劫火のフラム

どんな願いも叶えてくれるという《至高の魔導具》を巡って、世界最強の魔導士を決める戦いが遂に始まった!


第七話『カイウス=アルカンスタ』①

 魔装具や魔導具の使用に必要だとされているのは、高い集中力だ。
 行使される魔導術に応じて、より高い集中力が必要とされる。
 集中力を生むには、心を乱すことのない高い精神力が必要で、それは長い修行によって育まれるものとされている。
 そのための環境としてあるのが、《学園》(アカデミア)である。
 魔導協会が設立した学園では、少年少女たちが勉学に勤しみ、そこで一般教養や魔装具や魔導具の扱い方を学ぶ。
 学園に通うには学費が必要だが、魔導士としての依頼を受けることにより、ある程度の収入を受けることも可能なため、通わせようとする親は少なくない。
 そうして得た経験を用い、魔導士になり生活の糧を得るために邁進するわけだが、当然その道は必ずしも明るいというわけではない。
 志半ばで、挫折し、違う道を目指す者たちもいる。
 そこまで行かずとも、諦めつつある者たちは少なからず存在する。
 少年、カイウス=アルカンスタもその一人だった。
 カイウスの技量では、簡易的な魔導具の起動しかできない。それは、魔導士として大きすぎる欠陥だった。
 それゆえに家業の魔導武具店を継ぐことになるはずだった。
 しかし、カイウスには魔導士以外に優れた才能があった。
 それは恵まれた体躯。
 簡易魔導具とはいえ、《海賊曲刀》(カトラス)は立派な武器だ。
 力を込めて振るうだけで、十分な破壊力がある。
 また、起動に必要な術式は非常にシンプルで、連続使用もしやすいというメリットがあった。
 カイウスは《海賊曲刀》を使いこなしていた。
 その技量はなかなかに高く、カイウスには《騎士》としての素質があった。
 カイウスはたき火に照らされた少女の横顔へ視線を移す。
 少女は、服についた埃を払いつつ立ち上がった。
「さぁ、修行の続きですわよっ!」
 少女の瞳には力強い光が宿っていた。

 和装の少女――サクヤは、文言を唱え始める。
 すると周囲に燐光が飛び交い、術式が展開を始める。
 高められたエネルギーは術式を介すことで術者のコントロール下に置かれる。
 ゆえに術式の構築は魔導術を効率よく扱ううえでは必須の技能とも言われている。
 なかにはフラムのような術式を意図的に構築せずとも、術と同等の魔導エネルギーを行使できるイレギュラーもいるが、それはあくまでも例外だ。通常の枠外の話に過ぎない。
 通常の魔導士は術式構築なくして魔導術は扱えないし、魔導術なくして魔導士は名乗れない。
 無意識で垂れ流されるエネルギーは無秩序で、矮小だ。それを束ね、変質させ、構成し直さなければ、簡単な術すらおぼつかない。
 サクヤはフラムとは違う。普通の魔導士だ。
 だから術式を構築する。
 そのために高い集中をし、力を束ねる。収束する。それを再構成して、一つの術式に変換し、魔導術を行使する。
 放たれる文言は自分との誓約。そして、世界との誓約だ。
 偽りも迷いも、偽善すら必要ない。建前など存在しない。想いによって紡ぎ、想いによって解き放つ。
 それは魔導士にとって、何よりも神聖な儀式で、何よりも利己的な行為だった。
 魔導具を介し、術式を展開。そして、それを解き放つ。
 解き放たれたエネルギーは奔流となり、事象を改変する。
 自然を支配する。理を乱し、理を操り、理を支配する。
 より強固に。より確かに。より鮮烈に。
 世界を支配する。
 魔導術を操るということは、そういう意味なのだ。
 サクヤの魔導杖から放たれた冷気が、何もない地面に氷柱を作り出す。
 ビシビシビシ……っと、張り詰めた空気が乾いた音を鳴らす。
 ――……こんなんじゃダメですわ……ッ!
 氷柱の規模はカイウスの身長をやや越える程度。
 銅級程度の魔導士なら充分に必殺の一撃になりうる。
 だが、それだけだ。フラムには敵わない。
 この程度の力では、フラムには及ばない。
 サクヤは歯を食い縛る。ギリギリと引き絞る。
 焦れば焦るほど。術式は定まらない。己の未熟さを痛感する。
 しかし、どうあってもそれ以上へは届かない。フラムに勝てる手段がない。
 サクヤはそれを確信していた。
 だから余計に焦っているし、だから余計に集中できない。
 悪循環だった。
 ――今一度、ご指導くださいませ……お父様……ッ!

――

 薪の炎は消え、満天の星空と、月明かりだけが二人を照らし上げる。
 休み休み続けた身の上話も一段落し、立ち上がったサクヤへ、カイウスが疑問を投げかける。
 飛び出すように家を出て、サクヤに付いてきたカイウスだったが、その目的地をまだ訊いていなかったのだ。
「言ってませんでしたっけ? 目的地は、城砦都市エルハイムですわ」
 サクヤは、月明かりに照らされた白く小さな横顔で、遠くを見るように目を細めた。

 カイウスの知る城砦都市エルハイムは、故郷であるオーランドの北西に位置する隣町だ。
 距離は徒歩でほぼ十日。《地を這う鉄輪》(キャリア・ギア)――いわゆる魔導式の馬車のことだ――を使えば大体三、四日くらいだろう。
 道中は平坦だが、林を突っ切る道程となるため、視界は不明瞭で、治安はすこぶる良くない。
 サクヤたちは安全のためにも、時間を掛けないためにも、ギアを使う必要があった。
 ギアはあくまで総称で、大きさや形状により名称も様々で、当然安いものではない。
 そのうえ、魔導士は移動を頻繁に行うため、需要は意外と多い。まぁ、なかには研究ばかりを行い、引き籠もり気味の魔導士もいるにはいるが……。
 そんなこともあって、魔導協会にはギアの貸し借りや運転のみを行う魔導士もいる。その手間賃や貨物の運搬で日々の生計を立てているわけだ。
 サクヤの移動に、カイウスは半ば強引に付いていくことになり、その足として、御者の魔導士を一人雇ったわけだが。その雇われの御者は異様に口数も少なく機械的に応答を返すのみで、人間味が足りない。
 そんな物静かな荷台の上で、暇を持て余したサクヤは、自身の身の上話を話したりした。
 夜になると、御者は休憩のため仮眠に入るので、サクヤたちは火を囲んで食事を摂ることにしたのだった。

