異世界奇譚~翼白の攻略者~


ある日異世界で目を覚ました俺は、黒髪、着物姿の女の子と旅に出ることになった。見れば見るほどゲームみたいなその世界を救うのが俺の役目だって!? しかもチート能力はおろか、過去の記憶すらなくなった俺には打つ手なんかないじゃねーかッ!! 「だいじょうぶですよ、ツバサ様。無理に頑張らなくても私が一生懸命補佐しますから。一緒に頑張りましょう!」 ……いっそ、このまま養生生活を続けるのもありかなぁ……。っていやダメだろ俺!?


第六羽【魔都侵攻】①

 魔法とは不可視の手である。……そんな言葉があるらしい。
 曰く、直接手を伸ばすのではなく、感覚の手を伸ばし、そこへ作用させる技術。その技術を汎用化させ、形式化させて、実用化させたものが今日の魔法なのだそうだ。
 なるほど、全く分からん。
 感覚の手って何やねん。ニホン語でおk。
 瞑想するみたいに座禅組んでも、目を瞑って集中しても、そんな感覚は微塵も掴めない。
 あっれぇー? 自然体が一番集中できるってH×Hで読んだことあったのに全然できねえ。あっれぇー?

「……こんな感じでしょうか……。……炎よ!」

 ボゥ! ……と菊花の掌の上には火の玉が踊っていた。なんでできるんだよ、おかしいだろ。
 ぐぬぬ……。俺は唸ってみるが反応はない。へんじがない。ただのしかばねのようだ……。なんでやねん。

「キッカ殿は心得があるらしいな。上達がかなり早い。それに比べると……」
「俺の成長速度は鈍重極まりないって言いたげだな。……合ってるけど」
「いえいえ、そんなことありませんよ! 私には、アリシアさんも仰っていた通り、心得がありますから! コツさえ掴めばツバサ様もすぐですよ!」

 そんなことを言われてもな……。思わず胡乱な眼差しを返してしまう。

「そう気落ちすることもないぞ。私も全く得意ではないからな。今でこそ基礎的なものは扱えるが、実用的なものはさっぱりだ。人には得手不得手があるのだから、得意なものを磨けばそれでいいのだ」
「……ほう。そうしたら俺の得意分野ってなんぞ? 言ってみろよ?」
「えっと、それはだな……」
「……う~ん、それはですねぇ……」

 ハイ来た。そうですよね。……つーか、二人揃って視線を逸らすな。分かり易過ぎるだろ。
 まずいな……。本気でまずい。いつか本気でタイトル変わるぞ。-黒衣の菊一文字-か-黒衣の断罪者-あたりになるぞ。選ぶんじゃねえ。もう選んだんだよ。

 それにしても、魔王を倒すとはいうが、この面子では明らかに少なすぎるだろう。たった三人(と一羽)だけでは心許ないにもほどがある。勇者たちもたった五人パーティだったが、こちらはそれ以上に少ない。そのうえ戦力は実質二人だし。
 アリシアは分かりやすいくらいに前衛だ。腕力が高いし、槍も使えるから、前衛で暴れるにはうってつけの戦力だ。
 それを菊花がサポートできる。菊花は高い攻撃力と素早さが持ち味だ。威力が高いのは速さと、ついでにクリティカル率の高さが影響しているようだ。訊くと、攻撃が効きやすい場所がなんとなく分かるとのことだ。それ、なんて直死の魔眼?
 菊花一人では敵の攻撃を受けるという動作が困難ではあるが、アリシアにはそれができる。そういったところから考えると、優秀な前衛はアリシアで、菊花がその補佐というのは実に優れた采配であったりする。
 ……なわけだが、それ以外が実に貧弱なパーティだ。泣けるぜ。
 俺はただのパンピー同様で、ほぼ戦力外だし、シロも戦闘要員ではない。
 なにより後衛の空白が大きい。
 ゲーム知識だけで言わせてもらうなら、前衛は壁だ。攻撃は一体多数には適していないし、大勢を一瞬で仕留められるような大技はない。無双シリーズじゃないんだから、そんな戦い方はできっこないのだ。
 戦いは一瞬の油断がダメージになる。そのダメージの蓄積は、ゲームオーバーではなく、死に直結している。そんな戦術は愚の骨頂だ。むしろ戦いですらない。ただの自殺だ。自暴自棄だ。
 戦いにおいて、前衛が戦局を支え、後衛が崩す。このパターンこそが必勝のイメージに近いだろう。
 もっと言うのなら戦わずに勝つ、みたいな天才軍師系パターンこそ王道だろうが、それはちょっと理想論だ。

 本気で魔王と戦うのであれば、現状の戦力は戦力と呼ぶにすら値しない。無力なものだ。
 魔王の一軍がどの程度の規模なのかは分からないが、国を滅ぼしている現状からだけでもその絶望的な彼我は察してあまりあるものだ。
 ……このままじゃ、まずいんだろうなぁ。

 しかし、とりあえずの目的としては情報収集ができればいい。敵情視察だ。戦力の多さは重要ではない。
 国境に一番近い街、ラグナ要塞へと旅を続けていた。

「しっかし……」

 問題は山積みだ。
 多大なる戦力差。後衛の不在。問題はそれだけじゃない。

「もう入らんぞ、これ……」
「うわー、全然整理してませんでしたね……」

 アイテムボックスがついに溢れ始めていた。まぁロクに使い道もないものをひたすらに突っ込んだんだから当然と言えば当然なんだが……。どうしたもんかな……。

「……う~ん、合成してみるのは、どうだろうか……?」

 ……やっぱりあるのか、合成。
 しかし、そればっかりは知識無しでできるもんでもなさそうだしなぁ。……せめて合成のスペシャリストとかがいれば……。合成大好きで時々爆発とかさせちゃう女の子急募。ロロナとかメルルとかトトリとかキボンヌ。

「だが、合成石がなければ合成はできないぞ? 持っているのか、ツバサ殿?」

 もちろん、ありませんが何か? ついでに知識もなければお金もない。ないないばっかでキリがない。現状はそんなんで……。いっそ、欲望のレベル上げちゃう?
 ……くっそ、錬金術師の仲間も欲しいな。共にマグダラを目指す感じの獣耳っ娘も大募集です。

「次の街に着いたら、石と術士さんを探してみましょうか」

 菊花の提案にそれぞれが頷いた。打倒魔王とか宣う前に、やることいっぱいだな、チクショウ。
 ホントに世界なんて救えるのかよ。というかかつてのツバサ様はこんなことやってたんですか? ソレ、さっさとアニメ化しろよ。BD全部買ってやるからさ。もちろん初回版で。

第六羽【魔都侵攻】②

 ラグナ要塞への道中の草原地帯では、大体見慣れた感じの魔物が溢れていたのだが、これから国境へと近づく関係からか、少し見たことのない魔物も散見できるようになっていた。
 固体名〈ロック・タートル〉。ベタな岩石系のカメのようだった。
 しかし、それを見据えたアリシアは警戒した様子で、言う。

「ツバサ殿、気をつけてくれ。あの魔物はかなり堅い……」

 騎士としての経験からかすでに知っているらしいアリシアの話によると、アイツは旧トータス領――現魔王城に広く分布している魔物なのだという。
 その特徴は、鈍重だが高い攻撃力と、頑丈に過ぎる防御力にあるのだという。

「定石としてなら、前衛が足止めして、後衛がトドメを刺すべきなのだが……」
「今のパーティには後衛がいませんからね……」
「だったら戦闘は避けるべきか……」

 アリシアは頷いて同意を示す。が……

「このように広い場所なら、それでいいだろう。……だが、もし狭い場所で、複数に囲まれてしまったら……」
「……あんまり考えたくないな」

 実際の命を賭けた戦いだ。安全マージンを取るのに越したことはない。
 しかし、それでも不慮の事態は起こりうる。そして、それだけで、人間は簡単に死んでしまうのだ。
 俺はゴクリと喉を鳴らす。

「土壇場で出遭して対処法が分からないのは最悪だしな……。ここならまだ逃げられるだけの余裕がある、か……」

 だったら、ちょっとちょっかいを出してみるのも一興かもしれない。今後熟練度も貯まって対処しやすくなるかもしれないし……。

「……やりましょう……ッ!」

 思い思いに頷く三人。試すだけなら自由だ。相手は大魔王でもなければネメシスでもないんだ。充分逃げ切れるさ。
 ささやかな慢心があったことは否定しないが、ともかく俺たちは、ロック・タートルに挑むことにしたのだった。

「覚悟しろッ……。ハァァッ!!」

 赤薔薇の一本槍こと、アリシアが繰り出す大槍の刺突がロック・タートルに直撃する。……が、岩石のように堅い甲羅には目立った外傷はない。どころか、1メートルも押されていない。重量もとんでもないな……。
 近づいてみれば分かることだが、ロック・タートルの大きさはいわゆるウミガメくらいはある。亀仙人が乗れるくらいのサイズだと思ってくれていい。
 しかし、外見はどちらかというとリクガメに近い。甲羅は高く聳え立ち、小柄な人間くらいの高さがある。その重量は……100キロ以上はあるんだろう。あるいは単純な重量以外の力が働いているのかもしれないが……。
 だがそれは織り込み済でもある。予想内の範疇だ。だからそれに合わせて動き出すヤツもいる。
 菊花がアリシアの攻撃に合わせて、突進を開始する。鋭い短剣を構えての斬撃。菊花の持つ直死の魔眼から逃れられるとでも思ったのか……?

 なんて、思っていたら、ガギン……!
 弾かれてやがるッ……。コイツ……、思った以上にヤバそうだぞ……!
 驚き、アリシアの動きが止まった、その瞬間――、

 ゴゴゴォオオッ……!!

 コマみたく回転した甲羅がアリシアへ向かってきていた。
 アリシアはすんでのところでそれを躱したようだが、騎士の経験値あっての回避だろう、動揺の色は隠しきれていなかった。

「グ、やはり手強いな……」
「これは……、思っていた以上ですね……」

 二人のフットワークで倒せない相手は初めてだ。
 相性というのもあるだろうが、単純な攻撃力だけでゴリ押しはできそうにない。……いささか無茶な戦い方だったかな……。
 ……何度か叩けばあるいはそのガードを崩せるかもしれないが、その前にこちらの体力が尽きる可能性だって低くはない。
 ここに来て、今更ながらパーティバランスの悪さが露呈してきたな。……だが、この段階で気づけて、まだ良かったかもしれない。
 もっと先まで進めてしまっていたら……。もう、取り返しの付かないところまで駒を進めてしまっていたら……。事態はもっと悪い方向に転がっていた可能性だってあるだろう。

 一瞬の油断は死に繋がる。……ゲームオーバーではない、本当の終焉。

「……逃げよう」

 決めてからは、早かった。
 切り替えの上手なメンバーで良かった。器用な連中で良かった。
 けれど……、俺はこのままじゃいけない。
 生き残るうえで、生き残らせるうえで……、このままにはしておけない。

 新たな攻撃手段の体得は、もはや攻略のうえでの必須項目になっていた。

 そして、少し距離を取り、落ち着いたところで、俺はおもむろに袋からガラス玉を取り出した。

「助けて、ドラ○もん!」
「僕はそんな個性的な名前じゃないんだけどなぁ……」

 当たり前だが、ネタの通じていないルキウスからはそんな声が帰ってきた。
 ビー玉形態からニワトリ形態へ変体すると、ルキウスはめんどくさそうに呻いていた。
 魔法が学びたいんだよぉ~、お願いだよぉ~、ジャイアンが虐めるよ~!
 ……そんな俺の無茶振りに、賢者は鳥類の顔で呆れ顔を作る。

「……う~ん、めんどいなぁ。どうしよっかな~」
「そこをなんとか、お願いしますよ。賢者様は今日も素晴らしい! ハラショー!」
「また、とってつけたような褒め方だなぁ……。……う~ん、……え~っと……」

 賢者様は困っているようだった。あるいは困った振りしてれば俺が諦めると思ってるの? ……甘いな。俺はハーレムの夢と、他力本願の精神だけは、一生捨てないと誓っているんだ!

「……そのまま貞操も捨てないよね」

 ……だからなんで心が読まれるんだよ。俺の顔面はどれだけ雄弁にものを語っているんだよ! あと、貞操は捨てるよ! すぐ捨てる! もうすぐだからさ、きっと!

