劫火のフラム

どんな願いも叶えてくれるという《至高の魔導具》を巡って、世界最強の魔導士を決める戦いが遂に始まった!


第六話『ユキナ=シキジョウ』①

 ――それは……、わたくしがまだユキナ=シキジョウと呼ばれていた頃の物語――。

 母を早くに亡くしてしまったユキナにとって、父との語らいは、誇張なしに人生の全てと言えた。
 父の語る異国での生活やそこで見聞きしたという冒険譚は、ユキナは心躍らせ、外の世界へ憧れを抱かせた。
 博識で、優しくて、冗談が好きで、いつも少年のように目を輝かせて笑う父の姿が、ユキナは大好きだった。
 父は魔導研究の第一人者でもあり、訊けば何でも答えてくれる物知りで、それでいて、教えるのも上手だったので、ご教鞭に授かろうとお弟子さんもいっぱい下宿しに来ていた。
 なのでお屋敷には魔導士が何人も通い詰めていて、ユキナもそこでいろんなお弟子さんたちに可愛がってもらっていた。
 父はいつも笑顔を絶やさない人で、本当にいつも楽しそうにしていた。
 事実、楽しかったのだろう。お弟子さんのほうも、父の限度を越えた研究好きには呆れてすらいた。
 夢中になると食事も摂らず、睡眠も取らずに研究に没頭してしまい、失踪騒ぎでてんやわんやしたのは二度や三度では済まされないくらいだ。
 しかし、興奮した様子で研究の結果を語る父に、結局みんな折れてしまい、困った人だな、とそれぞれ苦笑を浮かべるしかなかった。
 そのときは、ユキナも寂しい思いをしていたのだが、帰ってきた父の楽しそうな顔を見ると、そんな自分の気持ちなど何処かへ吹っ飛んでしまうのだった。
 父の笑顔は太陽よりも温かくて、暗い夜でも寒い冬でも、みんなを照らし出す灯火のようだった。

 そんな生活にも転機が訪れる。それはある日のことだった――。
 また、いつものように、父は唐突に帰らなくなった。
 ユキナは杞憂と思いつつも、父を心配していた。
 研究者でありながら、優秀な魔導士でもある父が事故に巻き込まれるなどということは、相当に低い確率だとみんなが言っていたし、あの人は殺したって死なないよと、笑ってすらいた。ユキナ自身もそう思っていたのだが、それでも毎回心配で胸が苦しくなってしまう。それを見かねたお弟子さんの何人かが、ユキナに暖かいココアを手渡してくれたりしたので、寂しくてもなんとか我慢できたのだった。
 そうして帰ってきた父はどうやら大きな荷物を抱えていた。毛布で覆われていて、中身はなんだか分からない。だが、それを大事そうに抱えている。
 父は珍しく険しい顔つきでお弟子さんに指示を飛ばした。敬礼で答えたお弟子さんたちはバタバタと屋敷に走り込んでいく。一体どうしたというのだろうか。
「ユキナ、君にも手伝って欲しいことがある」
 そんな真面目な顔で声を掛けられるのは初めてのことだったから、ユキナは返事に窮してしまう。
 だが、そんなユキナを咎めることもなく、父は辛抱強く返事を待ち続けていた。
 ユキナはそこで、なんとか頷いて意思を伝えることに成功した。
 父は、それにしっかりと頷き返して、屋敷の戸を開いた。
 そのとき、風に煽られて、ようやくその毛布の中身が垣間見えた。
 金色の髪に、白い肌……。女の子……だろうか。
 それは間違いなく、衰弱した人間の子供だった。