 エルハイム――。
 カイウスは反芻するように口を開いた。
 城砦に囲まれたその都市は、オーランドとは違い、魔物の侵攻が多いことで知られている。
 というよりも、オーランドが他の街と比べて、侵攻される確率が低すぎるのだ。
 だから、魔導士のレベルは軒並み低いし、市壁の外にも民家が建てられたりする。他の街では魔物の侵略が怖くてそんなことはできないだろう。
 そして、もう一つの噂が、カイウスの脳裏をよぎる――。
 あそこは定期的に魔物が大発生する地域だ。それゆえに城壁が改築され続け、城砦都市と呼ばれるまでになった。
 ゆえに、出入りは慎重にならざるを得ない。タイミングを見誤れば大行進の真っ只中に迷い込んでしまうことになる。
 だが、はたしてその魔物の大移動の時期とは一体――。
「数週間のうちに、来るそうですわよ……?」
 サクヤがカイウスの思考を先回りするかのようにそう告げてくる。
「数週間ってやべぇじゃねえか! なんでそんな時期に向かうんだよサクヤちゃん!?」
 じっ……と、馴れ馴れしい呼び方を嫌がるように眉根を歪ませたサクヤだったが、結局そこには何も触れずに敢えて淡々とした口調で応える。
「やべぇからですわ。魔導士とは酔狂な生き様を送る生き物ですのよ。そしてわたくしもその一人。魔導士としての生き様を曲げるようなことは致しませんわ」
「けどよ……」
 サクヤの身を案じ、反論を試みるカイウスに、しかしサクヤは片目を閉じて余裕の表情で答える。
「わたくしを誰だと思っているんですの? 氷楔のサクヤですわよ? 民草を守るのも、死地に身を置くのも、魔導士としての責務ですわ。まぁ、もっとも……、わたくしにとっては魔物ごとき、弱々すぎて死地になどなり得ませんけれど……。ホォ~ホッホッホ……!」
 高笑いを始めるサクヤを尻目に、カイウスは腰に差したままの海賊曲刀の柄を握り締める。
 もし彼女にとって、歯が立たないような敵が現れた場合は、その盾になろうと。そう誓うカイウスだった。
 このデカイ身体はきっと、そのためにあるのだろう。カイウスは、そう思うのだった。

第七話『カイウス=アルカンスタ』②

 その日、カイウス=アルカンスタは人生の岐路に立たされていた。
 前には美少女とのめくるめく明るい未来があるが、その道を選べばもう二度とこの場所へは戻ってこれない。
 後ろには今まで通りの世界がある。美少女に焦がれ、親父にいびられながらの満たされない、だがありふれた幸せのある場所だ。
 どちらを選ぶか――。答えなど決まっていたが、後ろ髪引く思いがないわけではない。
 当たり前だ。半分同じ血が流れる家族なのだから。何も感じないわけがない。
 だが、そのためにこの想いを捨てられるのかと問われると、やはりそれはできない。そういう結論になる。ならざるを得ないのだ。
 カイウスは小さい女の子が好きだし、そういう女の子に足蹴にされて快感を抱いたりもする。なるほど、それは異常な趣向なのだろう。自分でもそれは分からないでもない。
 自分ですら理由など分からないのだ。どうして好きなのか、と言われても――、答えに窮する。
 ただ、そうしたいと心からそう思うし、そうせずにはいられないのだから、そうするしかないし、そういうふうに生きてきた。感じ方までは変えようがないし、感情に嘘はつけない。
 だから、決めた。決断を下した。
 家業など継がない。家にはいられない。自分一人の力で生きていく。そのための力を手に入れる。この魔導具、海賊曲刀で――。
 家を出ると告げたとき、カイウスの父は、いつも通りに否定した。
「甘ったれたこと抜かしてんじゃねぇ。とっとと店番につけ」
 予想通りの返答だった。寸分違わず想像できたセリフだった。
 だから、答えも決まっている。もし、そう返されたら、それ以上の問答は必要ない。伝えるべき言葉は告げた。それが響かなければ、口下手なカイウスに弁明など不可能だろう。
 もはや言葉は無用と思い、何も言わずに背を向ける。
「……本気なのか?」
 その低い声に、一瞬恐れをなしたカイウスが足を止めた。いや……。
 ここで止まるべきではない。もう、家に未練はない。この衝動に気づいてしまった以上、もう平凡な日常には帰れない。残れば一生後悔する。そんな人生を、カイウスは許容できない。
 だから――。
「そのまま行くなら二度と帰ってくるんじゃねえぞ。俺に息子などいねぇ。アルカンスタ家にカイウスなどという子供はもういねぇ」
 それは別離の言葉だった。望んだ結末のはずだった。分かっていたはずなのに……。胸が押しつぶされたように苦しい。頭が痺れるみたいだ。
「お前はもう言うことを聞いてるだけの子供じゃねえ。もう大人なんだ。てめえのケツはてめえで拭け。誰かに甘えられる時間は、もう終わりだ。分かったらとっとと行け。振り返りやがったらぶん殴ってやるからな……」
 カイウスは熱くなった目頭を押さえ、足早にそこを去った。これ以上留まることはできそうになかった。
 言われた通り、カイウスは振り返らずに戸を閉める。街の喧騒に全てが呑み込まれる。
 ……そして、それが最後に聞いた父の言葉になった。

――

 道中、魔物の襲撃には何度か遭遇したが、大群ではなかったので、サクヤとカイウスの拙いコンビネーションでもどうにかなった。
 聞いたところによると、盗賊や傭兵崩れなどに襲撃されるケースもあると聞くが、結局今回はそういう事態には陥ることなく目的地に到着した。
 高い石造りの城砦から橋が架けられている。橋の下には壕があって、急流の川が流れている。
 橋の左右には衛兵が立ち尽くしていて、通ろうとするとやはり声が掛けられた。
「魔導士、氷楔のサクヤ。そしてその騎士候補の下男ですわ」
 ぶしつけな挨拶に続けて、無愛想な御者もしゃがれた声で頭を垂れる。
「ふむ、魔導証も確認した。いいだろう、通りたまえ」
 衛兵が槍を下ろして道を開ける。そこをギアが低速で抜けていく。
「……いよいよ、別の街に来ちまったんだな……」
 街並は、随分と違う。木製の建物は少なく、石造りの建物が大半でそれだけで街の外観は大きく異なって見える。
 いつかは慣れるのだろうが、どうにも落ち着かない心地のカイウスだった。
 ガラガラ……、とギアは石畳を派手な音を立てながら進み、カイウスは見慣れない街並に目を奪われていたが、ふいにその景色の流れが止まる。
 どうした、と声を掛けるまでもなく、声が届いた。
「やぁ。待っていたよ、サクヤ」
 ギアの前に立ち塞がる男。
 髪は真っ黒だが肌は雪のように白い。服装は群青色をした何処かの国の民族衣装で、その表情はどこか飄々としている。
 結構なイケメンだ、とカイウスは思った。
 ――俺に勝るとも劣らない、な……!
 そんなライバル心を剥き出しにするカイウスだったが、残念ながらいい勝負とは言えそうにない。
 しかし、そんな対抗心もすぐに芽を奪われてしまう。それはサクヤが次に発した言葉が原因だった。
「お父様……? どうしてここに――」
 聞くが早いか、カイウスはギアから飛び降り、男に跪く。
「サクヤちゃんのお父様であらせられましたか……。どおりで、若々しく、それでいてお強そうだ」
 頭を垂れたカイウスに、しかし男は楽しそうに声を弾ませる。
「ふふっ、試してみるかい……?」
 ゾゾゾ……ッ! 背筋が粟立つ。途端に確信する。勝てない。この男には絶対に勝てない。
 カイウスは下げた頭を上げられずにいた。
 まるで、強い力で身体全体を押さえつけられているかのようなプレッシャーだ。
 男は目が開いているのか分からないくらいに細い目を、更に細めて笑みを作る。
 凍り付くような笑みで、男は告げる。
「サクヤ。それにキミにも。今日は大事な用があって来たんだ。少し付き合ってもらえるかな……?」
 声は優しく、染み入るように穏やかだ。
 なのに、カイウスは恐れをなしていた。
 父親とも、シアンの父とも違う。フラムともまた別種の、強者の気配。
 彼が纏うその気配が、カイウスに呼吸をすることすら忘れさせていた。