「まぁ、そんなことは心底どうでもいいんだけどさ……。ふぁ~~あ……。……寝よ」
「寝るな! まだ諦めるような時間じゃない! 諦めたらそこで試合終了ですよ!」
「うん、だから終了したい」
「そんな思春期の少年少女じゃないんだからさ! 簡単にやめるとか死ぬとか言うなよ! 応援してるヤツだっていんだよ! 俺だってそうだよ! マイナス10℃のところシジミが取れるって頑張ってんだよ!」
「……何言ってんの?」

 そう言われるのは至極真っ当だが、修三さんでも安西先生でも通用しないなんて、ちょっと考えられなかった。でも、そうか……、これが異世界か……。空恐ろしい話だな、まったく……。

「……あ、そうそう。その辺に魔法の達人が住んでるよ。行ってみたら?」

 ……意地でも自分じゃあ教えない気か。まぁいい。達人とあらば、訪ねてみるのが世の情け。ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ! ……な~んてニャ♪
 最近の小学生は知らないらしいから怖い。JS恐るべし……。いや、女子に限った話じゃないけどさ……。

第六羽【魔都侵攻】③

 旧トータス領に近づくにつれ、土地は痩せ、枯れ果ててゆく。
 しかし、そんな中にも潤沢な水に潤った場所も存在している。
 湧き出た泉を中心に、そこにだけ森が出来上がっていた。
 荒野地帯に連なる立地において、珍しく苔生した一軒の家屋があった。
 打ち棄てられた教会を改築して作られた、急拵えの家。
 そこには十数人からなる子供たちの一団と、一人の老婆が住んでいた。
 老婆の名はマグ。険しい顔立ちを皺が覆い、その装いは魔女そのもの。
 それが孤児院であると知っていても、そんな怪しげな老婆が切り盛りしていると知れば、見る人は奇異な視線にならざるを得ない。
 そして、その子供たちもまた、とある秘密を抱えていたのだった。
 その秘密のことは、大部分の人間が知らない。だが、隠しているという空気だけは伝わってしまう。
 それ故に、周囲の住民との溝は埋まることはなく、人通りもない街道の外れで、その孤児院は佇むばかりであった。
 
 ナズナ=シークエンスも、そこに居を構える孤児の一人だった。
 齢9つを数えたばかりの少女は、てくてくと梢の下を通り抜けてゆく。
 湿った土の匂い。苔の生した匂い。朝露に濡れた木々が、森の香りを届けてくれる。
 視界は一様に暗い。天蓋の如き樹木が日の光を妨げている。
 その暗がりが、少女には心地よかった。
 心音は平静に、ただ時を刻み続ける。
 ぬかるんだ地面を踏みしめて足を鳴らす。
 いつも通り。歩き慣れた道程だ。
 そこへ……。
 カエルの魔物が姿を現した。
 ゲロロロロ……。と、独特な声音で警戒音を鳴らしている。
 少女、ナズナは歩みを止めた。その無垢な眼差しを、そっとカエル――、〈マッド・フロッグ〉へ向ける。
 マッド・フロッグは獲物を見定めると、捕食体勢に入った。身を竦ませ、溜めを作った後、にょッ! ……と舌が伸びる。
 その長さは、およそ3メートル。少女の足を絡め取るようにその舌は艶めかしく蠢いた。
 そして。
 たっ、……と、ナズナは跳躍していた。カエルの舌はすんでのところで躱している。
 その着地地点へ跳ねて移動するマッド・フロッグだったが、いつまでもナズナは降りてこない。
 ふと見上げたその先には、巨木の幹にぶら下がっている少女の姿が。

「……遅い、です」

 少女の向けた人差し指から放たれた閃光が、マッド・フロッグの身体を奔り抜けた。
 ぶすぶす……と、音を立てながら倒れたその死骸を、少女は山菜を採りに来たような無邪気さで眺めている。

「……やった。……今日は丸焼き、です」

 むんず、とおもむろに掴んだカエルの足を引き摺りながら、少女は幸せそうに淡い笑みを浮かべていた。
 それから少し歩くと、我が家である元教会の門扉の前で、一人の老婆が仁王立ちで待ち構えていた。

「……よく帰ったね、ナズナ。お前、また森に入ったのかい?」

 ナズナは嘘を吐こうかと、一瞬逡巡した。が、右手には引き摺ったままのカエルがいる。これはなんと説明しよう。
 色々考えた末、正直に打ち明けることにした。少女はあまり複雑なことは考えられない性格だった。

「……狩り、してた、です」

 ナズナが告げると、母親代わりであるマグは、あからさまに溜息を吐いた。

「はぁ……。お前、あそこは危険だから一人では行くなって、そう言ったよね?」
「……あの……。……ゴメン、なさい、です」

 叱られるのが少し怖くなったので、小さい声で謝ると、老婆は諦めたように苦笑を浮かべると、少女の頭を撫でた。
 
「あそこは湿気が多くて泥濘も少なくない。一人で行けば誰もフォローできないんだ。……いいかい、お前は人一倍優秀だけど、でもそれだけだ。ただそれだけの子供でしかないんだよ。それが分からないうちは好き勝手させないからね」
「ハイ……。ゴメンなさい、ばあや……」

 マグはナズナの額をぐりぐりと撫でつけると、そのまま踵を返してしまう。ナズナは乱れた前髪を整えると、その背について我が家へと帰るのだった。

 ナズナが家に入ると、そこには違和感があった。
 なんと、来客があったのだ。
 旅の冒険者。黒髪のお兄さんと、黒髪のお姉さんと、もう一人、赤髪のお姉さんだった。
 兄弟の皆は、旅のお話に夢中で冒険者たちはその中心で人気者になっていた。
 ……お兄さんが変な顔でうなだれていたけれど、何があったんだろう?
 ナズナはキョトンと首を傾げながら、そんな彼らをじっと見つめていた。

「魔法が知りたい、人手が欲しい、って訳かい。そのどちらもうちから提供できるけど、こっちにだって生活があるからね。タダとは言わせないよ」
「構いません。道中のクエストで稼いだお金も、ある程度はご用意できます」
「ある程度、ねぇ……。具体的に言って、ソイツはどのくらいだい?」

 黒髪のお姉さんがテーブルに袋を置いた。ゴトリ、と結構重そうな音がする。

「……ふん、5000ルースってとこかい? 片方だけならともかく、それで両方ってのはいささか高望みしすぎなんじゃないのかね?」
「……では、」

 お姉さんの言葉を、お兄さんが遮った。

「カネ以外に提供できるものがあるならそれも渡す。……どうにか無理を通してもらいたいんだ」

 ばあやは少し唸ると、やがて観念したみたいに両手を挙げた。

「……分かった分かった。そこまで言うならそれで手を打とうじゃないか。こちらが欲しいのも人手でねぇ。ちょいとクエストを頼もうじゃないか」

 そう言ったばあやは何故かナズナのほうを向いている。何の用なのだろう。ナズナは目を丸くするばかりだった。

第六羽【魔都侵攻】④

 〈物質精製(エーテル・マテリアライズ)〉は龍が持つ技能であり、記憶を失くす前のツバサ様にしかできない芸当だ。
 が、その簡易版〈物質転換(エーテル・トランスフォーム)〉ならば、その限りではないらしい。
 菊花が旅の当初から金銭を持っていたのはそれが理由らしい。
 とはいえ、それは無から有を作り出すような万能の力ではなく、あるものを転換して欲しい物質に作り直すという能力であるらしい。
 そう、説明をしながら菊花が見せたのは、懐かしいニホン円。諭吉さんだった。

「これに龍力を込めることで変換することができるんですよ」

 いや、龍力ってのがそもそも分からんのだが……。

「ツバサ様が持つ〈龍〉としての力。その波動そのものを指して私たちはそう呼んでいます。眷族である私にもそれが備わっています」

 ……龍が持つチート能力全般をそう呼ぶらしい。あるいは、そのエネルギーそのものの呼称といったところか。
 身内でしか使えそうにないし、なんなら通じるのは菊花一人しかいないのだから、あんまり使用頻度の高い単語ではなさそうだ。……テストには出ないからメモらなくていいぞー!
 俺には現状使えそうにはない能力だ。とりあえずは放置だな。
 だがしかし。
 物質には限りがある。それを磨り減らして生活費に充てるっていうのは、やっぱり可能な限り控えておくべきだろうな。いつか何かに使えるかもしれないし……。
 ほら、何かの伏線とかになりそうじゃんか。
 ……そんなわけで、菊花には可能な限り使用をしないよう言い含めておいた。道中で狩った魔物の素材を売れば、生活費はどうにかなるだろうしな……。最悪、クエストもありだろう。働くたくはないが、餓えるよりはマシだ。……やっぱちょっとクエストもイヤだなぁ……、働きたくないなぁ……。

 ……なんて思っていたけども、まさかの婆さんからの依頼がやってきた。まぁ、ギルドを通しての正式なものではないけれど、しかしまぁ、仕事は仕事だ。少し、げんなりとした気持ちを抱かざるを得ない。
 働くということは、人と接するということだ。
 人と触れ合い、助け合い、その礼として金銭が提供される。それが仕事だ。
 触れ合えばそこには人間関係が生まれる。関係性が生じる。
 そこには明確な駆け引きが存在している。思惑が交錯している。
 こちらはこうしたい。だが、あちらはああしたい。
 そういった思惑がぶつかり合い、その関係性は複雑怪奇な様相を呈する。俺はなんとなくそんな光景が嫌いだ。
 遠くから見るだけならともかく、その歯車のひとつにはなりたくないのだ。
 ありのままの姿ではない、物差しに掛けられた、そんな眼で誰かを見るのは。俺にとってかなり居心地が悪い。
 好きでも遠ざけなきゃいけないこともあるだろう。嫌いでも歩み寄らなければならないこともあるだろう。
 それが仕事というものだ。そんなことは分かっている。
 それでも自分に嘘は吐きたくない。正直な自分でいたい。
 建前を表に出して、本音を裏に引っ込めるような人付き合いは極力避けたい。それは俺の我儘なのだろう。
 妥協すべきなのだろう。
 だから、働かないとは言わない。だが、可能な限り働かない。俺はそう、思うのだった。

 ふと俺は顔を上げた。
 正面には孤児の一人、ナズナが先導している。
 ナズナは口数の少ない女の子だ。喋るときは必ず取って付けたような「です」が語尾に入る。どうやら敬語のつもりらしい。可愛いから良いんだけど。
 その小さな背には、弓が掛けられている。それから矢筒だ。
 服装は地味な麻のシャツにスカート。その上にちょっと丈夫そうなフードを被っている。ザ・中世といった感じの服装だな。
 菊花はやたら独特な和装だし、アリシアは騎士鎧だから、これはこれで新鮮っちゃあ新鮮なんだが。
 ともかく、そんなナズナが先を行き、俺たちを案内してくれている。
 それにしても、ナズナのスカートがやたらと揺れているような気がする。そんなになびきやすいのだろうか。
 さすがに幼女のスカートを凝視していると、またうちの黒いのからお小言を頂戴するからな。引かれる視線を強引に逸らす。
 そんな視線の動きに、うちの白いのが反応を示す。

(どうかしたんっすか?)

 頭の上から、そんな声が届く。なんでもねーっての。……ったく、おちおち余所見もできねーのな。

「……ここ、です」

 そんなこんなをやっているとナズナが何かを見つけたらしい。
 辺りは高い木々に覆われていて、視界はすこぶる悪い。……が、見れば先で森が途切れている。
 眩しい太陽に、手を翳しながらナズナの指さす方向を見た。
 すると、そこにはちょっとした丘があった。20メートルくらいの高さの崖になってるな。
 ナズナはその崖を指しているらしい。

「……あそこに、いつも薬草が生えてる、です」

 確かに、にょろ……と、生えてるな。草だ。うん、何の変哲もないただの草が生えている。
 ナズナの薬草採取を手伝って欲しいっていうのが依頼内容だったよな。
 これが薬草か。雑草にしか見えん。ちょっと距離もあるし……。
 というかコレを取って来いって言うのか。何の罰ゲームだよ。
 と思ったら、ナズナはそそくさと崖の頂上まで回り込み、そこからよじよじと崖を降り始める。

「あ、危ないですよ!」
「……だいじょぶ、です」
「……いざとなったら私が助けよう」

 アリシアが下で待ち構えるように手を広げている。
 ナズナはそれに小さく頷くと、そのまま崖降りを再開する。
 するすると器用に降りていくな……。これ、俺たち必要なかったんじゃないの?

 やがて、ナズナは一通り、草を取り終えるとそのままズザザザー。崖を滑り降りてきた。
 ちょっと楽しげな顔をしている。大人しげだけど、こういうところは子供っぽいやっちゃな。
 コホン、と咳払いして、ナズナが促した。

「……それじゃあ、帰る、です」

 ……ここまでは順調だったんだがな。
 問題は帰り際に起こった。

 ウォオオオオオオオーーーーーン!!!

