貨を手渡す様子を呆けたまま見つめることしかできない。
 カラッとした太陽のような微笑みを返すと、フラムは意気揚々と袋を抱えて歩いて行ってしまう。
「どうしようどうしようどうしよう……。そうだっ! クーリングオフ!」
「バカ言ってんじゃないわよ、ホントにアンタたち兄妹はもう……」
 結局、フラムに手を引かれる形で、シリアは店を後にしたのだった。

「うんうん、よく似合うじゃないっ! さっすがあたしが見込んだ服よね!」
 喫茶店のオープンテラスにて、シリアは着替えさせられていた(もちろん更衣はトイレで済ませた。フラムには座って待ってもらっていたのだ)。
「わたしみたいな貧乏人が、……こんな服……。変じゃないかな……?」
 赤らんだ表情で、恥ずかしそうに手を摺り合わせて、上目遣い気味にシリアが問い掛ける。
「何それ? あたしが選んだ服に文句つけるつもり?」
 フラムはそんな遠慮じみた応対に辟易したらしく、ちょっときつい眼差しになった。
 そして、フラムは何も言わずに立ち上がり、一歩、前に踏み出した。
 思わず、目を閉じ身を竦ませたシリアだったが、……予想したような衝撃はいつまでたっても来なかった。
 恐る恐る、目を開けると同時に、ポン……と頭に手が置かれる。
 そしておもむろにぐりぐりと撫で回される。
「ちょ、ちょっと何するのフラム~~」
 困惑に目を回しそうなシリアの頭を、そっと抱きかかえるフラム。
「もう今までみたいに遠慮して生きる必要はないわ。アンタはあたしと同じ状態になったんだから。……だから、あたしたちは負けないの」
 シアンとは少し違う撫で方。力強くて、あったかい……。
「アンタがその気になれば、シアンなんて目じゃないかもね!」
 それはそれは、とても魅力的な話だった。
 今まで心配ばかり掛けた兄を、助けられるようになれたなら……。
 その背中を守れるようになれたなら……。
 フラムと同じように、共に戦い、大地を駆けることができたなら……。
 それはなんと素敵なことだろう。
 けれど、気弱な兄のことだから、シリアの冒険にひやひや肝を冷やすことになるのだろう。
 そう考えると、なんだかおかしくて、軽く吹き出してしまう。
「それじゃあ、今日もお願いしますね、先生……」
 シリアは目尻の涙を拭うと、フラムに向き直った。