 サクヤの父は、サクヤとカイウスを引き連れたまま、目的地も告げずにグングンと突き進んでゆく。
 慌てて後を追いかけるサクヤたち。見慣れぬ街並が後方へと流れ去る。
 徐々に人の気配がなくなってゆく。辺鄙な場所に来たのだろうか。しかし、道幅は広く、往来が少ない場所にはあまり見えない。
 数分歩くと、先導していた彼が歩みを止めた。そこでカイウスは改めて周囲を見渡す。
 ……公園、だろうか。あるいは、何かの広場だろうか。
 開けた場所で市場でも開催できそうな空間が待ち受けていた。
 その広場を囲うように石で作られた柵が設けられており、柵の内側には街路樹が植えられている。また、川でも流れているのか、水の流れるような清涼な音も聞こえてくる。
 気持ちの良い場所だが、どうして誰一人として休憩に利用していないのかが気に掛かる。
 まるで魔法でも掛けられたような違和感。夢の世界にでも紛れ込んでしまったようだった。
 いや、もしかしたら――、
「……ああ、悪いけど人払いはさせてもらったよ。巻き添えにしちゃ悪いからね」
 彼はそう言って剣を振り抜いた。
 咄嗟にカイウスも魔導具の柄へ、手を当てた。
「改めて、名乗ろうか。もっとも、彼には初めての自己紹介になるだろうけど……」
 そう言って、男は剣を掲げる。その剣はおかしな形状をしている。一本の剣から切っ先が何本も枝分かれしており、武器として使えるのかどうかすら、疑問に思う。どちらかというと飾りや儀式用の礼剣なのではなかろうか。
「私の名前は、《白寂のミチヤ》。金級魔導士が一人、そして、シキジョウ家当主の爵位を継ぐ者でもある」
 金級魔導士――、それは、英雄に等しい技量を身につけた魔導士の総称だ。フラムやサクヤよりも格上。カイウスなど足下にも及ばない雲の上の称号。
 また、爵位持ち。つまりは貴族だ。独自の兵力を持ち、豊富な資産を抱えているのは疑いようがない。
 そんな相手が今、臨戦態勢でこの場に臨んでいる。カイウスは腰から砕けてしまいそうだった。
「使わせていただく魔導具はこちら。七支刀(しちしとう)の魔導具、銘は《凍れる時の絶対者》(サイレント・タイム)。……さぁ、キミの名前も聞かせてくれないかい?」
 そうはいうものの、震えて声が出ない。情けなく唇を震わせるだけのカイウスの代わりに、サクヤが呼びかけに応じる。
「《氷楔のサクヤ》。そして、その従者カイウスですわ!」
 サクヤが答えると、ミチヤは満足そうに頷く。その目は相変わらず細く、寒気のする薄ら笑いを浮かべるだけだ。
「さぁっ! 存分に見せてくれたまえ! キミたちの修行の成果を!」
 声に促されるままに、カイウスは愛刀を引き抜いた。

第七話『カイウス=アルカンスタ』③

 勝敗が決するまで、3分も掛からなかった。
 カイウスは地に倒れ、腕を伸ばすも頼みの綱の海賊曲刀は弾かれて、届きもしない。
 その隣には杖を取り落とし、這いつくばるサクヤの姿があった。
 圧倒的と言う他なかった。
 サクヤの氷は、支配をミチヤに奪われ、その時点でサクヤの攻撃は攻撃ですらなくなった。
 サクヤが術を放とうとするだけで、術はカイウスへ向かい、サクヤをも巻き込み本来の威力の数倍の規模で炸裂し、被害をもたらした。
 アリとゾウの戦いのようだ。それはもう、一方的な暴虐だった。
 勝負ですらない。勝ち目などない。分かりきった勝敗だった。
 サクヤも、視線を上げられずにいた。その目に色濃く映るのは恐怖だ。『敬愛する父』という概念よりも強く、『絶対的強者への恐怖』を抱いてしまっている。
「……キミたちは弱い。それがどうしてだか分かるかい……?」
 ……それは明確な格の差だ。それ以外の何だというのだろう。
 所詮、田舎から出てきただけの少年には、英雄の器はない。たったそれだけのことだったのだろう。
 選ばれた人間だけが、強くなれる。選ばれた人間だけが、その先へ至れる。選ばれなかった人間には、そこへ立つ資格などないのだ。
「……本当にそう思うかい……? 私はね、それは違うと思うよ」
 その声は、不思議と冷たくなかった。今まで冷淡に接してきたはずのミチヤの声が、急に暖かみを帯びる。
「キミたちが勝てない理由、それはね……キミたちが『キミ』たちだからだよ」
 ……それは格の違いとは、違うのだろうか。そういう意味の発言とは、違うのだろうか。
「もちろん、違うよ。『キミ』たちは『キミたち』になるべきなんだよ」
 そう、謎の言葉を言い残し、そのまま何も語らずにサクヤの手を、そして、カイウスの手を取った。
 そしてその手と手が、合わさる。細く小さな手が、触れる。初めて感じるサクヤの体温。
 冷たい、指先。だけど、そこには確かな温もりがある。命がある。血が通っている。生きている。
 そんな当たり前の事実に、カイウスは驚いていた。
 そんなサクヤの目も、僅かに大きくなる。……彼女が何に驚いているのかは知らない。だが、それは大切なことのように思える。今更ながら気づいた大切な事実のように思える。
「キミたちには強くなってもらうよ。なにせ、あのフラムを倒してもらわなきゃいけないんだからね……」
 その言葉に、サクヤは身を震わせた。その気持ちは指先からでも充分に伝わる。
 その程度のことなら、カイウスの稚拙な想像力でも、容易に想像ができる。
 だから、その細い指をそっと握ってやる。
 一瞬、びくりと身体を強張らせたサクヤだったが、しばらくして、その手を握り返してくる。
 ちょっと後ろ髪引かれる思いがしたが、カイウスはその細く小さな横顔から、必死で視線を逸らし続けた。
 きっと見られたくない表情をしているだろうから。