 かつて、爆弾ベビーと呼ばれた子供たちがいた。
 生まれつきとある体質を保った子供は生後数時間で爆弾のように弾け飛び、母親諸共絶命するという恐ろしい子供たち。
 爆発の威力は凄まじく、部屋一つを黒焦げにする威力を持つ。爆弾ベビーが生まれた病室では、それに巻き込まれた赤ちゃんや看護師が何人も亡くなったという。
 これは病気の一種であるとされ、長年の研究の結果、原因は無尽蔵に生み出された生命エネルギーが許容量を越えることで暴発・炸裂しているらしいことが分かった。
 治療法もずっと研究されてはいたが、発症例そのものが少なく、発生確率が一万分の一以下だったため、被害を防ぐためだけに見抜く方法が普及していった。当時研究していた医者たちの提案した対応策は逃げること。ただそれだけだった。
 あまりにも拙い対応だという指摘も少なくなかったが、発症例の少なさが研究を遅らせ、対応の重要性を薄くさせていた。
 むしろ、医者よりも熱心に研究を進めていたのは軍事関係者だったという。
 条件さえ満たせば人間そのものを爆弾に出来るというのだから、効率よく人を殺す手段ばかり考えている既知外の研究者たちには実に興味深い案件だった。
 そして、作り出してしまったのだ。人類史上最悪の兵器を。人を兵器に変える狂気の装置を。
 そうして始まったのが、歴史に残る中で最も苛烈な時代、《落命戦争(キリング・デイズ)》である。
 始まりがいつなのかは、誰も知らない。
 ただ、殺すために放たれ、彼らは泣きながら敵国の住民に抱きつき赤い花を咲かせながら心中した。
 暴発して自国で弾けることもあったという。
 どの爆発が敵なのか、味方なのか。それすらも判然とせず、誰が爆弾なのかも判断できず、人々は外出を抑えた。経済は低調し、資材は枯渇し、世界中から希望が消えた。世界の人口はその兵器が生まれたために八分の一は減ったと言われている。
 ……やがて国際法で《人間爆弾(キリング・ドール)》と呼ばれた、かの兵器の製作は禁止され、所持や研究も厳禁となったことで、世界はまたゆっくり再興してゆくことになるのだが、それには実に五十年以上の時間を掛けることになる。
 それがユキナが教わっていた、後に《フラム・リミット》と呼ばれることになる病人たちの記録である。

「ユキナ、覚えているね。彼女は《フラム・リミット》と呼ばれる重病人だ。私はこれから彼女を治療したいと思う。力を貸してくれるね?」
 恐怖とか、不安とか、同情とか、嫉妬とか、さまざまな感情が胸をよぎってしまったユキナだったが、それよりも何よりも突然の話に思考が付いていかなかった。
 どうしてふらりと研究に出掛けていたはずの父が、病人を抱えて帰ってくるのか。どうしてよりによって、あの恐ろしい病、《フラム・リミット》なのか。そして、どうして自分ではなく他の子供に世話を焼いているのか。
 ――わたくしは……。わたくしは……。
 ふと目に入った、ベッドに横たえられた少女の顔は、とても綺麗だった。
 それを見て、ユキナは弾けるように答えてしまう。
「わたくしは……わたくしには、関係ありませんわッ!!」
 駆け出すようにユキナは部屋を飛び出した。
 初めて父を拒絶した。初めて父を否定した。初めて父を困惑させた。
 きっと嫌われてしまう。あの大好きな笑顔を曇らせてしまう。もしかしたらもう、二度とユキナに笑顔を向けてくれないかもしれない。
 どうなるのかは分からなかった。何故ならユキナには全て初めてのことだったのだから。
 胸の中に渦巻く感情が何なのかも分からず、ただ口をつくままに言ってしまった。
 ユキナにはそれがとても怖かったし、不安でしょうがなかった。
 そして何より、申し訳なくて仕方がなかった。
 貴族として、常にかっこよくありなさい――。その教えに背く行為を働いた事実に恥じながら、大好きな父に何度も何度も心の中で謝りながら、ユキナは涙を散らして走り続けた。

