異世界奇譚~翼白の攻略者~


ある日異世界で目を覚ました俺は、黒髪、着物姿の女の子と旅に出ることになった。見れば見るほどゲームみたいなその世界を救うのが俺の役目だって!? しかもチート能力はおろか、過去の記憶すらなくなった俺には打つ手なんかないじゃねーかッ!! 「だいじょうぶですよ、ツバサ様。無理に頑張らなくても私が一生懸命補佐しますから。一緒に頑張りましょう!」 ……いっそ、このまま養生生活を続けるのもありかなぁ……。っていやダメだろ俺!?


第二羽【初陣日和】①

 俺は翌朝、店主がくれたというお茶(たぶんハーブ茶とかそんなの)を啜っていた。
 異世界ものって、大体食料が合う合わないがかなり極端に別れてることが多いと思うんだけど、この世界では――より厳密に言うなら、このお茶は美味かった。
 味わいはさっぱりしていて、匂いは結構する。キツイ感じではなく爽やかな芳香だ。ジャスミン茶とかに近いのかもしれない。

「リーティス茶というそうですよ。この村の名前と同じなので、きっと特産品なんでしょう」

 菊花はそう言った。
 そうか。そんな名前だったのか。ゲームみたいに分かりやすく、村に入ったときにお姉さんが「ここはリーティス村よ」とか言っていてくれないと分からないな。
 まぁ最近だとテロップ風に表示される作品が多いから、レトロゲーでもないと見掛けなくなったけど。

 そして何気なく手元にあった紙を広げて、俺は溜息を吐いた。
 困ったことはまだまだある。
 文字が読めない。菊花が持ち帰ってきた書類も茶色っぽい原始的な紙で、文字はアルファベットのようなよく分からない文字の羅列だ。
 横書きみたいだし、たぶん読む方向も右向きだろう。こちらの世界でも右利きが多いとかたぶんそんなオチなのかな。
 右利きの人に使いやすいように文字が開発されているらしい。
 ……というかこれも覚えなきゃいけないのかな……。果てしなくめんどくさい……。

「見たところ、草原を越えたところにもう一つ村があるみたいですね。今日はここまで向かってみましょうか」

 菊花が地図らしき紙を見ながら、そう告げる。
 どうにも彼女には文字は読めるらしい。なに、俺は能力を封印されているからとか、そういう話だ。
 だから俺には異国の文字にしか見えないし、菊花にはきちんと読むことができる。
 この辺も如何ともしがたいところだ。
 大体、俺の正体は聞いたけど、菊花は何なのかということを、そういえば聞いていない。
 最初に聞こうとしたら、すごく辛そうな顔されちゃったもんな。
 大切なツバサ様が変わってしまったこと。そして忘れられてしまっていること。
 どっちも考えたくないイヤな話なんだろうしな。
 ……上手いこと訊ければいいんだけど、生まれてこの方コミュ障の鑑のような人生を送ってきたからな(記憶はないから多分だが、自信はある)。そんな器用な真似ができるわけもない。
 機を窺うしかないかな……。

「となればまずは準備ですね! 傷薬や薬草をいくつかと、簡単な武器・防具が必要でしょう」

 立ち上がると、菊花は袋を担いだ。ここの宿を取ってから買ったり貰ったりしたものを収めたものだ。
 忘れ物もないし、後顧の憂いもない。……ここで安穏とした幼女生活――おっと噛んでしまった。……養生生活を送るのも悪くはないのだが、やっぱり退屈そうだ。
 菊花に身の回りの世話とか、それこそナニの世話とか、色々お任せしたいところだけど、そこのところは呑み込んでおこう。
 ……度胸がないだけとも言えるが、それはさておき、出発の時間だ。
 ――このファンタジー世界を冒険できるってだけで、心は結構色めき立っていた。

「そういえば、ナチュラルにニホン語が通じてるよな……。どういう理屈なんだろ?」
「それは、ツバサ様や私たちが持っている能力の一つですよ」
「また、それか……」

 正直ツバサ様の偉業や異能を自慢されるのにちょっとだけうんざりしてきている。
 菊花はそれこそ自分のことのように自慢げに、愛しげに話してくれるけど、でもそれは、俺であっても俺ではない。
 記憶もないし、今は能力も引き出すことができない。

「現状、ペルソナの封印もツバサ様の力の一つですが、〈人語解訳〉もその内の一つなんですよ? 異世界で生きるうえでは重要性が高い能力ですからね。こちらは顕在化しているようで良かったです」

 菊花は朗らかに笑う。
 菊花は楽しそうに町中、というか村の道を進んでゆく。
 長い裾をぶんぶんと振って、下駄をカランコロンと鳴らして、頭の上のほうで結った髪が元気そうに揺れている。
 見る度に魅力的な女の子だと、そう思う。
 見たところの年齢は十代にしか見えないけど、結構しっかりしているし、能力とやらも高いので、いざという時も頼れそうだ。
 ちなみにステータスも確認させてもらったんだが、平均値が80以上で高い能力は100を越えている。比較に俺の能力値を晒すと、高い能力で20越えてる程度で、低いものだと10もない。たぶん俺が菊花に勝負を挑んだら、赤子の手を捻るかのようにボロ負けするだろう。例えるなら軍人と一般人(パンピー)みたいな感じか。……泣きたくなるな。

 村とはいえ、家が林立しているわけではないので、宿から商店まではちょっと歩くらしい。
 街道沿いに家が数軒建っているだけの本当に簡素な村だ。若い村人も少ない。少子化の波がここまで……って、んなこたぁない。
 若い連中はみんなもう少し栄えた街で暮らすんだろう。そういうのはたぶん異世界でも変わらない。
 人間であるという点は、同じだ。そう思うと、少し冷めてくるものもあるな。……賢者モード乙だな。

「あ! 見えましたよ! あれじゃないでしょうか!?」

 菊花が指さす方向にある少し大きめの家。のれんが立て掛けてあって、文字は読めないが、見たところ商店っぽい。
 菊花がまたぐいぐいと俺の腕を引っ張ってくる。手とか触れてるんだけど、そういうのは気にしないのかね。俺は結構ドギマギしてるんだけど。ドギマギしすぎてまどマギしてるくらいなんだけど。あたしってほんとバカ。