 空は夕景。森は何かの気配に満たされてゆく。
 度々、発生する遠吠えの連鎖。不穏な気配。
 警戒する俺らに、ナズナは今更のように告げる。

「……ここ、オオカミの縄張り、です」

 うん、……それ、最初に言おうな。

第六羽【魔都侵攻】⑤

 「狼になる」なんて表現もあるから、オオカミは見境なく襲い掛かってくるものだと思っていたけれど、実際はそうでもなかった。
 じゃあ、紳士的なのかと問われると、そうとも言いがたい。なにせ……。
 俺らの周りをぐるぐると取り囲むように走っているからだ。
 まだ包囲網は形成されてはいない。というか、もしそうなったら終わりだ。
 しかし、どんどん群れは増えていく。黒い影が徐々に増員しているのだ。
 空恐ろしい限りである。
 菊花やアリシアも、だいぶ緊張しているような面持ちだ。
 一体一体で相手すると考えれば、二人は遅れなど取るはずもないだろう。
 だが、数が多すぎる。取り囲もうとしているオオカミたちはざっと20体近くいるだろう。
 それらが同時に襲い掛かってくれば、結果は見るまでもない。一瞬で挽肉にされるに違いない。
 絶体絶命と言える状況だ。

 しかし、オオカミたちはまだ襲い掛かってはこない。
 こちらの疲労を待っているのだろうか。……聞いたところによるとオオカミは狡猾な生き物だ。
 弱いものを狙い、数的優位で襲い掛かり、獲物を狩る。
 こちらが逃げ疲れ、精神的に追い詰められた瞬間を狙っているのかもしれない。
 確かに、それは良い策だ。
 追い詰められた状況であれば反撃は少ない。少ない犠牲で獲物を刈り取れる。弱者を狙うのも言わずもがなだ。
 ……つまり、こいつらは俺たちの疲弊を待っている……?
 そして、数的優位を作り出すため、仲間の合流を待っている、というのも考えられる。
 ……あるいは、あまり考えたくない可能性もあるな。……いや、さすがにそれはないはずだ。きっと。そうだと信じよう、うん。

 しばらく走り続けた。
 相変わらずオオカミ共は襲い掛かっては来ない。
 が、殺気はビンビンと感じる。生きた心地がしない。
 あわよくばこのまま逃げ切れるんじゃなかろうか。……へへ、こいつらひょっとして、ビビってんじゃねえの?
 ……なんて思い始めていたのだが、

「来るとしたら、そろそろでしょうね……」
「うむ。気をつけろよ皆」
「……はい、です」

 乙女三人はそれぞれ頷いていた。あれ、そうなのん?

「ここから先は教会の近くになりますからね……」
「強固な結界の気配を感じた。あそこへ行けばヤツらは手出しできないだろう」
「ばあやの結界、強固(キョーコ)、です」

 ……全く気づかなかった俺は鈍感主人公ということか? そのうえ残念系で草食系か?
 漢の誇りを取り戻したいところだ。
 ……なんて考えていると、先頭を走る菊花が足を止めた。
 正面には、牙を剥いたオオカミが3匹。
 周りを見れば、その数は夥しい。30……、いや、下手したら50はいるかも……。
 ……これは身の危険を感じる。俺がクリーク海賊団のパールだったら火を焚いていただろう。身のキケーン!!

 どうしたものだろうか。はっきり言って俺は戦力外だ。役に立たない自信がある。俺は誰かに助けてもらえないと何一つできない自信がある。そのうえ、お前には勝てない。(どんっ!)
 参ったな。俺にできるのは頼ることだけだ。あるいは采配でどうにか役に立てるのだろうか。天才軍師としての本領発揮の場面かもしれない。……作戦なんて全く思いつかないけどな。
 ……ともあれ、結界内に入る前に勝負を仕掛けてきたオオカミ。
 俺たちはその包囲網を脱して、教会へ辿り着かなければならない。
 でなければ、俺たちは4人揃ってオオカミの胃袋の中に仲良く収まることになる。もちろん丸呑みなんかできないだろうから、租借されてバラバラの殺人事件だ。……バラバラの実を食べてれば生存できたかな?
 まぁ、ないものは仕方がない。どうにか今あるものだけで対処するしかない。
 幸い、囲んではいるが、ヤツらはまだ攻め込んでは来ない。作戦を相談する時間くらいはありそうだ。

「……菊花、どうする?」

 まずは俺にとって一番頼れる従者へと尋ねる。
 菊花はというと、冷や汗を流している。

「率直に言いますと、光明が見えません。……せめて、もう少し数が少なければ……」

 菊花の戦い方は、速さとクリティカル率にかまけた初撃決殺スタイル。打たれ強い体格ではないから一対多は苦手としている。
 どちらかというと、菊花は一対一で本領を発揮するタイプだ。あるいは多対一でもいいけど。
 なら、一対多も得意そうなアリシアはどうだろうか。
 ……と思ったが、こちらも表情は優れない。

「……数が多すぎるな。私では支えきれないだろう。……本来なら、この数の相手は小隊規模では戦わない。中隊くらいでないと……。奇策でもない限り、戦いにすらならんだろう」

 奇策。素人の俺が思いつけるだろうか。それもこんな土壇場で。
 ……無理だ。不可能だ。これは打ち切りだな。次回作にご期待ください的な感じだな。
 ナズナならどうにかできるかも……。なんて思ったが、必死に震えを抑えているようだ。やっぱり怖いのだろう。こんな小さな子供なんだから、仕方がない。
 ……いや、ナズナだって戦える。道中では魔法と弓矢で後方援護を見事にこなしていた。それに、あの老婆が訳ありげにニヤついていたのを覚えている。この子には何かあるんじゃなかろうか。
 そう思ってナズナを見るも、少女はぷい、と首を振る。

「これだけの群れが集まるのは初めて見た、です……。いつもは3匹から5匹くらいで、ナズでも戦える、です……」

 いつもとは違う、ってことか。それをあの老婆は見抜けなかったと。油断……、なんだろうな。クソ、最悪だ。
 やっぱりクエストなんか受けなきゃ良かった。俺みたいなヤツは引き籠もってゲームに興じるのが一番似合ってる。身の丈に見合わないことをして、その結果がこれかよ。情けねえ。
 ……どうせ終わりだ。足掻いても結末は変わらん。けどせめて、目一杯悪足掻きをさせてもらおう。

「菊花、アリシア。俺が合図したら、正面に大技をぶつけろ。そこを走り抜ける」

 二人は目を見合わせるとしっかりと頷いた。思い切りが良くて助かる。最悪、ナズナだけでも逃がさないとな。菊花とアリシアが血路を開き、俺とナズナが躍り出る。そして、もしもの時は俺が盾となりナズナを逃がす。
 ……これが今思いつく最善の策だ。まったく、俺は軍師にはなれないな。

「ツバサ様は私がお守りします」
「平民を守るのは騎士の務めだからな」
「ナズは、逃げるだけ、です……?」
「……ああ、菊花とアリシアに任せよう」

 ナズナに大技を放ってもらったほうが、攻撃範囲が優秀な気もするが、魔力の消費を抑えたいのもあるし、隙がどの程度生じるのかも分からん。大事を取っておきたい。

「それじゃあ、頼むぞ。3……、2……、1……」

 俺が最後のカウントを告げる寸前、場に新たな闖入者が現れたのだった。
 気配は濃厚。目に見えるような明確な殺気。大きな脚。巨大な体躯。
 茶色いオオカミ共の中央にそびえるそいつは、灰色の毛を纏った巨大なオオカミだった。
 おいおい、賢狼ホロじゃあるまいな。その外見でわっちわっち言われても全然萌えないけどさ。

第六羽【魔都侵攻】⑥

 ばあやに頼まれて、ナズナたちがやってきたのは、古き森の中。
 廃墟の広がる地帯に、ポツンと存在する森は、中央に位置する聖なる泉がもたらしていた。
 この泉の潤いを糧にして、木々は生長し、魔物が住み着いたのだ。
 聖なる力の恩恵の一つに薬草の存在があった。
 それは特別な薬草。他の地域では採取することができない珍しい品種である。
 その清涼な効能は重傷を治癒し、重病を緩和させると言われている。
 ナズナたちにとって、それは貴重な財産でもあった。
 街へ出て薬草を売れば、まとまったお金になる。
 問題は、森に生息する魔物だ。
 奥へ行けば行くほど薬草や貴重な植物が生えているが、その分、魔物の出現率が高くなる。
 今まではどうにかなった。ナズナ一人でも問題なかった。
 だからいつもより奥へ向かった。大丈夫だと思った。
 その結果がこれだった。

 何匹ものオオカミが牙を剥いている。
 殺気を放っている。
 恐怖に足が縫い止められる。
 どうしてこうなった。何が悪かった。
 こんなところで死にたくない。もっとばあやに魔法を教わりたい。
 巨大な狼まで出てきた。振り絞った勇気は一気に萎んでしまう。
 ナズナは退こうとして、足を滑らした。泥濘に足を取られたのだ。
 途端にばあやの声が頭に響く。泥濘に気をつけなとそう言われたのを思い出す。
 今更だ。もうどうしようもない。
 あんな巨大なオオカミなど、見たことも聞いたこともない。
 ナズナは絶望した。この先はどう足掻いても死しかない。
 死ぬ。死んでしまうのだ。
 もうばあやには会えない。魔法も教われない。孤児の仲間たちにも会えない。あの牙に噛み潰され、ぐちゃぐちゃにされてしまうのだ。
 イヤだ。怖い。死にたくない。
 自分がバカだった。魔物の本当の恐ろしさを知らなかった。本当の絶望を知らなかった。
 ばあやに褒められ、天狗になったナズナは、己の小ささを理解していなかった。
 もう、終わりだ。
 ナズナは転んだまま立ち上がれない。冒険者のツバサさんが、ナズナを抱き留めてくれている。キッカさんとアリシアさんはナズナの前に立ちはだかっている。
 諦観に満ちた思いの最中、脳内に低く落ち着いた声が届いた。

(同胞(はらから)の娘よ、目を開けよ)

 言われて初めて、ナズナは目をぎゅっと閉じていたことに気づいた。
 開いて、その先を見る。
 巨大なオオカミだ。名称は〈アッシュ・ウルフ《フェンリスウルヴ》〉。
 ……二つの名称を持つ魔物は、特別な個体を表すという。
 それはこの群れの頭領であるということなのだろう。

(我が声が聞こえるか、同胞の娘よ)

「ハラカラ……ってなん、です?」

 ナズナには、良く分からない言葉だった。
 問うと、冒険者一同は驚きの声を上げる。

「仲間とか、同族って意味でしょうか……。ハッ、もしかしてあのオオカミの言葉が分かるんですか!?」
「なんか、ハラカラって言ってる、です……」
「……どういう意味だ?」
「何か心当たりはないのか、ナズナ殿?」

 心当たり。
 そう言われて、思いつくものは、一つだけあった。
 が、しかし。それは言いたくない。言えばまた嫌われる。きっと石を投げられるのだ。昔、街で見られた時みたいに……。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、オオカミの下顎がナズナの頭を掠める。それは一瞬のことだった。
 フードが脱げる。
 ナズナは慌てて、被り直すが、周囲で息を呑む様子が窺えた。
 まただ。また見られてしまった。毛の生えた耳を。
 顎の上ではなく、頭上に生えた獣の耳を。
 ナズナの、人ならざる証を、見られてしまった。

『化物ッ!!』

 そんな言葉が脳裏を過ぎった。
 初めてそう言われたのはいつのことだっただろうか。
 孤児院では当たり前のことだったから、獣の耳が生えていることなんてあまり特別だとは思わなかった。
 ばあやは身寄りのないナズナたちを引き取り、育てていた。
 ナズナたちは、魔族だ。
 魔物と人の狭間。ナズナは真っ当な人ではなかった。
 それでも、良い。ばあやと孤児の仲間たちがいれば、ナズナは一人ではない。
 だから誰かに嫌われたって、恐れられたって、平気だ。
 この冒険者たちに恐れられたとしても、大丈夫だ。
 だって、ナズナにはもう、仲間がいるのだから。一人じゃないのだから。

 けど、本当のことを言えば、やっぱり少しだけ怖かった。
 恐怖した顔で見られるのも、石を投げられるのも、本当は怖いのだ。
 ナズナは蹲ったまま動けない。
 どんな言葉が掛けられるのか、分からない。ナズナはそんな恐怖を震える身体で堪えていた。
 しかし、いつまで待っても、自分を抱き留める冒険者からも、前に立ち尽くす二人からも、声は聞こえなかった。

 ただ、ぎゅっと。
 ナズナを抱き留める力が込められるように感じた。
 ツバサさんが、ナズナを慰めるように頭を撫でてくれた。

 ナズナは、泣き崩れた。
 きっと本当は怖いに違いない。こんな自分は恐ろしいに違いないのだ。
 そう思っても、優しく受け入れてくれることが嬉しい。
 優しさが、身に染みた。

 慟哭する少女を、オオカミはただじっと見つめていた。

(同胞の娘よ、其が人として暮らすのならば、それも一興。其の幸福を祈ろう。人としての生に飽いた時は、いつでも此処へ来るが良い……)

 ノシノシ……と音を立てて、オオカミたちは去って行った。
 ナズナが涙を振り払うにはそれから一時間近く掛かった。

「結局、あのオオカミ共は何しに来たんだ?」
「同胞って言ってましたし、一族の仲間を取り戻しに来たんじゃあ……」
「ナズは、仲間じゃない、です……」
「うむ。ナズナ殿は立派な人間だ。オオカミと暮らすのは難しいだろう」