第六話『ユキナ=シキジョウ』②

 ――それは……、あたしがまだマーガレット=シークエンスと呼ばれていた頃の物語――。

『これでやっと解放される……』
 それが、娘を診療所へ預ける際に両親が残した言葉だった。
 《フラム・リミット》は不治の病であり、最期には周囲を巻き込んで爆死するというあまりにも凄惨な病でもあった。
 発症すれば胎児のうちに限界を迎えるケースがほとんどだと聞くが、稀に産声を上げ成長する場合もあるという。
 マーガレット=シークエンス。愛称はマグ。
 マグはその非常に稀なケースの生存者だった。
 幼いマグは病室で一人、泣いていた。
 ずっと大好きだった両親に見限られたのだ。少女の心は絶望に塗り潰されていた。
 初めは違ったのだ。最初は優しくしてくれたのに……。病弱な少女と共に懸命に生きてゆこうと誓ってくれたはずなのに……。
 何度も高熱に苛まれ、蝕まれ続けるうちに、先に音を上げたのは子供ではなく、親のほうだった。
『どうして私たちがこんな目に遭わなくちゃいけないの』
『俺たちは悪いことなんてしてないはずだろ。教会の教えはきっちり守ってるし……』
『もういい。もうやめましょう……。敬虔な信徒でいることにも疲れたわ……。神様は私たちを救ってくれない。だったら罪の一つや二つ、見逃してもらいましょうよ』
『そうだな……。もう、いいよな……。俺たちは、がんばったよな……?』
 徐々に狂い出した歯車は、やがて少女にとって残酷な現実を描き始める……。
『御免なさい……。かつてはあなたのことを愛していたはずなのに、今はもうその気持ちを思い出すことができないの……』
『我々のことは恨んでくれて構わない……。報いならいくらでも受けよう。けど、もう……限界なんだ』
 増え続ける治療費に、快復の兆しを見せない身体。次第に飢え、渇いていく生活に、心も体も限界を迎えていた。
 だから、しょうがない。仕方ないんだ。そう必死に言い聞かせるマグ。
 マグは声を殺して、泣いた。
 白い病室は、マグの知るベッドとは違い、空虚で、物憂げで、寂しくて……。
 マグの瞳には、眩しいくらいに白く映った。