第五話『青嵐のシリア』②

 『後光指す筆先(ライト・ペンシル)』。
 それはペン型の魔装具の一種だ。
 ペン先から放たれた光芒が空に焼き付き、即席のメモ帳として使うことができる。
 フラムはそれを起動させると、中空に「コ」と書き記した。
「良い? 人の身体っていうのは、つまりはこの状態なのよ。分かる?」
 ……と言われても、と。シリアは首を傾げるしかできない。
 今、フラムに説明してもらっていることは、魔導具の講義である。
 とはいえ、魔導具とは何なのか。どのようにして様々な力を生んでいるのか。それを自在に扱うにはどうしたらいいのか。
 それはさっぱり、見当も付かない。
 なにせつい最近まで魔導士にしか扱えない『魔導具』はおろか、誰でも扱えるような『魔装具』すらろくに使ったことがなかったのだ。
 魔装具とは、魔導具をより簡略化し、誰にでも使えるように調整されたものを指す。
 つまり、ここで説明される大前提の部分すら、シリアは分かっていないということになるのだ。
 呆れられるのを覚悟で、シリアは問い返すしかなかった。
「……えと、分からない……です」
 言うと、フラムは目を丸くし、何故か冷や汗を掻いて、沈黙していた。
「……そ、そう。うん、分かったわ。だいじょうぶ、ちゃんと説明するから」
 フラムはというと、自身の説明下手は一応理解していたので、より噛み砕いての解釈を試みる。
「とにかくっ! 人間の身体はこういう状態なの。そして次にこっちを見てちょうだい」
 フラムは「コ」の隣に「ロ」と書く。
「こっちが、魔導回路よ。分かる? 回路は閉じて、……つまり、こういうふうに四角く繋がることで初めて魔導エネルギーが生まれるのよ。つまり、人間の身体はそれ単品じゃあ回路としては成立しない。イコール、人間は魔導具なしに魔導術を使えないということよ」
 そう言って、「コ」に線を一本引っ張って、同じような「ロ」を描く。
「分かる? この線の部分が魔導具よ。これがないと回路として成立しないし、エネルギーは生じない。あたしたちの場合は身体の内に生命エネルギーが充ち満ちているわけだけど、回路が成り立っていなければ、エネルギーは内に籠るだけよ。だからそれが無尽蔵に生産し続ける体質のあたしたちは高熱に悩まされるし、下手したら天灰(オーバードライヴ)を巻き起こす引き金にもなり得るというわけよ」
 先天性命炉渇焼症(フラム・リミット)と呼ばれる、かなり希有な病を発症しているシリアとフラムは、生まれながらに生命エネルギーの生産を正常に行えない。
 本来なら必要なときに、適時生産されるのだが、フラム・リミット発症者は絶えず生産を繰り返してしまう。それも暴走染みた速度でだ。
 ゆえに、この病状が現れた子供は大抵長生きしない。生み出されたエネルギーに堪えきれずに身体が爆弾のように弾け飛んでしまうためだ。
 シリアとフラムがそうならなかったのは、たまたまの偶然に過ぎない。
 運良く、命炉と呼ばれる歯車を一時的に空転させる能力があり、その間に熱を気化させることが可能で、回転・空転を繰り返すことで生産・拡散を効率よく行えて、つまりは延命することができていたに過ぎない。
 奇跡と奇跡と奇跡が起こったから、二人は生き延びることができたのだ。
 一つでも奇跡が抜け落ちていれば、二人は間違いなく生きた爆弾と化し、周囲に不幸をばらまいたことだろう。
 けれど。
 シリアは思いついた疑問を一つ、口にした。
「どうしてお医者さんはそれを知らなかったの? それが分かってればもっと早く助かったかもしれないのに……」
 シリアは、自分の病気がどれほど家族を苦しめていたかを知っている。それほどまでに家族に心配を掛け、悩ませてしまっていたことがシリアには悔しいのだ。どうしようもないことだったのは分かるのだが、せめて、納得できるだけの理由が欲しかった。
 フラムはというと、そこで神妙に頷いてみせるのだった。
「……ま、当然の心理よね。あたしも同じことを師匠に尋ねたわ。けど、理由は笑っちゃうくらい単純よ。それはね……」
 ごくり……と、シリアは唾を呑む。思わずワンピースの裾を強く握りしめてしまう。
「結局、全部仮説でしかないからよ」
 一瞬、シリアはポカンと気が抜けてしまった。
 信じられない、というふうに口元を手で覆う。
「あたしが今、偉そうに語ったこと。あれ、全部師匠の受け売りよ。けど、あたしはそれを全部真実だって確信してる。……だけど、世の中の人間は、みんなその理屈を信じないのよ。……そりゃ、そうよね。魔導協会も随分発展したけど、それでも世の中の多数派は神聖教会
側よ。あたしたちはマイノリティ。この街では結構受け入れられてるみたいだけど、それでも少なくないってだけで、決して多いわけじゃない。やっぱりまだ少数派よ。魔装具なら教会も認めてるから普及率そのものは高いんだろうけど……。……でもそれだけ」
 マイノリティ。それだけでそこまで無視されるような理屈なのだろうか。医学も魔導学もからきしのシリアには見当も付かないので、不承不承でも頷くしかない。
 フラムのほうは、何処か懐かしむような目で、街頭へ視線を向ける。その意識は過去に受けた侮蔑のトラウマでも遡っているのだろうか。
「世の中の常識はこうよ。『熱が高いなら熱を冷ます薬で治そう。原因は分からないけど、とりあえずそれで一命は取り留められる』。そんな程度の行為よ。それを医療と呼んで良いなら医者になるのは随分と簡単じゃない? ……ま、どうでもいいけど」
 脱線した話を縒り直すように、一度咳払いしてフラムは居住まいを正した。
「そんなことよりっ! 昨日渡したあれは持ってきた? ちょっと見せてみなさいよ!」
 さっきまでの態度とは打って変わって、強引に押し切るような形でシリアの腰元のポーチへと手を伸ばすフラム。
「きゃあっ! へ、変なとこ触らないでよ! フラムっ!」
「んふふ~♪ ここか? ここかな~? それともこっちか~?」
「ちょっ! ちが、……ぁんっ、もう……!」
「ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか」
「ちっとも良くな~~いっ!!」