「……らっしゃい」

 店の中から現れたのは、壮年の親父だった。白髪頭の世捨て人みたいな爺さん。見るからに何かの達人かなんかっぽい。
 刀を持たせたら卍解とかしそうだ。

「手持ちはこれくらいあるんですけど、これで冒険用の装備を調えたいんです」

 菊花がこれまた高いコミュ力でそう伝えると、爺さんはゆっくりと頷き、棚へ向かう。
 動作は物凄く格好いいんだけど、遅いな。一歩一歩がすげぇ遅い。やる気あんのかコイツ……。
 思わずボタン押してスキップしたくなるんだけど、そういう便利機能ないのかしら。ないか……? ……ないな、うん。

「これなど、如何か……?」

 爺さんが持ち出したのは、、シンプルな剣だった。
 鉄の剣。まぁ基本だよな。
 長さはナイフとか包丁よりは大きいけど、刀とかよりは短いらしい。
 あんまり長物持たされても使いこなせそうにないし、この辺が無難かもしれない。

「……なるほど。悪くないですね……」

 菊花が剣を手に持つと何やら検分を始めていた。
 色んな角度から眺めたり、片目を閉じた状態から光に反射させたりしている。それで何か分かるのだろうか。
 やがて、手に持って振ってみたり、お手玉するみたいにポンポンと放ったりしている。軽さを確かめているのか……?
 そうやってしばらく弄んだかと思うと、今度はそれを俺に渡した。
 え……? 今度は俺がそれやるのん……? 

「気に入りました。……ツバサ様、これにしましょう」

 どうやら、これに決まったらしい。
 もちろん異論などあるわけもなく、この剣は購入に決まった。

「さて、次は防具を買いましょうか」

 菊花がそう呟くと、店主の爺さんは今度は隣の棚へ歩き出した。
 ……だから、遅えって。ふざけてんのかこのジジイ……。
 牛車の歩みで辿り着くと、爺さんは革の鎧を取り出した。
 選ぶのは早いんだが、動作があまりにものろい。
 客を舐めてるんだろうかコイツは……。

 今度は菊花が革の鎧をグイグイと引っ張ったり叩いたりしている。なんでも試すのね。用心深いというか、慎重というか、疑り深いのだろうか。

「うん、裁縫もしっかりしてますし、だいじょうぶでしょう。ツバサ様、如何ですか?」
「うん、じゃあそれで」

 異論などあるわけもない。
 それだけ試されたら、困ったな……もう本当に何もする事がない……。って封神演義(マンガのほう)の姫昌みたいに往生しそうになる。

「じゃあ、これでお願いします」
「うむ。ではその袋の中身を全て置いていけ」

 爺さんはとんでもないことを言いやがった。
 あんだけのんびり歩いといて、取るとこはガッツリ取りやがるな!

「はい、分かりました」

 菊花は呆気ないくらい簡単に頷いて袋ごと渡してしまう。

「あ、ああぁ……」

 と、俺はカオナシみたいな物憂げな声を出してしまうが、菊花は止まらない。

「……毎度」

 爺さんが背を向け、また喧嘩を売るような歩行速度で立ち去ってゆく。
 歩くような速さで、ではなく、這うような速さで、爺さんはカウンターに戻った。
 俺は思わず伸ばした手を、所在なさげに下ろすしかなかった。

「……それでは、行きましょうか!」

 元気に声を放つ菊花に俺は力なく頷くしかない。
 あのクソジジイ……、覚えておけよ!

第二羽【初陣日和】②

 一通りの装備を調えた俺たちは、寂れた村を経つことにした。
 俺の装備は革の鎧に腰から下げた鉄の剣。それ以外は普通の普段着だ。っていうかこのファンタジーな装備にジーパンとTシャツってのはダメだろう。「無駄遣いはいけませんよ! めっ!」とか菊花に言われたので癒されて首肯してしまったが、そこは断固拒否しておくべきだった。完全な失敗だ。失敗したコスプレみたいな格好で、俺は街道を歩いている。
 菊花はというと、先導して歩いているが、その後ろ姿はなんとも楽しそうだ。
 ……大好きなツバサ様と一緒だからなのかね。少しズキンと胸が痛むが……。

「この世界の戦闘システムを把握するためにも、最初は私が倒しますから! 魔物がいても安心してくださいね!」

 菊花は振り返るとそんなふうに言った。
 ありがたい限りなんだが、それでいいのか? ……と思わなくもない。
 女の子が率先して戦って、俺は指くわえて見てるだけってのもなぁ。
 ……まぁ最初くらいは様子見でもいいか。

「……むっ! 来ましたよ! 敵の気配です!」

 菊花が動物的な勘を発揮させて魔物の接近を悟った。ゲームやマンガでよく見るけど、どういう感性してるんだろうか。
 現れたのは……、ウサギだな。
 凝視すると、ウインドウが表示される。なになに……。

〈まるうさぎ(白)〉

 なんかのマスコットみたいな白くてまんまるのウサギがそこにいた。……なんか可愛い。
 ウサギらしくというべきか、ぴょんこぴょんこと飛び跳ねているが、その挙動はどちらかというとスライム的だ。だって手はおろか足すらついてないし……。
 これ、絶対哺乳類ではないだろ。明らかに軟体動物とかの一種だ。絶対骨とかない。
 しかし、その赤い瞳はつぶらだ。特徴的な耳もピンと伸びていて、外見はウサギらしいといえばらしいのだろうか……。
 ……絶対にリアルに居てはいけない生命体だ。それだけは分かる。

「はぅぅ……、ツバサ様……。困ったことになりました……」

 菊花は何故か、困り顔……。というか目尻に涙すら浮かべている始末。
 ……この不思議生命体の何がどう困るというのか。
 なんなら蹴りの1、2発で仕留められそうなんだけど……。

「私、こういう可愛い系の魔物は倒せないんですよ……」

 そう呟く菊花の目はどこか恍惚としていた。
 ……おい。

 まるうさぎは比較的温厚な生き物のようで、見掛けるや否や襲い掛かってくるということはなかった。
 いっそそのほうがこちらとしても対応をしやすかったというのはあるんだが……。

 菊花は完全にほだされてしまっていて、「怖くありませんよ~」とか声を掛けている。
 まさか仲間に引き入れるつもりなのだろうか。
 ……っていうか、そういうのできるの?
 まぁ確かにゲームによっては魔物を仲間にできたりするものもあったりするし、一概に捨て去っていいアイデアだとは言わないけれど……。