 それから――。
 マグは、シキジョウ邸の寝台で目を覚ました。
 ――あれ……? ここ、何処だっけ……?
 周囲を見回す。高い天井。豪華な《照明魔導具》(シャンデリア)。天蓋付きのベッドだなんて、マグは本の中でしか知らない。
 次第に記憶が結びつき、像を描き出す。
 ――ああ、そっか。
 ここは、貧しく惨めな自宅でもなければ、空虚で寂しい診療所でもない。
 ――あの変な貴族(?)の家なのか……。
 あの貴族のことを思い返すと、イライラと込み上げてくるものがある。
 発作で意識が朦朧としている中、魔導具の使用を強要してくる変態貴族……。
 確かにそれで発作は治まったものの、胸の中のわだかまりまでは解消してくれない。
 ――まぁそう易々と許すつもりもないけど……。
 あれが本当に治療なのか。治療と呼べるような代物なのだろうか。荒療治とすら言いがたいくらいだろう。
 ――なんで人が死にかけてるときに、魔導具なんて使わせるのよっ!
 しかも極貧生活が長かった所為で、魔導具はおろか魔装具すら使ったことないマグだった。
 ――あたしに魔導具の才能がなければ、とっくに死んでたわよ!
 もし亡霊にでもなっていたら、あの貴族を呪い殺してやっていた。というか殺っていた。縊り殺して吊し上げてキュッとしていたところだ。
 そうすれば少しは気持ちも晴れたかもしれない。
 ……なんて考えていると足取りは軽くなる。マグはいつぶりになるか分からない笑顔(目は据わっているが)を浮かべて、夜の屋敷を闊歩していた。
 と、そこで見つけたのは美しい黒髪の美少女だった。
 年はマグよりか一つか二つ下だろうか、表情は少し拗ねたような顔をしている。目鼻立ちが整っているのでまるでよくできた人形のようだった。
 服装は見たことのないふわふわした衣装。異民族のものだろうか。群青色が月明かりに照らされ、黒い髪と白い肌が相まって、独特な色合いを形作っている。
 少女は鈴の音のような声を放つ。
「あら、目を覚ましましたの……? まだ寝ていた方がよろしいのではなくて……?」
 言ってる内容は穏やかだが、声も顔も穏やかとは言いがたい雰囲気だ。
 言外に『ずっと寝たままでいれば良かったのに』と言われているみたいだ。
 ――あたしが起きるのが、そんなに迷惑なの……?
 少し眉尻を上げて、マグは相手を見つめ返した。
「……熱も下がったし、退屈でね」
 首をもたげ始めた反骨精神に翻弄されながら、マグは努めて平静な声で答えた。
「フン、元気そうで何よりですわっ! だったらとっとと出て行ったらどうですの!?」
 怒りを抑えるつもりのマグだったが、さすがに少しカチンときた。
「勝手に連れてきといて、今度は出ていけって!? アンタ、人を馬鹿にするのも大概にしなさいよっ!」
「そんなに知りませんわ! あなたの所為でお父様は、あなたに付きっきりで……ッ! お父様を返してくださいまし!」
 すると、黒髪の少女は、涙ながらに訴えてきた。言い分はメチャクチャだが、ともかく、あの貴族の娘さんらしい。それもどういうわけかあの男を異様に慕っている様子だ。
 ――言われてみれば、面影あるかも……。
 大好きなお父様を図らずも奪ってしまったというわけか。
 望むと望まざるとに拘わらず、自分は迷惑ばかりを掛けてしまうな、とマグは少し申し訳ない気持ちを抱いてしまう。
「ああ、そう……、分かった。じゃあアンタのお父さんにそう掛け合ってみるわ」
「ホントですのっ!?」
 顔を上げてその表情を窺ってみると、期待の色が全面から溢れ出していた。
 ――なに、この子……。超チョロい……。
 肩から力が抜けるマグ。少しイライラし過ぎていたのかもしれない。
 気持ちが楽になったマグは右手を差し出した。
「……? なんですの?」
 少女は怪訝な眼差しで問い掛けてくる。
「アンタとは友達になれそうだなって思って」
 答えると、少女は一端、手を差し出しかけたが、すぐに引っ込めてしまう。
「か、カイジューしようったってそうはいきませんわ! 甘く見ないでくださいまし!」
 どうやら失敗らしい。謝罪のつもりでもあったのだが、そううまくは伝わらないだろう。マグの都合でしかないのだし、仕方ないか。
 けど、もう少し頑張ってみたい。
「思うところもあるけど、しばらくはお世話になるわ。あたしはマグ。マーガレット=シークエンス。年は9才よ」
 少女は少しムッと押し黙っていたが、やがて捻り出すようにして答えた。
「……、ユキナ=シキジョウですの。8才ですわ。気安く呼んだりしたら許しませんの」
「あたしのほうがお姉ちゃんね。困ったことがあったら相談に乗ってあげるわ」
「……そういうセリフは熱を冷ましてから言うべきですの」
「……そりゃそうだ」
 お姉ちゃんにもなれないか……。失敗失敗。
 ……どうにか普通のコミュニケーションというものに挑戦してみたかったのだが、なかなか難しい。
 慕われたいというわけでもないし、仲良くなりたいわけでもない。
 ただ、役回りが欲しかった。自分の立ち位置が欲しかった。
 ただ、居場所を作りたかったのだ。
 まぁ、勢いだけで作れるようなものでもなし。今は諦めるか。
 ……『ホントですのっ!?』
 そう訊かれたとき、マグの胸には今までに感じたことのない気持ちが浮かんでいた。
 それが、マグに行動を起こさせた原因になったのだが、マグはその感情の名前を知らない。
 名前は知らずとも、欲してるものはなんとなく分かっていた。
 それは俗に言う承認欲求というものだと。
 求められたい。認められたい。あの、素直な視線の先に居たい。
 マグは、そんなふうに思うのだった。