――

「風惑い、振るい迷いて吹き荒れよ……行きます! 《風花招》(ブリーズ・ブロウ)ッ!!」
 シリアの指揮棒が淡い燐光を放ち、途端に生み出された暴風が周囲を薙ぎ払う。
「うぎゃあああああああああッッ!!」
 大の男共が四方八方へ吹っ飛ぶ。何人かはそのまま大木に叩きつけられ、そのまま意識を失う。
 残った男共は3人。それぞれがそれぞれの得物を抜き放ち、ある者は短剣で斬りかかって来て、ある者は詠唱を始める。
「咄嗟にしては良い反応ね。褒めてあげるわ……、でも結末は変わらないけどねッ!」
 小柄を生かして一気に肉薄したフラムが、短剣の男を一撃で沈める。相変わらずの豪腕だ。何度見ても、あの細腕のどこにそんな力が……、と思わずにはいられない。
「ゲフッ!」
「チクショウッ! 焼き尽くせッ! グレネェェェーーーードッッ!!」
 顔を真っ赤に染め腕を振り上げた詠唱中だった男は、結局詠唱を完了できずに膝をついた。
「私の前で悠長に詠唱など、できると思っていたのかい……?」
 シェルキスが短剣を、キンと納刀させると同時に男は地に伏した。
 そこで、シリア、フラム、シェルキスがそっと息を吐いた。
「あれ……、もう一人は……?」
 シリアが呟いた、まさにその瞬間。
 シアンは番えていた弓を放っていた。
 閃光のように凄まじい速度で駆け抜けた矢は、木々を擦り抜け、随分と距離を稼いでいた男の背中へとぶち当たった。
 矢は胸当てに弾かれたが、その威力までは減衰できない。
 男は眼前に現れた大石を避けきれずに直撃。そのままダウンした。
「ま、こんなところかしらね」
 フラムは分かりきったことのように、そこまでを見届けると少し離れたところに停めてあったギアへと、足を向けるのだった。

 《地を這う鉄輪》(キャリア・ギア)。
 大きさは精々小部屋程度。それに車輪をつけ、駆動部をつけ、運転席を設けたものがこの魔導具だ。
 魔導式の馬車と言ってしまえばいちばん分かりやすいだろう。
 この世界でも馬車は存在するが、魔導士たちはまず使わない。魔導士の感覚として、人力や馬力など、魔導以外の力で動かすのは邪道のように受け止められることが多い。
 魔導具があるのになぜ馬車を使うのか、という話だ。
 馬の餌代と、燃料費を比較してしまえば、実はそんなに変わらないのではないかと思わなくもないシアンだったが、動物には病気や怪我だって存在する。安定的に使うのなら、やはり魔導具のほうに軍配が上がるのかもしれない。
 そんなことを話し合っていると、フラムが「馬の機嫌なんかに振り回されるなんてゴメンよ」なんて言っていた。魔導士が馬車を使わない理由は、そういうメンタル的な理由もありそうだ。
 そんな問答やお喋りを繰り返している中、ガタガタと揺れる荷台の上で、シェルキスが顔を上げる。
「フラム君、ひとつ訊いても良いかな」
「どうぞ」
 どうでもいいことだが、フラムはシリアやシェルキスに対しては案外素直に相手をしている。だというのに、シアンの時だけはどうにも意地が悪い気がする。
 こうして一緒にいると、それが結構不満だった。
「先程の追い剥ぎたちが持っていた、あのグレネードという魔導具はなんなのだろう?」
 そういえば、結局使う前に倒してしまったから、効果は分からずじまいだった。
「ああ、そういえばアンタが先に倒しちゃったもんね……。いいわ。教えてあげる」
「すまない」
「良いってことよ。……あれはね、いわゆる爆破術式よ」
 《炸裂焼土》(グレネード)。
 効果範囲は馬車一台分くらいから、術者により六台分くらいまで。威力は無防備に食らえば重傷になるくらい。
 その分、詠唱も時間が掛かるし、必要な魔導石の量だって並じゃない。
 あの盗賊はそれを簡略化して放っていたようだから、そこまでの威力ではないはずなのだが、それでも危険であったことは変わりなく、シェルキスが未然に防げたことは大きかったらしい。
 思っていた以上に外の世界は物騒なようだ。もっとも、普通なら商隊などを組んで旅をするものだし、そうなればああいったならず者にも対処は可能だろう。
 もう少し慎重に進もうと、決意したシアンだった。
「というか、シェルキス。アンタのその魔導具はなに? あのとき、まるで敵の詠唱を止めたような気がしたんだけど……」
「ああ、これか」
 そう言って、シェルキスは短剣を鞘から抜いて見せた。
 《黙示の条約》(スティレット)。
 効果は命の切断。シェルキスの話によると、生命力の高い魔物や動物を仕留めるときに急所に突き刺すことで、死に至らしめることができるらしい。
 だが、使い込むうちにそれ以外にも、稀に魔物が扱う術攻撃すらも斬って中断させられるようになったらしい。
「それって気を切断しているってこと……? それともエネルギー的なものなら何でも斬れるのかしら……?」
 シェルキスも首を傾げる。
 黙示というのは命を終わらせるという意味以外に、詠唱を止めるという意味も含まれているのだろうか。
 シェルキス自身にも分からないのであれば、それ以上は判断しようもないことだった。
「まぁ、優秀なのはいいことだわ。これからは充分に頼らせてもらうわね」
 こき使ってあげる、じゃないんだ……。とシアンはやはり一人不満げな顔を浮かべるのだった。

第七話『カイウス=アルカンスタ』④

 フラムたちのパーティ構成は現在、こんな感じだ。

 フラム。字(あざな)は《劫火のフラム》。
 銀級魔導士。ランクは61。
 使用魔導具は、《殲滅劫火》(フラムベルク)。属性は炎。
 得意なのは近距離戦闘。魔導具と特異体質により生じた高い物理攻撃力と、属性付与された攻撃。
 また、小柄を生かした体捌きと連続攻撃。
 苦手なのは基礎体力がないため、持久戦に弱い。また、特性により遠距離攻撃を全く行えないというところだ。
 シアンとの契約により、風属性の攻撃を会得し、射程は僅かに増え、攻撃範囲はまぁまぁ広がった。が、それでも中距離とすら言えない範囲でしかない。
 おそらく早く移動できるようにもなっているのだろうが、元々が充分速かったため、目に見えるほどの違いはない。

 シアン=リーベッド。字はまだない。
 銅級魔導士。ランクは33。
 使用魔導具は、《蒼穹の風弓》(ストーム・ブリンガー)。属性は風。
 得意なのは遠距離攻撃。属性付与による射程強化、射程操作、威力向上などが行える。
 苦手なのは運動全般。近づかれればアウトとも言える。
 そして長距離でも弱点はある。まず、連続射撃ができない。照準に気を遣いすぎて、一射一射に時間が掛かりすぎる。
 そして、その間、移動もできない。集中を妨げる一切の行動ができない。万全な射撃を行うためには強力な味方のバックアップが不可欠となる。
 フラムとの契約により、矢に炎を纏わせることができる。属性付与による威力向上が見込めるようになった。

 シリア=リーベッド。字は《青嵐のシリア》。(フラム命名)。
 準魔導士。ランクは1。
 使用魔導具は、《風の指標》(シンフォニー・レコード)。属性は風。
 得意なのは、風を操りぶつけることだ。素人向けの簡単な魔導式でもシリアが使えば必殺の一撃になってしまうくらいだ。術式としてきちんと固定しなくても殺傷力を持てるというなんとも非常識なレベル。
 苦手なのは、兄と同じく運動全般。長い間病床の身であったため、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
 そして、自らの力を制御しきれないこと。細かな操作はできず、大雑把に吹き飛ばすのが関の山だ。
 契約はまだしていないが、相性を考えると父であるシェルキスが無難だろうか。
 遠距離でしか戦えないシアンと近距離でしか戦えないフラムでは、少々癖が強すぎる。