 冒険者たちはそんなふうに笑っていた。
 本当は、怖がっているのではないのだろうか……。本当に怖くはないのだろうか。
 こんな耳を生やした自分は、気色悪くはないのだろうか。
 そんなふうにおっかなびっくり見上げるナズナを、3人が優しい眼差しで見守っている。

 ふと、フードがズリ落ちた。さっきオオカミにフードを脱がされたときから、上手く被れていなかったのかもしれない。
 毛むくじゃらの耳がぴょこんと顔を出してしまう。

「うおおおおお!! 可愛いよぉナズナたん! 獣耳(けもみみ)! 獣耳!」
「フカフカですぅ! モフモフですぅ! 今すぐお持ち帰りしたいですぅ!」

 満面の笑みで擦り寄ってくる二人に、ナズナは困惑する。
 そんなナズナに、アリシアは微笑みかけた。

「……魔族は人間を滅ぼそうとする恐ろしい種族。そんな話は私も聞き及んでいたし、恐怖する気持ちもないではなかったが、この二人を見てると、そんなことは大したことではなかったように思うのだ。……其方はどうだ、ナズナ殿?」

 ナズナは身体中撫でられながら、少し鬱陶しそうに目を細める。

「……もう、どうでもいい、です……」

 ナズナがそう返すと、アリシアが快活に笑っていた。
 薄暗い森の中、太陽に照らされているような心地だった。

第六羽【魔都侵攻】⑦

 ことのあらましを聞いたマグは、「済まなかったね」とだけ言い、ナズナの頭を撫でた。

「……さて、どこから話したもんかね」

 マグは遠い目をしながらティーカップにお茶を注いだ。

「かつてあたしは、ある罪を犯した。どうしようもない罪さ。贖う方法は知らない。せいぜい苦しみ続けることが、唯一の贖罪なのかもしれないがね。まぁ、そんな話は脇に置いておくとしてだ」

「知ってるかい? この世界では魔族は忌み嫌われているんだ。まぁ、人とは違う外見をしている。異形の身体ってやつさ。仲間外れになるのも仕方ないってもんさ。そればっかりは自然の摂理っでもんだからね」

「そもそも魔族発祥の由来は明らかになってない。人間が先に生まれたのは確かなんだそうだが、いつ、どのようにして生まれたのか、それを知るものはいない。不思議な話もあったもんさ」

「とはいえ、それは別に大した問題じゃない。問題なのは、魔族の王と、人間の王が戦争をしたってことさ。そして長い戦争の末、人間が勝った。魔王は封印され、めぼしい配下も同様に封印された。さすがに全ての魔族を封印するのは物理的に不可能だったからね、魔族の大部分は地上に残された」

「そこから始まったのが、魔族に対する差別問題だよ」

「そして現在も、その差別は終わることなく続いている。かつての伝説も薄れつつあるってのに、差別だけはなくならない。これを人間の業と呼んでもいいだろう。人の愚行そのものと言える」

「もちろん全ての人間がすべからく魔族を憎んでいるわけじゃあないさ。魔族をきちんと憎んでいる人間は、ホントはきっと少ないんだろう」

「そう、大部分はそうとは知らずに差別しているんだ。魔族が何かも知らず、どういうヤツらなのかも知ろうともせず、ただ、そう邪悪だと、そう教わったから、それだけで憎む」

「幼くして魔族に生まれたこの子たちは、過酷な環境を生きてきた。親もまともな子育てを放棄するくらいに、どうしようもない世の中だ。土地柄にもよるだろうが、この辺は勇者信仰も根強い地域だからね。魔族への反感は半端じゃなかった」

「……死ぬしかないんだよ。この子らは。魔族に生まれたというだけで、この子らには生きる手段なんかないんだ」

「魔族の王が降臨したらしいが、国境を越えるのは並大抵のことじゃないよ。こんな子供らには到底ムリだ。目と鼻の先とは言え、甘い道程じゃあないんだよ。あの国へ行けば救われるかも、なんて甘っちょろい夢物語さ」

「あたしがやったことと言えば、この子たちに生きる術を与えてやっただけだ。魔術を教えた。あたしにはそれしかないし、それくらいしか与えられるものはなかった。それで救われるだなんて考えちゃあいないが、ないよりかはマシだろう。力がなければ、死ぬしかないんだからね」

「そうして、冒険者の真似事をさせて少しずつお金を稼いで、経験を積ませて、どうにか独り立ちをさせてる。出て行った子の中には、立派に成長した子もいれば、無残な最期を遂げた子もいた。大体が幸せにはなれなかっただろうね……」

「ウチのルールとして、10歳から外へ出させる。そこで仕事を覚えさせて、15歳には独り立ちだ。あんまり多くは養えないからね。出稼ぎに出た子たちは時々、土産とばかりにお金と余所の土地柄の名産品とか、冒険譚なんかを持ち帰ってきて、子供に与える。それを聞いて大人になった子は同じように冒険者になる。……ナズナもそういう風に生きるはずだった」

「……そう思っていたんだがね。まさか余所者に、こうまで懐くとは思ってもみなかった。気難しい子だろ? ハハ、遠慮するもんじゃないよ。正直に言いな。……ふん、正直だって? まぁいいけどさ」

「さて、それじゃあ、約束だしね。いいだろう、教えてやるよ。このあたしが、魔術のなんたるかを」

 教会の敷地内。不自然に拓かれた空間に、俺とマグが対峙していた。
 ……何故に対戦形式?

「時間がたっぷりとあるわけでもなし。特急で覚えてもらうよ。……なあに、死にゃあしないさ。……運が良ければね!」

 ゴウッ! ……と。
 マグの両腕が燃え盛る。本来なら自傷(自焼?)間違いなしの行動だ。が、もちろんマグはダメージなど毛ほども負ってはいない。
 科学的には不可能な、魔法の顕現。俺は思わず息を呑んだ。

「魔法には、二通りがある。詠唱魔法と、無詠唱魔法だ。詠唱魔法は論理による魔法。論理を紐解き、流れを感じ取り、魔法を形作る。……残念ながら、お前には無理だよ。魔力を感知する感覚のない人間には遠すぎる道程だ」

 ……そういうもんかよ。だったら確かに無理そうだ。魔法なんて、俺の身近には存在しない。魔法使いと言えば三十代童貞を指す言葉だと即答できるくらいに。

「しかし、だからこそ、お前には後者から始める理由が存在する。詠唱がないからこそ、理解できる感覚もある。それを覚えさせてやろう。……せいぜい感謝しな、このあたしの劫火に灼かれて死ねることを!」

 何言ってんだ、このババア! 言うに事欠いて死なすだと! ざっけんなクソババア!

「ツバサ様!」「ツバサ殿!」

 二人の仲間が声を上げるが、それをナズナが静止する。……うぅ、ナズナたんに、裏切られたお……。
 ……なんて嘆いてる暇もねえ! ババアは振りかぶって大振りの拳を繰り出す。
 俺はそれを間一髪で躱すものの……。

「逃げんじゃないよ! 殺せないじゃないか!」
「逃げるに決まってんだろうが! バカかテメエは!」
「バカはアンタだよ、若造が! 実際に魔力を受けてみなきゃその力を感じられないだろうが!」

 ……なん……だと?
 そうか、受ければ魔力のなんたるかが分かるということか……。ならば、受けてみるか。このババアの豪腕を。
 メラメラと燃え上がる拳が、俺の眼前へと迫り来る。怖い。
 勢いは凄まじい。風切り音をさせながら、空気を受けてより激しく燃え上がりながら、俺へと真っ直ぐに向かってくる。すげえ怖い。
 当たれば即死する。トラックにぶち当たるくらいの衝撃があるだろう。渋井丸拓男みたいに無残な最期を遂げることになること受け合いだ。怖え。あと怖い。
 ……これ、普通に死ぬだろ。

「……チッ! なんで避けるんだい!? 当たらなきゃ覚えられないっつってんだろ!」
「当たったらどう考えても死ぬだろうが! あと、お前今「チッ!」っつったろオイ! 舌打ちしたよな今!」
「……気の所為じゃないかねぇ? ったく細かい餓鬼は嫌われるよ?」
「器の小せえババアも大概だと思うけどな」
「何をォ!」
「何をォ!」

 そんな光景をハラハラと見守る従者と騎士。少女は一人、微笑っていた。

「こんな楽しそうなばあや、久しぶりに見た、です……」

 ……そんな微笑ましい空気を醸し出すな。こっちは死に物狂いなんだよ。

第六羽【魔都侵攻】⑧

 半端ない疲労感に耐えかねて、俺は椅子へ腰掛けるなり盛大に溜息を吐いた。

「……はぁ、死ぬかと思った……」
「……普通死ぬ、です。ばあやが本気出したら、オオカミも逃げ出す、です」

 どうやら、こんな辺鄙なところでどうにかやっていけてる理由は、あの婆さんの能力にあるらしい。
 結界があるから大丈夫とは言っていたが、そもそも対処できないのなら、こんなところには居を構えたりはしないもんな。……一体、どういう経歴ならそんなふうになれるんだろう。

「ばあやは、昔、旅してた、です。凄腕の冒険者だったって言ってた、です」

 心なしか、ナズナが自慢げだ。大好きなばあやの話だと、この子はそんな顔になる。強くて(自分には)優しいばあやが、それだけ大切なのだろう。あれだけ追い回された後では、まったく理解できないけれど。
 俺は何となく、ナズナの頭に手を乗せる。フードに触れると、ナズナは少しだけ身体を強張らせた。が、特に抵抗はしなかった。俺はその小さくて柔らかな手触りを味わっていた。
 フードがずれて獣の耳が露わになる。……そこには、オオカミと同じ形の耳が生えている。ナズナの髪と同じ、銀色の耳だ。
 撫でるとピクピクと耳が揺れる。まるでアンテナが電波を受信しているみたいに見える。
 その後ろではスカートがバサバサとたなびいている。……たぶん、尻尾が振られているんだな。なんだかそう考えると犬みたいで可愛い。
 そういえば、この世界ではまだ犬には出逢えていない。俺はイヌ派を自称していたが、ネコにウサギに浮気ばかりしていた。
 しかし、ここにはイヌミミっ娘がいる(厳密にはオオカミだが)。俺の聖域(サンクチュアリ)はここに存在している。
 イヌはお利口だ。賢くて、従順で、可愛い。だけど、時々お馬鹿でそこもまた可愛い。
 俺の手元で尻尾を振るこれもまた、同じだ。小さくて、柔らかくて、あったかい。
 撫でる度に温もりが手に伝わり、柔らかい毛が指に気持ちいい。
 ずっと撫でていたい。

「はぅぅ……、ダメ、です……」

 気づけばナズナが顔を赤くして、俯いている。
 いかんいかん、思わず撫でまくってしまった。可愛すぎるのがいけないんだ。まったくもう。
 俺が名残惜しくもその手を放そうとすると、ナズナは急に顔を上げた。

「……ま、まだ、やめちゃダメ、です……」

 ……なにこの可愛い生き物。本気でお持ち帰りしたいんだけど。お願い、散歩も餌やりもキチンとやるから、だから飼っても良いでしょ?
 ご飯を作って持ってきてくれた菊花に、とりあえず頼んでみたら、困ったような顔をされた。

「気持ちは分かりますが、筋は通しましょう。マグさんが許してくれればですけど……」

 ……正直、あの婆さんとはもう関わりたくないんだけどな。
 俺はとりあえず肩を竦めるしかなかった。

 一晩でババアに殴られた傷は、綺麗さっぱり治っていた。ナズナが渡してくれた傷薬が良く効いたからだろう。
 傷薬を塗る際にナズナにそれとなく訊いてみたが、やはり魔法の使い方は未だに良く分からない。
 周囲の力を感じ取る。そこに自分の力を注ぎ込み、操作する。それが魔法の使い方だそうだが、その感覚は一向に理解できない。
 試しに、詠唱魔法とやらもちょっと習ってみたが、さっぱりだった。ただ、唱えるだけで機能するような代物ではないらしい。そんなもん、暴発しそうで怖すぎるしな。

 そして翌日もぶっ飛ばされた。一応加減はされているらしく、死ぬようなことはない。後遺症が残るほど滅多打ちされるわけではないから、確かに優しい人かもしれない。が、納得はできない。何故なら、俺を殴るときのあのババアの顔は、実に楽しげだったからだ。あの性悪ババアめ。
 二日目の午前中はそんな感じで終わった。
 昼頃にはナズナと特訓中だった菊花が、魔法を詠唱していた。発言したのは風系の魔法だろうか。菊花の身体を覆うような風の幕が形作られていた。

「キカ姉はセンスある、です。バサ兄とは違ってグングン成長してる、です」
「……ツバサ様も、一度コツを掴んでしまえばすぐに上達するはずなんですけどね」
「……不器用、です」

