異世界奇譚~翼白の攻略者~


ある日異世界で目を覚ました俺は、黒髪、着物姿の女の子と旅に出ることになった。見れば見るほどゲームみたいなその世界を救うのが俺の役目だって!? しかもチート能力はおろか、過去の記憶すらなくなった俺には打つ手なんかないじゃねーかッ!! 「だいじょうぶですよ、ツバサ様。無理に頑張らなくても私が一生懸命補佐しますから。一緒に頑張りましょう!」 ……いっそ、このまま養生生活を続けるのもありかなぁ……。っていやダメだろ俺!?


第七羽【魔徒信仰】①

 始まりの音(ね)を覚えているか――。

 それは、最近魔族たちの間でよく囁かれる言葉だ。
 シェリーたちも何度も耳にした言葉だ。
 訊かれるまでもなく覚えている。否、思い出さずにはいられない。それほどに鮮烈な記憶だった。
 謂わばそれは新時代の来訪だ。絶望の夜明けだ。希望の朝焼けだ。
 初めて生の実感を得た。初めて生きていることを喜んだ。初めてあんなに笑った。笑い方を思い出した。
 自分は、いや、自分たちはこんなふうに笑うのだと、知った。
 心に訪れる昂揚は、沸き上がる活力は、胸に溢れる暖かさは、こんなにも素晴らしいのだと知った。
 生きていることの素敵さを知った。命あることのありがたみを知った。
 幼馴染三人衆で、肩を取り合って笑った。
 シェリーはその瞬間を、一生忘れないだろう。

 魔族として生まれた。それだけで人生は最下層だった。
 赤ん坊のシェリーはそのまま雨晒しの路地裏に捨てられた。みすぼらしい恰好の赤ん坊を拾い上げる者なんていない。ましてや異形を宿した身体だ。拾い上げた者がいたとしても、すぐに放り捨てたことだろう。
 訳も分からず泣き続けた赤ん坊は、泣き疲れ、そのまま息絶えようとしていた。それを拾い上げたのは、魔族。シェリーは掃き溜めのようなスラムの中で、魔族と共に生きた。

 魔族とは、魔物と同じような異形を宿した人間の総称だ。元を正せばそれは同じ人なのだ。
 しかし、大きく異なる身体を持って生まれたがゆえに、疎まれ、爪弾きにされ、村八分にされる。問答無用だ。生まれた瞬間に迫害される。女も子供もない。人ですらない。惨めたらしい人生が幕を開けるのだ。
 そんな魔族たちは手を取り合って生き残り、縋り合って生き抜いていた。
 この街には多くの魔族が非公式に暮らしている。時折、魔族狩りなる狩人も現れるが、力を合わせれば逃げ果せる。そうして、彼らは生き抜いていた。

 そんな中に彼らはいた。
 シェリー。鴉翼族(クロウ・レイス)の少女。その濡羽色の瞳はニンゲンたちへの強い憎しみを宿しているかのようにどこまでも漆黒だ。
 ビリー。犬獣族(ドッグ・レイス)の少年。穏やかな風格に鍛え抜かれた身体は、体躯の割に凜々しい佇まいを見せる。
 ミケ。猫獣族(キャット・レイス)の少女。鋭い眼差しと薄い笑いを浮かべた表情だが、その爪は苛立たしそうにガリガリとテーブルを引っ掻いている。

「あーあ、さっさとニンゲン滅ばないかなー?」
「……もうっ、ニンゲンに聞かれたら面倒だからやめようよ……」
「にゃははー、こんなところにニンゲンは来にゃいにゃー。にゃにせここは、スラムの最奥にゃー」
「そういうことを言ってるんじゃなくって……」
「ほーんと、ビリーったら弱虫ねぇ。名前負けしてると思わない?」
「にゃはは、言えてるにゃ! チキン野郎にゃ! 焼き鳥ビリーにゃ!」

 談笑は虚ろに響いた。一度笑いが収まれば、世界はすぐに元の様相を呈す。陰鬱で沈鬱で物憂げな日常だ。
 そんな生活が生涯続くのだと、彼らはそう思っていた。
 ……まさか、それから一週間で解放されるだなんて、そんな予測ができるほど彼らは楽天的でも万能でもなかった。

 ドゴォォオオオーーーーーンッッッ!!!

 ……という爆音と共に城門が崩壊し騎士団は即座に壊滅。抵抗した住人は殺され、王族は中央広場で盛大に処刑された。
 自分たちを救おうともしなかった王族だ。今更死んだところで何とも思わない。少しせいせいしたくらいだ。良いザマだと、むしろほくそ笑んでいたくらいだ。
 魔王軍が自分たちを救ってくれた。ならば彼らに付き従おう。そう考える魔族たちは多かった。
 シェリーたちもそうした魔族の一人だった。
 自分たちと同じような境遇の魔族たちを救おう。ニンゲン族から魔族の平安を取り戻そう。
 幸い、魔族は戦闘能力が高い。それも疎まれる原因の一つだったが、今はそれが丁度良い。
 お前らが疎んだこの力で、自分たちは世界を取り戻す。平和に暮らせる世界を取り戻すんだと、彼らは決意した。
 志願兵として集められ、魔王様からのありがたいお言葉をいただき、彼らは斥候の任務に就いた。
 普段の素行や行いはバカ丸出しだが、彼らは優秀だった。やがて部隊長に気に入られた三人は、国境を越えての任務に赴いた。
 そこで待ち受ける邂逅も知らずに……。

 魔族は時に誘拐される。理由は様々だ。
 たとえば、奴隷として。たとえば、後ろ暗い趣味の玩具として。たとえば、新薬、新兵器の実験体として。たとえば、八つ当たり用のサンドバッグとして。
 人間でない彼らには人権などない。彼らを守る法律はないし、彼らを救う救世主もいない。弱者は淘汰される一方だ。
 シェリーたちもそういう現場に直面したことは一度や二度ではない。幸い、戦闘能力が高かったため、捕まることはなかったが、共に暮らす仲間たちは何人か連れ去られている。
 その後にどんな生活を送らされているかを考えると、シェリーの胸は痛んだ。こうして戦い続けることが救いになると信じて、剣を振るうしかない。
 だからこそ、彼らは直感した。魔族を連れた冒険者。そんなものは存在しない。ならば、共にいる理由とは何か。何かしらの理由で捕らえられた魔族なのだ。冒険者に扮した、誘拐犯なのだ。
 弱者は淘汰され、強者だけが贅沢に生きる。そんな現実はもう懲り懲りだ。シェリーとビリーは魔力を束ねる。

「清き水の流れよ……」
「猛き風の流れよ……」

 異なる二つの詠唱が、シンクロを開始する。
 自分の支配を逃れ、相手の支配と一体化し、通常の魔力行使と比べれば、異様な感覚がシェリーの身体を満たしてゆく。
 共鳴詠唱(シンクロ・スペル)。それは二人を特別たらしめたオリジナルスキル。
 通常、自分の魔力は他の誰にも支配できない。人の魔力は他人の魔力とぶつかると、弾き合う性質があるからだ。
 だからそれが防御魔法の根本の理論に応用されているのだが、二人の魔法はそんな常識を軽く打ち破る。
 弾かれ合う魔力を束ね、二人の力でそれを支配する。それは理論上でしか実現できない空論でしかないはずのものだった。
 支配を強めすぎれば、相手の魔力を弾いてしまい、支配を弱めれば相手に押し返されてしまう。
 同等の力で常に支配を与え続ける、その匙加減は機械のような正確さが求められる。第六感だけで成し得るような簡単な奇跡ではない。
 それを二人は当たり前のようにやってのけた。それは過酷な環境を協力して生き抜いたからこその奇跡なのかもしれないし、そうして育まれた絆が生み出す奇跡なのかもしれない。
 ただ、共鳴詠唱を果たした二人はそれだけで幹部候補と呼ばれるような地位にまで達した。
 彼らの努力がなかったとは言えないが、その技能こそが彼らをのし上がらせた一番の要因であることは疑う余地もないことだろう。

「……静寂を引き裂いて一つに集え……」
「……力を纏いて荒れ狂え……」

 魔力は絡み合い、大きくうねり始める。
 もっと力を込めることは可能だ。が、シェリーはそれをしない。何故なら、共鳴状態が維持しづらくなるからだ。
 大きな魔力を行使すればそれだけで自分は手一杯になってしまう。そうすれば相手に合わせるという部分が疎かになる。共鳴詠唱を果たす上ではある程度のゆとりは必要条件だったのだ。
 ゆえに、シェリーは慎重に魔力量をコントロールする。僅かに狂えばそれだけで魔法が瓦解しかねない。派手な見た目の割に、かなり根気の要る魔法なのだ。
 だが、それももう少しの辛抱だ。そろそろ、詠唱が終わる。
 充分な魔力が充填され、魔法式は完成しようとしている。
 シェリーの細い鼻筋から、一筋の汗が零れた。