 シェルキス=リーベッド。字は特にないらしい。
 準魔導士。ランクは10。
 使用魔導具は、《黙示の条約》(スティレット)。属性は特になし。
 得意なのは近距離戦闘。軽い身のこなしで敵の攻撃を躱し、背後から一撃で仕留めるのがいつものスタイルだ。
 苦手なのは遠距離攻撃。投擲武器では投げる度に消費してしまうため、なんだかんだで費用がかさむので、使うことがなかったそうだ。
 同じく契約はしていない。あくまで猟師だ。魔導士の資格は生活費の足しにしようとしたときの名残でしかない。結局猟に専念することになったため、手つかずだったそうだが。

 パーティ構成としての利点は、フラム、シリアの基本スペックが高いことと、接近戦に強いシェルキスもバランスを高めている。シアンは型に嵌まれば強みを発揮するが、状況を選ぶところは玉に瑕だろうか。
 不安点は、属性の偏りが大きい点。風と炎しかいない。風にも炎にも耐性のある魔物や魔導士が相手になったら途端に攻めあぐねるだろう。
 それに中距離を補える存在がいない。ヒットアンドアウェイで攻められたらかなり戦いづらいだろう。 
 それに壁役もいない。フラムもシェルキスも敵の攻撃をかいくぐってダメージを稼ぐ前衛だ。受け止めるだけの体力がない。これも汎用性の低くしている要素だ。
 シリアとシェルキスはこれからランクを上げることになり、伸び盛りのシアンとシリアは新しい能力を開拓していくことになるのだろうが、その方向性が悩ましくもある。
 利点を伸ばす。それも正しい選択だ。シアンは遠距離に特化し、近距離を捨てる。型に嵌まれば絶大な威力を発揮すること受け合いだ。
 しかしそれは、汎用性をなくすということでもある。特定の誰かには圧勝できるが、それ以外には勝てないという状況になりかねない。
 目指している最終目標は《至高の魔導具》だ。そのためには全ての魔導士の頂点を決める《頂上決戦》で勝ち抜かねばならないわけだ。
 それを考えれば、答えは自ずと決まるというもの。

「決まってんでしょ? 弱点を潰し合うのよ。それがパーティを組む理由なんだから」

 フラムのそんな一言で舵取りは決まった。
 ギアに揺られながら、門を潜る。石畳の通りに石造りの建物。異郷の佇まいにリーベッド家の一同は溜息を漏らす。フラムは一人、そんな遣り取りに肩を竦めていた。
 やることはたくさんあった。まずは捕らえた盗賊を引き払い、報奨金を得ること。それで得たポイントを使って、ランクアップを行う。その後、シリアとシェルキスには銅級試験を受けてもらう。
 パーティをはいえ、一部のランクが低すぎるとクエストを受けられなかったり弊害も起こりえる。行動に差し支えるだろうし、とっとと進めるに限る。
 それから装備も整える必要があるだろう。攻撃範囲を広めるためにも、誰かに新しい魔導具を持たせておきたい。
 そんな色々な手間が、何故だか心を躍らせている。フラムはそんな気持ちでいる自分に驚いてもいた。
 面倒なことのはずなのに、ワクワクしてしまうのは何故なのだろうか。
 フラムは苦心して不機嫌そうな顔を作り、街並を眺めていた。

――

 エルハイムの魔導協会は入り組んだ路地の奥に位置していて、オーランドと比べるとどうにもこじんまりとしていた。
 不思議そうに首を傾げるシアンとシリアに、フラムは呆れながら「だからあの街は特殊なんだってば」と告げる。
 普通の街では魔導士に対する風当たりはもう少し強い。なんだかんだでこのエルハイムも魔物との戦いで魔導士の力を借りる機会も多いためか、随分とマシなほうらしい。
 シェルキスはというと、余所へ出るのは初めてではないためか、そこまで驚いた様子はない。もっとも、驚いているのを隠しているだけかもしれないが。
 そうして協会の扉を通り抜けると、目の前には案内図がある。ちなみにこの案内図も魔導具で出来ている。フラムが魔導具を起動すると、淡い光と共に、空中に案内図が表示される。
 ギルドカウンター、それからサロンの存在が目に入る。位置関係こそ違うものの、造りはオーランドとあまり変わらないらしい。
 フラムが言うには、何処も似たようなものだそうだ。
 そして、フラムはそのまま真っ直ぐにギルドでもサロンでもない部屋へと入ってしまう。
 シアンたちは慌ててその姿を追いかけるのだった。

 『貸儀式場』。
 そう書かれた部屋の中は、こざっぱりとした何もないところだった。
「ここで何をするんだい? フラム君」
 シェルキスがそう問うと、フラムはバサリ、と髪を翻しながら振り返る。相変わらずどこか変なところでカッコつけたがるヤツだよな、とシアンは少し残念な気持ちになった。
 フラムは片手を前に突き出して、ふんぞり返る。いかんせん背が低すぎてむしろ可愛らしくすらあるのだが、本人が満足しているならそれでいいのだろうか。まぁ下手にツッコんでも攻撃を食らうだけだと分かっているので、シアンは何も言わなかったが。
「契約を行うわっ!」
「えっ?」
 何で今更……、とシアンは疑問に思う。
 フラムとシアンは既に契約を交わしていて、フラムが主、シアンが従の関係になる。今更何を契約するというのだろうか。
「ホント、シアンってば莫迦なんだから……」
 なんか言われた。
 相変わらず説明下手というか、端折りすぎというか、自分勝手で困るヤツだ。どういうふうに育ったらこうなるのか聞いてみたいものだ。
 ……聞いてたわ。シアンは肩を落とす。オーランドを出発する前にフラムが話していたことを思い出した。
 フラムは言う。
「さ、魔導証石を出しなさい。とっとと契約の儀式をするから。シアンはほっとくとして」
 随分な言われようだ。しかし、それにしても……。それは無理があるんじゃなかろうか。何故なら……。
「とは言われても……。フラム君――」
「わたしたち、魔導証石って、持ってないんだけど……」
 そう。二人はまだ準魔導士。厳密にはまだ魔導士ではないのだ。だからその証明たる証石を持っていないということだ。
「……………………え?」
 大きなお目々をパチクリと見開きするフラム。気づいてなかったんかい。
 ここぞとばかりに反撃を企てるのがシアンという人間だった。
「ホント、フラムってば莫迦なんだから……」
 言うと、フラムの額に汗が浮かび始める。
「さ、フラムはほっとくとして、証石をもらいに行こう。……フラムはほっとくとして」
 これほど気持ちいいことがあるだろうか。この機を逃せばシアンは泣き寝入りするしかない。だから今までの鬱憤を全てこの場で解消するしかない。
 だが、やがてフラムのほうからビキビキ……と、何かがはち切れる音が聞こえた。
「えっと、兄さんそろそろ……」
 シリアが控えめなことを言っているが、今ここを逃すのは絶対に下策だ。もうこんなチャンスはないかもしれないんだ。ならば可能な限りの反撃を行わねばなるまい。これが最後のチャンスだったらどうする。
「さ、莫迦なフラムはほっとくとして、とっとと昇級試験を受けに行こうよ。タイミングが良ければすぐ受けられるかもしれないし。……それにしても魔導証石……ププっ。クヒヒ……」
 笑いが止まらない。ポーズまで決めてドヤ顔でミスした人間を笑うのは本当に楽しいものだ。それが普段勝ち目のない相手なら尚更というもの。
「シアン……、アンタねぇ……」
 フラムが消沈している。畳み掛けるなら今しかない!
「さ、魔導証石を出しなさい!(ドヤァ)。だってさ、ハハハハ……何言ってんのこの人ー! こんなポーズだっけ? ビシィ! みたいな? ヒヒヒヒ……お腹痛いやめてー!」
 フラムの顔が真っ赤に染まっている。いい気味だ。楽しくて仕方がない。
 なんて、思っていたのだが……。

