異世界奇譚~翼白の攻略者~


ある日異世界で目を覚ました俺は、黒髪、着物姿の女の子と旅に出ることになった。見れば見るほどゲームみたいなその世界を救うのが俺の役目だって!? しかもチート能力はおろか、過去の記憶すらなくなった俺には打つ手なんかないじゃねーかッ!! 「だいじょうぶですよ、ツバサ様。無理に頑張らなくても私が一生懸命補佐しますから。一緒に頑張りましょう!」 ……いっそ、このまま養生生活を続けるのもありかなぁ……。っていやダメだろ俺!?


第一羽【奇譚黎明】①

 俺は今、猛烈に眠い。

 なんならもう二度と目覚めなくなっても良いくらいだ。いや、どんなだ。
 まぁそれはさておき。それくらい過剰な眠気に襲われているというわけだ。
 寝たいのなら寝ればいいじゃないと、かのアントワネット氏も仰っていたような気もするが、それは眠れない人間の苦痛を知らないから言える台詞なのである。
 ああ、そりゃそうだ。いくら眠くたって眠れるわけがないのだ。

 ……こんなに何度も頬をぺちぺちとぶたれていれば。

 半覚醒状態を行ったり来たりしながら、俺は徐々に苛立ち始めていた。
 安眠妨害。これは許されざる大罪だと思う。異論は認めない。
 もはや七つの大罪の一つに昇格されるべき罪悪なはずだ。
 眠いときに起こされて、機嫌の良い人間などいない。どんなに温厚な人間でも寝起きは結構不機嫌だったりするものだ。少なくとも俺はそうだ。毎日苛つく。
 ホント、アラームとかこの世から消滅すべきだよな。学校なんて全部フレックスタイム制っていうの? それを導入するべきだと思うんだが。
 職場も遅刻にはうるさいし、二言目には意識が低いだの社会人として当然の行いだのと、不愉快極まりない。
 あんな悪しき風習を捨て去って、人間はもっと新しい方向に進化するべきだと思うんだがどうだろう。
 たとえば、働かない社会とか。引き籠もる社会とか。親の臑をかじる社会とか。
 ……うわ何それ、一瞬で破綻しそう……。……そうではなく。

 いや、いいんだよ。そんなことは。
 大事なのは、俺は眠いんだということ。
 そして、その安眠を妨害する悪逆の使徒が来訪しているということ。
 大事なのは、それだけだ。

 ……殺すべきだろうか。
 睡眠を妨害するのは大罪である。俺の辞書の中では最も重い罪であると記されている。
 そして、俺はそんな悪を許すことはできない。よろしい、ならば戦争だ。
 そう決意し、目を開ける。すると……。

 ――グアァァ! 目が灼ける! 目がァ! 目がァァァアアアアァァアァア!!!

 差し込む光に目が灼かれる。ムスカみたいな黒眼鏡が欲しい。
 これだから朝は嫌いなんだ。好きになれる要素など、一つも見当たらない。大っ嫌いだ。憎んでいると言ってもいいね。
 言うなればそれは、俺にとっての天敵なのだ。
 だからこそ俺は朝型の社会を滅ぼす。俺はそう決意した。

「起きてください! ツバサ様!」

 ぺちん! と頭に手刀が振り下ろされる。痛いというほどはないが不快というほどではある。というか何だ、鬱陶しい。
 誰かが俺の身体にのしかかり、俺を起こそうとしているらしい。ゆさゆさと身体を揺すられている。
 まったく、なんと汚らわしい行為だろう。悪逆の極みと言える。
 だって、普通に考えてみろよ。人が気持ちよく休んでるところに音で妨害し、衝撃で妨害し、光で妨害する。どう考えたって迷惑極まりないだろう。嫉妬やら暴食やら訳の分からん罪状よりもはっきりと分かりやすい悪だ。是即ちギルティである。反論なんてあるはずもない。
 よって、あまりにも気怠くてめんどくてダルくて出来れば避けたいところだけど、起きたら真っ先にこの、俺にのしかかっているヤツを仕留めるべきだろう。俺の正義を示すために。ヤツの悪事を裁くために。そのためにはどれほど残虐に殺したって構わない。ヤツはそれほどの悪事を働いているのだから。つまり、情状酌量とか甘いことを言う必要もなく、それはもうはっきりと分かりやすいくらいに滅殺すべきなのだ。