第五話『青嵐のシリア』③

 ティータイムは終わり、人気(ひとけ)の無い通りへとやってきた。
 フーデッドローブをなびかせつつ、フラムは腕を組んだまま振り返る。
「さぁっ! 構えなさい、シリア!」
 なんとも慣れない動作で、シリアは指揮棒(タクト)を構える。
「何よ、ソレ! 嘗めてんの!? へっぴり腰だし、指先は震えてるし、視線も揺れすぎ! もっと堂々としなさいよ! ホラ、あたしみたいにッ!」
 フラムは堂々、というよりも威風堂々とでも表現すべき立ち振る舞いで身構えている。
 視線もまっすぐにシリアを見ているし、身体に震えなど全く見えない。背筋も綺麗にピンと伸びているし、言うことはないように思える。
 しかしまぁ、悲しいかな、その身長はかなり低いし、張られた胸も女性らしさを主張するほど凹凸に富んではいない。
 だがそれでも、フードの下から覗く顔はとても整っているし、ローブの下に纏っている綺麗なドレスも美しい。
 その姿には、確かに惚れ惚れするような強さがある。
 ――わたしも、こんなふうになりたい……。
 そう思い、そして、願った。――いや、違う。
 それではダメだ。
 そんなふうに、憧れて見上げるだけではダメなのだ。それではフラムに何も返せないではないか。
 フラムは強くて可愛い女の子だ。だけど、そのうちには確かな弱さだって存在する。それを噛み締め、踏ん張っているから、フラムは強いのだ。ゆえに彼女は銀級魔導士の一人として名を連ねているのだ。
 そんな彼女と友達でいるためには、友達のように振る舞うためには、最低限の資格が必要だ、とシリアは考えている。
 憧れて、思考を停止して、成長を止め、歩み出すことをやめてしまえば、シリアは永久にフラムには追いつけない。高みには辿り着けない。
 そうなった時点で、もうシリアはフラムの対等の友達ではない。弟子でもない。ただの庇護対象でしかない。
 そうなれば、もう同じ視点には立てない。
 遠い、遠い存在に成り果ててしまう。
 もう、この距離感には戻れなくなってしまう。
 シリアはいつまでたっても守られるだけの存在で、庇われるだけのお姫様だ。
 それでも嫌な顔ひとつせず、きっと守ってくれるだろう。フラムも、シアンも、そういう優しい人間だ。
 けれど……。
 ――わたしは、嫌だ。
 そんなのは許せない。
 誰かが守ってくれる? 誰かが助けてくれる?
 そうじゃない。そうじゃないッ!
 病床に伏せる中、シリアが願い続けた夢は、そんなものではなかった。
 自分に求めた理想は、そんな甘ったれた幻想ではなかった。
 誰にも迷惑を掛けたくない。むしろ迷惑を掛けてもらえるくらいの存在になりたかった。
 それくらいになれて初めて自分は、今まで自分を支えてくれた家族に恩返しができると思っていた。
 いっそ、それができなければ……。
 ――わたしには、助けられる価値がなかったんじゃないかって思ってる……。
 手前勝手な妄想だろうが、そう思うからにはそう行動せざるを得ない。妥協(それ)はシリアにとって許しがたい行為だったのだから。
 だから。
 ――わたしは、皆を守ってみせる。それくらい強くなってやるッ……!
 シリアは指揮棒を握る腕に力を込める。ぎりぎりと軋むような音が聞こえる。一瞬、それは指揮棒が歪んでる音かと思ったが、どうやら食い縛った歯が音を鳴らしていたらしい。
 そんな『些細なこと』から意識を手放し、指揮棒へ目を向ける。
 細くしなやかな金属製の棒だ。伸縮できるよう先へ向かうほどに細い軸へと切り替わる仕様になっている。
 その先端から、フラムへと、標的へと視線を移す。
 美しい、少女。可愛らしくて、強くて、大好きな女の子。
 一見すると、華奢で弱々しくも見えるが、その剣呑な眼差しはどうか。
 シリアは知っている。フラムが自分なんかとは、比較にならない技量を持つ凄腕の魔導士であるということを。
 ――なら、手加減はいらないよね……?
 自分でも扱いきれないくらいの魔導エネルギーが周囲をのたくっている。気づけば嵐のような風が吹き荒れていて、木々を大きく揺らしている。
 風は、自らの手の内にある。そんな感覚をシリアは感じていた。
 周囲に漂うそれを束ね、フラムにぶつける。それだけで必殺の一撃になる予感があった。
 フラムはそれを覚ったかのようにこちらを見ている。そして、一度だけ頷いて見せた。
 ――そう……。だったら、受け止めて見せてよ。わたしでも制御しきれないこの力の奔流を……ッ!
 溢れるエネルギーを、指揮棒を通じて操る。
 細かい動作は指定できない。だが、そんなことは関係なかった。
 ――掻き集めてぶつけるだけなら、お猿さんでもできることだわ……。
 だから、シリアは感じるままに、思いつくままに気流を操る。指向性を与える。
 溢れ出るままの奔流を、強引に束ねる。
 そして、天高くから叩き落とす。
 技名も、術名も、詠唱すらもない。単純に力をぶつけるだけの単純な暴力。
 突如発生した竜巻が、フラムへと襲い掛かった。
 フラムはというと、そんな恐ろしい光景を前に、不敵な笑みを浮かべていた。