「はぅ……可愛いですぅ……。お持ち帰りしたいですぅ……」

 お前は竜宮レナか。……絶対にこいつに鉈だけは装備させないようにしたい。いやマジで。……トラウマを彷彿とさせられるな。
 ……それから小一時間ウサギとじゃれ合って、菊花がウサギを抱っこできるようになった頃、突如ピクリと耳を震わせて、まるうさぎは逃げていった。
 菊花もさすがに逃げるウサギを追いかけるような無粋な真似はしなかった。
 少し物足りなそうに後ろ姿を見送ってから、菊花は言った。

「さぁ、遊んでる暇はありませんっ! 行きましょう、ツバサ様っ!」

 ……殴るぞ。この能なしが。
 ……とはいえ、気掛かりもないではない。
 だから、急ぐというなら賛成だ。……少し嫌な予感もすることだし。

 だが、そこからほんの数歩移動しただけで、俺たちは再び立ち止まることになる。
 次に現れたのは大量のまるうさぎだ。白に茶色にピンク。いろんな色がいるものだが、それよりも深刻なものがいる。
 だから、菊花も今度ばかりは闘志をみなぎらせている。
 初めて見る戦闘態勢の菊花だ。
 そして……。

 まるうさぎを蹴散らしながら現れたのは野生のオオカミのような生き物。
 注視すると、やはりウインドウが表示される。

〈フィールドウルフ《ラビット・イーター》〉

 名前が二つ表示されているのはどういう意味なんだろう。
 まぁ、それはともかく。名前からこいつがどういう生き物なのかは何となく分かる。
 ラビット・イーター。ウサギを喰らう者。
 獰猛な牙は肉を狩るために。強靱な前脚は獲物に追いつくため。
 そういう進化を遂げた生き物なのだろう。
 まぁ、当然の自然の摂理なのだろうが。
 だが、彼女にとっては違う。
 彼女は、菊花は。

「……許しません。絶対に、許しませんからっ!!」

 ゴゥ、と唸るオオカミの身体へ、恐れもせずに突っ込む菊花。
 オオカミの身体は肉薄すると存外にデカイ。2メートルはないだろうが、それに近いサイズだ。人間など食い殺せる大きさ。
 情けないことに俺は一歩も近づけない。当たり前だ、怖いに決まってる。
 だが、菊花はその鋭い爪を躱し、オオカミの腹を斬りつける。
 菊花の武器は、短剣か。
 拙い武器のようだが、切れ味はかなり鋭いらしい。飛び散った血の量がおびただしい。
 しかし、オオカミのほうも負けてはいない。恐らく骨すら噛み千切るような大顎で菊花へ襲い掛かる。
 その凶悪な顎門と少女のシルエットが重なり合うとき、俺は自然と目を背けてしまう。
 けど、予感したような少女の悲鳴はついぞ聞こえることはなかった。
 視線を戻せば、菊花は飛んでいた。
 跳ぶーーよりは飛ぶに近い所作で。高々と、飛び上がっていた。
 オオカミの犬歯は何を引き裂くでもなく、空を無駄に切って。
 そして、少女は自由落下の状態から更に加速して、着地した。

「飛燕、烈爪陣……!」

 地面に無数の斬閃が刻まれる。それは、目にも留まらぬ攻撃の名残だろう。
 くぅ、と最期に啼くと、オオカミはそのまま力なく倒れた。

「……あなたが奪った命の重さを、噛み締めながら逝きなさい……!」

 そんな決め台詞を吐いた菊花。
 奪った命の重さっていうのはたぶん、可愛い生き物を殺したことに対して言っているんだろうな。そう考えるとなんだか……。
 格好いいけど格好悪いな、この人。

「……いなくなっちゃいましたね、シロ……」

 いつの間に名付けまでしていたんだろう。
 さっきの白いのはあいつの気配に気づいて逃げ出したんだろうな。
 散り散りになってた仲間たちはいつのまにかどこにもいない。まぁ屍体が残っていないんだからどこかで生きていることだろうけど。

「あ、そういえば」

 菊花は思い出したようにこっちを向いた。
 なんだか菊花の顔を見るのも久々な気がする。さっきからちっとも相手してくれないもんだから。

「ツバサ様、さっきの戦闘で、経験値って入ってましたか?」
「……いや? 入ってないと思うが……」
「やっぱり……。パーティ申請がまだだったみたいです。……申し訳ありません。私が付いていながら……」

 どうやら、菊花には経験値がしっかりと入っていて、俺には全く入っていなかったということらしい。
 まぁ全く戦いに参加していなかったから、当然っちゃあ当然なんだが。
 すると、ポン……とメッセージが表示される。

【キッカをパーティに加えますか?】
【YES/NO】

 YESをタップすると、【キッカがパーティに加わりました!】という文章が現れる。
 これでパーティ結成か。

「これでツバサ様にも経験値が獲得できるはずですよ! 早速試してみましょう!」

 菊花がまたも手を引くので、俺は振り回されるように走り出すしかなかった。
 ……あのウサギもいつか、パーティに加えられたらいいな。……なんとなく俺はそんなふうに思うのだった。

第二羽【初陣日和】③

 俺は息を殺していた。
 緊張に速まる呼吸を、速まる鼓動を、押さえ込む。
 強張る手足を無理矢理にほぐして、ジリジリとにじり寄る。
 呼吸を整える。荒ぶるな。落ち着け。
 攻撃は一瞬。躊躇うな。迷わずに振り抜け!