「……踊れ、水風の巫女……ッ! ……とっておき、見せてあげるわっ!」

 掛け声は示し合わせたように同時だった。

「「シルフィスフィア!!!」」

 完成と同時に、少しだけ安堵の息が漏れる。
 魔力が解き放たれ、完成した魔法が、標的へと迫る。
 風と水が絡まり合いながら、龍のように敵へと伸びる。そのスピードは瞬くような速度だ。馬を使っても、風魔法で加速しても追いつけない圧倒的速度で、魔法が牙を剥く。
 遠方からの狙撃だったが、攻撃は読まれた。
 いち早く気づいた女騎士が魔法の前方に待ち構える。
 が、甘い。この魔法をたった一人で受けきれるとでも思っているのか。大の男でも20人はまとめて吹っ飛ばせる威力があるというのに。
 そして、案の定パーティーはバラバラに吹き飛ばされていた。直撃した水風の巫女こと、シルフィスフィアは着弾点から爆風で水と空気を周囲に撒き散らすのだ。この魔法は戦術級魔法と言える。采配次第で局地的な戦闘支配を可能とする。この魔法にはそれだけの破壊力が存在する。

「……やったかな?」
「あったりまえでしょ!? あたいを誰だと思ってんのよ!」

 しかし逸る気持ちもないではない。功を焦るわけではないが、死んだわけではないはずなのだ。当たり所が悪くなければ。
 あまり悠長に構えて、気絶から覚められても困る。二人は岩山から滑りながら降下した。

 身動きが取れない人間たちの中、一人だけ意識を失っていない者がいた。
 襲撃者の二人は、まだそれには気づかないままだった。

第七羽【魔徒信仰】②

 敗北の味は知っている。
 知らないわけがない。他ならぬ勇者に何度も舐めさせられた辛酸だ。
 この方を守ろう。自分の持てる限りを尽くして。
 ……それは、アリシアが過去に立てた誓いだった。

 意識の明滅は一瞬だった。アリシアは消え失せそうになる意識を全力で引っ掴んだ。
 全身を奮い立たせ、頭を強引に覚醒させる。
 考えろ。まだ、勝負は終わってはいない。諦めない限り、勝敗はまだ決してはいない。
 相手の攻撃は唐突だった。
 だが、防御態勢は間に合った。結果、すんでのところで対処ができた。
 もし、行動があとワンテンポでも遅れていたら……。そう考えると背筋が凍り付くような感覚が走る。
 敵は、まだ近くにいるだろう。攻撃は、これだけでは済まないはずだ。
 目的は不明瞭。所在も不明。人数も姿形も、一切が不明。
 分かるのは、明確な悪意を持っているということ。それだけだ。
 しかし、それだけで充分ではないか、とも思う。
 敵は、敵かもしれないという曖昧な存在ではない。紛うことなき敵対関係にある。
 ならば、迷いなど生まれない。守るべきものを守るため、戦い抜くだけだ。

 ――私は、守られるだけの存在ではない。私が、守り通してみせる……ッ!!

 アリシアは感覚を頼りに、槍を手繰り寄せる。その握り心地は、騎士の心を高ぶらせた。

――

 アリシアの防御態勢のお陰で事なきを得た俺たちは、敵がやってくるまでにどうにか体勢を立て直すことができた。
 それぞれが得物を構え、戦意は充分だ。
 そうして待ち構えていた俺たちの前へ敵が姿を現した。

 敵は……、二人組みたいだな。……って、油断は良くないな。まだ他にも隠れてるかもしれないんだし。
 一人は女の子だな。ローブ姿で、黒髪の目つきが悪い少女だった。
 もう一人は、……少年だな。どことなく柔和な印象を抱くが、存外に体型はがっしりしている。意外とパワーファイターかもしれない。
 ……というか、本格的に深刻な事実に気づいてしまったんだが、どうしよう。
 ……俺ってば、ちゃんとした対人戦の経験って、ほとんどないんじゃね?
 マグやナズナとのスパーリングぐらいしかないぞ。
 相手は確かに強者ではあったけど、未知数の相手と戦う練習はほとんどしていないような気が……。
 まずい。……どことなくまずい予感がしてきた。

 俺は、とりあえず戦闘態勢だけは取っておくが、全然先読みができない。
 まぁ、魔物相手にも先読みなんてロクにできはしないけど、心積もりがうまくできないというか。
 なんだろう、そわそわする。緊張している。ピアノの演奏会の直前はこんな気分なんだろうか。習い事してる女の子って、案外すげーな。

 ザッ! と、敵の少年少女が止まった。……アリシアの間合いを悟ったのだろうか。確かに、大体あの辺りまでは一足飛びで攻撃できそうな間合いだな。……それを悟るとは、敵も雑魚ではなさそうだ。ってまぁ、初撃の威力から分かりきったことではあるんだが。

「……どうやら、一筋縄ではいかないみたいね。ビリー、作戦チェンジよ。タイトルは……、そうねぇ。……『誰が為の橋渡し』で」
「分かった……」

 少女と少年の遣り取りは良く分からん。暗号だろうな。橋渡し……?
 なんて、首を傾げてるような悠長な時間はなかった。
 バッ! と少年は手を振り上げるとそのまま詠唱を始める。
 詠唱魔法。マグもナズナも使わないから、俺にとっては初見に近い(厳密にはアリシアや孤児の何人かの使う詠唱魔法は見たことあるが)。咄嗟の対応が分からない。くそ、経験値の低さが露呈しまくってる気がしまくってる感じだ。

「惑い揺蕩う風の精霊……、吹き荒ぶ魍魎の権化……、抗いし螺旋の番い……、十二の檻に抱かれ久遠の夢に堕ちろ。狂乱の旋律、テンペストエンド!!」

 対応したのは、ナズナ、アリシア、菊花。つまりは俺以外だ。アリシアが暴風の激流をその槍で受け止め、菊花がそれを魔法の併用か何かで支えている。ナズナは、俺を庇うように前に立ち、魔力の障壁で身を守る。
 が、威力がハンパない。俺たちの動きは一瞬でも止まらざるを得ない。が、その一瞬こそが最大の隙だった。
 敵は、単独の術士じゃない。当然崩しのあとは、もう一方が攻めに転じる。俺たちはそれに対して、誰も対処できなかった。
 風を受けて飛ぶように飛来してきたのは、もう一人の少女。ローブの下には漆黒の翼が。追い風を受けて凄まじい速度で飛行していた。
 その腕が、俺の正面で佇んでいたナズナを引っ掴み、もう片方の手が、俺へと伸びていた。
 そこから突如受けることになる、強力なG。あまりのことに俺は平衡感覚を失い、抵抗もできなかった。
 しかし、ナズナは反応する。雷撃を、自分を掴んでいる右手越しに放つ。

(やったか……?)

 直撃すれば、硬直は免れない。あわよくばしばらく麻痺することだってあるだろう。ナズナの雷魔法はそれくらいの威力がある。
 が、敵の飛行は止まらない。むしろ反応すらないような……?
 ナズナが自分を掴むその腕を見て、驚愕の表情を浮かべている。……そういう顔もできるんだな。って、ほっこりしてる場合じゃあ、全くないけども。
 腕には、金属製の爪が嵌められていた。それの所為か……?

「……金属ならなんでも電気を通すとでも思った? 勉強不足なんじゃないの? ……お子様」

 悔しそうに何度も雷撃を放つが、翼の少女には全く届いていない。絶縁仕様らしいな。敵さんも相当に優秀らしい。が、無駄な抵抗を続けるナズナを愉快げに見つめるその顔は、同レベルの子供っぽい気もする。
 ともあれ、俺はGに圧殺されながら少女に抱えられつつ、風魔法で飛ばされ、ナズナも反対の手に抱えられたまま、雷撃は効果もない。つまりは二人揃ってお持ち帰りされたことになる。
 菊花は? アリシアは?
 自由の利かない身体で必死に視線を動かし、その姿を見つけるが、一瞬で遠ざかっていく。
 悲痛に何かを叫ぶ菊花の表情が痛ましい。……まるで、永遠の別離のような。
 そんな馬鹿げた話があるのか。こんな唐突に、終わって良いのか。
 そうは思っても、抵抗は悪足掻きにしかならなかった。俺とナズナは圧倒的な速度で拉致られた。どーせ拉致られるならお嬢様学校に庶民サンプルとして拉致られたかったものだ。
 俺は、遠くなる意識の中そんな諦観に満ちた思いを巡らせていた。

第七羽【魔徒信仰】③


 俺は今、猛烈に眠い。冬眠前のクマと同じくらい眠い。なんなら永眠しそうなくらいに眠い。日暮熟睡男さんと同じくらい眠い。
 だが、俺を眠りから呼び覚まそうとする悪逆の使徒がいる。ユサユサと身体を揺さぶる感覚に、心地よい眠気が身体から奪われようとしている。
 おのれ、魔王め! 平和だけでなく、心の安寧まで奪おうというのか! なんという傲慢! 天罰を受けるが良いのだ!

「……むにゃ、天罰……」
「……てんばつ……って何、です……?」

 ……は……? 何を言っているんだ、お前は?
 天罰ってのは、あれだよ。天に代わってお前らを討つという意思表示……ってそれは天誅か?
 ならば、天がお前らを討たなくとも自分が裁きを下すという意思表示……それは人誅だな。
 ……さすがに段々目が覚めてきたな。ここは何処で、俺は誰だ?