 正直に言えば、フラムは背中に冷や汗を浮かべていた。
 ――ちょっと発破を掛けただけなのに、まさかここまでの潜在能力があるとはねぇ……ッ!
 とはいえ、それはおくびにも出さない。感心を通り越して感嘆しているくらいではあるが、素人を付け上がらせていいことなど一つもない。ここは涼しい顔をして切り抜けなくてはならない。
 だが、そもそもの話として。
 フラムには大規模の術が使えないのだ。
 これは今までの修行から十分に理解している特性だった。
 だからこそ開き直って、近距離戦を重視したイレギュラーな魔導士を目指したし、そのせいで他の魔導士や騎士と相性が軒並み悪くなり、ずっと一人で戦い続ける羽目に陥ったのだが、それはまた別の話だ。
 この竜巻をどう対処する……?
 躱す……? それが一番シンプルな対処法だろう。
 問題は、シリアがどの程度コントロールできるか、という点だ。
 躱したところで、それに追いついてくるだけの操作が可能であったなら。躱したと思い込んだ直後に、無防備な背後から一撃もらうことだって考えられる。
 かといって、受け止められるのか……?
 言うまでもなく、フラムは小柄だ。踏ん張りきれる自信はない。並の使い手の風系魔導術でも、簡単に吹っ飛ばされるのは考えるまでもないだろう。
 まして、相手はフラム・リミット。その魔導力は並大抵ではない。
 結末は簡単に予想できる。つまりは、強制飛行――鳥になれるというわけだ。なるほど、冗談じゃない。
 となれば、消去法で答えは決まる。しょうがない。なるようになれ、だ。
 ――待てよ……? 他にも手がないわけじゃないのか……。
 一つ、浮かんだ手があったが、すぐには試せないので、やはり選択肢は逃げるしかないわけだが……。
 迫り来る風の渦を低い身長を利用して――フラムにとっては不名誉な利点だが――躱し、自慢の俊足を生かして一気に肉薄した。
 振り上げた拳を、躊躇なく振り切る……が、空を切っただけだった。代わりに身体のバランスが崩れる。
 シリアが咄嗟に風を足下へぶつけたらしい。上手い回避だと、フラムは感心した。――シリア自身も浮き上がり、身動き取れなくなっているのは……、まぁ初めての戦闘なのだから仕方ないのだろう。
 空中で自由に身体を動かすのは、慣れが必要だ。病床から復帰したばかりのシリアには何もできまい。
 そして、フラムは復調以来ずっと体術を鍛えてきた。空中できりもみ回転しながらシリアの頭上にチョップを叩き込むくらいは朝飯前だ。
 そんなこんなで、危なげなく――そう見せてはいたが、実際には結構冷や冷やしていたが――今日の修行は終了した。
 ――思いついたあの手は結局使わなかったけど、……まぁいいか。
 倒れたシリアの頭を、フラムは膝枕で受け止めてやる。
 チョップの威力に目を回したシリアのおでこを軽く撫でながら、フラムはわざとらしく溜息を吐いていた。