 俺は大型の齧歯類、二足歩行のゴブリンに対して、剣を振るった。
 さすがに一撃では死なない。
 だが、大きくよろめいていた。
 俺はそこへ畳み掛ける。立て直す時間など与えない。
 続けて振り下ろされる斬撃にゴブリンはついに力尽き、その命を終わらせた。

【グラスゴブリンを撃破! 15の熟練度を獲得!】

 俺はステータス画面を開いた。
 膨大な熟練度一覧の中にグラスゴブリンの表記をやっと見つけた。
 15ポイント。レベルは1。
 これが俗に言うレベルか……? なんか違うような……?
 それ以外にも剣スキルがある。剣スキルは更に細分化されていて、斬撃熟練度、刺突熟練度、打撃熟練度と連なっている。
 僅かに向上が見られるのは、斬撃熟練度だ。突きなんてしてないしな。
 だが、なんとなく分かってきたぞ。これがこの世界のシステムなんだ。

 〈熟練度〉システム。

 繰り返した動作には経験値が割り振られ、効果が増強される。
 使えば使うほど強化されるのだから、その効果は限りなく大きい。
 だが、逆に慣れないことにはとことん不利な世界でもある。
 相手の独擅場には太刀打ちできないというシビアな世界とも言えるのだろう。

 ……などと考えていると、後ろからパチパチと拍手が聞こえる。
 そいつはもちろん菊花だ。

「さすがです、ツバサ様。この調子でいつもの力を取り戻してくださいね!」
「……なぁ、ひとつ訊きたいんだけど、いいか?」
「何でしょう?」
「前のツバサ様はどれくらい強かったんだ……?」
「それはもう、龍の名を体現するような凄まじい力を持っていて、私など及ぶべくもないかたですよっ!」

 「でした」とは表現しない辺り、菊花は未だに俺をツバサとして認識していてくれてるようだが、何度聞いてもそれが自分だとは思えないんだよな……。
 大体、そんな俺TUEEEができる戦力を、俺は想定できないし。
 妄想ならともかくとして、それを詳細に認識することなどできそうもない。
 俺の心は龍ではなく、いまだニホンで暮らしていたオタクのままなのだ。

「〈熟練度〉ねぇ……」
「熟練度というシステム自体はあまり珍しくはありませんが、何か気になりますか?」

 気になるといえば、この〈グラスゴブリン〉という項目だ。
 普通倒した魔物の熟練度なんてあるか?
 剣や行動に付与されるなら分かるが、倒した魔物っていうのはさすがに今までプレイしたゲームでも見たことがない。

「なるほど……。確かに私も初めて聞きました。……そこに気がつくなんて、さすがツバサ様ですねっ!」
「あ、ああ……。そうだな……」

 菊花の高すぎる忠誠心は置いておくとして、やはりかなり珍しい仕様らしいな……。
 これがこの世界の特色なんだろうか。
 まぁ、もう少し調べてみないと分からないな。

「そういえばツバサ様、〈ドロップ〉はありましたか?」

 ドロップ……? サクマ式……?
 ああ、〈モンスター・ドロップ〉のことか。
 何故か、ゲームの中の魔物って道具を落とすことが多いよな。
 テイルズの中ボスが〈たまご〉を落としたときには笑ったけど。あのときはよく、「非常食……?」とか揶揄されていたのを思い出す。
 それはともかく、何かの素材や回復アイテムなんかが手に入れば、道中楽になるよな。
 ……けど、見当たらないな。少なくとも目の前にはないし、メニュー画面を適当に開けたり閉じたりしたけどそれらしいものはなさそうだ。

「……なしですか……。さっきのウルフにはありましたので、期待したんですけど……」

 あったのかよ。
 もう少し早く言ってくれよ。知りたかったよ、その情報は。

「ドロップ品は倒した魔物のすぐ近くに落ちているようですよ? 確率はそこまで高くないのかもしれませんが……」

 まぁ100%落とすっていうのも、ちょっとゆとり仕様だしな。そんなもんだろう。
 さて……。

 そんなこんなで街道沿いを歩いて地図を少し埋めつつ、魔物を多少倒しつつ、先へと進んだ。
 そんな折、ぴょんこぴょんこと林の中へ潜ってゆく〈まるうさぎ(茶)〉の姿が。
 そして、その少し後ろには、鼻息立てたフィールドウルフがいた。
 途端に菊花の気配が剣呑なそれになる。怖いよ、菊花たん……。
 ウルフは林の中までは入っていかず、そのまま折り返してしまった。
 俺らを一瞥するが、人間は喰わないのか、そいつはそのまま去って行く。
 ……まぁ、さっきの〈ラビット・イーター〉とは違って、サイズも普通の犬くらいのものだったし、名前も〈フィールドウルフ〉だけだったから、きっと別物なんだろうけど。
 
「すみません……ツバサ様。私、あの子たちを助けたいです」
「……は?」

 俺は無様に問い返すことしかできなかった。

第二羽【初陣日和】④

 〈熟練度〉システムの効用はまだよく分からない。
 しかし、俺と菊花の熟練度には大きな違いがあった。
 〈まるうさぎ〉系列の熟練度が大きくずれていたのだ。

 考えられる要因は二つ。
 俺の知らないところで、菊花がまるうさぎを殺戮(ジェノサイド)していたか。
 あるいは、じゃれ合って遊ぶことでも熟練度が向上するのか。

 俺は菊花を凝視したが、まぁ殺戮云々は考えられないだろう。
 俺が寝てるとき以外はずっと俺の傍にいたし、アリバイはある。
 というか、それ以前にそんな物騒なことをしでかすキャラには見えないしな。
 まぁ相手がオオカミだった場合はあり得そうだけども……。

 とにかく、その差異によって、菊花は知識を得ていた。
 おそらくは熟練度によって解放されたスキル、〈魔物知識〉によって。

 菊花から聞いた話はこうだ。
 元々林に住んでいたウサギたちは主食量の枯渇により移動を余儀なくされた。
 が、林の外には草原が広がっており、草原はオオカミの住処だ。
 オオカミに襲われ、ウサギたちは数を減らしつつある、……というのが現状らしい。

 疑問に思うのは、ウサギたちの食べ物がなくなったという点。
 そこに解決策があるのだろう。
 次なる方法としてはオオカミの殲滅というのもあるが、自然界にそこまで関わるのはよろしくないだろう。
 あと、正直怖いってのもあるし。……オオカミさんも菊花さんもな。

 そんなわけで、林へと入ってきたわけだが、獣道しかないので、どうにも狭い。視界も悪い。
 おまけに背の高い草や枝が、顔に引っ掛かるし、通りづらいことこの上ない。
 それでも、菊花はやる気だし、逆らうのも怖いので、従うことにする。
 ……俺ってば将来尻に敷かれるタイプなんだろうか。
 菊花みたいな美少女になら敷かれるのも悪くないし、いっそ喜んで敷かれるどころか踏まれにいきたいし、何なら蹴られにもいきたいところだけど。
 ……閑話休題。しょうもない話はやめにしとこう。