 確か俺たちは魔王を倒せるかどうか確かめるために、まずは情報収集を行う予定だったはずだ。
 そこへ近づく途中……、そうだ。謎の少年少女に攻撃を受けて、俺はそのまま捕まった……?

「ナズナ……?」
「はい、呼んだ、です……?」

 寝ぼけ眼にぼやけたナズナの輪郭が見える。ナズナは横たわった俺を気遣わしげに見つめていた。
 乱暴されてはいないだろうか……。と思ったのだが、見たところ外傷はなさそうだった。
 ……だが、身体を起こそうとして……ガシャリ。背中越しに嫌な感触があった。……手錠かよ。こりゃ、完全に捕まったっぽいな。
 見たところ、ナズナのほうにも手錠がされていて、二人揃って同じ牢屋にぶち込まれたって感じらしい。
 さて、周囲は……っと。
 頑丈な鉄格子。石造りの壁。格子窓から僅かに日の光が入ってきている。脱出は困難そうだな。
 格子の外に人の気配はない。四六時中見張りを立てるようなことはないのだろうか。某スネークみたいに腐った食べ物を渡して見張りを遠ざけるとか、ある程度親しくなって交渉してみるとか、そういう手段は難しいか……。
 節々が痛むがバランスの悪い体勢でなんとか立ち上がり、まずは壁を叩いてみる。……丈夫そうだな。まぁ、そんな簡単に壊れるような部屋に普通閉じ込めたりはしないだろうが。
 格子のほうも丈夫だった。もちろん新品な訳はないんだが、古ぼけた、という感じでもない。ちょっとやそっとの衝撃ではビクともしないだろう。
 ……どうしたもんかな。

「なぁ、ナズナ」
「……はい、です」

 ナズナは律儀に返事をよこす。この状況でもあんまり焦った様子はない。さすがというべきなんだろうか。危機感がないだけかもしれないが。

「俺が意識を失っている間に、何があったか分かるか?」
「……はい、です。ナズたちを捕まえた魔族の人たちが、ナズとバサ兄の手首に輪っか嵌めた、です。ナズのは特別製で電気が通らないって言ってた、です。それから、牢屋の鍵も特別製で、電気効かないって言ってた、です。試したから間違いない、です」

 ……試したのかよ。しかし、わざわざ特別製を用意するってことはそこまで下っ端ではないのかもしれないな、あの二人組は。子供の身分でも実力さえあれば上へのし上がれるってことか。新造の組織らしく、風通しは良いらしいな。
 それはさておき、電気が効かないってことは、スパークさせて焼き切るみたいな対処法は無理っぽいな。ナズナが試してるならその通りなんだろう。手厚い歓待ありがたいこって。

「ナズの魔法、もう一回使ったけど鳥の人には効かなかった、です。……水の魔法は電気を通さないって言ってた、です」

 水の魔法……? 電気は通しやすそうだが……? いや、待てよ。確かに真水なら水は通しにくい。魔法で生み出した魔法なら不純物も少ないんだろう。だったら、絶縁体は言い過ぎだが、抵抗値は高そうだ。それに通ったとしても水伝いに通過してしまう。電気の通り道を作られれば電撃は無意味になる。電気に対する対策がやたらと上手なのが多少気に掛かるが、とにかく、通用しないのは仕方がない。他の手を考えるしかあるまい。
 ……ひょっとして、俺の手錠は、特別製ではないのか……? 感電は怖いが、特訓中何度も感電している。俺の手錠だけならなんとか焼き切れるかもしれないな。
 だが、それはもう少し待ってからだ。今、手錠を切っても見つかれば他の手錠を用意されるだけだ。痛みに耐えた甲斐もなくなってしまう。

「それから鳥と犬の他に、猫の人もいた、です。にゃーにゃー言ってて偉そうだった、です。あいつが親玉、です」

 ……どうやら三人組だったらしいな。鳥は俺を捕まえた少女で、もう一人が犬、か? そしてもう一人が猫、と。にゃーにゃーが良く分からんが人語を解さないわけではないだろう。語尾ににゃーが付いてたとかそんなんだったらいいな。癒されるな。心のオアシスだな。けど、現実問題ないだろう。そんなのは二次元だけの存在だ。夢を語るのはここまでにしておこう。未来の囲碁界はまだまだ明るいな……というおっさんの台詞が思い起こされる。極めて一部にしか分からんだろうが。

 ……などと考えていると、コツコツ……と、足音が聞こえてきた。親玉さんのご登場かな?

「にゃははー、新居の居心地はいかがかにゃ、旅の御仁?」

 なん……だと……ッ!
 まさか、本当に猫語喋ってやがる……! 一度は諦めた夢だったのに、こうも簡単に叶っていいのか? これがファンタジー世界の本領発揮ってやつなのか……!?

「……どうしてナズとバサ兄を捕まえる、です!? 早く出す、です!」

 ナズナがここまで声を荒げるのは珍しい。俺のためにここまで怒ってくれてるのだろうか。……なんて考えるのはやめておこう。きっとお腹が減ったとかそんなところだろう。これ以上夢を見るのは傲慢というものだ。

「にゃはっ! それは無理にゃ相談にゃー。そんにゃ簡単に逃がしたら捕まえた意味がにゃいにゃ」

 猫語の魔族は勝ち誇ったようなドヤ顔で俺たちの前に仁王立ちしている。
 見た目は、……まぁ可愛いな。ピンと伸びた猫耳がよく似合っている。

「……目的は何なんだ? ナズナは同じ魔族なんだろう?」

 言った瞬間、ナズナが少しだけ竦んだが、そこからは強引に視線を逸らす。ナズナは魔族であることを隠したがっているからな。例えバレていたとしても、あまりおおっぴらにはしたくないようだ。……許せ。

「そうにゃ。だが、お前はニンゲンにゃ。薄汚いニンゲンが魔族を連れるには訳がある。それを白状するにゃ。さぁ、何が目的にゃ? 誰かと取引でもするつもりだったのかにゃ?」
「取引……?」
「そうにゃんだろ? それとも譲歩にゃ? 魔族を一人返すから、自分たちには手を出すにゃとか、そういう交渉をしに来たのかにゃ?」

 ……はなから俺たちが仲間だとは考えていないみたいだ。初めからそういった思考が存在していない。そこまで異様なことなのか? そこまで人種の差は大きいものなのか? これほどまでに問題は大きいものだったのか?
 ……こんなに開いていたのか、魔族と人族の、種族の間は。

「その娘は、ウチらが引き剥がそうとしても決して離れようとしにゃかったにゃ。見上げた忠誠心だにゃ。そんにゃ娘を奴隷のようにこき使い、使い潰すニンゲンをウチは絶対に許さにゃいにゃ」

 ナズナは、そんなこと言わなかったな。そうか、引き剥がそうとしたのか。それをナズナは懸命にしがみついて拒んだ。……普通なら、魔族を救うと謳うヤツらのことだ、魔族と人族を同じ牢には入れないだろう。
 ナズナが拒んだから、俺たちは一緒にいられるのか。
 ナズナを見ると、少しだけ顔を赤らめて視線を逸らされた。ういヤツめ。

「もうすぐ拷問の用意ができるにゃ。それを楽しみに待ってるにゃ。お前らの目論見を、一網打尽にしてやるにゃ! にゃっははは!」

 言うだけ言うと、猫は引っ込んだ。
 「バサ兄……」と、ナズナは俺の服の裾を引っ張る。
 (バサっち……)と、頭上で声が聞こえる。
 っていうか、シロ……。お前いたのかよ。
 ……だが、他には誰もいない。
 頼れる騎士様も、大切な従者もいない。
 他にも何か荷物が減っているような気がするし……。そのうえ、もうすぐ拷問だと……?
 某スネークさんのゲームで鍛えた連打力は、きっと役には立たないだろうしなぁ。
 俺は物憂げに格子窓を眺めるしかなかった。しかし、格子は鈍く冷たい光を返すばかりだった。

第七羽【魔徒信仰】④

 格子の間隔はそんなに狭くはない。大体10センチくらいだろう。人間の身体はまず通らないだろうが、それ以外なら話は別だ。
 ぎゅむぎゅむむーと押し込んでみるが、なかなか通過してくれない。思ったよりも難しいな……。
 この格子を抜けなければ、待ち受けるものは拷問だ。きっと裸に剥かれた上で電気地獄の刑だ。おのれ、オセロット……!
 だからこそ焦る。気が気でない。どうにかしなければ……!
 どうにかして、この格子を抜けなければならない。俺は渾身の力を込めてそれを格子へと食い込ませる。

(イタタタタタッ! 痛い!! 痛いっすよ、バサっち!)
「うるせえ。とっとと通り抜けろ! 俺たちの命運はお前に掛かっているんだ!」
(分かったっす! 任せるっすよ! ウオオオォォォォ!!!)
「……がんばれ、です。……シロ」
(……ぁあああああ! ほっぺたがッ! ほっぺたがちぎれるっす! めっちゃ痛いっす!)
「もう少しだ、頑張れ」
(無理っす、限界っす! 他の作戦考えるっすよ!)
「どうしてそこで諦めるんだそこで! 頑張れ頑張れやればできるもっと積極的にポジティブに頑張れ頑張れ!」
(ダメっす! もう無理っす! 死んでしまうっす~~ッ!!)