 ――分かったか? 今日がお前の命日だ。

 ぺちぺちと懲りずに頬を叩いてくるこいつの命もあと僅かだ。今のうちに精々、生を謳歌しろ。それがお前の余生なのだから。
 俺は少しだけ、相手を哀れみつつも、目を開いた。そろそろ光にも慣れてきたし、意識も覚醒してきた。覚醒してしまったことに対して、少なからず苛ついているのは確かだが、しょうがない。目の前の目覚まし人間を破壊してから、ゆっくり眠るとしよう。
 だから俺は仕方なく目を開いたのだ。そして、俺の顔を覗き込んでいたヤツと目が合う。
 そこには――。


 どストライクの美少女がいた。


 うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!??????? なにこれ超可愛いんだけど! メッチャ好みというかストライクまっしぐら! ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ! 可愛すぎて地球がヤバイ。俺の興奮で地上がヤバイ。全国の海が干上がるくらいにエキサイトしてるぜ! さぁ、弾け飛んでしまえェ!! ユニバァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーース!!!!!

 はぁはぁ……はぁ。俺は一体何を……?
 美少女は小首を傾げていらっしゃいます。良かった声に出てなかったよな。もし聞かれてたら軽く身投げするレベルだったよ。危ない危ない。危うく九死に一生を得たよ。

「ゆにばーす……? ってなんです?」

 はい? えっと…………。
 ……………………。

 死のう。

「ちょっと! ツバサ様! 何処に行かれるんですか?」
「ちょっとあの世にね……。今までありがとう。世話になった……」
「だから、ちょっと待ってくださいよ! 何言ってるんですか? 今回はまだ生き返ったばっかりじゃないですか?」

 生き返る……? 何を言っているんだこの子は……? ひょっとして頭がおかしくなっちゃったんじゃないの? もしかしてそれも俺の所為? 俺の衝動的な行動で、この美少女をそこまで追い詰めてしまったというの?
 馬鹿野郎。ギルティは俺のほうだろ。こんないたいけな少女を、人の道から遠ざけてしまうだなんて、あまりにも残酷だ。俺はなんてことをしてしまったんだろう。
 谷よりも深く、海よりも深く反省しよう。俺は今後まっとうに生きるんだ。今後こんなふうに少女の道を踏み外させたりはしないと誓おう。

 ……けど、睡眠妨害はやっぱり良くないよな。うん、やっぱ殺そう。殺さなくとも、半殺しくらいはしてしかるべきだろう。うん。……ていうか可愛いな。やっぱ結婚しよう。毎朝俺の味噌汁を作ってくれ。あるいは毎朝俺の白味噌汁を飲んでくれ。

「な、……なんでそんなおかしな視線を向けるんですか? ツバサ様?」
「だいじょうぶ。頭がおかしくなっちゃったとしても、俺がずっと面倒見てやるから。だから俺のことお兄ちゃんって呼んでみて」
「……おにいちゃん……です?」

 はぅあ~~! コクンって小首傾げてそれはヤバイですぜ~。うぅ、胸が苦しい……。はっ。もしやこれが、……恋?

「……ってそれどころじゃないんでしたっ! 目が覚めたんなら、早速行きましょう、ツバサ様!」
「早速イクとか、……ぶふぅッ! は、鼻血が……」
「? ……なんだかおかしいですねぇ、いつまでペルソナのままでいるんですか?」

 ペルソナ? あれか? 頭に拳銃みたいなの突きつけて召還とかするやつか?
 いやぁ、さすがにあんな新手のスタンド能力みたいなのは身につけてはいないなぁ。
 今日のニホンでそれを身につけていると自称するヤツはただの中二病でしかないだろうし。

「……やっぱりなんかヘンです。ねぇ、ツバサ様。私が誰か分かりますか? ここがどこだか分かりますか? ……あなたが誰なのか思い出せますか?」

 少女は尚も質問、というか段々詰問という表現をすべきなくらい執拗に質問攻めしてきている。
 可愛い女の子に攻められるとかちょっと燃えるな。なにこの胸熱展開。
 ……私のこと好きって言ったでしょ? みたいな修羅場系ってやっぱりちょっと憧れるな。あまりに縁がないもんだから。