 ……悪かったな。俺は過去形にはならないからな。
 なんて、スコールごっこしても寂しいだけなので、気づかれる前に立ち去ることにする。

 ……教えて欲しいとは言ったが、果たしてこれは本当に報酬なんだろうか。ただ、殴られてるだけなんだが。
 魔術を受けて、魔術を覚えるとか、どこの念使いだよ。水見式でもやらされるのか?
 それとも、あのババアが纏う、あの恐ろしい気配が魔力だとでも言うのだろうか。まぁ確かに魔性は帯びていそうだけども。

 午後からは趣向を変えて、ナズナが相手になるらしい。どうにも俺の覚えが悪いから手法を変えるのだそうだ。はいはい、お心遣い感謝しますよ。チッ、うっせーな。反省してまーす。
 ナズナの魔法は何回か見せてもらった。使うのは雷属性がメインだ。常盤台の電撃姫ですの。
 まぁしかし、どこぞの電撃使いのレベル5とは違い、彼女は右手と左手で魔力を雷へ変換している。早い話、右手と左手、それぞれが別の砲台となって、魔法が出力されている。
 右と左で同時に魔法を使うこともできるし、右手だけでも左手だけでも使える。
 しかし、その始点は必ず手だ。理由は感覚的な部分に因るらしい。足で文字を書くのが困難なのと同様に、魔法を使うのは腕のほうが良いようだ。
 もちろんそれは人それぞれだろう。足を使うことが多い人間なら、手よりも足のほうが魔法を使いやすいということだってある。地属性の魔法を足で使うのは理に適っているとかなんとか。
 ともあれ、俺は、そんなナズナに追い回される午後を過ごすことになった。

 はっきり言おう。いつも通りだった。
 いつも通りに追い回され、黒焦げにされた。直接殴られるか、遠距離から痺れさせられるかの違いはあったが。
 こんなことを続けて、本当に俺は魔法を習得できるのだろうか。無駄に殴られただけで終わりはしないだろうか。
 本当に適正はあるのか。俺は魔法を覚えられるのか。
 魔法なしでこの先乗り越えられるのか。……そもそも、本当に魔王と戦うつもりなのか。
 ……あんまり考えないようにしていたが、目的をなくしてしまうと、どんどん絶望に心が支配されそうだ。
 俺には記憶がない。過去がない。家族がいない。友達がいない。
 帰るべき場所もない。守るべきものもない。誇りたい矜持もない。受け継ぎたい意志もない。
 空白。何もない。
 何に価値もない。無意味な存在。路傍の石。石ころ。
 一般ピープル。その他大勢。有象無象。
 ダメだダメだ。この思考はまずい。呑み込まれてしまいそうだ。
 俺は攻略者。このゲームを攻略する。
 そのためにヒロインとは仲良くしたいし、世界平和も守りたい。
 魔王が世界を脅かしている。ならばそれを食い止めたい。
 うん、そうだ。それでいい。間違ってない。俺の青春ラブコメはまちがってない。はずだ。
 一通りのことはやっておこう。それで魔法が習得できなかったら、今度は前衛職を目指そう。アリシアとのツートップだ。悪くない。
 風は俺に向かって吹いている。それに乗ればそれでいい。
 この風を逃すな。この風を……。

 ふっ……。

 ん? 今、何か……?
 何かが俺の前髪を揺らしたような、そんな気がした。
 魔法の兆しが!? ……と思って、何度か集中するが、今度は何も起こらない。
 ……やっぱりクソゲーだな。人生なんて。 

第六羽【魔都侵攻】⑨

 さて。
 教会を改築した孤児院での生活もそろそろ身体に馴染んできた頃合いだ。
 初日は夕方頃に訪れ、翌日にクエストへ出掛けた。依頼内容はナズナの薬草採取の手伝いだった。
 早朝に孤児院を出て、昼過ぎに薬草の採取は完了した。朝の苦手な俺は菊花やアリシア、ナズナにも随分と迷惑を掛けただろう。それでも俺は起きれない。寝床が恋しくて手放せなかったからだ。この世界の布団は決して柔らかいというほどではないが、寝るには充分快適な空間だ。イヌミミに囲まれた空間もなかなかに楽園(サンクチュアリ)と言えるが、布団こそがやはり至高だろう。結婚するならこういう包容力のある相手がいいだろうな。相手を包んで、安らぎを与え、甘い微睡みと、平安を与える……。そんな存在こそが究極の花嫁だろう。
 いや、布団の話じゃなかった。経緯を思い出していたんだった。
 とにかく、初日はそんな感じで終わった。道中、ナズナがケモミミ娘だと分かって興奮したり、オオカミに追われて怖い思いをしたり、でかいオオカミに話し掛けられたりしたが、まぁそれは余談だな。……うん、余談だ。
 二日目。初日はほとんど滞在していないから、俺にとってはこっちこそが初日というイメージも多いが、敢えて二日目ということに考え直そう。
 そんなわけで、二日目から報酬と称した特訓という名のイジメが勃発したのだった。
 俺は孤児院の経営者、マグにボコボコにされて一日を終えた。
 三日目。今度はナズナからボコボコにされた。菊花は順調に魔法を覚え始めていて、アリシアのほうは子供たちや俺たちの世話に従事していた。アイツ、子供は苦手そうなツラして、意外とすぐに意気投合していた。やはりあれも女子力の成せる業なのだろうか。ちなみに俺は類い希なるコミュ力の低さを露呈していて、見事にあぶれていた。まぁ、そんな暇もないくらいボロ雑巾にされていたというのが真相なんだが、そうでなかったとしても、順応していたとは思わない。俺にはそんな気概はありゃしないのだ。

 そんなこんなで四日目だ。滞在するにもそろそろ限界だろう。滞在費だって掛からないわけじゃないんだ。俺らの食事代だってゼロじゃない。あらかじめこちらからお金を払っていたのもあるが、それを踏まえても、そろそろ潮時だろう。【魔都侵攻】というタイトルで引っ張り続けるのだってそろそろ限界だろうし。
 ここから先へ進むに当たって、魔法は習得しておきたかった。あるいは魔法が使える者の同行を欲していた。
 ナズナなら順当だろう。だが、彼女にも生活があり、尊重されるべき意思がある。あんまりとやかく言うべきじゃないだろう。
 そして、俺は魔法を習得できていない。そもそも、普通なら何年も修行して会得する技術のはずなんだ。そんな簡単に会得できたらありがたみもへったくれもありゃしない。投げ売りもいいところだ。
 菊花だけが順調に成長している。だったら、それだけでいいんじゃないだろうか。
 何も俺まで足並みを揃える必要はない。全員が同じレベルに立つ必要などないんだ。そもそも、チームであるなら、全員が同じことをできる意味など皆無だ。無駄でしかない。全員が別の技能のスペシャリストになるのが、チームとしての理想のはずだ。
 だったら、俺は魔法を覚える意味などない。無駄な努力ご苦労様、だ。
 はぁ……。

 俺は暗い天井を眺めながら溜息を吐いていた。

「……眠れないんですか、ツバサ様?」

 菊花がむくりと身体を起こした。びっくりするからそういうのやめろ。本当にもう……。

 寝室はまだ暗い。太陽が昇るか昇らないか、そんな時刻だ。
 いつもいつもコイツはこんな時間から起きているのか? ……ってそんなわけないか。俺を心配してくれてたんだな。
 そんな優しさに、嬉しいのが半分。情けないのが半分。俺は苦笑してしまう。

「……寝たよ。たまたま目が覚めちゃっただけだよ」
「……そうですね。さっきまで気持ちよさそうな寝息が聞こえてましたし……」

 聞こえてたのかよ。恥ずかしいな。……だったら眠れないんですか、なんて訊くんじゃないっての。

「でも、途中から、魘されるように呻きだして……。気づいてましたか? ……顔、汗でぐっちゃりですよ?」

 ……本当に良く気づく従者ですこと。ホント、優秀だよ。俺には似合わず。

「……気づいてたなら、そっとしといてくれよ。……みっともないじゃんか」
「……そんなこと、するわけないじゃないですか。……ツバサ様が苦しんでいて、私が傍に居られるのなら、私はずっと隣で支え続けます。……お願いです、そんなふうに言わないでください……」

 …………、はぁ……。
 俺、バカみたいだな……。

 そして、四日目。
 今度は趣向を変えて、俺はナズナと錬金術について教わっていた。いわゆる合成、だな。
 より正確に言うなら、合成術式、というべきだろうか。
 方法論としては、複数あるらしい。ナズナはそれを実演してくれた。俺はそれに素直に驚嘆していた。

 まず、魔術合成。
 それは魔法を基にして合成を行う合成方式。
 素材を円陣型に並べて、中央に合成石を置く。
 そして、合成用の魔法を詠唱し、素材を合成する。
 俺の目の前で薬草と木の実は眩い光を放ち、一つに溶け合う。
 やがて、合成石、薬草、木の実が消失して、そこには液体が宙を漂っていた。
 ナズナはそれを慣れた手つきで瓶に収めた。
 キュッと瓶が閉じられる音がして、ナズナはそれを持ったまま振り返った。

「……これが、良い金になる、です」

 言うことが黒いな、しかし。まぁ事実だろうし。なんなら、彼女たちにとってはとても大事なことなんだろうけど。
 人を救える薬だと言うことよりも、やはりそういう物差しが働いてしまうものなんだろうか。
 俺としては、もっと純粋なナズナたんに逢いたかったものだけれど。……子供らしい純粋さを悪い意味で体現しているらしいな。

 続いて、見せてくれたのは錬術合成。
 新聞紙みたいな紙を広げたナズナはそのうえに石臼を置いた。その上にさっきの薬草の葉っぱをぶち込み、続いて、別の草を投じる。
 そして、おもむろに合成石で磨り潰し始めた。なんだかすごい原始的だ。確かに合成チックだけども。さっきのを見た後だと、感動が薄れる。プレゼンとしては明らかに順番を間違っている。
 だが、ナズナはそんな俺の困惑など知るわけもなく、ただゴリゴリと薬草を磨り潰している。
 そして、臼からまたしても光が漏れている。合成というのはなんでもかんでもこういう神秘的な現象を招き起こすらしい。ビバ・ファンタジーだな。
 そうして出来上がったのはドロドロした良く分からない物質だった。……いや、マジで何これ。

「これ、丸める、です」

 ぐに……。ぐに……、

「……完成、です!」

 ナズナの目は輝いていた。普段表情が乏しいもんだから、時折見せる感情に、おじさん、グッと来ちゃうんだ♪ ……じゃなくて。

「なんだ、これ……?」
「……クスリ、です。解毒作用ある、です」

 今度は解毒薬らしい。なんとも優秀な錬金術師だこと。いや、まぁ錬金術っぽくはないんだけどね。所詮は薬だし。最後はコネコネしてただけだし。
 しかしまぁ、これが錬金術。これが合成、か。
 一通りじゃないってのが、なんとも面倒だな。まぁ、考えれば当たり前なのかもしれないけど……。
 ……それにしても、この世界の合成はどういうふうに発展してきたんだろうな。
 魔法があるのに、あんな原始的な合成を進めたのか。あるいは、魔法で合成ができるようになったのに、あんな原始的な手法も残り続けたのだろうか。
 ……あるいは、同じではないのか? 同じ合成でも、方法論が全くの別だとか? だったら、両方が共存できる理由も考えられるか……。
 だって、普通に考えたら、こんな二通りの合成が現存する理由なんてないだろ。魔法だけで十分なはずだし。
 つまり、技術的に別なのか、手間を補って余りある利点があるから技術が廃れず残り続けた、……ってことか?