 そうしてしばらく進んでいると(途中フォレストゴブリンやらリーフオニオンなる初見の魔物も倒したりしながら)、正面に腐った大木の洞が現れた。
 大木といっても、その幹はもうほとんど残ってない。根元だけが残されているようだ。
 その根元には穴が開いており、そこからは洞窟のように内部へ広がっているらしかった。
 中身は暗いかと思いきや、妙に幻想的な光に包まれている。
 壁面にこびり付いた苔が光っているらしい。ヒカリゴケとかいうヤツか? こんなに明るく光るもんなんだろうか。
 そしてその内部は、更に幻想的な空間が広がっていた。

 一面にまるうさぎ。まるうさぎ。まるうさぎ。
 まるでまるうさぎの絨毯やー! なんて言葉は呑み込んだ。菊花さんのリアクションが怖いので。……と思ったら。

「まるで絨毯みたいですねー」

 菊花は明るい声を上げる。いいのか、それで。基準がよく分からん。いや、触れないほうが吉か。
 まぁ、それはさておき。
 広さは大体学校の教室くらいだろうか。そこにまるうさぎがわんさか居て、正直足の踏み場がない。
 俺が呆気に取られていると、菊花はウサギを踏まないように器用な足取りで洞穴内に侵入していた。
 顔はこれ以上ないというくらい爛々と輝くような笑顔で。
 ……はぁ。なんか疲れたな。

 菊花がウサギにまみれて遊んでいる間、俺もすることがないのでウサギと遊んでいた。
 撫でるとわふわふーっと跳ねて、擦り寄ってくる。人懐っこいな、コイツ。
 それに当たり前だが、結構あったかい。
 人間より体温は高めなんだろうな。
 身体は柔らかいが、クッションみたいというよりは、……うーん、なんだろう。風船みたいな感じがする。
 思った以上に張りがある。中に何が詰まっているんだろうか……?
 脂肪……? いや、筋肉? 骨……の感触はないんだよな……。軟骨みたいなのはあるのかもしれないけど……。
 耳や顔の近くよりも、腹や背中を撫でられるのが好きらしい。ゴロゴロと腹を見せて転がっている。
 ……この無邪気な感じ。やばいな、相当癒される。
 菊花のことは何も言えないな。俺もあのオオカミなら殺戮できる気がする。なんなら瞬獄殺とか浴びせてやりたいもん。おのれクソオオカミめ。腹でも裂かれて死んだらいいんだ。

 ……さて、そうこうして俺がリラクゼーションに徹していると、菊花が戻ってきた。もっとゆっくりしてても良かったのに……。

「ツバサ様、大変なことが分かりました」

 それなら俺も分かったよ。
 やはりウサギは至高の生命体だ。断固保護するべきだ。ウサギを狩るものには神罰を下し、ウサギまみれの聖域を建立するべきだ。それこそが俺に与えられた使命なのだ。それこそが俺の生まれた意味なんだ。

「この子たちの食べ物を奪った原因は、先程の村にあるようです」

 ……え? なんだって?

第二羽【初陣日和】⑤

 菊花が会得した魔物知識というスキルには、様々な能力が付加されていた。
 最初、菊花が魔物の生態系をおおまかに知っていたのはこのためだったという。
 更にウサギとじゃれ合うことで、理解できることが増え、ついには魔物との意思疎通も可能になったそうだ。そんな馬鹿な。
 スキルを使い続けるうちに、その性能が向上するのは熟練度システムの一環だろうから、まぁ分かるけども。
 できることが格段に増えすぎだろう。
 試しにスキルを再び見せてもらうと、どうにも俺より成長率が高い。それはウサギ愛の成せる技か。あるいは生まれついての素質なのか。
 ああ、やはりどこに行っても才能というヤツは、彼岸と此岸とを分け隔てているらしい。全く以て憎らしい。
 凡人が天才に追いつくためには何倍もの努力が必要だというのか……。
 やはり神は世界を救いはしない。人は自らの力で救われるしかないのだ。
 ならば、俺が救おう。俺こそが新世界の神となるのだ……!

 ……と、話が脱線してしまった。
 ともかく、菊花はその類い希なる力を用いて、ウサギと対話し、彼らの食料がなくなった原因を訊いていたらしい。
 これにより、ウサギにはある一定以上の知能が備わっていることが判明したが、そんな世紀の大発見は脇にでも置いておこう。
 つまり菊花が聞いたところによると、ウサギの餌を食い潰したのは人間であり、よりにもよってさっきの村にその元凶がいるらしい。
 それを聞いてじっとしていられる菊花ではないし、なんなら俺もじっとしていないまである。
 だって、ウサギ可愛いし。普通に愛しいし。それを苦しめるヤツらは死に値する。極刑だ。凄惨に殺してやる。
 見せしめだ。今後、同じことをする馬鹿が現れないよう、釘を刺す意味も込めて厳罰に処す必要があるだろう。
 殺す殺す殺して殺し殺し尽くして殺め尽くして潰し砕いて磨り潰し微塵に散らして葬るべし……。

「あの、ツバサ様……? すごい怖い顔してますけど、どうかしたんですか……?」

 ん……? そんな顔していただろうか。
 暗黒面に堕ちていたのかもしれない。ふぅ、危ない危ない……。

「だいじょうぶ。村を焼き討ちにしようかと思ってただけだから」
「全然だいじょうぶじゃありませんよっ! どうしてそんな怖いこと考えてるんですかっ!?」
「……仕方ないだろう。俺だってウサギは可愛いんだ……。こいつらを苦しめるヤツらを、俺は許せそうにない……」

 恥を忍んで俺がそう、本音を告げると、菊花は首をふるふる……と振った。

「ダメですよ、ツバサ様。憎い気持ちは分かります。苦しい気持ちだって分かります。だけど、そうやって暴力に訴えても物事は解決しないんです。だから……、ちゃんと話して、村の人たちにも分かってもらいましょう……?」

 菊花は困ったような笑顔で、励ますように俺の手を取ると、そう言った。
 分かってる。それが正論だということくらい。
 それをきちんとやろうとしているこいつは凄い。
 握り締めたその小さな拳が、彼女の心情を語っている。
 本当は彼女も怒っているのだ。だが、それが理不尽な怒りだと理解している。
 だから、言わない。耐える。堪える。
 菊花は俺よりも立派で格好いい大人だった。
 ……オオカミは遠慮なくぶっ殺してたくせにな。