第五話『青嵐のシリア』④

 さらさら……と指の間を青い髪が擦り抜けてゆく。
 特に引っ掛かるようなことはない。
 するすると、滑るように髪が梳かれてゆく。
 ほのかに伝わる体温は、フラムの心を解きほぐしてゆく。
 シリアの頭を撫でながら、フラムは何度目かの溜息を吐いていた。
 思うところは一つだけ。
 ――ああもう……。ホントにこの子、可愛いなぁ……。
 滴りそうになる涎を辛うじて耐えきりながら、フラムは一心不乱になって頭を撫でつけ続ける。
 フラムはこういう、従順な子が大好きだった。というかむしろ大好物だった。
 ――サクヤも昔はこんなふうに従順だったっけ……。懐かしいなぁ……。
 どんなときでもフラムの後ろにくっついてきて、同じことをやろうとする。それが無性に可愛らしくて、一生懸命世話を焼いたのだった。
 そんな可愛い態度も、ある日を境にぱったりと姿を見せなくなってしまって久しいが、シリアにはその頃のサクヤの面影を感じてしまう。
『姉さまと一緒なら負けませんわッ!』
『一緒に戦えるなんて夢のようですの……』
『わたくしでは、姉さまのお役には立てませんの……?』
 一瞬でフラッシュバックした光景に、フラムは身が竦んだ。
 サクヤを思い出すと同時に思い出される、いつもの記憶。
 『異端の魔導士』としての烙印を押された、あの日の記憶が鮮明に思い出される。
 ――あたしは、ちゃんと変われたのかな……?
 ふと強張ってしまった指先に反応してか、シリアが声を漏らす。
「ん、んぅ……」
 ……起こしてはいないみたいだが、少し眠りが浅くなってしまったみたいだ。
 フラムは、自分の愚かさにもう一度だけ溜息をもらした。
 そんな折りに。
 ドタドタと響く足音。フラムはムッとして音のほうへ視線を送る。
 誰が来たかは考えるまでもなかった。
「シリアに膝枕だってッ!? なんて羨ましいことを……! くそぅ、それは僕だけの特権なんだぞ!!」
「来たわね。……このシスコン野郎」
 思わず頭を抱えたくなるフラムだった。

――

 林の奥から駆け込んできたのはシアンだった。
 青髪の少年は、普段はマイペースなくせに妹が絡んだときだけは感情を露わにする。
 そんな態度に何処か不機嫌になるフラムなのだった。
「ったく、ぼやぼやしてるとホントに妹に追い抜かれちゃうわよ? 『お兄ちゃん』?」
 どうにか言い負かしてやろうと思っていたフラムだったが、兄であるシアンの思考回路の暴走っぷりまでは読み切れていなかった。
「それならそれで本望だ」
 ドンと胸を張るシアン。シスコン、此処に極まれりだ。
 フラムはやれやれ、と肩を竦める。そんな彼女を労うように声を掛ける者がいた。
「ハハ……、済まないねフラム殿。ウチの愚息が馬鹿ばかり言って」
「本当よ、全く……。アイツはあたしの騎士なんだっていう自覚を持つべきだと思うんだけど?」
 皮肉を返してもシアンはへらへらと笑っていて無反応だ。もはや途中からは聞いてすらいないらしい。フラムはがっくりと腰から折れるのも無理からぬことだった。
「というか、シェルキスさん。『殿』はやめてよ。そんな大層な呼び方はあたしには相応しくないわ。敢えて呼ぶなら……、そうね。……やっぱり『劫火のフラム』とでも――」
 言い切るのを待つこともなく、シェルキス――こと、シアンの父はこう告げた。
「ならば私のこともシェルキス、と呼んでくれて構わないよ、フラムちゃん」
 途端にフラムは一歩後退り、ぞぞぞ~……と、背筋を振るわせる。フラムは慌てながら、拒絶の意を示した。
「『ちゃん』とかやめて頂戴! ……う~~、なんか他にないの……?」
 シェルキスはしばらく顎に手を当てて悩むと、しばらく悩んだ。
「……………………、では……『フラム君』で」
「……それでいいわよ、もう……」
 この、どことなく自分のペースを崩さない様子は、どことなく血の繋がりを感じさせるのだった。