「聞こえてますか? ツバサ様、あの、思い出せます? 前回の世界のことを……」
「前回……? なんのことだ?」

 そういえば、ムカついたり、ときめいたり、求婚したり、発情したりしていたせいで、すっかり意識からすっぽ抜けていたけれど……。

 ここはどこだ……?
 空は無機質な灰色で、周囲は一面の荒野。見渡す限りそれしかない。
 俺の目の前には黒い着物を着た少女がいるだけだ。……ちなみに結構丈が短くてミニスカチックな作りになっている。白くしなやかな太腿が目に眩しい。
 ちなみにこの子を……俺は見たことがない。初対面のはずだ。……でもなんか、他人って気はしない。他人のそら似みたいな感じだ。知ってるようで知らない感覚。

「ここは、どこなんだ? それに君は、……誰?」

 俺がそう訊いた瞬間、少女は少し、傷ついたような顔になった。「誰?」って言ったからか?
 けど、知らない。知ってる振りなんかしてもすぐにバレるだろうし。
 大体そんな芸当がこなせるのは上条さんくらいのものだろう。……ってなんでそういう知識は残ってるんだ、俺よ。

 ……それに、……大事なことに気づいちまった。
 今更ながら、……というよりは無意識に避けようとしてしまっていたのかもしれないが……。

 俺は、……誰だ?

 何も思い出すことはできない。普通にゲームやアニメをプレイして生きていたのは覚えているんだ。このキャラが好きで、このシーンが泣けて、このシチュがワクワクしてたまらないんだとか、そういうのは思い出せる。
 けど……。
 もっとパーソナルな情報。
 学生時代の記憶。思い出。家族の名前。友達。みんな。
 俺の記憶には、全く残っていない。
 ……自分の名前すら、思い出すことはできない。

 急に寒くなってきた。
 いや、震えが走っただけだ。
 怖い。だってそうだろ。平常通りでいられるのは。日常空間があるからなんだ。
 その平常が、俺にはない。それは、俺には日常が存在しないってこと。
 俺は独りぼっちなんだってこと。

 俺はそれからどんな顔をしていたのかは分からない。
 ただ、動揺して、我を失った俺のことを、少女が献身的に励ましてくれていたらしい。
 はっきり言って上の空で、何を言われているのか全く分からなかったけれど、それでも思うところはあった。

 人の温もりってやつは、ホントに人を救ってくれるんだなってこと。
 茫然自失とした俺をしっかりと抱き留めてくれた少女の温もりは、どこか懐かしい心地がした。

第一羽【奇譚黎明】②

「どこから説明しましょうか……」

 少女、……いや訂正。『美少女』が思案顔でそう言った。

「簡単に言うなら、私たちは世界を救うのを生業としていて、前回の世界を救った後、こちらの世界へ転移してきたのです。ですが、ツバサ様はその時多くの力を消費していたので、意識を失っていたんです。そして、起きたら……。……こうなっていました」

 随分と簡単に説明してくれたお陰で、詳細はさっぱりと掴めないけど、この世界へは来たばっかりで、来た瞬間俺は意識を失い、そのまま記憶まで失ったらしい。なんということだ。勇者よ、記憶を失ってしまうとは情けない。……いや、無茶言うな。
 さすがに小一時間少女に……否、美少女に慰められたお陰で気持ちは大分落ち着いたけれど――落ち着き過ぎなきらいもあるけれど――、ともかく俺は正常な思考能力を取り戻していた。

「あなたの名前はツバサと言います。厳密に言うならば翼龍と呼ばれる龍の一体で、神に等しい力を与えられています。その力を用いて数多ある小世界の歴史を修正し、あるべき状態へ戻すのが私たちの仕事でした。ですが、今の状態でそれを続けるのは困難でしょうね。今はじっくりと休んで、記憶の回復に努めましょう」