 20分ほど格闘したが、シロは格子を抜けられなかった。名案だと思ったんだけどな……。

(どこが名案っすか……)

 シロは力尽きたまま転がっている。この役立たずめ。
 大体「~っす」「~っす」って煩いんだよ。お前は四不象か。カタカナじゃなければいいってもんじゃないんだよ。これでご主人呼ばわりされたらまたパクリみたいになるだろうが。ついでに性格が変身前と変身後を足して2で割ったような性格だから尚更な……。

「お疲れ、です。シロ……」

 ナズナは、シロを肩をぽんと叩く。……いや、肩かな? 頭かもしれない。いや、ひょっとしたら腰か? ……良く分からんが、たぶんその辺のどっかだろう。身体がまるっこいもんだから部位の名称がさっぱり分からん。
 まぁ、とりあえずはどうでもいいか。ウサギは可愛いが、喋ると微妙だ。俺はこいつを可愛らしくは感じられない。菊花はどうして大丈夫なんだろうな。不思議だ。

 ……そういえば、菊花だ。アリシアもだが……。あいつらは今頃どこにいるだろう。俺たちを探しに来てくれてるのかな。だったら嬉しいな。
 今までゆとりたっぷりの冒険だったんだ。ここでこんな急展開はあんまりだ。あいつらがいないと俺は本当に何もできない。
 ……かといって、待ち続けたとして、それでどうなる? 本当に助けは来るのか? そもそもあいつらは俺を見つけられるのか? あんなふうに突然攫われて、探し当てることなんてできるんだろうか。
 菊花もアリシアも優秀だ。やってのけそうな気もするが、常識的に考えれば、まず助けは来ないはずだ。場所も不明だし。
 そもそも俺はどれくらい気絶していた? あれからそんな離れた場所まで移動できる時間があったのか? 魔法を併用しての移動もあるだろうが、それにだって限界はあるはずだ。十中八九、それほど離れてはいない。大まかに見積もっても半径5キロ圏内くらいだろう。
 その中に建物は少ないはずだ。ましてこれだけの規模ならば尚更だ。巧妙に地下に作られた建物だとかいうオチでもない限り、すぐに見つかる。とすれば、意外と助けは早く来るかも……?
 ……あんまり期待しすぎるのもあれだが、まったく希望が見出せない状況ではなさそうだ。
 となれば問題は、拷問か……。それを如何にして避けるか。……結構難題だな。

 そうして俺が思索に耽っていると、ナズナはどうやら聞き耳を立てているようだった。……何を聴いているんだ?

「なぁ、ナズナ」
「……はい、です」
「何が聞こえるんだ……?」
「聞こえそうで……、聞こえない、です」

 魔族の聴力をもってしても聞こえないなら、手の打ちようもないんじゃないか? 狼の耳よりも良く聞こえそうな耳と言えば……。……ん……?

「なぁ、シロ。もしかして、お前なら聞こえるんじゃないのか?」
(おおっ! 頼ってもらえるっすか!? よーし、オイラに任せるっすよ!)

 …………。
 
「で、どうなんだよ?」
(……済まないっす)
「ああん!?」
(ああっ!? ちょ、ちょっと待つっす! ほっぺたを摘ままないで欲しいっす! さっき抉れかけたばかりなんすから! それと聞こえるんすよ! 聞こえるっすけど、何言ってるのか分からないんすよ!)
「はぁ? 何語で喋ってるんだ? お前には分からない言語だってことか?」
「……バサ兄、シロはあんまり人間の言葉が理解できない、です。ナズたちとは何度か話してるから分かるんだけど、あんまり話したことのない人だと上手く分からない、と思う、です」

 はぁ、肝心なところで使えないウサギ様だな。もしかしてウサギにも熟練度が設定されているんだろうか。こいつらもメニュー画面を開けるってのか? そうなると人間と魔物の境界すら曖昧になるな。……そうすると魔族も……、ってこの話はひとまず置いとくか。
 とにかく、熟練度か何かは知らないが、シロにはその話し声とやらが理解できない。それは俺たちが聴けば理解できるのかどうかも不明だが、俺は最初からこの世界の言葉を聞くことができていた。そう考えると、例え他の言語で話していたとしても俺には理解できる可能性が高い、か。
 だが、話し声なんか聞こえるか? 耳を澄ましても聞こえるのは無音だけだ。自分たちの起こす音が空虚な空間に響くばかりだ。俺に見える範囲は狭い。格子から見える回廊はすぐに曲がり角にぶつかっており、広いのか狭いのかも判然としない。ただ、漠然と広そうだとそう結論づけていた。その先に何がある? どういう空間が広がっているんだ?
 耳を澄ませ、音の反響に耳を傾ける。なんとなくだが、相当に広い建物だ。回廊はぐるぐるとうねって続き、その先から、何かの気配を感じる。これか……? ここから話し声がするってのか……?

「聞こえた、です……!」
「本当か!?」

 これで脱出できる……。いや、脱出の糸口にしかならないだろう。いや、内容如何によっては何の意味もないことだって考えられる。

「あれ……? 聞こえない、です……?」

 おいおい、何だよ。無駄に期待値煽りやがって……。
 しょうがない。やっぱり俺が気配を探るべきか……。

「あ、れ……? また、聞こえる……です……?」

 あん? 何言って……。
 !!? もしかして……!
 俺が息を吐くと、ナズナはまたも戸惑いの声を上げる。あんまり虐めるのも可哀相だな。よし、よ~く分かったよ。これも俺の所為だったんだな。

 無詠唱魔法。それは叶えたいと思った行動に、魔法が補助的に働き願いを叶えようとする効果がある。
 もちろん、叶えられる願いには限度があるし、無意識とはいえリソースは消費している。魔力を、垂れ流している。
 耳を澄ませば、魔法の世界に行けるだなんて、どこぞの劇場アニメ化した少女漫画みたいだが、それは少なからず現実に即した事象であるらしい。
 俺は耳を澄ました。音を聞こうとした。その結果、風が空気を収束し伝達を活性化させていたんだ。風で音を届けたんだ。その僅かな距離でナズナには十分な効果があった。いまいち聞き取れない言葉をはっきりと聞き分けられるくらいに。
 結局俺には聞こえてないんだから、あんまり効果的とは言いがたいが、魔法はしっかり機能している。
 音は空気の振動だから、風で空気自体を動かしてしまえば、音の聞こえる範囲は増大する。可聴範囲を大きく引き延ばすことだって可能なわけだ。もう少し応用すればいろいろできるかもしれないな。……犯罪臭がハンパないが。

「ナズナ、聞こえるか? なんて言ってる……?」
「……待って、です。……えっと……」

第七羽【魔徒信仰】⑤

 石造りの砦は、混沌としていた。
 かつては関所として使われていた建物だ。騎士や役人がいざという時にも滞在できるよう最低限度の生活用品はあるのだが、魔族の強襲により元の持ち主は今はいない。
 そこへ新しくやってきた魔族たちが資材を運び込み、駐在できるようにしている。その結果、新しく運び込まれたものと、元からあったものとが混在しており、物品の所在は誰にも把握できていない。
 シェリーたちが行儀悪く腰掛けているテーブルも、脚が折れ掛けて、斜めに傾いている。それを補修するわけでもなく、使い潰すように上から腰掛けているのだから、財布のヒモを握る者が見れば卒倒しかけない光景かもしれない。

「……それで? あいつらはどうするわけ?」

 杯を空にしながら、シェリーは話を続けた。

「にゃはっ! まずは拷問にゃ-。どーせ、チンケなニンゲンのことだから、すぐにゲロっちまうにゃー」
「……そうだといいけど……」

 軽い反応を見せるミケと、重い雰囲気を纏うビリー。様子は対照的だった。
 シェリーからすれば、ビリーの態度は弱々しくてどこか気に入らなかった。

「なぁに? ビリー、あんたひょっとして不安なの? ほんっと、腰抜けなんだから!」
「にゃははー。そう言ってやるにゃよ、シェリー。部隊ってのは意見に多様性があったほうが生き残りやすいにゃー」
「それを纏める優秀な人材がいればの話でしょ? アンタにそれができんの?」
「……おっと、これは一本とられたにゃー」

 ふう、とシェリーは溜息を吐いた。
 少し軽くなった場の雰囲気を破ったのは、ビリーの一言だった。

「僕は……、拷問なんて、気が進まないよ……」

 そんな発言に、反発したのはシェリーだった。

「アンタ、バッカじゃないのっ!? あたいたちがニンゲンにされてきた境遇から思えば、こんなのへみたいなもんでしょうが!」
「……さすがにウチも呆れたにゃ-。ビリーはキングオブチキンだにゃー。最優秀チキン賞受賞おめでとうにゃー」

 仲間たちの反発を受けても、ビリーは頭を縦には振らなかった。その頑なさは、長い仲間である二人にも、良く分かっていることでもあった。

「……分かってる。過去に受けた屈辱を忘れたわけじゃないよ。それでも、ただ同じ事をやり返すだけなのは、どこか違うように思うんだよ……」

 肩を竦めつつ、仲間たちは説得を諦めた。少なくとも、この場では無理だろう、と。

「……やれやれ。仕方にゃいやつだにゃ。いいにゃ、そこまで苛烈には虐めにゃいにゃ。ちゃんとほどほどでやめとくにゃ。それでいいかにゃ?」

 ビリーは僅かに頷くと、絞り出すように「……うん」とだけ答えた。
 俯いたビリーには見えないところで、ミケは口元を緩めてみせた。シェリーにもその嗜虐的な笑顔は確認できた。ビリーだけが、それに気づいていない。