第六話『ユキナ=シキジョウ』③

 翌日、マグの熱はぶり返した。
 無理をしたつもりはなかったのだが、負担がかかったのかもしれない。
 ユキナの父、ミチヤが診るところに拠ると、原因は複数考えられるとのこと。
 再び生命エネルギーの生成が行われたために、高熱が出たか。あるいは、旅の疲労で熱が出ただけなのか。
 熱が引いたばかりであることを考えると、後者のほうが可能性としては高いが、かといって油断はできない。
 身体が衰弱していることは間違いないのだし、意識がないということもまた事実だからだ。
 再び客室でマグに付き添うミチヤだったが、急場の診療所と化した部屋の扉がバタンと開かれ、眉根を上げる。
 弟子の一人かと思って、「おい、もう少し静かに……」入れないのか、とまでは続けられなかった。
 這入ってきたのが、自分の娘だったからだ。
「……ユキナ。丁度良いところにきた。替えの水を用意してきてくれないか」
 ミチヤはタオルをギュッと絞ってから、それをそっとマグの額に乗せた。その顔には汗の粒が無数に浮かんでおり、その整った顔は今や苦渋に歪んでしまっている。
 しかし、……ユキナの反応は芳しくない。昨日からそうだったようだが、どうにも機嫌を損ねてしまっているらしい。
 子供は良くも悪くも自分本位な生き物だ。他人が生きるか死ぬかの瀬戸際であったとしても、自分の心情を優先したりする。……まぁ、それは子供に限った話でもないか……。
 とはいえ、ユキナは普段ならきちんと他人のことを考えられる人間だ。病人には優しく出来る。本人だって、現状が正しいとは考えていないはずだ。だからこうして、ミチヤとは視線を合わせようとはしない。
 ならば、娘を支配している感情とはなんなのか……。考えて、考えて、……答えは、出ない。
 唯一思いつくのは、……嫉妬。ミチヤがマグに構ってばかりいるのが気に入らないのだろうか。
 だが、嫉妬されるほど好かれている自信はない。父親として上手くやれているとは到底思えない。
 いつだってミチヤは、家族よりも自分を優先してきた。それが魔導士としての宿命だからだ。
 研究のためにいつも生きてきた。研究こそが一番だった。他に何も要らない、とまでは言えない。けれど、研究を失うくらいなら自分は家族を見捨てるだろう。ミチヤはそういう人間なのだ。
 だから恐らく、娘から好かれているなどということは、ないはずだ。
 つまり、嫉妬であるとは考えづらい。
 しかし、そうなると答えは出ない。ミチヤは溜息を一つ吐いた。
 ユキナはというと、拳を握り締めて、歯をガチガチと噛み締めている。
「……けるな、ですわ……」
 震える顎が、僅かな呟きを漏らす。そして……。