 美少女はそう言うと、俺を労るような笑みを浮かべた。
 俺はというと、正直困惑していた。

 いや、だっていきなり翼龍だぜ? ツバサ様だぜ? 名前はあんまり中二臭くないし、それはまぁ良いんだけど……。世界を救うのが生業って……、何処のウルムナフ・ボルテ・ヒュウガだよ。そんな仕事があってたまるか。……そういえば、シャドウハーツの新作っていつ出るんだろう。リメイクでも良いんだけど。わりと切望してるんだけど。……とまぁそれはともかくだ。

 どうしてこうなったのか。これからどうなるのか。
 この疑問が思考の中核になってくる。
 どうしてかは分からない。この子にも分かっていないのなら、俺にもさっぱり分からんだろう。そもそも記憶がないのだから。
 これからも分からない。まぁ幼女させてくれる……違った。養生させてくれるというのなら、それは大いに助かる話だ。いきなり世界を救いましょうとか言われても困るし、正直逃げていたかもしれないくらいだ。
 けど、もしかしたら俺ってば、何かしらのチート能力とか持っているのだろうか。だとしたら、世界を救うのもやぶさかではない。むしろ犯らせろと言いたい……じゃなかった。やらせろと言いたい。性的な意味でなく。

「なぁ、……えっと…………」
「……?」

 あれ……? なんて呼んだら良いんだろう。そういや自分のことばかりで、この美少女のことを何一つ訊いていなかった。俺としたことが失敗だ。紳士として、これではいかんのだ。

「今日和(ボンソワール)、お嬢さん(マドモワゼル)、君こそが、私のエリスなのだろうか……?」
「……? エリスじゃないですよ? 私は菊花(きっか)といいますので、そう呼んでください」

 胡散臭い髭面の男風に喋ってみたんだが、ツッコミがないのは少し寂しいな……。其処にロマンはあるのだろうか……。

「えっと、菊花ちゃん……?」
「そんないつも通りの呼び捨てでお願いします。……あ」

 菊花はあんぐりと開けた口を、手で覆っていた。
 失敗した、と思ったのだろう。さっきまで散々俺は落ち込んでいたものだから、気に掛けてくれているらしい。
 気持ちは大変ありがたいし、もちろん嬉しいのだが、もう結構立ち直っているし(菊花の献身のお陰で)、あんまり気にされるのもなんだかなぁ……。

「……はは、もう大丈夫だよ」

 ファミ通の攻略本だよ。と付け足したくなったが、すんでの所で堪える。伝わらないボケほど空しいものはない。
 仕切り直して……。

「じゃあ、菊花。一つ、聞きたいことがある」
「はい。何でしょう?」
「俺はどんな能力を使えるんだ?」

 第一に訊きたいのはそれだ。
 できることが分からなければ、作戦など立てようがない。
 実際に世界を救うにしろ、救わずに養生するにしろ、できることは把握しておいたほうが良いだろう。

「えっと……。私も全てを把握しているわけではないのですが……。まずはペルソナの能力。これは世界に溶け込むための能力です。普段のツバサ様の人格を眠らせて疑似人格――ペルソナに切り替わり、日常生活を送るための能力です。ペルソナ時はツバサ様の能力は封印され、その世界の普通の人間と同じ体質になります。平時から戦い続けているわけではありませんからね。世界に溶け込む能力が必要だったんです」

 さっき言ってたペルソナがどうこうというヤツか。
 ……なんだ、異世界みたいな話だったから期待してたのに、影時間もマヨナカテレビもなしくさいぞ。ちょっと残念だな……。

「ですが、今のツバサ様もペルソナ状態みたいなんですよね。前回の世界のペルソナと似た人格ですし……。ひょっとして、ペルソナが常時発動状態なんでしょうか……。だとしたら、以前の能力は封印されているのかもしれません」

 な……、なん……だと……。
 もしその話が本当だとすると、何のための異世界なんだって話だ。
 色んな世界を巡れても、チート能力なしじゃああまりにもキツイ。オタクにはそんな高い順応力はないんだぞ? ゲームに対する適応力しか取り柄がないんだぞ?