 ボウッ!!

 と、フラムの拳が炎を纏う。考えるまでもない。《殲滅劫火》(フラムベルク)だ。フラムの代名詞にして、銀級魔導士の中でもおそらく最強の威力を誇る魔導具。
 それを振りかぶり、フラムの渾身の右ストレートが、シアンの顔面に吸い込まれるように向かってくる。
 その光景は途端にスローモーションになる。思い返されるのは今はもう他界した母の姿。優しい笑顔を向けている。それから蘇る思い出たち。
 そうか、これは走馬灯か。自分の死に様は、こんな無様なものだったのか。
 ――母さん、ゴメン……。ちょっと早かったけど、僕もう、そっちへ行くよ――。
 そしてシアンの意識は、フラムの豪腕により刈り取られたのだった。

第七話『カイウス=アルカンスタ』⑤

「銅級昇格試験なら1週間後になります。それまでは資料室や修練場での鍛錬をお勧めしております」
 そうして、案内されたのがまず資料室だった。六人掛けの机が六組。それだけの広さの室内に本がびっしりと並んでいる。本棚の高さは大人が背伸びしても絶対に届かないような高さまである。いくつかの階段状の踏み台が設置してあり、使用している人たちもちらほらといるみたいだ。踏み台には魔導石が組み込まれていて、どうやらこれ自体が魔導具として機能しているらしい。ちょうど動かす人がいたので見ていたら、フォン……と起動音がしたかと思うとスゥ……、と滑るように移動していき、指定した場所まで動いたようだ。起動した眼鏡の魔導士は慣れた様子で階段を昇り、目当ての本を引き抜いている。
「すごい……」
 シリアが目を丸くして呆気にとられている。かくいうシアンも全く同じ顔をしている。むしろ唖然としていて感想すら口から出てこなかったくらいだ。
 シェルキスも、ほう……、と感心したように溜息をこぼす。
 フラムだけは見慣れた光景に何の感慨も沸いていないようだったが。
「ま、これだけあれば試験に受かるくらいの知識は得られるでしょ。受付。アンタ、何冊か見繕って寄越しなさいよ。初心者用の簡単なヤツでいいわ」
「畏まりました。お持ちいたしますので少々お待ちいただけますか」
「待つのは嫌いよ。最高速度で最善の本を選んできなさい」
 いくら何でも酷すぎる注文だ。受付さんも困っていらっしゃる。
「えと、……でも……」
 というか、さすがはフラムさんだ。今日も今日とて傍若無人に振る舞っておられる。そこに痺れる憧れるゥ! ……いや、それはないな。うん、やっぱない。
 シアンはがっくりと肩を落として、その光景を生暖かく見守っている。
 フラムはというと、まだまだ全然遠慮する気はないらしく、腕を組んで偉そうにのたまっている。
「仮にもプロでしょ? その程度のこともできないの? 大した受付ね、客を選り好みだなんて、いい気なもんだわ」
 クレーマーや。クレーマーがここにおる……! なんちゅうこっちゃ……! 大変なことやで! とシアンまでおかしなテンションでその成り行きを眺める。
 しかしこの受付、フラムが目を付けた(?)だけあって、尋常な相手ではなかったらしい。フラムの威勢にへこたれるどころか、むしろ飛びついてきやがった。
「任せてください! 必ずやお気に召す本を揃えてみせましょうッ! 何分でお持ちすれば良いのでしょうっ?」
 相変わらずフラムは偉そうに踏ん反り返っている。いやだから何様?
「『分』? なんでそんな単位が出てくるのかしら? 十秒で用意しなさいよ、アンタ莫迦ぁ?」
「ハイ! バカです! バカなんですぅ! お願い、そんな豚を見るような目で罵らないで! 私、おかしくなっちゃいますぅ!」
 既に充分おかしいと思う。シアンはおろか、シリアもシェルキスも一言も混じることはできそうにない。というか正直、混じりたくない。
 おそらくはシアンの所為で赤っ恥をかいたのを解消しているつもりだろうが、それにしてもあまりに酷い光景だ。思わず目を覆いたくなる。
「ボサッとしている暇があるの? 頭を下げるしか能が無いヤジロベエみたいな存在の分際で。良い気にならないで。五秒遅れる度にアンタの身長が指二本ずつ縮んでいくわよ」
「ああ、ダメェ! そんなに叩いたら、我慢できないわッ! お願い……ッ、堪忍してェ……!!」
「このあたしに懇願するなんて良い度胸ね。そんな生意気を言うのはこの口かしら」
「嗚呼、もうダメェッ!! イっちゃうゥゥ!!」
 ……逝ってしまえ。心からそう思う一同なのだった。

 ……そんなやりとりが5分ほど続いた。
 二人ともさすがに気が済んだらしく、ようやく話が進行した。
「そんなわけで知り合いの受付よ。名前は……えっと、ヘンリーだっけ?」
「ちょっとちょっと! そんなうっかり誘拐されたうえにそのまま奴隷にされちゃいそうな生意気王子様みたいな名前じゃないですよ」
 受付はにこやかにツッコミを入れる。……元ネタはよく分からないけど。
「ウェンディ=スコットニィです。以後よろしく」
 ウェンディは綺麗な動作でお辞儀をする。
 シアンは驚愕した。
 すごい。姿勢だけならホントの受付嬢みたいだ。さっきまでの応対がなければ素直に尊敬できそうなのに……。生憎と今はまったくそんな気は起こらないのが、そこはかとなく憐憫を誘う。
「お勧めの本はこちらに置いておきますのでご参照ください。貸し出しの際は窓口で対応いたしますので」
 ウェンディの用意した本は、『魔導具の始まり』、『歴史に学ぶ魔導術』、『基礎属性のまとめ』、『魔導協会の成り立ち』……といった初歩的なものばかりだ。正直、ちょっとした知識さえあれば誰でも合格できるような試験なのだし、これだけ把握できれば余裕で受かるだろう。多分シアンよりは優秀になれる気がする。……ひょっとして、今からでも読むべきなんだろうか。
「じゃあ、あとはウェンディと本人に任せて、あたしたちは次の行動に移るわよ」
 あれ……? 一緒に手伝うんじゃないの? って、話しかける前に不穏な表情になるフラム氏。ヤバイ。ウェンディ並にこき下ろされる。下手したらもっとゴミみたいな扱いになるかもしれない。そう考えると嬉々として受け入れられるウェンディが少し羨ましいような……、いや、やっぱりそれはない。あんな病人が羨ましいとかありえないだろう。危ない危ない。……などと、さっそくウェンディに毒されてつつあるシアンなのだった。