「ふざけるなっ!! ですわっ!」

 一瞬、言葉を失ったミチヤだったが、そんなことは気にも留めず、ユキナはダッダッダ……と足を踏みならし……。
 そしてガシィっと、襟首を掴んでいた。
 眠っているマグの襟首を。
「あなたなんて、大っ嫌いですの! なにがお姉ちゃんになってあげるですの!? わたくしの大好きなお父様を独り占めしておいて何様ですの!? 病気で気を引いて……、やり方が汚いですわ!!」
 病人に何してるんだお前は! と、声を荒げそうになる。が、娘に大好きだと告げられ動転していたミチヤは、そこで後れを取ってしまう。
 その間にユキナはマグの顔を引き寄せ、尚も熱く語る。
「このまま死んだら、あなた勝ち逃げですわよ? この意味がお分かりですの? あなたは人としてサイテーの行為を働いているのですわ! なんて無様なんでしょうっ! あなたはわたくしに今後負けるかもしれないから死に逃げるのですわ! 苦渋を味わいたくないから死に逃げるのですわ! なんてコッケーなんですの! お下劣で、惨めで、可哀相なおかたですわ!」
 ユキナは勝ち誇った顔でマグを睨み付けている。場違いな感想だが、こんな生き生きとした娘を見るのは、ミチヤは初めてだった。
「けれど、わたくしは優しいので、あなたにチャンスをあげますの。泣いて感謝しなさいな! そう、ここは貴族令嬢らしく決闘で勝負いたしますの! お父様を賭けて勝負ですわっ!! 負けるのが怖いのならどうぞ存分にお亡くなりになればよろしいのですわ!」
 そして、感極まったのか、いつの間にかユキナの目には大粒の涙が浮かんでいる。
「けど……ッ、もし……、もしもあなたが悔しいと少しでも思うのなら……。ちゃんと勝ちたいと思うのなら……。正々堂々と勝負ですわッ!! ああ……、楽しみですわ……! 無様に負けたあなたを足蹴にして高笑いする日が待ち遠しいですわ……! だから……ッ! だからとっとと目を覚ましなさいよバカァ……ッッ!!!」
 堰を切ったようにユキナは泣き出してしまう。マグの胸元に顔を押しつけてぐずっている。
 ユキナの行動はそこはかとなく危険な香りがしたが、……それはともかく、その心はまっとうだった。
 あの子はあの子なりにマグを元気づけようとしていたのだろう。
 病人に喧嘩を吹っかけるというのは少しどうかと思うが(死にかけの病人に魔導具を使わせたミチヤが言えた義理はないが)、根が優しい子であることが分かってミチヤはほっとしていた。
 そんな親子二人の傍らで、マグは細い息で声を漏らした。
「……アンタら……、覚悟、して……おきなさいよ……ッ!」

第六話『ユキナ=シキジョウ』④

 フラムは骨から腿肉を引きちぎりながら、なんともなしにこう言った。
「……それが、あたしとサクヤの出会いになるわね……。ホント、憎らしい生意気な子だったわ。ま、最初だけだったけどね」
「最初……?」
 シアンがそう尋ねると、フラムは小さく頷いた。
「なんていうか、チョロいのよ。あの子は。すぐに好感度MAXっていうか。ゲームで例えるならスライムに近いわ」
 などとフラムは《魔導玩具》(ゲーム)の話を持ち出してきた。そんな高級スフィアはギルドにしかないし、待ち人数も多いため(それと料金も掛かるため)シアンはサービスチケットでの数回しか遊んだことがない。
 なんとなく序盤で出てきた、踏みつけの一撃で倒せるような青くて丸っこいヤツだということは分かったのだが、名前までは知らなかったため、シアンは愛想笑いを浮かべるしかできない。
 気まずい空気は眼前で弾ける焚き火の火花が押し流してくれる。
 シェルキスもシリアも知らないはずだが、そんな二人の様子にフラムは気づいた様子もなく、そして別段気にすることもなく、回想を続けている。
「まぁ、その分、懐いてからは可愛かったけどね。修業時代は本当の妹みたいで。修行も楽しいことばかりじゃなかったんだけど、あの日々は本当に良い思い出だったと思ってるわ……」
 フラムの目が眩しそうに細められる。遠い日の記憶に想いを巡らせているのだろう。
「……そういえば、この前喧嘩別れみたいになっちゃったけど、結局あれから何処行っちゃったのかしら?」
 声も掛けずにどっか行っちゃったのはフラムのほうじゃなかったか……? と思うが、口には出さない。火に油を注ぐようなものだ。
 しかしまぁ、そんな彼女にも妹分を気に掛ける度量があったことだけは、少しだけ感心するシアンだった。
 その程度のことで感心されてしまうフラムもフラムだったが、誰も口外しなかったため、その件でフラムの機嫌が損なわれることもない。
 フラムは骨にこびり付いた軟骨をガリガリと名残惜しそうに囓りながら、ぽそりと呟く。
「やっぱり、ちゃんと話してあげるべきだったかなぁ……」
 シアンとしては、あの状況できちんと話をしたとして、きちんと伝わることはないだろうと考えていたので、フラムの発言を肯定することはできない。
 押し黙ったシアンと、返事に窮するばかりのシリアとシェルキス。結果、独白のような響きに変換される。
 焚き火は空気を読むように、一度だけパチンと爆ぜた。