「……ちなみに、一つ訊きたいんだけど。本来の俺なら、一体どんな異能力が使えるの?」
「空間転移から物質精製まで、やりたいことは大体できると仰っていましたけど……」
「嘘だろォッ!? そんな超異能が使えないとか、どんな縛りプレイだよ! ……いや、何かのきっかけで覚醒するはずだ。内なる俺がきっと力を貸してくれるはず……」

 大体、空間転移とか物質精製とか、できると言われてもやり方が分からん。大体、物質精製だかエーテル・マテアライズだか知らないが、どこぞのヴァルキリープロファイルかっつーの。ペルソナ状態だと発動できないらしいから多分無理だろうけど……、もしかしたらできるのかも……? まぁやり方が分からないからどっちみち無理か……。
 そんな異能が使えれば、世界を救うのなんざ楽勝だろうけど、どうにも現実味が沸かない。どうしたものか。……んっふ、困ったものです。

「……まぁ、これからのことを考えるよりも、先に今日の寝床を確保しましょうか。えっと……この辺に街はないんですかねぇ……」

 菊花はそう言うと、シュビっと手を振って中空にホログラムみたいのを表示させていた。

「なんだそれ!? ズルっ! そんな能力使えるのかよ! 俺も欲しい! 異能が欲しいよぅ!」
「え……? いやですねぇ、ただのメニューウインドウじゃないですか。こんなの誰にだってできるじゃないですか」
「さも当然のように!? そんな簡単にメニューとか出ねえから! お前の席ねぇから! ……って出たしっ!!」
「当たり前じゃないですか。……あ、でも確かに前の世界では出ませんでしたねぇ。あんな世界はかなり珍しいですけど」
「えぇ!? メニューが当たり前とか、ゲームのつもりかよ……」
「ああ、そういえば前回の世界ではゲームなんてものもありましたね。普通は現実世界のほうがあんな作りになってるんですけど、……ホントに珍しい世界でしたよね、……あ」

 またも失敗したみたいな顔してやがる。うっかりさんめ。って、そのくだりはもう良いんだよ。確かにリアクションはいちいち可愛いけど、毎回ほっこり癒されるけど、そうではなく。
 俺の知ってる世界ってのは、いわゆる現実世界だ。学校があって、社会があって、外国では毎日戦争があって、そこでは銃声や罵声が当たり前のように飛び交っている。
 世界は一部を除いて比較的平和で、俺の住んでいる国は特に平和だった。その所為か、イジメや引き籠もりなんかが社会問題の一つになっていたくらいで。
 人間の死因は自殺が一番多いくらいに安全な国だった。つまりはそれが前回の世界。……そういうことか。

 一体、それをどんな風に救ったのか。その辺はさっぱり分からないけどな。

「あっ! 近くに村があるみたいですよ! 早速行きましょう!」
「お、おい! ……ちょっと待てって!」

 俺の制止の声も聞かずに菊花は俺の手をぐんぐんと引っ張ってゆく。
 その思いの外、力強い手に引かれて、俺の異世界生活は幕を開けたのだった。

第一羽【奇譚黎明】③

 辿り着いた場所はなんというか、素朴な村だった。
 ゲーム風に言うならば、BGMがなくて環境音だけでも場が持ちそうな感じの雰囲気と言えば分かりやすいだろうか。
 ギシギシと音を立てて回る水車に、さやさやと流れる小川のせせらぎ。鳥や家畜の鳴き声が僅かに聞こえ、カッポカッポと馬車を引く馬の足音が遠くからでもはっきり聞こえる。
 人々の生活音がそこかしこに息づいていて、BGMなんかついてたら蛇足にしかならないだろう。そんな雰囲気の村だった。

「まずは情報収集ですね。……こんにちわ! ちょっとお話を聞いてもよろしいですか?」

 菊花は気軽な感じで第一村人に声を掛ける。バラエティ番組と錯覚するくらい自然な声の掛け方だ。こういうコミュ力ってどこで養うんだろうな。

「おやおや……、これはこれは、旅のお方ですかな……? こんな寂れた村へどんなご用でしょう?」
「私たち、荒野を通ってきたんですけど……」
「おやまぁ、……あそこはほとんど魔物はおりませんが、その代わりに、時々物凄く強力な魔物が現れたりするんですよ。無事に済んで良かったですねぇ」
「あはは……、そうだったんですか……」
「……ええ。これも白神アウラの思し召しでしょう。ありがたいことです……」