「……合成のレシピは一つしかない、です。合成方法も一つしかない、です……」

 俺の問いに、ナズナはそう答えた。つまりは前者だったというわけか。
 ともあれ、見るだけじゃ勉強にならないからな。俺もちゃんと真似してみようか。
 ……いくら捏ねても光りはしないし、ドロドロのヘドロ状にもならなかった。
 草がすれて、混ざっただけのゴミでしかない。……失敗だ。

「……魔力を込めて擦らないと、合成はできない、です」

 簡単そうに見えて、存外に複雑だった。チクショウ、俺はこんなこともできねえのかよ。
 俺が気落ちしていると、ナズナが俺の頭を撫でてくれた。

「……元気出す、です。……バサ兄」

 いつのまにやら定着した、羽川さんみたいな渾名でナズナは俺を呼んでいた。ツバサという発音がしづらいらしい。……悪かったな。そのうちこの謝り方が言い慣れてキスティス先生あたりに先回りされそうだけど。
 ともあれ、そんな子供の不器用な撫で方が心地よくて、俺は少しだけ元気になったよ。

第六羽【魔都侵攻】⑩

 気の良い客人との愉快なひとときも、いつかは必ず終わりを告げる。
 その時は近い。それは皆が分かっていることだった。
 使い古されたローブはくたびれた様相を呈してはいるが、まだガタは来ていない。丈夫に作られた逸品だった。
 そのローブの襟元に隠された口元が、苦しそうに歪められる。
 ローブのよく似合う老婆は、老骨らしからぬ剣呑な眼差しでじっと空を眺めていた。
 空には晴天と、白い雲がぽつりぽつりと浮かんでいるだけだ。そんな空を、忌々しげに見つめていた。

「……分かってるよ。あの頃の過ちは繰り返さない。……バカにすんじゃないよ」

 老婆は、誰かに語りかけるように独りごちる。
 もちろん返事は帰っては来ない。

「……そろそろ潮時かね。……決めたよ。今日で終わりだ。あの子たちには出て行ってもらおう……」

 老婆は寂しげにそう告げた。返事はないが、風がひょろ……と、少しだけ呻くように吹いた。

――

「さぁさ、今日も楽しい楽しい特訓の時間だよ!」

 そんなふうにして、俺はマグに連れられ、ひとけのない森へと誘われた。ま、姦(まわ)される……!
 しかしまぁ、耳を掴んで引っ張るというおよそ色気のない連れ去り方だから、その可能性は限りなく低いだろうか。年の差も物凄いことだし。
 また、いつものイジメだろうか。体育館裏での密事だろうか。お腹グーパンくらいで済めばいいけど、生憎とこの婆さんはそんな生易しいイジメをしない。いじめっ子とマグの虐待は、ウイングさんとビスケくらいの違いがあると言っていい。命の保証があるかないかだ。
 幸いにして、致命傷は避けられてはいたが、今後もその奇跡が続くとは限らない。むしろより苛烈な虐待になってきているくらいなのだから、無事に済む可能性は皆無と言ってもいいだろう。つまりは是、生命の危機。
 マグはいつものように拳を構えている。

「……今までは随分と加減をしてきたからね。そろそろ、退屈してきたんじゃないかい?」

 全然なんですが。むしろもっと加減が欲しいくらいなんですが。
 しかし、マグは聞く耳を持たず、ボウ! ……と、その手に炎を宿す。轟々と、劫火が灯る。
 その勢いは、今までのものとは違う。纏うという表現すら似つかわしくないかもしれない。まるで、炎そのものになったかのようだ。
 大きな炎の塊が、マグの両手から生えている。
 対面しているだけで顔が熱いくらいだ。……ちょっと待て。コレ、ガチでヤバイヤツじゃないの?

「……何ボサッとしてるんだい? ……そんな悠長に構えてたら……、……死ぬよッ!」

 マグが走り出した。年寄りの足じゃない。戦士の速さだ。
 俺は咄嗟に横へ避ける。……が、掠っただけで身体が大きく揺さぶられる。

「うおおぉぉッ!!」

 なんとか踏み止まり、マグに正対する。
 が、目前には迫り来る拳がある。

「ヒィッ!!」

 どうにか首を曲げて直撃は回避したが、頬には激痛が走る。掠るだけでもダメージは深刻だぞ、これは。
 なんて、意識を逸らした直後。俺の身体はくの字に折れ曲がっていた。上条さんかよ。
 マグの膝蹴りが腹にヒットしていた。身体がそのまま持ち上げられ、胃の中身が逆流する。

「うげッ、げほ……」

 けど、そんな悠長に嘔吐している場合じゃないんだ。躱さないと、死ぬ。
 マグの放つ掌底が俺の顎を揺らす。視界がブレる。意識がブラックアウトする。
 空白になった俺の意識を放っておいて、マグの連撃は続いている。
 何発喰らったかは分からないが、地面に叩き落とされたのはなんとなく理解できた。

 ……それにしても、なんなんだコレ。マグのイジメがいつにもまして酷い。深刻だ。真酷と言い換えたいところなんだが。
 どうして今日に限って、ここまで苛烈なんだ。何か問題でもあったのか。俺が何かしてしまったのか。マグの気に障るような何かを。
 ……いや。考えにくい話だ。そりゃあ失礼なんていくらでもあっただろうが、相手はマグだ。大抵のことは、嫌みの一つはくれるだろうが、最後は笑って見逃してくれる人だ。その程度のことはこの短い時間でも理解できている。
 それに嫌なことの仕返しなんて話なら、マグはその場で行動しているはずだ。後になってから行動を起こすなんて、あまりにらしくない。
 だとするなら、何だ。彼女をここまでさせたものとは何だ?

 一体何が……。
 そう言いかけて、俺は悟った。
 もう、そんな状況ではないのだと。

 動かした視線が捉えていた。
 大きく振りかぶり、あの劫火の塊を俺へ振り下ろそうとしているマグの姿を。
 寝転がって考え事だなんて、そんな悠長なことはさせてくれない。
 全力で逃げなければ、俺はここで、殺される。
 俺はそう、理解したのだった。

 俺は転がってハンマーみたいな豪腕を回避。勢いのままに転がされ、そのまま距離を取る。
 その勢いのまま俺は立ち上がり、走り始めた。まず、この状況はまずい。ここから覆す必要がある。
 障害物のない場所での戦いは、自力に左右される。俺とマグ、どっちが強いか。そんなのは決まってる。オッズなんて出しても賭けにはならないだろう。10対0で俺の負け。大穴にすらなりようがない。
 ならば、場所を移すしかない。生憎とこれは一対一の戦いではない。生き残るだけのゲームでしかないんだ。
 だからまずは戦局を変える。場所を移し、シチュエーションを変える。それだけが俺の生き残る手段だ。
 俺は目前に飛び込んできた林へと突っ込む。目眩ましや障害物程度にはなるだろう。これで多少は凌げるはず……。
 ……なんて目論見は甘かったかもしれない。背後で木々が薙ぎ倒される。全く以て恐るべき豪腕だ。ファンタジーの世界ってやべぇ。
 振り返ると、大木が俺に向かって倒れてきていて、俺は慌てて進行方向を変える。ドス……と、洒落にならない衝撃が地面を揺るがす。
 無我夢中だ。俺は一心不乱にあの古ぼけた教会を目指す。そこまで逃げ切れば菊花がいる。アリシアがいる。ナズナがいる。
 彼らにさえ会えれば、どうとでもなる。俺のすべきことはそこまでの時間稼ぎ。それだけだ。

 途中、かなり冷や冷やしたが、道中で追いつかれるようなことはなかった。
 が、引き離せたわけでもない。俺は大声で助けを呼んだ。

「菊花!! アリシア!! ナズナ!! ……聞こえるかッ!?」

 ……返事はない。くそッ、外出中かよ。運が悪い。

「孤児院のヤツらでもいい、誰かいないのか!? いたら返事をしてくれ!」

 返事を待つような時間すらない。俺は前方へ転がってマグの攻撃を回避した。全てスレスレで躱しているが、これ、熟練度入ってるのかな?
 マグはそこで足を止めると、嗤った。イヤに愉しそうな笑い方だ。気味が悪い。

「……運がなかったね。あの子たちにはちょっとお使いを頼んでいてね。帰ってくるのは夕方頃になるだろうよ」

 ……まだ昼過ぎだよ、クソッタレ。
 どうやらこのババアは本気で俺を殺しに掛かっているらしい。
 どうする? どうすれば逃げられる?
 まず、勝つという方法はありえない。勝ちようがない。この婆さんはアリシアや勇者と同レベルの強者だ。パンピーに敵うような相手ではない。
 逃げる。それが一番有効な気がするが、限度がある。ここまでで何度死にかけたか分からん。容易に選ぶべき手ではないように思う。
 ……それ以外の手はあるか? こちらから向かうでもなく、退くでもなく……。たとえば、相対したままとか……?
 ……いや、それって意味あるのか? ……まぁ時間稼ぎにはなるか。体力の回復もしたいし。

「わ、分かった、婆さん、降参だ。だから目的を聞かせてくれないか? アンタは何がしたいんだ? 俺をどうしたいんだ?」

 マグは、鼻を鳴らした。まだ何かが気に障るのだろうか……。

「目的なら言っただろう? アンタを殺すってな。逃げるのは終わりかい? なら潔く首を差し出しな。なるべく痛くないように殺してやるから」
「……ちょっと待てよ! 死にたいわけないだろ! 話を聞いてくれ!!」
「……そうは言われてもねえ。あたしはアンタを殺したいんだ。話を聞いたら殺させてくれるのかい?」

 うん、なんて頷けるかよ。何考えてるんだこのババア。さっぱり意思疎通ができん。……祟り神にでもなったのかな。気持ち悪いブヨブヨが纏わり付いてないけど。
 まぁ祟られてるなら、もう少し理性が飛んでるはずだろうしな。精神は通常なんだろうな。……だからこそ意味が分からんのだが。

「……お、おい! 俺を殺したら菊花が黙っていないぞ。アリシアも騎士として怒るだろうし、ナズナだって悲しむに決まってる! ……アンタが俺を殺したっていいことなんかないぞ!」
「下手な説得だね。それで止まるとでも思っているのかい?」

 いや、思っちゃいなかったけどさ。ナズナの名を出せば少しは動揺するかな、って思ったんだけど、ダメだな。完全に予想済っぽかったし。
 ……どうする? 打つ手とかないぞ、これ……。

 説得は無理っぽいな。向こうは感情論で攻撃してきている。理屈では通用しない。これこれこうだから俺を殺すべきじゃないとか、俺を殺しても無駄だとか、そういう理屈は感情論の前では無意味に終わる。だって殺したいから。その一言で全てが完結してしまう。
 かといって、時間稼ぎも逃亡も、それどころか勝利なんて望むべくもなく、現実的じゃない。八方塞がりだ。出口なんか見当たりはしない。
 俺にできることは、なんだ……?

 マグが、一歩踏み出した。その瞬間俺は逃亡を再開した。俺の首筋を炎が掠める心地がした。一瞬の油断が死を招く。
 ……それにしても、妙じゃないか?
 俺は、マグの攻撃を躱しすぎじゃないか? 相手は本気だというのに……。
 手を抜いてくれているのか? それとも……?
 地面に亀裂が走り、俺は跳躍した。その直後、俺が先程までいた地面が炎に呑まれて沈んでゆく。ボコボコと沸騰し、マグマのようになっている。……怖すぎるわ。
 ……考え事の続きは後でだな。今はそれどころじゃなさそうだ。

第六羽【魔都侵攻】⑪

 遠い空を目指して、人間は腕を伸ばした。
 腕で届かぬと知りながら、その手を伸ばした。
 二本の手では届かぬと知った人間は、次に第三の手を求め始めた。
 空へと届く腕を探して、人間は抗い続けた。
 やがて、それはいつしか一つの技術を生み出すに至った。
 人はその技術を、『魔法』と名付けた。

――

 風は森の内側へと流れてゆく。
 木々はカサカサと身体を震わせている。
 それは、どこか、立木たちが何かに恐怖しているように思えてしまって、老婆は一人、自嘲気味に嗤った。
 おかしな話だ。
 心などないものが、恐怖などしない。
 そもそも、恐怖する理由すらないのだ。
 相手はただの子供だ。背格好は大人だが、中身はまだまだ未成熟な子供だ。
 恐るるに足らぬ、小兵でしかない。
 だというのに、心には複雑な気持ちが渦巻いていた。
 マグはそれを取り払うことができない。
 もしかしたら……。まさか……。ひょっとして……。
 そんな思いが、胸をよぎっては消えてゆく。何度も何度も、胸に沸き上がってくるのだ。
 本当にバカらしい、下らない思考だ。
 マグは頭を振って、考えを打ち払う。

 いつもの風向きと、逆向きの風が吹いているだなんて、ただの偶然に決まっているのだ。
 ツバサを追うように、逃げる彼を救うかのように、風が彼を後押ししているだなんて、何かの冗談だ。
 これは、バカな考えなのだ。
 そう、必死になって言い聞かせるのだった。

――

 マグの足音が聞こえなくなった。
 俺は振り返ったが、そこには炎を纏った豪腕の魔女の姿はない。
 諦めてくれたのだろうか。
 ……って、いやいや、んなわけないだろ。どうせ、すぐに追ってくるに決まっている。今はたまたま距離が開いているか、違う道を進んでいるだけに決まっている。
 油断すれば死ぬ。何度も何度も痛感している。俺は油断なんてしないぜ。残念だったネェ……。

 ……とはいえ。
 逃げてどうする……?
 そもそも、勝機はないのだ。サシで戦って勝てる相手ではない。逃げ切ることだって、きっとできない。頼みの綱の仲間たちは当分帰っては来ない。
 俺は一人で豪腕の魔女の相手をしなければならないのだ。
 この俺の頭脳で、あの魔女を出し抜くしかない。
 ……勝てなくても良い。痛み分けにでも持って行ければ、勝負はきっと、そこで終わる。
 ……それすらもムリっぽいけど。

 ……いや、考えろ。何かあるはずだ。何か手が、生き残る手段が残っているはずだ。俺には何ができる……?
 戦いは、苦手だ。接近戦では絶対に敵わない。近づいたら負けだ。それくらいは分かる。
 ……待てよ。マグは未だに遠距離攻撃を仕掛けてきていない。必ず直接殴りかかってきていた。……それは一体なんでだ?
 直接殴りたいから……? それもありそうだし、どこか腑に落ちる思いもあるが、それで納得しちゃいけない。
 マグは殴りに来ていた。接近戦が俺に対して有利だと分かっていたのもあるだろうが、それだけではないはずだ。
 何故なら、逃げる俺を、逃げ続ける俺を、マグはずっと追いかけてきていた。……そこがおかしいのだ。
 普通なら遠距離攻撃に切り替えるはずだ。ナズナならそうしていた。……それどころか直接殴りにすら来なかったけど。
 だが、性格上の行動だけでは片付けられない。俺を逃がすくらいなら遠隔攻撃へ切り替えていたはずなんだ。マグの性格なら尚更。
 ……できなかったのか?
 マグは、遠隔的に攻撃する手段を持たない……? あるいは限定的に、先程マグマで攻撃してきたくらいしかできないのか……?
 だとすると合点がいく。そしてヤバイ! ……いや、ヤバくはなかった。某ハンターを思い出して台詞が引っ張られてしまったぜ。それはともかく、だ。
 マグは遠隔攻撃ができない。これを考慮に入れて作戦を作れないだろうか。
 マグを近づかせずにこちらから一方的に攻撃できるようにする……。
 ……いや、攻撃手段が、俺にはない。
 距離は簡単に詰められるし、高低差も森の中じゃ作りづらい。……木に登るか……? いや、見つかった瞬間に木ごと薙ぎ倒されるだけだ。
 ……魔法。魔法さえあれば……。
 無い物ねだりでしかないか。クソッ……。
 ……どうにかして遠くから……。
 遠くから……? そう、たとえば風とか……?