――

 フラムが考える次の行動とは、クエストのことだった。
 銅級昇格試験は比較的簡単な試験だ。基礎知識程度の筆記試験に、魔導具起動などの実技試験が行われる。
 あの受付は性格と言動はともかく、なんだかんだで優秀だ。彼女が教えるのならばシリアとシェルキスの合格は間違いないだろう。さすがに専属で教えてくれるわけではないが、銅級試験は月に一度と回数も多いし、参加者もそこまで多くはないだろう。だからほぼ専属に近い状態で教われるだろうし、シリアもシェルキスも頭は悪くない。心配は無用というものだ。
 それよりも先にやるべきことがある。それは、ランク上げと資金集めだ。
 その方法はいずれもクエストに頼ることになる。
 ランクを上げれば証石の強化も行えるし、次の昇格試験のためにも上限まで上げておきたいところだ。
 クエストはというと、これから起こるであろう魔物の大移動に関するものが一番狙い目だろう。
 まだ移動は本格的に始まっていないので、調査隊としてのクエストが多い。今回受けるのはこちらだ。
 フラムは来たことはあるが、以前来たときよりは状況も変わっているだろうし、できることなら常に新しい情報を仕入れておきたい。
 情報収集のためにも、ランク上げにも、資金稼ぎにも、このクエストはうってつけだ。惜しむらくは、報奨がやや少ないところだろうか。その分危険も少ないのだから、そこは諦めるしかないだろう。
 調査系クエストの中から、手頃なのを選び抜き、カウンターで受注する。
「さ、行くわよシアン。ついてきなさい」
 フラムは相棒の腕を掴み、引っ張る。情けない顔をした相棒の額ににデコピンをお見舞いしてから、フラムはギルドを後にした。

第七話『カイウス=アルカンスタ』⑥

 調査クエスト。
 その内容は比較的まばらでまとまりがない、というのが魔導士たちの共通認識だ。

 たとえば、指定地域の調査。これは、いわゆるダンジョンなんかに多い傾向だ。
 どこどこの地図を埋めろだとか、このエリアを踏破しろだとか、そう言った内容のクエストだ。
 行くだけで埋められるのは楽だが、広大な地域などに駆り出された場合は思わず投げ出したくなる場合もある。

 たとえば、指定魔物の討伐。比較的主流と思われる傾向だ。
 極端に強かったり、極端に出現数が少ない場合もあるので、場合にとっては長引くケースもある。
 倒した証として魔物の部位の刈り取りを行わせることも少なくない。

 たとえば、指定素材の調達。これもかなり多い傾向と言える。
 全ての魔物から採取できればいいのだが、稀にしか入手できない素材を求められることだってある。
 そうやって刈り取り続けるうちにギアを素材で埋め尽くしてしまうこともままあるくらいだ。

 これらの依頼は、魔物や地域の動向を探ることが主な目的だ。
 素材の調査や周辺地域の探索で魔物の習性を探り、弱点を見つけ出せれば研究者は報奨金をもらえる。大抵、彼らもそういった依頼を受けているからだ。
 つまり調査クエストというのは依頼の下請けの依頼というわけだ。その分、間引きされて報酬は少ないものの、仕事の数は多く、一度に複数受けてまとめて果たせば、そこそこの収入を得られる。
 それが賢い魔導士の生き方というものだ。
 もっとも、欲張りすぎて帰ることができなかった魔導士もそれなりにいる。調査はあくまで、情報が少ないから調査しているのであって、100%安全な仕事などでは、絶対にない。
 そんなことを言われずとも、シアンは無理をしない人間だ。マイペースを絵に描いたような人間だ。シアン一人ならばそのような危険な道にはそうそう踏み込まないことだろう。
 しかし、生憎と今回は一人ではない。相棒がいる。それも一際無鉄砲な歯止めの利かない相棒がいる。
 だからこそ、危険は増える。余計な心配は増えざるを得ない。
 本来ならば、それでも優秀な魔導士であるフラムだ。簡単に危険に陥ったりはしないはずだった。
 しかし、今回ばかりは相手が悪かった。フラムがいかに優秀な銀級魔導士であっても、シアンがいかにマイペースで慎重な性格であったとしても、避けられない障害だった。
 障害は立ち塞がる。腕を組んで偉そうに踏ん反り返っている。その姿は勇ましくもあり、可愛らしくもある。
 氷楔のサクヤ。魔導杖を携えた魔導士がそこに佇んでいる。
 その隣には、大柄な男の姿が。
 カイウス=アルカンスタだ。
 以前出くわしたときと同じように、再び彼らは対峙することになった。
 この前と同じ構図。それなのに、感覚はあの頃とは違う。
 冷たい、張り詰めた空気が、辺りを支配していた。
「ここであったが百年目、ですわ……」
 その剣呑な眼差しは、以前とは比べものにならないくらい鋭かった。

「どうしてアンタたちがここにいるのよ! てゆうか、アンタら、いつの間に組んでたの……?」
 驚きを隠せないフラムだったが、待ち構えていたサクヤのほうはというと、さすがに待っていたのもあってか、予想済の質問だったらしく、すぐに答えが返ってくる。
「積もる話もありますが、ここから先へは通せませんの。クエストは諦めて帰りなさいな!」
 その発言は、やはりというか当然というべきか、フラムの神経を逆撫でしていた。
「面白いじゃないの……! アンタら急造のコンビで適うと思ってんの?」
「そちらこそ、急造コンビと侮るなかれ、ですわ! シアン様の騎士権を賭けて、勝負ですわッ!!」
「……モテモテねぇ……。まぁいいわ! このあたしに勝てると思ってるのなら、その思い上がりを正してあげるわ! 覚悟しなさい!!」

 ……どうしてこう、この二人は真っ当な会話ができないのだろう。
 シアンは仕方なく、弓を番える。それに続いて、カイウスのほうも剣を構えていた。

「さて、それじゃあ審判は私が務めようではないか! さぁ、存分に戦い給え! 我が弟子たちよ!」
「師匠ッ!? どうしてここにいるのッ?」
「世界が私を求めているからさ! なに、サクヤを鍛え直したからといって、贔屓したりはしないから安心していいよ。勝負は公平でなければ勝負とは言えないからね」
「鍛え直した……? どうしてそんなことを……?」

 フラムが浮かべた疑問符に、師匠と呼ばれた彼は反応を示さない。聞こえていないはずはないのだけど……。
 どうやら、答える必要なしと判断されたみたいだ。
 それに対して、フラムは更にへそを曲げているように見える。
 いや、まぁいつも通りといえばいつも通りなわけだけども……。

「なんのつもりか知らないけど、あたしに勝てるとでも思ってるなら、覚悟しなさいっ! 消炭にでもなって思い知るがいいわ!」



to be continued...