――

 狩りを終えたシェルキスとシアンをつれて、4人は帰路に就いていた。
 シェルキスがキバイノシシを担ぎ、シアンは羽ウサギを掴んでいた。
 どちらも微量だが魔導石を取り込んだ生物だ。しかし、その量が少ないため、便宜上動物扱いとなっている。どちらも食用になる生物だ。
 キバイノシシは顎にびっしりと生えた牙や、刃物のように尖った外皮を持つものの、その内側の肉はかなりの美味だと言われている。しかし、堅い装甲を生かしたタックルは強烈で、猟師を何人も追い払う危険な生物でもある。シェルキスでなければこうも容易く仕留められる獲物ではなかっただろう。
 羽ウサギのほうも、美味しい食材として定評がある。しかし、こちらはかなりレアな食材だ。というのも、羽ウサギは警戒心が強く、人里近くにはほとんど現れない。そのうえ、羽のように発達した耳で羽ばたくことで、非常に高いジャンプ力を発揮して、木々の枝まで軽々と跳んでゆくものだから、狩るのは相当に難しい。シアンの高い集中力が実を結んだ結果だが、実のところ命中したのは運が良かっただけというのも確かだったりする。シアン自身、もう一度立ち会ったなら、捕らえられない自信があるほどに。
 そんな獲物を抱えて、4人の足取りは実に軽かった。
「さて、今日は快気祝いも兼ねて盛大にやろうか」
「もうっ、お父さん! 快気祝いはこれで3回目だよ?」
 シリアが呆れたように指摘すると、シェルキスは首を振る。
「なに、嬉しいことは何度祝ったって足りないさ。なぁ、シアン」
「うん、さすが父さん。良いこと言うよ」
 シアンの援護射撃にたじろいだシリアは、フラムへと視線を送る。
「フラムぅ……」
「……ハイハイ、アンタの気持ちはよ~く分かったわよ。けど、こればかりはあたしにもどうにもできないわ。諦めて頂戴」
 シリアは肩を落としてとぼとぼとついてくる。だがその表情は、決して暗いものではない。
 嬉しいのは、変わらないのだろう。
 ただ、身に余る厚意にただただ恐縮してしまっているだけだ。
 このムードに水を差すのは、あまり空気を読むことのないフラムでもさすがに躊躇われた。
 ……というよりも、フラム自身もっと祝ってあげたい、と思っているのかもしれなかった。
 呆れた顔をしながら、シリアの頭を撫でてやりつつ、どこかくすぐったい心地がするフラムなのだった。
「それに――、一息ついたら今後のことも話し合いたいしな」
 そんなシェルキスの言葉に、フラムは思うところがあった。
 今後のこと――。
 そろそろレブラス旧坑道の探索も一段落付く頃だ。
 クエスト自体はまだ残っているだろうが、ポイントを稼げるようなめぼしいところはもうないだろう。
 となれば、いつまでもここに留まっている理由はない。
 シアンも通っていた学校へ休学届を提出したし、シェルキスも家を貸し出す準備をしている。
 次なる目的地を決めるべき時だ。
 例年、この時期は季節の変わり時なので、魔物の大移動が起こりやすい時期だ。
 餌場を求めた大移動は近隣に大きな爪痕を残す。オーランドのように城壁の外側に家を建てられる土地は極めて稀なのだ。
 普通ならそんな家、保って数年だ。
 大きな魔境(ダンジョン)が近くに存在しないため、魔物の侵攻も少ない。それがこの街の風土を形作っている。
 魔導士のランクは低く、大規模なクエストもない。何の魅力もないただの街だ。
 レブラス旧坑道の件は、彼らにとっても寝耳に水だったのだろう。
 その所為でシアンは死にかけたし、でもそのお陰でフラムはシリアとも会えたわけだから、運命とやらはなんとも不思議な縁を生み出すものだ。
 まぁ、それは良いとして。
 城砦都市エルハイム。
 この隣町には、今不穏な噂が流れ始めているらしい。
 ……次の目的地を選ぶとすれば、まずはそこだろう。
 安全地帯に留まり続けることには、何の意味もないのだから。



to be continued...