 俺は立ち止まって、周囲を窺う。
 風が辺りに吹き荒んでいる。……こんなに風強かったっけ……?
 ……なんにせよ、これを使わない手はないか。
 どういうわけか、今ここに吹いている風は、どこか異常だ。嵐みたいに激しく吹きつけていて、風切り音が悲鳴みたいに唸っている。
 そして……。
 その悲鳴を一身に浴びながら、マグが姿を現した。
 ……作戦なんてあったもんじゃないが、やるしかなさそうだな……。
 俺は剣の柄を強く握った。あの魔女に対しては、ひのきの棒並みに心許ない武器なんだが、今はその拙い重さすらも心強く感じる。……なにせ、お前しか頼る相手がいないもんだからな……。
 あの爺さんと菊花が見繕ってくれた剣だ。今は信じるしかない。頼むぜ、アイアンソードさんよ……ッ!

――

「なんだか風が強くなってきましたねえ」
「……ナズナ殿。ここではこんなふうに風が吹くのが当たり前なのだろうか?」

 薬の売買と食べ物の買い出しを終えた菊花一行は子供たちを連れて街道を歩いていた。
 子供たちの手には、しばらく分の食料や生活必需品が収められている。
 両手一杯の荷物を子供たちは苦もなく抱えている。
 そんな中、ナズナは一人難しそうな顔をしていた。

「……なんだか風向きがおかしい、です」

 ナズナは知っている。この季節に吹く風は教会の方面から街のほうへと向かっている。今日のように帰り道で追い風になるのは、この季節柄ではありえないはずだった。
 その発言に、子供たちもそれぞれに頷く。菊花とアリシアは顔を見合わせてしまう。
 ナズナは顔をさらに顰め、ぼそりと呟いた。

「……少しだけ、ばあやもヘン……だった、です」

 そのことが何を表すのかは、ナズナにも分からない。ただ、不安だけが胸中を埋め尽くしてゆく。
 菊花は荷物を持った手の片手を空けて、ナズナの頭を撫でてやる。ナズナは「ふにゅ……」と可愛らしく呻いていた。

「皆さん、お疲れでしょうが、少しだけ急ぎましょう……!」

 一同は互いに目を合わせると、一斉に頷くのだった。

――

 痺れた腕からアイアンソードが吹き飛ばされる。
 クルクルと回転しながら、数メートル遠くへと転がった。取りに行きたいが、行けるわけもなく……。
 眼前に迫るのは何度目かの火拳だ。エースの死に際が思い出されて泣きそうになる。ってだから、んな暇はねえんだって。
 拳は俺に直撃はしない。どうにか回避が間に合っているらしい。本当に奇跡は起こるな、何度でも。
 直撃はしなくても、掠るだけで身体が吹っ飛ばされる。だが、さすがに慣れてきたのか、俺は受け身を取って即座に立ち上がった。……やっぱ熟練度稼げてるのかもね。
 やるしかない。俺は何故だかマグの攻撃を避けられている。この状態を生かして何とか攻めの一手を考案しなければ……。
 とりま、剣だろ。剣を拾うための時間を稼がなくては。
 吹き荒れる暴風の中、俺の感覚は研ぎ澄まされていた。……なんでだろう。相手の動きが先読みできるような感じだ。
 どう動けば有利になれるかが、何となく分かる。俺はその瞬間、マグと渡り合っていた。
 拳打を躱し、蹴撃を飛び越え、マグマに変わる地面を転がって避けて、俺は剣を手に取った。
 行ける。行けてしまう。俺はマグとまともに戦えている。嘘だろ、何の冗談だ。
 まぁ、戦うと言っても、こちらの攻撃はまだヒットしていない。けど、すぐに当たる。
 俺の一撃は、軽いが、鋭くなっている。力が入る……、というよりは、身体が動きやすいようなイメージだ。
 そして、マグの動きは、……遅くなっただろうか。最初より見切りやすいし、威力も落ちているような……?
 違いは何だ? さっきまでと今では何が違う?
 森に入って、狭くなり、相手の動きを封じやすくなった? その結果俺が有利になった? ……それだけか?
 ……風か? 風が俺を有利にさせている?
 ……そういえば、なんだか、この風、どこか心地良いんだよな。大荒れの風なのに、不快感が全くない。自然の風とは違うのだろうか? たとえば……。人為的な……。
 ひょっとして俺は壮大な思い違いをしているんじゃなかろうか。魔法っていうのは大層な詠唱を唱えて、集中して、放つものではないのか? 息を吸うように、無意識に発現することもあるのか?
 もしかして、この風は、俺の思い通りに動くのではないのか?
 そう思った俺は、大降りの剣を思い切りマグへ叩きつけた。風ごとぶち当てるようなイメージで、思い切り振り下ろした。
 その瞬間――、

 風が、轟いた。

 嵐のような風がマグの身体を大きく吹き飛ばした。

「……まさか、これが魔法……だっていうのか……ッ!?」

 放心したように俺は立ち尽くしていた。その衝撃たるや、筆舌に尽くしがたいものがある。
 なにせ初めての魔法だ。その不可思議な感覚は馴染みもなく、落ち着いて身を任せられるような安らかなものではなかった。
 だが、俺は忘れてはいけなかったのだ。
 ――戦いはまだ、終わってはいないということを。

「バカだね、隙だらけだよ……ッ!」

 背後から、そんな声が聞こえたとき、全身の骨が砕けるような衝撃が襲い掛かってきて、俺の意識はそのまま刈り取られたのだった。

第六羽【魔都侵攻】⑫

 モノクロに沈んだ世界に、老婆の声が響いている。

「風とは、自由なことだ。分かるかい、坊や」

「自由に焦がれ、支配を拒むその情動こそが、風の根源だよ」

「ある意味では子供じみた、甘っちょろい感性だと言えるだろう。だが、そんな思考回路が、風を導く。……魔法なんて、案外そんなもんさ。……笑っちまうだろ?」

「アンタは逃げた。恐怖心からか保身からか、その根っこの部分は何だって構わない。ただ、逃避という後ろ向きな感情だって、時には力を宿すことだってある。これはそういうことの証左かね」

「……アンタには見えていたはずだよ。逃げるための道筋が。逃げるための最善手が。……それでいい。それがアンタを導いたんだ」

「……懐かしいね。あたしの知り合いの風使いを思い出すよ。アイツも心底臆病で、マイペースで、それをいつまでも貫いていた。本当にバカなヤツで、困ったもんだった……。けど、……アイツといたあの時は本当に、楽しかったよ……」

「フン、年寄りの昔話には興味ないかい? つれないねえ」

「良いかい? 覚えておきな、その感覚を。アンタは風の魔法と相性が良さそうだしね。……別に悪い意味じゃないさ。これでも褒めてんだよあたしゃ」

 老婆はカラカラと笑っていた。年寄りのくせに、なんだか女の子みたいな笑い方だ。……まるで昔を思い出すみたいな。
 俺は横たわったまま、頷くしかできない。身体中いってえし。
 けどまぁ、悪い気分じゃない。風が周囲を漂っている。なんだかそれだけで、一人じゃないって感じがする。ババアもいるし、夕方には菊花たちも帰ってくるだろうから、全然一人ではないんだけどさ。
 俺にとっては剣よりも、風のほうがどこか近しい気がするんだ。やっぱり自由を求める性分が、近しいということなんだろうか。
 そうだな、風は俺なんだな。そして、俺は風だ。なんて中二力。
 とにもかくにも、俺は魔法使いになったのだった。……童貞じゃないほうのな。……なに? まだ童貞のままだって? 上手いこと言ってんじゃねえよ。

 こうして、俺は魔法を習得した。これからは何処に出しても恥ずかしくない冒険者だ。
 これからは剣術と一緒に魔法の特訓を行い、パーティに貢献しよう。もう足手纏いではない。金魚の糞でもない。ヒモでもなければ、名ばかりの神でもない。
 魔法の力で、俺は戦闘に参加できる。それは大いに意味があることだった。
 俺は嬉しくなって右の手に風を集める。寄り集まった空気が本流を生み出し……、あれ? できない。この気まぐれさんめ。
 まだまだ修練が必要ということらしい。なんだかなぁ。
 身体はナズナの薬で回復はしているが、ダメージが一切合切消えたりはしていない。立ち上がろうとすると、ふらふらする。あのババア、加減を知らないらしいな。

「ツバサ様、お目覚めなんですか? まだご無理はなさらないでください。昨夜は本当に心配したんですから……」

 扉を開いた菊花が心配そうに駆け寄ってくる。俺は気丈に振る舞おうとしたが、笑顔を作れず、眉間に皺が寄ってしまう。
 菊花が俺の肩を支えてくれて、俺はどうにか立ち上がった。なんつーか、尋常じゃないダメージだ。バトル漫画の主人公って、年中こんななのかしら? そりゃモテるわけだよ。イケメン乙。
 菊花の声が届いたのか、アリシアもやってきた。そそくさと傷の様子を確認し、せっせと包帯を巻き直してくれる。見よ、この女子力。嫁にしたくてたまらねえな。
 ……ナズナは、来ないな。どこにいるのやら……。
 そんな俺の視線に気づいたらしく、菊花は胸に手を合わせて、神妙な顔になる。

「ツバサ様、ナズナさんのことなんですが……」

 俺はその先を聞いて、尚更じっとしてはいられなくなってしまう。
 早く、ナズナに合わなければ……!

 ナズナは俺たちと旅に出ることにしたらしい。
 それはもちろん、嬉しい。俺にとってはもはや仲間だし、可愛い妹のように感じていたくらいだ。
 その分、危険だってのも分かってる。安全な旅ではない。命の保証なんてないんだ。大事に思うなら連れて行かないほうが安心だろう。
 だが、ナズナは強い。魔法を使わせれば、その技量はアリシアや菊花に近いレベルにいるはずだ。
 そして、俺たちには戦力が足りない。ナズナのような優秀な魔法使い、特に優秀な後衛は喉から手か出るほど欲しい。
 ネックなのは、ナズナの年齢だ。年は9歳。危険な旅に連れて行くような年齢とは言いがたい。
 本人がそれを望んでいたとしても、躊躇うのは仕方がないというものだ。
 あのマグだって、一応は人の子だ。あんな年端のいかない子供を旅に出させるはずもない。
 そういう意味で、旅立ちは難しいところだろうなと思っていた。
 ナズナがマグに旅立ちを告げに行った。俺はせめてその成り行きを見守ってやりたかった。
 だが……。

 あろうことか、あのババアは。
 ナズナの精一杯の勇気を、無視しやがった、……らしい。

 俺が見つけたとき、ナズナは一人、空を見つめていた。
 ナズナがいたのは、見晴台。教会の天辺だな。
 ボロっちぃ鐘が鈍色に光っていて、ナズナは今にも涙の雨が降りそうな空を寂しげに眺めていた。