「……そうね、ミケ。お願い。あたいだと加減できそうになさそうだからさ……」
「そうにゃそうにゃ♪ ウチに任せておくにゃ。大船に乗ったつもりでいるといいにゃ」

 ミケはそういうと立ち上がり、扉へと向かった。その扉を閉める間際、思わず笑いが込み上げそうになるのを我慢するように口元に力を込めていた。
 扉を閉めた途端、ミケは身体をよじらせて笑う。笑い転げる。

「にゃっははははは!! 面白すぎてお腹が痛いにゃあ! 相変わらずビリーはメンドクサイけど、にゃーに、アイツが見てにゃいところで何しようが、見つからにゃければどうということはにゃいにゃー! 拷っ問☆ 拷っ問☆ にゅふふ、拷問器具は何・が・あ・った・か・にゃー♪」

 不気味な嗤い声が、暗い砦の底でこだましていた。

――

「――って言ってる、です」

 おいおい、正直言って聞きたくなかったよそんなの。どうして拷問受ける直前でそんな嫌な話を聞かなきゃいけないんだよ。つーか、そんなの一字一句正確に伝えなくていいんだよナズナたん。子供らしい辿々しい物言いで、そんな物騒な発言聞いても冗談にしか聞こえないんだよチクショウ。頼むから「……っていうのは冗談、です」と言ってくれ。頼むから。
 だが、俺の必死の願いも空しく、ナズナは口を噤んだままだ。……酷すぎる。

 それからしばらく沈鬱な面持ちで時間を持て余していると、足音が近づいてきているのに気づいた。
 相手は誰なのか。一瞬期待はしたが、まぁやはり考えるまでもなく相手は友好的な相手ではない。例の三人組だ。

「さぁ、白状する気ににゃったかにゃー?」

 あからさまな作り笑いで微笑みかける猫娘に、俺は頭を振った。

「白状するも何もない。俺たちは仲間なんだ。仲間と共に旅をして何がおかしい?」

 ……そんな俺の言葉に、ピシリと空気が重くなるのを感じる。……逆鱗に触れたらしいな。

「……にゃかま? いま、仲間って言ったにゃ? 魔族というだけで迫害してきたニンゲンが今、仲間って言ったにゃ?」

 ……誰でも良い気分なんだ、別にお前でも。とか言いそうな目つきだ。こんなにも明白な殺意は初めてだ。これが人間が人間に対して向ける眼差しなのか? 十四歳前後の女の子が向ける目つきなのか?
 ……どうにも説得は不可能みたいだ。仲を取り持つなんて、どうすればいいんだよ、これは。

「ふざけるにゃよ、ニンゲン。お前らの仲間っていうのは、徒党を組んで迫害するためだろうが。ウチらから何もかも奪い尽くすためだろうが。そうして作り上げたのが今の世の中だろうが。ウチらには何もにゃい。何も与えられにゃい。何ももたらされにゃい。何も認められにゃい。命も、尊厳も、希望も、夢も、全部奪われたにゃ。お前らが、笑いながら簡単に踏みにじったにゃ!」

 さすがに肉球はないが、爪の長い手が、俺の首を掴む。爪が深々と皮膚を裂く。赤い血が流れる。血の色は同じなのに、どうしてこうも違うんだろう。俺には理解できない。これが、差別? 人種差別ってこんなに絶望的にわかり合えないもんなのかよ。
 絞められた首は痛いし、苦しい。けど、一番痛そうなのは、目の前の少女だ。一番苦痛を抱いているのは、間違いなく彼女だ。その瞳がどんな過去を宿しているのかは知らない。だが、深い悲しみを宿しているだろうことは考えるまでもなく理解できた。

「にゃんにゃら、今ここで殺してやっても……」
「……ダメだよ、ミケ。……それはいけない」

 犬耳の少年は、眉をひそめながらミケを制止した。もう一人の黒翼の少女はというと、鋭い目でじっと俺を睨んでいる。……この子も説得は不可能っぽいな。
 説得するなら、この少年のほうだろう。……だが、少しだけ迷うところだ。
 俺には一つだけ作戦がある。ここを脱するための作戦が、な。
 けど、この少年にそれを実行すれば、きっと傷つけてしまうだろう。だが、実行できるのはこの少年に対してのみだろう。……逃げるためには、仕方ないことだ。せめて上手くいくことを祈るとするか……。

「…………ん、そうだったにゃ……」

 ミケが手を引いた。俺は咳き込みながらも、視線だけは逸らさずに注意深く見据える。……チャンスは訪れるだろうか。

「さて、これから尋問をするにゃ。その間、外の見張りをお願いしたいにゃ」
「あたいは、夜目が利かないから無理よ。ビリー、お願い」
「……うん、分かったよ」

 ビリー少年はそのまま牢屋から遠ざかってしまう。頼みの綱なのに……。早くも作戦危うし、か……?
 そして、ミケと、……シェリーだったか? 二人の少女は残酷な笑みを浮かべていた。
 ……どうか無事で済みますように……。俺は叶いもしない希望を見えもしない星空に願った。
 そうして始まったのは、俺が初めて目にする、そして、初めてその身に受ける、本物の拷問だった。

第七羽【魔徒信仰】⑥

 ニンゲン。
 その手に殴られたこと多数。振り上げられた拳は遠慮無く自らの身体を打ち据えるものだ。
 ニンゲン。
 その目は、自分たちを同族とは捉えていない。それどころか言葉が通じる分より辛辣な扱いを受けてきた。
 ニンゲン。
 その足音は恐怖を想起させる。ニンゲンは集まり暴力を働く。ひとりひとりはそれほど強くはない。が、圧倒的優位に立つと、その本性を露わにする。
 憎い。憎い。憎い。大切なものを踏みにじられた。笑いながら奪われた。当たり前だと言わんばかりに酷い境遇に晒されてきた。それにずっと耐えてきた。
 ……何のため? ……決まってる。復讐のためだ。
 味わった苦痛を、屈辱を、返してやるためだ。思い知らせてやるためだ。
 そのために牙を研いだ。魔法という名の牙を研ぎ続けた。その結果が、この今のポジション。遊撃隊の一員としての、シェリーの立場を生み出した。
 そして、今。復讐の機会が訪れた。
 ……だが、決して初めての復讐ではない。こうしてニンゲンと相見えるのは一度目ではない。
 無様に泣き縋るニンゲンに、復讐の牙を突き立てる。最初はやり過ぎて、上司に叱られたような気がする。夢中だったから、シェリーはあまり覚えてはいないのだが。
 それ以降、シェリーは拷問・尋問は禁じられている。シェリーとしてはあまり納得はいっていないのだが、今の立場を失うのはなかなかにもったいない。平時なら三食しっかり摂れるこの生活を捨てるのは勇気が要る行為だ。
 それに、復讐ならミケやビリーにだって行える。それを見るだけでも溜飲は下がるだろう。

 シェリーは思考を切り上げ、視線を上げる。
 天井から吊された鎖。部屋の中央にはシャンデリアと形容するにはあまりにも物騒なものがぶら下がっている。
 捕らわれた男は手首を鎖に繋がれ、頭には恐怖心を煽るための麻袋が掛けられている。脚は地面につくかつかないかのギリギリのところ。背伸びするように男はぶら下がっている。
 男の前にはミケが立っている。腕を組んだミケの表情はここからでは読み取れないが、きっと楽しそうな顔をしていることだろう。ωみたいな口元が簡単に思い浮かぶ。
 シェリーはもう一人の少女を捕まえている。一人称がナズだから、きっとそれが名前なのだろう。……いや、男が確かナズナと呼んでいたような気がしたか。では、ナズナが名前か。……まぁいい。
 少女は未だに忠誠心が高い。それほどまでに庇うからにはやはり人質でも取られているのかもしれない。家族を人質にとって言うことを聞かせる、ニンゲンのやりそうなことだ。
 男を助けようともがく少女を、シェリーは力尽くで押さえ込む。……あまり手荒な真似は魔族相手にはやりたくないが、抵抗されるなら仕方がない。ここで逃げられれば面倒なことになるのは分かりきっているからだ。

「……さて、一応改めて訊いておくけど、どういう企みがあってここへ来たのか。魔族を連れていたのか。白状する気はにゃいのかにゃ?」
「……何度も言ってるだろ。ナズナは仲間だ。ここへ来たのは……」

 男は、少し言い淀んだ。目的は、なんだ? 話したくないというのか?
 しかし、やがて観念したように男は告白した。

「……目的は魔王たちの情勢を探るためだ」
「……少しだけ正直ににゃったようだにゃ。……でも、もっと喋ることがあるはずだにゃ!」

 バリバリッ!! と空気が振動する。ミケが電撃を放ったのだ。奇しくもミケとこのナズナという少女の得意魔法は同じだ。無詠唱を使えるというところまで。
 だからこそ、シェリーたちは電撃に対する対策を知り尽くしていたし、対抗できたのだが、この男にはそういった準備はなかったらしい。……想像力まで貧相なようだ。実に愚かしい。