 くたびれた風の老婆はそう言って、柔和に微笑んで見せた。
 随分と危ない場所にいたみたいだな。ちょっと長居していたし、もしかしたら襲われる可能性だってあったわけだ。僥倖と言わざるを得ない。
 それにしても……、魔物か。
 平然と言われるとなんか違和感あるな……。やっぱゲーム世界に迷い込んだみたいだ。……というよりも。

 考えてみれば。
 それぞれの世界たちがゲームのような作りなのだろう。
 俺たちがいた、俺たちの世界だと認識していたあの現実世界すら、数ある世界の一つでしかなかったらしい。
 広大で、膨大で、果てなんて見えない永遠に続くかのように思っていたあの世界すら、小世界と呼ばれているくらいに。
 少なくともツバサと呼ばれていた男と、菊花からしてみれば、そんな矮小な世界の一つでしかなかったわけだ。
 菊花は言っていた。あの世界は、変わっていた、と。
 普通が『これ』ならば、成程、分からなくもない。
 俺たちの世界が、異常だった。

 そして。
 そんな世界を普通と感じている俺からすれば、それ以外のほとんどの世界が異常だ。
 ファンタジー……、幻想みたいなこの世界が現実とか……。慣れるには時間が掛かりそうだな……。

「ツバサ様っ! おのお婆さんに色々伺いました。まず、最初に私たちが居た場所は、〈忘却の荒野〉と呼ばれる場所らしいです。なんでもかつて世界が混沌に支配されていた頃の魔族の城が建てられていた場所なのだそうです。今ではもう廃墟になっているそうですが……。そして村の、荒野とは反対側には街道があるらしくて、そちらへ進むと王都があるそうです。情報収集も兼ねて、まずはそちらへ向かうとしましょう!」
「そうか……。じゃあ、そうしようか」
「そうですね! けどまぁ、とりあえず今日のところは休みましょうか。……一応、養生するのであれば、ここで生活を落ち着けるというのもできますけど、如何されます……?」
「それは……」

 そんなすぐには決められない。
 魔物がいる世界だ。じっとしているに越したことはないけど、こういう田舎は娯楽が少ない。
 何より、ネットもゲームもない世界で、引き籠もりようがないしな。すぐに飽きてすることがなくなるだろう。
 ファンタジー世界だし、しばらくは楽しめるかもしれないけど、それもいつかは終わる。
 なにより……。
 ゲーマーの性なんだろうが、見知らぬ土地ってのはちょっとワクワクするもんなんだ。
 じっとなんかできるわけもない。
 だから、答えは決まってるようなもんだ。

「……世界を救うかどうかはともかく、こうやって旅をするのも面白そうだな」
「……えへっ。私もツバサ様とまた、冒険できると思うとワクワクします! 前回は随分と時間掛かっちゃいましたし、冒険もありませんでしたし。今回は楽しみましょうね! ……心配しないでください、私が必ず元のツバサ様に戻して差し上げますから」

 菊花はそう、最後に決意を込めた表情で呟くと、てくてくと先導してくれる。
 俺はその言葉に、少しだけ胸が詰まりそうになったが、嬉しそうな彼女の手前、それは表には出さずにおいた。
 その魅力的な笑顔に、水を差すのは、さすがに躊躇われた。
 ……それが自分にとっては死活問題に繋がるかもしれないと、予感しながらも……。

 こういうファンタジー世界では、宿の手続きとかどうするのかよく分からなかったから、店主との遣り取りはほとんど菊花に任せてしまった。郷に入っては郷に従えというし、ちょっと意味は違うかもしれないけど、まぁ、慣れてる人に任せるのが一番だよな。
 バタンと戸を閉めて一息。俺は取り敢えずこう告げた。

「やっと二人きりになれたね……」
「ふぇ……? そ、そそそそんなっ、なな何を……っ!」

 違った。完全に血迷った。誰でも一度は言いたくなるだろ。男の性だろ。ロマンシングでフロンティアだろ。そのうえミストレルだろ。……じゃなくて。

「すまん、間違えた。いや、ヘンな意味じゃなくて、色々訊きたいんだけどさ……」
「……でも、別にイヤってわけじゃないんですけど……。恐れ多いと言いますか、恥ずかしいと言いますか。けれど、求められたら答えるのが従者の務めでもありますし……だったらそれに答えなくちゃダメですよね……」
「あ、あの……菊花さん?」
「ふ、ふぁいっ! あ、あのあのあの、ふちゅちゅかものですが……」
「……あー……、えっと。この世界のことについて訊きたいんだけど……」
「……あれ……? …………はっ! はい! そうですね! なんでしょうか!」