「ばあや、話を聞いてくれなかった、です……」

 その声は、今までに聞いたことがないくらい弱々しい。もともと元気な子じゃなかったけど、ここまで痛そうに、辛そうに喋るのを見るのは初めてだ。
 それだけ、辛いのだろう。苦しいのだろう。気持ちは分かる。俺もこの体調で梯子を登るのがしんどくて泣きそうだった。下でアリシアが見守ってくれてなかったら絶対に登れなかったもん。……なんて話は、比較にもならないかもな。
 大切な人に、無視される苦しみなんて、俺には耐えられない。大切な人が少なすぎるから、尚更な。
 それを涙も流さずに耐えきる少女の、痛ましさときたらもう……。俺はどう声を掛けて良いのか、さっぱり分からなかった。
 あれかな、後ろからぎゅって抱きしめて上げるのが一番良いのかな。でも気障じゃないかな。それにそこまで好感度稼げてなかったら逆効果だよな。むしろ嫌われるよな。じゃあ、どうしよう。
 声を掛けるのが王道かな。でも、どう声を掛ける? 何言ったら彼女を救える? 勇気を与えられる? 元気づけられる?
 分からない。分からない。分からない。
 ダメだ。お手上げだ。俺には何もできない。
 散々世話になっておいて、傷の治療もさせてもらっておいて、このザマだ。情けなくて死にたくなるな。
 どうしたらいい? 教科書とかないのかよ。本当に現実世界はクソゲーだよな。明確な攻略法や、リセットできる仕様のどちらかを作っておいてくれないと俺には太刀打ちできないよ。
 けど、ナズナは俺の予想を越えて、ずっと大人だった。たぶん、俺なんかよりずっと立派だ。
 ナズナは上擦った声で、言った。

「バサ兄。手、握っても良い、です……?」

 俺は黙って手を差し出す。
 ナズナがその手を、握る。
 ぎゅっと、祈るように、ナズナは俺の手を握った。

「バサ兄は、ナズに勇気をくれる、です。……今度は逃げない、です……っ!」

 ナズナは、本当に強い女の子だった。
 俺は逃げた。それが強さだとすら言われたのに……。
 ナズナは逃げない、と言った。
 きっともう一度マグに対峙するのだろう。話を聞いてもらえるまで、何度でも戦いを挑むのだろう。
 その戦いは俺とマグの戦いみたいに、殴り合いにはならないだろう。流血はおろか、アクション要素はきっと皆無だろう。
 それでも、それは戦いだ。己の大事なものを賭けて、言葉をぶつけ合う戦いだ。
 ナズナは梯子をコツコツ……と降りていった。
 俺は見晴台の柵に頬杖をついて思い悩んでしまう。

 魔王と戦うのは、きっと、もっと辛いのだ。もっと痛いのだ。
 それを俺は耐えられるのか? 彼女たちにそれを強いるのか? 本当に俺はそうしたいのか?
 だが、魔王をほっといて、そのまま安穏と暮らせるのか? 本当にそれで幸せになれるのか?
 ツバサ様としての使命はともかくとして、一生平和な世界ではないんだ。平和を守るために戦うのだとしたら、それが一番平穏に暮らすための近道なのではないだろうか。
 戦わないために戦う、……みたいなどこか矛盾した話だけど、まぁ人生なんてそんなもんかもしれない。
 そのためにはナズナのように勇気を振り絞り、戦いに挑むことも、いつか必要になってくるのだろう。
 俺には、そんな勇気が絞り出せるとは思えないが、いつかそうなれるよう、強くなろう。
 ……いつか、ナズナにも追いつきたいところだよな……。

第六羽【魔都侵攻】⑬

 ナズナは思いの外、策士だった。
 マグが大事に隠していたという小箱を盾に、脅しに出るという作戦は強烈だったようで、手のひらを返したように了承を勝ち取った。
 その時にナズナが見せた渾身の笑顔は俺の胸にそっとしまっておこう。おじさんがしまっちゃうよぉ~。
 しかしまぁ、その後のあっさりとしたマグの様子から、もしかしたら次の返事は決まっていたのかもしれないな、と俺は少しだけ勘ぐっているのだが。そんなものはナズナの頑張りを立てて、気にしないでおくとするかな。

 とにかくそうして、俺たち4人の旅立ちが決定した。
 最後の食事というわけでその夜は賑やかな食事が振る舞われたのだった。
 買い出しの直後ということもあって、結構奮発してくれたな。……やっぱりこのババア、そこまで見越してたんじゃあるまいな。
 ともあれ、食事も済んで人心地ついた俺たちはそのまま今後の行動について話を進めていた。

「……やはり魔都、旧トータス領へ進むべきだろうな」

 アリシアが渋い顔でそう呟いた。……ああ、そうだな、それには懸念が多いんだ。

「この地域から国境へと進むと、岩石系の魔物が多く生息すると聞いています。私たちにとっては苦手な相手です。ナズナさんが手伝ってくれたとしても、苦戦は必至といったところでしょう」
「……魔物だけじゃない、です。……国境に近づけば魔王軍(まおーぐん)の兵隊もいっぱいいる、です」
「けど、近づかないと情勢も良く分からんしな……。戦うにしろ何にしろ、情報は必要だ」
「……王都なら情報もあったかもしれないけどね、……もしかしたら上部の人間にしか知らされてないのかもしれない」

 マグの指摘に、菊花が頷く。

「……ええ。王都ではほとんど情報が集まりませんでした。情報が来ていないのか、上で封鎖されているのかは分かりませんでしたが……」
「情報が何もないってことはないだろうよ。王国もバカじゃないんだ。ただ、何かの不都合を揉み消すために箝口令でも敷いたのかねぇ……」
「……何にせよ、一部にしか情報が集まっていないんだったら、やっぱり近づいて調べた方が手っ取り早いだろ。……そもそも勇者ですら知り得なかったからこそ、賢者に頼ったんだろうし……」

 だが、自分で言っといてなんだが、やっぱり危険だよな……。虎穴に入らずんば……って言うからな。やっぱりリスクを踏まなければリターンは得られないか……。
 ……魔族。それだけで差別するつもりはないが、どんな恐ろしい一軍なんだろうな……。できる限り事を構えたくはないものだ。……ナズナの同族だからあんまり手荒なのは控えたいのもあるし。

「……いいかい? 国境を越えるに辺り、リスクは主に二つある。一つは言わずもがな、魔王軍だ。こいつらは僅か一撃で城門を破壊して一夜でトータス領を乗っ取った連中だ。その力はほとんどが魔王そのものの力とも言えるが、その配下が寄せ集めの雑兵だなんてことはない。それに、その数だって少なくはない。……当時トータス領に控えていた兵はおよそ一千。ヤツらはそれを半数のたった五百で仕留めた。……それから軍備は増強されているはずだよ。今は以前と同等かそれ以上、あたしの勘じゃ一千五百前後の魔王軍がいるはずだ。お前ら4人じゃどうやったって勝ち目はない」
「そしてもう一つは、付近の魔物だな。国境へ近づくにつれ、厄介な魔物が増えている。街道の真ん中を歩いて行けるほど平和ではあるまい」
「俺の覚え立ての魔法は風属性だし、ナズナは雷……。岩石に対してあんまり有効な気はしないしなぁ……」
「……相性の差は工夫で乗り切りな。だいじょうぶ、ナズナには大抵のことは教え込んである」
「……任せる、です……ッ!」

 ナズナが胸を張る。……なんか微笑ましいな。
 けど、実際頼っても大丈夫だろう。マグはそういうことで身内贔屓は言わないだろうし。

「つまり、纏めると……。街道の端っこを隠れるようにして進んで、魔王軍に見つからないようにしながら、国境はどうにかして通過。その後も魔物や魔王軍に見つからないようにひっそりと進んで魔都を侵攻。情報を収集したら離脱……。大雑把すぎて具体性に欠けるが、そういうことでいいんだな?」
「はい、それで行きましょう!」
「うむ。後のことは私に任せてくれ」
「ナズもがんばる、です……ッ!」

 ……本当に大丈夫だろうか……?
 まぁ、力強く頷いてくれた仲間たちを信じて、進むしかなさそうだな。
 翌朝、買い出しで一緒に買っておいたらしい荷物を各々のアイテムボックスに収納して俺たちは旅立った。
 ……これが今生の別れになるかもしれない、なんて一切考えていなそうなにこやかな顔で、孤児院の皆は見送ってくれた。
 俺たちは皆へ手を振って別れた。ナズナだけは、見えなくなるまで手を振り続けていた。
 俺はそんなナズナの横顔を、見つめていた。……この子は俺たちに付いてきたことを、後悔したりはしないだろうか。付いてきて良かったと思ってくれるのだろうか。
 ……いや、違うな。付いてきて良かったと、そう思わせることが俺の使命なんだ。そう言い聞かせることにした。
 この少女の笑顔を守る。そのために俺は最善を尽くさなければならない。……まぁ、その最善が何なのかは全く分からないんだけどな。

――

「見えるかい? シェリー」
「ああ、あたいにも見えてるよ、ビリー」
「……アレ、フードで隠してるけど、絶対そうだよね」
「うん、絶対そうね。……全く、どんな悪事を企んでいるのやら」

 高台になった岩山から、少年と少女が囁き合う。それぞれの手には単眼鏡が握られている。 

「ホンット、ニンゲンってあくどいヤツばっかだよねぇ。死ねばいいのに!」
「それは陛下に頑張ってもらうしかないんじゃないかな?」
「A・S・A・P(可能な限り早く)! A・S・A・P!」
「ここで言ってもしょうがないんじゃないかな……」

 少年は呆れたように肩を竦めた。

「そんなこと、陛下に言えるわけないでしょ! あの人はあのドデカイ城門を拳で粉砕したのよ!? アレ、見てたでしょ!?」
「そりゃ、見てたけどさ……」

 少年は頭痛を堪えるように頭を抑えた。

「……なんて、遊んでる場合じゃないわね! さ、ビリー! 準備はOK?」
 
 少女の切り替えの早さに、気後れしたのは一瞬だ。
 少年は一つ息を吐くと、いつものように気分を切り替えた。これからは先は仕事モードだ。

「……いつでもいいよ」
「ん♪ じゃ、行きますか! お仕事、開始ッ!!」

 そして、二人の両手から、魔法の奔流が渦を巻いた。



to be continued...

あとがき 六羽


今後書くべき課題の提示。
本当にそれだけしかしてない。続きは明日の俺が頑張ってくれるって信じてる。


ホントになんのプランもなく書いてる。
せっかくだからアレとかアレとか書いちゃおうかなーとか模索してます。
……いざ書いてみると、賢者が全く仕事しないので困ったというのが本音です。


またも突発的に思いついたネタで攻めてみた回。
土壇場で新キャラ出すのはほどほどにしたほうがいいと思うんだ。
あと、マグは過去作のキャラと同名だったりしますが、同一人物かどうかは秘密です。秘密ったら秘密なのっ!
ホントは一段落付くまで仲間は増やさない予定だったけど、足りない気がしたので追加です。
ナズナたん回はもうちょっとだけ続きます。
……ところで、どこら辺が魔都侵攻なんだろう……?
そんなわけで、第六羽のタイトルは変更するかもしれません。ご了承ください。


書いてて思ったんだけど、ノーゲームでノーライフな、とあるラノベに出てくるキャラとナズナたんがそっくりな気がします。
です口調だし、耳とか、ぶきっちょな感じとか、ロリっこな感じとかいろいろ。
……細かいところは違うんですけどね。似すぎてる。後から気づきました。勢いだけで書くとこれだからなぁ。
……あと、それより何より。
名前がそっくりでした。本当にすみませんでした。


大した進展がない回。
なぜかワンピのパロが多い。一度思い出すと引っ張られるんだと思う。


とりあえずオオカミ回終了。
これで終わりと見せかけて、魔都侵攻はもう少し続きます。
何故ならちっとも侵攻してないからです。


修行篇。
気づけばドコメディ。落差が激しすぎる。
どうしてこうなった。


修行篇その2。
簡単に覚えてしまうのはつまらないので、苦戦してもらってます。
そんなには長引かない予定。
ナズナの髪の色は考えてなかったんですが、パーティのカラーバランスを考えて銀髪になりました。
事前に考えてなかったので、齟齬がないか心配です。


修行篇その3。
先の展開を描くために、ちょっとずつ進めてはいるんだけど、なかなか先へ行けないというジレンマ。
とりあえず、この魔都侵攻からの一連の流れが一つ目のお話のクライマックスになります。
無双するのが好きな方はその山場を越えるまで暫くお待ちくださいね。


修行篇その4。
予想外に長くなってしまった。12月で終わらせる予定だったのになぁ。
とりあえずツバサの成長の第一段階まで進める予定です。


修行編その5。
かなり書くのに苦戦してます。ツバサで何度も書き直したのは初めてかもしれません。
もう少し追い詰める予定だったんですが、書くのが辛くなりそうなのでこんな感じになりました。
う~ん、それにしても11回か……。ここまで続くとは……。
本当に魔都侵攻というタイトルにしたせいですね。反省してます。


修行編その6&エピローグその1。
ナズナが仲間になります。という回。
子供の旅立ちなので、すんなり行っちゃあおかしいだろ。というわけでまた長くなりました。
久々に1日で書き上がった回。


エピローグその2&次話アバンタイトル。
ちょっと第六羽が間延びしてしまったので急展開を入れてみました。
相変わらずの即興なので、キャラ崩壊や、設定崩壊などは許してください。