「バサ兄ッ! うぅ、放す、ですッ!!」
「嫌よ。……分かる? これもアンタに対する拷問の一種なのよ? あの男は死ぬわ。少なくとも戦闘は行えないくらいには痛めつける。そして二度と故郷の土を踏むことはない。だからアンタもあんな奴見限っちゃいなさい。……大丈夫よ、例えアンタが人質を取られて言うことを聞いているだけだとしても、アイツが死ねばそんな約束は反故になるでしょ? 違う……?」
「バサ兄ッ! バサ兄ッ!!」

 少女の忠誠心は依然高い。……この男が死ぬくらいでは、彼女の鎖は外れない……ということなのだろうか。だとしたら面倒だ。この男の背後関係を洗って、人質を完全解放しないと、彼女は敵になり続けるということだ。
 敵としては、脅威ではない。だが、同じ魔族が敵にいるというのはできるなら避けたい。魔族のために戦っているのに、魔族と戦わなければならないだなんて、矛盾している。
 どうにかして、この男の持つ情報を全て奪わなければ……! シェリーは一人、焦りを感じていた。

「ゲホ、喋ること……? アンタらは俺から何を訊きたいんだ?」
「……詮索するのはこっちにゃ! てめえはウチらの質問にだけバカみたいに答えてればいいにゃ!」

 バリバリィ!! 再び雷撃が男の身体を貫く。……少し焦げ臭いような……。やれやれ、ミケも加減を知らないらしい。そんなことを考えながら、シェリーの顔も僅かばかり綻んでいる。
 男は情けなく悲鳴を上げている。口調は強がっているようだが、この調子ならすぐに音を上げることだろう。
 ミケが電撃を止めると、男は肩から息をしていた。本当に弱々しい。所詮ニンゲンなんて、一人ではこんなものだ。集まれば恐ろしいが、個々の能力は著しく劣っている。

「……ハァ、……ハァ、……ハァ……」
「どうにゃ? 気持ちいいかにゃ? 続きが欲しいにゃ?」

 ミケは随分とノっているようだ。いいな、あたいもやりたいな。シェリーは少しだけ拷問が禁じられている立場であることを恨んだ。
 男のほうは、そろそろ限界だろう。さて、どんな泣き顔を見せてくれるのやら。シェリーは袋に収められたその顔を覗いてみたい心境に駆られた。
 が、男は頭を振っていた。

「……ゲホゲホ、……ハァ……うぐ。……ああ、まだ……足りないな。……もっと……強くしてくれても……いいんだぜ?」
「……ほぉう。なら、遠慮せずに味わうがいいにゃ!!」

 バリバリバリィ!! 遠慮なく放たれるミケの高圧電流。部屋の焦げ臭さが一段と濃くなる。……あーあ、この男は死んだな。シェリーは少しだけ残念に思う。どうせなら、自分が殺したかった。この手で、終わらせてやりたかった。

「ぐああああああああああああああああああああ!!! ぅああああああああああああああああああああああああ!!」
「バサ兄ぃぃいいいいいい!!!」

 男の悲鳴と少女の悲鳴が響き渡る。それは美しい不協和音。魔族だけに与えられる至福のメロディ。復讐の福音。
 思い知れ。この痛みが、この痛みこそが、魔族の味わった苦痛そのものなのだ。
 愉悦に嗤うミケとシェリー。復讐に酔った狂乱の宴。人の肌が灼けた匂いが、空間を密に満たしていた。

 だが、宴は突然に終わりを告げた。扉が乱暴に開け放たれ、水を差されたからだ。

「何を……、何をやっているんだよ二人とも!!」

 少年は静かに怒りを向けて、仲間へと立ちはだかっていた。
 なんて、間が悪い。本当に、本当に……。

「邪魔ばかりしやがって……!」

 篤い友情に結ばれた強固な絆に、ピシリと亀裂の走る音が聞こえた。

第七羽【魔徒信仰】⑦

 気づけば。本当に気づいたらの話。
 焼け焦げた臭いの充満する部屋で、男の衣服はボロボロになっていた。被らせた袋は、まだ視界を封じるという役割は担えているものの、身じろぎ次第で落っこちてしまいそうな不安定な状態だ。
 その有様は、苛烈な拷問の後のように見えなくもない。
 が、男の口元がふいに動いた気がした。……この男、……笑ってる?
 見た目は確かに凄惨だ。悲鳴も痛烈で、それはさも痛々しい拷問を受けたかのようではある。
 しかし、それは、本当にそれだけのことか?
 たとえばの話として。
 演技ではないのか?
 わざとダメージを負った振りをして、誰かを呼び寄せようとしていたのではないか?
 そういう考えもあったのではないだろうか。
 だが、呼び寄せるとして、一体誰を……?
 仲間……? それが一番有力だろう。だが、ここはそう簡単に侵入できるような位置にはない。来るにしてもまだ早すぎるだろう。
 ならば、誰か。……ビリー?
 こいつはこれを見越していた……?
 わざと大声で悲鳴を上げ、ビリーを呼び寄せた?
 そんなことしてどうなる? ビリーだってニンゲンに恨みを持っているのだ。自分を助けてくれる存在ではないことは考えるまでもなく理解できることだろうに……。
 ならば何だ……? この男の目的は一体……?

 だが、思考は途中で繰り上げざるを得なくなる。ビリーが気を逆立てている。
 まずは彼を鎮めることのほうが先決だろう。男のほうはその後でも対処できる。

「おぅ、ビリー。まずは聞くにゃ。これは普通に尋問してただけにゃ」
「……服まで破いて、電気を流して、ね。随分と大掛かりな尋問だね」

 ミケが押し黙っている。……この猫娘は本当に行き当たりばったりだけで生きている。もう少し気の利いた言い訳はできないものだろうか。
 仕方ない。ここは助け船を出そう。シェリーは進言することにした。

「見た目が派手なだけで、ダメージはそれほど与えてないわよ。ミケはそれくらいきちんと加減してるわ。アンタが心配するような状態じゃないっての」

 面倒極まりないが、ビリーも大切な仲間だ。きちんと説得して次に繋げなければ。そして、ここをどうにか乗り切って明日以降の拷問を如何にして行うか。……考えることは存外に多い。シェリーは頭を抱えたくなった。

「あれだけの悲鳴を上げていた人に、それほどのダメージがない、だって? 僕の耳はおかしくなってしまったのかな?」

 シェリーは溜息を吐きそうになってしまう。どうやら本格的にメンドクサイムードになってしまっているようだ。ビリーは簡単に折れてくれない。
 ミケもシェリーも上手くいかない苛立たしさに、少しずつ余裕がなくなってきていた。

「……つーか、仮に拷問してたとして、それが何だっつーのよ! こっちのこの子は魔族よ! きっと無理矢理言うこと聞かされてるに決まってる! 人質か何かがいるのよ! だったら拷問でも何でもやって、情報を聞き出さないと! あたいは魔族を救いたい! 誰一人だって失いたくないんだよ!!」
「……気持ちは分かるよ。僕にだって分かってる。……けどッ! 僕たちを苦しめたニンゲンと同じことやって救ったって、そんなの繰り返してるだけだよ!! 酷いことして、それで誰かが結果として救われたって……、そんなの正しくないよ!!」
「……じゃあ、アンタに何が救えんのよ! 多少強引にでも聞き出さなきゃ、得られる情報もなくなっちゃう! 助けられなくなるかもしれないんだよ!!」
「それでも! それでもだよ! ……僕たちはニンゲンと同じになっちゃいけないんだよ……ッ!」

 そんな二人のやりとりを、ミケは遠巻きに見つめていた。

「……意見の多様性は大事にゃ。けど、収拾つかなくなるのもそれはそれで問題だにゃー。……で、ところで……」

 ミケはそこで気づいてしまった。そこにあるべきものがないことを。

「……あの男は何処にゃ……?」

 はっと振り返り、周囲を見渡すも、ニンゲンと魔族の少女は何処にもいない。

「……アイツも、あの子もいない……ッ!? ――やられたッ!?」

――

 ……色々と手は尽くしてみたんだが、どうにか上手くいって良かった。
 それにしても、手錠が付いてるとメニュー画面が開けないんだな。そればっかりは本当に困ったものだった。
 しかしまぁ……。――バキィ!!
 手錠はミケの電撃を収束させ焼き切ったから、焦げた手錠は腕力だけで簡単に壊れた。

「ナズの電撃特訓のおかげ、です!」

 ナズナが鼻息荒くしながら付いてくるが、本当にナズナの恩恵はでかいよな。
 牢屋の中で電気対策をするために俺に対して電撃を放ってもらったんだ。そんな中、風の魔法の原理で雷魔法の流れる範囲をある程度操作できるようになったんだ。まぁほとんどぶっつけ本番だったけど、ナズナがいてくれなければたぶん感覚を掴めずに失敗していた算段が強い。だから、後は俺に対して優しくしてくれそうな犬少年に声が届くよう大袈裟に悲鳴を上げたのだ。風の魔法も併用してより遠くに届くように、な。
 そこで仲違いしている間に逃げ出そうというのは結構場当たり的な手法だったけど、上手くいったのは良かった。まぁ完全に運ゲーだけど。
 しかし、脱走は上手くいったとして、問題はそのあとだ。どうする……?