 結局またあの村へ戻るのか……。
 途方もない無駄足を踏ませられている気もするが、なんだか今更なので諦めるとしよう。

「……にしても、村の連中はウサギの餌を食い尽くして、なにがやりたいんだ……?」
「さぁ……。そこまではあの子たちも分かっていないようでした。ただ……村の住人が、主な食料であるグラスリーティスを貪るように食べていたとかなんとか……」

 グラスリーティス……? それがあいつらの主食なのか。リーティスって名前だけど、名産品のリーティス茶とは別物なのかね。
 ……まぁ名前から察するにきっと亜種なんだろう。グラスって付くからには芝と一緒に生えるような背の低い植物だろうか。
 そんなものを貪るように食うとは……。あの村には変人でもいるのか……? それともこの世界では比較的標準の食事風景なのか……? だとしたらこんな世界絶対に嫌だ。今すぐにでも脱出手段を考えるべきだ。
 ……なんて考えていると。

 いた。
 思いっきり這い蹲って、草を貪るように食っている。
 分かりやすいくらいにこいつだ。
 間違いない。コナン君なら即座に腕時計型麻酔銃を取り出しておっさんに撃ってるところだ。

「……あの人は何をしているんでしょうか……?」

 菊花はやや察しが悪いが、俺はもう確信している。こいつがその犯人だ。
 戻ろうとした瞬間に見つけるとは幸先良いのか、あるいはこいつが馬鹿なだけなのか。とはいえ、座して待つのも性分じゃない。
 というか正視に耐えられる光景じゃないんだよ、これ。

「……なぁ、アンタ。そこで何してるんだ……?」

 俺がそう問い掛けた瞬間、這い蹲ってた男は即座に跳び上がり、逃げ出そうとする。
 動作はそれなりに俊敏だが、こっちにはそれ以上のヤツがいる。
 菊花が音もなく、男の正面に回り込んだ。
 ……知らなかったのか……? 大魔王からは逃げられない……!!! ……なんて一度言ってみたかったけれど。

「あなたはそこで何をしていたんですか……?」

 再度繰り返すように問い掛けた菊花。
 男はそのまま情けなく尻餅をついて、後ろの俺を見て竦み上がり、再度前を向いて震え上がる。
 分かりやすいくらいに追い詰められているんだ。いい加減諦めたらどうなんだ?
 やがて、男は意を決したように声を張り上げた。

「ふむふぉほふおおうあ!!」

 ……せめて呑み込んでから喋れよ、台無しだろうが。

第二羽【初陣日和】⑥

 捕まえはしたものの、この怪しい男は往生際もかなり悪かった。

「わ、私がやったという証拠でもあるのかね!? 私がウサギの餌を食い尽くしただって……? この私が、野に生えた草を調理もせずに食べるような野蛮人に見えるのかね!?」
「そういう台詞は右手に掴んだままの草を放してから言うべきじゃないか?」
「なっ……!? お、おのれ……!」

 男は悔しそうに顔を歪める。というか隠し通せると未だに思っている辺りが凄いよな。
 すでに状況は決定的だし、一度逃亡まで企てているんだ。勘違いで済む状況はとうに越えている。

「し、仕方なかろうっ……! 噂には聞いていたが、まさかここまで美味だとは思わなかったんだ! 悪いのはグラスリーティスであって、私ではないっ!」
「この期に及んで馬鹿げたことを……」

 俺は溜息交じりに頭を振ったが、一人、それだけでは済まないヤツがいた。
 今更言うまでもなく、それは菊花だった。

「言い残す言葉はそれだけで構いませんか……?」
「ヒィっ!!」

 男が再び竦み上がっている。つーか、普通に怖えーよ。
 美少女が表情消すだけで、ここまで恐ろしい顔つきになるんだな……。やっぱり菊花は怒らせないほうが良さそうだ。

「それでは……、お別れです……」

 なんかほっとくと、菊花さんってば、ガチで殺しちゃいそうだから、そろそろ止めておこうか。
 巻き添えになるのも怖いけど、ほっとくのも見過ごすのも精神衛生上好ましくない。
 ガクガクと身体を震わせ、失禁しそうになってる男の前に立ち塞がり、菊花を制止させた。

「……ツバサ様」
「……菊花。もう充分だろ……?」

 すると菊花は「ツバサ様はお優しいですね……」と、か細い声で呟きながら短剣を鞘に収めた。
 優しい、……だろうか。
 俺は人が死ぬのを目の前で見たくなかっただけだ。この男を助けてやりたいとか、そんな思惑があるわけでもない。
 だが、菊花の目にはそう映ったのだろう。菊花は殺気を消して構えを解いた。
 ……なんか、ドッと疲れたな。それもこれもこの馬鹿な男の所為だ。本当にどうしてくれよう。

「初めは違ったんだ……。私は、父を救いたかった。それだけだったんだ……」

 男は目に涙を浮かべていた。
 男は語る――。

 ――かつてこの男の父は優秀な鍛冶職人だったらしい。
 しかし高齢を理由に、店を弟子に譲り引退。その後、あの村で静かに余生を送っていたらしい。
 それでも男は構わなかったという。老いさらばえていくこともまた、一つの人生だ。父らしく生きて欲しいと強く願っていたのだという。

 そんな生活に変化が訪れたのは、1年ほど前。
 父は身体が自由に動かせなくなったらしい。
 身体中の筋肉が堅くなり、皮膚も硬質化を始めた。
 父は酷く鈍重な動作で生活することを余儀なくされた。
 その瞬間、男の中で父に対する憧憬の念が崩れた。
 牛車の歩みで店番をする父。品出しも何をするのも遅い。亀のように鈍い。
 こんなのは父じゃない。憧れた男ではない。
 ……やがて男は、父に舞い降りた謎の病を根絶することを誓った。
 憧れた、格好良い父に戻してみせる。男はそう、誓ったのだ。