 ふぅ、危ない危ない。図らずも口説き落とすところだった。
 もちろんそうしたいのは山々なんだけど、コイツが好きなのはたぶん〈元のツバサ様〉で、〈俺〉ではない。それを利用するのは何となく気が乗らないし、悪いことのような気がする。
 何より、下手なことをして見限られたらそれこそ目も当てられない。
 俺には菊花しか頼れる相手がいないのだ。異世界で、俺を知っているのは菊花一人。
 菊花が居なくなれば、俺はこの世界で何もできない。
 それはイコール死を意味する。……俺だって死にたくない。
 だから軽々しく、こういうことを言うべきじゃないし、するべきじゃない。悔しい限りだが、紳士道は控えるしかあるまい。……誠に遺憾だが。

「俺は、菊花が言うところの〈前回の世界〉しか知らない。だから、この世界のことも他の世界のこともよく分からない。だからこそ訊きたいんだが、この世界のルールってなんなんだろう。俺の知ってる世界にはルールらしきものは何もなくて、やりたいことができて、やりたくないことはやらなくても良かった。その辺はどうなんだ?」
「……そうですよね。配慮が足りなくて申し訳ありあせん。私がもっと気を利かせるべきでした。全ては私が至らなかったことが原因です。如何様な処分でも受けますのでどうか……」
「いやいやいや、そういうんじゃなくてさ。純粋に教えて欲しいんだ。まだここへ来て数時間しか――少なくとも意識のうえではそれくらいしか経ってないんだ。だから、教えてくれ。これがゲームなら適応してみせるし、これが現実ならなんとか順応するから」

 菊花はなんだか責任感が強くて、その所為かちょっと面倒臭い方向へ話が向かっていきがちだから、こっちが下手になって話を進めるほうが多分早い。
 目論見は功を奏したらしく、菊花の表情は僅かに明るくなったようだ。

「……結論としては、ゲームでもあるし、現実でもある、ということです」

 菊花は神妙な顔でそう言う。
 SAOのキャッチフレーズみたいな台詞を、言った。ゲームであっても遊びではない、みたいなことか?

「この世界の仕組みは前回の世界で言うところの、ゲームと一緒です。ですが、同時に現実でもあります。死ねば生き返りませんし、時間は逆行しません。もちろん、ルールの中であればそれに抵触することもありますけれど。それは、電気ショックのお陰で止まった心臓が動き出すのと同じで、ルールに基づいた現象であれば、の話です」

 成程。まぁそりゃあ、〈現実〉だわな。命があって、死がある。歴史があって、現在がある。至極真っ当な世界だ。

「ですが、この世界にもルールはあります。メニュー画面を見る限りでそれを類推するしか現状調べる手段がありませんが、ステータスが存在して、熟練度ページがあります。だから、ステータスの向上により、発揮できる力に影響を及ぼし、熟練度の向上で何かの性能が上がるんだと思います」
「……つまり、セーブポイントはない……?」
「そうですね……。あれはゲーム特有の存在でしょう。現実では存在し得ない。少なくとも私は今までの世界でも見たことがありません」
「……となるとやり直しは利かない。……まぁ確かに現実だわな……」

 そこもやはり真っ当な現実か……。まぁ筋肉とか関係なしにステータスだけで力が発揮できるってのは、少し不思議だけどな。それとも、筋肉量がそのまま力のステータスに反映されるんだろうか。まぁそこはまだなんとも言えないな。世界によっても変わるんだろうし。
 それにしても、熟練度システムか……。
 分かりやすい成長システムだよな。努力という現象を思いっきり簡略化した数値。努力は無駄にならないっていうならまぁ素晴らしい世界なんだけど。