 まずここは何処で、何処に逃げれば良いんだ?
 地の利も向こうにある。追いつかれれば逃げるのは困難だろう。
 身体能力は向こうのが上だ。魔術も上。経験だって敵いはしないだろう。
 あるのはゲーム知識だけ。思い出せ。俺の得意なゲームのやり方を……!
 俺はこういうとき、対人戦でどうしていた? どういうのが定石だ?

 俺は辺りを見る。周りは石造りで、窓の類は見えない。飛び出して逃げ出すのは難しいな。
 曲がり角は少ない。右往左往するように逃げて攪乱しようにもなぁ。
 天井は……、高い。これを使えるか……?
 だが、足掛かりになりそうなものがない。でっかいシャンデリアでもあれば身を隠せたかもしれないが、質素な作りの建物だし、なさそうだな。
 ……どうする……?

「待ちなさいよ!!」

 三人組が追いかけてくる。が、以前のような脅威はない。合体魔法は使わないのか? ……あるいは、使えないのか……?
 三人の仲を掻き乱した後だ。あるいは使えないかもしれない。とすれば、やはり逃げるチャンスは今をおいて他にはない。

「西風の舞手よ!」

 ビリーから放たれた旋風が廊下を奔り抜ける。身体のバランスが崩されそうになるが、風の魔法ならこっちだって使える。
 俺がビリーの真似をして放った風は、ビリーの魔法を掻き乱し、更には向こうの妨害にもなっているらしい。
 そこへ……。

「あたしの番よ! 水蛟の餌となれ!」

 水の槍が幾重にも分裂して襲い掛かってきた。石壁に穴が空き、ガラガラと瓦礫が崩れてくる。
 俺はナズナを庇いながら石の雨の中を潜り抜けた。今のが本命……ではなさそうだが。

「詠唱省略、です。威力を抑える代わりに発動までが早いのが特徴、です」

 俺たちは普段詠唱なんて使わないからそういうのは全く分からないけど、まぁ確かに走りながら詠唱なんかできないもんな。そういうとこ考えると、魔術師って意外に万能じゃないな。
 なんて無駄話してる場合ではなかった。

「にゅっふふふー♪ ウチは無詠唱が得意にゃのにゃ。さぁ、くたばるがいいにゃッ!」

 ミケの雷撃は風に乗り、水に伝わり、一瞬で俺たちに届く。
 ……が、対処法は、もう分かってるんだよ。
 俺は風で電気が伝わりやすい筋道を作り、電気を逃がしてやる。それだけだ。今度は走りながらでもできた。人間の熟達の早さって時々並外れたものがあるよな。
 このまま行けば逃げ切れる。……しかしまぁ、そう考えた瞬間に、大抵落とし穴があるもんだよな。世の中ってもんは、往々にして。

 俺たちが辿り着いた場所は門扉だった。ここを出れば脱出できる。
 んだが、しかし……。閉まってるんだよなぁ……、これってば。
 開け方はあるんだろうが、重そうだし、人力では無理だろう。どっかに動かすための仕掛けがあるはずだが……。それを探す時間は彼らが与えてくれない。
 逃げ道は……、なくはない。左右にそれぞれ道はある。が、窪んだ地形になっているためいずれにせよ三人組をどうにかしないことにはどうにもならない。
 せめてもっと早く、距離が開いているうちに左右へ逃げていればもう少し結果は違ったかもしれないが、目の前にゴールが見えてるのに普通左右へ行けるか?
 これは孔明の罠だ。恐ろしい限りだよ、まったく。
 どうにかしてもう一度隙を作らないと……。だが、仲間割れはもう起きないだろうし、戦ってどうにかなるわけでもない。
 参ったなこれは……。次回のタイトルはきっとあれだな……。
 「絶体絶命!? ツバサ、死す!?」みたいな感じで一つ頼む。

第七羽【魔徒信仰】⑧

 ナズナは不器用な人間だった。
 喋ることは苦手で、昔から感情表現が得意ではない。
 素直に笑ったり、怒ったりできない。大きな声で同意することすらできない。
 いつも仲間たちの影でひっそりと佇むだけだ。傍らから眺め、遠巻きに見つめる。
 そうすることで仲間であるかのような錯覚に陥る。共にいるのだと思える。
 ナズナにとっては、それが仲間だった。
 家族というのは、そういうものだと思っていた。
 唯一の例外は、ばあや。
 あの人だけが本当のナズナを見てくれている。けれど、いちばん遠くにいる人でもある。
 年齢は遠くて、物事の感じ方も、どこか違う。一緒に笑うことは少なくて、一緒に遊ぶこともない。ばあやはお金を稼ぐため、そして、孤児院を守り抜くために日々戦いを続けていた。
 それはナズナには代われないことだった。けれど、せめて手伝いたい。傍で役に立ちたい。そんな一心で魔法を習得した。
 才能はあったらしい。ばあやは嬉しそうに色々なことを教えてくれた。孤児院でいちばんの術士になるのはそれからすぐのことだった。(もちろん、ばあやを除いてのいちばんだが)
 だが、それで全てが上手く回るほど世の中はシンプルではない。
 ナズナには友達がいなかった。
 生来の口下手や、感情表現の苦手さもあったとは思う。だが、魔術の才能もまた、仲を引き裂く要素の一つであった。
 どこか羨ましがられ、どこか疎まれ、どこか妬まれ、またどこか怪しまれてもいた。
 特別な子供たちが集められた孤児院で、更に特異な存在。それがナズナだった。
 それを受け入れてくれたのは、ツバサたちだった。
 彼らだけが、自分を子供扱いしてくれた。仲間として扱ってくれた。
 友達のように接してくれた。
 それは、初めてのことだった。
 ナズナは嬉しくて、初めてニヤニヤと笑ってしまった。どうしても笑顔が零れて零れて、どうしようもなかった。
 自己承認。ただそれだけのことでこんなにも満たされるとは。
 だから旅に出るのは必然だった。出ずにはいられなかった。
 もう、そこでしかナズナは生きられないのだ。そんな気持ちを、抱いてしまった。
 その気持ちが、それからどんなふうに育つのか、想像もつかないまま、ナズナは共に行く決心をした。
 人が生きるのには、お金が必要だ。食べ物も必要だ。けれど、いちばん大切なのは、居場所なのだ。
 そこにいるために、居続けるために、それ以外の全てを捨てる。深い意味も考えず、けれど、それしかないのだと知っていたから、ナズナはそれを躊躇わずに選んだ。
 その選択を彼女が恨むことは、恐らくないだろう。

「さて……。まずは逃げ道を塞ぐにゃー」

 猫耳の少女がそう言った。
 すると、雷がひた走り、左右への道を塞いだ。
 この時点で退路は二つ。門扉と殲滅。それだけだ。
 しかし、どちらも困難だ。ナズナは勇気を振り絞るように、ツバサの外套の裾をきゅっと握った。

「僕は一つだけ、反省しているよ……」

 少年はそう言うと、細剣を引き抜いた。鋭い切っ先は冷たく光っている。
 ツバサがゴクリと唾を飲み下しているのが、聞こえた。

「僕は君たちを殺したくない……。けど、無傷で制しようとするのは愚弄しているも同じなんだね。……もう僕は悩まない。戦うなら斬る。それしかないのなら、殺すことだって厭わない……。だから、聞かせて欲しい」
「……は? 何を……」
「……君たちは、僕ら魔族の……敵なの?」

 その言葉は、どこか怖い。ナズナはそう感じた。
 ツバサも息を呑んでいるようだった。
 やがて、絞り出すようにして、答える。

「敵か味方かなんて知らねーよ。けど、魔王は敵だ。この世界を混乱させてるのはアイツなんだ。それだけは、……はっきりしてる」
「そう……」

 少年は目を閉じてそれを聞いていた。
 隙だらけなようだが、距離もあるため近づけない。何より、敵意のない相手を害せるような度胸は二人にはなかった。

「やっぱ、こいつらは敵だにゃ! 魔王様の敵はウチらの敵にゃ!」
「そうよそうよ! 魔王様がいなきゃあたいたちの生活はドブ攫いのままだったんだから!」
「……そうだね。僕たちとは、相容れないようだね。……分かった。皆も、邪魔して悪かったよ。これからは全力を以て敵を屠る。勝ちに行くよ」

 少年の気配が剣呑なそれになった。野生の獣のような鋭い気配に。
 分かりやすいくらいに、殺気を纏った。
 これから始まるのは、死闘だ。情け容赦ない殺し合いだ。

「それじゃあ、……行くよ。……遺言状の準備は良い?」
「……へっ! お前の分ならな!」

 仕方なくだが、俺は挑発的に返した。それがなけなしの反抗心だった。
 そうして、一様に走り出す5人。動きはそれぞれバラバラだが、無秩序な行動では、もちろんない。
 魔族三人組はそれぞれに言葉を交わす。