――

 時を同じくして、月を見上げながらサクヤは呟いた。
「……それがわたくしとフラムの出会いですわね……。初めは父様を奪った憎き敵役でしかなかったのですけど、今となってはわたくしの唯一といっていい良きライバルですわ。シアン様を奪ったことは許せませんけれど……」
 サクヤは視線を隣へと向ける。そこには大きな巨躯の少年が座っていた。
 彼は粗雑でガサツで、男臭くてあまり好きにはなれないと思っているサクヤだったが、戦士としては優秀で、サクヤを守るという発言通りに旅の道程ではよく働いてくれた。
 これで外見さえもう少し良ければと思わなくもないのだが、背に腹は代えられない。今は彼に頼るしかないのだ。だから納得するしかない。
 それに時を経て、分かったこともある。それは彼は変態気質ではあるものの、そこには異常なまでの忠誠心があるということだ。
 その理由は、サクヤには理解できない彼自身の性癖によるところではあったのだが、わざわざそれを気にするような余裕も猶予もない。
 時間は加速も減速もしない。常に刻々と時間を無慈悲に刻み続けるだけだ。そこに足踏みしているゆとりなどはない。
 カイウス=アルカンスタ。彼が付き従うというのなら、それを拒む理由など、サクヤにはない。
 限られた選択肢の中、サクヤは選択した。カイウスをパートナーにすると決めたのだ。
 仮初めだろうがなんだろうが、今は彼と組むしかない。
 パートナーとして選ばれたカイウスはというと、消去法で選ばれたことを理解しながらも喜んでその下に就く。悦んでその下に跪く。
 その紳士道を理解できるものはこの場には誰一人としていない。
「なるほど……。それがあの、美少女フラムちゃんか……」
 カイウスが独りごちると、サクヤは何故か声を荒げる。
「ハァっ!? 何言ってんですの? フラムも多少は可愛いですけれど、フラムが美少女ならわたくしは超☆美少女ですわよっ!」
「当 た り 前 だ っ ! !」
 頷くどころか、激しい怒号で返すカイウス。それは行き過ぎた忠誠心ゆえか。はたまた性癖ゆえか。
 後者が濃厚だが、それを指摘する者はいない。
「…………よしっ!」
 気合いを入れて、サクヤは立ち上がる。それに合わせてカイウスも腰を上げる。
「さぁ、まだまだ行きますわよ! この程度で勝てるほど、フラムは甘くありませんの!」
 サクヤの意気込みに、カイウスは首を縦に振って応える。
 カイウスは、一人、思う。長い夜はまだ、明けそうにない。



to be continued...