 そして分かりやすくファンタジーな数値がもう一つ。
 〈魔力〉。
 この世界には魔法が存在するのか。科学ではなく、魔法。
 世界を支配する現象が異なるのか。科学と同じ現象を魔法が代理で行っているのか。

「そこはやはり、世界によって変わりますね。この世界では、どうなんでしょう……? ただ、白神アウラと言っていたことから、恐らく自然信仰に近い概念だと思うので、きっと方術系か法術系でしょう。鳳術系……はさすがにないかと。あんなレベルの魔法が一般化されていたら、さすがに世界はもっと混沌としているはずです」
「全部〈ほうじゅつ〉にしか聞こえないんだけど……、なんか違いあるの……?」
「う~ん、使うエネルギーによって名称を使い分けているんですけど……。でも、確かなことは分かりませんし、今は気にしなくていいですよ?」

 むぅ……。ちょっと中二心がくすぐられるんだが、困らせるのもなんだし、まぁいいか。どーせ、聞いても分からないだろう。
 魔法なんて言われても使う心地なんか想像もできん。しかしまぁ使ってみたい気持ちも少なからずあるな。明日は菊花にその辺を聞いてきてもらおうかな。

 そんなこんなを話ながら、菊花が買ってきたシチューとパンをもしゃもしゃと平らげて、それぞれのベッドに入る。
 ……そういや、この子ったらどこからお金を手に入れたんだろうか。……まさか、売春……?
 いやいや、さすがにそれはないよ。考えすぎ考えすぎ。……だよな?
 そうは思いつつも、視線を向けてしまう。

「んぅ……」

 菊花が寝返りと共に吐息を漏らした。
 女の子の声にぞくりと背筋が震える。
 ……そういや、なんで同じ部屋なんだろうな。据え膳喰らっていいのかしら……? ……良いわけね―だろjk。
 しかしまぁ、もやもやした気持ちになるのは仕方ない。なんたって十代だからな。……あれ? 十代なのか? 二十代? 記憶がないとこういうところも困るな。考えてもしょうがないか。
 なんて、思っていると……。

「ぐす……ツバサ様ぁ……」

 なんて声が漏れてきて……。
 俺は一晩寝苦しい夜を過ごす羽目になったのだった。



to be continued...

一羽 あとがき

■コンセプトとか
「小説家になろう」で一番人気のあるコンテンツ、異世界漂流ものをやりたい! ……という思いで作ったお話です。
ツバサ云々という設定はネタ帳に埋もれていたアイデアの一つです。
再活性化したペルソナ。翼龍の名を冠するツバサ。異世界の危機。
そんなファクターを詰め込んで作ってみました。
ちなみにもし軌道に乗るようなら次の世界のお話も書くかもしれません。まぁ普通に考えたらないだろうけど。

■概要というか
なろう名物、異世界漂流したい! というところはコンセプトの項でも書いた通りなのですが、ちょっと普通の設定ではありません。
まず、一般人が異世界行って無双する話ではなく、神に近しい存在が、人間の振りをしていた頃の人格を宿したまま異世界に顕現します。
現実世界のパロディネタをふんだんに盛り込みつつ、現実の記憶は想起しない。この辺は設定上の理由ですが。
まぁ普通の異世界漂流は書き尽くされてるのでその程度のオリジナリティはあってもいいかなーと思った次第です。

■伏線とかもろもろ
過去作とかも意識しつつ、今後の展開を考えつつ多少仕込んではいますが、あんまり細かいところは決めていないため、回収しきれない可能性は存分にあります。
その時は後ろ指さして笑ってやってください。

■余談。
・タイトル案です。
次元亘ル翼 ダサイ。
ツバサトリップ ベタすぎる。
次元亘翼-トキワタルツバサ- やっぱり微妙。
異世界奇譚~翼白の放浪者~ 無難。
異世界奇譚~翼白の攻略者~ やっぱり無難。

・率直に言って、あまり気に入ってないので、今後変わるかもしれません。
それと、「こういうタイトルいいんでないの?」「こっちのが受けると思われ」「つーかダサくない? フツー、こうっしょ!」
……みたいのがあったら感想欄でも何でもいいのでご意見ください。
作者はプライドの塊みたいな人間なので素直に受け入れるとは思いにくいですが、考慮はしますので。よしなに。