 とはいえ、聞いたこともない謎の病だ。
 治療法など簡単には見つからない。
 ならばせめて、どんな病にでも効く万能の薬さえ手に入れば……。
 男は一縷の望みに賭けて、万能薬を探し求めた。
 そうして訪れた王都の図書館。ここまでの旅費もだいぶ高くついてしまった。そろそろ帰らねば金銭的に保たないだろう。そう考えていたときだった。
 未知の万能薬。そんな本を見つけたのだ。
 書いてあったのは伝説級の不可能品ばかり。諦めるしかないかと思い始めた刹那、それを見つけた。

【ウルフ種の変異型。その牙には万能の薬となる成分が含まれている】

 ウルフ種は村の近くにもいる。
 だが、数が少ない。獲物たちはみな、森に隠れて過ごしているため、ウルフ種はなかなか食事にありつけない。
 また、商隊や傭兵業の普及により、旅人の犠牲も減り、ウルフ種は年々数が減りつつあった。
 それは村にとって好ましい出来事だったはずなのだが、そうも言ってられなくなった。
 ウルフ種を絶滅させてはならない。むしろ繁殖させなければ。
 そのためには餌がいる。まるまるとしたウサギのような……。

「あとは分かるだろう……? ウサギの主食を横取りして、移動を余儀なくさせ、外に出た先にいるウルフにウサギを食べさせてやってたんだ。そうしてウルフが増えれば変異種はいつか必ず生まれる。その牙があれば父を救えるんだ。……それが私の望みだったのだ」

 男はそこまで語ると脱力したように空を仰いだ。
 諦観に満ちた顔だが、何故だか晴れやかなようにも見える。
 罪の告白が彼の負担を軽減させたのだろうか。……なんとも勝手な話に思える。

 だが、予想外に良い話でもあったな。迂闊にこの男を責められなくなってしまった。まぁ、やってることは最悪だし、なんなら這い蹲って草を食ってただけなんだから、本当はちっとも格好良くなんかないんだけど……。
 けど……。どうするかな。
 否定するのは簡単だ。やってることはウサギを殺してるのと同じなんだから、ウサギを愛する身としては許せないところだ。
 とはいえ、その根っこには人助けという行為が含まれている。それを頭ごなしには否定したくないものだ。
 う~ん……。
 と俺が頭を捻っていると。

「あなたのやっていることは最低です。さぁ、立ってください」

 菊花は毅然として男を立ち上がらせると、そのままその手を引っ張った。

「ど、何処へ行くのだ……!?」
「決まっているでしょう。あなたのお父さんに会いに行きます」
「え、ええぇ……?」

 男は、カツオ君に無茶を言われたときのマスオさんみたいに声を裏返しながら、為す術もなく引っ張られる。

「あなたは、人を救うという行為を甘く考えすぎです。……そんな簡単に人は救えませんよ」

 その声は、どこか悲しげで儚げだった。
 まるで、何か過去を思わせる口振りだった。
 それは俺の知らない、〈ツバサ様〉との記憶なのだろうか。
 それを理解できない俺は、なんだか酷く悔しかった。

第二羽【初陣日和】⑦

 結局、戻ってきてしまった。
 あの村だ。最初に訪れた、小さな集落。
 街道沿いに家が転々と並ぶだけの寒々とした荒れ地。
 その中にのれんを下げた一軒の小屋があった。
 それが俺たちが今回探していた店だ。
 ――そして、菊花がグイグイと引っ張って連れてきたこの男の実家でもある。

「これは……珍妙な客が来たものだ」

 件のジジイは相変わらず格好いい所作をスローモーに演出している。
 あの時はふざけたジジイだと少しムカつきもしたが、それが奇病の所為だと聞いた後だとそんな気は途端に失せてしまう。
 それがどうしようもない現実なのだと思うと、少し可哀相にさえ感じてしまう。
 とはいえ、ジジイのほうはどうなんだろうな。一体この病状をどう感じているのだろうか。

 菊花が状況を説明すると、ジジイは顎髭をさすり、う~ん……と唸った。

「なるほど……。世話を掛けたな、旅の方」
「いえ、私たちは別に……」

 男はというと、情けない顔で押し黙っている。まぁ、気まずいのは分かるけど。

「わ、私は父上のことを思って……」
「儂に罪を被せようと言うのか、息子よ」
「いえ、そういうわけでは……」

 微妙な空気だ。はっきり言って逃げ出したい。当事者じゃなくてもこれだけ嫌な気分なんだ。この男のほうはさぞ苦痛だろう。

「自然とは、あるがままの姿のことを言う。人の手が加わればそれは姿形を変え、別の性質を持つ。人の意思が加わればその根本すら歪みかねない。その責任は誰にも負うことはできない。お前のしたことはそういうことなのだ」
「……申し訳ありません」
「それは誰に対しての非礼だ。儂に謝ったところで何も変わらん。祈りも購いも効果はない。相手は人ではないのだから」

 なんだか、話が凄く壮大だ。だが、それが鍛冶師としての矜持なのだろう。高いプライドが高い技量を育むのだろう。
 それは職人の言葉だった。

「……やはりお前には継がせなくて正解だった。お前には魂がない。鉄と向き合う心がない。お前の打つ槌には何の想いも宿りはしない。お前は金輪際、槌を持つな」
「……そんな……」

 なんか空気が重い。帰りたい。早く家に帰って寝たい。あ、でも家とかないや。いっけね、忘れてた。何なら過去のこと全部忘れてるけども。
 そして、ジジイは俺たちのほうへ視線を移した。

「済まぬな、旅の方。みっともないところをお見せした」
「いえ、そんな……。それより、良いんですか? 息子さんはあなたのために行動していたようなのに……」
「いやいや、これは愚息が勝手にやったこと。それに実のところ、儂は困ってはおらんのだ」
「はぁ……」

 ジジイは少し恥ずかしがるように頬を掻きながら、

「名物ジジイとして『腕利きの耄碌者』などと呼ばれ、見に来る物好きも少なくない。以前よりも客足は多いくらいだ。生き急ぐわけでもなし、困ることなどありはせんよ」
「そう……なんですか?」
「ああ、ちっとも困ってはおらん。こいつが気にしすぎなのだ、まったく……」

 ジジイはそう言うと笑った。なんだか凄みのある笑いだったけど、それでも楽しそうに、笑った。
 普通に生きられない身体でも、幸せにはなれるんだな。なんというか意外だった。
 物珍しそうに見られて、それでも幸せだなんて、あるいは器がデカイだけなのかもしれないけど。
 それでも、その瞳は嘘は吐いていない。それだけは俺にだって理解できた。