あとがき

予告と違うじゃねーか!
というセルフツッコミと一緒に。どうもこんにちわ、亘里です。
プロット整理してたらこっちのほうが良さそうな気がしたのでそうしました次第です。
反省はしてる。だが、後悔はしていない。ああ……、一片たりともなッ!
ユキナって誰だよ。そう思って欲しいところでしたが、多分初っ端の一人称でバレバレです。気にすんなよ、いつかきっと良いことあるって。

・ユキナ=シキジョウ
和っぽい名前を付けたかったんですが、いろいろ難しかったです。
ミユキにしたら劣等生のパクリにしかならんし……。ベタすぎるということでボツ。
ユキナも幽遊白書っぽい気もするんだけど、いい加減そろそろ時効な気もするので使っちゃいました。
名字もテキトーです。
カタカナでも見栄えのある名前にしたかったんですが、思いつかなかったので結局ゴーサイン出しちゃいました。

・このエピソードはどこらへんで区切ろうか
ちょっと考え中です。
出会いのエピソード最後は書くんですけど、そこから先はどうしようかな。書けるなら書いちゃったほうが良さそうだけれども。

・次回
しばらくはユキナさんのお話ですの。

用語解説(抜粋)
◆《落命戦争》
・キリング・デイズ。
《人間爆弾》が普及したことにより大混乱に陥った時代の総称。
戦争とは言われているものの、特定の国と国との戦争という話ではなく、あらゆる国がそれらを使い他国へ攻撃をしていたとされる。
疑心暗鬼に陥った民衆は、極力家に閉じこもり経済は衰退。物資の枯渇などから戦争が続けられない状況になったことで、禁忌魔導具に関する決まり事を制定され、その後五十年掛けて世界は再興したとされている。
・当初、デイズではなくデイにしようかと思ってたのですが、一日の出来事ではないし、デイズには【日々】の他にも【パニックとか恐慌】みたいな意味もあった気がするので、変更しました。デイのほうが響きは好きだけど。
【days:日々|daze:ぼうっとさせる、気が遠くなる、当惑させる、目が眩む】

◆《人間爆弾》
・キリング・ドール。
爆弾ベビーから着想を得た最悪の魔導兵器。
とある装置を装着させ、意図的に人間を爆弾ベビー化させることが出来る。
この装置の普及により、世界は大混乱に陥った。
現在では所持・製作・輸出入・研究などが全面的に禁止されている。

◆城砦都市エルハイム
・オーランドの北西に位置する都市。
堅牢な城壁に守られており、独自の騎士団を保有している。

◆《青嵐のシリア》
・せいらんのしりあ
青髪で風属性のシリアの字(あざな)。
シリアは魔導士名ではないので、厳密な字とはちょっと違う。
《フラム・リミット》を発症しているため、強力な風を呼び寄せることが出来る。

◆《爆弾ベビー》
・とある病により生ける爆弾とかしてしまった赤ちゃんたち。ドラクエのモンスターではない。
病室一つを黒焦げにする破壊力を持つ。それに目を付けたマッド・サイエンティストが兵器として応用し、最悪の時代を生み出すに至る。

◆ユキナ=シキジョウ
・とある貴族のご令嬢。
お嬢様言葉を使いこなし、貴族らしさを追求する少女。
極東の民族衣装を身に纏う黒髪の出で立ち。
魔導士としての才覚に優れ、多くの期待を浴びて育つ。
母は他界してい久しいが、父のことは大好き。
一人っ子で、父の弟子にも可愛がられて育ったため、ちょっと自己中で嫉妬深いところもある。

■②
マグ視点でのお話。
ここにつれられてくるまでマグは結構しんどい生活をしてきていて、ここでは今までとは少し勝手が違うようです。

・戸惑うユキナさん
最初はちょっとぎこちない二人ですが、ここから尊敬・敬愛→反発という流れになります。
第六話では好感度上昇くらいまでは書きます。

・マグの両親
初めは頑張ってみんなで乗り越えようとしたけれど、途中で疲れてしまったという話。
自分の子供を見捨てるなんて酷いと思いつつ、本当に追い詰められた人間にはしょうがない事情なんじゃないかとも思います。
追い詰められた子供のほうの感情を捨て置くとするなら、ですが。

■③
病人に喧嘩を吹っかけるユキナ。
しかし敵にも情けをかけてしまうところは良いなぁ、と思います。

■④
第6話エピローグ。
第7話へそのまま続きます。