あとがき

◆①
おおよそ一年ぶりの更新です。ハイ、サボってました。チッ、反省してまーす┌(。Д。)┐(←逆立ちしてる)
……それはともかく。
いろいろと感想を頂く機会がありましたので(なろう以外の場所で、ですが)、それらを生かしつつおもしろおかしくするためのお話を書く予定です。
第五話は再始動ということで、第四話のエピローグ的な位置づけでありながら、設定の再紹介や、説明しきれなかった場所の補足など、主に言い訳をするための回です。

・タイトル『青嵐のシリア』
シリアの魔導士としてのスタートを描くためのお話でもあります。
そんなわけで、シリアの字(あざな)をつけました。……シアンよりも早く。
青嵐は春の嵐みたいな意味だったような気がします。
一応、シリアは風属性に適正があるので、風系で攻めてみました。青髪だし、合ってると思う。
シアンとは違い、フラム・リミットも発症しているため、大規模の魔法が得意みたいです。

・補足ですが、フラムには、抱え込んだ熱からは逃れられないというイメージがあるため、それに引き摺られて熱を拡散させられないのですが。
シリアには、熱を解き放ち身軽になりたいというイメージがあるため、それに引き摺られて嵐のように周囲へばらまかれます。
このように人の持つイメージや思考などが、魔導術の結果にまで影響を与えるため同じ魔導具でも放たれる術は人それぞれ異なります。
謂わばそれが魔導士の個性というものになります。

・フラムとシアンの異端性を分かりやすく伝えられなかったというのも前巻の反省の一つなので、そこもリベンジしたい要素の一つです。
……シリアの騎士はどうしようかなぁ。シアンとのダブル契約をありにすべきか、せざるべきか。

・次回
講義の時間です。
……寝るなよ。読み飛ばすのも禁止!
ダメ、絶対!
……振りじゃないんだからねっ!

◆②
小刻みですみません。講義回です。
以前もらった感想から、質問やツッコミの多かった箇所に対する回答です。
もやもやしていた方の一助になれば幸いです。

・ええじゃないか
語源は調べてみましたがよく分かりませんでした。
昔に流行った言葉って解釈は違うんでしょうか?

・フラムの言動
テンションのアップダウンが激しいですが……。理由もあります。
なんだかんだでフラムは師匠を尊敬しています。素直にはそう言いませんが。
フラム・リミットである自分を救ってもらったこと。救う方法を教えてもらったこと。そこから魔導士としての生き方を教えてもらったこと。
そういったところからかなりの影響を受けています。
が、素の性格はいつもの破天荒な感じです。
フラム自身もそういうふうにしてるのがラクみたいですよ。
元のフラムと、師匠からの影響で、アップダウンが激しいかのように見えるのです。……ということにしておいてください。

・次回
バトル篇です。
魔導具で実際に戦うシリアを出します。
……タイトルが青嵐のシリアだしね。

◆③
バトル回です。
書いてるうちにテンション上がってしまって、いつもの亘里節全開です。本当に申し訳ありません。
シリアは実はものすごい魔導術のセンスがあるのでした。
ただ、こういうの書いてると、普通の魔導士が大したことないように見えてしまいそうで、ちょっとそわそわ。
バランス感覚を養いたいものです。

・次回
そろそろシアン出します。
実は、主人公はシアンという男の子なんですよ? 知ってましたか? 初耳でしたか? そうですかそうですか……。ふん、いいもん。気にしてないもんね!

◆④
第六話へ向けて――。
という話でした。

・今回では
「ファンタジーっぽい世界観が足りないよ! コウモリ出してファンタジーのつもりなの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
という意見から、不思議生物をちらっとでっち上げてみました。
それからオーランドという土地の特殊性も説明しつつ……。
仔龍についての弁明もしとけば良かったかも。

・次回からようやく本編に入るのですが……
前回、「サクヤのお話まったく意味ないね。カットでいんじゃね」
とか言われてしまったので。
その反省を生かして、ちょっと大きめの話を描く予定でして。
区切りをどうしようか考え中です。
そんなわけで、次回からエルハイム篇です。ご期待ください。

・予告(予定)
城砦都市エルハイム。
フラムたちが訪れるより前に、そこへ辿り着いた者たちがいた。
「待っていたよ、静かなる追跡者(サイレント・ストーカー)。
君たちに、フラムへの必勝法を教えてやろう。ふふ……、私のことは《師匠(マスター)》と呼び給え」

――次回、第六話『静かなる追跡者』