「迷惑を掛けたな、旅の方。良ければこれを持って行ってくれ」
「良いんですか?」
「構わんよ。愚息の悪事を見つけてくれた礼だ。むしろ、頼みたいくらいだ、是非ともこれを使ってくれ」
「ええ、分かりました。……ツバサ様」

 俺は菊花からそれを受け取った。見れば旅に必要そうな服……みたいだな。何着かあるので着回しが利きそうだ。
 さすがにいつまでもTシャツとジーパンじゃ辛いからな。ありがたい限りだ。

「じゃあ、お返しというわけじゃないですけど、こちらを」

 そう言って、菊花が差し出したのはラビット・イーターの牙だ。ドロップ品が偶然とはいえ手に入っていたんだ。
 ホントにこれで万能薬が作れるかは分からないけど。

「ほう……。なるほど、こいつが探していたのはこれだったか……」

 ジジイは途端に目を細めて検分を始める。その目は鷲のように鋭くなった。

「どう……ですか? 薬にはなりそうですか?」
「……これは、生憎と違うだろうな。そういった効果は見込めないだろう。だが……」

 ジジイはそれを、菊花へ返した。きょとんとしたまま菊花はそれを再度受け取る。

「薬にはならんが、鍛冶には使えるだろう。王都に行くことがあれば、儂の弟子を訪ねてみろ。きっと力になってくれる」
「……何から何までありがとうございます」
「それはこちらの台詞だ。世話を掛けた。お前たちならばいつでも助けになろう。この老骨の手で良ければいつでも頼ってくれ」
「……ありがとな、爺さん」

 こうして俺たちは名物ジジイの店を出た。
 行って戻って、という結構な遠回りになったが、無駄ではなかった。
 あの爺さんと出会えて良かった。なんだかそんなふうに思えた。その息子は……まぁ置いとくとして。

「付き合ってくれてありがとうございました、ツバサ様」

 菊花は朗らかな顔でそう言った。
 俺もそれにつられて、何となく笑ってしまう。

「いや、俺でもそうしたと思うし、気にしなくて良いよ」
「……そう言ってもらえると、助かります。……それと、一つ謝らせてください」

 謝る……? 何を?
 付き合わせたことをか? そんな何度も謝られても恐縮するばかりなんだが……。

「いえ、そのこともありますが、それだけではなく……」

 菊花は慌てたように髪を揺らしてぺこぺことするが……。
 俺は、困ってしまう。

「いえ、ホントはもっと早く謝るべきでした。いえ、もっと早く気づくべきだったんです。私はツバサ様を何度も傷つけてしまっていました……」

 菊花はそういうと、目をしばたたかせた。
 その瞳にはじんわりと涙が浮かんでいる。

「申し訳ありません。ツバサ様は記憶があってもなくても、〈ツバサ様〉なのに、何度も過去の話をしてしまって……。まるで今の〈ツバサ様〉を否定しているようでしたよね……? ううん、否定していた。ツバサ様はそう捉えていたはずです。そんなつもりはありませんでした。けれど、間違いなく傷つけていたはずなんです。だから、……申し訳ありません!」

 それは、確かにそうだった。
 俺はツバサ様ではない。過去を思い出せない俺は菊花が言う〈ツバサ様〉ではないのだ。
 菊花が俺を持て囃す度に俺は傷ついていた。だって、それは俺の否定そのものだから。
 俺の〈今〉には、過去の〈ツバサ様〉は一切関与していない。もはや別物なのだ。
 だから過去の肯定は、現在の否定に他ならない。俺はそう感じていた。
 ……そして、菊花もそれに気づいてくれた。

「傷つけたうえでこんなことを言うのは図々しいとは思いますが、それでも私は信じて欲しいんです。私は〈ツバサ様〉という存在そのものに付き従っているのであって、過去とか、現在とかそういうことは関係ないんです。私はいつでもツバサ様の味方です。これだけは信じて欲しいんです」

 それは、俺の誤解だった、ってことなんだろうか。記憶のない俺でも菊花は受け入れてくれるんだろうか。俺は菊花の知る〈ツバサ様〉でなくてもいいんだろうか。俺のままでいいんだろうか。

「だいじょうぶです。どんなツバサ様でもそれはツバサ様です。過去のツバサ様は素晴らしい方でしたけど、今のツバサ様だって素敵です! だって私のご主人様ですから!」

 この世界のことも、自分のことも、菊花のことも分からないことだらけだけど。それでも気分は意外と悪くないもんだ。
 それはきっと一人じゃないからだろう。信じてくれる誰かが傍にいるからだろう。
 菊花が隣にいてくれれば、これからどんなことだってやり遂げられる気がする。
 心強いパートナーが、隣にいてくれる。それはどれだけ幸せなことなのだろう。
 その幸せを噛み締めて、今日を生きていこう。俺はそんな風に思ったのだった。

「これからも、よろしく。……菊花」

 俺が差し出したその右手を……。
 菊花が優しく掴んで――。

「はぅ……やっぱりウサギさん、可愛いですぅ……」

 ――掴めよ。通りがかったまるうさぎに目移りすんなっての。
 ……ホントにこいつを信じてだいじょうぶなのかなぁ……。
 まるうさぎはぴょんこぴょんこと飛び跳ねていて、菊花はそれをうっとりと眺めている。
 それを見つめる俺さえも、なんだか見とれてしまう。ウサギさん、かわゆす。

 ……まぁ、なるようになるか。きっと。



to be continued...

あとがき 二羽

■説明回です。
世界観を表現しつつ、キャラクターを解説しつつ、この世界の大事なファクターである、熟練度システムを小出しに解説しつつ、シナリオとしても見所があって、尚且つ一羽目で書いたシナリオからも話を広げる。
……という無茶なコンセプトで書き始めた第二羽でしたが、意外とすんなり纏まってびっくりしました。まさかネタで書いたスローモージジイが再度出番を頂くことになるとは思いませんでした。

■ジジイの病気には一つ伏線があります。
今後書く機会があればいいなぁ。

■熟練度システム
もう少し掘り下げたいところです。

■菊花の謎
まだ設定が全然出せてないので、もう少し書きたいんですが、なかなか触れられない。

■今後
もう少し世界のお話を書き進めたいです。お付き合いいただければ幸いです。