「タイトルはどうするにゃー?」
「……『聖戦の夜明け』で行こう」
「……へぇ? 久しぶりに大暴れできそうね♪」

 対するツバサとナズナも、声を掛け合う。

「……こっちは作戦名とか格好いいのはねえけど、この前のアレ、覚えてるか?」
「例のアレ、です?」
「そそ、さすがに優秀だなナズナ。で、頼めるか?」
「……がってん、です!」

 ナズナが気前よく返事をすると、ツバサが少しずっこけるようにバランスを崩していた。
 「まだ痛む、です……?」と訊くと「いや、……そうじゃないんだけど」と曖昧に濁された。
 ……シロに教わった格好いい返事は、どうやらあまり評判が良くないらしい。……おかしい。こんなに格好いいのに。
 シロ本人はツバサのナップサックの中で丸くなっている。……今度どうしてなのか問い詰めてみなければ。

 水流が、舞う。
 まるで水が大きな蛇のようにとぐろを巻き、生き物のように自在に動き回りながら襲い掛かってくる。
 回避の遅れたナズナだったが、その身体を抱えてツバサが横っ飛びに避ける。
 水流は大地を穿ち、地面をのたうって再度牙を剥く。
 それを躱しきれないと悟るや否や、ツバサは風で水流を受け止める。
 水の勢いはそれでは止めきれず、二人して水を被ってしまうが、大穴を空けるほどの威力はない。しっかりと風で威力が減衰されている。
 ふっ、と息を吐く時間すらない。鋭い剣がツバサの首元を狙っている。
 すんでのところでビリーの剣を躱したツバサだが、体勢が崩れてしまっている。ナズナはツバサを守るように立ち塞がり指先から雷を放つ。
 が、ビリーは剣を地面に突き刺したかと思うと、そのまま雷撃を受け止めてみせた。……効いていないのだろうか?

「……アースかッ!?」

 ツバサが焦れたように叫んだ。
 アース……? あれも魔法だろうか……?
 そこから更に数度、水流と剣戟による波状攻撃がやってきた。
 攻撃は辛くも避けてはいるが、余裕はなくなってきている。いずれ直撃は避けられないだろう。
 だからこそ、早く……と、祈らずにはいられない。例のアレを実行しなければ……!

「……ナズナ! ……今だッ!!」

 その声を待っていた。
 ナズナは腕を振り上げると、溜めていた魔力を指先から解き放つ。
 解き放たれた雷の弾丸は、敵の眼前で稲光を迸らせた。

「なに――ッ!?」

 ビリーは居竦んで、攻撃の手を止めた。
 ……いける。やはりこのコンボは強いらしい。ナズナは手応えを感じていた。

 風の魔術。それは空気を操る魔法だ。
 ナズナは原理が良く分かっていないが、ツバサが魔術で空気を薄くし、そこへ雷撃を放つことで雷撃の威力が数倍に跳ね上がるのだ。
 魔物と違い、魔法を使える人間には魔法の威力は通りにくいものの、この方法なら充分な威力が出せる。
 もっと、もっと多くの魔力を込めて放てば、きっと――。

「ははッ! いけるぞ!! これが俺らの合体魔法だ! 喰らえ! ディバイン・ハンマー!!」

 ツバサが合図した場所へ、ナズナが雷を放つ。
 先程よりもより魔力を凝縮した雷弾だ。
 魔法の規模は大きい。三人を巻き込んで稲妻が走り抜ける。
 勝った――! そう、思った矢先……。

「舐めるにゃよ、糞餓鬼……!」

 猫娘の、形相が変わった。
 にこやかで怪しげな、面影はない。恐ろしく残忍で、残酷な顔立ち。ドス黒い殺気が励起している。
 鬼のような――、否。鬼そのものが、そこにいた。

「生意気にゃ餓鬼は、……死ね」

 比べものにならない。
 ツバサとナズナが力を合わせて放った魔法よりも、更に大きな電撃が、もはや落雷そのものといった電流を伴って、刹那の瞬きの間に押し寄せてきた。
 ナズナはツバサの前に立った。
 そこには明確な意図などない。守る・守らない、そんな思考すら挟む余地もない。
 ただ、全力で雷を生成して威力を拡散させようとした。
 津波に立ち向かう細波の如く。打ち砕かれて、意識は閃光に呑まれた。

――

 痛み分け、といったところだろうか。
 敵の状況は分からないが、追ってこないところをみると、多少はダメージを与えられたと判断していいのかもしれない。
 だが、しかし――。

 俺は腕に抱いた少女の顔を見下ろした。
 意識を失った少女は、痛々しい姿で眠っている。
 吹き飛ばされた際に、どこかへぶつけたらしく、頭からは鮮血が滴り落ちている……。
 最悪だ。最悪な状況だった。
 俺はナズナを抱えたまま、この場を脱することにする。
 どこか落ち着ける場所へ行って、ナズナを治療しなければ……!
 俺には応急処置もできない。クソッ、アリシアに習っておけば良かったな。今更になってだが、自分の愚かさに腹が立つ。
 所持品に薬はあっただろうか。ゲームみたいな世界だが、瞬時に傷が治るようなアイテムは聞いたこともないし、ナズナが作ってくれた傷薬も効果はそこそこでしかない。
 ないよりはマシだが、今は処置を施す時間すら惜しい。
 まずはゆっくりと治療できるような場所を探さないとな……。

 そして……。
 やや遠くだろうか……。
 カンカンと鉄を打つような音と、足音が。そして、怒号のような声が聞こえる……?

 ――戦闘音か……ッ!

 ……どうする……? 様子を見に行ってみるべきか?
 ……いや、ないな。面倒ごとに巻き込まれるのがオチだろう。
 奇しくもミケの一撃で俺たちは砦の外に放り出されている。
 そうだ、ここは砦のようだ。となれば、この塀の向こう側へ行けば、菊花やアリシアに合流できるかもしれない。
 が、そこから聞こえるのが戦闘音なんだ。巻き込まれるのはまずい。特に今はヤバイ。俺は腕の中の少女を見やる。
 力なく横たわっている姿を見れば、答えは自ずと導き出される。

 塀の外には、行けない……。

 このまま、街に滞在して、ナズナを養生させるしかない。
 敵地でどうやって養生するんだという問題もあるが、そんなことは後で考えればいいことだ。
 今、この少女を救う方法は、それしかないんだ。
 俺はナズナを抱える腕に力を込めた。
 絶対に助けてやるからな……!

 こんな弱くて情けない俺を守って、少女は傷ついてしまった。
 だから今度は、俺の番だ。待ってろよ、ナズナ――!



to be continued...

あとがき 七羽


どうもこんにちわ。もじるの大好き亘里くんです。今日も元気にもじってます。
魔都侵攻というタイトルを付けたときに、「これ、どう考えても一話じゃ終わらない流れだよなー。分割必須だよなー」と考えていたのですが(結局それでも長かったですけど)、以前イリスカという話を書いていたときにもやった手法として、読み方は一緒だけど漢字は違うという前後編スタイルがありまして。
そんなわけで、今回も私の冴え渡る中二スピリッツが火を噴くぜ! ……という感じでやっちまいました。
色々考えたんですけど、第六羽、第7羽と続いて、第八羽も「まとしんこう」シリーズになる予定です。お楽しみいただければ幸いです。
今回は魔族篇です。魔族について書いておきたかったんです。書きながら序盤とは大分方向転換しているため、齟齬があったらごめんなさい。

そろそろお話を本格的に進めないとなー、という感じで焦りを覚える今日この頃です。
もともと第7羽は魔都連行にしようとしていたくらいなんですが、まとしんこうに合わせたという経緯があります。
パーティを分けて進行させた方が物語が早く進むらしいのですが、本当でしょうか。
今後の伏線も兼ねての編成ではありますが、2パーティ制の導入で、今後読者が減らないことを祈るばかりです。

牢屋に入れられたナズナとツバサのお話。
説明だけで終わってますね。次回は進みます。たぶん。

ちょっと半端ですが、ちゃんと続きますのでご安心ください。
最近本当に小説が書けない。じゃあ何やってるかっていうと、ゲームなんですけどね。
艦これとモンストが面白いです。艦これは提督レベル50になりました。北上さんがようやく改二になりました。素敵。
モンストは降臨をときどきノーコンクリアできるようになりました。超絶や運極はまだまだ先ですが……。
……小説ももうちょっとがんばります。

いい加減進行速度遅いですが、どうかお付き合いください。
毎度ノリだけで伏線を張るので、そこからさきどうしようか何も考えてません。
次回は本当にどうしようかな……(汗
……とにもかくにも楽しんでいただけたら幸いです。

ようやくちょこっと進展。
からくりをうまく見せるために三人称シェリー視点です。

毎度ノリだけで書いててすみません。脱出回はもう少し一悶着する予定でしたが、ここまでで時間掛かりすぎたので、ちょっと割愛します。
一応次回で第7羽は終わる予定です。

なんとか一区切り。次回からは菊花たちのお話へシフトします。
……長かった。思ったよりしんどいな、これ。やっぱりパーティ分断すべきじゃなかったような気がするんだな。
やりますけど。やりますけども。ちょっと一休みさせて。
それにしても、最近ナズナに焦点が当たりすぎているような気がして……。ようやく贔屓から逃れられます。……んが。
第8羽からはちょっと重たい話にする予定です。……失速しないことを祈りつつ……。