あとがき

■①
カイウスパートです。
第1巻分を晒したときに頂いた感想の中で、カイウスとサクヤのくだりいらないんじゃね? と言われたので、もっと掘り下げることにしました。という回。

・フラムは特殊な魔導士なので、普通の魔導士として、サクヤが登場します。普通の魔導士を描写する、というのがサクヤの役割です。ですが次第に個性を発揮しだし、ただの変態お嬢様に成り下がりました。後悔はしていない。

■②
師匠のターン!
カイウス篇その2。
今まで謎だった師匠こと、ミチヤの登場です。糸目です。
クールぶっていますが、本性は……。

◆《凍れる時の絶対者》(サイレント・タイム)
氷を操る魔導具。
周囲に霧を展開し、霧のある範囲であれば自在に氷を作り出し、永久氷牢に閉じ込めることができる。霧が消えれば温度で溶けるため、厳密には永久ではない。半永久というべきか。
形状は七支刀。儀式剣の一種で、直接的な攻撃力は皆無に等しい。

◆《白寂のミチヤ》
サクヤの父にして、フラムの師匠。
研究熱心で博識なのだが、言動がアレなのであまり頼られてはいないという残念貴族。
人気は意外とあるが、面白いけど困った人という認識をされている。
得意属性は氷系統だが、それ以外の属性も一通りこなせる。
戦いも強いし、知識も多いうえに、地位も高く、手先も器用。
彼が製作した魔導具も数々が世に出ている。
愛用する魔導具は彼の字の一つにもなっている《凍れる時の絶対者》(サイレント・タイム)。

■③
書き漏れていたような気がするので補足です。ミチヤが現れ、サクヤたちがそれを追いかけ始める時に、ギアの舵手とは別れています。

■④
久々にギャグパート書いたような気が……。
あと、今作では初めて⑤以降へ続きます。

■⑤
ギャグパートが行きすぎて文体が変わってしまったような気がします。
辛うじて三人称を維持してはいるのですが、段々一人称チックになるのはどうしたものか。
……ご容赦いただければ幸いです。

・あと、第七話は今までよりちょっと長めのプロットを組んでいるので、⑩くらいまで続く予定です。
がんばります。

用語解説~抜粋

◆ウェンディ=スコットニィ
ただのモブの予定が、いつの間にか名前まで出てきてしまいました。
完全に想定外です。
美人受付嬢。優秀だがどんなに鈍い人でも3日で変態だと気づくほどの逸材。
心性のドMであり、痛みや罵倒などで興奮する性質がある。
あまりにもアレな言動を、本人は隠しきれているつもりなのだが、実際にはみんなにバレていたりする。
フラムとは旅の最初の時点で出会っており、それからの付き合い。
フラムと出会った街は別の街。異動先を聞いていたため、フラムは彼女を頼りエルハイムへ赴いた。という側面もあったりする。
19歳。赤毛。髪は艶やかで長め。体格は細め。出るべきとこはほとんど出てないが、本人は気にしていない。
一見モテそうな顔立ちだが、やはり性格がアレすぎるため、まったくその気配がない。現在、優しく虐めてくれる彼氏を募集中。

◆《地を這う鉄輪》(キャリア・ギア)
車両魔導具。魔導具を原動力にして動く乗り物。魔導具式の馬車である。
大きさは大小様々あり、一人乗り用の二輪ギアもあり、大勢が乗れるような六輪ギアなどもある。
馬車は神聖教会によく利用され、魔導士はギアを利用することが多い。
魔導士としての矜持ゆえか、動物に依存することが耐えられない魔導士が多いためである。

◆《炸裂焼土》(グレネード)
・魔導兵器と呼ばれるものの一つ。
本来の威力は家一軒を粉砕するレベルだが、協会から使用が制限されているのと、詠唱そのものも数分掛かることもあり、普及はしていない。
ただし、簡易版はそれなりに普及していて詠唱も数十秒、威力も6分の1程度まで減衰している。
弾を投げると数秒後に炸裂。裂傷、火傷などを負わせる。
起動器と弾の組み合わせで使う。弾部分が爆発し、起動器は繰り返し利用できる。
弾部分を再利用する際は中に入った魔導石を再装填する必要がある。

◆シェルキス=リーベッド。
・字は特になし。
準魔導士。ランクは10。
使用魔導具は、《黙示の条約》(スティレット)。属性は特になし。
得意なのは近距離戦闘。軽い身のこなしで敵の攻撃を躱し、背後から一撃で仕留めるのがいつものスタイル。
苦手なのは遠距離攻撃。投擲武器では投げる度に消費してしまうため、なんだかんだで費用がかさむので、使うことがなかった。
契約はしていない。あくまで猟師。魔導士の資格は生活費の足しにしようとしたときの名残でしかない。結局猟に専念することになったため、手つかずだった。

・1巻時点では名前も決まっていませんでしたが、2巻より登場。
猟師としてはなかなか優秀で、戦力としてもかなり期待ができる逸材。
性格は真面目。頑固なところは子供にもしっかり受け継がれているらしい。

◆シリア=リーベッド
・準魔導士。ランクは1。
使用魔導具は、《風の指標》(シンフォニー・レコード)。属性は風。
得意なのは、風を操りぶつけることだ。素人向けの簡単な魔導式でもシリアが使えば必殺の一撃になってしまうくらいだ。術式としてきちんと固定しなくても殺傷力を持てるというなんとも非常識なレベル。
苦手なのは、兄と同じく運動全般。長い間病床の身であったため、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
そして、自らの力を制御しきれないこと。細かな操作はできず、大雑把に吹き飛ばすのが関の山だ。
契約はまだしていないが、相性を考えると父であるシェルキスが無難だろうか。
遠距離でしか戦えないシアンと近距離でしか戦えないフラムでは、少々癖が強すぎる。
2巻より魔導士になりました。フラム・リミットを発症しているため潜在能力はダントツです。そのかわり、まだ力を制御できていません。

◆《風の指標》(シンフォニー・レコード)
・風属性の指揮棒の魔導具。
魔導石は鎖で繋がれたまま袖下などに隠すことができる。起動させ、振ることで風を生み出すことができる。
鎖部分はフラムが改造を施した。更に拡張させれば連結などで威力を増幅することも可能だが、シリアはまだコントロールが不得手なため慣れるまではやらない方向でフラムが育成している。

◆《黙示の条約》(スティレット)
ナイフ型の魔導具。
トドメの一撃を刺すためのナイフだが、シェルキスが長年使い続けた所為か、気のような非物質体を切断する能力も宿している。『命を絶つ』から派生した能力。
また、そこから詠唱中断させる能力も派生しており、使い勝手がかなり良い。

◆《風花招》(ブリーズ・ブロウ)
・初歩魔導術のひとつ。
微風を発生させる。シリアが使うことで暴風が生まれるが、本来は殺傷能力ゼロの、精々援護ができる程度の魔導術である。

■⑥
ちょっと短いですが、区切りが良いので許してください。